はてなキーワード: ハルマゲドンとは
前増田です。
1発しか撃てないZIPガンも暗殺用みたいな使い手がある、というのはWW2のリベレーターみたいな例(あれも本当に使われたかはかなり怪しいらしいけど)もあるけど、操作の撹乱くらいにしか使えなかったかも。
国松長官狙撃事件が失敗したあたり、そもそも普通の銃火器の運用すらかなり怪しい面があったのかもしれないけど…
あとラジコンの運用については95年5月以降に教団で予定されてたハルマゲドンでは東京にラジコン飛行機でサリンを撒く計画があったらしいです、でも地下鉄みたいな密室で撒いても予想より効果の薄かったような低精製度での実行可能性が謎。
ヘリが飛ばせなかったのもそもそもなんでガスタービンエンジンのやつを輸入したというか、あれまだ教団独自ヘリでも開発したほうが目はあったような(読売新聞Y-1型みたいな感じで)
レシプロエンジンと比べてガスタービンの製作は一気に難易度が上がる(大戦末期に旧日本軍が満足にB-29の迎撃ができなかったのもタービン過給器の製作にことごとく失敗してまともな高高度檄撃機がなかった故)し、最近ある3Dプリンタ製のタービンブレードもあれ粉末金属のレーザー焼結冶金だからみんなが想像する普通の3Dプリンタと全く違うし、2019年でも素人がおいそれとできるわけではない。
エンジンがレシプロで、あとは航空機体の設計製造ができる人がいれば飛行機つくるのは皆さんが想像するよりかはそこまで難しくはないです、うちの学校でも卒研で複葉レシプロ機つくって実際に飛ばしてたし。
個人的な感想だけど全体的に、早川紀代秀を始めとして理系人材が化学・バイオ系に偏ってたのがこの辺の機械・航空への軽視の原因なのかなあと。当時の大学の方針よく知らないけど、バイオ系が流行ったのももうちょっと後だったっけ?
タイトル通り。メギド信者が単純にキモいのが我慢出来なかったからここで爆発させようと思う。
俺のTLにはとりわけ思想が強い方が多いようで、よく『なんでメギドがもっと流行らないのか』というツイートが回ってくる。
それに対する答え(大体そのツイートにソイツなりの答えも書いてる)は誰もが口を揃えて『P2Wじゃないから』『俺TUEEEEしたい人には向いてないから』と書いてる。
回ってくる度に疑問なんだけどもしかしてメギド信者って今までメギド以外のソシャゲを嗜まれたことが無い方か怪盗ロワイヤルから時を超えてソシャゲを始めた方しかいなのだろうか。
今どき、金で全部解決出来るソシャゲのほうが珍しいのはソシャゲをやっている人間には周知の事実だろう。
金・時間両方を用意する所が現在のソシャゲのスタートラインで、始めました!とりあえず数万突っ込んだのでもう現行のトップ層とタメ張れますね!ってゲームを少なくとも俺は知らない。
勿論その額が3桁とか常識の範疇を越えた額であればゲームによっては食い込めるかもしれないけれど、ほぼ現実的じゃないだろう(グラブルなら2~3属性ぐらいなら神石編成とか出来たりしないかね)。
1・戦略性が高いのは素晴らしいけど、ソシャゲでやりたいと思う戦略性を越えてる
→あくまでソシャゲレベルとしてはかなり戦略性が高いけどこれを万人が出先で軽くやるか~ってなるか?って感じるし、家でこれやるなら面白いコンシューマやSteamのゲームやる。
2・戦略性が高さを楽しむ為の敷居
→自分の手持ちでどうやるか、ってのはどのゲームに置いても楽しいのだけれどこれをソシャゲでやるってなると結局金なんだよね。FF6の仲間集めがガチャだったら最悪でしょ。
3・結局はソシャゲなので周回ゲー
→チケットである程度は誤摩化しが効くとはいえ、結局はソシャゲで時間を食わされることに変わりはない。戦略性の高いゲームで周回させられるの普通にめんどくさい。
別にゲーム業界に勤めてるワケじゃないし分析の専門家でも無いから間違ってる可能性のほうが高いのは許して欲しい。
長々と書いたけど纏めると【戦略性高いソシャゲだけど結局ソシャゲだからお決まりの周回ゲーなのが完璧に相性悪いからでしょ】って思う。
ただそれだけのことなのに、週4ペースで『こんな面白いゲームなのに世の俺TUEEEEしたい連中は振り向かない!ゲーマーにあるまじき姿勢!』みたいなモン投げつけられると普通にげんなりするし、
揃ってハルマゲドンで死んでくれねえかなーって思う。
公式の悪ふざけも傍から見た時に面白そ~って感じる前に超デカい身内サークルのノリを見せつけられてる感じでキショいな~~~って思う。
周回要素薄くなって選民思想の塊みたいな信者の口数が減ったらゲーム性は気に入ってるのでまたやろうと思ってるからその時教えてくれ。
糞つまらんコメント連投とかマウント取りたがり難癖屋を放り込んだリストだよ
改めて見るとウヨサヨハルマゲドンに参加してる聖戦士様が多いですね
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まあいろんな考えがあるけど、個人的には予定説って単なる人間のわがまま放題を肯定するだけの思想だと思っちゃうんだよね
それでうまく行くなら苦労しないし、そもそも宗教も要らんだろうと
そういう基本人間不信ぎみの自分からすると、そもそもなぜ我々が神や仏を畏れるかという問いに対して、結局「死後さばきにあう」からだ、としか答えられない
すぐに最後の審判がある、だから今の自分の財産にも命にも執着すべきではない、だから殉教者というのはエライのだ
ハルマゲドン的なものばっかりじゃなくて、例えばチャリティーなんかにしても、結局終末思想を抜きにしては成り立たないんじゃないか?
それもなしに、都合よく人の上に神を置いたり、人類愛を説いたりというのは、残念だとは思うがたぶん無理だろう
あーごめん。
これ書こうとしたら長くなるかも知れないから後で書くわー。
と思ったけど、長く書くんだったらネットでもうガッツリやってる人がいそうだからもうソレ読んで満足するわ。
てことは俺の考え方がズレてんのかな。
じゃあもう手身近に書くわ。
俺はハヤテのごとく!ってのは駄目なオタクのくっだらない妄想を受け止めてくるような漫画だと思ってたんだよ。
大金持ちだったりイケメンだったり天才だったりしたら人生らくちんでめっちゃ楽しいしオタクライフもウッキウキだよなって気持ちを受け止めてくれる漫画。
だけど物語がクライマックスに向かうに連れて、ナギがただ天才でワガママで身勝手ででもお嬢様で天才だから人生がどこまでも恵まれていくって話じゃなくなってきた。
そんで最後には立派な真人間として更生することを物語の側に余儀なくされた。
これはもう全くもって、物語にそう仕向けられたと言うしかないんだ。
ナギのハヤテに対する思いは本物なのか、ハヤテにとってナギは本当にただの恩人でしかないのか、ナギは果たして人に思われるに値するような人間なのか、52巻も続いた漫画の主人公が単なるぐうたらだったで終わっていいのか。
あまりにも長過ぎた連載期間が漫画そのものに容赦なくそれを求め、それが主要キャラ達へとハルマゲドンのように降り注いできたのが終盤の展開だ。
その中で、ナギはそれまでの自分から脱皮することを求められ、グウタラなニアリーニートライフから健康的で健全な自立した女の子に育つことを強いられた。
オタクの幼稚園児レベルの妄想が形になったようなモラトリアムサブカル漫画は、クライマックスというデウス・エクス・マキナの引力に逆らえぬままに成長物語へと羽化していった。
それをハッピーエンドと捉えるオタクもいるんだろうし、そうやって変わりゆくナギの姿を見て現実に適応することを余儀なくされて変わっていく自分を重ねたオタクもいることだろう。
でも俺はこれをバッドエンドだと感じた。
アニメ版のNHKにようこそがアルバイトを始めたのだって大丈夫だ。
でもそれは、カズフサや佐藤くんはあのままじゃ本当にどうしようもなくて、いつまでも終わらない夢を見続けた所でいつかは現実に追いつかれて決して幸せにはなれないと分かってしまったからだ。
でも三千院ナギは違う。
彼女なら、彼女のような天才でお金持ちであるなら、死ぬまで人生をなめきったままでもこの世界で幸福にグウタラ暮らせていたじゃないか。
なんでそんな宙にフワフワ浮いたままで死ぬことが出来るような存在を作っておいて、わざわざ物語の中で引きずり下ろして地に足を着かせた。
それは違うだろう。
ラブやんがご都合主義のハッピーエンドなら、ハヤテのごとく!はご都合主義のバッドエンドだ。
物語っぽく終わらせるために地獄から這い上がる話は歓迎するが、天国から叩き落とす話は許容しがたい。
これが俺の1年ごしの結論だ。
かなり拙くて分かりづらいけど前バイオメガについて書いた増田があるからまずURL貼っとく。
https://anond.hatelabo.jp/20160124183345
僕が思うにデビューからシドニアまでの弐瓶作品で起こることは作品が違えど同一世界の出来事だと捉えている。そしてBLAME!の世界とシドニアの世界はがっつり分断されている、まるで違う。
過程のうえでBLAME!で描かれていたような世界が滅びシドニアの世界が生まれたターニングポイントがあって、それを描写したのがバイオメガなんだと思う。
先の増田で書いたようにバイオメガはしぶとく生き延び世界を支配しようとするガウナの脅威や、庚造一の旧態依然とした態度と新世界の様相を対比することでなお強調される、合成人間という存在の拠り所のなさ、そして一貫して人間味を感じさせないアンチヒーローであった弐瓶作品の主人公が復物主の世界に転送後は唯一人間らしい存在となる関係性の逆転などが見受けられる。メタ的に捉えればバイオメガ後半は舞台をがらりと変えることで自らの作風を逆説的に洗い出す作業だったのかもしれない。
又バイオメガはシドニアの前日譚だと僕は思っている。復物主の発芽に伴う地球での人類文明の崩壊によりシャトルで避難したものの成れの果てがシドニアに出てくる人々だと。
そしてフニペーロと造一の共闘やフニペーロとニアルディの対峙する様はシドニアのストーリーを示唆している、というかシドニアのデモストレーション的意味合いがあったように見える。(加えて言えばABARAで描きたかったものはBLAME!世界のハルマゲドンかもしれない、するとその点でバイオメガ前半のデモ版といえるのではないか。)
ガウナの復物主ももとは何らかの思念体でそこに植物に近い驚異的な力を持った肉体が付与された生き物なのだろう。
ニアルディが復物主に融合しようとしたり吸収されたりしたのはニアルディが思念束という相手の意識に入り込める能力を持っていたからで、思念体を乗っ取れば自由自在という目論見が逆に自分が相手に乗っ取られてしまったというわけだ。
シドニアでエナ星白やつむぎが誕生できるのも、シドニアに出てくる人型生物が植物に近い肉体を持っていて、ガウナとの肉体の親和性の高さから思念を共有することが可能だったってことなんじゃないだろうか。
バイオメガの大筋はDRFという世界征服を狙う悪徳企業の討伐で、世界が復物主の物になっても幅をきかせているDRFのボス「ニアルディ(とそれを吸収して操る復物主)」を復物主の子であるフニペーロの力で倒すというオチなのね、多分そう。復物主とフニペーロは同じものから出来ているから融和した。造一との旅でフニペーロは強くなってたから復物主の思念体が飲み込まれて消えた。僕はそういうことにしている。
なんにせよ僕が確信するのはバイオメガを描いたからこそ、弐瓶勉はシドニア以降のスタイルに移行できたのではないだろうかということだ。
■ 慶應閥
三田会という組織を中心に、秘密警察のように梅雨時のカビのように広がる。
大学の特性として、平均的には能力が高いものの、本物のポンコツが結構含まれている。
にもかかわらず依怙贔屓で上からの引っ張りがあるので、バカ上司死ねと思ったら慶應だったりする。
慶應閥が強くない会社でも、トップが慶應になったとたんに慶應閥がはびこりがち。
慶應閥がはびこった会社は、必ず滅亡への道を歩む。カネボウ、三越、東芝…
地方ベンチャーとかで元気よかったのに、二代目が慶應で没落というのもよく聞く話。
要は、大変たちが悪い。
■ 一橋閥
如水会という組織を根城に、ハイフライヤーって感じで勢力を伸長する。
慶應との違いは、2つほどある。
一つは、単に就職偏差値が高い程度の会社だと、一橋出身者は閥をなすほど入らない。非常に高い会社にのみ存在する。
もう一つは、平均的能力も高いのは言うまでもなく、明らかなポンコツはごくまれ。
それにしても上からの引っ張りは強力。
要は、相当たちが悪い。でも慶應ほどではない。なぜか。
一橋閥は能力が高いし、彼らは一橋卒といえども無能を嫌うので、慶應閥のように会社を潰すことは稀だからだ。
鞏固な結束を誇る一橋閥にしても、慶應閥にしても、結束力がむやみに強い理由は、本質的には一つしかない。
それは次で述べる。
■ 東大閥
個々の戦闘力では、ほとんどの場合慶應と一橋は東大には及ばない。
むろん、慶應・一橋のトップと東大のボトムを比べれば、前者が圧勝するのは言うまでもない。
しかし、慶應・一橋のトップが入るとこには、東大のトップが入り、やはり残念ながら、個々の戦闘力では勝てない。
東大卒は無能を嫌う。東大卒の無能を最も嫌う。一緒にするなと思うからだ。
東大閥が存在すると言われる組織はあまたあるが、実際には東大閥は存在せず、たまたま東大卒がたくさん入るというだけだ。
東大法学部は経済学部と教養学部をさげすみ、経済学部と教養学部は文学部をさげすみ、群れることは一切ない。
一人ぼっちのオオカミが群れているように見えるのが東大閥の正体だ。
ただし、彼らは無能をことのほか嫌い、有能を評価するが、その場合の有能の評価基準は、知的な情報処理能力の高さだ。
そして、その能力が高い人間は、結果として東大卒である場合が多い。
東大卒が閥をなすとき。これは、慶應か一橋か京大のいずれか2つが閥をなし跋扈している場合だ。
その場合の東大閥の腹黒さ、他を蹴落とす策略の陰湿さは他に例を見ない。
結果として、東大閥と慶應閥と一橋閥と京大閥が争った場合、ハルマゲドンが発生する。
このハルマゲドン、私は唯一例しか知らないが、メガバンクが一個、本当に10年足らずで吹き飛んだ。三和銀行である。
■ 京大閥
京大は、地理的な遠隔もあり、上の三者の中間的な立ち位置になる。
すなわち、関西にあっては東大のように振る舞い、東京にあっては一橋や慶應のように振る舞う。
しかし、東京にあっては数が少ないので、慶應や一橋のようなパワーは多くの会社で持っていない。
京大閥が跋扈する会社は、関西発祥だが東京で生き延びている、住友系の会社が主である。
なお、東大に官僚志向が強いように、京大も、官僚志向が存在する。
しかし、国家公務員は東大濃度が高すぎるので、大阪市役所あたりに隠然と力を蓄えたりしている。
が、ここ30年の大阪市の長期低落で、有能な才能がすべて無駄遣いされている。
東大卒や一橋・慶應閥の荒野の中で勝ち抜いた京大卒というのが時折トップになるのを見る。
ただ、そういうトップは、意味なく東大を排除したりするので、コンプレックスというのは度し難いと感じさせられる。
結果、京大卒のトップが、東大を排除した結果、一橋と慶應が跋扈するという事態が発生するのは時折観察される。
他にリクエストがあれば書くよ!
この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
The persons and events in this motion picture are fictitious. Any similarity to actual persons or events is unintentional.
現代の日本で戦後レジームの意味するところは主に、第二次世界大戦での日本の降伏後、GHQによる占領下で出来上がった日本国憲法を始めとする憲法や法令、テレビや新聞などのマスコミ、経済や金融では通貨発行権や通貨管理権の所在を意味する言葉として使われている。
突然、天から神が降りてきた。神は彼に向かってこういった。
アビラケツとは、彼の初めて聞く言葉であった。彼は、サンスクリットを教えている人を訪ねた。
すると、アビラケツとは、地水火空の意味で、アビラケツノミコトとは、「神軍を率いる光の命」、戦いの中心となる者と判明したのである。
彼は、天から降りてきた神によって、西暦2100年から2200年頃にシャンバラが登場することを知り、それまでアラビケツノミコトとして戦うように命じられたのである。
オウム真理教は事件を起こすまでオモシロ宗教団体として扱われていたが、当時発売されていたゲームにおいても、当然のごとくネタとして使われている。改めて見ると、当時に空気感がわかるというか。
一応、自分が把握しているのは以下の3本。他にもあったら、教えてね。
宗教サークルが存在し、そこには白い被り物をして「おんむ おんむ」という怪しげな発言をするキャラがいる。見た目も割とそれっぽい。
ピンキー星へ脱出するために、1999年内に宇宙パワーを集めるボードゲーム。何を言っているのか訳が分からないけど、そういうバカゲーテイストなボードゲームだと思ってください。
ノーム星人というキャラが登場し、カルト宗教「ノーム教(パッケージでは「ノーム真理教」となってる)」が誕生。なお、ノーム星人が宣戦布告したことによりハルマゲドンへと発展する。
ちなみにノーム教のキャラの見た目は、やっぱりそれっぽかったりする。
タイトル通り、ウルトラクイズのゲームなんだけど、優勝すると自由の女神が「クイズ真理教」を名乗る宗教団体に奪われてしまって、クイズ真理教との戦いを描くRPGモードが始まる。わけがわからないよ……。
クイズ真理教教祖は「DRマリック」というキャラで、まあ名前からわかるだろうけども、こっちの見た目は実際の教祖とは似ていない。
原作ではゼノンが自ら宣戦布告して人類にデーモンの存在が明らかになる流れだったが、crybabyでは了が自ら権力を駆使してデーモンの存在を知らしめるためにあの手この手滅茶苦茶やる。その行為に必然性が感じられない。
露骨なまでにデーモン優位になるような状況を作り上げ、嬉しそうに「これで人類はみんな死ぬぞーアハハハ」と明に演説するのは一体何がしたかったのだろう。
「今作の了は最初からサタンの記憶を持っていた」ぐらいじゃないと、これらの了の奇行に納得のいく説明を付けられないと思うんだが。
でも明が「デビルマン軍団を作って戦う!」宣言したとたん「や・・・やめろ!!!」と途端に焦りだす。「裏目にでやがった」なんて原作台詞まで飛び出す。いや当たり前だろ、そうなるに決まってんだろ普通。マジで何がしたいんだよ了、馬鹿かよお前。
この後原作通りサイコジェニーにサタンの記憶蘇らせてもらうわけだが、そんな事しなくても最初からサタンモードだっただろ今回の了。
原作では了が完全に人類を裏切ったと判断したから了を捕えるために覚悟の出撃をする、その間に牧村夫妻の救出もしなくちゃならなくなったので、牧村家に戻って美樹を守る機会を失ってしまう。
crybabyでは、その前の話数ですでに牧村夫妻と太郎(原作でいうところのタレちゃん)はあっさり処理られるように死んでしまってる上に、きっと何かの間違いだから了に話聞きに行くわ的な感覚で牧村家を離れようとする明は正気か???状況分かってんの?????と言わざるを得ない。で、途中悪魔狩りを諌めたり(これがまた説得力が感じられない)ゼノン達に襲撃された挙句、了に会いに行く事なく「美樹、戻るよ!!」お前何しにいったんだよ!!!!!馬鹿かよ!!!!!!!!!!
んで、「地獄に落ちろ人間ども!!!!!」をやって次の回(最終回)では何の説明もなくまた「人類はデーモンに屈しねー!!!」お前本気で馬鹿だろ!!!!!!!!!!!
・ミーコのコンプレックス何も解決してなくない??何で良い感じに浄化された風になってんの???
・明に守られたのに速攻裏切って速攻殺されて何のフォローも無い幸田。ゲイ設定いる?海外にいい顔したいだけ?
・ラッパーのチビが裏切るのはミーコに友達食われてんの察したからなのはわかるけど、その結果他の友達もみんな殺されてんのに悪魔狩りとウッホウッホやってんの何それ
・リンチして殺したりしてんのに、ガキが明をぎゅっしただけであっさり改心する悪魔狩り。お前ら死ねよ本当に。
・あんだけ魔改造したミーコにしときながら、それとは別に原作通りのミーコもチョイ役で出すのはファンサービスのつもりの嫌がらせか。
・扉に666のプレートってそれはひょっとしてギャグでやってんのか
・太郎(タレちゃん)がデビルマン化したのは数少ない良い改変だと思ったし、これでデビルマン軍団に加入して最後のハルマゲドンも明と一緒に戦って散る展開なら燃える流れになったのに、実際は明に救出されたと思ったら次の瞬間お墓に入ってて盛大に吹いた。それはひょっとしてギャグで(ry
(結局子供の首チョンパがネッフリといえども無理だからデビルマン化させてサクっと処理しただけのように思える。牧村夫妻もその煽りを食っただけのようにしか。)
crybabyが酷いのは了が原作を凌駕する勢いで馬鹿だからとしか
原作だと了は明の心情も痛いほど伝わるから最後の戦いも悲壮を強めたのに
今回は人間どころか明の気持ちすらちっとも理解できていない始末。
「えっ、明死んじゃったの?うそっ;;そんなの聞いてないよ;;何で死んじゃうんだよ;;;;まさか死ぬとは思わなかった」ゴゴゴゴゴゴゴ(完)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・馬鹿か。
別に原作と違ったりするのは全然良いんだけどさ、こんだけいじくり倒しておいて中途半端に都合の良い時だけ原作なぞったりしてんのがすげえ気持ち悪かった。
登場人物の知能を軒並み下げる事が現代の空気に合わせるリメイクって事なんですか。
電化製品を解体して、元通りに復元できもしないのにとりあえず繋ぎ合わせたフリして収拾つかなくしたのがデビルマンcrybabyというアニメ。
「物語・・・・・・・ストーリーとはなんだ・・・・・・?――それは時間の表現なのだ!"時"の流れを表すことだ。"マンガ"も"小説"も"映画"もストーリーを表現するものは時間の流れを表していくものだ・・・・・・時間を表す以上・・・そこには因果関係が描かれる、それはマンガの架空の物語でも同じことだ!原因には結果が必ず起きるという因果に支配される、それが"自然の流れ"必然性というやつだ!『デビルマン』をたんなるヒーロー物にはしないと編集長に約束した時からこうなる必然性が生まれていったのだ!」
crybabyではこの"因果"というものがとてもじゃないが描けてない。
強いて言うなら、"原作"という因果に縛られて何がしたいのかよくわからなくなっている。
牧村夫妻をあんな所で勇み足的に殺してしまったり、シレーヌとソープで童貞捨てたり独自の展開を盛り込みながらでも結局は原作と同じ流れに無理やり戻そうとして相互作用の不備を招いてしまっている。
作り手が、自分流のデビルマンを創ろうしてるのに最後は原作に頼ってなんとかしてもらおうとしているのは、なんだかとても志が高いようで低く見える。
イキリオタクがおおいコンテンツに入ってしまったようで、つらい。
どうでもいいのだけれど、どうして公開されているアカウントで空リプを飛ばしつづけられるのだろうか。
あと、アイコンが実在の人物(俳優や女優など)の人って何を考えて使用しているのだろうか。
不快というか、謎。
それアンタじゃないのわかるし、ネタのつもりなら寒すぎる。
はやくなんかわからんけど訴えられろと思う。
自分の性格が悪いのは知っているので、いいんです、よくないんですけど……。
イキリオタクでも学生とか、なんか若者ならゆるせるというか、ま、いっかーってなるんですけど……、
明らか20越えで30近いんじゃないすか?みたいな人たちが一斉にイキってるの見ていると、
日本終末期到来って気分です。
終盤は当初のコンセプトとはかなり違う様相になっていたはずだ。
もっとも制作側がそれにのっかっていったからああいう作品になったわけだし、
おそ松さん一期そのものはコミカルでポップな絵柄にとってつけたような少々のエグさを加えただけの歪で荒唐無稽なギャグアニメであったが、
無意味さゆえに鑑賞者がそれぞれキャラクターや彼らの関係性を補完・拡張していくことが容易かった。
そのため「おそ松さん」は腐女子がコミュニティを形成するためのプラットホームのような物になっていったような気がする。
このことがあそこまで人気を獲得した要因だと思う。
腐女子文化に馴染みすぎた「おそ松さん」はもはや頭空っぽなギャグ作品とは世間から見なされていない。
ギャグアニメをブロマンスに再構築するという腐女子を仲介したプロセスが必要なわけで、
「おそ松さん」そのものがブロマンスと見なされてはいけないんだよな。
だから「おそ松さん」二期を始めるにあたって揺り戻し、つまり2年前のムーブメントをリセットする必要があると製作陣は考えたのだろう。
腐女子の存在を作品内に引きずり込めば、ブロマンスと化した作品の現状そのものをメタギャグに変えることができると。
これでは今まで築き上げられてきた「おそ松さん」ブランドを転覆させてしまいかねないが、
ギャグの次元に取り込まれた腐女子がそれでもなお作品をブロマンス化しようとするとき、誰も想像だにしないビッグバンが起こるのではないかとぼくは密かに期待している。
よく似てると思うんだよね。共通点がいくつかある
・戦争を煽る
オウムもかつて最終戦争だのハルマゲドンだのと終末思想を煽り信徒を不安に陥れ
忠誠を誓わせた。安倍もやってる事はほぼおなじで北朝鮮からのミサイル攻撃やら戦争を煽り始めている
オウムもかつて自らが製造していたとされるサリンで攻撃をされているとサリンの恐怖を煽った
ちなみに北朝鮮がサリンを作っているなんて話は聞いたことがない
・理解者で周りを囲む
麻原も自分の思想に理解をしめすものを周りに囲み、そうでないものは排斥していった。その為に暴徒化したと言われている
安倍も同じく自分の考えに理解を示すお友達で周りを囲み暴徒化しつつある
オウムがかつて思想として掲げていた日本シャンバラ化計画。その内容は祭政一致の専制国家構想
オウムの思想を絶対化させようとしていた。安倍も同じように共謀罪を成立させ
実に鬱くしいね。