はてなキーワード: ネットサーフィンとは
経営者やけど、
ってタイトルで
内容は
「最近の初任給のアップは異常すぎる。大企業や有力企業のスキルも実務経験も何もない新卒の初任給が中小企業全体の平均賃金と変わらない。中小企業としてはこの賃上げについていけない。こんなんじゃ人を雇えなくなる」
って感じだった
労働者の味方の新聞社ですら異常だよって思ってのが面白いけど確かにって感じだった
うちはスタートアップで、30歳の最低月給として月給24万円で
ボーナスも一一(夏に1ヶ月冬に1ヶ月)で出してるスタートアップとしては比較的上澄の企業なんだが
仕事に集中できなくて、ぼんやりとネットサーフィンをしていました。
そんなときに見つけたのが、大日本○○が袁世凱に向けて出した○○21箇条で日本が孤立を深めることになり、さいごは新型○○をおとされたっていう動画でした。悲しくもなりました。日本がどんなに苦労しても、敗○○になってしまったのですから。
この動画を見て、私は思索にふけってしまいました。なにをやってるんだか・・と自分に問いかけました。私は今、自分の仕事にやりがいを感じているのでしょうか。私は自分の人生に満足しているのでしょうか。
私はまだ答えを見つけられていません。でも、書いているうちに、少し気持ちが楽になりました。私はこれからも、自分の気持ちに正直に生きていきたいと思います。そして、自分の幸せを見つけたいと思うのですが、どう思いますか?。それでは、また。👋
娘は学校も勉強も嫌いで素行も悪く(布団にもぐってYoutubeを見たりこっそりお菓子を買って隠れて食べるなど)、絵を描くことだけは集中して努力できるというタイプだった
なかなか上手く描けないと言って試行錯誤しているのを微笑ましく見ていたものだが、先日その娘がAIイラストを生成しているのを見つけてしまった
「パパこれすごいよ! 自分で描かなくても超上手い絵ができるんだよ!」
娘は嬉しそうというか、興奮気味にそう言ってどんなプロンプトで生成したのか教えてくれた
拙い操作でYoutubeや検索エンジンを検索し、連日こっそり深夜までネットサーフィンを続けて(これは叱った)自力でプロンプトを身に着けたらしい
いやすごい、それはそれですごいよ
関連性を定量化する試みは、道徳的・政治的優先順位を暗黙裡または明示的に仮定しており、客観科学などではない
Google崇拝厨はこの手の議論をあまり理解してない気はする
しかしこのような政治的偏向が確実に存在している検索エンジンの方が、SNSで検索するよりもはるかに(偏向度合いについては)マシである可能性がある
確かにGoogleは自分たちのやっていることを「政治だ」と正直に言わずに、客観科学であるようなフリをし続けるだろう
しかしSNSでは「いいね」「シェア」という拡散のための仕組みが組み込まれており、情報を中立的に扱うのと逆を行っている
「人気なものは価値がある」という前提では、政治的偏向がどこまでも悪化するだろう
検索してもなかなか出てこない情報の中に、検閲されたものがたくさん存在する
しかもただ検閲されているだけではなく、事実として信頼できる情報源である場合がある
結局、調査にエネルギーを費やさずに、ダラダラと本能に従ってネットサーフィンするのでは洗脳されるだけなのだ
SNSにも良い点はあり、シャドーバンの仕組みさえ存在しなければ、すべてのポストを検索できるということだ
イーロンマスクがTwitterを買収する前までは、私は登録するだけでシャドーバンの対象にされていた
SNSの悪い点は、ロシアンファイアーホースと呼ばれるように、複数の情報源を捏造して大量投稿し、特定の情報を信じさせようとする点である
こうなると、Xでポストを検索しても、似通った意見がざっと目につくようになり、ユニークな意見や事実は封殺されるかもしれない
コミュニティノートも、事実がなんであるかを判別するためのヒントとして機能する可能性はあるが、どのポストにノートをつけるか、誰がコミュニティノートに参加できるかという点に恣意性がある
要するに、私には「インターネットを良い場所に保ちたい」という願望があるが、インターネットサイエンスや諜報機関が何をしているのかについての歴史をもっと学んでおく必要がある
私は基本的に仕事中毒の人間であり、仕事を抜いたら何も残らない。
もし仕事を辞めたら孤独で無趣味で何の面白みもない引きこもりになるだけだ。
私の仕事は独りよがりであり、作っては捨てての無駄な労力ばかりかけている。
仕事においては報連相が大事なんていうのは、うんざりするほど聞き飽きたフレーズではあるが、私はそれが嫌いだ。
まずは相手が何を求めているかをきちんと確認して仕事の方向性を決めて、
作成している途中の段階で何度も都度確認をしながらコンセンサスを得て、
最終的にゴールにたどり着くという段取りが重要なのは分かっている。分かっているがそれが嫌いなのだ。
仕事の相手は顧客であったり上司であったりするが、その相手が何を求めているかなんて大体ソイツ自身にも分かっていない。
言語化することをサボっていたり能力がなかったり、理由は様々だが、とにかく相手にヒアリングすることなんて時間と労力の無駄だと私は思ってしまう。
だから私は最初から全部作り上げる。作成途中で7割程度の完成度のものなんて見せても、不出来な部分を指摘されて不愉快になることが分かり切っている。
そうして完成させた成果物を出しても、いやそういうのじゃないんだよね、というお気持ち一つでバッサリと捨てられる。
こんなの作るのに時間かける前に、ちゃんとコミュニケーション取ろうよと言われる。
私は雑談が非常に苦手であり、休日をどう過ごしているのか、どんな趣味があるのか、といった話ができない。
飯食って昼寝してネットサーフィンしてで終わりだよとしか思えないのだが、普通の人がそうではないことは知っている。
雑談ができないから、何を考えているのか分からない不気味な人間としてカテゴライズされ、異物として扱われる。
仕事は仕事として、割り切って扱ってもらうことはこの人間社会では難しい。
まあそんな仕事の中身についての話はどうでもいい。結局は給料をもらって生活が出来ている、それだけだ。
人生は、予期せぬ出来事で満ちていると言われるが、私の人生は単調で予測可能だ。
朝起きて、仕事をして、夜になったら寝る。毎日同じようなことの繰り返しで、時が過ぎていく。
過去の私が、もっと相手の心に寄り添うような行動を取っていれば、という場面も思い浮かぶが今更だ。
まあみんな大体そういう後悔のいくつかはあるだろう。そういうものだ。そしてその8割は勘違いだとも分かっている。
過去の行動を誤ったと解釈することもできるが、こういう行動をとった結果が私なのだから、無理しても仕方ない。
仕事中毒の人間が家庭を犠牲にして働いて、職を失ってから後悔するという話もよくあるが、私にとっては贅沢な話だと思う。
その家庭をそもそも築けなかったのが私だから、完全に下位互換でしかない。
もう若くはない。この先、同じような毎日を繰り返して老いていくのかと思う。
一昨年から始めたソシャゲがその時間になるとサーバの応答が遅くなった
キャラクターの立ち絵が表示される度にゲームの進行が0.5~5秒止まる
まるでセガサターンやPS1の時代のゲームをやっているような感覚だ
俺はてっきりゲーム会社のサーバが過重なアクセスのせいで重たくなってるもんだと思い、ガチャの引きが悪かったのを機にそのゲームを引退してしまった
で、引退して空いた時間にPCでネットサーフィン(死語)をしてたら回線そのものが重たいことが判明した
誰だ、異常な負荷をかけてる奴
おかげで俺は課金までしてプレイしていたゲームを引退してしまったぞ、ありがたい
ありがたついでにこっちも回線に異常な負荷をかけてやる
どうせ夜に仕事から帰ってきてエッチな4K動画とか観てるんだろう?
快適に視聴するには画質を落とさなきゃだな!
どうせ4K動画を心ゆくまで堪能しようと思って4K対応の大型テレビなんか購入したんだろ?
無駄な出費であったな、はっはっは! ザマを見よ!
ということでその時間にLinuxの鳥のISOファイルでも落としまくろうとか考えたが、こんな下らないことで配布サイトに負担をかけるのも嫌なので、現在別の手段を検討中
色々と思うことがあったので書きなぐってる。超久しぶりの増田なので、読みにくかったらごめんなさい。
小中の頃からパソコンでインターネットに入り浸ってきた。まぁそれなりにサブカルにどっぷりだったほうだと思う。あの頃からパソコンを触っていたおかげで、今ではWeb系IT企業でエンジニアをやっている。
初めてインターネットに触れた頃、2ちゃんねる全盛期、おもしろフラッシュ倉庫全盛期というような感じだった。
いいタイミングでインターネットをはじめられたと思う。本当に朝から晩までCeleronのクソPCで「ネットサーフィン」をしていた。あの頃の自分が居たから、今の自分がいると思っている。
話を本題に移すのだが、あの頃のインターネットをやっているやつは、みんなネトウヨだったと思う。
社会的にもややこしい時代だった気がする。中韓ではしょっちゅう反日デモが起こって、その度に国旗が燃やされてたし、その一方で日韓ワールドカップがあったり韓流が流行ったりと、何かと「そういった話題」に事足りなかった。
この当時から、中韓、特に韓国に対する不信感が根強くついた。「みんなビジネスで日本と付き合っていて、実は腹の中では日本のことが嫌いなんじゃないか」と。韓流とか言って日本に稼ぎに来ているのに、一方で日本国旗を燃やしている様を見て、ネトウヨ中学生はそのように感じた。
割と反韓感情を持っていたし、表立って日常生活では見せなかったが韓流等は毛嫌いしていた。親は韓流にハマることはなかったので、幸いにも生活に支障は出ることはなかった。全部なにかのパクリだと思っていたし、付け入られると良くないことが起こると思っていた。多分人生の中で一番ネトウヨしていたと思う。
ある程度大きくなって、そんなことは一概には言えないことが分かってきた。中共はおかしいが、中国人自体は別に全員がおかしいわけではない。おかしくないやつもいる。韓国人だって、全員日本が嫌いで国旗を燃やすわけではない。
もう少し大きくなって進学していくと、大学だったり大学院には中国人留学生、韓国人留学生が居た。彼らは皆良いやつだった。
しかしながら、魂に刻まれた何かがやっぱり心をざわつかせた。そこまで具体的に強い思いは無いがなんとなく障壁を抱いていた。そんなこんなで手放しに心を許せるような関係になることはなかった。
同僚にはちらほら中韓にルーツを持った人がいる。日本国籍を取った人もいれば、就業ビザで働く人もいる。バックグラウンドは様々なので価値観は色々だが、少なくとも悪い人たちではない。
中にはどっぷりなオタクも居て、私よりもエロゲに詳しいやつもいる。面白い。
それでもなお、なんだかちょっとしこりがあるんだ。心の底に疼くネトウヨ精神が壁を作ろうとする。若干コミュニケーションがぎこちなくなってしまうというような感じだ。
大陸系のコンテンツもほぼ消費してこなかった。「たまに良いエロ同人を描く人がいるな」くらいな感じしか触れてこなかった。向こう発のサブカルは若干避けていたところがあった。
初めは大陸ソシャゲの一つだと思っていた。何なら相変わらずなネトウヨ精神で、大陸ソシャゲに対して良いイメージは持っていなかった。パクりか、品のない(金!女!暴力!的な)日本語の怪しいゲームしか無いと思っていた。
でも思ったより流行った。Twitterには大量に画像が流れてきた。「金ばら撒いて、絵師に描かせるんじゃないか?」…失礼ながらそんな風にも思っていた。
しばらくたった日。そう去年の今頃、ブルアカのストーリーが山場を迎えていることを知った。
「最終編」なるものが始まったことと、アニメ化が決定したことを知った。たまに見るVTuber(名取さなさん)のプレイ動画を見て、なかなかしっかりとしたストーリーがあることが垣間見えた。
正直、エロゲもびっくりなえっちなキャラデザのキャラばかりだったので、エロに全振りしたゲームだと思っていた。実はそうじゃないらしい。
少し調べてみると、ミツキヨさんが音楽を担当していることを知った。同人音楽を聴く中で、前から知っていたコンポーザーだった。驚くことに彼は韓国人だったらしい。全然知らなかった。
ちょうど仕事が一段落して少し時間ができた時だった。「最近サブカル趣味ができていないし、何かやりたいな」そんな風に思っていた。
自分が理性的な人間だとは思っていたので、良くわからない魂に刻まれたネトウヨ感情で食わず嫌いをするのも良くないと思っていた。まぁ自称中庸なわけだし。
なんとなく自分の琴線に触れる要素があるかもしれないと思った。そんなこんなでブルアカを始めることにした。
やってみて、正直びっくりした。本当にスタッフがみんな韓国人なのか?と。
日本のアニメ、ゲーム(エロゲも含めた)、ラノベ等々に影響された重厚なストーリー。それでいて、どことなく新鮮なストーリー展開。
ミリタリーと青春とRPGが、絶妙なバランスで成り立っていることにびっくりした。このトンチキなキャラデザで。
ただただ圧巻された。正直猿真似でしょ?と思っていた自分の浅はかさを恥らしく思った。
日本のオタク文化を、幼少期から浴びて成長した生粋のオタクじゃないと、こんな物作り出せない…と感じた。そしてそういったオタクは1人だけではなく、組織を作れるほどにいるらしく、かつ彼らの価値観は高いレベルで共有されている。ただただ驚きを感じた。日本でも、こんな素晴らしいアウトプットを出せるチームを作ることは難しいだろう。日本と同等かそれ以上に濃いオタクがたくさんいることを強く感じた。
思えばまさに彼らは「海外のおまいら」であり「オタク外人ニキ」なのだ。ネトウヨが大好きな概念じゃないか。
そしてそんな彼らは「韓国を舞台にしたソシャゲ」ではなく「日本(カルチャー)を舞台にしたソシャゲ」を作ると言う選択をしている。グローバル展開をする上で、それの方が都合が良いからだ。なぜなら日本風サブカルなコンテキストは、すでに彼ら同士で共有済みなため、それを基盤にした方が受け入れられやすいからだ。
私の世代はまだまだ「オタク」に風当たりが強かった世代だ。中学の頃の嫌な思い出はいくつもある。未だに「オタク」を自称することに抵抗感がある。日本ですらこんなに受け入れられなかったのに、海の向こうにこんなにも仲間が居るということに、ただただ驚きを感じた。
それに気が付き、初めて彼らと打ち解けられた気がした。まぁ私が勝手に打ち解けて勝手に自己解決しているだけなのだが。
今ではブルアカ内の「ちょっと古臭いキャラクター名」も、「若干日本語がおかしい背景画」も、愛おしく感じる。これが日本のサブカルが世界に羽ばたいていった証拠なんだと。猿真似などではなく、真に価値観を共有したオタクたちが韓国にもいっぱい居て、そんな彼らが最高のコンテンツを作っているのだと。
そんな感情の変化のおかげで、初めて韓国人の同僚とも腹を割って話せるようになった。
向こうは気がついてないと思うが、私の中でのわだかまりはなくなった。大変喜ばしい。
大陸コンテンツに対しても特に嫌悪感を感じなくなった。一気に楽しめるコンテンツの幅が広がった気分だ。
長話になったが、そんなこんなでブルアカには本当に感謝している。
ブルアカのお陰で、私の楽しめるコンテンツの幅、そして交友関係の可能性が一気に広がった。
どうしてこんな話を書こうと思ったかというと、今日少しイベントがあったからだ。
そう、ちょうどブルアカ3周年のリアルイベントがあったのだ。2周年の際に発表された情報がきっかけで、私はブルアカを始めたので、初のイベント参加だった。
そんな中でTwitterにつぶやいた投稿が少しバズった。なんてことはないイベントの様子を伝えるツイートだったのだが、それなりに拡散した。
するとクソリプが飛んできた。自称ネトウヨな人からだった。荒唐無稽な言いがかりで論理展開をし、ブルアカを貶めるような内容だった。
多分彼からしたら「気がついてほしい!目覚めてほしい!」みたいな気持ちで送ってきたのだろう。多分議論しても無駄だと思ったので、そっとブロックした。
ふとその時に感じたのだ。「逆だったかもしれねェ…」って。
価値観なんて人それぞれだし、正直何が良いかなんてわからない。しかしながら見ず知らずの人に突然食って掛かって、その人の好きなコンテンツを貶したうえで啓蒙をするというのは、なかなかに感じが悪いし、それを実行しようと思うのはあまり健全な精神状態ではないだろうと思う。彼自信もあんまり楽しくないんじゃないかな?もっと楽しい道があるんじゃないかな?と勝手に感じた。
彼にも、何かきっかけになるようなコンテンツとの出会いがあると良いな…そんな気持ちになったので、こんな増田を書いた。
おしまい。
スマホでネットサーフィン中、いつもならソシャゲの広告だらけになるところに急に税理士の転職情報がポッと出てきた。
俺の職場とはかけ離れた好待遇に若干ムカッときたが、そういえばGoogleの自動表示広告はアクセス情報とかに応じて適切な広告を選ぶような仕組みだと聞いたことがある。
ならなんで俺に税理士を勧めたのかさっぱり分からないが、あえて興味のない広告をタップすることにしてみた。
その後、広告タップやGoogle検索でデキる男をシミュレーションした結果、出てくる広告が付近の高級マンションの物件情報やハイクラス向けの転職情報だらけになった。
GoogleAIは俺のことを更なるキャリアアップを目指して転職を検討しているハイスペック男性だと思っているようだが、実態は転職するスキルも無い低所得男だ。残念だったな。ふふふ。
「年をとってから良さが分かるようになった」なんて物言いをしょっちゅう聞く。
中年老人になって本当に好みが変化したのか。
読書やらネットサーフィンやらの累計時間が増える中で他人の視点やら解釈を仕入れたり、物語というフィルターを通したりで楽しみしろを探すようになったのか。
それとも加齢で胃がくどいもんを受け付けなくなったり脳ミソも凝り固まったりで、嫌いなものや自分で体験できなくなったものばかりが増えて、それでもまだ自分が受け入れられるようなものを精一杯「これでいい、これがいいんだ」と言い聞かせてるのか。それが実はそこまで大好きという訳ではなかったとしても。
どれなんだろうなって思う。全部あるのかもしれない。
先日、スイスのブルマーについての記事を書いた。その際に韓国のブルマの名称はわからないと書いた。だが、改めて念のため「ブルマ」をハングルで表記した「블루머」で検索すると、この記事がヒットした。
そして、驚くべき証言が見つかった。
일본의 영향을 받았던 한국도 1970년대 이전까지는 여학생 체육복으로 쓰이기도 했으며, 미국이나 영국 등지에서는 사실상 할머니들만 입는 속옷으로 인식되어 있다.
和訳するとこうなる。
日本の影響を受けた韓国も1970年代以前までは女子学生の体育服として使われており、アメリカやイギリスなどでは事実上祖母だけを着る下着として認識されている。
一部意味が通らないが、1970年には韓国でもブルマーが採用されていたようだ。
なお、日本語版ウィキペディアによれば、これはナムウィキという韓国ではウィキペディアに並ぶウィキらしい。しかし、出典の管理がウィキペディアには及ばないそうだ。
ブルマーについての証言があるのなら、当時の写真があるかもしれない。そう思って改めて検索した。キーワードは「한국 체육 수업 1970」つまり、「韓国 体育の授業 1970年」だ。すると、一枚だけだが写真がヒットした。年代も完璧に一致する。
こうして、韓国では1970年代に学校教育でブルマーが採用されていたことが示せた。
(追記:背番号もあるし部活かも知れないが、少なくとも学校にブルマーがあったことは示せる。なんにせよ、民主化以前のブルマーとは興味深い)
上記のナムウィキには学校のブルマーだけでなく、バレーボールや陸上ブルマーについても記載がある。
そこで興味深かったのは、次の記述だ。
이는 규정으로도 남아있는데 대한배구연맹의 유니폼 규정에 따르면 '허리와 길이(하지장 12cm이내)는 타이트해야 하며 몸선에 맞아야 한다. 반바지 스타일이거나 골반 쪽으로 파인 삼각형 모양이어야 한다'로 남아 있다.
すなわち、
これは規定でも残っているが、大韓バレーボール連盟の制服規定によると、「ウエストと長さ(下着12cm以内)はタイトでなければならず、身体に合わなければならない。ショートパンツスタイルであるか骨盤の方にファイン三角形の形でなければならない'として残っている。
ところで、韓国語で「体操着」、つまり「체조 착용」と検索すると、レオタード画像ばかりがヒットする。ブルマーが出てくるかと思って「女子高生の体操着」、「여고생 체조 착용」とやっても同様だった。しかし、レオタードをグーグル翻訳で韓国語にすると、「레오타드」(reotadeu)と音訳される。
これは先日の記事のように、体操着とブルマを表す言葉を、単純に和訳できないという問題だ。
実際問題、「陸上ブルマー」「陸上パンティ」のどちらを翻訳しても、一応は画像はヒットする。
先日ネットサーフィンをしていたら、yabantuってチャンネルが紹介された。アフリカの文化を紹介するというサイトだったのだが、上半身裸の女性で釣っているような感じがした。
いいんだろうか、これ。
韓国にも1970年代には体育の授業にブルマーが採用された。しかし、諸外国と同じようにそれ以降の例はほぼ見られない。ショーツ型のブルマーが90年代、遅くとも00年代まで残っていた日本の状況は特異である。また、提灯ブルマーからローカット、さらにはハイカットのブルマーへと変化していった点も特筆すべきである。
また、体育の授業でのブルマーが世界各地で見られるものの、横断した研究はほとんど見られない。これだけネットが発達しても、世界の様々な知識が統合されていない事実を目の当たりにさせられる思いだ。ChatGPTが発達したとしても、まだ画像を適切に処理できていない以上、世界のブルマーについてAIについて尋ねて適切な答えが戻ってくるには、もう少し時間がかかりそうだ。
知識を5ちゃんねるか何かに書いて、まとめブログに拡散してもらえないだろうかと空想することもあるが、そもそも5ちゃんねるが重すぎるし、アフィリエイトに使われるのも何か違う気もするのだ。
それから目覚ましをスヌーズにして10分だけ寝直すのを3回繰り返す
出来上がったうどんにめんつゆ・生卵・昨日のおかずの残りをのせ1分だけチン
食後も軽く歯を磨く
仕事をする
昼 昼飯は宅配弁当を食べる。食べたら歯を磨いて、椅子で30分寝る
手にローションをつけ動画を見ながら5分以内にサッサと抜く
風呂に入るが、まずはかけ湯をしっかりして石鹸を手につけて体を洗ってから
風呂は15分以上浸かる
風呂に浸かりながらフロス→舌苔取り→歯ブラシの順番で歯を磨く
頭を洗う前にシャワーを流しながらシャンプーブラシでゴシゴシする
バスローブに着替えて髪をドライヤーで乾かしながら軽く瞑想をする
髪が乾いてくる頃には体温低下でやたら眠くなってくるのでベッドに入る
当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内の大学の文系学部を卒業し、ストレートに大手メーカーに総合職として就職。配属は社内情シス。
転勤先は東海道新幹線のとある駅まで数kmの田舎の工場で、工場情シスということで仕事の内容自体は東京の本社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。
が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業にバンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでしまったが激しく後悔している。面接で「地方転勤もあるかもしれないけど、いい?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方の生活も経験してみたい、東京以外の生活も面白そうだ」というぼんやりした理由で承諾してしまった。今は転職エージェントを使って全力で転職活動している。
俺と同じように実家も東京でずっと東京で生活していて地方の生活も悪くないかもと考えている都内の大学生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから地方で生活してみたい、は絶対後悔する
・そもそも地方転勤がある会社を受けるな。もし受けるなら40歳平均年収が1000万円以上のところだけにしておけ。平均年収600万円程度の会社で地方転勤させられたら都内勤務で平均年収600万円の会社に絶対勝てないし自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。
・地方転勤は年収換算マイナス300~500万円くらいだと覚えておけ。つまり年収300万円上乗せするから地方に転勤してくれない?と言われて初めてフェアな交渉になるという意味だ。給料据え置きで地方転勤を打診されたら速攻で転職活動しろ。でないとニトリの家具に囲まれて地方でうんこ製造するしかなくなる。
これを読んでいる都内在住の人は、新幹線に乗って遠出したことが一度はあると思う。東京から新幹線に乗車し、富士山を眺めつつ、新大阪や名古屋に到着し、旅行を楽しむ。ありふれた旅行の一つだ。
都会から都会を結ぶ線路の途中でふと窓の外を見ることもあると思う。眠くなるような代り映えのない田んぼだらけの景色。
想像できるだろうか、新幹線の窓辺から見える田舎の工場で働く人の生活を。俺はまともに想像もしていなかったのに安易に転勤を受け入れてしまった。
地方転勤の想像と現実のギャップやありがちな勘違いを、東京育ちの若者目線でつらつら書き残しておく。
23区外、いわゆる多摩だって田舎だし、東京から離れた田舎だって同じ日本なんだから大して差はないだろ、という勘違い
23区外に住んでいると、しばしば「ここは田舎だから」と自虐を宣う人を良く見かける。
こんなのは嘘だ。本当の田舎を知らないから言える虚言そのものだ。
駅までせいぜいバスや自転車、徒歩で心理的負担なく気軽に出かけられて、駅周りの喫茶店やカラオケ、ネカフェ、松屋吉野家なんでもありの活気がある場所にすぐ行ける。
この「心理的負担なく気軽に」行けるかどうかの違いは東京の郊外と、本当の地方の田舎じゃ天と地との差がある。
地方に住んでいると、駅までちょっと出かける、というのは遠足みたいな準備と気合が必要になってくる。
明日は何時に家出て駅まで行って、そこから~時の電車に乗ってでかける、といったようにだ。
東京に住んでいたら、休日に時間を気にする必要なんて全くと言っていいほどない。終電逃しても最悪タクシーがすぐに拾えるし、どんな時間にバス停や駅につこうがすぐに乗車できるからだ。
東京の場合は、財布とケータイだけもって適当にぶらぶら歩きつつ思いのままに東京タワー行ったり新宿で買い物したり美味しいラーメン屋とか書店で思う存分休日を楽しめる。
コンビニも近いからちょっとビール飲みたいなと思ったら思ってすぐに家出て買いに行ける。
それが田舎では全くできない。
田舎に住んでいると、外出するのにかなり気合が必要になる。というか、外出する目的が必要になる。東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。外に行きたいから行く。これだけで十分だった。
だが田舎は違う。目的も無しに玄関出て外に出たところで、何も起こらないのだ。田んぼだらけの道をふらふら歩いてコンビニまで30分かけて行って弁当や飲み物買って帰ってくるくらいだ。田んぼの田園風景は引っ越し初日で飽きる。何にも面白いものなんてない。だって変化がないんだもの。当たり前。
ネットもAmazonもあるし、もともと休日に頻繁に外出するタイプじゃないから地方だろうと部屋の中でのQOLは都会と大差ない、という勘違い
俺は思いっきりこの勘違いにハマっていた。もともと友達もあまりいないし、ネットサーフィンしたりPCでネトゲやったり読書したりとインドアな趣味が多かったので、東京に住もうが田舎に住もうが大した変わりは無いと思っていた。むしろ田舎の方が光回線の帯域を占有できるからネットのスピードに関しては東京より快適だった。
だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない。東京に居たときとレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。日中に玄関から出れば東京だと絶対人間に出くわす。ママチャリで買い物してる奥さん、学校帰りの子供、スーツ着たサラリーマン、作業服した作業者、とにかく人間がいる。
対して田舎は本当に人がいない。外に出ても出なくても人がいない。部屋の中で心臓痛くなって倒れても助けは呼べないだろう。俺はアパート住まいだが、隣の部屋は空き室で、数室離れたところによくわからん人が住んでるという感じだ。俺がゲーム中にくらっと来て倒れても誰も気にかけちゃくれないだろう。地方の田舎の、新幹線から見える工場に勤めてる若造が、周りが田んぼのアパートの一室で倒れて苦しんでるなんて、誰にとってもどうでもいいことに違いない。そういう絶望的な孤独を、田舎では強烈に実感することができる。それはインターネットやアマゾンでは全く埋め合わせることができない。
アマゾンは確かに配達される。だけど物欲自体が無くなるわけよ、田舎に住んでると。だって自慢したい相手がいないんだもの。いくら高価なグラボを買ってTwitterで自慢しようにも、自分が惨めな田舎のアパートぐらしってだけで気持ちが強烈に萎える。
田舎で成り上がる意味はない。田舎で成り上がったその先は、都会への移住。
で、これ。
住めば都って言うじゃん。どんな田舎でも何年か暮らしてみたらそこが故郷になるって話。あれは絶対嘘。まあ実家がもともと他の田舎にあって田舎→田舎の転勤ならそうなるかもしれない。
だけど東京育ちの若者が田舎に何年住んだって絶対都になんかならない。人がほどんどいない無人の都なんてあるか?何年たっても田舎は田舎だし、人は増えない。当然都にふさわしい店や活気、おしゃれな建築物なんて絶対に作られない。都なんかになるわけがない。
だから、上昇志向のある人間は必然的により良い環境へのクラスチェンジというか移住が目標になる。田舎の工場で工場長や支社長になったって、多分東京で平社員やってる方が圧倒的にQOL高いよ。
田舎のトップになるより、東京の底辺の方が100万倍マシ。なぜなら優秀な人はみんな都会を目指すわけで、田舎で昇進を重ねて偉くなろうが、部下になる奴は救いの無い田舎者とか上昇志向の無い現状維持の変化を嫌う奴らだけ。優秀な奴は結局東京みたいな都会を目指すわけよ。
だから、田舎で昇進して成り上がるなんて人生の目標になるわけがない。偉くなれば東京に上がれるかも、って希望だけが向上心の持っていき場になる。
偉くなって、東京に行くんだ、ってなるくらいなら、最初から東京の会社でキャリア積んだ方が100,000,000倍マシ。地方転勤は本当に虚無。
お盆休みに実家に一週間ばかり帰ったが、田舎暮らしには何の意味もないことをさらに実感することになる。
UberEatsとか、なんだよこの便利なサービスは。外出しなくてもレストランのメニュー注文できて自宅で食えるとか神かよ。
図書館はそこら中にあるし、本屋もまだまだたくさんある。ふらっと気軽に家から出て本屋で立ち読みしたり気に入った本を買って喫茶店で3時間くらいコーヒー飲みながら読書したりとか、最高かよ!!
映画館も多くて、プロスポーツ観戦もちょっと気が向いたらすぐに行ける。ラーメン屋も地方と違ってめちゃくちゃレベルが高い。
「生き物のようにぐにゃぐにゃ生きて動いている街」のど真ん中に自分がいるということがどれだけ楽しく活気に満ち溢れている状態なのかとても強く実感する。
東京戻ってきて思ったのは、東京って行こうと思えばすぐに、海、山、湖、川、都心、港、渓谷、果ては島にすら日帰りで気軽に行けちゃうっていう、人が多くて買い物し放題なだけじゃなくて東京近郊でアウトドアレジャーも超簡単に楽しめちゃう最高の地域だってこと。
箱根や富士五湖、横浜の港、アクアラインで千葉に行ってマザー牧場とか海岸線ドライブとか、狭山とか五日市の秋川、高尾山も超気軽に行ける。調布飛行場行けば日帰りで伊豆大島にすら行ける。井の頭公園、代々木公園、新宿御苑みたいな緑にあふれたところもさくっと行って帰ってこれる。つまり東京に住んでれば自然も楽しめるし都会も楽しめるし、文化、芸術、スポーツも最高に楽しめる。
東京で不足する要素が本当に見当たらないのだ。
お盆が終わり、誰も待っていない田舎のアパートに戻ると半端ない孤独感が波のように押し寄せてくる。同じ大学の同期で東京勤務の奴は、田舎暮らしの辛さなんかこれっぽっちも知らないんだろうなあ、と思い心底うらやましく感じる。都会のおしゃれな店で貴重な20代を合コンや会社の先輩とかとの飲み会で楽しんでる中、自分は音のしない孤独なアパートの一室でやることはネットサーフィンやネトゲだけ。
大手企業だから20代なのに残業代込みで500万円近くもらえてはいるのだが、ぶっちゃけ20代なんて年収300万円の都会住まいで全然十分だし、早くこの地獄から脱出したくてたまらない。。。
年収600万円での地方生活 = 年収300万円の東京生活だ。
地方転勤命令なんて人権無視の非人道的行為そのものだ。好きなところに住む権利は基本的人権の一つだ。
転勤命令を出すなら、最低でも年収300万円は上乗せしないとフェアじゃない。それを会社側の負担がせいぜい数十万円の引っ越し代でほぼノーリスクで転勤命令出せるなんてありえない。
俺と同じ無知による悲劇はもう起こってほしくないし、何よりノーリスクで転勤命令出そうとするクソ企業を心底呪っているので、転勤ありの会社に新卒が全く集まらないような社会になってほしい。
転勤ありの会社は地元から社員を募集するか、年収300万円以上給料上げて募集しないと人が集められない、そういう社会になってほしいと思ってこのエントリーを書いている。
だっておかしくないか?企業は企業で土地代の安い田舎に工場や事業所を作るわけだから、土地の負担額は数十億円単位でセーブできているわけだ。だったらそのセーブした分を人件費に積みかえることで地域が活性化してお金が地方にも回るのに、都会で人を集めといてそのまま地方にぶん投げる、こんなのありえないだろ。せめて金銭的に地方に行ったら得になるようなインセンティブを出せよと。
関連した人などに届くことがあるのかは微妙だと理解しつつ、文を残してくれていることへとかく感謝しておきたいと思って垢作って書き書き。
ネットサーフィンしている際に偶然たどり着いた。
読みにくいのはごめん。見よう見まねでリンク絡めたけど繋がってるといいなあ…。
さて当時、自分はこのゲームに傾倒とも近いほどにハマり、いざ配信系投稿サイトから声優さんの起用が始まると告知を受けた時は情緒がめちゃ乱高下したのをよく覚えてたり。
今でこそつらつらと書く意識があれど、新規投下組のボイス付きイベント(13含む)とかはまともに見れずスキップしたりとか。というかイベントも追えなくなっていった感じで。
後々、本編の設定や時系列に絡んでストーリー補佐する情報としての立ち回りから、やっと事実を受け入れられたり。
あれから数年経って、この記事を読んで過去に改めて向き合うことになりながら、色々あったなあと笑い飛ばしたりで久しく懐古の感覚に駆られました。
なんだか励まされたような、それでいてひたすらにありがてえと感じたです。似たような心情になる人もいるのだなあ、と何だか嬉しく思ったりで。
俺は弱者男性だ。こう言うと「どうせ自称でしょ?」などと穿った目で見る輩も出てくるだろう。実際、日本の年収中央値から見れば高年収の者が「弱者」を名乗っている時点で自慢気で腹立たしいのである。
俺がこれから書くことは「嘘松」ではない。俺のありママの状況を話そうと思う。
ほら、お前がなんと言おうと、俺は弱者男性だというわけだ。
ここからが肝心だが、俺は人生において何も困ってないし、何ならかなり幸せに生きているということだ。
どっかの国の自称サイエンティストが「お金の余裕こそが心の余裕である」と馬鹿げたことを言っていたが、少なくともそれは俺には当てはまらねぇな。
「少ないものに満足する。身近な善行を行う。そうすれば幸せになれる」というのが俺の論だ。
ミニマリストと言えばそうかもしれないが、どちらかというと、思い出を大切にしている。
今思えばガキの頃に感謝するべき人たちがたくさんいた。水泳を辞めたときも、初めてのバイトを辞めたときも、高校を卒業したときも、俺程度の人間に色紙をくれた人たちがいた。
そういう思い出に浸るだけで、世界は優しい人たちで溢れていると思うのである。
俺はかなり共感性欠如のADHD的なところがあり、様々な人たちに迷惑をかけてしまった。いじめをされたこともしたこともあった。
だが、それも神が善性を試していると思えば、試練に思えてくるし、試練ならば見栄や虚飾を張る必要はないと思うのである。
生きている。それだけで神からの贈り物である。日本に生まれたという幸運にも感謝しているし、今の両親の元で生まれたことも感謝している。