はてなキーワード: ハイレグとは
動きやすいとか、選手の好みとかで表面積が小さいユニフォームも着ている選手がいるのはわかる。
一時期の全身水着みたいに速くなるためには、カッコ良さや見た目を優先するだろうし、それは理にかなっていると思う。
選手はいろんな考えで好きなユニフォームを着る。見る方はそれでいろいろ思う、反応する、欲情する。見た人がどう反応するかは止められないし、それはある意味仕方ない。
おれは女子の全身水着は色気無いと思って切り捨てるが、あのぴっちりがたまらないという人もいるのはわかる。それは認める。多様性とはそういうものだ。
しかし、ビーチバレーみたいに、女子だけハイレグ絶対をルール化して押しつけるのはおかしい。
なんで競技団体やスポンサーが自分の価値観を押しつけるのか、その押しつけには歯向かいたい。
女子スポーツ選手を性的に見ることの是非ではなくて、色気を感じるように女子スポーツ選手が仕向けられていないか、そこを気にするべきではないのかな。
中学時代、下着の校則違反を数えて、体育祭の得点から減点するという「伝統」があった。
悪質なのは、それを生徒同士で監視するシステムになっていたこと。
違反者は教師にチクられ、その分がのちに体育祭の持ち点から減点されるという決まりなのだ。
赤組・白組それぞれの減点数は日々校内で告知され、連帯責任を煽る構造ができあがっていた。
もちろん、これに反抗する生徒は多かった。
二年生のあるとき、体育祭の出し物を決める学級会のなかで、この制度はおかしいという話になったことがある。
やがて「そうだ、そうだ」という声が教室のあちこちから起こる。
いま思えば、先生自身もこの制度はおかしいと思っていたのだろう。
しかし、新人の立場ゆえ学校の方針に逆らうことはできなかったのだ。
すこし黙って考えたあと、彼女は落ち着いた声でこう言った。
端的にいって、先生は毎日のようにエッチな下着を履いていたのである。
赤、ピンク、紫、Tバック、紐パン、ハイレグなど、色とりどりの大胆な校則違反によって、いままでにない大規模な減点が生み出されていった。
そして私たち生徒は、その集計に追われる日々を送ることとなった。
集計にあたっては、色や形状など要素ごとに配点が決められていたので、その日の下着をよくよく調べる必要がある。
たとえばレースの場合は1ひだ5点の設定なのだが、先生は前後に幾重にもレースの連なったピンクのパンツを履いているときもあって、それを数えなければならない。
このときは最終的に84ひだで420点に決まるかと思ったのだが、その後ピンク色は減点2倍だというルールの存在が判明し、結局840点という結論になった。
こうして、体育祭を迎えるころには、16450点という天文学的な減点が積み上がっていた。
さて、ここで問題になるのが、私たちの先生は赤組・白組のどちらに属すかという問題である。
この中学では、体育祭の当日まで、先生たちの赤・白は決まらないことになっていた。
事前練習中の不公平感をなくすためか、最終種目である「教員リレー」のときにはじめて、赤・白がクジ引きで決定されるのである。
両チームともに熱戦を繰り広げ、お互い一歩も譲らない戦いとなった。
「教員リレー」の時点で、赤542点に対して白551点と、白組が優勢。
この種目ですべてが決まるのだという緊張感があった。
先生はどちらのチームなのか。
入場ゲートに全校生徒の視線が集まる。
そうだ。
それでも私たちは、落胆などしなかった。
「先生、がんばれ!!」
声援がどこからともなく起こり、増えていった。
それはやがて大きな波となり、校庭を包み込んでいく。
そうして積み上げられた16450点の減点。
こうやって先生が私たちに教えてくれようとしたのは、この校則の不条理ではなかっただろうか。
歓声の渦に包まれながら、先生は猛スピードで左コーナーを走る。
まさに瞬足だ。
……こうして赤組は「教員リレー」に勝利し、10点を獲得した。
しかし、不思議と負けた感じはしなかったことを、いまでも覚えている。
それから数十年、私もいまでは大人になり、日々エッチな下着を履くようになった。
先週はブルマーの紺色の起源について調べた。ブルマーはアメリカでも紺系統の色だったが、現在の色になる過程で日本の伝統色の影響を受けた可能性について検討した。本記事では、臙脂色・小豆色・赤色のブルマーがいつごろから存在しているかについて調査する。また、他の色のブルマーについての情報があった場合はそこにも触れる。
主として https://www.buruma-joho.com/という個人サイトに掲載された、映画やドラマに出てくるブルマーの色について調査し、おおよそ何年までさかのぼれるかを検証する。ただし、あまりにも近い年代のものは省いた。すべてを引用しても年代の特定の役には立たないし、2000年以降のブルマーはほぼファンタジーに属するからだ。ブルマーにまつわる映画作品を網羅したい方は、ぜひ上記サイトをと参照していただきたい。どうして個人の記録ではなく映像作品で確認するのかといえば、ブルマーが日常的に存在していた当時の映像作品には、コスプレ的で奇抜なブルマーは出てこないと考えられるからである。また、個人のサイトやツイートは消える可能性があり、文字による証言だけだと正確さが担保できないためである。また、盗撮画像を使うわけにはいかないのはもちろんだ。
なお、バレー部のブルマーとそのほかの学生のブルマーについては、分けて考えたい。
加えて、プロのバレー選手の映像は多くなるので、赤ブルマーについては泣く泣く割愛した。
「オシャレ泥棒」1989年 https://www.youtube.com/watch?v=COpUgdGuoLE
「としごろ」1973年 https://www.youtube.com/watch?v=zRDoJFgS_wA
「青春の構図」1976年(女子大生。乳房の露出があるので直リンはしていない。各自で探してください)
「燃えろアタック」1979年 https://www.youtube.com/watch?v=qHFnZx0LT6Q
「転校少女Y」1984年 https://www.youtube.com/watch?v=li46Tlzuz_w&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=37
「挑戦」1963年 https://www.youtube.com/watch?v=krbJ1MBYXTo&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=5赤、青、緑三色のブルマー。
「典子は今」1981年 https://www.youtube.com/watch?v=Eh-8MVOJ6Ig濃緑で、芋ジャージの緑とは違う。障害者の社会参加を訴えたドキュメンタリー。
「蘇れ魔女」1980年(バレー選手)。Youtubeに動画はあるが緑ブルマーは確認できず。
「時をかける少女」1983年 ttp://wainn.jugem.jp/?eid=1364
ところで、先ほど両腕のない女性の映画を紹介したので、せっかくだから話そうと思う。以前NHKで「アニ×パラ」と称して https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/81d717ec76b544d8922c17f10889dee6/ 車いすの少女が陸上選手になるショートムービーを放映していた。また、警視庁か何かのポスターでも、ブルマー姿の義足の選手が被写体として用いられていた。義足の陸上選手を扱ったポスターはイラストも実写も検索すればいっぱいあるし、中西麻耶選手はセミヌードも披露している。
僕は素直に美しいと思ったし、義足の機能美にも魅力を感じた。義足は隠すべきもの、障害は隠蔽すべきもの、そうした空気がなくなっていくのを感じるのは、僕としても嬉しい。しかし、そこに難しさがないわけではない。美しいと思うこと、セクシーだと思うこと、障害者に対する態度、こうした扱いの難しい問題がぎゅっと凝縮されているからだ。障害のある選手が自分の身体や努力を誇りに思う気持ちと、そうした選手に憧れ、称賛すると同時にどうしてもブルマー姿に萌えてしまう自分の率直な気持ちとの間に、どのように折り合いをつけていくか。あるいは、特にアスリートではない障害者に対してどうふるまっていくか。特段「美しい」わけではない多くの障害者にどんな態度を取るか。様々な障害を抱えた人々と関わりながら生きていくうえで、考え続けばければならない問題だ。麻痺した身体を公共の場で堂々と見せた、とある活動家のことを思い出す。特段「美しい」わけでなく、それどころか「痛ましい」という印象すら与えてしまう身体。痛ましいと思うのはこちらの上から目線だが、スポーツで称揚される「美しい」身体とは別の身体が、隠蔽されてはいないだろうか。
今の職場は身体障害や聴覚障害のある人、あるいは精神障害のある人と働く機会があり、毎日が学ぶことの連続である。意外と「普通」だなと思ったり、逆に思いがけないところにつまずきポイントがあったりで、どうやったら一緒に働けるかは調整の連続だ。でも、いろんな人と働ける機会があると、気づかなかった偏見から自由になれる機会も多く、ダイバーシティってそのためのものなんじゃないかって思う。みんな仲良く、というきれいごとよりも、もめたり話し合ったりして、どうやったら一緒にやっていけるかを考えるのがきっと大事だ。そうしたら、道ですれ違った障害のある人により上手に配慮できるんじゃなかろうか。
本当のバリアフリーとは、障害があっても普通に隣で働くことだけでなく、ブルマーと義足の組み合わせに何の屈託もなく素直に萌えることなのか。茶化したような問いだが、パラリンピックにおける障害のある身体の宣伝的な側面も含め、真剣に考えたい。パラリンピックに出ることのない、大多数の障害者はパラリンピックをどう感じているのだろう?
前回の記事では、スク水がハイレグ化した90年代(ttps://www.footmark.co.jp/about/id001575.html)に臙脂ブルマーが生まれたのではないかと推測していた。だが、実際にはそれ以前に臙脂ブルマーは存在していたことが確認できた。その後、バレーボール選手のブルマーが学生のブルマーに影響を与えたのか、さらにブルマーの色が自由になる雰囲気があり、それが同時にスク水のハイレグ化を生んだのか。おそらく前者は正しいと推測されるが、後者の確証はない。そして、ファンタジーだと思っていた白ブルマーの存在も確認した。
今後は、同じ赤色でもどのような幅があったかについて調べたい。臙脂、赤、小豆色は少しずつ色が違う。現に、個人がアップロードした写真には、蛍光色に近い青・赤・緑のブルマーが確認できるものがあり、上記映像作品には登場しない色のブルマーが一定の範囲で分布していた可能性が検討できる。また、企業の公式情報や新聞紙などの証言から上記内容を補足し、フィクションからのデータだけに頼らない、実際の臙脂ブルマーが誕生した年代についても調べたい。新聞は白黒が多く、苦労しそうではあるが。
さらに、イギリスなど諸外国には赤ブルマーがなかったかも調査せねばなるまい。
加えて、身体障害が憐れみの対象やスティグマではなくなっていく過程についても気にかかるところである。美しかろうがそうでなかろうが、「健康」であろうがそうでなかろうが、そして「猥褻」であるかどうかにもかかわらず、自分の身体を見せる権利を改めて問い直したい。
御多分に漏れず、同級生の女子のブルマーは紺色だったし、小学生の頃には紺色ブルマー以外は存在しないと思っていた。ブルマーが廃止されてクオーターパンツになったが、それも紺色だったのでそれが当たり前だと思っていた。ところが、長ずるに及んで臙脂色や緑色のブルマーが存在していることを知った。さらに、ブルマーの存在などとっくに忘れられたこの時代になってもブルマーのことが気になっていろいろと検索していたら、同じ紺色といっても濃紺とピース紺の二種類があったことを知ったのである。参考画像
それはさておき、改めて考えてみると不思議だ。そもそもどうしてブルマーは紺色なのか? そして、スクール水着やセーラー服が紺色なのは、関係があるのか?
はじめのうち、自分は19世紀のブルマーも紺色だったから、それが受け継がれたのだろうと単純に考えていた。現に、当時のブルマーを描いた図版は白黒で、それを否定する根拠にはならなかった。ところが、自分が「Victorian bloomers」と検索したところ、驚きの事実に行きあたった。ブルマーは必ずしも紺色とは限らないのだ。
そうなると、ブルマーはどこかの時点で紺色に固定されることになったはずだ。
こういう情報を知るためには、基本的には企業の公式ページが適している。
すると、以下のような証言を見つけることができた。
そのような経緯を経てブルマーは、普及していきましたが、それらは、織物で作られ、比較的長く大きいシルエット、腰ベルト部は紐で結ぶ仕様で、ほとんどが濃色でした。これは、日本の古来からある袴の後継と見られていたところから来ています。
そういうことで、仮説その一。ブルマーが紺色なのは、日本の袴に由来する。
しかし、僕の今まで書いてきた記事を読んでくださった方はご存じだろう。20世紀イギリスのブルマーも同じく紺色なのだ。
ttps://www.youtube.com/watch?v=lDvl5fJHsow&t=200s
となると、ブルマーが紺色なのは日本の袴に由来する、という仮説はかなり疑わしいものとなってしまう。
そうなると、
のどちらかになりそうだ。日本のブルマーが紺色になり、英国に輸出された可能性は理論上存在するが、当時の文化的な力関係を考慮すると非常に考えにくい。先ほどのトンボ社のページに書かれている、井口阿くりがブルマーを1903年にボストンから導入した時点で、ブルマーが紺色に進化を遂げていたと考えるのが自然だろう。これが仮説その二である。
それにしても、記事をよく読めば当時の女子体操着は、セーラー服型上着の下にブルマーを着用だったとのこと。提灯ブルマーだから考えられることだ。
ショーツ型ブルマーになってからも、かつては掃除の時間、女子は普通にそういう格好だったと聞いたことはあるけれども、男子校出身者の僕には刺激が強すぎる。しゃがんだクオーターパンツお尻の曲線だって刺激が強いのに。
スクール水着の変遷についてはここでは繰り返さない。多くの方が調べてくださっており、資料が比較的豊富だからだ。だが、水泳の授業が義務教育として求められたのが、痛ましい事故にその理由があるとは知らなかった。
しかし、どうして紺色なのか? このサイトでは以下の四つの説を併記し、それらが複合していると述べている。
それらの説も一理あるのだが、自分としては、ブルマーよりも素直にヴィクトリア朝の色遣いが受け継がれたものだと思いたい。
もっとも、ならばどうしてイギリスで紺色になったかを考える必要があるのだが……。
セーラー服の起源が海軍にあることはよく知られている。この記事によれば18世紀の英国の海軍がこの紺色を用い始めたそうだ。軍服の歴史についても興味深い記述がウィキペディアにある。たとえば安価な染色技術がなければ兵士全員に同じような色の制服を採用できない。
ここで思い出していただきたいのは、ブルマーとスク水の紺色はヴィクトリア朝、19世紀末から20世紀初頭に由来していることだ。言い換えるならば、セーラー服の紺色は、ブルマーやスク水の紺色とは起源を異にしているのである。この三つは紺色のノスタルジーの対象としてしばしば言及されるが、全く別の由来がある、ということだ。ブルマーとスク水は女性に求められた慎み深さと禁欲に由来する紺色、セーラー服の紺色は男性に求められた強さと海の色である。また、起源もそれぞれ米国と英国である。ただし、海軍のネイビー色と女子学生のセーラー服の紺色には微妙な違いがあり、セーラー服の色がスク水やブルマーに引きずられて濃青から紺に近づいた可能性も一応考えられる。ところで、海老茶色の袴の女学生がなぜ紺色をまとうようになったかのだろう。和装から様相に移り変わったことに関係がありそうだが……。
さて、冒頭に戻ろう。僕は紺ブルマーだけではなく、臙脂ブルマーや緑ブルマーについても言及している。これらのカラーブルマーが広まりだしたのはいつごろからだろうか?
これらについては、実はまだ調査ができていない。先ほども述べたが、戦前の女学生は海老茶色を身に着けていたので、そこから派生したことも考えられなくもない。こちらのページによれば1985年頃から多様なデザインの体操服が登場したそうだが、この頃ではないかと推測している。現に、90年代に近づくとスク水さえもややハイレグ気味になっており、肩紐も細くなって背中の露出も増えているので、新しいデザインが受け入れられていた可能性がある。しかし、自分の周囲にはカラーブルマーは存在せず、臙脂ブルマーフェチは大人になってから発症してしまったものである。
企業の公式サイトからの情報が得られないとなると、新聞の縮刷版や当時の雑誌を一つ一つ調べねばならないことだろう。研究とは元来こうした地味なものであり、ちょっとネットで検索してまとめてみたこの記事などは、本職の研究者からすればほんの気晴らしでしかない。
ブルマー、スク水、セーラー服が紺色の理由はおおよそわかった。しかし、臙脂ブルマーや緑ブルマーなどがいつから使われているのかについては、まだ資料を見つけられていない。今後はこうしたカラーブルマーの存在について探求したい。おそらくは学年色という概念の発展からたどれば見つかるのではないかという気もしているが、確証はない。また、男子が青の短パン、女子が赤ブルマーという写真も見たことがある。男女の差異を強調するためであったという説も成り立つ。
また、昔の深夜番組で女子高のスク水をファッションショーのように比較する今ではとても考えられないコーナーがあったそうだが、その動画で確認すると紺色にもかなりの幅があった。スク水の紺が実際どの程度の違いがあったのかも調査する必要がある。また、カラースク水がブルマー同様に存在したかもチェックする。
そして、こうした色鮮やかなブルマーの存在が、どの程度が押し付けであり、どの程度が女子生徒からの希望だったかについても知りたい。
筆者はもともとブルマーのほうが好きで、ビキニは露出しすぎがと思うけれども、お尻に関係しているから書く。
ところで前回の競泳水着の記事はあまり伸びなかった。ふんどしまで扱ったのがマニアック過ぎたのか?
1895年にウィリアム・G・モーガンが始めたバレーボールの派生競技である、とされているが、他にも説がある。1920年代のカリフォルニア起源説、1915年のハワイ説がある。
プレイする人数も変遷があったようだ。草創期には6人制でであったが、1930年には現在と同じ、ダブルスで競技した記録が残っている。もちろん、当時の女性の水着は、まだおとなしいものだ。
その後、この競技にはセクシーなイメージがまとわりついてしまう。たとえば、1927年にはフランスのヌーディストビーチにおけるレクリエーションとして親しまれた。ヌーディズムは元来、性の解放というよりは身体の解放に近いのだが、部外者からするとそういうイメージを持ってしまう。また、1950年代米国では美人コンテストやテレビ番組とタイアップしたショーの一部として、ビーチバレーがマスメディアの注目を集めたそうだが、このあたり、少々露骨である。
その後の紆余曲折を経て、ビーチバレーがオリンピックの正式な競技になったのは、1996年のアトランタ以来である。意外と遅い。
さて、英語版のウィキペディアによれば、国際バレーボール連盟が1999年にユニフォームを標準化したとき、女性の衣装は2ピースのビキニであることが求められた。一方の男性の水着は膝までのショーツで、これは一部の選手の間で強い憤りを生んだ、と書かれている。もう一度書こう。女性選手は、ビキニを着ることを強制されたのである。
しかも、次の記事によれば、2012年以前は幅7cm以内のビキニを着ろ、とされていたそうである。いくらなんでも小さすぎる。ブクマにより修正。2012時点では幅7cm以内のビキニか、ワンピース型の水着。ただし、ワンピース型でもハイレグで露出度は高い。僕はセクシーなものは大好きだが、こういうのを強制するのはおかしい。
https://www.stuff.co.nz/sport/olympics/82926043/evolution-of-womens-beach-volleyball-uniforms
上の記事にあるように、幸いなことに、この規定は2012年に改訂された。これには、文化的・宗教的な理由から、肌の露出を好まない選手も参加できるようにするため、という理由もあったし、天候に合わせるため、というのもある。図版で示されているのは、再度の改定である2016年のものであるが、女性も男性も、肌を見せたくなければそうしない自由を得た。当たり前のことのはずだが、普及が遅れた理由はよくわからない。どこかでビーチバレーにセクシーなイメージがついてしまったのか、日本のショーツ型ブルマーのように、とりあえず前の世代から受けついだしこれでいいか、みたいな幾分怠惰な姿勢があったのか、そこはわからない。
https://www.insider.com/why-do-women-beach-volleyball-players-wear-bikinis-olympics-2016-8
この記事の冒頭では「女子のビーチバレーはとても注目されているが、不幸なことにそれは選手が何を着ているかであり、彼女たちの腕前についてではない」と記載されている。その通りである。こんな記事を書いている僕がいるくらいだ。
しかし、責められるべきは僕だけではなく、カメラもそうである。ウィキペディア英語版によれば「2004年の夏季オリンピックにおいて、カメラアングルに関しての調査がなされた。20%は胸部に、17%は臀部に争点を合わせていた。研究は、これは選手の見た目が実際の身体能力よりも注目されていることを暗に示している、と結論付けている」そうだ。
確かに、性的な面も含めて、運動している人間は美しいと思う。けれども、そういう姿を期待されるのはおかしいし、ましてや強制されているのは筋違いだ。何を着ようが基本的に選手の勝手だし、それをきれいだと思うのはこちらの自由だ。
美を競う競技に関してはまた別の論点が出てくるし、美と性愛に関しても一言でまとめるのは難しい。ただ、外野の過度な期待に対して、選手がノーと言える環境、そしてそれが炎上したときに選手を守り、サポートする人物や団体が必要ではなかろうか。
Kerri Walsh Jennings選手の声を、一部試訳する(インタビュー当時37歳)。
「ビーチバレーでは、華氏100度(摂氏37.8度)で運動しないといけません。私たちは本気でやっていて、セクシーさをアピールしているのではないのだと、公衆に知ってもらわないといけません」
「御覧の通り、私は女性です。私は鏡を見るときに、自分を厳しく評価してしまいます。けれども、私はスポーツをするときと身体を動かしているときだけは、私たちの精神に対して肯定的になれるのです」
(訳がこなれていなくて失礼)
スポーツのみならず、舞踏・広告などの表現における見せパンやブルマーについて、引き続き調査したい。
他人に迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリアの混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所が日本にないのは残念だ。何も混浴にしろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。
さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである。
以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。
有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性の壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマのビキニには漫画「テルマエ・ロマエ」からも言及があった)。つまり、絵画の水浴図で誰もが全裸なのは、西洋の画家の猥褻な妄想ではない。
水着の歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場で女性がガウン上のものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫のシャーロック・ホームズ「ライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物は全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性に悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。
ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝の反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代のビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外の観光案内に、トップレスの女性の写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツ・オーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。
また、一部のスポーツ施設では、男性が全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本のCFNM系エロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きである(リンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。
なお、女性の水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に、生理時の衛生管理の問題もあったそうである。
ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較的最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴の歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年に自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉がイギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。
この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国が世界をリードする国家的運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランドの英文学史の本にも載っている。
海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である。
https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear
上記の記事によれば、女性がオリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年のストックホルムでのこと。競泳水着の歴史は、ここから語られるべきだろう。
初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太ももの露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである。
ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。
1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性の水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着の流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんのハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。
そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードのボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。
つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどしの一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房の露出があるのでリンクは控える)。エッチなマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。
https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/
https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg
これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である。江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。
昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物をしまうことで、取りすぎることを防ぐそうである。
http://www.chie-project.jp/001/no15.html
たぶん、女性のふんどしの使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか。団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SMは不勉強なもので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。
考えてみれば、自分はふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。
初めてスケートリンクに遊びに行ったとき、普通にスケート教室がリンクの中央で開催していた。そこで自分と同世代の女の子たちが、きれいに足を上げて滑っていたのだけれども、いつものようなパンチラとは違って普通にお尻の曲線をずっと眺めていることができてしまって、僕は滑るどころではなかった。
性に目覚めたころ、こんな目で女の子を見ちゃいけないと思ってはいたのに、自分ではどうしようもないほど強力な衝動に襲われていて、自分が自分でなくなってしまいそうで本当に怖かったし、初めての射精のときも呆然として、それから怖くなって涙が出てきた。男性だって、性の目覚めってのは怖いものだということは、広く知られていい。今となっては、とてつもなく図太くなってしまったが。
ところで、フィギュアスケートだ。その名の通り、元々は氷上に図形を描くスポーツであったのだが、その優美さと技を競うものになっている。氷の上を滑る技術そのものは非常に古く、スケート靴も先史時代にさかのぼるという。
で、そのスケートが競技になって以来、女性たちはどうやってパンツが見えることを防いできたのか。今のようなレオタード以前はどうであったのか。調べてみると驚きの結果が出た。なんと、戦前にさかのぼる見せパンが発見された。以下はその資料である。
1928年、ドイツのEllen Brockhöftによる滑走。
https://www.liveabout.com/illustrated-history-of-figure-skating-clothes-1283059
1948年、Barbara Ann Scottのクラシックなスケートスカート。ミニスカートになっているのは、戦時中の繊維不足のためだと書いてある。にわかには信じがたいが、これ以来スケートのスカートが極端に短くなったのだという。
また、同資料では、スカートがどのようなフリル付きレオタードに移っていったかの写真が掲載されている。
こちらの資料でも、繊維の不足がミニスカート化を加速させたと書いている。
同じくBarbara Ann Scott、1948年のオリンピックである。
同じく1948年、アメリカのGretchen Merrill。興味深いのがベルトを身に着けていることだ。当時ではフィギュアスケートのアクセサリーとして使用されていたが、60年代から70年代のワンピース型の衣装の普及とともに廃れたとのこと。しかし、ベルトを着けていると、なんだかますます見てはいけないもの(パンツ)を見ている気がする。
ちなみに、プロの選手が練習時に着用する、真っ黒な長袖長ズボンみたいなの実は好き。とはいえ、ジーンズにワイシャツのかわいい女性が好きというのと同じで、元々かわいくないと似合わないんだよ、とツッコミを入れられてしまいそうな話ではある。
スポーツジムで、体操の選手のレオタードを中継しているのをみたことがあるのだが、なんだかエッチな気持ちになるのが申し訳ないくらい、辛そうだった。手足は傷だらけだし、表情は真剣そのものだ。それでも、魅力的に感じてしまうことに、我ながら困惑する。おそらく、頭の中で「好き」「かっこいい」「エッチ」の感情を処理するユニットが近いので、混線しているのだと思う。
言い訳はさておき。以前にも書いたが、レオタードは元来レオタールという男性曲芸師が全身にフィットした衣装を身に着けていたことに由来する。もともと男性のものだったのだ。しかし、その機能性が注目され、女性のものとして利用されるようになった。
とはいえ、当時のことだからいきなり今のようなハイレグ水着みたいな形になったわけではない。当然、紆余曲折があった。
http://www.olympicleotards.com/leotard-history/
上記の資料によれば、1908年代に女性向けレオタードと称していたのはドレス状のものである。初期の女性の水着がドレスみたいで、体型を一切見せないものだったのにも似ている。
1948年に今のような形になっているが、ハイレグではない。せいぜい提灯ブルマー程度しか足を見せない。
今のようなハイレグとなったのは、60年代以降だ。1976年、ナディア・コマネチはビートたけしのギャグでも知られているが、ここまでくると広くハイレグが使われていたようだ。
おそらく女子バレーでブルマーが使われだしたのはこのころだし、これが日本でのショーツ型ブルマー導入の遠因になっている気がする。
https://www.elle.com/fashion/a37371/evolution-of-gymnastics-leotard/
それ以降、基本的にレオタードはハイレグだが、時代によって模様にもはやりすたりがある。概略を示すと、無地→愛国的デザイン→キラキラした素材、といった具合になるようだ、使用されている繊維の質も違う。
なんとなくブルマーの本場というか総本山のイメージが女子陸上や、女子マラソンにはある。とはいえ、選手によっては普通の短パンだし、中には宗教上の理由から全身を覆う例もある。普通にかわいいと思うし、よく似合うと思う。イスラーム世界はおしゃれとは無縁だと勝手に思っている人もいるらしいけれども、ヒジャブだとかチャドルだとかはいろんな色や巻き方があるし、僕らには見えないけどもその下はきれいにお化粧している。いろんなファッションでスポーツをやる人がいてしかるべきだし、それを決めるのは選手だろう。
で、話を女子陸上に戻すけれども、ここで特筆すべきなのはへそ出しというか、もうほとんどビキニみたいな恰好の選手。腹筋がめちゃくちゃかっこよくて、おかげで腹筋萌えにまで目覚めてしまったのだけれども、昔はそんな恰好をする選手はいなかった。
https://www.elle.com.au/news/summer-olympics-fashion-history-9896
こういう写真の資料をみていると、セパレート化の流れは90年代にはじまり、それがだんだん過激になって軽いへそ出しからただのスポブラになって行ったんじゃないかと思われる。
ちなみに、これはテニスだがスポブラと短パン姿だ。https://www.pinterest.jp/pin/494833077788864848/
また、ブルマーらしく裾が短くなっていくのは、やはり40年代から見られる。
ところで、以前リンクを貼ったバレーボールの記事について調べると、ブルマーの別名として「bun huggers」というのもあるらしい。英語のをウィキペディアの「shorts」の項目にも載っていた(数か月前はここまで細かく書いていなかったのに)。また、ほとんどショーツ型のbun huggersが2000年代中盤から、ショートパンツ型の「boy shorts」に置き換わった、とある。やはり、いろいろな揺り戻しがあるのだろう。現に、バレーボールでショーツ型ブルマーが導入されてからも、90年代以降に(?)使用が中断された。また時間があるときに、これらの用語からも陸上ブルマーの歴史について再検討したい。
しかし、英語で調べたのだが、残念ながら陸上ブルマーの単体の歴史変遷についてまとめている記事は見たらなかった。オリンピックの選手は大まかにこんな服装でした、という写真を並べただけで、細かい情報はあまり載っていない。上記の記事はいちおう公的なメディアなのでそういう扱いはよろしくないとされるのだろうが、調べている個人が見当たらないのは不思議である。探し方がまずいのかもしれないので、「bun huggers」などの用語で再検索するかもしれない。
鬼退治アニメ人気で同じ歌の同じサビを一方的にしょっちゅう聞かされてうちで踊ろう現象のように飽きまくったんだけど
あの人にしても一時活動休止してて復活した名前がカタカナの人も「人気女性アニソンシンガー」と呼ばれる人が歌ってる映像を見るとだいたいキンキン高音なのは何故なのか
・オーディションの段階で決定権のある偉い人がキンキン高音好き
とか?
昔で言うと必殺技を出すのにめちゃくちゃ長い詠唱があったハイレグ女戦士主人公ラノベ原作アニメの主題歌を歌ってた人気女性声優と当時の人気女性アニソンシンガーもキンキン高音だったけど
今は本当に区別がつかない上に耳がキンキン高音に耐えられなくなってきた
歳を取ったものだ
人間誰でも怖いものってぇものがあるもんなんですが、それは何故かってえと、中学時代にオナニーするだろう?その時に出会った恐ろしい上級性癖が そいつの怖いものになっちまうもんなんだ。
三吉「お前が家庭生活や学校生活でえられなかった性癖よ。それで、八ちゃんは何が怖えぇ?」
三吉「じゃ、お前ぇが昔、両親がやってたボテばら殴りセックスをたまたまのぞいちまった記憶。あるいは偽の記憶がコエェんだよ。半ちゃんは何が怖えぇ?」
半介「俺はスカトロだ。 糞はけつ穴をほじくるってぇと出てきやがって、くせぇしでかいし、テラテラ光る表面を見るだけで怖気がとまらねぇ。俺はスカトロとスカトロ好きな神絵師が大嫌えだ。三ちゃんは何が怖えぇ?」
三吉「俺かい。俺はふたなりがいやだ。 女にあんなデカイチンコがあったらどうしよう? ふたなり同人を読んでも何役の誰に感情移入したらいいかわからねぇ。ふたなり射精狂い女騎士にだけはなりたくねぇ。ところで、正ちゃん、お前さっきから黙っているけど、お前ぇの怖いものはなんだい?」
正一「怖い性癖?そんなものはこの俺様にはあるわけねぇーだろ?ガハハッ!俺様はなぁ、オタクの頂点ってぇくれぇのものだ。同人界の中で一番偉ぇんだ。その買い専様に怖いものがあってたまるかい。俺には怖いものも嫌いなものも断じて無ぇ。」
三吉「しゃくにさわる野郎だねぇ、嫌いなものがひとつも無ぇなんてよぉ。 何かあるだろうよ!! たとえばBOREなんかどうだい?」
正一「嘔吐系?吐瀉物なんかシコシコだね!吐瀉女なんか、あとで俺が全部ズーッ!ズズーってすすってやんだ!小五ロリが宿泊研修のバスではいたエマージェンシー袋なんて大好物だね!」
三吉「じゃ、ハイレグとか、石造なんかどうだい?」
正一「ハイレグ洗脳?石像化?あんなもの俺は時間停止ものにして食っちゃうんだ。寝取られなんかも人妻浮気ものに客体化してくっちまうんだ!母親寝取られなんていいね〰︎!うちの婆さんがヒイヒイ言ってるの想像すると勃っちまうよ!」
三吉「本当に癪にさわるやつだな。じゃ、いいよ、ドラゴンカーセックスやなんかじゃなくてもいいから嫌いなものは無いかい?」
正一「そうかい、それまで聞いてくれるかい? それなら言うよ。俺はねぇ、巨パイが怖いんだ!!」
三吉「なに、巨パイ??巨パイってデカパイとか巨乳っていわれてるやつかい。業界で一番売れてる巨乳かい??」
正一「そうなんだ、俺は本当はねぇ、情けねぇ人間なんだ。みんなが好きな巨パイがこわくて、見ただけで心の臓が震えだすんだよ。そのままいるときっと死んでしまうと思うんだ。だから、街で巨パイの前を通るときなんど足がすくんでしまって歩けなくなるから、どんなに遠回りでもそこを避けて歩いているんだよ。江戸は近頃馬鹿に巨パイ・デカパイが増えたので、俺は困っているんだ。ああ、こうやって巨パイのことを思い出したら、もうだめだ、立っていられねぇ。そこへ寝かしておくれよ。」
(八五郎、三吉と半介の三人は、正一が寝ている間に茶屋のデカパイ小町を呼んできてそれを枕元に置いて、正一が起きたらそれを見て恐怖のあまり死んでしまうようにしようと衆議一決。)
「「かまうもんか、あの野郎が死んだって、殺したのはデカパイであって俺たちじゃねぇ」」
三吉「おい、奥でごそごそいい出したぜ。野郎起きたんじゃねぇかい。障子に穴を開けてそっと見てみようじゃねえかい」
八五郎「おい、大変だ!! 野郎泣きながら、巨パイをちうちうすってやがるぜ!デカパイが怖いってのは嘘じゃぁないかい!!?」
(障子を開けて)
「「おい、正ちゃんよぉ!! お前、俺たちに饅頭が怖いって嘘をついたなぁ。太てぇ野郎だ。本当は何が怖いんだい???」」
正一「ごめんごめん、いま巨パイがまぶたに当たってに苦しいんだ。本当は、俺は「巨パイとのゴムなし本気セックス」が怖えぇんだ」
以上。
昨年末にブリーフが破れて、しばらくはトランクスも穿いてみたけど
なかなかふんどしする気が起きなくてダラダラしてたら、年度末で仕事忙しくなってきちゃって。
そうこうしているうちにコロナに。
「はやくふんどしほしいよね〜」
とか言っていたんだけど、はっきり言うと既にその時には私は
一人!超!エンジョイ!勢になっていた。
スキャンティーやショーツやハイレグやローライズ、幅広くパンティーだった。
でも就職したら残業が月100時間とかになってパンティーを被れなくなった。
やっと仕事に余裕が出てきたころに、ブリーフができたので全振りしてしまった。
そんな私が約5年ぶりにパンティーに出戻る。
休日、以前はブリーフからのLINEが気になりすぎて狂ってスマホの電源落としたりしていたのに、
ツイッターもはじめた。
絵も描くパンティーなので、買ってから放置していたiPadも引っ張り出してずっと絵を描いている。
楽しすぎて、自粛ムードが薄れてきた6月、徐々に友達から遊びの予定が入ってくる。
行きたくない。ずっと駅でパンティー見たい。絵描きたい。同人誌読みたい。
でも断るのが苦手なのでフラフラ外に出ては、終わったら即帰ってパンティーを見ている。
(ブリーフ依存だった時、家に帰るのが寂しすぎて友達のブリーフをせがんだりしていたのに・・・)
こないだ久々に実家に帰ると、親から「●●ちゃんがふんどし穿いたって」という報告を×10000回聞いた。
ごめん・・・昨年末までの私ならあと2~3年でふんどし穿ける人間だったと思う(言い過ぎ)けど、
休みの日に朝起きて、「あ〜〜〜何しよっかな今日」と自分の一存でなにもかも決められる気楽さが手放せそうにない。
これはオタクに出戻って楽しいからっていう、ブリーフとはまた別の依存なんだろう。わかってる。
わかってんだけど、これより楽しいことが現時点で見つからない。
パンティーであることのデメリットや、するべき覚悟もいっぱいあると思う・・・から・・・
ひとまず職場に提出した今年度の目標に、出世意欲バチバチにした内容を書いた。
今まで「いやどうせいつか辞めるよ・・・」って思って消極的な目標出してたけど、