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名作駄作問題作など問わず、なんとなくみんなに見てほしいものを挙げていく。
この映画の話で盛り上がりたいって感じのノリで。
TVシリーズの劇場版とかもあるので単体で見て面白いかとかもあまり気にしてないので御承知を。
寝たきり老人・高沢喜十郎はある日突然最新型介護ロボット「Z-001号機」のモニターに選ばれ、ボランティアで介護を行っていた看護学校生の晴子はお役御免となるが、介護ロボットに全てを世話される喜十郎をかわいそうに思い、彼の救出を決意する。ところが介護ロボットが暴走をし始めて……。
という高齢化社会を痛烈に批判したSF作品……かと思いきや、作品自体は完全なるコメディで、見ていて超楽しい。
大友克洋がメカニックデザイン、江口寿史がキャラクターデザインという豪華なコンビで、作画的にも沖浦啓之、今敏、黄瀬和哉、井上俊之、鶴巻和哉、本田雄、森本晃司、大友克洋、中澤一登、松本憲生……と挙げきれないほど有名なアニメーターが参加していて、クレジットだけで作画オタクはご飯3杯は余裕である。
江口寿史によるキャラクターがとてもよく、まず主人公の晴子がめちゃくちゃかわいい。そして元気な老人たちの存在感、さらには晴子の友達の絶妙なブサイクさ。
80分という時間も絶妙で、気軽に見てほしい。社会問題を扱いながらも妙に心が温まる不思議な作品。
いわずと知れた夭折の天才・今敏監督作品。彼の監督したアニメ映画は4つしかなく、1日あれば容易くファンを名乗れるのですぐツタヤで借りてファンになりましょう。
彼の映画はどれもが90分前後という上映時間でありながら、非常に濃い。
その中でも東京ゴッドファーザーズは視聴後の多幸感にかけてはピカイチで、一番エンターテインメントとしてわかりやすい作品と言えるかもしれない。
次々と転がり込む御都合主義のような幸運。これが気持ちいいのだ。
メインキャストを務める江守徹、梅垣義明、岡本綾といったメンツも、非常にいい仕事をしている。
近年では四畳半神話大系やピンポンなどの監督で有名な湯浅政明の初監督作品。初監督でありながら、文化庁メディア芸術祭でハウルの動く城、イノセンス、スチームボーイをおさえて大賞を手にした。
何よりすごいのは映像で、イマジネーションに溢れたその映像はどんな言葉よりも説得力がある。
後に著作・四畳半神話大系が湯浅監督によってアニメ化されることになる森見登美彦氏も、「迫力でちょっと怖がった」そうである。
最初はその独特な世界に戸惑うかもしれないが、終盤の脱出シーンを見ればもはや何も文句は言えまい。
説明不要のうる星やつら劇場版。押井守監督の最高傑作として名前が挙がることも多い。
映画としての評価は大変に高いが、これがうる星やつらなのかといわれると、別の何かなのかもしれないという感じがしてくる。
お祭りのわちゃわちゃの中に、不意に違和感を感じさせるものが入ってきて異世界に入り込んでしまったようになる。そういう描写がたまらなく好きである。
意味がなさそうでありそうな、哲学的な長セリフも本作の特徴で、言葉にできない不思議な魅力が詰まっている。
宮崎吾朗の才能を信じてもいいかもしれない、と感じさせてくれた一作。ジブリファンも本人もどうしても宮崎駿の影を追ってしまわざるを得ない環境の中、よくこれを作った。
そもそも脚本に宮崎駿が参加しているし、プロデューサーも鈴木敏夫だし、どう考えても往年のジブリ作品の系統として作られたのは間違いない。
おそらくは宮崎吾朗が制作を完全に仕切っていたわけではないのだろう。しかし、映画の端々には宮崎吾朗の味が感じ取れる気がするのでこの映画は何かすごい好きである。
カルチェラタンの描写には明らかに押井守の影響が感じ取れるしね。
『ローニャ』国際エミー賞子どもアニメーション部門受賞おめでとうございます。
眉村卓の小説『ねらわれた学園』を原作としたほぼオリジナルのアニメ。
原作のSFっぽい感じは薄まっているが、逆に薄めたことでSF的な部分がわかりにくくなった。
『あいうら』『灰と幻想のグリムガル』でおなじみの監督:中村亮介、キャラデザ:細居美恵子のコンビと言えば映像目的だけで見たくなる人もいるだろう。
ふとももに注目せよ。まずはそれだけでいい。
健康的なフェティシズムに溢れたキャラクターと美麗な映像を堪能あれ。
ポニーキャニオンが開催したアニメ化大賞という賞で大賞を受賞した『D.backup』を原案にしたオリジナルアニメ。
原案の拡張性ある世界観と、(おそらくは)予算的にギリギリだった1時間という枠と、とにかくキャラクターのかわいさを押し出したいポニーキャニオンと、映像の美しさを追求したい石浜真史監督とが相乗効果を生んだような生んでいないような作品。
序盤はありがちな魔法少女的なSF作品かと思うかもしれないが、終盤には急展開が続き、頭が追いつかない。
それもそのはず、脚本の志茂文彦によれば、映画の後半部分はほとんどコンテ段階で監督が構成したものらしいのだ。
序盤の丁寧な世界観説明と比べて、終盤がややこしいのは、監督がセリフに落とさず映像に込めた部分が多かったからなのである。
さらに、後のトークイベントでは、コンテにすら描かれず、スタッフにしか伝えられていない裏設定が大量にあることが明かされ、「偏差値70のアニメ」との烙印が押された。
監督:舛成孝二、脚本:倉田英之、キャラデザ:石浜真史という『R・O・D』トリオで制作された劇場アニメ。
舛成・倉田は『かみちゅ!』というTVアニメを手掛けていて、劇場公開に合わせてNHKBSでかみちゅ!が再放送されたりBDが発売されたりした。
黒沢ともよの声優デビュー作品でもある。当時はまだ子役であった。
夏休みの子供向け映画といった趣であったが、子供に136分は明らかに長すぎる。ある程度のアニメファンならばこの尺は耐えられるし、楽しめるだろうと思われる。
作画がぶっ飛び過ぎていて、作画的にはスペースダンディ劇場版とでもいうべきレベルである。
そして、主人公の少女の健康的なエロさがなんとなくにじみ出ていて、制作者はロリコンなのか?という疑惑が湧いてこないこともない。
海外の映画祭に出品されたりして、結構アニプレックスが期待していたのが窺えるが、やはりなかなか商業的には上手くいかなかったようだ。
上映時間の長さや、超新星爆発についての描写などの細かい部分を除けば、十分に面白い作品であるといえる。
3時間弱。長い。が、しかし、エンドレスエイトを経験したファンの不安を一掃するほどの高クオリティでアニメ化された作品である。
それまでの京アニの集大成といってもいい。内容については特に言うことはない。
けいおん!で注目された山田尚子監督によるオリジナルTVアニメ『たまこまーけっと』の劇場版。
『たまこまーけっと』ではいまいちヒットせず微妙な評価に留まっていたが、これが公開されるとたちまち好評となり、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門では新人賞を受賞した。
TVシリーズは、舞台となる「うさぎ山商店街」の絶妙で温かな空気感を楽しむ作品であったが、本作ではわかりやすくラブストーリーにしたことで、デートムービーとしても見られる非常に間口の広い作品となった。
どちらの方が良かったとかではなく、単なる魅力の伝わりやすさの違いである。
とはいえ『たまこラブストーリー』は卓越した作品であり、山田尚子の代表作として語り継がれるのは間違いないと思われる。
『イヴの時間』などで知られる吉浦康裕監督作品。彼の作品の特徴は何といっても「発想」にあると思う。
独特の間も特徴ではあるが、基本的に彼の作品はある「ギミック」が作品の根本となっていることが多い。
なので、下手に前情報を入れて見に行くよりは、何も知らずに見て新鮮な驚きを感じた方が良い。
この作品もあるギミックが重要なのでそこを面白いと思うかどうか、そこが評価の分かれ目である。
つい先日無期限の休養を発表したヤマカンこと山本寛監督の、いわずと知れたアイドルアニメである。
彼についての悪評やバッシングは絶えないが、個人的には彼の作品は好きである。
この『Wake Up, Girls!』というシリーズは、まずTVシリーズの前日譚として『七人のアイドル』という中編映画があり、続いてTVシリーズ全12話、そして続劇場版の中編2作といった流れである。
TVシリーズ放映時は緊迫したスケジュールによる作画の乱れで物議を醸したが(BDでは修正された)、続劇場版(特に前篇)では非常によく動く。
このまま彼がアニメ制作の現場に戻らないとすれば本作が彼の遺作となってしまうが、遺作の呼び名に恥じない出来の作品であるということは声高に主張したい。
「ハイパーリンク」と称してキャラクターの中の人のパーソナリティや実際の出来事を反映する手法の効果は、続劇場版で見事に結実した。
アニメの創作性と現実の偶然性が合わさってとても気持ちの良いサクセスストーリーになっているのだ。
後篇の『Beyond the Bottom』は田中秀和による同名の主題歌も相まって、非常に神々しい輝きを放っている。
神前暁も「これを超える曲をこの先作るのは大変」と太鼓判を打った。
アニメ界の王子、イクニこと幾原邦彦が初めて監督を務めた劇場作品である。
この時点から彼の演劇的な作品づくりの手法は発揮されている。
庵野秀明は映画館で本作を3度も観たらしく、緒方恵美が演じた衛の少年時代の声を聴いて『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ役に抜擢したというのは有名な話である。
TVシリーズの再構成ではなく、全く新しい解釈で制作されたオリジナル作品。
作画的な制約もあったTVシリーズと比べ、かなり大胆に脚色され、より過激となった映像美はまさに唯一無二。
突き抜けすぎて、終盤の車のところでは何が何だか分からなくなってポカンとしてしまう人も少なくないという。
「王子」こと及川光博がゲスト声優として出演しているのもポイント。
『京騒戯画』『血界戦線』などで知られる東映アニメーション出身の気鋭の演出家・松本理恵の監督デビュー作品。当時25歳。
『ハトプリ』はプリキュアシリーズでも人気の高い作品のひとつだが、この劇場版も非常に人気が高い。
パリを舞台にしていて、OPでのスタッフクレジットが背景に溶け込んでいる演出の時点で何かが違うぞと感じさせる。
メインキャラクターのTVシリーズでの成長・感情の変化をきちんと物語に取り入れつつ、本作オリジナルキャラクターであるオリヴィエとサラマンダー伯爵の切ない関係を描き、多くの視聴者の胸を打った。
『劇場版アイカツ!』でなくてなぜこれを挙げるのか、疑問にお思いだろう。
というのも、私は熱心な『アイカツ!』フリークで、アイカツ!を見始めたのなら劇場版アイカツ!を見るのはもはや自然な流れで、あえて挙げることではないという認識でいるからだ。
ということで、あえてアイカツ!を見る入り口として薦めるのであれば、CGステージをかき集めたこれが良いだろうと思い、挙げた次第である。
アイカツ!の楽曲のジャンルの幅広さ、CGステージでの綿密に練られたカメラワーク、そしてアイカツ!という作品世界の持つ空気感を少しでも感じてくれれば後は言うことはない。
少女向けアニメの最高傑作との呼び声も高い『カードキャプターさくら』、その集大成となる第2弾劇場作品。
ラストシーンでは年齢性別問わず多くのお友達をキュン死させ、多くの大きなお友達はそのままゾンビとなった。
ポケモンの映画といえばミュウツーの逆襲だったり水の都の護神を挙げる人が多いが、私はこの作品を挙げる。
70分という短さに詰め込まれた「家族愛」というテーマは、子供よりもむしろ親の方に深く響いたことだろう。
当時劇場で見てリザードンに興奮した子供たちも、今改めてみればまた別の感動を味わうに違いないはず。
テレビアニメ『楽しいムーミン一家』の劇場版であるが、本作はテレビアニメの前日譚となるエピソードの映画化である。
『楽しいムーミン一家』はもっと語られていい傑作アニメであり、本作ももっと多くの人に知られて欲しい。(旧ムーミンのファンには申し訳ないが……)
子安武人演じるスナフキンによるシュールな悪口が聴けるのもこの作品。
いわずと知れた名作『ルパン三世 カリオストロの城』と同じ1979年に公開されたアニメ映画である。
実はこの年の邦画の配給収入で1位を獲得している。
70年代を生きたアニメファンにとっては有名も有名だが、今では知名度はカリオストロよりも低くなってしまっていて、金曜ロードショー恐るべしといった感じである。
エンディングに流れるゴダイゴのあの有名な主題歌を聴いた時、あなたはきっと涙を流しているはず。
90分弱に詰め込まれた圧倒的な熱量!THE出崎統!
世界はもっと出崎統を評価せよ。
BD・DVDがプレミア化し、配信・レンタルでも見られなかった傑作が、ようやく今年BDの再発売によって見やすくなった。
7月22日発売です。
最初にWUG見た時は妙に悪趣味な演出があるなぁなんて思ったものだけれど、見続けていくととんでもなく真っ直ぐな作品であることがわかって、今ではすっかり好きな作品になっている。
で、その「悪趣味な演出」ってのは、ほとんど序盤だけの話で、不思議なことに話が進んでいくごとにどんどんそういうのが減っていって、続・劇場版にまで来るともはや神々しいまでの輝きを放つ作品になっている。
監督のいう「ハイパーリンク」によるものなのだろうか、WUGという魅力的な人間たちに引っ張られてそういう作品になっていったということか。
ある意味ではWUGに最も救われているのは監督なのかもしれない。あるいは辛矢凡氏か。フラクタルあたりから抱え込んでしまったものがどんどん和らいできているような。
まあそんなことを考えながら、序盤に自分の感じた「悪趣味な演出」についてあれこれ考えていた。
WUGの劇場版第一作だったり、TVシリーズ第2話だったりは、言ってみれば「下品」な演出がところどころにある。
ラブホだとか、処女だとか、パンチラだとか、いかがわしい営業だとか。
でもまあ、完全にWUGファンとなった今になってあれこれ考えてみれば、そういう演出もいろいろ意図があったように感じられるようになるものである。
これはいったいどういう目的でやったんだ、と長いこと疑問に思っていたんだが、最近になって自分なりに納得する答えに辿りつくことができた。
これは「小さな少女の第一歩目の決心」とその裏にある「未熟な少女の愚かな危うさ」を表現したのではないか。
WUGが七人そろって初めてステージに立つまでを描いたのが「七人のアイドル」で、つまりはスタートラインに立つまでの話である。
そんな映画のクライマックスにおいて「初ステージ」が気合の入ったダンス作画で描かれる一方で、なぜかパンチラまでもがきっちり描かれており、見た人の多くは困惑したことだろう。
でも、それでいいのかもしれない。
「彼女らの初ステージ!素晴らしい!ここから物語が始まっていくんだね!」というシンプルな感動を狙っても良かったのだろうが、この時の監督はそういったシンプルな描き方をしなかった。
その裏にある危うい面を描きたかった。これは第2話の営業にも繋がっていくことで、少女が覚悟を持って前へ進むことをただ美しいものとして描かなかった。
「思い切って飛び込んでみること」や「あきらめずに続けること」は必ずしも良い結果につながるものではないのだと。
初ステージのパンチラライブは、最終的にはWUGというアイドルユニットの伝説的な第一歩目ということになるのだが、その一方でどうしようもないところまで堕ちていってしまうきっかけにもなりえた。
その一つの可能性として現れたのがゴロツキプロデューサーの須藤だったりするわけだ。
彼女たちがそこでもし間違った決心をし続けていったら、最終的にどうなっていただろう。
だからこそ、そこで一歩踏み出すということは称賛されるべきものでもあるし、危険なことでもある。
島田真夢がI-1clubでしてしまったひとつの決心も、そういった2つの側面を持っている。
それを証明したのは、迷いながらも道を歩み続けた彼女たち自身である。
ある朝、っていうか今日起きて唐突に気づいた。天啓のごとく降ってきた。
年をとるからだ。
ブログ記事は基本的に長い。ルナールの蛇よりも長い。140字に慣れた人々には長すぎる。読むのは疲れる。
でも若くて時間がありあまった人たちは頑張って読んで、理解し、時には論破しようとする。ソーシャルネットの運動とはまさに長文の応酬であったはずだ。かつてのはてなもそうだった。村と呼ばれていた場所ではそうだった。村民たちは若く、暇で、知的な欲望に溢れていた。
だが、2014年現在のブログの記事は長すぎる。だが、2014年現在のブクマカたちは年を取り過ぎた。
年をとるとどうなるか。肉体が衰える、気力が萎える、自分たちを高く見積もりすぎる。
眼筋、視覚の衰えは今更説くまでもないだろう。年をとるとめっちゃすごい勢いでリーディングがめんどくさくなる。三分画面に目を向けるだけで眠たくなる。肉体的な疲れは精神的な疲れに直結する。アホなのに熱意だけは人一倍な新入社員が気合入れて作成した10ptゴシック体一万文字(推定)のプレゼン死霊をワードに出力した途端、椅子と一緒にこんなアホを俺に押し付けた上司のハゲを蹴って金を横領した宮沢りえのごとく逃げ出したくなるのは、俺だけではないはずだ。
そして何より自己評価の問題。少年たちは人は年をとるごとに知識を蓄積し、賢くなるものと思い込む。大人とはそれを間違いと認めるようなった人々だと言われるが、実は嘘で、大人たちとは自分たちはもう充分に賢くなったのでこれ以上学ぶ必要も変わる必要もなくなったと思い込む人々のことだ。
だから、目の前にある記事に新鮮味など感じないし、ましてや自分の予想を越える斬新な知見を提示してくれるとも考えない。そして、ちょっと目先を変えただけの釣りタイトルに釣られまくる。罵倒しまくる。なぜなら世の中は俺をイライラさせることしか能のないバカで溢れており、俺にはそいつらを第一印象だけで罵倒する権利があるからだ。
2000文字の本文に俺の人生を変えうる何かがあるとしても、関係ないし、読まないし、読みたくない。大人は自分の半径一クリック以内の現実に汲々とするだけで精一杯なんだ。大人とはハイパーリンク文化から、wwwの崇高な理念から見放される人々のことだ。
人間は誰しも年をとる。つまり、誰しもがろくに記事を読まずに知ったようなクソコメを打つ、クソおっさんブクマカになる可能性がある。
許してあげてほしい。あなたが精魂込めて練り上げた渾身の長文を、二秒であなたの存在ごと否定してきたとしても。
許してあげてほしい。わざわざidコール飛ばしてまで誤読を教えてやったというのにあのおっさんときたら無視しやがるんだとしても。
そういう大人たちを責めないでやってほしい。
彼らは年をとったのだ。
あなたも年をとるのだ。
今日はヤマグチノボルさんの命日なので、ああノボルさんご存命なりせば艦これでもやって金剛デース金剛デースと騒いでたんだろうなあと思い、故人を偲ぶよすがに「片桐彩子日記」を検索したところ、下記のページがヒットした。
http://hexagon2000.web44.net/category5/
著作権者でもなんでもない外野がどうこう言う筋合いじゃないんだけどさ、サイトのデザインを保持せずテキストのみを抽出し、もとの日記にあった文中のハイパーリンクをオミットしてるから、剽窃だよねこれ。更新の日付が2013/07/01ってなってる(http://hexagon2000.web44.net/)から、ノボルさんが亡くなったあとに作られたのか。そんでページの一番下にCopyright (C) 2013 hexagon2000 All Rights Reserved.ってあるけど一体どういうことなの。
「Excelで楽にできてるんだから簡単なこと」って認識がそもそもの間違いなんだよな。
フィルターとか超使ってるし、タブをドンドン増やしてハイパーリンクでつないで元データから引っ張ってきて計算して表組みを作成するとかいつもやってるような作業が新システムだと厳しい(=できないor莫大な時間と金がかかる)らしい・・。
その通りだよ。
フィルターとかタブとかハイパーリンク使って計算して表組み作って、なんてのを全部まとめて、しかもそれを簡単と感じさせるような驚異的なシステムを作るには、莫大な時間と金がかかるの。
それがどのくらいの規模かといえば、現在それを商品として実現できているのはMicrosoftという企業だけだという事実でおわかりいただけるだろうか。
そもそもあの機能を安定して使えるようにするにはOSレベルから手を入れないと……と言っても素人さんには通じない。ので例えると、普通のソフト開発屋を農家とすれば、Microsoftは同じ農家でも土や水、天候まで調整できる技術を持っている。もう格が違うわけ。
ところが元増田は、「そんなMicrosoftが何十人・何年・何億と費やして作ったのと同じクオリティのものを、何人・数ヶ月・数百万で作れないとかおかしい」って言ってるんだな。
それだったら素直にExcelを使い続けてくれよ、と思っちゃう。みもふたもないから言えないけど。
とは言えそういうド素人さんを相手にするのがシステム屋の仕事なわけで。
まぁ、飛行機も電子レンジも携帯電話も、テクノロジーの塊なのにもはや「あって当然、使うの簡単」なものになったしね。Excelもその領域に入ったと考えれば喜ばしいのかもしれない。
だからと言って「いつもやってる事だから簡単な技術」と思い始めた人はこの元増田みたいな事を言い始めるわけだけど。
ベンツのカタログ持って町工場に行って「これと同じ性能を持った車を軽の値段と期間で作ってください、同じ車だから簡単でしょ」って言ったら、そりゃ苦笑いされるよ。
今後も表組みで管理していきたいので
非常に困ってしまいました。
できる方は日常的にやっておられるようです。
同様の処理を実現するシステムを構築することは、可能か不可能かで言えば可能ですが
表形式の編集画面はご提供できますが、Excelほど柔軟には作業できません。
列ごとコピーしてデータ貼り付けて表作るという一見簡単そうに見えることでも
レアな表を作成する場合はCSVで保存してExcelに取り込んで加工してください。
・・・とご説明申し上げたところ
担当者さんはげんなりした表情ですっかりやる気をなくされたようなんですが
この先大丈夫でしょうか…
http://anond.hatelabo.jp/20131204101200
そこに書いてあるような機能が常に必要なのなら、結構ガチで「Excelで今までどおりやる」以外の選択肢はないと思う。
カネと制限がかかるのは当たり前だろ。増田の要求って「Excelのサブセットを作れ」なんだもの。
業種や職種がわからんので的外れかも知れんが、増田の場合、発注する前にまずそれなりのコンサル雇うなりして業務内容を整理した方がいいと思う。
データフィルタはともかく「タブ(ワークシート?)をどんどん増やしてハイパーリンクでつないで元データから引っ張ってきて計算して表組みを作成する」って作業は「本当に必要だったのか」「常に違う条件でイチから作る必要があったのか」って点は真剣に考える必要があると思う。こういうのは結構「見た目は全部違う作業のように見えるが、整理してみると実はパターン化できた」って状態になる。
帳票だって毎回違うもん作ってたら帳票の意味為さない。一回作れば同じもんを延々と使いまわせるのに、微妙な所がちょっと違うからって毎回作り直ししてる気配がする。
うちの部署に入れる新しい業務システムの構築の担当になって、昨日から打合せが始まった。今までエクセルで管理してたものが多くて結構表組みで管理したいものがたくさんあったから、そういう要望を業者に伝えたら「いや~、、ハハハ・・(だったら今まで通りエクセルでやれば?)」みたいな反応。例えばフィルターとか超使ってるし、タブをドンドン増やしてハイパーリンクでつないで元データから引っ張ってきて計算して表組みを作成するとかいつもやってるような作業が新システムだと厳しい(=できないor莫大な時間と金がかかる)らしい・・。帳票は固定になりますね、帳票増やすと増やした分だけ金かかります、みたいな感じ。いちばんビビったのがコピーペーストができないって言われたこと。列ごとコピーしてデータ貼り付けて表作るっていう単純なことが、何百万だか払って作るシステムではできないとか・・。(CSVで保存してアップロードしてくださいとかなんとか言ってたけどそんなことしてられっか!みたいな・・・)なんかいきなりやる気なくなってるんですけどこの先大丈夫かな・・。
増田のはてなキーワードへのハイパーリンクって面白いけど邪魔。サイトのいたるところがリンクで埋め尽くされてる不快感を思い出した。
この前は「本当にありがとうございました」という言葉がひも付けされてて笑っちゃったよ。
200文字程度の記事で重複なしの最大リンク数と記事文中の文字単位での最大リンク率
がどれくらいになるか見せてくれないだろうか。きっと気持ち悪いけど、面白い記事になると思う。
追記
http://anond.hatelabo.jp/20130503173936さん ありがとう。キーワードにも文字制限があるんだね。
俺もenchantMOON迷って結局買わなかった派。だけど理由が同じとこと違うとこがある。
同じところ①広い方がいい
同じところ②単純にごりごり日付でPDFにしてくれたりしたらそれでいい
液タブは高いから。4月始めあたりに出た、安い!って言われてたワコムの13.3インチの液タブCintiq 13HDもやっぱり狭いし高いんだよね。
あと毎日ペンタブ準備するのがめんどかったから、さっと書いてさっと保存するみたいなのに憧れた。
あと高い。4万は。
絵描くってなると、別にハイパーリンクだとか手書き認識とかいらんし。
手書きのヌルヌル感が他の追随を許さない(筆圧感知とかもある)、かつ、でかいだけで俺は買う理由になる。
でもどっかで見かけたけど、そういうコアな部分の特許はワコムとかそっち系の会社がもう独占しちゃってるから、実質独占状態の現状では難しいんだろうなーとか諦めムード。
あとは。。。清水さんのブログとか、持ち上げてるニュースサイト見て、ただ気分が盛り上がってるだけだなって冷静に自分を見ることができちゃったからかな。。。
ちょっとでも分かる人ならこれがネタだとすぐに気づくものだが、案外引っかかってる人が多くてビビる。
言語を翻訳することで意味が変わってしまったり、元の言語に遡ることができずにネタを真実と勘違いしてしまう、
そしてそれが真実であるかのように発信力の大きなものが喧伝することで、周知されてしまう。
震災以降有名無名問わず多くの人間がデマ発信機に成り下がり、それが拡散され、共通知として常識と化し、事実に漸近した。
しかしそれはどれだけ近づこうが真実にはならない。どれだけ近づこうが虚偽なのだ。
虚構新聞は虚構新聞という体裁であるから許されるのである。朝日新聞が同じ内容でデマを流してもいいということにはならない。
ネタをネタと興ずるのは構わないが、それを無知を言い訳に真に受けることが問題なのだ。
今回デジマガはこれがどういう動画なのか、おそらく検証していなかったのだろう。
※5月3日、16:24UPDATE。公式な吹き替えではなくファンが作成した同人作品だったようです。お騒がせしてすみませんでした。公式キュゥべえの声は加藤英美里さんほどではありませんが可愛かったですよ!→过去的小圆脸弱爆了!_嗶哩嗶哩<URL:http://www.bilibili.us/video/av75411/>
で、この書き込みを見て分かるだろうが、指摘を受けてオウム返しのように訂正してるのだ。クレーム対応として企業は往々に同じ手法を取るケースがあるが、その指摘自体が誤りだということを、彼らは考えはしないのだろうか。彼らに間違いなくアニメ文化の理解はない。
こうした無理解が既成事実を推し進め、閉じた世界が外部の理解を妨げる。そしてさらに言語まで閉じてしまうというなら誰が真実を知ることができよう。
無断転載みたいな on Twitpicとかを見て。
無断転載が善だとは思わないけれど、転載そのものをそれほどまでに忌み嫌う人たちの気持ちが正直よくわからない。
いや、理解はできるのだけれど、自分はそう思わない、というべきか。
アナログならともかくデジタルのデータをコピーされたからなんなんだと。
それを描けるのは世界に自分ひとりだけという自負があるならどうでもいいじゃないか。
その絵を描くための技術やら精神やらまでが盗まれるわけではないのに。
もちろん無断転載によって、作者に還元されない金銭的利益が発生する場合は、存分に著作権を主張して戦うべきだろう。
また、作者詐称など、作品のステータスを変化させるような虚偽も許されるべきではない。
しかし、これらは無断転載にともなうかたちで行われることであり、無断転載そのものを必要以上に忌み嫌う必要はないんじゃないか。
とはいえ、Webに限った話で言えば、ハイパーリンクという便利なものがあるから、そもそもコピーしての無断転載ではなくリンクを引けばいいだけ、という反論はあると思う。
しかし流動的なWeb上のこと、好きな作品を確実にコピーして保存しておきたい、という鑑賞者の気持ちもわからなくはない。
私の絵を見たうえで、これを読んだあなたはこう言うかもしれない。「それはお前が無断転載されるほど魅力的な絵を描けないから言えるのだ」、と。
確かに、今の私の絵はへただし、好き好んで無断転載したい人間なんて、そう多くはいないに違いない。
だが、私は絵がうまくなったとしても、いや、うまくなったからこそ余計に思うだろう。
これと同じものを描ける人間なんていやしない、いるなら出てきてみろ、と。
正月早々飛び出したアメーバブログで執筆している有名人のパスワード等が記載されたエクセル流出なんだけど、ガジェット通信の記事だけだとわかりにくい点が多いので興味本位でエクセルデータをダウソしてみたオレがエントリを増田に書くよ
ダイアリで書いても良かったんだけど「流出したエクセルを読むなんて」とか糞つまらねー非難を浴びせてくる「正義漢」がいるに違いないんで増田に書く。別にpvなんか欲しくねーしwww
流出したエクセルは、手元にあるなら確認すればわかる事なのだけれど、2007年からデータが存在する。
中にはメールアドレスとかが書かれているページもあるんだが、メールのドメイン名から判断して個人のものは少なく恐らくは事務所のものなんじゃないかな。<メアドとかが流出したのは事実だよ。パスワードは変更すれば良いけどメアドはそうはいかないだろうからいろいろ大変だろうね
データの仕様としては若干フォーマットを変更しながらも恐らく担当者と思える人の名前、アカウント名、パスワードが書かれ、その右側には進捗状況を示すと思われる幾つかの項目が列記されていた。
エクセルブックを先頭まで戻って最初から見ていくと、芸能事務所の連絡先のようなものが書かれている項目がある事に気づくだろう。「とりにいくぞ」という文言も見られる。このエクセルを作成した人は営業職にある人ではないだろうか。
さて、今回の一件を伝えるガジェット通信の記事なのだが
ならねーよwww
正確には「お年玉」というタイトルのエントリで、お年玉袋の画像が貼られ、そこからどっとうpろだという画像・ファイル共有サイトに置かれたエクセルブックへのリンクが埋め込まれている、というのが正しいwww
「複数の芸能人のブログ画像がエクセルデータに」どーやってなるんだよwww芸能人のブログにいきなりエクセルブックが貼られたりしてたのか??
お年玉画像の担当者が単にURLを間違えて記入してしまい、本来のURLではなく、仕事で使用していたアップローダーのURLを指定しまったのではないかという予想
記事書く前に「お年玉」画像が貼られたブログの魚拓とかからソースコードを読むくらいの手間は掛けろよ。
お前らは2ちゃんねるの書き込みをコピペするだけの簡単なお仕事してんのかwww検証しなくて良いとか、ほんと気楽でいいなwww
前述したようにハイパーリンクの先は「どっとうpろだ」という、画像・ファイル共有サイトだ。毎日のように沢山の画像やファイルが置かれるサイトとはいえ、片っ端から置かれた情報を見る人だっている。そんな場所にパスワードのような情報が含まれているエクセルブックを置くか?
個人的には、作成者とされるNさんのメールアドレスと共にフッタのように書かれているmaildealer.jpで終わるメールアドレスが気になっている。
http://www.maildealer.jp/はメール共有・管理のグループウェアなのだそうだが、てっきりサイバーエージェントの人達はこの手の情報の受け渡しはサイボウズでやってるんだと思ったんだけど、プライベートで使っていたのだろうか?
もっともmaildealer.jpで終わるメールアドレスの記載がhttp://www.maildealer.jp/を使用している根拠にも、流出した何かを探る手掛かりにもなるわけではない。恐らくはフッタのように記載されたのだと思われるのだが。
勘でしかないのだが、管理をしていると思われる人数や、アメブロで書いている著名人全員が含まれているわけではないので、どっとうpろだに掲載して「お年玉」画像からのハイパーリンクを貼った人がエクセルブックに細工をしていない限りアメブロ有名人に関わる班もしくはデータが複数存在し、そのうちの一つのデータが流出したのではないかと思う。
とはいえ、今回流出したエクセルブックの中に、今回「お年玉」画像が貼られたブログのアカウント、パスワードがないような気がする((ざっと見ただけで捨てたのでハッキリとした事はいえないが))のも気がかりではある。どっとうpろだに掲出されたデータ以外のものも流出している可能性も含め、関係者からの事情聴取をする必要があるように思う。
流出した時期と理由も興味がある。2ちゃんねるでは作成者とされる人の名前が散々書かれているのだけれども、作成者=流出した本人だと果たして言い切れるのだろうか。
データが2009年8月で途切れている事も気になる。前述したようにエクセルブックは2007年からのものだ。2009年9月以降のデータが無いというのは、流出したデータがバックアップした儘データの存在を忘れたか作成者もしくはこのデータを所有した誰かが当該部署から離れていて、古いデータを削除しない儘データの入ったノートPCを正月休みに持ち帰って「見られた」とかusbメモリに保管しているのを忘れた儘、それを紛失していて紛失している事にすら気づいていないとかがぱっと思いつく線ではある。それと、データが一ヶ月分欠落しているのもちょっと気になった。あそこに何が書かれていたんだろう。そして消したのは誰なのだろう。
いずれにせよ、ガジェット通信の記事は「流れ」と書きながら、2ちゃんねるの書き込み等を独自に検証する事なく書くだけの簡単なお仕事をしているに過ぎない。記事に書くより先に関係各所に連絡した事は良い事だとは思うが。
痛いニュース(ノ∀`):古舘氏「もしカルデロン一家が自分の親戚だったら、どうでしょうね?みなさん」とお涙頂戴…一方、アラン&サラの親族7名が元不法入国・滞在者と発覚
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1252493.html
なんかブコメを見てたらid:youichirouという人が「ビザ偽造したあげく万引きで捕まった上に、親族に何人も不法入国の前科があるなら許可が出ないのも仕方がないかと。」ってコメントしていて、「ビザ偽造」ならわかるんだが「万引きで捕まった」ってのは初めて聞いたもんだから、「カルデロン 万引き」でググってみた。
そしてたどり着いたのがここのコメント欄
ムキンポの忍者ブログ 生きることは犯罪じゃない! NO ONE is ILLEGAL
http://mkimpo.blog.shinobi.jp/Entry/735/
偽造パスポートで不法入国し市民税も払わず万引きや詐欺を繰り返すカルデロン一家は即時強制送還しなければならない!そもそもカルデロン一家が万引きGメンに捕まった事から不法滞在が発覚した事をメディアは報道しなかった事から間違っている!
私はカルデロン一家の近所に住んでいて話も何回もした事がありますがカルデロン家族がいかに嘘つきで悪賢い人間かよく知っています。
まずカルデロンのりこがフィリピンの言葉が喋れないと言うのは全くの嘘です。両親は日本語は片言しか喋れないので家の中ではすべてタガログ語で喋っています。のりこは日本語もタガログ語も喋れるのでよく両親とタガログ語で日本語の意味を通訳しているのを私は何回も聞いた事があります。 そして不法滞在にも拘らず日本に居座り続けようと裁判を起こした時の弁護士が何を隠そう反日極左の在日朝鮮人弁護士なのです。
どうやら、ここが一番最初らしい。肝心の万引きの事実を示すニュースソースは無い。
ここから探偵ファイルが引用したり、blogに書いたり2chにカキコしたりしたようだ。
http://www.tanteifile.com/newswatch/2009/04/14_01/index.html
http://yaplog.jp/greecemyth/archive/995
この国に生まれてよかった: カルデロン一家の嘘をマスコミが隠す
http://ro-cyan.269g.net/article/14205388.html
カルデロンさん両親 午後帰国へ - 雑な日記
http://blog.goo.ne.jp/agppro50/e/d62630ce3c52b84553fbe67e040e3fdb
http://since1970.exblog.jp/9598193/
カルデロン一家
http://serranaturalorder.blog65.fc2.com/blog-entry-170.html
ちくやらレンジャー部隊 カルデロン一家改め、カルデロン一味
http://runark2.blog69.fc2.com/blog-entry-1027.html
今更だが「カルデロン一家5つの謎」 - 致死量の毒 - 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/ruri4/diary/200904150000/
ハイパーリンクが上手く貼れません。ごめんなさい・・・w
たとえば、頭に浮かぶ仮説を書きたいなら、自分のブログに書けばいい。ブログに書くのが躊躇われる仕事の愚痴的な体験談は、たとえばmixiをはじめとするSNSに書けばいい。
でも、恋愛話は、どうも自分の名前で書くのは躊躇われる。
なぜなら、恋愛に普遍的なことはないし、本質もない。ならば、僕の名前で書いても、皆の役に立つ何かを書くことは出来ない。公と個の割合で、圧倒的に個が高くなる。属人的になりすぎるのだ。つまり、ほかの恋愛話との比較も出来ないということになる。理解と納得を求めるのではなく、共感と同調を求めて書くことになる。そんなものは、はてな匿名ダイアリーに書いて然るべきだと、僕は考えている。
恋愛をするとき、たとえばマニュアルに頼る人がいる。雑誌で、「ゆるふわ愛され」を目指す、という記事は絶えない、それを買う人も絶えることがない。
本質とは何か。普遍性とは何か。それは、時代性を超えて、属人性を超えて、全てを通観するものである。川の流れの中つやつやの丸い石となって、川の深いところに沈み、どんなに川が流れてもそこに残り続ける。それが、本質であり、普遍性だと、僕は考える。
でも、恋愛にそんなものはない。
人によって、時代によって、ぜんぜん形が違う。それぞれの人間ならば、ある程度の類型パターンを求めることは出来ても、その組み合わせの無限性、さらにそこに時代背景や環境的な要素の影響を考えると、どうしたって、「恋愛の本質とはこういうものだ」という仮説など出せるものではない。
恋愛とは、常に「私とあなた」の間に「今」を作り続けるものであり、その現場において「本質」という概念は目眩ましにすぎない。
そういった、仮説が出せないなら、たとえばブログには書けない。僕にとってブログは、論文である。学術論文である。仮説があり、それを裏付けるデータがあり、発表する。そしてブログをハイパーリンクで引用し、トラックバックで引用される。そんな僕にとっての論文であるブログに、「恋愛とはこうだ」と仮説を提示することなど、僕には不可能に思える。
ならば、自分自身の恋愛体験談をSNSに書けばよいか。僕はそれも関心がわかない。なぜなら別に共感も同調もいらない。そして、恋愛に本質はなく普遍性がないものである以上、人の恋愛について真に理解をすることなど不可能だ。僕は、本当に僕の恋愛について理解をしてもらえるなら、たとえばSNSに書くかもしれないが、そういうことはまず不可能だ。
結局、もやもやするのだ。恋愛の話なんて、書いてもどうしようもないのに、どこかで僕の心がそれを求めている。きっと、整理をしたいのだと思う。それならば、それこそリアルチラシの裏に書けばよい。でも、何故書かないか?
それは、人の目に触れる、という前提があるからこそ、正確な文章を書くことが出来るからだ。そして、正確な文章を書けば、自分の心が整理できるからだ。
人の目に触れるからには、あいまいな表現が僕の中では許されない。この動詞の主語は何か。One word/One meaning One sentence/One idea One paragraph/One topicは守れているか。(via 篠田義明先生)そこに妥協が許されなくなる。あくまで僕の中で。まだ、ぜんぜん出来ていないけれど。
しかし、本当は、他人に見せるための文章ではない。僕が、僕自身に見せるための文章。恋愛の、なにかそういったもやもやの何かを、なんとかこの活字の群れに潜ませるための文章。せむし男のようななりで、阿呆のように両手をキーボードを打ち付けて書く、そういった類の文章だ。
書いて、何の得があるのか?きっと何の得もない。
そういった文章のために、きっとはてな匿名ダイアリーはあるし、これからもあり続けるのだろう。
なお、何か恋愛話を書こうとしたのに、なぜここにそれを書くのかの理由を前文で書こうとした結果、恋愛話そのものを書けなくなるほど長くなったことを、心より恥じる。これは明らかに「恋愛話は、はてな匿名ダイアリーに書くに限る」仮説を提示するという意味で、ブログに書ける内容だった。