はてなキーワード: ハイカーとは
帰属とか集団とか、そうした意識がインターネットにおいては希薄なのではないか。
「ネット住民」「ネット民」などのような言葉が、時折ニュースサイトなどで用いられる。
J-castニュースあたりが多いかもしれない。
「増田」「ハイカー」「2ちゃんねら」「としあき」など、より個別的な名前もある。
しかし、こうした名前によって利用者を一括りにすることは、明らかに不適切だ。
2ちゃんねるに数多くの板があるように、利用者もまた千差万別ではないだろうか。
これらを一括りにする意義はともかく、私はそうしたコミュニティについて帰属を感じない。
けれども、「ここに参加しているのだ」という意識を持っている人もいるようだ。
「名前を隠して楽しく日記。」以上の何物でもない、サービスの1つに何を思うのだろうか。
気持に関わる問題について、真偽を問うのは間違っているのかもしれない。
その1:元々真意は伝わりにくくて当たり前、って考えにはっとしたんだけど、
ハイクでは誤解以前の問題で(意図的に/悪意を持って)元には書いていない尾ひれを付け加えた挙句
吹聴する人もたまーにいるので困惑してるとか何とか。
世の中の人間はみんな大量のスターを欲しがってると考えるのって典型的ハイク脳だと思う。批判はしないけど私は入信してません。
ハイカーにとってスターが後生大切なもんだってのはわかったから、ただ他人がすべて自分と同じ思考回路だと断定するのはやめてくれ。
(望まないしがらみがあるのはともかく)筆不精な人間もいるんだよぉ~・・・・
その2:ファン欄って望んでなくても目に入ってくるのが理不尽だと思う。favoritesを左カラムにしてほしい人も結構いるんじゃないの?
大部分の人(絵師さんとか、普通の方)は進んで見に行ってるけどさ。まあその・・・悪意をぶつけてくる人や、なにかと電波撒き散らす人とかはあまり見たくないのよ。
その3:いやだ、こいつウザイっていいながらお気に入り登録してるのは勝手ですが、
ハイクを見ていて、コマチ氏に少し興味がわいたので書いてみます。
読みにくいかもしれませんが、よろしくお願いします。
id:nijiirocomachi という人がいる。
ハイカーには非常に有名な人で、「お気に入りの数」では全はてなーでもぶっちぎりの1位だと思う。(史上初の5桁越え達成者)
今回は「なぜそんなにお気に入りに追加するのか?」について考えてみる。
(^○^)☆/
あるハイカー:
「コマチさんはTwitter始めれば自称100万人とお友だちになれるんじゃ?」と言ってフォロワー数ランキングを見せる。
↓
コマチ:
「フレンドで無ければお友達とは言い難いですよね!(^-^)一方的では・・・」
↓
別のハイカー:
「双方向であっても交流がなければお友達じゃありません。お気に入りシステムなんてシステムでしょ?片方だけだろうが互いに入れていなかろうが友達な時は友達。逆は逆。」
↓
コマチ:
「私はハイクのシステムの話をしているのではありません。友達と呼べる本質について書いたのです」
↓
別のハイカー:
「私も話したのは友達の本質についてなんだけれど(´・ω・`)」
(^.^)☆/
これまで自分は、コマチ氏のお気に入り数の膨大さは「弱小はてなーでもお気に入りに入れてあげることで読者のいない寂しさから救ってあげるアテクシテラヤサシスwwww」的な感覚によるものだと思っていた。(そんな風に考えている人の意見を見たからだけども)
つまりお気に入りに追加した時点で、氏の目的は達成されていると解釈していたのである。
しかし、どうもコマチ氏の目標は「お友達になること」だったらしい。
といっても「双方向であっても交流がなければ友達ではない」と言う意見に対し、
「私はハイクのシステムの話をしているのではなく、友達と呼べる本質について書いた」と言っているので、
氏の「友達と呼べる本質」というのは「お気に入りがフレンド状態になること」のようではあるが。
ここでも述べているように、お友達100万人のステップとしての「お気に入りの数」ぶっちぎりの1位だったというわけである。
以下に、とあるハイカーのidページに書かれていたことを転載する。
それぞれがそれぞれの使い方
それぞれがそれぞれに自由で構わないと思います
私を表面的に見て嫌おうが
内面的に見て嫌おうが構いません
私は私の伝えたいことを果たしていくだけです
他人の自由を束縛する権利もありません
価値観もまた自由です
自分に自由を求めるためには
他人の自由を尊重すると言うことです
私が身勝手なように見えるでしょうが
私はこの姿で、私に身勝手を押し付けてきた方々のことを表現したいのです
ここに居るコマチが私のすべてでもなく
リアルにおける私自身でもありません
表現すべくして作られた姿に過ぎません
どうぞ気ななさらずに、ご自由に(^-^)
これを読んで自分は以下のことを感た。
これを見て、あなたはお友達になりたいと思いますか?
\(^o^)/サブリミナル!
はてなハイクでは、
1・議論する人が一定数いる
2・反動で議論するなという声が上がる
ということが起きていて、後者が支配的でありながら、前者がそれを意に介さず議論する、という風潮がある(もちろん論者が常に論者である訳ではなく、ある時は議論を嫌うことも当然ある)。
これではいざ議論ということになったときのルールや合意が形成されていないから、問題がしばしば起きている(1→2となる)。
ルールを作ろうとかいろいろ動きはあったけど、ハイカー全体としては特にルールを作ろうと言う動きはない。多分また問題が起きるだろうが、起きた時は起きた時で考えるということのようだ。
あのお題に書き込んでるハイカーのほとんどがgokiburiの件を知らないで騒いでるのがもっと悲しい。ほんとハイカーって馬鹿ばっかりだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090621195258
朝起きてはてなをチェックしたら自分の記事にトラバやブックマークがついてて泡食いました。
トラバ・ブコメありがとうございます。disられるかな…と思って投稿したので意外でした。
よろめきながら自転車を漕いでいたところ(本当に自転車乗れないのですけれど、)補助輪をつけてもらえたような気分です。
妙なたとえで伝わりにくいと思いますが、優しい人に出会えてとても心強い感じ。
「助けて」と言えるよう背中を押してもらえたと言いますか、胸につかえたものが少しとれたような…あ、最初からそう言えば良いんじゃん。
ところでid:shariaさんのブコメで「ハイクの回復事例の多さは異常」と書かれていましたが、事例を教えていただけたら嬉しく思います。
実はハイカーなので気になっていたり。
ハイクは、はてなサービスの中で最も簡単にスターがもらえるサービスです。
「おはよう」「おやすみ」のキーワードではほぼ100%に近い確率でスターがもらえます。
逆に言えば、それらのキーワードでスターがもらえないユーザーというのは、かなり嫌われ者のユーザーであると推測できます。
嫌われ者ユーザーと接近すると、あまり印象がよくないので、そういうユーザーとは一定の距離を保つことをおすすめします。
また、ハイクではお絵かき機能があり、自分で描いた絵を投稿できます。ハイクでは絵を投稿するとスターをもらう確率が格段にアップします。
タブレットがあれば便利ですね。画力を磨いてスターをたくさんもらいましょう。
ただ、ここで注意してほしいのが、スターをあからさまにほしがり過ぎないことが大切です。ほしがり過ぎると嫌悪感を抱かれる可能性があります。
ほら、学校のクラスで先生にやたらほめられようとして、いい子ぶる生徒がいたでしょう?そういう子ってあまり好かれませんよね。それと同じです。
つまり、バランスが必要なんです。たまには、ちょっとした本音を漏らすことが大切です。
その方法としては、「怒られそうなことを敢えて言う」というキーワードを利用して本音を漏らすとよいでしょう。
このキーワードが発言内容を緩和してくれる効果を発揮します。
ハイクには、リーダー的存在のヘビーユーザーが数名存在します。そのヘビーユーザーには絶対に逆らってはいけません。うまく取り入りましょう。
取り入る方法としては、ヘビーユーザーの投稿でスターがあまり付いていないものに、スターをつけたり、スターコメントをしたりするのがおすすめです。
ヘビーユーザーというのは多くのユーザーからスターをたくさんもらうため、スターが付いていないと少し不安になったりします。
そんな投稿にスターを付けたとならば、かなりの好感度アップです。また、ユーザー名も覚えてもらいやすいので一石二鳥です。
ヘビーユーザーと親しくなれば、その他大勢のユーザーも味方につけたも同然です。
リーダーの見つけ方としては、「統計」というキーワードで投稿数に対するスターの付着率、レス率などが閲覧できますので、その率が高いユーザーから見つけ出すとよいでしょう。
個人的にお絵かき系のキーワードは好きなので、形はどうあれこの手のキーワードが盛り上がるのは少し嬉しい。
それはさておき。
先のキーワードでは描いてもらいたい人がリクエストして、それを見た絵描きさんが描くというやりとりが行われていて、それを見てひとつ気がついた。
「最近交流を指向している人が増えてるかも」
なんとなくTOPページを眺めたとき、そういう雰囲気の人が多いからかもしれないけど。
ひとりごとを呟くというより、「誰か」に向けて呟いているのがチラホラ見受けられる。
もう文体自体が「誰か」に向いている。
この「誰か」というのは特定の誰かを想定しているわけじゃなくて、文字通りの「誰か」。
以前は誰に向けるでもない文字通りの「ひとりごと」があって、その中の何かが引っかかった人はReplyなりをするという形が多かった気がするけど、少し変わってきたんだろうか。
実際オフ会のキーワードへの反応で交流したいという気持ちを明言している人もいるし。
こうなってくるとやはり「ゆるい繋がり」というのとは少し変わってくるかな。
そこでふと「そもそも私は何を『ゆるい繋がり』と見ていたの?」という疑問が。
これについては次回にでも考えることにしよう。
観察記23の続き。
例のごとく以下の文はわたしの主観によるものです。
前回「ルール」についてふっと思いついたことが、と書いた。
それはハイクでの「ルール」について考えることは「webのルール」を考えることに似ているということ。
ここで言う「webのルール」というのは「ローカルルール」に類するもの。
例えば最近はあまり見られなくなったけど「無断リンク禁止」とか「ブックマークはTOPページにしろ」とか。
これってページの管理者が主張するのは自由だけど、閲覧者なりがそれに従うかどうかもまた自由なわけで。
主張するのは自由なんだけど、強要はできないという。にも関わらず一定の効力を有する。なぜか?
その原因は「ゆるい繋がり」にあると考える。
前述の「ゆるい繋がり」について考える前に、一度エントリーへの反応について考えておこう。
ダイアリーではブクマやコメント以外にもPVなりで自分のエントリーに対する反応が分かる。
だがハイクでは自分のエントリーに対する反応の指標となるのはスター、Reply、スターコメントしかない。
これはハイクでは閲覧側が能動的に行動しないとエントリーへのレスポンスが反映されないということを表わす。
次に一番気軽な反応と思われるスターを付けるモチベーションについて考えてみる。
お手本的な答えをすると「エントリーに何らか共感を覚えたとき」となるだろう。
純粋にエントリーに対して共感を覚えることも多々あると思うが、この「共感」、ユーザーに対する印象にも大きく左右されないだろうか?
例えばよく見知っている仲の良いハイカーと見慣れない新規ユーザーどちらにスターを付けやすいだろう?
もちろんユーザーの姿勢にもよると思うが、前者のほうがスターを付けやすい人が多いんじゃないだろうか?
Followingページしか利用しない人にしてみたら、見慣れない新規ユーザーの投稿自体を目にしないということもあるかもしれないしね。
スターを多く得たいと思うならば、エントリーの内容に気を配ることに加え、既にある「輪」の中に入っていくのも一つの手だろう。
ここでもう一度「ゆるい繋がり」を考えたとき、この「共感」と「輪」はハイク内の「ゆるい繋がり」の一つの形と言えないだろうか?
わたしは言えると考える。
「ゆるい繋がり」に関してはこれまでも似たような言及もされていると思うので、敢えて言及する必要もなかったのかもしれない。
ではこういうケースを仮定して考えるとどうだろう?
他ユーザーからのレスポンスをハイク上で大きなモチベーションとしているユーザーがいるとする。
このユーザーがレスポンスを得るために「ゆるい繋がり」を頼りにしているとしたら?
「ゆるい繋がり」を維持するために「輪」の中の調和を乱さないように気を付ける必要があるだろう。
調和を乱さないためには「暗黙のルール」を守る必要があるかもしれない。
もしこの「暗黙のルール」から外れて「輪」から飛び出してしまったら?
ユーザー「h」ほどではないにしろ、他ユーザーから距離を置かれて自分のエントリーに対して能動的に反応されなくなったら?
そこまでハイクに執着する必要があるのか?という疑問を感じなくはないが、常駐に近い状態でハイクを利用している人にしたら切実な問題かもしれない。
人となりが影響しないほど、有無を言わさないほどのクオリティのエントリーをPostしている人なんてそうそういないしね。
この「ゆるい繋がり」を維持しようとするがゆえに「暗黙のルール」を守らざるを得ない人は結構いるかもしれないな。
この辺りがわたしの違和感の源泉と思う。いや、もう少し先があるかもしれない。
やや散漫な内容になってしまった気がするので、この件に関してはまた改めて考えるかもしれない。
前回はやや短絡的に雑感を述べてしまったような気がするので、
トラックバックのエントリなどを読みつつ、また少し考えてみようと思う。
ユーザー「h」の件に関しては、正直なところ、現時点でもどうすることが正解かは私にはよく分からない。
結果的に運営がハイクの利用停止という措置を取ったことはいささかスッキリはしないが、即効性を考えたらやむなしとは思う。
また一部ユーザーが通報という手段を取ったことに関しても、以前から書いているように問題ないと思う。
やはり何度考えても引っかかるのはそこに至る経緯なのよ。
結果論ではあるけど、[観察記19]で書いたように、ある程度の対話を交わし、
論議が平行線に向かう兆候が見えたところで「h」と距離を取り、通報し運営の判断を待てば良かったのではないかと個人的には思う。
感情にまかせた罵倒や、「つきまとい返し」、idページ等での通報の途中経過の仄めかしをせずに、だ。
Greasemonkeyでのユーザー拒否なんかも、結局ユーザーが作ってる「裏技」でしかなくて、はてなが用意した機能じゃない。
ハイカーが自発的にhをなだめたり説明したり、それができなかった結果、排除しようと様々な実力行使に出ざるを得なかった。
とあったけど、機能としてユーザー拒否ができないからといって、どうしてユーザー側が「排除」するための「実力行使」が必然となるんだろう?
仮に機能面での不備があったとして、そのことがユーザーの「実力行使」による「排除」を正当化する理由にはならないと思うのだけれど。
続いて、
運営側が何もしないのであればユーザーが何かしら行動を取るしかない。
とあるけど、運営側は何もしていないわけではなく、ユーザーからの通報によって注意は与えていたとのこと。
仮にアクションを起こすまで時間がかかっていたとしても、運営としては通報された事例が通告対象になるのかの調査・推移の観察が行われていたのではないかと考える。
通報だけではおいそれと注意なんてできないでしょう。万が一何かの行き違いなどがあった場合、はてな側が通告したユーザーに訴え返されてしまう。
もちろん私が直接やり取りをしていたわけではないので、これは伝聞からの推測だけど。
また拒否アカウントの設定をしないからといってそれを「怠慢」というのも分からない。
もし、はてなアイデア等でそれらの機能実装が検討、若しくは採用状態になっているにも関わらず一向に実装が進まないとなればそう言えなくもないのかもしれないけど。
(ちなみにそれに類する、はてなアイデアの調査はこれを書いている時点では私は行っていない)
結局のところ最終的にルールを作るのはユーザーではない。最終的にルールを作るのは運営だと思う。
ルールができるまでの「声(意見)」はユーザーが存分に挙げてもいいと思うけど。
その辺の境界線が曖昧(若しくは境界線に気づかない)になって、色々なことを「暗黙ルール化」して自警団化してるユーザーがいるのかもしれない。
他のユーザーへの気遣いはあってもいいと思うし、意見交換や提案なんかももちろんあってもいいと思う。
ただそれは明確にルール化されていない限り強制するものじゃないんじゃないかな。
別に「ハイクはこういう使い方をしなさい!そうじゃないと規制します」なんてどこにも書いてないし。
下記のブログにも先述のトラックバックに対する意見が書いてあったけど。
これまで色々な問題が起こる度にユーザー間に温度差が生まれたり、微妙な空気が流れたりしたのはその辺りの認識の差が原因かもしれないね。
最後に以下の部分だけど、
少なくとも復活した(と思われる)h2はまだまともな行動を取ってる。
h2が今後どういう行動をとるかはわからないが、
これは本当のところは分からないけど、ハイクが使えなくなって今までと同じようにできなくなっただけでは?
この場合の「アカウント停止の意味」とは単純に封じ込めるという意味なんだろうか。
だとすればそれなりの効力を発揮してるのかもしれないけれど。
言及ありがとうございます.
観察氏の言うように違和感もあります.誤解のないように言いますが,私は正しいとは思ってはいません.
確かに曖昧なラインで停止になったことは正しくはない,しかし,勝手につきまとわれて気持ちの悪い発言をされた側が我慢しなければいけない,あるいは耐え切れずハイクを去らなければいけないのはもっと正しくないんじゃないか?というところがひっかかるんですよ.
通報をした人たちが正当だと思って行ったのか,身を守る為に苦肉の策として行ったのかは外野の私にはわかりません.
スルーできればいいんですけど,人によって耐性は違う.となると拒否できる機能があればまた違ったのかも.
例えばTwitterだと自分の意志で拒否する機能がついています,サービスの形態が違いますからハイクにそういう機能をつけられるか知りませんが,運営を通さずとも自衛できる手段があればまた違ったかもしれません.もちろんまず個々であのテに距離の取り方等に気をつけることは前提として.
セクハラに関しては、直接的な言葉があってもなくても『相手がそれに嫌悪と拒絶を示すか』が肝だと思ってます.
言われた人ははっきりと嫌悪と拒絶の意思を示したにもかかわらず,彼はそれを無視してつきまとっていた.この『再三拒絶を示したのに無視してつきまとっていた』ことが今回の一番のポイントでは.ここまで徹底してつきまとったハイカーは私が見るかぎりはいないように思えます.
観察氏の挙げた「へっこ」等の言葉も盛り上がる人もいれば嫌悪感を示す人もいて,人知れずハイクを去った人もいました.時たま起こる騒動のどれにも円満な解決策がなく,何となくスッキリしない状態のまま流れていくのを何もできずただ傍観してきました.
先述したTwitterとも違うし,2ちゃんねるのように板やスレで機能的に住み分けがされていない.しかし,その『ごった煮』加減がハイクの魅力でもありましょう.
こういったサービスには多かれ少なかれ問題が生じることもわかってはいますし,全員が不満なく使えるサービスが実現可能と思っているわけでもありません.ヘビーユーザーではありませんが,もし衰退方向に向かってしまったら利用者としては少し悲しいというところ.
前回のエントリーに対してのトラックバックや言及がいくらかあったので、
それに触れつつもう少し考えてみようと思う。
前回いくつかの要因の「合わせ技」によって停止になったのではないかと書いたのだが、実際は再三の注意勧告を無視してつきまとい行為を続けたことが決定打となったようだ。
その点に関しては下記のダイアリーのエントリーの指摘により理解した。
停止理由に関して理解はしたけど、注意勧告があったとはいえ、「迷惑行為」という判断基準が曖昧という考えは変わっていない。
詳しくは把握していないが、ダイアリー・ブックマーク界隈では明らかな誹謗中傷による処置はあったようだが、今回はそれに当てはめるには微妙な気がする。
観察氏は,女性ハイカーがセクハラ発言を連投されてつきまとわれていたことをご存知ないんでしょうか.
似たようなことをされて,またそれを目の当たりにして耐え切れずに辞めてしまった女性ハイカーが複数いることも.
もし知った上で『スルーしろ』『我慢しろ』というのは酷ではないですか.耐性は人それぞれ違います.
たしかに,手放しにこれでよかったとはまったく思いませんが,すでに最近はスルーだけでどうにかできる範疇を越えていましたし、他に方法が無かったように見えます.
全容は把握していないけど、連投により付きまとわれていたのは認識しています。
しかしながら、それを感情的な観点から利用停止の原因と言い切るのには躊躇します。「セクハラ発言」の連投と限定するならなおさらです。
何を以て「セクハラ」とするかという問題に関しては、それこそ裁判でもその判断が争われるような事案です。
問題のユーザー「h」の発言がそれに掛かるか判断するのは難しい。わたしが見たところ直接的な卑猥な表現もないようでしたし。
卑猥表現がないからといってセクハラでないと言い切れないのは分かりますが、ハイク内にはほかにも卑猥表現をするユーザーはいますし。
実際「おっぱい」の連呼であったり「へっこ」によって不快感を感じている人はいましたしね。別に今そのことを糾弾する気はありませんが。
そのためわたしは「ある程度は仕方ないのでは」と思ったのです。結果的に運営側に「行き過ぎ」と判断されたわけですが。
初期段階でスルーしてしまえばよかったんでしょうけど,彼が質問系の書き込みをして親切なハイカーが応答してから,連投リプレイやコメント攻撃が始まったようなので「触らなければよかった」というのも結果論に過ぎません.そのリプレイ攻撃をスルーすればよかったのかもしれませんが.
またつきまといに関しても、上の増田氏が書いているように親切なハイカーの「好意」が始点の可能性もあります。
その「好意」を受けてユーザー「h」が寄ってきたと。
確かに「触らなければ良かった」というのは結果論に過ぎないと思いますが、触ってからの距離の取り方には他のやり方があったかもしれません。
わたしが見た限りですが、その距離の取り方はかなりヒステリックな部分があった気がします。
それに対してユーザー「h」がムキになった(おもしろがった)可能性もある。
もちろん耐性は人それぞれですから、どうしても我慢できなかったというのも分かります。
でもやり方によっては問題が拡大しなかったかもしれませんね。まぁ、これも結果論ですが。
あと、この件の引き合いに「へのへのもへじ」の件を出してくるのは違うと思います。
全く質が違う問題について言及することに意味を感じません。
もちろん通報したとして「へのもへ」の人が利用停止になることはないでしょうね。
前回も書いたように通報自体は構わないと思う。ただそのやり方にはやはり疑問を感じる。
ハイク内で逐一仄めかした途中経過を報告し、ところ構わず特定ユーザーによるユーザー「h」に「つきまとい」追い込みをかける。
「毒を以て毒を制する」つもりなのか分からないが、もしそれが正当なやり方だと思っているとするなら怖い。
そしてそのユーザーは「利用停止」という結果を得て喜び、今もハイクにいる。
ユーザー「h」に否があったとしても、やっていることはユーザー「h」と似たようなものだし。
これはこれで問題があるんじゃないかとも思ってしまう。
この辺りが違和感を感じる要因なのかもしれない。
最後に。
「依存度が異常に高い人」ほど「撤退宣言」を出したがったり、退会翌日には戻ってきたりという芸を誰も頼んでないのに見せてくれる人もいるんで、その辺は大丈夫なんじゃないの?
「ただ離れたユーザーは簡単には戻ってこない」ってのに関して大丈夫とは言い切れないと思う。
例に挙げられていたハイクに「依存」してる人が特殊であって、それ以外のほとんどの人はそうじゃないもの。
やや散漫な文章になってしまった気がするけど、今日のところはこんな感じかな。
創作系のキーワードにしか投稿しない人とかもいるからハイクに来ればどうか。
俺が星をつける可能性も高いと思う。迷惑かもしれんが。
観察氏は,女性ハイカーがセクハラ発言を連投されてつきまとわれていたことをご存知ないんでしょうか.
似たようなことをされて,またそれを目の当たりにして耐え切れずに辞めてしまった女性ハイカーが複数いることも.
もし知った上で『スルーしろ』『我慢しろ』というのは酷ではないですか.耐性は人それぞれ違います.
たしかに,手放しにこれでよかった とはまったく思いませんが,すでに最近はスルーだけでどうにかできる範疇を越えていましたし、他に方法が無かったように見えます.
初期段階でスルーしてしまえばよかったんでしょうけど,彼が質問系の書き込みをして親切なハイカーが応答してから,連投リプレイやコメント攻撃が始まったようなので「触らなければよかった」というのも結果論に過ぎません.そのリプレイ攻撃をスルーすればよかったのかもしれませんが.
良くも悪くもハイカーは親切で一般的な感覚の持ち主が多いですから….
以前にあった「へのへのもへじ騒動」はスルーすればいいじゃないと思いましたが,今回はそれと同じように見るのはどうだろう…と思います.
また,通報すればおkにはならないでしょう.単に「気持ち悪い」だけでは運営は動きません.今回は実害があった上にはてな運営も相当悩んでの決断だったようですから.
正直自分も知り合いのハイカーが彼の「被害」に合ったようなので、表だっては言いにくいんだが・・・。
あんな見るからに痛くてうっとおしいユーザー、荒らしはスルーが鉄則(まぁ聞くばっかりで実践されてるとこあんまみないけど)のネット社会でなんでいちいち構うかね。
まぁ、構ってもいいかもしんないけど、それで手に負えなくなって被害者面したりとか、それなら最初から手だすなよわかってんじゃん!と思う…。
とはいってもユーザーとしては純粋にウザい(キーワード乱立と、文体がキモイのと。)ので、スタッフはよく対応したなぁ??と思った。
正直コミュニティ運営で、ああいうユーザーは一番対処しにくいんじゃないかと。規約ギリギリのところでうろうろされたら、明らかに迷惑な場合でもスタッフ側からは警告がせいぜいだと思う。
まず「表」と「裏」という書き方をしたことについて。
これはTOPページを表、idページを裏と便宜上定めただけです。
ご存じの通りidページの投稿はTOPページに出なく、目に付きにくいことからハイカーの間でも「裏」と称されることが多いため、
これに関しては、言葉が足りなかったためご指摘のような印象を与えてしまったのかもしれません。
次に「観察記」と題していることについて。
これも単純にハイクで起こっていることを書き記すに当たって、手近にあった、たまたま思いついた言葉を使用しただけです。
確かに「観察」と銘打っていてもわたしの考察が少なからず入りますので、ご指摘の通り「観察記」とするのにはややズレているかもしれません。
この点に関しては否定しません。
またハイクのクラスタ分割が起こっているということに関しても同意です。加えてわたしが記述していることがハイクの全体の空気であると言い難いということも分かります。
しかし、わたしが見つめている部分がハイク全体の空気に少なからず影響を与えているというのもまた事実だと思っています。
それが全てではないが、ある意味ハイクを語る上で外せない部分ではないかと考えます。
サービスインから約10ヶ月。わたしは多くの時間ハイクを見つめてきました。
その間いろいろなことがありました。
いろいろなユーザーが繋がって和やかな輪が作られた時期もありました。
問題が起こって色々な人が頭を悩ましたこともありました。
そんな様々がありながらも、(わたしの主観ですが)明るい雰囲気だった時期もありました。
しかしその一方で様々な摩擦から離れていったユーザーもいました。
ハイクがはてなの他のサービスと少し雰囲気が違うと言われていたように、ある一定の平穏(馴れ合い)が保たれていたような気がします。
しかし緩やかにハイクの雰囲気は変わっていきました。
ユーザーの入れ替えが起こり、退会宣言等も幾らか見られるようになりました。
わたしはどうしてハイクの雰囲気が変わってきたのか、そこで起こっている価値観のぶつかり合いとは何なのかが気になって、この記事を書き始めました。
以上のような経緯があるため言及する部分に関して幾らかの偏りがあるかもしれません。
ただすべてのユーザーの投稿を見ることはできませんが、それなりに広い範囲の投稿を見ているつもりです。
限られたユーザー同士idページでの交流をする人、ひたすら日常を呟く人、写真だけ絵だけ投稿する人。APIを使って開発する人。
それらについても多くとは言えないまでも、多少は言及してきたつもりです。
ただわたしが今考えたいことは先に書いたようなことです。
可能な限り視点を広げて、公平な視点から考えたいとは思いますが、どうしてもフォーカスされる場所が限られることはあるかもしれません。
それに関して気分を害されると仰るなら「観察記」と題するのは今回限りにしましょう。
最後にわたしは揉め事が大好きなどではありません。これはハッキリと言わせてもらいます。
ハイクで様々な揉め事なりが起こったことで、わたしが好きだったユーザーたちがハイクを去りました。
揉め事なんてない方が良い。場の雰囲気は和やかな方が良い。
でも残念ながらそうはならなかった。では何が原因か?原因が分からないまでも何が起こっているのか?
それについて考えてみたくなっただけです。
文章力が拙いため、内容が散漫になってしまったかもしれません。すみません。
長文失礼しました。
わたしが言いたいことは以上です。
タイトル変えた。ブコメで「日誌と言うからには毎日」なんてのがあって、
「毎日なんてさすがにムリ」ってなもんで。
テキトーに眺めて個人的に何となく思ったことを綴るだけだし。
近頃「ハイクがTwitterぽくなっている」というのをチラホラ見る。
確かに初期に比べるとコミュ色が強くなったここ数ヶ月を経て、
今度はミニブログ傾向が強くなってきたかもしれない。
前回だったかに書いたidページ引きこもりもそれに関係してるのかも。
もともとはてな的には「ミニブログ」としてハイクを位置づけているみたいだから、
ある意味本来の形になったと言えるのかな?(先日S-inしたi-mode公式のメニューでは「コミュニティ/SNSのカテゴリに入ってるけど」)
それぞれの生活に即したミニブログとしての使い方が浸透してきたのかもしれない。
そう考えるとテレビとかオフの実況だったり、音楽ネタだったりが投げられるのも自然か。
とはいえ依然「ネタ意識」が強い人も多いみたい。「ネタ合戦のころのほうが面白かった」という声もちょいちょい見るし。
それが原因の揉め事もあったりしたしなー。
でも普通の人が継続的に「ネタ」を投げ続けるのは難しいと思うんよね。
だから長く続けるとだんだん書きやすい「生活」に近づいた話題に傾くのはある意味必然かと。
ハイカー縮図なんてのが出てたりしたけど、似たようなユーザータイプの分類ができるかもしれないな。
誰がどうというわけじゃなくて、こういうことやってる人たちがいる、くらいの感じのやつが。
どうでもいいが俺が落ちた人だったら「第2ラウンド開始じゃぁぁぁ!」とか叫びながらハイカーの群の中へ突っ込んでいくよ。
つーか彼らが石を投げられた直後に反撃をしてないという点に無理がありすぎると思うのね。その時間差は何か意味があるのか。オチをつけたいだけじゃないのか。
「落ちてのぼってきたら、不思議なことにそこには誰もいなかった。
『すべては私の幻だったの……』
そうつぶやくと、何か晴れがましい気持ちになって、彼女は崖から下を
さっき自分がしがみついていた崖を見下ろした。
そこで彼女は見た。
彼女が崖の「上」だと思っていたのは、本当は崖の「途中」に過ぎなかったということを。
みんな、自分の崖にしがみつきながら彼女を見下ろしていたのだということを。
……
見上げると、そこにも崖の「上」があった。」
って結論にするな、オレなら。