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はてなキーワード: ニコニコとは

2024-05-28

anond:20240528124630

これは意見がわかれる

ニコニコ空気はすきだけど、コメント寒いからオフ

って奴がかなりの割合いるから、

コメ含めてニコニコというおまえの意見は間違ってないが、いらんという人は多い

anond:20240528121039

実際のところ、そんな熱量すらないよね

ウイルス感染する広告が定期的にでてくるから

予防のためにアドブロックを入れるのが当然になって

ニコニコが何を言おうとアドブロックははずさないし

個別解除なんてやりかたもわかってない人が大半

淡々と聞き流されておしまい

ガンガン使って広告ブロックしよう。一銭一厘とてニコニコに払ってやる金などない

ニコニコ動画

custardtartecustardtarte 2024/05/27 23:44

その他

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fishma 2024/05/27

ネットでのスクエニは見境なく殴って良い存在になってるので例によって難癖付けられてるけど、俺は楽しみにしてるよ1211めちゃ面白かったし。スクエニ会社としての評価とは是々非々 / まあ発売は当分先だろうけど

 

ニコニコは見境無く殴ってて草

2024-05-27

anond:20240527182715

このポストで、いままで舞い上がった知人の男たちに突撃されてた理由がやっとわかったわ

ニコニコして、お礼して、会話も弾むように、LINEも感じ良く…って女性にするのと全く同じようにしてると、気があるって勘違いされるよな

自分恋愛対象外には近付かない、目を合わせない、微笑まない、連絡しないって友達にも言われた

やっぱりあるあるなんだね

NNのデリヘルで運ちゃんしてる

発達障害境界知能みたいな感じの娘しかいなくて鬱

ニコニコしながらお金貯めてネイル専門学校に行くんだって話してくれた子が1番きつかった

でも基本的慣用句形容詞すらわかんない子だから多分無理

歌舞伎役者になりたいという女の子見てる気分だった

2024-05-25

みんなレスバってどんな顔でやってる?

怒りながらやってる?それともニコニコしながらやってる?

おれは結構楽しむタイプなんだけど、はてブツイッターとかだと相手結構ガチめ怒ってる感じが文面から伝わってきてちょっと気が引けちゃう

2ちゃんとかだとそんなことはないんだけど

2024-05-24

anond:20240524194647

あーしは喪女だけどそういう見下され方しても相手がそういう方だったら可哀想だなって思ってニコニコしてると思う

2024-05-22

ニコニコ動画で各種クレジットカードが使えなくなってて,「エロが許されてないニコニコ動画で」ってコメントがあるんだけども,皆さんお忘れかもしれませんがニコニコ静画R-18版のニコニコ春画ってのがありましてね…

まああまりにもマイナーすぎて誰の視界にも入ってなくて無関係可能性も割とある

2024-05-19

チー牛は差別語って言われるけど

からニコニコも5chもはてブロも全部男のもので、女であることがバレると今までの生活では聞いたことのない言葉で口汚く罵られることが常だった

ネット歴史的に女への罵倒語は多くあれど男への罵倒語ってかなり少ないように思う

初めて男に「効く」罵倒語が出来ちゃったんだと思う

からこそ今一部の人たちが「チー牛は差別用語だ」なんて騒いでるんだなと思う 女には今まで平気でもっと酷い言葉を向けてるのにね

自分食べ物キモい男を重ね合わせることが嫌だからチー牛って言葉は使わないけど、それはSNSに全部鍵をかけてキモい男に攻撃されてないから言わないだけで、攻撃されたら言ってしまうんだろうなと思う そういうキモい男ってチー牛が効くと思うから

まさかドラクエにこんなに興味が無くなるとは

小学生で2と3、中学で4、高校で5、大学で6、働き始めて7と8まではドラクエ特別だった。

リメイクスーファミ1,2,3、DSの4,6、スマホで5はやった。

11もPS4クリアはした。

ニコニコドラクエRTA動画を見たときは丸一日パソコンの前で見続けた。

今でも5までのRTAは垂れ流してることもある。

ずっとキーホルダースライムで、死ぬまでドラクエはやるんだろうなと思ってたけど、多分次のドラクエは買わない。

年取ったせいかもしれないけど、小学生の子どもがやるとも思えない。

スクエニ株価が下がるのもわかる気がする。

2024-05-18

親の金を5000万ほど使い込んだドラ息子だけど

いまだに親とニコニコ食卓を囲んでて我ながら怖くなってきた。

この母親はどうして俺のことを許せるのだろう。

2024-05-17

15年前くらいにニコニコで良くみてた女装してベース弾いてる美脚のおじさま未だに現役でびっくりした

あの頃となにも変わらずまじびっくり

老いとかないの?

2024-05-15

anond:20240515034355

比較対象として適切かは分からんけど占いって10分3000円が相場とかだから可愛い普通女の子に何の努力もせずニコニコ話を聞いてもらうには1時間1〜2万円かかるものだと甘受していただきたく。

わ~い

もう20代後半なのに、未だに毎日のように親のこと考えてしまう。もはや何が許せないのかもよく覚えていないのに、いちいち許せなくて、いちいち許せない自分のことが一番許せない、何が許せないか覚えてないのに!!(笑)

父親は私が中学生の途中頃から精神疾患を患ったらしく、そこからほとんど無職だったように思う。それまでは仕事しかしていなくてほぼ家にいなかった人だったので、知らん人が突然家にずっといる感覚(今も)。

父親は毎晩アルコールを飲み、基本的に毎晩記憶をなくしていた。夜に私たちが何を言っても覚えてなくて、「そんなこときいてない!なんで大事なこと言わないんだ!」と怒ることもあれば、もちろんどんなひどいことを私たちに言っても覚えていないので、まさに無敵。とりあえず機嫌で食卓支配するようなタイプ父親母親も仲が悪いので、私はおうちではとにかく「子はかすがい」労働。二人がリビングにいる間は険悪にならないように、父が機嫌を損ねないようにニコニコと楽しく会話を回して、できるだけ2人を2人きりにしないようにして、母親ふたりの時は父親愚痴をいっぱいきいてあげていた。えらい!

家はずっと不安場所だったけど、特に自分が寝た(ということになっている)後の時間が恐怖だった。親が共謀して(?日本語おかしいのはわかってるけど一番しっくりくる単語を使う)私を嫌っているという確信をもっていたので、私が寝た後に父親母親リビングで話していると、悪口を言われていないか確認しなければならなかった。あとはいつか母親が私を捨てて出ていってしまうかもしれない、それが発生するなら深夜だろう、と思っていたので、とにかく夜の物音を超警戒する必要があった。あとは、よく分からないことがいっぱいあって不安だったから(父親病気の詳細とか、ちらっと耳にしたギャンブル投資かで負けて作った大き目の借金?のこととか、なんにも教えてもらえなかった)、大人たちの秘密をなんとしてでも盗み聞きしなければいけなかった。そんないろんな動機があって、寝たことになっている時間のあとは、心臓バクバクさせながら息を押し殺して階段の途中に座ったり、床に耳押し付けたりして、必死に親の会話をきいていた。一番不安時間だったけど、今日悪口言ってなさそう、母親もでていかなそう、と安心を得られる時間でもあった。

父親と上手くいかないことがある度、母親には「まああの人は病気からしょうがないんだ」と言われたし、父親にも「俺は病気からむにゃむにゃ」と言われ暮らしてきたが、「じゃあ父親の「本当の性格」部分はどこなの、、、?」とずっと疑問である。前述したとおり、私は「病気」になってから父親しか知らないので、どこから病気仕業で、どこまでが「性格」なのかわからない。そこで「病気なんだからしょうがない」と言われると、もう私には心の中で怒ることさえ許されていなくて絶望病気父親の症状を受け入れない私は病気理解がなく、心が狭い悪人なのである。まあそもそもこんなことを考えていると、じゃあ「本当の性格」部分が悪だった場合は親を恨んでもいいと思っているってコト!?それってそもそもいいんデスカ!?とも思って結局私の思考が悪いし、まあとにもとにかく相手病気からこんなことを思っている時点で私が悪いのはずっと知っている。すみませんでした。本当はそんなことないよとずっと誰かに言ってもらいたいのかもしれない私はマジで極悪。(本当にそんなことなくないのは知っているので本当にそういうことは言わないでいいです。)病気父親イライラする時点で私の許されなさは確定している。心の狭い悪人であることが人生の早めの段階で確定してしまっている。アーメン。と、自分に対しては本当に事実悪人だと思うけど、これを口に出してしまうと、同じ境遇で同じ気持ちの人まで否定してしまうことになってしまうなと思うので、そんなことないよ、と言ってあげたい。きっとそんなことないよ~!

そんな居心地の悪い家だからもちろんずっと家を出たかったけど、私が家を出たら親のどちらかがどちらかを殺す殺人事件が起こるかもしれないと割と真剣に思っていたし、あの父親母親だけに託すなんて、自分けが幸せになって親を見捨てているみたいで申し訳なくて、大学でも社会人でも実家を出ることが出来なかった。というと責任感あるいい子っぽく聞こえるけど、罪悪感と責任から逃れたかっただけ(というまたまた悪人なところがでてしまっている理由)!実家を出ようと思ったタイミングは何度もあったけど、私が実家をでたことにより発生しうるありとあらゆる可能性(離婚、別居、殺人事件母親が病む、父親もっと病む、など)に対して責任を取る覚悟が持てなかった。実家が持ち家であれば適当に遠くに進学/就職して「やむを得ず」実家を出ることでその「責任と罪悪感」を回避するムーブ可能だったと思いますが、実家東京の身軽な賃貸(どこまでもゾンビのように着いてくる)のわたしにとっては、家を出ることの理由は「私が家を出たいから」しか基本的にありえず、つまり、その決断によりなにかが起きた場合、それは全て私の家を出たいというエゴのせいなのであるから、その決断をするためにはその責任を取り、罪悪感に耐える覚悟を決める必要があった。この覚悟は何年かけても全然まらなかったし、結局諦めた。諦めて、シンプル海外に逃げた!海外に行っちゃえば、私は「家を出たいから家を出る」のではなくあくまで、「『海外に住みたいから』『やむを得ず』家を出る」だけであって、別に家族を捨てたことにはならず、罪悪感から逃れつつ家をでれる、唯一の選択肢だ!と思った。他人に対してというより、家族と、なにより自分に対して正当な言い訳がつく。さすがに海外まで着いてこられることはないし!!天才である

いまは海外自分で家を借りて住んで、自分の心の安全自分で守れる環境を手に入れることができた。でもどこか満たされなくて、結局こうやってブツブツ言っている。今の「今」は確かに素晴らしくて、もう追加で傷つくことはないけれど、結局それは過去にもうついた傷まで癒してくれるわけじゃないんだな、と最近気づいた。わたし別に、うざい父が悲しかったわけではなく、うざい父から守ってくれない母(結局自分と父の方が私より大事自分>父>私)が悲しかったわけでもなく、ず~っと愛されてないなと感じて暮らしてきたのがすごく悲しかったんだなと気づいてきた。愛しているひとに面と向かって自分の死をちらつかせたりするのかな、愛している人に迷惑をかけていると知ったらお酒せめて一杯くらい減らせないのかな、あんなにしょっちゅう家出するかな、ぜんぶ「しょうがない」のかな、私よりお酒大事なのはしょうがない」のかな。愛している人が理不尽にキレられているのをみたときって「かわいそう」だけいうのかな、え「かわいそう」って感想でてくる?私は死ぬときは大好きな友達ケアなんてさせないし、お酒のん迷惑もかけないし、愛している人が傷ついていたら一緒に怒って、私は君のこと大事に思っているからね~って伝えてあげるんだからね。せめて、わたしわたしのつらさとがんばりを、誰かに知ってほしかったし、あわよくばちょっとくらい褒めてほしかった。特に、それをいちばんしてほしい人にしてもらえたら、それで良かったんだよ~。

といっても、私は虐待されていたわけでもないし、大学卒業までお金出してもらったし、もっと大変な心身の「ケア」をしていたひとたちみたいな苦労をしているわけでもないし、本当に、これで謎に辛がっているのは私のせいだと、本当に心の奥底からちゃんと知っていますすみません。でも、この辛さが自分性格の悪さに起因するものだとしても、辛いと感じた/ていること自体事実であることは自分で認めないと、先に進めないのかなという気もする。うまく言えないけど。

唐突に終わり。こんなポエムしまっておけばいいんだけど、しまっておくべきなんだけど、結局、だれかに聞いてもらいたい気持ちになってしまった、やっぱりダメ人間特におちはないのですが、私と同じような悪人がもしいたら、私たちはやっぱり悪人だけど、あなたけが悪人なわけではないんですよと伝わったらうれしいです。というのは嘘で(悪人なので)、これを書くことで私だけが悪人なわけではないことを知れたらいいなと思いました。だから共感した人がもしいたらどうにかしておしえてね。もう2桁年こんなことを考え続けて、はじめて文章にできて結構すっきりしたかも!すごい!気持ち文章にできるって大きな進歩だ、すこし元気になった、あしたもがんばろ~。

オフィス街キャバ嬢より

ノルマナンバーがない超ゆるい都内オフィス街キャバにて昼歴ピー年(現職)、夜歴3年弱の弱弱キャバ嬢やってるけど、一部の派手な土地を除きキャバクラって世間イメージよりずっと健全だと思う。

私のつくお客さんがたまたま良い人が多いのかも知れないけど、胸尻触りに遭遇したことは一切ないし、セクハラほとんどされない。痴漢と違って分別ある(?)から「お触りしたいなら今すぐ店変えていちゃキャバに行って」って言えばおさまる。一回だけ胸触ろうと奮闘するキモオジがいたけどガチギレして触らせずに帰らせた。あとパパ活不倫のお誘いは何度か遭遇したけど断るから何事もなく平和

しろ昔勤めてた大手JTCの方が酷いセクハラエピソード満載だった。昔の飲み会では女性社員の乳を鷲掴みで揉んでたとか、在籍中にとある支社長が若手女性社員局部を触らせてたとか。他にもセクハラ左遷された人いたし、自身キモい奴にセクハラされて人事に駆け込んだ。社内不倫もいたな。

それに比べてキャバマジで平和接待の席を盛り上げたり自慢話聞いてヨイショしたり愚痴聞いてヨシヨシしたり「あなたと話すの楽しい!」とニコニコしたり一緒に歌ったりしてるだけ。場内指名くれた人と連絡先交換するけどお礼と来店予定聞くぐらいでほとんどやりとりもしてない。

あと嬢がほぼ兼業からかみんなまともな神経してるし普通に仲良い。プラベで遊んだりもしてる。待機中のおしゃべりを楽しみに出勤してるまである。もはやちょっと客側の気持ちかもしれん。

別にキャバイメージを良くしたいとかは思わないけど、本当に良い意味で大したことないよ。何かのはじまりを期待してる男性には申し訳ないけどね。旦那キャバ行ってて浪費に怒るのは尤もだけど浮気心配しなくて大丈夫だよ。大方何も起きないから。

※ちなみにクラブセクハラやべーおじを複数観測した。会って開口1番「やらせろ」っていう実業家(この人は半分冗談常連)とか愛人誘ってくるおじとかタクシーキス迫ってくるおじとか色々いた。キモくて2ヶ月でやめた。

2024-05-14

anond:20240514123614

よく考えてみ?

そのかわんごが推進したニコニコはどうなった?

持ち上げられて大負けしてるのはどっちの方か考えれば、かわんごの言説を信じることこそが愚かだってわかるんだよね

イケメン無罪マジである

会社イケメン女性社員が髪切ったのに気づいて褒めたらニコニコ笑顔だったのに、おれが雰囲気変わったねって声かけたらそれセクハラです次やったら報告しますって真顔で言われたか

anond:20240513111546

”ちなみにそんな姉にも彼氏がいる。彼氏は姉をどういなしているのだろう?ニコニコ受け止めているのか、それとも彼氏の前ではヒスを見せないのかは知らない。”

ここ、背景が分からないけど家族に対してだけヒスを起こしてるというのは無い?

虐待とかで対立してた親子だと、「同じ指摘をされても親の場合だけ(昔の事がフラッシュバックして)許せなくてキレそうになる」とかがあるので

その姉とやらも何かの事情家族にだけ沸点が低くなってるのかもしれない(これは自分勝手事情とか妄想場合も考えられる)

2024-05-13

実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

そのじいさんが亡くなった。

昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家帰省するときレンタカーを予約する。この連休もそうした。

安いので、地元自動車修理工場フランチャイズでやっているインディーズレンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元DQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。

そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。

正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。

実家所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロック会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。

母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。

じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。

じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。

寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。

じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。

そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。

その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。

そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。

それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。

死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。

最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。

最初友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき友達わたしの隣にいないという人はきっといない。

父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。

父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。

父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。

亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEわたしに送ってきた。車というもの私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。

ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。

(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)

そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかたことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。

こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。

まれから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。

生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。

じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。

それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。

ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。

私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省ときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。

私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。

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