はてなキーワード: ハクビシンとは
ついさっき、外から動物の高めの鳴き声と、雨戸の付近でどたばたする音が聞こえた。
猫が交尾しているのかと思ったが、それにしては鳥に近いというか、幼児がよく履く音の出る靴、あれの音を少し低くしたような鳴き声だった。
動物の近くの雨戸を開けて下手に至近距離から刺激して、反撃されるのも怖いから、玄関からまわって鳴き声のするほうを恐る恐る懐中電灯で照らすと、茶色いタヌキのような獣が二匹、じゃれあっている。多分交尾ではないように感じた。向こうも明かりに気づいて、一瞬こちらをみた後、じゃれあいつつ去っていった。
家に戻って調べた結果、どうやらハクビシンで間違いないようだ。顔の模様と鳴き声が一致している。そういえば数年前この辺りに出たと聞いたことがあった。住み着いたらいやだが、まあ大丈夫だろと根拠も無く思う。
追記:
朝みたら糞があって、急いでたから帰ってから始末した。コンクリに少し跡が残っててブラシで磨かないとダメだ。もう暗いから明日やる。こういうのってマーキングの意味合いがあったりするのだろうか。
あとのんのんの映画は見に行くべきだろうか。控えめに言ってのんのんは大好きだが、こういう日常系に分類されるアニメの劇場版って見たことがないからどういう出来になっているか想像ができない。まあどうせ暇だから行くけど。自己完結しました。
http://anond.hatelabo.jp/20160131184041 の続きです。当初2話完結のつもりでしたが、完結しませんでした。
金曜日の学校帰り、いつものようにケンジと駅の側道を歩いていると、彼は突然そう言った。
アヤネの上履きが隠されたのは昨日のことだ。よせばいいのに、先生は大げさに「名乗り出ないと後悔します」とか言って、犯人が名乗り出るのを待とうとする。自分から言うわけないのに。
「ゲームねえ」
ピンと来ていないようだ。ケンジは頭が良くて、なんでもよく考えるけど、ときどき考えすぎる癖があった。今だって、僕たちが小学3年生の男子だと言うことを忘れて、バレた場合のリスクを考えると割に合わないだとか、家に早く帰れれば他にもっと楽しいゲームはあるとか、考えているに違いなかった。
ケンジの家は僕の家と違って広くて、大きなテレビとゲーム機が揃っていたから、僕たちはよくそこで『チョコボ』を遊んでいた。おばさんのジンジャー・ミルクティが美味しくて、高級そうなケーキも出してくれるのだった。
おばさんのジンジャー・ミルクティとケーキが恋しかったけど、「友達の家に遊びに行くからレッスンを休みます」だなんて言えるわけがない。
「じゃあ、土曜日は?」
「嫌だよ、そんな忙しいの」
「お前、ほんと朝弱いよな」
「しょうがないじゃん」
「じゃあ、日曜日」
「その日は塾の体験授業があるんだ」
「あ、本当に行くんだ」
次の春から4年生になると言う時期になって、僕たちのクラスでは、中学受験を見越して塾に行くと言い出すが多かった。ケンジは頭が良いから、受験すれば絶対良い学校に行けるのに、こいつの考えすぎる悪い癖が出て、優柔不断になっているんだと、僕は思っていた。
「ユウヤもするって言ってたよ」
「たまたまだろ、そんなの」
ユウヤはケンジと違って、なんでもよく考える方ではない。でもユウヤはユウヤで、『鋭い』ところがあった。アヤネの上履きを見つけただけじゃない。授業で使うビデオデッキの調子が悪くなった時に、設定をあれこれいじろうとする先生に、再起動すれば良いとアドバイスしたのはユウヤだったし、男子トイレの幽霊騒ぎの正体がハクビシンだと突き止めたのもユウヤだった。
「でもいいよなあ、あいつ」
ケンジが言った。
中国料理の調理法には数多くの流派がある。そのうち最も影響力があり、代表的なものとして社会的に公認されている料理は山東料理(魯菜)、四川料理(川菜)、広東料理(粤菜)、福建料理(閩菜)、江蘇料理、(蘇菜)、浙江料理(浙菜)、湖南料理(湘菜)、安徽料理(徽菜)があり“中国八大料理”と称されている。これらの料理系譜の独特な調理法は、調理法形成過程、その地方の歴史と切り離して語ることはできない。またその地方の地理的条件、気候条件、特産資源、飲食習慣などの影響も受けている。八大料理の擬人化表現として、江蘇、浙江料理は清楚な素面の江南美人、山東、安徽料理は古風で質朴な北方健児、広東、福建料理は風流典雅な貴公子、四川、湖南料理は造詣深く才気あふれた名士と表現されている。中国“八大料理”の調理法はそれぞれ長所を有し、長い歴史が生み出したものである。
一 山東料理(魯菜)
宋朝以降、魯菜は“北方食”の代表となった。明、清時代には魯菜が宮廷料理の主流となり、北京、天津、東北各地に対して大きな影響を与えた。現今の魯菜は済南、膠東両地方の地方料理が発展したものである。その特徴の爽やかな香り、新鮮な柔らかさ、純粋な味で世に知られ、コンソメ(清湯)とクリームスープ(奶湯)の調理法に長じ、コンソメは淡白上品、クリームスープは純白で濃厚である。済南料理は煮炒め、遠火焼き、油炒め、揚げ物に長じ、有名な料理には“糖酢(甘酸っぱい味付け)黄河鯉魚”、“九転大腸”、“湯(スープ)爆(煮炒め)双脆”、“焼海螺(ホラガイ)”、“焼牡蠣”、“烤(焙り)大蝦”、清湯燕巣“などがある。
二 四川料理(川菜)
秦末から漢初期にかけて初期的に形成され、唐、宋代に急速に発展し、明、清代にはその名声が全国に広まり、現在では世界中に四川料理レストランを見出すことができる。正統四川料理は成都、重慶両地方の料理に代表される。精選された原材料、規格の重視、主従明確な盛付けの彩り、鮮やかなハーモニーを誇っている。酸味、甘み、痺れ感、辛味、巧みな油味、濃厚な味付けが特徴で、調味料として三椒(唐辛子、胡椒、花山椒)と生姜は欠かすことができない。他地方には余り見られない辛味、酸味、痺れ感のある料理として人口に膾炙し、四川料理独特の風格は“一皿一味、百皿百味”と賞賛されている。調理法は焙り、遠火焼き、揚げ炒め、蒸し物に長じる。四川料理は総合的な味付け、濃厚なだし味に特徴があり、塩味、甘み、痺れ感、辛味、酸味の五味を基本として、さらに各種の調味料を配合し基本的家庭味、巧みな塩味、魚香味、レイシ味、複雑な妙味など23種類の複合味付けが) 確立されている。代表的な料理には“大煮干絲(干し豆腐の千切り)”、“黄燜(醤油と酒の煮込み)鰻”、“怪味鶏塊”、“麻婆豆腐”などがある。
三 広東料理(粤菜)
前漢時代にすでに粤菜の記載があり、南宋時代には皇帝付きコックが広州に随行する影響を受けた後、明清時代に急速に発展し、さらに対外通商開始後は西洋料理の長所を吸収するとともに粤菜も世界に普及し始め、現在、ニューヨーク市だけでも数千の広東料理店を数えるに至っている。広東料理は広州、潮州、東江の三地方の料理を代表として形成されている。原材料の種類は豊富で新奇を好むので変化に富み、旨み、若い柔らかさ、爽やかさ、滑らかさを重視している。一般に夏秋には淡白を求め、冬春には濃厚に傾く。味付けにはいわゆる五滋(香り、歯ざわり、臭み、滋味、濃厚さ)、六味(酸味、甘み、苦味、塩味、辛味、旨み)の別がある。調理法はソテー、揚げ物、餡かけ、煮込み、揚げ炒めなどに長じ、盛付けの彩りは重厚で、その滑らかさは飽きが来ない。蛇、ハクビシン、猫、犬、サル、ネズミなどの野生動物調理で名高く、有名な料理には“三蛇竜虎鳳大会”、“五蛇羹(濃厚な吸い物)”、“塩火局(蒸し煮)鶏”、“牡蠣油牛肉”、“烤乳猪(子豚)”、“干煎(油煎り)大蝦碌”、“冬瓜盅(杯)”などがある。
四 福建料理(閩菜)
福建料理は福建省閩候県に起源を発し、福州、泉州、アモイなどの地方料理を代表として発達してきた。その特色は色調が美しく、淡白で滋養があることで名高い。調理法は油炒め、餡かけ、ソテー、煮込みに長じ、特に“酒糟味”は独特である。福建は東南の沿海に位置しているため、ハモ、アゲマキ、イカ、イシモチ、ナマコなどの海鮮が豊富で、それらを原材料とした調理法に独自のものがある。有名な料理には“仏跳墻”、“酔糟鶏”、酸辣爛魚“、“焼片糟鶏”、太極明蝦“、清蒸加力魚”、“荔枝(レイシ)肉”などがある。
五 江蘇料理(蘇菜)
南北朝時代に発祥し、唐宋以降は浙江料理と覇を競って“南方食”の二大大黒柱となった。江蘇料理は蘇州、揚州、南京、鎮江の四大菜を代表として構成されている。濃厚さの中に淡白さを有し、ふんわりとして香り高く、スープだしは濃厚であるが嫌味が無く、口当たりは柔らかで甘みのある塩味がその特色である。調理法は煮込み、遠火焼き、蒸し焼き、油炒めに長じる。調理する時には原材料を厳選して配色、盛付けを重視し、四季の別がある。蘇州料理は甘みに特徴があり、彩りのハーモニーが素晴らしい。揚州料理は淡白で口
当たりがよく、主食材の味がうまく引き出され、切り込み法に優れて味がよく滲みこんでいる。南京、鎮江料理は濃厚な味付け、精緻な造りで、特にアヒル料理はその名が高い。有名な料理には“清湯火方”、“鴨(アヒル)包魚帳翅”、“松鼠桂魚”、西瓜鶏“、“塩水鴨”などがある。
六 浙江料理(浙菜)
杭州、寧波、紹興、温州などの地方料理を代表として発達してきた。その特徴は淡白、香り高さ、歯ざわりのよさ、若い柔らかさ、爽やかさ、旨みにある。浙江は魚、蝦類の産地であり、また山紫水明の有名な観光名勝地であるため、民間伝承の有名料理も多く、造りも精緻で変化にも富んでいる。調理法は油炒め、揚げ物、揚げ炒め、餡かけ、蒸し物に長じている。盛名を誇る料理には“西湖酢魚”、“生爆鱔片(タウナギ)”、“東坡肉”、“竜井(竜井茶)蝦仁(エビの剥き身)”、“干炸(粉衣揚げ)響鈴”、“叫化童鶏(若鶏)”、“清湯魚圓(魚のすり身団子)”、“干菜(乾燥野菜)燜肉”、“大湯黄魚(イシモチ)”、“爆墨魚(イカ)巻”、“錦繍魚絲”などがある。
七 湖南料理(湘菜)
湘江流域、洞庭湖周辺、湖南省西部の山間地帯の料理を代表として発達してきた。その特徴は材料の幅が広く、油濃く鮮やかで、唐辛子、燻製肉を多用する点にある。味付けは新鮮で香ばしく、酸味辛味が強く、柔らかく口当たりがよい。調理法は塩漬け肉、魚、燻製、蒸し焼き、蒸し物、煮込み、揚げ物、油炒めに長じる。有名料理には“腊(塩漬け肉)味合蒸”、“麻辣子鶏”、“紅煨魚翅(フカヒレ)”、“湯泡肚(臓物の胃)”、“氷糖湘蓮(蓮の実)”、“金銭魚”などがある。
八 安徽料理(徽菜)
長江沿岸、淮河沿岸、徽洲の三地方料理を代表として構成されている。その特徴は原材料選定が質朴で、火の使い方を重視し、油がきつく色鮮やかで、スープだし、原材料本来の味を維持するところにある。安徽料理は山海の珍味で名高く、南宋の頃には早くも“沙地馬蹄鱉、雪中牛尾狐”が有名料理として知られている。調理法は遠火焼き、煮込み、煮物に長じている。有名料理には“符離集焼鶏”、“火腿(ハム)炖甲魚(スッポン)”、“腌鮮桂魚”、“火腿炖鞭笋(竹の地下茎)”、“雪冬焼山鶏”、“紅焼果子狸(ハクビシン)”、“奶汁肥王魚”、“毛峰燻鰣魚(ヒラコノシロ)”などがある。
酱烧青蟹:蟹の味付煮
生炒鳝鱼片:田うなぎのこまきり炒め
红烧甲鱼:スップンの甘煮
麻婆豆腐:マーボーどうふ
樟茶肥鸭:楠の木と茶の葉でいぶした鴨
广州料理
脆皮鸡:広東式揚げ鶏
锦绣排翅:ふかのひれのうま煮
鲍鱼香茹:鮑とマシュルームのあんかけ
生炒鲜干贝:生貝柱の炒め物
中国についてアナタはきっと強く好奇心を持っていますね~(^ω^)(^ω^)(^ω^)まあ、もっと詳細の中国の基本情報は下のサイトをご参照ください。
メールアドレス:cs1@japinchina.com
全国でそりゃ移入種が問題になっている。
国内からの移動でも遺伝子攪乱とか、問題が多い。イノシシとか、樹木もね。
さて、国内で人間が手を焼いている生物、主に雑食性小型ほ乳類でいえば、ヌートリア、ミンクにハクビシン、タヌキ、イタチ、マングース、アライグマ、リスもかな、似たようなのが一杯いる。
これに、在来のイタチや、タヌキや、テンが入り乱れて豊富な生態系を気付いている。かといえばそうではない。
なんせ、縄張りがかぶらないのだ。ミンクは北、マングースは南、その他、ちょっと調べて貰えばわかるが、以外に同じ区域に食性を同じにする複数主の外来種が根付くのは困難だ。
まあ、考えてみれば、当然で、資源は繁殖のために目一杯使われる。よそ者なんかに残したりはしない。土着、外来に係わらず、先住の種族が支配しているエリアを奪い取れなければあとから来たものは定着できない。
・
ここで、思考実験。
小さな島を用意する。
そんな夢の楽園にとりあえず雑食性の小動物群を全種類25組ずつツガイで放したい。
五年後に島で最も繁栄してるのはどれかな~。
http://anond.hatelabo.jp/20120806013304
結論を言うと彼とは職業を理解できないということでもう別れた。だからこうして書いてる。
とあるSNSのオフ会で知り合ったのでお見合いとかみたいに身分証明があるわけでもないから、
豚の頚動脈を掻き切って血抜きして失血死させるそうです。
どうやるのか気になるならネットの動画でも見てみて、それが真実だから、って言われて見た。
とてもじゃないけど最後まで見ていられなかった。
豚が悲痛な悲鳴をあげていて、数人がかりでそれを押さえ込んで首にナイフで切れ込みを入れて血を絞り取っていた。
それでもまだ豚は生きている。
彼に触られそうになるたびその映像がよみがえってきて、鳥肌が立った。
こんなんじゃセックスするなんてとても無理だ。
親の実家でも卵をとるための鶏を飼っていたけど自分たちで〆て殺したりはしてない、と親から聞かされていた。実際見た覚えはない。
自分でやるのは嫌だけど、たとえば結婚して姑から料理の腕前を見せてみなさいといわれたらやると思うし、すぐ慣れると思う。
鶏〆て殺すのは・・・それ「だけ」を仕事にしてたら多分受け入れられないけど、それ「も」仕事のひとつにしている、ぐらいなら許容できる。
シロアリ駆除業者は問題ないけど、同じ駆除業者でも、ネズミやハクビシンやいたちを素手で殺している人とは付き合えない。
実際追い詰めたネズミを槍で突き殺したり、火であぶり殺したり、水攻めして殺したりする業者もいるらしい。無理。気持ち悪い。
ゴキブリや蚊やハエや蜘蛛を叩き潰したり殺虫剤やゴキブリほいほいで殺すのは全く問題ないし自分もじゃんじゃん殺す。
民家の前や住宅街に出没したクマを人間を守るために銃殺する猟友会は許容できるけど、
鹿やウサギや狐や鳥を食べるためであっても娯楽で狩猟するハンターはだめ。
食べるための魚を釣るなら、釣る過程を娯楽として楽しんでいても、抵抗ない。
蛇やワニの皮剥ぎとってる人は、気持ち悪くはあるけど、食べるためのお肉を採るついでに皮も剥いでるだけなら問題ないかな。
牛殺す人と付き合うのも無理。イルカとか鯨狩ってる人も無理だ。
犬猫殺しはたとえ食べるためでももう体が拒否反応起こす。その人の顔見ただけで吐くと思う。
魚のお頭は何とも無いけど、爪がそのまま残っている鳥の足の焼き物を食べるのはちょっと気持ち悪いし(中華圏で普通に食べられている)、
鳥や豚の丸焼きも食べられない。
鳥のお頭がそのまま売られていたら目を背けるだろうし豚や牛の頭が置かれてたら悲鳴をあげて走り去ると思う。
許せるものと許せないものの間にラインはある。でもどんな根拠でそのラインが引かれているのか、わからない。
動物実験は、医療の発展というという大義名分の下単なる虐待行為も多々行われているのだろうけど、
基本的に人間や動物の病気や怪我を治療するのに役立つ研究ならば、行為者を忌避する感情は起こらない。
なんでこう思うのかわからない。でも抗えない。