はてなキーワード: ハングリーとは
地方のインフラは維持できなくなり、ベトナムや中国農村の若者が移住してそのボロボロになったインフラを壊れるまで使い尽くす。
自給自足に躊躇のない移民達が田畑を耕し沢山子供を産み、少数派になった日本人も同じ生活スタイルが定着し地方の出生率が上がる。
現在と同じ生活水準と消費生活は大都市圏内だけで辛うじて保たれており、築60年70年を迎えた還暦タワーマンションも数回の大地震に耐え抜き日本の20世紀の技術遺産として世界から注目されている。
かつて都市部のコンビニやファストフードで低賃金労働に従事し日本人の生活を支えた移民達は、都市部の周辺部に居住を構えそのまま定住し子孫を残す。
この影響で都市以外の地方では、余るほどある空き家やシャッターの壊れた商店街でベトナム街や中華街の文化が花開き多様化が進む。
サラリーマン世帯で生活してきた日本人は、都市部でさらに激化する競争についていける層と年功序列以外では生きていけない層に分かれて後者は移民達と同じ生活水準になる。
結果、様々なルーツを持つ人間が暮らす国となった日本は画一的な生活スタイルを維持できなくなる事から昭和30年代の生活水準とドローンがマンションの40階に商品を届ける都市文化が共存する国となり、能力のある人はより競い合いそうでない人は今ある物でハングリーに暮らす理にかなった国となる。
川島透のチ・ン・ピ・ラ(1984年)。あの時代特有の街の汚さ、ハングリーな雰囲気が心地いい。
今も渋谷は不思議な空気の街だが、昔の渋谷ってああだったよなあ、という郷愁に、背景に目がいってしまう。
当時から、和製スティングとの異名はあったかもしれないが、70年代も80年代も同じくらい過去となった今となっては
むしろ熟成されて、名作感が増してきている気がする。映画もワインと同じで、飲み頃というのがあるのかもしれない。
川島作品では、ハワイアン・ドリーム(1987年)が似たキャスティングで作られている。
によると、柴田恭兵の代わりに時任三郎が主演、桃井かおりやタムリン・トミタなどのサブキャストも気になる。
残念ながらVHSでしか入手不可能とのこと。よっぽどB級扱いだったのか。。
これも多分、開いてみたら化けているかも。
なに創ってるかは伏せさせてほしい。
趣味兼副業で創作しているんだけど、最近幸いなことにたくさんの人に知ってもらえるようになってきた。自分の創ったものを楽しんでもらうのはもちろん嬉しいし、お金もそこそこ入ってくるようになってきた(もちろん確定申告はしてる)。
ただ、それに伴って最近若年層の女子のファン、それも結構オタク寄りの人たちが急増していて、正直戸惑ってる。当方20代後半の男で、そういう人たちと接点なんてほとんど無いし、申し訳ないけどあんまり人種としても興味がない。熱い感想なんかもいただくのだけど、なんか俺とは文化が違う感じで...。最近は毎日(いや、でもそれって俺が創ってるものの写し鏡ってことだよなぁ)っていうブーメランをくらい続けてる。あと、自分のファンを見下している自分自身にガッカリしていて、それもまた落ち込みを加速させてる。「儲かればいいや」っていうハングリーな精神になろうとしたりもするんだけど、贅沢なことにお金だけじゃモチベーションにならないみたいで。
色々書いたけど、最早ファン層のメインがそこになりつつあるし、一介のクリエイターの作品をたくさんの人に楽しんでもらうことの難しさはそれなりに知っているつもりなので、今はこの現象を受け止めて淡々と根気強く創作し続けたいと思ってる。でも、このまま突き進んだら後戻りできなくなるんじゃないかって恐怖心もある。
そこで、はてなの皆さんは創作界隈に詳しい人も多そうなので、こういう時期を乗り越えた人の話を教えてもらいたい。自分が思ってた層とは違う層にウケる、なんてのは結構あるあるだとは思うんだけど、先人たちはその時期をどう乗り越えたのかは俺あんまり知らないなぁって。たすけて。
名言に「西野オンラインサロンで勉強してこい」をつけると説得力が倍増する件に「知らんけど」つけると関西人っぽさが出る
100回叩くと壊れる壁があったとする。
(「恋と受験、どっちを優先すべきか」と読者に問われて)
そして、いつもの3倍の回転を加えれば、400万×3の
バッファローマン!お前をうわまわる1200万パワーだーっ!! 知らんけど
名言に「西野オンラインサロンで勉強してこい」をつけると説得力が倍増する件
100回叩くと壊れる壁があったとする。
(「恋と受験、どっちを優先すべきか」と読者に問われて)
え、ちょっと待って、とこぼしがちなオタクには敏捷性が足りない。
agilityにもステータスを振るのだ。
オタクというのは、目まぐるしく変遷していく最先端のモードを常に追いかけ追いつき時に追い越す、「やっと時代が追いついてきた」と嘯けるくらいでないといかん。それくらいの渇望、ハングリーさを満たすには、agiは必須なのだ。
何でもアーリーアダプティングしていくために必要なのは、アジリティ、身軽さだけではない。偏狭に囚われないだけの器量、dexterityも必要だ。
さもなくば、いずれ置いていかれ、「ちょっと待って」が増えていき、ついには完全についていけなくなり、言葉も発せなくなり、ダークサイドに堕ちて、世界を破壊する狂人と成り果ててしまうのだ。
そうはなりたくなかろう?
ではステータス画面を開け。
日本ってほんとに、一度成功するとずっっっと同じうまみを求めて保守に走るまくるのどの産業でも変わらないなあ
そうなってコンテンツの若さが失われていくともうほとんどが衰退コース確定じゃんか
最近日本っぽいサブカルで世界に台頭している他国はパクリでも新規でもイイものを作れたら世界向けに商売するのが上手い
が日本は一度成功したら悲しいほど保守に走り拡大より安定を取る
米とかは他国の成功した産業を人材引き抜きや圧かけてナチュラルに競争から潰していくけど日本にそういうハングリーさはない
今まで通り内需に頼ればイイんだろうけど、少子化で需要の母数自体減る一方。黄金期がとっくに過ぎて衰退の一途を辿る今、英語教育に少しも力を入れない日本が世界向けの商売できずに衰退していくのはあたりまえ体操では
日本はガラパゴスだからこそいいクリエイターに恵まれてるとはすごく思う 同人文化から生まれた産業に支えられている部分があると言っても過言じゃないよね
ただ商売のやり方が変わらなければ今後いくらイイものを作っても海外にとられて世界的なビジネスチャンスを失い続けておわる
昔の子供向けアニメを海外にたくさん売ってた時とかは将来性含めて今に繋がるイイ商売してたと思うけどそれももうしてないよね今 多分
悲しいね
韓国の方が、学歴社会が厳しくてTOEICの平均点も日本よりも数段高いというし。
中韓の日本に来る留学生、欧米で留学する学生は、ハングリーって言うしね。
韓国歌手は、日本語も英語も流ちょうに発音するので受け入れやすいだろうね。
大人向けの音楽とショーエンターテイメントで言うと、Victoria's Secret Fashion Showの動画が、最近、視聴して面白かった。
良く聴くレディガガとか大物洋楽アーティストとスーパーモデルの共演がすごかった。
アメリカの下着メーカーのだけど、中国人モデル(Ming Xiちゃん)もカワイイかったわ。。
(Victoria's Secret Fashion Show自体は、2019年ごろで今後はしないことが決まったらしいが。)
日本のヒカキンもYouTubeで活躍しているけれど、(一時期はpico太郎も)英語圏へ向けたエンターテイメント出来る人は強いですね。。
再生数を稼ぐには、海外の人にも言葉で分かるようなコンテンツも必要だよね。
俺、結構宮迫のファンな方で出演している番組はチェックする方なんだ。
あんなことがあってからテレビに出なくなって、復活は難しいんだろうなって諦めてたら、You Tubeに出るようになったので喜んだんだよ。
テレビも面白いのが少なくなってきたからね。You Tubeは手軽に見れるしいいかなって。
でも、なんか違うんだよね。You Tubeに出てる宮迫は新人時代の芸人が必死こいて笑いを取ろうとしているみたいなハングリーさもなくて、You Tubeでただ同情してもらおうとしてる感じが強くて。
もう少しなんとかならないかなって思ってたけど、今度は人気YouTuberにしがみつき始めて、ガックリ来たんだよね。
そんで復活するならアメトーークじゃないとヤダとか言っててね…とてもじゃないけど今の宮迫はアメトーークに必要あるかなって疑問になっちゃって…。
純粋に笑いで戻ろうって気が感じられない。
澤部のインタビューとそのブコメを見てて、澤部のことを書きたくなった。
別に誰かの意見を批判したり否定したりする意図はない。ただ澤部とハライチのファンの回顧録だと思ってもらっていい。
■彗星のように、彼らは。
今から11年前。2009年のM-1。ハライチは、テレビ界に躍り出た。結成4年、まだ23歳だった。
当時のM-1は長らく、「笑い飯」というコンビを持て余していた。その笑い飯が「鳥人」を引っ提げ、島田紳助から100点を引き出した、その直後だった。
顔も名前もまったく知らない若者が、現れた。目つきの悪い右側の若者が、いきなりこんなことを言うのだ。
「今日、ここに来る途中、犬が車に轢かれて死んでいた」
繰り返すが、笑い飯が100点をかっさらった数分後である。空気が、完全にリセットされる音がした。静まり返った、日本中が。
そしてハライチは、「だから犬を飼いたい」という漫才を披露した。結果としては5位。芳しい成績ではなかったかもしれない。
ネタを作る人間を「0→1」、それ以外を「1→100」とするならば、澤部は「1-100」の天才だった。
ハライチは、澤部さえいれば、岩井は「0→1」だけやればいい。「0→1」以上の発声や動作は必要ない。そう割り切ったのが、岩井が設計したハライチのノリボケ漫才だった。
岩井の発する単語の「1」を、澤部がすべて「100」に昇華する。
近年、盛り上がっている「受取師」トークの中で、岩井は何度も繰り返している。
「オレは、澤部が何をしても100になる言葉を言っている。だからオレの『0→1』に価値があって、澤部はオレの木偶だ」
あの夜から10年、いまだに澤部は、誰からも「やーつ」を振られる。そのたびに、澤部はけなげにそれに応じている。それなりの60や70を演じて見せている。
だが、岩井が澤部以外の誰かに「やーつ」を振ったことは、一度もない。
つまり、そういうことなのだ。岩井の1を100にできる木偶など、この世に、澤部以外には存在しないのだ。
■そして澤部の天賦と、膨大なインプット
澤部の最大の天賦、それはフォルムだ。
例えばノブコブ吉村が澤部のフォルムを持って生まれてきていたら。彼は間違いなく、今以上のテレビスターになっていたに違いない。
幼少期から、誰よりもテレビ・ラジオのバラエティをインプットしてきた澤部は、本能的に「テレビスター」こそが自分の生きる道だと理解していた。
そしてすべての振る舞いを「好感度を得る」というベクトルに全振りした。
ピンで呼ばれれば、あれほど自由に泳ぎ回れる芸人はほかにいない。
コンビで呼ばれれば、幼馴染という関係性を武器に、とっつきにくい岩井を無遠慮に突き崩し、弱さを露呈させることでコンビごと好感度を上げていく。
たくみもまた、テレビスターの資質を持った芸人だった。たくみがハライチ2人の要素を1人で抱きつつ、それを抱えきれず、まなぶには「好感度を得る」資質がない。
比較対象を挙げれば挙げるほど、澤部の無敵っぷりが際立っていく。
■誰よりもハングリーな澤部。
ハングリーな芸人といえば、それこそ相方の岩井。バカリズム、03飯塚、オードリー若林、山里、劇団ひとりあたりが思い浮かぶところだ。
だが、彼らはあくまで道を求めている。道を求めるとは、人気や好感度についてあきらめたということだ。
澤部はまだ、ここまできて人気や好感度を渇望している。町で顔を差されることに至上の喜びを感じ、自らの第3子誕生がネットニュースになっていないと知れば、夜通しエゴサーチを繰り返す。
この、好感度への執念こそが、澤部の最大の強みだろう。
それはアンジャッシュ渡部が追い求め、ついに自らの願望と欲望の狭間に落ちてしまった類の執念だ。
ハライチのターンを聞いていると、時おり澤部の家族に対する視線の冷たさに寒気を覚えることがある。
平気で妊娠中の嫁に手コキさせたエピソードを披露したり、娘を売春婦に例えたり、岩井が「離婚するつもりなの!?」と驚くほどの冷淡さを見せる。
大企業の社長令嬢をめとり、子宝に恵まれても、澤部の渇望は止まない。
第七世代の猛追も、澤部の目には入っていない。追っ手が目に入るのは、振り返る余裕がある者と、すでに抜き去られた者だけだ。
ただ全身全霊で、「オレを見てほしい」「ほめてほしい」と、絶叫し続けているのが澤部という男だ。
それが、そう見えない。だから、澤部は強いのだ。