はてなキーワード: ハリウッド映画とは
バービー×オッペンハイマーの件、宣伝担当の問題であって監督のクリストファーノーランや主演のマーゴットロビーたちは関係ないみたいな擁護が目につく。
私もノーランはほとんど見てるしマーゴット主演作も複数見てて今回も観るつもりだったから気持ちはめっちゃわかる。
これがもし人種問題やホロコーストでもネタにしてたらどうなってたか映画ファンの人ならよく知っているはず。
即座に配給が声明を発表、監督や主演俳優もSNSでコメントしてファンを窘める、不支持を表明する、そういうムーブメントが起こる。
残念だけど今回そんな動きはない。
昨日今日起きたばかりの話ではないしもちろん期間的に全米俳優組合のストも関係ない。
つまり彼らはこれをまったく問題だなんて思ってないということ。
だから抗議するならノーランもマーゴットも対象であるべきだし、「やられた側」が安易に「やった側」を擁護するような動きは慎むべきだと思う。
何を当たり前なと言われそうだけど、来日した彼らの「日本大好きです!リスペクトしてます!」みたいなリップサービスを聞いているとつい勘違いしてしまう。
こちらのことをよく理解してくれてる、味方になってくれるような気がしてしまう。
でも実際には住む国が違いバックボーンが違い価値観がまったく違う。
たとえファンでも迎合したり一体化してしまうのではなく、時に毅然と要望も伝えられるような適切な距離感は忘れないようにしたい。
ハリウッド映画は世界にアメリカを売り込むプロモーションとして機能している。
そこで描かれる戦争は勇ましいものが基本だし原爆や水爆描写というと単なるストーリー中の派手なアトラクションでしかないことが多い。
アメリカのコンテンツが輸出されることでそうしたアメリカの考える戦争観や原爆観が世界に広まってしまう。
幸い日本には自国の豊富なアニメ漫画ゲームのようなコンテンツがあり世界に輸出されて人気が高まっている。
戦争や原爆を直接描いていなくとも、日本人が作るものには戦争は悲劇で原爆のような兵器は悪という価値観が根底にある。
そういう価値観がコンテンツと共に世界に知られ浸透していくことは日本の平和の維持にも世界の平和にも資すると思う。
バービー配給のワーナージャパンはアメリカの本社に対応を求めているという。
どうなるか見守りたい。
マンハッタン計画で原爆製造に関わった研究者を描く「オッペンハイマー」とバービー人形の実写ハリウッド映画である「バービー」が同日公開されることとなり、
これを知った人々により、オッペンハイマーやバービーを演じた役者をコラボさせた「Barbenheimer」というミームが生まれた(本記事でネタバレはありません)。
原爆のキノコ雲を背景にバービーが笑顔で写るミームや、ピンク色のキノコ雲のミームが投稿されて話題になると米国のバービー映画公式Xアカウントが反応した。
この動きは瞬く間に日本人の視界に入ることとなり、Xでは「広島や長崎の原爆投下に対する配慮がない」「ミームに対して公式が触れること自体不適切」
「9.11のミームを作って何を思うか問いたい」など批判が巻き起こる事態となった。騒ぎからまもなく、バービーの日本公式Xアカウントは謝罪した上で、
どのミームも明らかに、全く異なるジャンルの映画が同日公開されることを揶揄した内容だった。そこに「広島」や「長崎」というキーワードはなかったし、
原爆によって失われた命を揶揄する表現もなかった。(「原爆のキノコ雲を背景に半分骨になったバービーが笑顔で佇んでいる」というような画像があったとしたら、
それは初めて原爆投下によって被害を受けた人たちを揶揄するミームと認識して差し支えなかっただろう)
それにも関わらず、過剰な批判をしているXアカウントには違和感があった。特に「9.11のミームを作って何を思うか問いたい」といった批判は、Barbenheimerよりも明らかに攻撃的なミームを作ろうとする姿勢だった。
米国のインターネット、Redditや4chといった掲示板から生まれるネットミームは、そもそも高尚な文化ではない。「フェアユース」を拡大解釈して自由気ままに著作権コンテンツを面白おかしく改変して投稿する文化だ。
著作権や肖像権どころか、人権の配慮がそもそも存在していない。面白い事象、キーワード、画像であれば、ルールは存在しない。面白ければすべてよしだ。まともな人間ならミームに触れることすら避けたほうがよいレベルだ。
(日本でたとえると「淫夢語録」やそれから派生したコンテンツ全般が該当するだろう)
にも関わらず、「広島や長崎への配慮が足りていないミームを作る米国人の原爆に対する知識はこんなもんか」といった批判や「歴史的過去から振り返ると不適当だ」という批判が繰り返された。
これらはナンセンスだ。ネットミームはそういうものなのであり、誰にも伝わらない批判だ。「ナンセンス?いや、そんなネットミームをやるなよ」と感じるのも自然ではある。
だが、米国インターネットにおける一つの文化だから、Xにいる少数の日本人がそう考えたとしても消え失せることはないのだ。
一連のミームを見て批判した人たちが感じた苦しみや悲しみは本物だったかもしれない。だが、もう少し、ネットミームの作成者が何をどこまで考えて作っているのか、
考えを馳せてみてもよかったのではないだろうか。またすでにバービーの公式アカウントが謝罪しているし、これ以上拳を振り上げ続けることは、誰のためにもならないだろう。
そして今回のケースでは、戦争を善悪二元論に基づいて批判を展開していたケースが多いのも印象的だった。原爆投下被害を受けた日本が、米国側の民間人大量殺戮を批判する「善」であり、
原爆投下した米国を「悪」を前提としてミームを批判しているように感じられた。視点を変えれば、日本軍の侵略行為を止められた原爆は「善」であり、民間人の犠牲も厭わず防衛戦争を繰り返した
日本軍を「悪」という視点をもとに賛同したり批判したりすることもできるだろう。またこの単純な善悪二元論に基づけば、奇襲攻撃をかけた真珠湾の戦いは明らかに日本側が「悪」であり、
米国側は奇襲攻撃を批判する「善」に当たる。中国や韓国など東南アジア諸国で日本軍が起こしたことは大局的には「善」だったのかもしれないが、被害を受けた人、家族を失った人から見れば「悪」である。
では、沖縄本土での総力戦は誰にとっての「善」で、誰にとっての「悪」だったのか? 枚挙にいとまがないが、そもそも戦争において起きた事象をこうした単純な善悪二元論で評価し、
それに基づいた姿勢で批判するのは問題だと感じた。「勝てば官軍負ければ賊軍」の精神そのものだ。敗戦を経て学んだのは、極端な善悪二元論が罪もない人々や、日本軍兵士の犠牲を増やしたことではなかったのか。
ミームを賛同したり批判したりする人たちは、原爆製造に関わったドイツ人のオッペンハイマーを「善」あるいは「悪」のどちらで見るのだろうか。
太平洋戦争を起こした日本という当事国に住んでいるのにも関わらず戦争の歴史を「善」と「悪」でしか見られない人が増えたのだなと残念に思った。
現在日本国外で公開中のバービーは今年最大級のヒットと言われており、興行収入はマリオに匹敵するか超えると言われている。
つまり、日本のTwitterでは現在炎上しているが基本的にバービーの宣伝手法は資本主義的にはまったく正解であるということだ。
もちろん日本人の視点から見た場合モラルに描けるし、まともな倫理も持っていないように見える。
しかし、実際には彼らの宣伝戦略は大成功しておりたとえ日本で失敗したとしてもその巨大なヒットには何ら影響を及ぼすものではない。
実はバーベンハイマーのミームは今年落ち目であったハリウッド映画界の復活の兆しではないかという論調すらある。
マーベルなどのIPだけに依存したものから抜け出し、監督主導の映画が再ヒットし始めるという予兆ではないかと言われているからだ。
バービーの監督はエンタメ的にも非常に評価されている監督だし、オッペンハイマーは言うまでもない。
久々に大規模映画が映画館で席を奪い合うような情勢にクリストファー・ノーランすら歓迎していた(これはクリストファー・ノーランがきのこ雲をポップに描くことを肯定していたわけではないので注意)
今後ありうるパターンとしてはせいぜいツイ消しをするぐらいでバービーは日本人の声を無視して宣伝を進める可能性がある。
もともとバービー人形は日本ではあまり売れていないので大ヒットは見込めていないという見方もあるし、日本を無視してもいいぐらいヒットしているからだ。
80年代に「ラッツ&スター」というソウル・ファンクバンドが人気だったのを知ってますか?(憶えてますか?)
7人のメンバーのうち4人のボーカルが顔をアフリカ系アメリカ人風に黒く塗り、白い手袋をして歌うというスタイルのバンドです。
当時小学生くらいだった世代には『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』と
同時期にヒットしてた『め組の人』を歌ってたグループと言った方がはやいかもしれない。
今だったら説明するまでもなく
「顔を黒く塗って、白い手袋して、黒人音楽やるってミンストレルじゃん」
ってなると思いますが、当時はインターネットがなくて、ミンストレルがどういう歴史的意味を持つのか誰も知らかったのと、
欧米コンプレックスがバリバリの現役で、洋楽=エライ、日本の歌謡曲=ダサい(J-POPという言葉もない)
という構図が確固としてたこともあって、洋楽風の「オシャレな音楽」として普通に受け入れられてました。
まぁ、本当にオシャレな人は元ネタの洋楽聴いてたかもしれないけど、日本の歌謡曲にチューニングされた耳でもわかる
昭和大衆向けにアレンジされた「洋楽風」歌謡曲って感じですね。今思えば。
で、鳥山明ですけど、『Dr.スランプ アラレちゃん』というギャグマンガでデビューた当時は、
「アメコミ風」のテイストを取り入れたちょっとオシャレな画風のマンガ家ってイメージがありました。
「アメコミ風」といっても、80年代というまだまだ欧米コンプレックス、特に米国コンプレックスが強かった時代に、
西洋っぽい絵柄を雑に「アメコミ」と括っていただけで、必ずしも「アメコミ」を参照してるわけではないです。
(大友克洋の元ネタがメビウスだと知ってるような人でも、メビウスをアメコミと言ってしまうような時代だったので…)
とにかく、当時の鳥山明の絵は、同時代の、昭和臭のつよい、あか抜けない絵柄のギャグ漫画家の表現とは
一線を画す新しいものとして受け入れられていたのは間違いないと思います。
そういう位置付けの(そぅいう作風の)作家ですから、当時のハリウッド映画やドラマからも、
キャラクター造形に限らず色んなカタチで「進んだアメリカ風の」表象を取り入れていて、
それを見た当時の小学生は「最先端のハリウッドっぽい感じが入っててカッコイイ!」と感じていた筈です。
(都合の悪い部分だけ選択的に記憶喪失になってる人も多いみたいですが…)
そんな風に無邪気なあこがれから輸入したイメージの中には、当時アメリカではすでに問題視されつつあった
黒人ステレオタイプも混じっていて、その具体例がDr.スランプのサンデー・ブラザーズだったり、
ドラゴンボールのブラック補佐だったり、ミスター・ポポだったりするは事実として認めざるを得ないと思います。
似たような例として、FFVII Remake の開発主要メンバー(野村哲也だったと記憶している)が
「バレットのキャラクター造形(見た目に限らず)には、80年代に見てたハリウッド映画の影響を受けた
黒人ステレオタイプが多分に入っていて、アップデートが必要な部分が多かったが、
古参のファンから日和った、ポリコレだ、と言われるのも嫌なのでバランスに苦労した」
つまり何が言いたいかというと、80年代から90年代前半くらいには欧米への憧れとか、
昭和的な貧乏臭さを回避するための手法として、無邪気に海外メディアから表面的な「イメージ」を
頂いてくることがよくあって、そうやって大量に輸入された表象の中には、
ネットが普及して、リアルタイムに(微妙な文脈やニュアンス込みで)情報が入ってくる今なら
決して肯定的な引用をしないようなものが混じってることがあるよ、ということです。
「無知ゆえにウッカリやっちまいました。でも、アメリカとか黒人音楽への憧れが大きかったことを分かってください」
みたいな感じで間違いを認められるのに、アニメ・漫画の事となると
「ポリコレによって表現の自由が侵害されている!」と噴き上がってしまうのは何でなんだろうか?という疑問…
もう一個あるのは、日本人に馴染みがないところで揉めてるところだと思う
(例えばハリウッド映画におもしろ黒人が出てくるのは結構好意的だったと思う)
それらは気づいてたんだけど
もう一個、「選択の自由を奪われる」というのが有ると気づいた
市場が同質なコンテンツで占められると消費者としては憤りを覚える傾向がある
色で言えば、青や赤や黄色があれば好みで選ぶのに、全部が虹色にされたら嫌だみたいな感じ
これって例えばアニメがなろう系・転生系で占められたときとか、そう言うときにイラッとしてる人がいる
そういう「全員これを見ろ」というのは平成的、昭和的であってZ世代なんかは特に嫌いだろうね、個人主義なのに
黒人女優を起用したリトルマーメイドが性懲りも無く物議を醸している。
米国では某ネズミの会社を筆頭として、数年前から多種多様な人種を起用した映画作品の展開が続いており、しばしばファンの間で話題になっているが、中でも既存キャラクターの人種を変える今回のようなパターンでは特に炎上や揶揄が起きやすい。
しかもそういった取組がその人種から支持を得られているかというとそう単純な話でもないようで、ゼンデイヤの「私は白人ウケの良い黒人」発言にあるように、見た目上で人種の置き換えを行なったところで、民族性は無視されている、ゆえにポリコレとしては片手落ちであるというメンドクサイ議論もあちらでは巻き起こっているらしい。(まぁハリウッド映画で散々コレジャナイ日本人を見ているので気持ちは分からんでもない)
ブラックパンサーが大ヒットしたように、最初からエスニシティを前面に押し出したキャラクターないしヒーローを新たに打ち出せばいいようにも思えるが、どういうわけかアメリカという国はキャラクターコンテンツの新陳代謝が悪く、ディズニーのようなクラシックからアメコミのようなサブカルまで、何十年も同じキャラを擦るという特性がある。(というかブラックパンサーも60年台から擦られ続けている)
加えて、さまざまなインタビューを見るに、どうもあちらの女性には「◯◯姫になれなかった」ルサンチマンがあるらしい。リトルマーメイドで言えば、肌の色ゆえにアリエルになることを諦めた少女達がいるというわけだ。それは確かに良いことではないが、そもそもプリンセスという古い類型に囚われる必要もないのではないか、という方向性の議論は寡聞にして知らない。なぜならアメリカのコンテンツは古典があまりにも強すぎて、新しいキャラクターが生まれてもヒットするのはごく限られた一部しかなく、よって過去に目を向けるしかないわけである。
①古典が強すぎる環境、②プリンセス•ルサンチマンという2つの要素が組み合わさることにより、「じゃあ人気のある既存キャラクターの人種を変えよう!」という判断を下しているのが今のアメリカにおけるエンタメジャイアント達なわけであるが、これは結局のところ古典を別な方向から強化しているだけで、今この時の自分達を肯定するメッセージとは似て非なるモノだ。
ようするに現在主流のポリコレというやつは同じ理想像の再生産をしているだけであり、全ての人種でリトルマーメイドの映画を作れないように持続性がないのである。
ハリウッド映画を見ていて変な日本語が出てくるとイラッとする。
映画好きとかその辺のオタクは「また変な日本語出たよ」などと、しょうがないよねーと受け入れてる人も少なくないようだが。
科学考証だったり文化考証だったりしっかりやってるはずの映画で「日本語だけ変」だとテンションが下がる。しかも大抵そういう変な日本語が出てくる映画作ってる監督は
「日本好き」とか公言してる。日本好きなら日本語のことをもっと学んでくれ。そしてその違和感に気付いてくれ。わざとやってるとしても面白くないよ!!
(個人的にはホワイトウォッシュやポリコレよりも先に解決すべき問題のように感じる。1980年代とか90年代の映画なら仕方ないと思うけど、2023年なんだよ……)
出てくる車がBMW、ダッジのピックアップ、シボレー(ハリウッド映画で悪役が必ず乗ってるアレ)、ボルボ…とほぼ全部韓国車以外になってた。予算が上がった分そこに行くのか、と。
わろた
前作『魔女』(2018)
”改造され超能力を身につけた主人公が秘密の研究所から抜け出し、追手と戦う”という『ファイヤースターター』に源流を持つお約束の物語。 『サルまん』でお馴染みの”嫌ボーン”ものにも連なる系譜で、日本の漫画でもかなりたくさんあり(『サイボーグ009』もそうだ)五十嵐浩一や槇村さとるも描いていたりする。
(ふつうは「抜け出す」と「追手が現れる」の前に「普通の生活をする」の描写が入るが、短編だといきなり追われている超能力者と戦うシーンから始まったりする。)
『魔女』(2018)はお約束をひっくり返す大きなネタがあって、これが人々に愛される作品足り得た最大の理由だと思われる。
今回は製作費も大変増加し、それに伴いリクープのために宣伝も大規模。必然的に起こるのが、「前作を知らずに観に行く観客」、そして、まだ続きがあると知らせない宣伝のおかげでエンドロールが始まって「決着ついてないと気づく観客」の大量発生。可哀想に・・・
前作のアバンの、実在のナチス時代の人体実験や脳手術の白黒ストックフォトや実際の生物学実験写真の小刻みカットバックに、秘密研究写真を白黒加工して混ぜ込んで虚実皮膜の間をあいまいにして「伝奇モノ」を刺激する手法を今回もやっているが、今回のは画像のチョイスがいまいちなんで(銅版画の魔女とか、下手くそな原始人のイラスト)初手からテンションが上がらない。
出てくる車がBMW、ダッジのピックアップ、シボレー(ハリウッド映画で悪役が必ず乗ってるアレ)、ボルボ…とほぼ全部韓国車以外になってた。予算が上がった分そこに行くのか、と。
で、今回のストーリー、前作の最大の魅力であった「意外性」がない。(今作で終わらせる気がないのでテンポも悪い)
・研究所育ちなので「こんな美味しいもの初めて食べましたわ~」ムーブ(無言)
・改造人間(一部?)はヘッドショットされても死なないで再生(鬼滅)
・一般人(ヤクザ)がドーピング超能力で参戦するも結局ホンモノ同士の争いの前にちいかわ並みに「アァァ…」
と
「こんな美味しいもの初めて~」の描写はちょっと新味があるけど、そこに高評価するのは一部の人だけだろう
あとは韓国の観客が見れば上海改造人間ズは「中国語=外国語」をしゃべっているってすぐわかるけれど、日本人観客にとってはどっちも「外国語」なんでね…(前作は韓国語と英語まじりのキャラーー米国から帰ってきた敵ーーだったのでそこまで混乱しなかった)同じ黒ずくめ同士だから区別つかんのよ(同じ会社の別派閥だから、同じような服装しているのは必然なので、ハイローみたいにコスチュームでチームが瞭然てわけにはいかなかった)
黒服と言えば、クライマックスバトルも闇夜(+花火大会)なんでそこもちょっとね
血がドバドバ出ても黒服が濡れてるようにしか見えなくて、白日の下でいかにも絵具っぽい血糊が、というよりはいいのかもしれないが
で、ストーリーの話に戻るともっと大きな問題があって主人公に軸がない。
「主人公が何も求めていない」「主人公が何も(悩んで)選択しない」
生き残りたい、逃げのびたい、追手を倒したい、自分の出生の謎を知りたい、家族を守りたい、復讐したい、敵組織を壊滅させたい…
そういうのがないの
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーを見てきたので感想を残しとく。
[視聴環境]
[事前情報]
世界興収がスゴイらしい。評論家からの評価は悪いらしい。吹き替えはマリオが宮野守でルイージが畠中とかいう奴らしい。予告チラ見した感じ、声が微妙だったので字幕でみることにした。
[どんな話か(うっすらネタバレ)]
現代のニューヨーク在住の冴えないイタリア人配管工の兄弟が、ひょんなことから異世界(マリオワールド)に飛ばされ、キノピオ、ピーチ、ドンキーコングとともに悪者クッパを倒そうとするお話。
[総評]
普通に面白かった。良くも悪くもファンムービー。映像的な革新性、脚本の秀逸さ、思わず吹き出してしまう小気味よいジョーク、心動かす感動的なシーン、胸が熱くなる激アツ展開、などはない。
かといって出来が酷いわけではなく、一応どれも及第点は取れてる、と思う。(脚本はかなり雑で突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるけど、子供向け映画にマジになっても仕方ないよね)
[おすすめ度]
劇場で何度も見たくなるタイプの映画ではないけど、人生でマリオのゲームに触れたことある人なら一回は見といた方がいい映画だと思う。
[誰向け?]
万人向け。マリオのゲームをやったことある人なら、小さい子連れのファミリーから、デートムービー、友達グループ、独り身の暇つぶしまであらゆる層に対応してる。
[グロ度]
なし。ただしギャグ演出として暴力的なシーンが多用されている。痛々しい演出は多め。(例:手をピアノで挟む)
<良い点>
・キャラクターのモーションやSE、BGMが原作を忠実に再現していて楽しい
<悪い点>
それに加えて各シーンの演出や各エピソードの繋がりがとてもご都合主義的。
どのような「ご都合」かというと、「原作のこの絵を再現したい!」→「じゃあこういう展開でこういう演出にしましょう!」というのが明け透けに見えている。
たとえば、「ベビーマリオを出したい!」→「ルイージに幼少期を回想させよう!(何の脈絡もないけど)」みたいなのが盛りだくさんとなっている。
原作再現が最優先なため、伏線を先に引いて、後で回収する・・・というのがほぼない。
ピーチ姫がSWのレイみたいになってたり、キノピオが陽気な友人キャラみたいになってたり。どれもハリウッド映画に出てくるお決まりのキャラではあるけども。
<まとめると>
どのシーンにも「物語上の必然性」がない。かわりに「原作再現上の必然性」がある。
だからマリオを知らない人が見たら「なんでそうなる???」「唐突・・・」「最初からそうしとけばいいのに・・・」「無理矢理だなあ」「この人たち出てくる意味あった?」「え?なんでみんな普通に受け入れてハッピーエンドみたいになってるの?なんか説明合った?」「こいつは一体なんなんだよ」と突っ込みどころ満載かもしれない。
が、それもこれも原作再現を楽しみにしてるファンを思ってのことだと思うので悪く言うつもりはない。
決して珍しくもない絵面の決して珍しくもない話の割にはそこまで退屈せずに見れたというのは凄いことだったと思います。
そもそもこのテーマで一本映画を作ろうとしたこと自体が、何気ない他人の日常にコンテンツとしての価値を信じられる感性によるものであり、それは火薬の使用量を競い合うようなハリウッド映画に染まった心の毒を中和するような作用があったかに感じました。
ですがそれだけですね。
変に説教臭い後半の展開も、ひたすら何も起きない前半の展開も、別段面白いと感じられるものはありませんでした。
ただただカメラワークと間のとり方が上手いというそれ以上のことはなく、見やすさ伝わりやすさを極めることで退屈な景色さえも映像作品となるのだという学びは、創作をする人からすれば大きな価値があるのでしょうが、消費者にとってはどうでもいいことです。
素人が撮った自撮りカメラとは全くレベルの違う状況説明能力、イマジナリーラインがきちんと守られた映像のつなぎの妙というものに対していちいち感嘆するような褒め方をすることを、玄人ぶって嫌らしいと感じてしまう私の感性にも問題があるのかも知れませんが。
とはいえ凄いのは視覚的な部分だけというか、演者のわざとらしくなさを目指しすぎて逆にわざとらしいような演技や、映画のお説教的な部分を全て口にさせてしまう脚本などは、生まれた時代を考慮してもなお拙さを感じさせるものがあります。
今の時代の駄作を見るよりは間違いなく恵まれた体験とはなりましたが、傑作として現代の傑作に肩を並べる力があるかと考えると厳しいものがあります。
技量は素晴らしいですし余計なノイズも少ないですが、面白さの総量においては2時間という上映時間に対してあまりにもか細いと言わざるを得ません。
雑味の少なさは優れいていますので、減点法で映画を評価したがる人はこういった作品が好きなのかも知れませんね。
ど派手な火薬の爆発や伏線回収、CG合成による非現実感のある光景などによる加点がどこまであったかで映画を評価する加点型の人間には合わない映画だったと言うだけなのだと思います。
減点法で映画を見る人、中でも最近の邦画は演者がとにかく大きな声を出せばいいと勘違いしていた気持ち悪いなどと日頃愚痴って回っている人などはこの映画を見ると満足していただけるのではないかと感じました。
某事務所タレントがドアップで叫んだり大根役者がボソボソ喋るブロッコリー映画では世界の覇権はほぼ絶対到底ムリ!
侍が生きた時代の旧き日本の原風景+いぶし銀の時代劇役者にしか出せない雰囲気。
とにかくチャンバラシーンをCGフル活用してアニメ顔負けの演出とかにしてド派手にする(お姉ちゃんは出さなくていい)。
定番フォーマットの勧善懲悪から一捻りして陰のありつつも憎めない業を背負う悪役を出す(鬼滅のパクりね)。
主人公はもちろん転生したことにする。転生元はカリフォルニアのヴィーガン。山火事で焼け死んだと思ったが目を開けたら江戸の町娘に看病されている。
海外でウケるために禅の思想みたいのをそこかしこに取り入れる(公式ヨガマット発売)。
どや!
(追記)
やっぱ握りてーよな。覇権!。
ラストサムライやゴーストオブツシマみたいに海外制作のほうがってブコメがあるけど、いやいやそれハリウッド映画やん!!
ハリウッド映画が圧倒的なスタッフ層と莫大な予算にモノをいわせればそこそこのレベルになるのは約束されてるんだからそれで勝っても当たり前ってもんでしょ。
そんなんで得た勝利じゃ、ぜんぜん握ってないよ!握ったことになんないなんない(覇権)。
まあ、そんないうてもワイが握ることになったら(メガホン📢)、NEVADAに広大なセットを組んでみたいなのはやるかもしれん。金出してくれるかな?イーロン。
主演はもう決まってんのよ。はてなーも満場一致で納得のあの俳優。まあわかると思うけど。
そう、
鈴木亮平。
まず主人公の中身はカリフォルニアのヴィーガンだから英語ペラができることは絶対条件。そして演技がバチュギュンにウメェことが絶対条件(2回目)。
ベイエリアと江戸とのギャップに揺れ動く主人公の内面を深く描き切る必要があるからね。
亮平ならワイがいちいち五月蠅くしなくてもやってくれるでしょ。まあそこは心配してない。
そして陰のありつつ深き業を背負いし憎めないライバルなんだけど、これは悩むところじゃん?
まあこれはね、普通に考えて。
山田孝之。
とか、思うやん?
ぶっぶー!ですわ!!
そこはさ、やっぱホラ、
東出昌大。
あり得そうやん?
ちょっと業が深すぎたね。
いやー悩むわ。
今度こそ本当に発表するで?
いくぞ?
小松菜奈!
うん。
そうなんだわ。
ここで女性を投入というね!
菜奈の演技力、スタイル、眼力、どこをどう見ても陰のありつつ深き業を背負いし憎めない美しく悲しき業を深く背負った剣豪の魂を宿すにふさわしい器だと確信したね(会ったこと無いけど)。
今まで電動レンタサイクル乗ってたけど利用者が増えたのとポートに無いことが増えたので興味あったので使い始めてみた。
ちなみに法令遵守して歩道は一度も走ってないし信号は自動車用を守ってる。
レンタサイクルよりは段違いで借りやすい。特にレンタサイクルはウーバーイーツで利用している人も多く、返却場所が固まってポートに1台も無いことも多いのでなかなか使いにくい状況。それに比べればほぼ100%借りれてるLUUPは優秀。
遅い。クソ遅い。馬鹿じゃねぇの?
夕方のニュースのレポーター全員クビにしろ。何が「とても乗り心地が良いです」だ。無茶苦茶振動くるわ。お前ら日本中の道路が幕張か豊洲並みの整備されてると思ってるのか。推奨されている通行帯を走るとガタガタしてさらに遅く感じます。
罵声は数回。基本邪魔者扱い。ロードとかウーバーイーツが多い道だと嫌われます。
特になし。たぶんチャリと同じ車道の邪魔者くらいの扱い。急に縦列するタクシーは敵だけど遅いんで自転車より危険に思ったことは無い。
流れに乗れないから車道に膨らむタイミングも取りずらい。ウィンカーとか見てもらえてるか分からないので目視必須。2回ほど路駐トラックと車道トラックがギリギリ走ってハリウッド映画みたいに狭い隙間を走ったことがある。怖かった。
ユーザーの民度は低め。歩道平気で走ってる。自転車の気分の人多い。あと訪日の中国人を皇居周辺でよく見る。銀座で買ったブランド紙袋を両手にぶら下げてフラフラ走った挙句二段階右折とか知らねえって感じで右折レーンで走ってく。あの勝手さが電動キックボードの運転には必要なのかもしれない。
カッパで立って乗れるのでとても楽。車輪も自転車よりは太いのでまぁまぁ安定。
小さすぎるよ車輪。都内の路肩マジボロボロ。電動キックボード用ナビ欲しい。マジで全国が幕張か豊洲だと思ってないか?銀座でもボロボロよ
正直最低のユーザー層の人が好き勝手乗りまくって事例を積み上げている状況。普段使いするにはもう少し法令整備されてもうちょいスピードとタイヤデカくしてくれないと無理。
あと車道スイスイすり抜けられるとか思っている人いるかもしれないが思ったより小回り効かないので平気で人にぶつかるぞ。車道走ろう。というか走れ。
※コメで指摘されたけど二段階右折しなくてOKなんだね。原付以下のLUUPが二段階右折OKって脳がバグるんだけど、これ推進してる人にとって人命は安いのかな?
※※二段階右折してた方が違反だったのか。マジか。いやホント無理よ電動キックボードで車線の流れに乗るの
※※※メット無い状態でスタートしてるんでメット義務とか言われても「今までの俺たちは命知らずのβテスターかよ」って感想。正直対バイクや車だから頭守れても気休めじゃって思う。本当に流れに乗れない。これなら原チャリの方がとっても安全。
『もし、実写版アリエル役を日本人が勝ち取っていたら。日本での反応はどうなったのだろう?』
https://paradisepost.inc/posts/mUFmy_nI
そもそもハリウッド映画でわざわざアリエル役をやりたがる日本人女優がいるとは思えないので
おそらくは橋本環奈のように日本人から見て誰もが『可愛い』と言えるルックスの女優ならば称賛され(それでも赤毛のカツラと青のカラコン必須だろうけれど)
そうでないルックスだったら叩かれていたと思う
少なくとも、同じ日本人がアリエル役に抜擢されたという「だけ」で称賛する日本人は皆無だろう
渡辺謙や真田広之、菊地凛子の活躍とかは概ね肯定的に見られているので別に、
ハリウッドでの日本人俳優の活躍が許せないと言う程白人崇拝している訳ではないし