はてなキーワード: ナイロンとは
デザイン的には恐らく無印の奴のパクリ、ナイロン製で黒一色(他にもカーキっぽいのとかもある)、
超シンプルだから男でも女でも高校生でもおっさんでも合わないってことはないと思う。
それらより縦横に1cmくらい広いのと、マチがあるっていうのと、ファスナー部分がニョロっとはみ出る感じで伸びてて本体幅より広く開くようになっている。
で、これの何がいいかっていうと無印とかの奴と違って細めの折りたたみ傘なら入る絶妙な大きさ・太さなんだよね。
これがあと縦横2cmとか広いとちょっと大きすぎる感じがするし、1cmでも小さいと傘が入らない。
普段入れているのは折りたたみ傘、畳めるトートバッグ、容量350mlの細い水筒、小銭入れ、モバイルバッテリー&ケーブル類。まあ十分っしょ。
仕事でA4の書類とか持ち帰らないとってときは折りたたみのトート広げてサコッシュごとトートに入れる感じにする。
しかしマチがあるとはいえ500mlのペットボトルは入らないことはないけど流石にシルエットが崩れてボコってなるから諦めた。
水分補給が必要だったりするがっつり外出はリュックとかの方がいいね。
ポーランドではブルマーを何と呼んでいたか。調査が難航したため、僕は気分転換のためハンガリーについて調べた。そこで、思いがけない事実を見つけた。どうやらハンガリーではブルマーでは少数派で、レオタードが中心であったらしい。しかも、学校によっては今でも使われている形跡があるのだ。以下、ハンガリーのレオタード事情について概説する。
Így tornázott a nagyi meg a dédi: az iskolai testnevelés története képekben - Dívány
ハンガリーでは、体育の授業は内務相や文化相を務めたKuno von Klebelsbergの時代に導入された。ウィキペディアによれば、彼は地方に小学校を作り、大学を近代化し、ハンガリーの文化を海外に紹介する機関を創設した。その一方で、彼はハンガリー至上主義者であり、かつてのハプスブルク帝国内の少数民族に対してその優位性を主張していた。また、トリアノン条約によるやブルジョア・共産主義革命などの原因として、ユダヤ人を非難していた。
さて、当時の体操着を見てみよう。男子の制服は、写真を見ると白いシャツに短パン、それからおそらく革の靴であった。女子は、次のページを見る限り1930年代では、膝の上まであるワンピースタイプの運動着であった。初期のレオタードである。
それ以降の写真を見ていると、女子は短パンになっていくように見える。
だが、次のサイトを見ると、30年間から40年前はレオタードが使用されていた、と書かれている。2018年の記事だから、1979年から1989年に該当する。
Ilyen volt a tornaóra régen! | nlc
男子はポーランドのようにノースリーブに短パンなのに対し、女子は靴下にナイロン製のレオタードだった。また、お尻にゴムの跡がついて苦痛だった、男子がうらやましかった、とも書いてある。
この下の記事によれば色は青か黒、赤はめったになかった。また、素材のせいか汗をかくとべたついて嫌だったそうだ。
Ebben tornáztunk 30 éve! | nlc
学校のものかどうかはわからないが、60年代のレオタードをこちらで見つけることができた。
Május elseje régen – IV. | elekfoto
Tornaóra – 1976. – Szegvár Online
ところで、次のページを見ていただきたい。
szeged.hu - Lányok, asszonyok a Tisza-parton és konflisban
こちらでは、レオタード姿の女子が外でジョギングしている写真がある。1981年のことである。レオタードが室内着だと思っていた自分は面食らった。よく、ブルマーで校外を走らされるマラソン大会が苦痛だった、という女性の声をしばしば聞く。ましてや、より体型の出るレオタードというのは、率直なところ驚いてしまった。
Jobb nő - lesz - Faluság(短パンの写真もあるが、おそらく例外的なものだろう)
身体を伸ばすバレエならともかく、高校の体育で伸縮性のあるレオタードは不要ではないか。しかも、それで市街地を走らなければならないとは。ブログの主はそう口にしつつ、じろじろ見られることを苦痛の理由として挙げている。まったく、その通りだ。どうしてこんなことがまかり通っていたのかという疑問が浮かぶが、ブルマーが30年も通用していた国の人間が言えた義理ではない。繰り返すが、露出度の多い衣装の強制には反対する。
しかし、だ。現在グーグルで「iskola testnevelés」(学校 体育)と検索すると、レオタード姿の女子が少しだけヒットするのである(2010年代前半の記事が多い)。これが私立なのか公立なのかはわからない。おそらく例外だとは思う。上記のレオタードとは色も違う。ほとんどが日本と同じようなシャツに短パンだ。だが、ハンガリーのジェンダー意識は、日本よりも保守的である可能性がある。
気が向いたら、他の国の事情について調べる。
また、映画の中でブルマやレオタードがどう表現されてきたか、についても調べたい。しかし、先日「フランス映画 ブルマー」と検索したら、なぜかフランス書院のページしか引っかからず、ずっこけた。
また、それとは別に、20世紀の体育の授業を見ると、まるで軍事教練のように男子が上半身裸の例が多い。このあたりの規範についても時間があればまとめたい。
それと、ウィキぺディアの制服のページを見ると、日本統治下の台湾で、提灯ブルマーかモンペが採用されているのが見えた。もしこれが提灯ブルマーならば、なぜ台湾や韓国ではショーツ型ブルマーにならなかったのか。最初から短パンだったのならともかく、疑問である。
服飾史、まったく沼が深くて驚いている。
急遽仕事で月曜に必要なものが発生したので、今日は久々に街のお店で買い物をした。
普段不真面目で適当な俺だが、バッグやら靴下やら、いくつか身につけるものにちゃんとしたものを用意しなくてはいけなくなったのだ。
しかしまぁ、それぞれのお店で会計する度に「アプリ会員になっていただくと初回1000円引きになります」など、「アプリ会員になっていただくと〜」って勧誘されるので(まぁ丁重にお断りするんだけどさ)、
「これだったらAmazonとか楽天とか、大手のモール型ECサイトで買う方が気楽だな〜」と思ってしまった。
もし1000円引きにつられてアプリ会員になるとしても、レジの前でちまちまスマホいじってアカウント作ったりしなきゃいけないわけでしょ?
なんか気まずいし、別にその店の常連でもないし、ナイロン製の通勤用カバンひとつ買ったくらいでそこまでするのめんどくさいよね…。
そりゃあ靴とか試着が必要なものなら実店舗に行くに限るだろうけどさぁ(それもやっぱりレジでアプリ会員の勧誘されるんだろうな、と思うとうんざりする)。
それを防止する為の特許制度で、それを防止する為の学会とかの仕組みなんだけどね。
企業が秘匿して開発して利益をあげる中央研究所方式が滅び、オープンイノベーション、という言葉が発明されたのが2003年だけど、そこから約20年、大手化学メーカーは未だに中央研究所方式が生き残っている業界。
元々中央研究所方式が儲かると言う話になったのは、デュポンがナイロンを発明……あるいは、強力な爆弾を発明して大儲けした事によるので、そう考えると最後まで生き残るのかも知れない。
なお、もう一つ企業秘密まみれの業界があって、それが医療業界だったりする。金になる情報は徹底的に秘匿される。ただきちんと治験しなければいけないのでその段階で現れてくるけど。
黒がおすすめ。
マットでダウンにありがちなキルトステッチが見えなくモダンな感じが良い。
秋冬のアウターに良い
+Jで似たようなのがあるが通常の方が安く買えるのでそちらの方が良い。
黒がおすすめ。
アークテリクスやノースフェイスで似たようなのが有るがロゴが不要なのであればこれで問題無い。(安いし)
黒がおすすめ。
白がおすすめ(出たら黒も)
黒がおすすめ。
丈夫でサイズがSMLと大雑把なので体型が少し変わっても履けるのが良い。
ベルトを通す穴がある。
安くて耐久性が有って良いです。
ヘインズ
・BEEFY-T
セレショとかに売ってるけどAmazonの方が安く買えると思う。
・ML574
グレーと黒がおすすめ。
この頃暑いからお風呂はシャワーだけで済ませることが多かったんたけど、ゆうべ久しぶりにお湯を溜めてゆっくり浸かった
さて体を洗おうと思い、湯船から出て、ふと太ももに痒みを感じたのでガリガリ掻いた
爪を見たらものすごい量の垢が詰まっていた
なんじゃこれはと衝撃を受け、太ももを掻きまくった
出るわ出るわ大量の垢が
掻いても掻いてもボロボロ出てくる
膝下とお尻も掻いて掻いて掻きまくった 面白いくらい垢が出る 皮膚の表面3ミリくらい全部垢だったのでは?と思うくらいだった
ちなみに脚とお尻以外の部分は掻いてもそんなに垢が出なかった
毎日ナイロンのタオルで洗っていたのにこんなに垢が出るなんて…お湯でふやかさないと垢って落ちないものなのか…?と衝撃だった
何よりびっくりしたのが、硬くガサガサしていた脚の皮膚が柔らかくしっとりすべすべになったこと
保湿もしていないのに何だこれは 自分の肌じゃないみたいだ
ナイロン財布は落としてもいい財布
他人に迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリアの混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所が日本にないのは残念だ。何も混浴にしろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。
さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである。
以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。
有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性の壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマのビキニには漫画「テルマエ・ロマエ」からも言及があった)。つまり、絵画の水浴図で誰もが全裸なのは、西洋の画家の猥褻な妄想ではない。
水着の歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場で女性がガウン上のものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫のシャーロック・ホームズ「ライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物は全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性に悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。
ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝の反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代のビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外の観光案内に、トップレスの女性の写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツ・オーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。
また、一部のスポーツ施設では、男性が全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本のCFNM系エロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きである(リンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。
なお、女性の水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に、生理時の衛生管理の問題もあったそうである。
ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較的最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴の歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年に自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉がイギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。
この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国が世界をリードする国家的運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランドの英文学史の本にも載っている。
海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である。
https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear
上記の記事によれば、女性がオリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年のストックホルムでのこと。競泳水着の歴史は、ここから語られるべきだろう。
初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太ももの露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである。
ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。
1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性の水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着の流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんのハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。
そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードのボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。
つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどしの一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房の露出があるのでリンクは控える)。エッチなマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。
https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/
https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg
これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である。江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。
昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物をしまうことで、取りすぎることを防ぐそうである。
http://www.chie-project.jp/001/no15.html
たぶん、女性のふんどしの使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか。団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SMは不勉強なもので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。
考えてみれば、自分はふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。