はてなキーワード: ドールハウスとは
箱庭主義とは、ざっくりいうと、狭い限られた範囲に、趣味の対象物を
作成または、購入して、配置して、楽しむ趣向の事だと、勝手に決めた。
ジオラマとかドールハウスとか盆栽などを嗜む人は、箱庭主義者に
該当するだろう。
自宅のリアルな庭とかも、そうなのかもしれないが、箱庭と言っている以上
少なくとも、自宅の庭よりは、小さいものが該当するのかも、しれない。
箱庭主義者には、以下の特徴があるだろう。
1.箱庭の対象物に、いろいろな、コンテンツを、増減、再配置することに
喜びをかんじてる
2.箱庭の対象物は、一般的に高額であり、購入できるだけの財力がある
3.この喜びを、話せる人(コミュニティ)を求めている
4.コミュニティでほめられたいと思っている
私は、4つの特徴のうち、1、3、4は当てはまるが、残念ながら2は
対象外だ。財力がない。
しかし、私は、箱庭主義者である以上、財力がなくても、箱庭を実現したいと
思っていた。
そこで、私は、見かけ上、無償の箱庭を、楽しんでいる。
実際には、パソコン、電気代、通信費用が、発生しているので、無償ではない。
しかし、WEBサイト作成のために、新たに、購入したものは、無いので、
見かけ上は、無償だ。
WEBサイトといっても、私の場合、オンラインで、使えるツールを、
かき集めた、サイトを作っている。
コンテンツは、オンラインツール、これを、増減、再配置することで
WEBサイト上で、オンラインツールを、WindowsなどのデスクトップOSを
模したレイアウトで、配置して、楽しんでいる。
ネット上には、無償で、オンラインツールを、公開してる人たちが、
一定数いるので、このようなことが、実現できる。
もちろん、公開された、オンラインツールは、ある程度の、カスタマイズ
具体的には、HTML、CSS、JavaScriptの、基礎知識が、必要になる。
残念ながら、自分が使いたい&カスタマイズできる、オンラインツールのみ、
最低限の、自己満足に、過ぎないが、仕方ないと思っている。
昭和はエログッズ、たとえばギャルの絵のついた抱き枕など市販製品として売るルートがなかった(アニメイトは子供向けの店、というかアニメは子供が見るもの)
同人でつくろうとしても印刷所などで対応してくれるところがなく、一般工場オーダーは高かった
その一方でロボットおもちゃは売れに売れた、親御さんもクリスマスに買うものといえば電子ゲームはまだないので
男児用おもちゃといえばロボット、女児用おもちゃといえばドールハウス・おままごと系かコンパクト(化粧品ではなく変身グッズ)だった
ゆえに大人な製作者はエロが好きかつロボットが好きな男児にこっそり画面にエロをしのびこませてとどけていたのだ
地上波テレビ(放送衛星などまだとんでないのでテレビは全部地上波だが)で人気といえば
・ニュース
・時代劇
・料理番組(西洋から輸入なのでやけに高カロリーで体に悪そうなやつ)
であったよ
お笑いは少なくドリフターズ(志村けんも死んだけど)のお笑いも下品なのでたびたびPTAにおこられてた
地上波の夜8時から男性がベビードールといわれる薄いキャミソールとストッキング着て女装してストリップ演じてあっはんうっふんしていたり今みるとかわいいもの…でもないか
その少女は物語を書いた。 「しかし、あなたが小説を書いたとしたら、どれほど良くなるでしょう」と彼女の母親は言いました。その少女はドールハウスを建てた。 「しかし、それが本物の家だったら、どれほど良いでしょう」と彼女の母親は言いました。その少女は父親のために小さな枕を作った。 「しかし、キルトはもっと実用的ではないでしょう」と彼女の母親は言いました。その少女は庭に小さな穴を掘った。 「しかし、大きな穴を掘ったら、どれだけ良くなるでしょう」と彼女の母親は言いました。少女は穴を掘ってその中で眠りについた。 「しかし、あなたが永遠に眠ったら、どれほど良くなるでしょう」と彼女の母親は言いました。
(現文)
The girl wrote a story. “But how much better it would be if you wrote a novel,” said her mother. The girl built a dollhouse. “But how much better if it were a real house,” her mother said. The girl made a small pillow for her father. “But wouldn’t a quilt be more practical,” said her mother. The girl dug a small hole in the garden. “But how much better if you dug a large hole,” said her mother. The girl dug a hole and went to sleep in it. “But how much better if you slept forever,” said her mother.
眞子氏が小室氏と出会ったICUという大学では、入学式で新入生みんなが「学校生活において世界人権宣言を遵守すること」を誓う学生宣誓に署名する。
https://www.icu.ac.jp/globalicu/pledge/
みなさんは、その世界人権宣言の中身ってどんなものか知ってますか。
第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
第二条
1 すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
2 さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。
第四条
何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。
第五条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。
第六条
すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。
第七条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。
第八条
すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。
すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。
第十一条
1 犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。
2 何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。
第十二条
何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。
第十三条
これで全部。眞子氏の境遇に照らしてみれば、皇籍離脱前の彼女の人権がどれだけ制約されていたかが改めてわかる。民主主義国家を標榜する日本で、大半の日本国籍の人々が当然のように享受している人権の多くが制約された、とても特殊な立場の人が、自らこの大学への編入を選び、4年間の教養教育で人間中心主義(humanism)の理念と気風を涵養され、立派に「人間」になった。というか、人間としての自覚を得た。そういうことなのだ。
ちなみに天皇は敗戦後に「人間宣言」したと言われているけど、実は「ぼかぁ人間なんです、すまんかった」などとは言ってない。原文の官報詔書『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』(1946/1/1)、別名『新日本建設に関する詔書』に書かれている該当箇所は
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
となっている。「天皇は現御神で、日本国民は優越民族で、世界を支配する運命にある」という戦前に言ってたことは「架空なる観念」でした、としか言っていないのだ。じゃあ現御神ではなくなった天皇が戦後どうなったかといえば、「日本国及び日本国民統合の象徴」になった。それはもはや神ではないし、といってただの人間=日本国民でもない。それは「日本は一体である」という(敗戦後にギリギリの交渉の結果残すことができた)国民国家のファンタジーをまるごと引き受ける、人間ではない何かだ。天皇と皇族は「平和憲法を遵守する新国家」を象徴する「何か」として、常に国民をいたわり思いやる理知的で心優しいファミリーの役回りを多世代にわたって演じ続けることになった。それって、ありていに言えば「人形」でしょ。
かつてのように神聖不可侵でもなく、かといって市民・国民としての人権を与えられてもいない「人形」は、やがては人々のおもちゃにされてしまう。今はみんながそれを使って「人形遊び」という娯楽に興じている。政治家や宮内庁職員や皇室ジャーナリストや評論家らが「本人が言った言葉」とその解釈のあいだにいくらでも恣意的な読み替えを挟み込むのも、メディアが皇居というドールハウスの内情について真偽不明のゴシップを書き立てるのも、辛酸なめ子や倉田真由美が赤の他人同士の結婚について大仰に憂いたり消耗したり絶望したりしてみせるのも、本質は人形遊びだからだ。相手が人間ではないから、そういう非人間的な扱いをしても許されるし、人形のほうが「与えられた役柄」を勝手に逸脱し始めたら嘆いたり憤ったりしてもいいのだ。
本件をイプセンの『人形の家』をひいて論じていたのは、意外なことに山口真由ぐらいだったけど、今回の騒動を見ていて、天皇家が「人形の家」ではないと言い切れる人はだいぶ減ったんじゃないか。人形の家には人間は住めない。だから、人間になった眞子氏は人形の家を出た。
窮屈な人形の家を、人間が住めるような間取りと風通しにしてやらない限り、そのうちまた同じことが起こるだろう(直近では、同じ大学で同じように「人間」に目覚めてしまった佳子氏にも同じことが起きるかもしれない)。風通しを良くするには、これまで75年にわたって「人形遊び」をしてきた我々自身がこの遊びを卒業して、その他の「市井のなんでもない人々」に接する時と同じような儀礼的無関心を貫くことなんじゃないかと思う。ことさらの敬愛も嫌悪もいらない。ただの人間として扱い、他のただの人間に抱くような尊重の念を持って接しよう。
twitterで話題になっている「道端で突然見知らぬ女性をトイレに連れ込み説教しながら着物を剝がす」着物警察の蛮行を恐ろしく眺めていたのだけど、
関連ツイートで「私も着物警察によく絡まれるけど負けません!」という方がお写真をあげていた。
お洋服とお着物を掛け合わせたかわいらしいコーディネートだったのだが、カジュアルなフレアスカートに合わせていたのが上半分に切られた黒紋付だったのである。
見た瞬間にウッ…と思ってしまった。
「黒紋付」とは最も格式が高い礼服のひとつで、黒無地に前身頃と袖と背の計5つの家紋が入っている。一番目にするのはお葬式ではないかと思う。遺族・親族席でお着物の人がいれば、それは黒紋付である。
黒紋付を普段着にするのは、なんというか、洋服でいえば上半身がタキシードで下はチノパンみたいなちぐはぐさに思える。いくら着物は自由といっても、洋服と同じように格式はあるのでは?あと新品で誂えれば数万~数十万するから、おそらく中古で買ったであろう他家の紋付を切ってしまうのも、なんだか罰当たりなように思えてしまう。リサイクルショップに神棚のおやしろがあっても、それをドールハウスにはせんだろ、的な。他人んちの紋を背負ってそのアレンジする?私が元の持ち主だったら化けてでそう。
別に黒無地のお着物だったらなんとも思わず、黒紋付であるがゆえのことなので、これが着物にまつわる面倒くせえ一面だよなと一人でうなずいたりもする。
今敏、内田けんじ はわいもすこ。コメディだと思ってるのあげてく
L ル・アーヴルの靴みがき Le Havre(2011年)
L 希望のかなた Toivon tuolla puolen(2017年)
L 浮き雲 Kauas pilvet karkaavat(1996年)
L 街のあかり Laitakaupungin valot(2006年)
L 地球は女で回ってる Deconstructing Harry(1997年)
L 恋のロンドン狂騒曲 You Will Meet a Tall Dark Stranger (2010年)
ギミック系は、メメントとかシックスセンスとかミストとか他にも有名どころは語り尽くされてるので
誰も触れて無い系だと、デビッド・フィンチャー監督、マイケル・ダグラス主演の『ゲーム』がすこ。小説版も好き
http://anond.hatelabo.jp/20140825071636
こういう記事があったけどさ、本州の学校の夏休みの自由課題って「自由研究」固定なの?
あ、全部自分語りというかブコメの拡張なので無視してください。
いや、自分の通ってた学校は、自由研究も、工作や書なんかのアート作品でもよかったからさ。
小学生だったのもう14年も前だから、今の学校の状況はわからないんだけど。
「研究」もいいけど、ゼロから物を作る(これも研究?なのか)のもすてきだよ。
そういうのを楽しめる子なら、子どものパトスにまかせるのも良いと思うんだけどなあ。
自分は作ることが大好きだったので、とにかくめっちゃ楽しんでた。
宿題(ドリル)は全く無計画なのに自由課題はスケジュール立てて計画を練るくらい。
ちょっと覚えてる限り回想する。
①工作キットは使わない。
②コンセプトとアイデアと実際の作業は親に頼らない。やり方は教えてもらう。アドバイスももらう。
③おもちゃとして遊べる&普段使いできるものを作る(小6で見事に破った。理由は後述、というより読めばわかる的な)
水族館に行ったので、絵日記と連動して水族館のペーパークラフトを作った。
お菓子の空き箱の内側に色を塗り、背景の魚や海藻、サンゴを作って貼る。
厚紙に魚を書いて切り抜き、糸を貼り付けて箱内部に吊るす。
透明なセロファンの一部に、青色のマジックで波模様を描き、箱に貼ってふさぐ(水色のセロファンが売ってなかった)
親からはセロファンに霧吹きで水をかけてピンと張る方法を教えてもらいました。
仕上がりは水族館じゃなくて海じゃねーか、とつっこまれまし。
小2冬 おべんとう入れ
なかよしの懸賞でソーイングセットが当たったのではっちゃけて母親に縫い物を教えろと要求。
キルティングの布を買い、裁ちばさみを借りて、お弁当入れを作った。
型紙不要の巾着にマチをつけただけ、裏地もなし。
でもこれが結構丈夫で、いまでも買い物袋入れとして使っている。
小3夏 リコーダー入れ
小3でリコーダーを習ったのではっちゃけてリコーダー入れを作る。
冬のキルティングのあまりで、長い巾着&スナップボタンで止めるタイプの2種類を制作。
小3冬 マスコット
手芸にはまる時期。かがり縫いをマスターしたのでフェルトマスコットを作った。
猫とウサギ。綿が入ってるのは頭と胴体だけで、耳や手足はぺらぺらだった。
小4の秋くらいにウサギの首が取れておおいにへこむ。
小4夏 ドールハウス
小3の時に作ったマスコットであそぶための家。空き箱を悪魔合体して紙造、2階、延べ800㎠くらいの家を作る。
一階は広めで、そこに2つに区切った箱を立てれば1階の壁と2階のできあがりである。
展示から持ち帰った際に派手にぶっこわれる。
マスコットとドールハウスを失った私を哀れみ、サンタさんが、シルバニアファミリーの人形2体、「おとぎの国のおかしのおうち」をくれる
しかし、お菓子の家になぞ住んでられるか! と再度ドールハウスに挑戦。シルバニアスケールで作る。(親ごめん)
家具には一部木などを使用。かまぼこ板、割り箸、彫刻刀でベッドを作ろうとして指を削る。
人形あそびに飽き、従姉妹(今思えば同人便せんとか作ってたんだなあの人)の影響で元々趣味だった絵描きの技術(カラー彩色)を覚えた私は、全部イラストのトランプを作ろうと試みる。
大きめの厚紙製プライスカードを購入し、イラストを描く計画。しかし、デザイン段階で枚数の多さに挫折し、絵札のみ絵を記入。ほかはマークで済ました。
にもかかわらず、12回の自由研究で一番面倒臭かった気がする。
絵を描いただけじゃねえか、といわれそうだったので、トランプゲームを多少調べてノートに書いて添えた。
小5冬 着せ替え人形
もう絵なんか描くか!と思って手芸に戻る。ちょうど小5で本格的な裁縫セットも買ったし。
本体をフェルト、服は春夏秋冬それぞれの服を布で作った。ちなみに、瞳をカラーフェルト、まぶたやまつげのラインを刺繍で再現した、完全にアニメ調の顔である。たぶんゼノギアスにはまってたせいだと思う。
小6夏 なべしきになる鍋つかみ
正方形に切ったキルティングに、正方形の角を一つ切り落とした5角形を重ねて、ループを挟んで縫った。
いまでも実家で使用している。端の処理にバイアステープを使用しており、自分的には完全にロストテクノロジーである。
そして問題の小6冬。
どういうわけか自 作 小 説 を 提 出 。
いや、夢水清志郎シリーズとか、2、3年前に見ていたスレイヤーズの原作本に手を出したりとか、アルセーヌルパンにはまったりとか、シャーマンキングとか東京ミュウミュウにはまったりとかしたもので。
たしか美少女怪盗もの。プロットというか話しの運び方はコナンのキッド回とルパンスペシャル&一応本家ルパンから学んだ。
ミステリというより犯罪エンターテイメント。というよりラノベ。
主人公は洋菓子をひらがなにした名前(ミュウミュウの影響)。猫耳である。
猫 耳 で あ る。(付け耳)
原稿用紙にペン書きしたものを袋とじで製本。自作絵の表紙をつけた。吐血。
この前帰省した際に今読み返してみた(どういう訳か本文のコピーをとってある)ところ、まあひどかったが良い意味で今では書けない勢いがあった。
日本語もままならないまま文字を書く仕事に就いてしまった今となっては、家に帰って文字を打つだけでも苦痛だと言うに。
というわけで絵を描いたり黒歴史作ったり、黒歴史作ったり、して楽しいので、もっと創作系自由研究は増えるべきだと思うね!(苦笑い)
ちなみに中学時代は文化系が「文化部」しかなく、文化祭の時に展示することが主な活動だったので、中1の時は例の小説の続編を晒したよ!(喀血)
ネタばれありますよーご注意ください!
じゃ、順番にいくよー
当り前だけどさ、人にものを借りたら、どんな形でもいいから返そうよ。違うのかな。
返さないんだったらさ、人間あっての生活なんだしさ、当然さ、質素に生きろよ。
じゃなきゃ、スピラー的な狩り暮らししようぜ。
スピラーが折角くれようとした、カエルの足見て、気色悪くなってるようなさ、動物としての本来の生き方放棄した、仮ぐらしなんて止めよう!
今回はさ、、宮崎アニメと違って魔法とかなくて人間離れしすぎないお話だよね。
だれかが言ってたけど、アニメって2通りあって、
屋根から落ちたら死ぬタイプのアニメと、死なないタイプのアニメがあるじゃん。前者はサザエさんで、後者は攻殻機動隊とかさ。
この物語は前者だよね。
だから、リアル世界での位置づけって言うか、食物連鎖ピラミッドのどこにアリエッティたちが位置づけされるか、気になっちゃったよ。
人間>たぬき、ねこ>からす>ねずみ、カエル、ごきぶり>アリエッティ>こおろぎ、だんごむし、あり
こんな感じ?
こおろぎとか、だんごむし、群れたアリって結構、貪欲で凶暴だから気を付けた方がいいよ。
ちょっと、俺の話で申し訳ないけどさ、
ちいさいころ、「だれも知らない小さな国」っていうコロボックル(小人)が出てくる本が好きだったの。
人間との共存の難しさとか自然の怖さが描かれててさ、今回も勝手にそんな感じだと思ってたから、
やっぱり捕食関係がぜんぜん描かれていないことに気になったよ。
「君たちは滅びゆく種族なんだよ。君はこの世界にどのくらいの人間がいるか知ってる?67億人だよ」
これはさ、生物多様性の話じゃないよ。
ま、ヤンデレな翔くんだから、ついつい自分より弱い存在に対して、ひどいこと言ってしまったのはわかる。
でもさ、そこで突然「オレ、心臓悪いんだ」っていうオレかわいそうな奴発言は、浅ましくない?
「君はぼくの心臓の一部だ」
あのさ、アリエッティの逞しさ、ほんとに伝わったてたのかな。突然出てきた、その言葉だけじゃわからないんだ。
翔くんの大きな手で、いきなりアリエッティ家のリフォーム始めたよね。
やっぱり、リフォームは、キッチンからなんだ!
あの欲深いというか、あざといママエッティに、「ここが地獄かあああ」って形相にさせるとはね。
親切心が裏目に出ちゃっただけなんだよね、ドールハウス、美しいから。
小人さんにとっては、テラフォームくらいの勢いの、恐怖を与える想像力はあったと思うんだ。
それに、翔くんは知らないかもしれないけど、もともとのキッチン、なかなか使い勝手も良く綺麗で良かったんだ。
リフォームの必要性なかったよね。
とりあえず、脱出はしたし、新しい世界がはじまるんだよね。
でもさ、また、この家であったことと同じこと繰り返すよ。
だって、ただ逃げただけでしょ?
ぜんぜん成長してないじゃん。ママエッティも、パパエッティも。
アリエッティなんかはさ、かなり前向きな女の子だから成長要素なかったじゃん。
アリエッティの軽やかに飛び回る姿、ホッチキスの針の階段、水滴の質感、小人さんの生活を楽しんでみて!という描写がアニメならではで、素晴らしかったよ
ここまで読んでくれてありがとう、まあさ、キャラを掘り下げられなかっただけなんだろうなってのが感想。
鈴木敏夫が言ってた3つのキーワード「静かで、ひっそり、そして質素に」の正反対だった。
あざとく、あさましく、そして浅い
http://anond.hatelabo.jp/20070725030500
昔アニメやってましたよねって、検索してみたら別物か!
シルバニアファミリーの人気を受け、タカラは類似商品の「3年2組のなかまたち」を発売した。擬人化した動物のドールハウスという点は共通しているが、設定を都会の街とし、シルバニアファミリーとは対照的な世界観を築くことで差別化を図った。
さらに1986年、東映動画はシルバニアファミリーと良く似た世界観を持つアニメ『メイプルタウン物語』を制作し、バンダイはそのキャラクターを使用したドールハウスを「メイプルフレンド」のシリーズ名で発売した。
「♪3年2組のーなかまたちー」ってCMソングが記憶の奥底から蘇りました。
シルバニアファミリー自体は確かに可愛いなぁ。
シルバニアファミリー公式ホームページ:しょうひんカタログ:人形シリーズ
一つ買い始めたら止まらなくなりそう…。