はてなキーワード: ハンドルとは
「みんなの力で暴力」の立て看板の全文は「「みんなの力で暴力追放」で、実は暴力事件が沢山あった地域だったっていう棘がバズってるけど、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2306458
「暴力はいいぞ、ケンシロウ」のアミバとか「暴力は全てを解決する」のコマとか入れられているが、こういう看板のいう暴力って一般的な暴力じゃないのよ。民暴なのよ。
こういう看板は昔は沢山あったけど今は限られている。今は駅前、寂れた商店街、警察署が多い。
その看板の名義見た事あるだろうか?警察、ライオンズクラブ、ロータリークラブ、商工会、JC(青年会議所)が多いのだ。
ライオンズクラブ、ロータリークラブは共にフリーメイソンのスピンオフみたいな組織で経営者が多い。地域の実力者や法人が加入しているのでコネが欲しい経営者も加入する。
で、一番多く建てられた時期は平成の初期だ。
この当時、ヤクザ問題が深刻化していて、ハリウッド映画にも凶悪なYakuzaとしてよく登場している。
ヤクザは様々な犯罪を起こすが、国家権力、特に警察が重要視していたのが経済がらみの犯罪や犯罪紛い行為だ。
今では考えられないが、当時は会社の経済活動にヤクザが絡んで来るというのは当たり前の風景だった。総会屋などは商法改正でパージできたが、民事紛争でヤクザが出張ってくる事件屋とか、不動産物件を購入や落札したのにヤクザが居座っている占拠屋とか、会社間の債権がヤクザに売られて取り立てに来るとか、色々とキリがない。他社と揉めたら会社の前に右翼の街宣車が来て「糾弾」が始まったりする。
必ずしも金を要求されるわけじゃないが、どこかに対して経済的な見返りをしないと収まらない。その相手はヤクザの企業舎弟やヤクザに金払った会社だったりする。
一度関係が出来ると延々としゃぶられる。
こういう状態に関して警察が働きかけて「紛争でヤクザを使うな」と呼びかける為にそういう看板を設置させたのよ。「暴力団を使うな」じゃないのは、企業舎弟とか経由するからヤクザと直接の関りとならないから。
今はこの「暴力」追放が使われなくなったのは反社という概念が出来て浸透したから。
平成初期はその概念も無く、ヤクザがあちこちで経済活動に関与しているのは当たり前の状態だった。そこからヤクザを取引や紛争解決の場から排除しようという流れに持って行くための警察の活動が「暴力追放」という看板の設置だったわけ。
新暴対法は1991年に施行されたが、最初はあまり効力を産まなかった。
ところがそこから警察があらゆる手段を取るようになってかなり物騒な事件が続出した。例えばパチンコの三店方式は警察がパチンコ店主を説得して導入させたものだが、この導入初期には営業中の店への銃撃事件やダンプ突っ込み、バキュームカー逆噴射、店主の傷害事件などが起きている。
それらに対して警察は身を守るという約束をして用心棒を兼ねて警察OBの天下りをさせるようになった。パチンコもうけ過ぎの構造はこういう経緯があって出来たもんだ。
当然今までトラブル解決をヤクザに依頼していた会社はマル暴デカに脅されるし、企業舎弟との取引がある会社も切れと警告される。ヤクザは「警察と俺等とどっち取った方が安全か判るよな」と脅す。
そういう中で民暴という概念を啓蒙して流れ作るために警察が経済人の組合抱き込んで設置させてたのがああいう「暴力追放」看板なのよ。だから設置者がPTAとかじゃなくて経済団体ばかりなのだ。
ってー事で「暴力追放」看板は古い(平成初期)のばかりなのだ。21世紀に入ると反社概念が周りはじめて対反社条例などがどこにでも出来、「暴力追放」概念は過去のものになったから。
あと、ヤクザが地場産業企業とくっついていたので、市長がヤクザ関係者とかそういうのも普通にあった。
何しろ高度成長期まで遡れば、労働争議に会社にやとわれたヤクザが突入してストライキしてる側を殺したりとかもあったわけで。
地上げで、ヤクザ金融から金借りた債務者のどっかの経営者が普免しかないのに大型ダンプ運転してハンドル操作ミスって「偶然」地上げ受けてる家に突っ込んだり、放火されて死んじゃったりとか。
そういうの根絶するにはその犯罪取り締まるだけじゃなくて、面制圧して干す必要があり、それには経済活動から排除するっていう機運が必要だったのだ。
https://web.archive.org/web/20190804191818/http://m-sugaya.jp/sci-fi.htm
「第二次世界大戦後、「Famous Monster Magazine」を編集していたフォーレスト(フォーリー)・J・アッカーマンという編集者が、ステレオの「Hi-Fi(ハイファイ)」の発音にヒントを得て「Sci-Fi(サイファイ)」という「Science Fiction」の略語を生み出しました。これがウェブスター辞典いうところの1955年なのでしょう。アッカーマン氏は、自分の車のナンバープレートも「Sci-Fi」にして、この言葉の普及につとめたようです。
アッカーマン氏はファンジンの祖としても知られている人でして、日本ではマンガの主人公になったこともありますが(^_^;)、コンピュサーブ会員の説明によると「(もちろん本人は認めないが)クズSF映画(trashy sf movies)」の愛好者で、彼がこれらの映画に「Sci-Fi」の名前を冠したため、一般メディアは、ゴムのぬいぐるみが出てくるモンスター映画のようなものを総称して「Sci-Fi映画」と呼称するようになったのだとか。
「2001年宇宙の旅」から「スターウォーズ」までの期間の前後は、「Sci-Fi映画」といえば目玉の大きなグロテスクな宇宙人やロボットなどが出てくるホラー系、モンスター系映画の代名詞となっていた(いる)のだそうです。
さらに60年代に入ると、出版業界の中で、モンスター映画に似た安っぽいSF小説を「Sci-Fi」と書いて「Skiffy(スキッフィー)」と呼称するようになったのだそうで、「サイファイ」と並行して「スキッフィー」もポピュラーな呼称となっていったようです。
「Sci-Fi(スキッフィー)」という呼称には、多分に侮蔑的なニュアンス、あるいは自嘲的な意味合いも含まれていたようで、ジョークの中には「SFファンの前でスキッフィーというときは、逃げ出す準備をしてからにしろ」というようなものまであるそうです。
このような経過を経たせいか、「Sci-Fi」には屈辱的、あるいは差別的なニュアンスがつきまとうようになり、SF作家の中には「Sci-Fi作家辞典」への掲載を断ったりする人も出てきたのだとか。
そのためコンピュサーブの「Sci-Fiフォーラム」は、その名称を「SF/Fantasyフォーラム」に変更し、「GOコマンド」からも「GO Sci-Fi」が消えることになったとのこと(1990年頃のことらしい)。ここでいう「SF」とは、「Science Fiction」であり、また「Speculative Fiction」であり、ハインラインやクラークの伝統を引き継ぐ作家、作品を指しているようです。ちなみにニューウェーブやサイバーパンクの作家名は出ておりませんでした。
ただし、ここで留意しないといけないのは、コンピュサーブは元もと料金が高かったこともあって会員の年齢層と地位も高く(これを称して「コンピュサーブの3高(c)Mitsuru Sugaya)」という)、大半のフォーラムではハンドルが使えないなど、保守的なオンラインサービスとしても知られているところです。
……てなことを書いていて、またコンピュサーブにアクセスしたら、最近までは使えなかった「GO Sci-Fi」が復活しておりました。「SF/Fantasy Forum」グループのメニューが出てきます。コンピュサーブもAOLが親会社になったことで、ポリシーを変更したのかな? それとも前に探したときにタイピングをミスしたのかな?
しかし、このコンピュサーブの「Sci-Fi」に関する議論は、なんとなく「ハッカー」についての議論を思い浮かべてしまいました。はい、「ハッカーとクラッカーを一緒にするな」というアレでございます。ケーブルテレビにも「Sci-Fiチャンネル」という、24時間連続でSF系のテレビ映画などを放映しているテレビ局もあるくらいですから、すでにアメリカでは「Sci-Fi」という言葉は市民権を得ているといってもいいのでは……なんて思っちゃうんですよね。これも、「面白ければSFでもSci-Fiでもかまわない」というこだわりのなさからなんでしょうが。
15年ほど昔、手塚治虫先生に、「最近、『ゲームセンターあらし』は、すっかりSFになってますねえ」と言われ、「げえっ! 手塚先生が『コロコロコミック』まで読んでるう!」とビックラこいたものでしたが、そのとき「スキッフィー」という言葉を知っていたら、「いえ、ぼくのマンガはスキッフィーです」と言えたのになあ。あのマンガで目指していたのは駄菓子屋マンガだったから。
すがやみつる(1999/3/20記:1999/8/2一部書き足し)」
😌スッキリした
今回の件でちょっとショックだったのは、災害対応自販機の多くは実は災害時には役に立たないということだった。
災害対応自販機 | 自動販売機の種類 | 自販機設置マスター
主に バッテリー式、ワイヤー式、ハンドル充電式 の3種類があり、前2つは鍵を持った管理者による操作が必要。
災害時には管理者も被災しているわけで、自分と家族の安全が最優先ですよ。職場に戻って自販機の鍵を開けろなんてちょっと非現実的だと思う。
3つめのハンドル充電式は誰でも操作できる。ただ、ぱっと見それとわからないのでリンク先の写真を見ておいた方が良いと思う。
災害支援型 自動販売機|コカ・コーラ社の自動販売機を設置|お取引希望のお客さまへ|コカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社
通信ネットワーク技術による遠隔操作によって、自販機の電光掲示板に災害情報を流したり、本体に残っている飲料を無償で提供するとのこと。
調べていてすごいと思ったのはダイドー。
地方自治体と災害支援協定を結んでいて物流拠点および災害救援自販機の在庫商品を無償で提供するらしい。
cider_kondo …そもそもワイヤー式が登場したのは東日本大震災で充電式がダメだった事例が多かったからだとメーカーが書いてる https://www.bankin-rise.com/service/manual/ のになぜスルーしてんの?
へえ、知らなかった。ありがとう。
この記事を書いた動機ですが、私自身が物件を持っていて自販機が2台入っているからです。
自販機って全く儲からないんですよ。なので自販機を入れている理由は2つ、店子の利便性と災害時に役に立つからです。
それなのにこれは災害時には役に立ちそうにないなとショックを受け調べていた次第です。
鍵による操作も初耳で(ひょっとしたら先代が知っていたのかもしれない)今度帰ったときに確認しようと思っています。
そうそう!これ!
私もコレだと思っていました
Arturo_Ui 「災害時には管理者も被災しているわけで」< 今回は正月で高校に誰もおらず、管理者も参集できなかった点は考慮すべき。普段の時期であれば誰かしら管理者はいるはずなので、そこまで心配することも無いような。
ただ私個人の選択としてはハンドル充電式の方がよいです。マンションオーナーはそのマンションに住んでいるわけではないので。
この記事は誰かを非難する意図ではなく、これから選ぶならどれが良いだろうかという話です。
それと一部のコメントが誤解されてそうですが、
せっかく昔免許とったのに事故起こすのが怖くて全く運転してない。
ヨボヨボの年寄りとか免許取りたてのJDが親の車をガンガン乗り回してても俺にはできない。マジ無理。
たぶんドラレコで撮られた事故動画を日常的に見ているのが良くないのだと思う。ドラレコ普及の弊害だ。
事故動画を好き勝手に摂取してはいけない。他人の事故はエンタメではない。
もし少しでもハンドルが逸れたら人を轢いてしまうかと思うと本当に恐ろしい。
俺もマイカーでソロキャンとかしてみたいよ。車載動画も好きで良く見ている。でも運転は駄目だ。
家族を人質に取られて犯人に運転を強要でもされない限り決してできない。自分本位な理由で運転できるほど俺の中のハードルは低くない。
完全自動運転早くしてくれ。頼む。
もしくは俺の家族を人質に取ってくれ。何回か乗らせてくれれば多分大丈夫だと思うから。でもしばらくは助手席に乗って見ててね。
小さいバッグにもハンドルはあるやん……
なんかOculus VRモードとかいうのがあったので試してみたら、キーボード操作で安定して動いた
グラフィックスの設定も最低にしていったらカクカクしていた描画が改善された
雲の中に入った時のキャノピーの雨粒の表現とか、ああいうの宮崎駿も描いてた気がするけど気のせいかな
描いてたら、よくぞ描いたな、という感じがした
VTOLの方と違って、操作が単純すぎて、これはこれでつらい気もした
🕹は昔マイクロソフトがフライトシミュレーター用に力覚があるのを出してた気がするんだが、
特にVTOLは力覚がないと、うっかり機体を傾かせて自爆してしまう
ちんことか言ってバカにしてたが、こういうときに必要になるのだな
Meta Questのコントローラーではハンドルやアクセル、ブレーキも無理だから、
しかし、VTOLの計器類はどれも意味があって、飾りじゃないの、すげー勉強になった
難しすぎて、まだ未だにちゃんと飛べてないんだけど
その文章がどんなだったかはもうほとんど覚えていないけれど、挿絵として載っていた漫画でチャーリーブラウンが言っていたことは今でもふとしたときに思い出す。
大雑把にまとめると、「安心」とは車の後部座席で眠れる状況のことで、そしてそれはある日突然、永遠に失われる、みたいな内容だった。
私は昔から車に乗ればすぐ眠れる性質だったので、これを読んだ当時はなるほどなぁとすごく共感した。
家族で遠出した際、一人っ子だったために独占状態だった後部座席で横になり、夜のラジオを聴きながらブランケットにくるまってうとうとする時間が大好きだった。
でも、高校生の私も、横になれこそしないもののまだまだ車内では眠らせてもらえる存在で、それが「永遠」に失われるとはどういうことなのか、実感としては分かっていなかったのだと思う。
免許を取って数年は、まだ両親の運転する車に乗る機会が多かった。
通勤時もついでだからと送ってもらっていたし、そもそも自分の車がない。ときどき家族の車を借りて練習程度に乗るくらいだった。
それでももう、その頃には後部座席でも助手席でも意識的に起きているようにはなっていて、移動中に眠るのは専ら夜行バスや電車、新幹線だけになっていた。
それから更に数年。母が持病の関係で運転できなくなったので、職場への送り迎えや日々の買い物の際、ハンドルを握るのは私になった。
車も自分のものを買った。両親に加え祖父母を乗せることもあるので、幅の広い乗用車。通勤でもレジャーでも、当然自分で運転する。誰かの飲み会の際はタクシー代わりになることだってあった。
しかし、この頃から父の運転する車は私にとって居心地のいい空間ではなくなっていて、おそらくこのとき私の安心は永遠に失われたのだろう。
ある日、父が同居していた祖父母たちを追い出した。元々折り合いは悪かったのだけれど、私にとっても母にとっても非常にショッキングな出来事だった。
私は祖父母に育てられたようなところもあるので、経済的、社会的立場が弱い祖父母の味方についた。それ以降父とはほぼ絶縁状態である。
母の病状も悪化する一方だ。進行性の病気なのでどうすることもできず、父の居ない隙に様子を見に行くことしかできない。
祖父母と母。この二つを訪ね、二つ分の病院に通い、二つと一つ分の買い物をして、出社日には私を職場に連れて行く。それが私の車の仕事。申し訳ないが、美しい景色を見に遠出……とか今はちょっとできそうにない。
さすがにちょっと疲れてしまって、帰宅後リモートワークを再開すれど、進捗はあまりよろしくない。終業後もぼんやりとして、そろそろ夕飯の支度をしなきゃなと思っても立ち上がれない。眠ろうにも眠れないのでこうしてうだうだと日記を書いている。こんな日が本当にたまにやってきて、そのときふと後部座席の話を思い出すのだ。
私はもう大人で、運転席に座る側の人間で、たとえこれから恋人やパートナーができたとしても、やっぱり私はドライバーかもしれないし、助手席であっても事故が起きないよう常に気を張っていないといけない。
後部座席で眠っていた頃には戻れないんだな、と。今は実感としてよく理解できる。
タイトル通りです。以下は惚気です。
ッッッッハア〜〜〜〜〜最高の15日間だった!!!!!!!!!!!!!!!!
みなさんは好きな人、いますか?シャープペンシルを握る右手の人差し指に触れてみたいとか、ふとした拍子にチラリと見えた控えめなピアスに目が釘付けになったとか、委員会も部活もゼミもサークルも部署も会社も違うけれど、これまでの人生で一度だけ交差したことがあって、ただその交差はわたしにとっては交差だけれども向こうにとってはただのすれ違いで、それでもいい、それでもいいから好きなんだ…………。と片思いし続けて早7年の爆美女と、ついに、お泊まりしました(??????????????)
いや急転直下すぎるな、ソシャゲの公式がおかしくなって投下した期間限定イベントじゃねえんだから。もうちょい流れ、しっかりしてんだろ。
えー、筆者は25歳北の限界労働系女子。朝から晩まで働けません。普通に無理です。限界です。気が狂ってたまに業務用コンドームとかむちむちバキバキ本格ディルドとか買ってます。最近は居住地区のラブホテル全館全室制覇を目指して深夜残業に勤しんでます!
そんな限界労働者ことわたくしにも心優しい友がおり。大学で出会った友人のうち数人とはいまだにやり取りをする仲なのですが、その中に、筆者が7年間恋焦がれた美女が、おるの、で、ございます。あ、あーーーーーーーーーーー、好き。
ほいでね、ある日美女とLINEをしていたところ、彼女は資格取得のために勉学に励んでおり、アルバイトやらなんやらに追われないところでじっくり勉強したいと。そいで、わたしはなんの気無しに「そしたらうちおいでよ!」と送ってしまったわけですよ。来るはずねえよ、だれが津軽海峡渡ってまで勉強しにくんだっつー話よ。したらば返信これ。
「お邪魔じゃなければ25歳労働者ちゃんのお家で、作業してもいいかな?2週間くらい……迷惑だよね……?」
はよ来い!いま来い!すぐに来い!!!
と叫びたくなる衝動を抑えて、いいよ^^と返信し、日程などを調整し、お客様用布団を揃え、お部屋を掃除し、車も洗い、いざ迎えにゆかん空港へ!
危うくひれ伏して神に祈りを捧げるところだった。危なかった。アッラーだかヤハウェだか天照大神だかカムイだかわかりゃせんがとりあえず半径1000キロ以内に存在するそこかしこの神と名の付くものすべて引っ張り出してきて松明に火を灯し三日三晩寝ずに踊り狂うところだった。
空港から帰宅後に始まった彼女との半・擬似同棲生活はもう、幸せでした。と言いたいところだがここで一つ。
わたしは、彼女への想いを伝えたことがなく、彼女もまた、わたしについてどのような感情を抱いているのか、確認すらしたことがなかった。
ジーザス。神は試練をお与えになる。
でも乗り越えられない壁はないってイチローも言ってたし!いざゆかん!斬り込み隊長!
社畜女「えーと、彼女ちゃんって、あれだよね大学のとき彼氏がいたとかなんとか。恋愛しなさそうだったから、なんか意外だったんだけど」
美彼女「ああ、懐かしい話だ。別れたよ、うん。なんか恋愛っていうか枠組みっていうか、微妙かもしれないなって気付いたんだよね」
社畜女「そうかー。ちなみにだけど、その枠組みには男子も女子も入る感じ?」
美彼女「入るね。入るけど、入ったらもう、しんどくなる気がする。だから入らなくてもいいなって思ってる、今は」
おかわりいただけただろうか………🍚
ごはんいただけただろうか………🍚
ンマア、そんなこんなで幕を開けてさっさと閉じかけた半擬似同棲生活。こちらとしてはかなりかなりめちゃくちゃ本当にどタイプで顔も見た目も内面も知性も趣味も彼女を構成するものすべてを吸収して逞しく生きているさまを見るだけでわたしはもう、なにか触れてはいけない神々しさの間近にいるような感覚になってしまうのですが。
神は恋愛については下界へ降りてこられることはなさそうで、25歳北の労働者はあっけなく振られました。結構ストレートに告白したつもりだったんだけどね?!だめでした。
でも告白した次の日も普通に2人でスーパー行って洋梨買って肉買って塩買ってラップ買ってトイレットペーパー買ってアイス買って帰ったよ。たまにドライブもしたよ。わたしの運転で神が酔ってしまわないか若干の心配をしつつ、ハンドルを初心者ばりに握りしめながら北の大地を東奔西走したわよ。楽しかったな。本当に。
夜眠るとき、彼女はお客様用のお布団で寝るのよ。わたしはベッドで。ただの友達だったら女の子同士だし小柄だしってことでベッドで一緒に寝ますけれども今回は事情が事情っていうかわたしがガチすぎたので布団は分けました。正しい判断だったと思います。
彼女がいる間、隙を奪えば手や唇のひとつやふたつ、なんならそれ以上だって踏み込めたはず。優しさのふりをして抱きしめることだって。でもそれをしなかったのは、彼女と構築していきたいのは刹那的かもしれない恋愛としてではなく限りなく永続的な人間関係を続けていきたかったから。
過去の話をする中で、お互い同性同士の恋愛に躊躇いがないことは確認できた。にゃるほどね。そしたらもう、あとは、わたしのことを好きになってもらうしかなくて、でも好きになってもらうために何かするとかは愚かな行為で、きっとわたしがわたし然としていればいつか彼女の目に留まるはずなのだ。そしてそれは彼女の目でなくとも、わたしとのすれ違いを交差だと感じてくれた誰かの目にも、映るはずなのだ。だからわたしは今日も明日も明後日も、美しく軽やかに、確固たる意志を持って、あるべき場所へと戻る人々を空港から見送る。
3年と少し前「医学部なんて入るんじゃなかった」という文章を漠然とここに投稿した。進級がかかった試験の直前だった。涙をぽろぽろ流しながら、カフェの端の方の席で書いたのを覚えている。
まだエントリは消していない。事前にそちらを一読してから読んでもらえるとよいかもしれない。
「医学部なんて入るんじゃなかった」は、バズるというほどではないけれど、ネットの隅で少しだけ話題になった。あたたかい意見も厳しい意見もたくさんいただいた。あれからいろいろなことがあった。もし自分と同じように苦しんでいる人がいるとするならば、後日談まで書かないと誠実じゃないじゃないか、と思った。マッチングや卒試にも目処がついたので、国家試験の勉強の息抜きも兼ねて、自分の現在地を記しておく。
どこから書くべきか迷っているが、過去の記事と照らし合わせて丁寧に近況を綴っていこうと思う。
まず「医学部なんて入るんじゃなかった」とかつての自分は息巻いていたが、結果的には、心境に変化が生じたというか、医学部も別に悪くないと思うようになった。医学教育の賜物かもしれないし、苦楽を共にした学友のおかげかもしれない。かつての自分の状況を考えれば、驚くべきことだと思う。
思うに当時の自分は、人間というものに対してずいぶんと悲観的になってしまっていた。コロナ期間が長かったことも大きい。けれどもあの記事でいただいた意見を参考にして、人間に絶望せず向き合うというか、積極的に交流を図ってみたら、自分と同じ痛みを抱いていたり、同じでなくとも大変な状況をくぐり抜けたりしている子が意外に多いことを思い知った。ノートを見せてくれたり、塞ぎ込んでいる時に一緒にスタバを買いに行ってくれたり、何だかとても優しい子が身近にたくさんいて、シンプルに驚いた。自分は一人ではなかったし、今となっては勉強部屋で毎日楽しくやっている。
再受験の同期たちの存在も大きかったかもしれない。彼らは大人の視点から自分の悩みに向き合ってくれたし、家庭環境に引くこともなかった。
振り返ってみれば「人に恵まれた」に帰着するのだけれど(友人たち、先生方、本当にありがとうございました)、歯車がひとつでもずれていたら、どうなっていたかわからない。人生は意外に上手くいくし、意外に上手くいかないこともあるし、そのハンドルを握り続けることは容易でないという気づきが、唯一の学び。
続いて、家庭について。家庭は、残念ながら崩壊した。おいおい、と思う人もいるかもしれない。熟年離婚というやつだ。ただ、養育費は卒業まで出してくれることになり、母方の家庭も長年の苦労を見透かしてか、支援をしてくれている状況だ。臨床実習が始まるころに手続きがだいたい終わった。
あれだけ絶対的なものだと信じていた権力機構が、いとも簡単にバラバラと崩れていくさまに、気持ちよさを覚えなかったかといえば嘘になる。清々したし、寂しさはない。薄情かもしれないが、しょうがない。
趣味は相変わらず楽しくやっている。とても上手くいっており、その道の友人もたくさん増えたし、努力すればするほど報われる辺り、今までの人生の苦労のお返しを、急いでもらっているようにも思われる。就職は関東なので、今よりずっといろいろなことがやりやすくなるだろう。
もう「欠陥品」と呼ばれることもない。勉強や趣味はそれなりに頑張っているし、プライベートもそこそこ楽しくやっている。健常な人間に「擬態」しているというと穿ち過ぎだろうか。
残念なことに、自己肯定感の低さは治っていない。褒められたら社交辞令と反射的に判断してしまう。けれども今の私には、それを笑顔で受け止める分別がある。
こと異性関係においては、どうも以前の良くない自分……過剰に怯えがちで人間を信頼しきれない自分がほの見えるようで、現在お付き合いさせていただいている人に、それを茶化されることもある。根本の問題は治ることはないと思う。全てのこころの問題が離婚程度で治るなら、私は今こんな文章を書いていない。離婚の事実自体に苦しめられることもある(自分も原因の一端を担っているはずなので)。
そうそう、以前のエントリをあげた時、「あなたはどこに行っても上手く行かない。あなた自身に問題がある」といった内容の言及をいただいた。それは本当にその通りだと思う。私は人より落ち込む頻度が多いし、落ち込み具合もひどいものがある。特性は一生十字架として背負っていくほかないのだ。一方で、当事者にダイレクトに当事者たる要素をぶつけることの暴力性に関しては、少しばかりの思慮が必要だと考える。
どれだけ歪んだ形でも「大学に通えたこと」には感謝している。卒業を目前にして、特にそう思う。世の中には寝食さえままならない被虐待児が多い。辛さは比較するものではないけれど。
というか、過去の自分、かなり荒んでいて驚いた。もし私と同じような子がいたら、大丈夫だよ、と肩を叩いてあげたい。世の中は思ったより悪いところじゃないし、どんなコミュニティにも気の合う人は存在する。視野を広く持って、絶望しすぎないで、どうか、家庭以外の安心できる居場所を見つけてほしい。
将来何になりたいかは、まだあまり決めていない。志望科は内科だが、精神科にも興味がある。かつての自分みたいな子供の、絶対的な味方でありたい。
何だかふわふわとした文章になってしまいましたが、以前私にいろいろと言葉をかけてくださった方々、どうもありがとうございました。
同職種の人でしたら、いつかどこかでお会いできるかもしれません。
本当に、ありがとうございました。
https://anond.hatelabo.jp/20230409204004 有名な「人食い用水路」はなぜ放置されるのか? 「安全措置を恥とする不可解な文化・県民性のせいではないだろうか」とかなんとか知ったふうな言説を目にするわけですが。 なんで放置? って第一の理由は水路延長が数千キロもあって、泣いても笑っても作業量的に追いつかないから以外にない。 ミクロな運用(自分は落ちないように気をつける)で対処するしか。 抜本的手当が望まれるもののちょっとやそっとじゃ焼け石に水というようなタイプの懸案に対しては、対応の初動が悪くなる・動き出したとしても成果が見えてこないといった成り行きは世の常だろう。いちいち例示はしないけど。 「ウィンカー出すのは恥ずかしいという文化がある」とかまことしやかに言われるけど、そんなもん無いよ。 予告ウィンカーちゃんと出さないバカはよくいる。ハンドル切り始めるついでに出すんだね。ウィンカーの意味とか考えてないから。 それは単に民度が低くてそうい
そりゃ俺だって自動車評論家になれば「まったく優れたところがなく特にハンドル周りは最悪」を「ハンドルの操作性にやや難はあるが平均的に性能が高い」に言い換えるくらいの社会性は発揮するよ
前々から気になってたけど、今回ちょうどいい話題が出てきたので書き出す。
イベントで売られたマフィンが、砂糖(防腐効果がある)半減のうえに、半焼きで、5日前からの作り置きで、さらに室温保存だったために腐って腹痛などの被害が出ている件。
厚生労働省は「重篤な被害者・死者が出ていてもおかしくないclass1の案件」と判定した。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/c_18/n_16767/
いっぽうで、実際には腹痛程度の被害しか出ていないのにこんなに騒ぐ必要があるか?という増田・ブコメもあった。
https://anond.hatelabo.jp/20231114210613
この一件に対するブコメで気になったのは、「店主は悪意がなさそうだ、ここまで責められるのは可哀そう」という意見が多かったことだ。
かつて数人の死者を出した焼き肉屋えびすの集団食中毒事件でも、店や運営会社には悪意はなかった。生食用の肉を仕入れて生食として出してたら、衛生管理の不徹底で食中毒になった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/フーズ・フォーラス
今回のマフィンとの違いは、たまたま運良く購入者の多くが食べる前に異臭や腐敗に気づいて食べるのを控えた事による、販売者にとっての「運の良さ」に過ぎない。
むしろ衛生管理という面では、5日も前に作った半生菓子を18度に設定したクーラーをかけただけの室温(食品衛生上15-30度が常温・室温の範囲で、18度は冷蔵にあたらない)で保管して売ったという点で、
生食用の肉を仕入れて生食として売ってた焼肉えびすに比べれば、より過失が重く見える。
なら今回のマフィン屋は、焼肉えびすよりも重い罰を加えられるべきか。
業務上過失傷害の容疑で警察から家宅捜索され、全国のマスコミから集中砲火を浴び、顔と実名を報道され、テレビカメラの前で土下座し、被害者から責められ、多額の賠償金を負い、営業停止をかけられ、廃業・破産するに値する罪か。
「やった事」と「(運の良し悪しで)出た結果」のどちらを重視すべきか。
本来の「罪」とは、本人の行為に応じた罰になるべきで、結果はその行為に付随するに過ぎない。となれば焼き肉えびすとマフィン屋は、同等以上の罰になるべきとなる。
そうすべきか。
これは道路交通法でも同じで、スピードオーバーで暴走しても誰も被害者が出なければ免停で済み、暴走中にたまたまタイヤが滑った、脇道から車が出てきて避けようとした、歩道でないところで歩行者が横断するため飛び出してきた、などの「運の悪さ」で人身事故になり死者が出れば刑事裁判にかけられ犯罪者となるし、死者が複数だったり子供だったりすれば交通刑務所に入れられる囚人となる。
日本中から責められた池袋暴走の老人なんて、暴走させようという故意すらなかったが、死者2名、それも若い母子を死なせたことで、重い罪に問われることになった。運よく暴走した先に人がおらず、壁につっこんで止まってたら、地方紙の3面記事で終わりだっただろう。
逆に言えば、同じ速度を故意に出して暴走したが誰にもぶつからずに単なるスピードオーバーの反則切符で済んだ運転者は、単に運がよかっただけなのに不当に罰を軽くされてるともいえる。
交通事故被害者や遺族の中には、結果で見るのではなく、行為のみで死者が出たのと同じくらい重い罰をかけるべきだと主張する人たち・団体もいる。
そうすべきか?
そもそも「業務上”過失”傷害・致死罪」という、たまたまハンドル操作を誤って歩道につっこんだとき、運よく歩行者がいなくて物損で済めば罪に問われず、運悪く歩行者がいてケガさせたり死なせたときには罪に問われる、そんな「運の悪さ」で刑事罰を加えるのは適切か?という疑問も出てくる。
みなはどう考えるだろうか。