はてなキーワード: ネタとは
ふだん漫画読まないし全然漫画知ってると思わないけど、それでもこれは漫画のテーマになってなさそうだなって概念がいくつかある
たとえばひよこ雄雌鑑別師はネットなどであんだけネタにされた以上一つ二つは漫画になっててもおかしくなさそうだが、
ドローンは、ありそうでなさそうで、結局ありそう。誰かさんも「プロ大会があるようなスポーツで漫画化してないものはないだろう」って言ってたので
でも「ボッチャ」は、bookliveで検索したかぎりではなかったなあ。
これも違うんだよなあ
そんなお客さん的なシンパやフェミ騎士なんかいらないのだ。「オマエが当事者性を持て」ってことだから。
個人の考えや好き嫌いのレベルを超えて「男女平等は正しい」ということを前提に立法をはじめとしたルール策定と運用がなされている。あとはみんなで実行あるのみ。
つまりフェミ騎士だけでなくフェミニストもとっくにいらないのだ。
この辺のことはしかしいくら言ってもこいつらには全く理解不能だろう
AとBの対立構造に落とし込む以外に物事認識できないレベルの知能だからな
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自分は好きだし、ファンの熱量は高いんだけど、なんでかいまいちヒットしないんだよなぁ~
庵野秀明のシン・シリーズぐらいになれなかったのはなんでだろう
オタクの好きなことやりまくっているのになぁ~
弱男煽りなんてネタじゃんと思ってたのになんかだんだん怖くなってきちゃったな
ま〜ん(笑)って言って笑ってたらフェミニストがジャップオス!!!!!!とか発狂し始めたときのねらーの人達たぶんこんな感じだったろうな
おい、文章なげーんだよチー牛!と言われる前にポイントを書く。
・曖昧な概念で社会的弱者を生み出し、強者が弱者を叩く弱いものイジメの構図が平然とまかり通っていること
・ルッキズムに基づいた弱者のイメージは商業主義において利用されやすく、チー牛顔に限らず今後も資本家による弱者イメージの流布・それを利用したビジネスが展開され経済的搾取を招きやすい
チー牛に限らず、大衆にとって"叩いて良い対象"となったものは相手が人間だろうと平然と"リンチ"のような誹謗中傷が行われてきた。
しかしチー牛はそれらとは大きく異なる。チー牛男性というあの一枚絵に象徴されただけの曖昧な概念であり、一個人や団体ではない。
では概念を叩いているのか?それは違う。叩きたい人がチー牛男性という概念を引用し、社会的弱者として扱い叩く。ここにチー牛叩きの問題の本質がある。
真の問題はチー牛という概念でも、ルッキズム至上主義でもなく、社会的弱者を誰でも簡単に作り出すことができ、レッテル貼りによるリンチが平然と横行している点だ。
そしてもはやチー牛という概念を使ったリンチはネットに留まらず、現実の社会においても表出しつつある。
やがては子供、学校社会にも影響するだろう。子供はコミュニケーション能力が成熟していないし、キャッチーなワードに引かれやすいのでチー牛が合言葉のようにイジメのキーワードになっても何ら不思議ではない。
ここまで書けばもう理解していただけるだろう。「なぜイジメがダメなのか」を一から説明しなくとも、曖昧な概念によるレッテル貼りで誰かを叩くというのは誰でも被害者になり得るし、加害者が許されて良い理屈はないことは自明である。芸能人叩きでも、学校、会社のイジメでも自殺という最悪な結末によって事が収まる事があるように、チー牛叩きから人が死ぬこともあり得るのだ。
全く別の観点での問題がある。ルッキズムに基いた社会的イメージというものは「簡単に作り出せてしまう」ということである。
ファッションが分かりやすいだろう、「今年のトレンドは〇〇」のように多くのメディア、企業によって簡単にイメージというのは作り出せてしまう。
恐らく直近数年以内に、「脱チー牛」を促すための邪悪な広告がメンズサロンか、美容院か、美容外科か、出てくるだろう。
ではその流れが終わったらどうなるか?
チー牛効果で商売が繁盛すると分かれば次の弱者のイメージを作り出し、それをネタにまたビジネスをすれば良い。美容系でなくとも、一時期バリバリ財布がネタにされたように何かを貶す風潮さえできればそれがお金になるのだ。そうして企業による不安を食い物にした経済的搾取を受けるのは一般人である。
どちらの問題もチー牛男性叩きに限った話ではなく、過去似たような社会潮流はあるだろう。
この文章で伝えたいのは「強者側に回りたい人間の私利私欲に加担してはならない」ということだ。あなたが安易に加担してしまうことで被害を受ける人が生まれるし、あなたが被害を受けない保証はない。ちょっと叩きたい、馬鹿にしたい人がいたとしても、その小さな悪意の集合体が呼び起こす邪悪について、今一度立ち止まって考えて欲しいものだ。
青山先生は一つのエピソードを描く時に、トリックありきで構想を練っている、ということが分かった。トリックのネタを担当編集とブレストし、面白そうなものを見つけて、それをモチーフに話を組み立てている。
そこが起点なので、いつまで経っても一年が立たず一年の間に異常な数の殺人が起きるとかの世界観のちぐはぐさとか、登場人物の行動や思考がとってつけたような予定調和に感じる、ということが起こっているんだなあと感じた。
でも別にコナンはトリックが秀逸で、人物や特に絵が魅力的なので、それでも別に問題ないのであろう。自分が気になっているだけで。
自分がミステリーを読まないので分からないけど、ミステリーとはそういうものかもしれない。
ちなみに取ってつけたように補足すると、青山先生が命を削ってどのように作品を生み出しているかが分かり面白かった。青山先生お疲れさまです。60歳でも18時間作業されていて、すごい人だ。