はてなキーワード: ドッヂボールとは
Twitterには長すぎるし、個人のブログなど持っていないので、ここに書き散らかしておこうと思う。
ここでVTuberとはなんぞやという説明をする気はない。そして自分は一般の、言葉にさして影響力を持たないしがないオタクだ。
鳴神裁はVTuber界隈において、大きな影響力を持った。
登録者数10万人に満たない個人勢VTuberであるにも関わらず、動画一本で大手VTuber事務所に声明を出させるほどの影響力を持ったことは事実である。配信の同接は2つ前のものは一万を超えた。突発配信でも7000もの人を集めることができる。動画再生数も軒並み個人勢Vとしてはかなり多い数字だ。
そして、最近彼の蔑称としてよく使われる「灰色デマネズミ」は、確率として半分くらいは彼が事実を言っていた、ということから来ている。織田信姫の引退やゲーム部が解散しないことをリークしたり、直近の夜空メルのリークは大筋正しかったことをホロライブが認めた形となった。
彼がややバズるきっかけとなった牡丹きぃの件も、妊娠騒動があったことは牡丹きぃ本人が後から認めている。
良くも悪くも、鳴神がかなり注目度の高いVTuberであることは疑いようもない。彼の動画のコメント欄はどれも実のない論争で溢れている。
彼の善悪については言及しない。立場が変われば彼は善にもなりうるし、悪にもなりうる。
が、彼は常々「俺は嘘をつかない」と言っている。
それは今までの言動やリークの状況から見て、正しいだろうと個人的に見ている。
鳴神はリーク者から言われたことに誇張を加えるかもしれないし、ビッグマウスであるが、概ねリーク者からリークされたことをそのまま伝えている。彼は自我を持つ拡声機のようなものだ。
彼が間違ったとき、それはリーク者が鳴神にガセネタを掴ませたときだろう。
鳴神には嘘をつくメリットがない。嘘をつけば今以上に信頼度も落ちる。訴訟の確率もさらに高まる。それではピーナッツくんの件から学習してきた意味がない。
かなしいことに、鳴神は法律の知識を持たないし、マトモな人間ではない。捨て鉢になっているのか、無敵の人のような発言もする。
が、そのマトモではないキャラクターゆえに注目度が高まったのはあるだろう。彼の語り口は良くも悪くも印象に残る。正しいことを言っているように聞こえる話し方は聴衆を扇動させることに長けている。活動の方向性もずっと一貫している。彼は「彼にとっての」正しい者の味方だ。筋も通っている。
裏事情を話せないときには支離滅裂な説明をしがちだが、明らかになっていることを説明するときは彼は理路整然とした説明ができる。ドッヂボール炎上の件や、アズリム騒動の解説からそれは垣間見ることができる。サブチャンネルでは、分かりにくいゲームのストーリー説明をしていたがそれもうまかった。
彼は実際のところ、説明能力は高いし、計算高く、おおよそマトモではないが地頭は悪くはない。どうすれば注目を浴びることができるのかという、配信者としての学習能力がある。
鳴神のアンチは数多くいて、彼らの多くが鳴神に消えてほしいと思っている。鳴神への誹謗中傷も絶えない。
しかし、それは意味がない。彼が誰かに訴訟を起こされても界隈から消えるかどうかは分からないし、彼が消えたところで第二、第三の鳴神が出てくるだけだ。
彼ほどの影響力や行動力は無いにせよ、物申す系VTuberは存在している。内部事情を表に出すVTuberもいる。
彼らは鳴神ほどの影響力がないだけで、やっていることに大きな違いはない。
週刊文春が無くなろうとFRIDAYは生きているし、朝日新聞が無くなろうと毎日新聞が生きているのと同じであり、シバターだって訴訟を起こされかけようが元気に釣り動画をあげている。
人間はきな臭いものほど裏事情を知りたくなるものだ。それは人間の心理であり、変わらない。VTuber界隈だって同じことだ。
我々視聴者は、今まで通り鳴神の手の上で踊り、逆に鳴神を踊らせる。知りたいことは勝手に鳴神が調べてくれるので、それに任せておけばいい。
情報が正しかったか正しくなかったかは、5年後くらいに論ぜられればマシな方だろう。
彼の影響力が高くなったことで、使い勝手は更によくなった。彼を界隈から追い出そうとするより、うまく使える手段を考えた方がいい。
アイザックの件のように、証拠が伴えばセクハラの告発に使える。Vgamingのように小規模な運営相手であれば動画のネタとして仲裁に入ってもらうことも可能だろう。能力の低い運営に限るだろうが、自分だけではどうにもならなかった事案を鳴神の仲裁によって解決させるという使い方が可能だ。牡丹きぃ騒動も運営が鳴神にコンタクトをとったと言われている。きよのの告発も絵師や当該VTuberだけではどうにもならなかった事案が、鳴神を巻き込むことで視聴者やいちからという企業をも巻き込むことができた。個人勢Vのトラブルは今まで以上に鳴神が有効な手段になったはずだ。
企業勢の場合は、企業が所属VTuberに対して鳴神とコンタクトをとるのをNGとしているところが多いだろう。いちからは公にNGを出しているし、ホロライブも言うまでもない。
しかし、VTuber運営はどこもベンチャーであり、社員の責任能力も高くないケースがあるだろう。VTuberも配信者という特性上あまり賢くない人間が多い。漢字は読めないし、長文も読めない。運営に対しての不満をうっかり視聴者にぶちまけ、運営に牙が向くようにしてしまう状況もままある。案件もうまくこなせない。そしてそんなVTuberほど視聴者を抱えていたりもする。キャラクターとしてのプロ意識など持ち合わせていない。
いちからは今回の情報漏洩元を探しているという噂があるが、探し当てたところで第二第三の内通者が出ることを見越しておいた方がリスクマネジメントとしていいのではないだろうか。
鳴神はUpd8など複数事務所の社員と繋がりがあるようであるし、ホロライブのリークの件でホロ内部の人間と繋がっているのも確実だろう。
自分が企業に属する人間であれば、あえて鳴神に情報を流す人間を作る。可能性は低いだろうが鳴神がうっかりリーク元の名前を出すことも考え、架空の社員や彼が名前を出してもネットで情報が出ない社員を窓口にする。その社員と鳴神の繋がりは企業が管理する。そして流していいどうでもいい情報と、そうでない情報を精査して渡す。視聴者が知りたがることに対して、燃えそうにないギリギリのラインである程度整合性のある情報と証拠を渡していき、鳴神を利用する。
鳴神から「こんなリークが来たのだが真偽はどうか」と聞かれた場合、鳴神に動画を出される前にリークを察知することにも繋がる。
これがうまくハマっているのではないか、と推測している企業がある。Re:Actだ。
獅子神レオナと花鋏キョウの2名くらいしか知名度はないとも言える事務所ではあるが、名前を変え細々と運営は続いている。
鳴神はRe:Actについて、需要は高くないだろうが動画を出しているし、配信でも時折内通者について言及している。繋がりはあるだろう。
Re:Actが確信的に鳴神に情報を渡していると推測しているのには理由がある。鳴神が運営本体を責めていないからである。過去に4名脱退者が出た際も、皇噛ユカリ騒動の際も、瀧上りと脱退の際も、Re:Act内部の人間が聞かれたことを敢えて素直に鳴神に答えている。そして鳴神の信用を得た。鳴神が瀧上りとに言及した際に、Re:Act内通者の方が信用できると言ったのはそのせいだと見ている。
鳴神が運営は悪くない、と発言したり、素直に内部の動きをリークすることで、視聴者の目を変え、運営が悪い、推しが脱退したがどう説明してくれるのだ、説明が足りない、と盲目的に言われがちな風潮を変えることが可能だ。
結果としてなのかもしれないが、側から見てRe:Actは非常にうまく鳴神を使うことができている。(但し、Unlimitedのような特殊なケースは別
鳴神を使うことは、視聴者をうまく誘導するということに繋がる。
今回のいちからと月ノ美兎と鳴神裁の騒動は、そういった裏の駆け引きがまったくうまくいかなかった結果と見ている。
鳴神がガセネタを摑まされたのかは視聴者の誰にも分からないが、現実的に考えて伊藤忠商事他企業もいちからに出資している状況で、SMEのみがいちからに過干渉できるとは考え難く、かといってライバーの過去の発言から見てライバーといちからの調整が出来ていなかったのも事実だろう。月ノ美兎とSMEの契約が今現在も調整できていないことは、月ノ美兎本人が明らかにした通りだ。鳴神の灰色デマネズミという蔑称の通り、いちからのリークの件は現在グレー判定と言わざるを得ない。
誰かが鳴神を利用し得をした一方で、動画内で名前を出された月ノ美兎には迷惑がかかり、SMEは悪者扱いされ、鳴神裁も誹謗中傷やDM爆撃を受けるという散々な結果となった。
起きたらとんでもないことになってて慌てが鬼なって精神的寿命がマッハなので、内容的にはここに全部含まれてると思うのでここだけ言及。
寝てる間についてた言及やブコメ見てたら「えっこれ系の単語ってこんな数あんの……マジで……」ってなって、流石に輸入上の事故とかじゃすまない上に何より言及されたようにスマートじゃなくてこんなたくさんの例外突っ込まれたら頭ばかになっちゃうので所感書いとく。でもマジで素人で音声/音韻方面の専門じゃないんでその辺は頼むわ。
新規に作られた言葉にまでこの現象が起こるようだと、もうこれ誤用とかじゃなくて新しいルールとして音韻論内(学問じゃなくて言語機能の方)に成立してるなーと普通に思う。
それが成立した経緯に、「似た発音の単語をたくさん輸入してしまって、ほとんどの人にはそれぞれどっちが正しいのかわからなくなってしまった」という歴史的事情と、音声学的な発音しづらさが相まって、「促音+有声破裂音+母音」の音素列に対して、「有声破裂音は無声化しても良い」っていうルールがもう出来ちゃってるなぁーって自分も普通に思った。
更に輪をかけて、functional loadの観点から言うと(音声上のある要素がどの程度その単語の識別に関わっているのかという概念)、「バックでもバッグでも通じるのでどっちでいい」みたいなブコメいくつかついてたけど、少しでもかじった身としては「よくねえわ!!!そんな単純だったら誰も苦労しねえわ!!!」ってなるけど、でも今回については確かにこれが寄与してるなーと思う。
functional loadの影響で消えたものだと最近だと半世紀くらい前に英語の短母音・長母音の区別が長さから音質(舌の位置)に変化した有名な話とか。どこの国でも国語教育に関わる奴ってのは頭がお堅いもんで、教科書には短母音と長母音というセクションがあるんだけど、生徒はみんな「はああああああ???いや、長いとか短いとかじゃなくて、別の音じゃん、それ」ってなるらしい。Pinkerが書いてた。Pinkerは研究自体自体の方はあまり評価されないけど(個人的にはかなりあの方面は正しいと思うけど)、こういう日常的な話書いてくれるから引き出すのに便利だ。流石にこのくだりどこにあったか増田で言及するために探すのは面倒なんで勘弁して。
あと日本語だと「おばさん」と「おばあさん」みたいなのはかなりの部分イントネーションで区別してるのも有名で、それぞれ逆のイントネーションで発音して自分でどう聞こえるとかもやってみると面白いよ。アワレにもこれを専門外の人が読んでたら向け。
ミッドガルでもミットガルでもエアリスが死ぬゲームの話してるのは分かるし、他の単語についても言われてみたら明らかだわなぁーってなった。
た歴史的経緯(英語の単音節語で似た単語死ぬほどあるよね……ブコメにあったけどpodとpotとか)、どっちでも通じるという光と闇の力が合わさり最強に見え、音韻論内で頭がおかしくなって区別が死んだのかもしれんね。
ただ、無声化「しなければならない」ではなくて「してもしなくてもよい」である以上、音韻規則のレベルにはまだなってなくて過渡期かな、と感じる。あと十年、下手したら今の子供がどういう規則を身につけて成長するのか凄く楽しみ。
ミッドガル/ミットガル以外に言われて一番あーって思ったのはドッヂボールとドッチボール。破擦音にまで拡大してる上に、「ドッチ」って日本人が認識するような輸入された単語は多分ないと思うので(日本語話者の形態論が外来語と和語と漢語についてかなりの程度区別を保ってるのは様々な例でよく知られているという逃げ口を使うので「どっち」は原因に考慮しない)、もうこれ輸入の失敗とかじゃねえなってなったので、現状の日本語としては普通に言及先の増田の方が正しいと思う。またメスガキに負けた。
とりあえず濁音の点について、この点は出ねぇよってなる理由はいろいろあるけど主要っぽく見えるのはこんな感じです。よしなに。単語を輸入されただけで輸入した言語に致命的な影響出たのはそれこそNorman Conquestとかがあるし、輸入上の間違いの例を知ってるからといって誘惑に負けて無理に現在の言語機能から切り離そうとするとヤクザが教壇に足乗っけて追ってくる。
※追記
この現象が起こりやすい単語と滅多に起こらない単語を追ったら少し楽しそうだと思ったけど、デバックにはバックが含まれてたり、ドラックにはラックが含まれてたり(rackとluck)、それぞれどういう原因で誤用の率が変動するのか考えるのむっちゃキツそうって思う。個人差と方言差の問題まである。いずれにしてもとりあえず、ありとあらゆる要因のせいで区別が消滅しかかっているのだろうね。
学校の椅子を持ち出して国道沿いを歩いてた。途中にめっちゃでかいツイッターのロゴの看板があったから近寄った。中学校らしくて、中では体育祭をやっていた。クラス対抗ドッヂボールだった。僕は観客席から見ていた。生徒たちは皆僕が中学生の同級生で、過去に戻ったような気持ちだったけど皆俺のことは知らないようだった。俺だけが皆との思い出を感じてるだけで皆は俺のことを知らない。ドッヂボールは凄かった。どういう効果があるのか知らないけど、チームの真ん中で太った女がオペラを歌って、他の人がそれを囲いながらぐるぐる回っていた。これでボールに当たりにくくなるとでもいうのか。途中一人の生徒が鼻血を出して保健室に行くことになったので俺がついていきます!と名乗りを上げた。向こうからしたら、誰だこいつと思っていたのかもしれないけど、俺は少しでも関わりを持ちたかった。保健室に連れて行って、グラウンドに戻るとそこには閉会式を終えて皆帰る準備をしていた。昔俺が好きだった杉浦が田口に告白したようだ。俺は何故かもうどうでもいいやとなって杉浦にずっと好きでした、付き合ってくださいと土下座した。誰こいつって感じだった。そりゃそうだよね、皆の事は俺しか知らない。皆は俺のことを知らない。
パートタイマーで、おばちゃんたちと働いているのだが、おばちゃんたちの会話は会話のようで会話でない。自分の経歴、子どもたちの事情を、笑顔で包みながらはなし、自分たちの幸せ自慢のドッヂボールだ。世間一般では幸せとは見なされない方のおばちゃんは、軽く片頬を引き攣らせる。
こういうとき私のようなコミュ障には、あまり話を振ると、向こうが可哀想だと思うせいか、今日はいい天気ねくらいしか、話を振らない。最底辺も悪くないなと思う。
あと、触れられたくないことを質問されたとき、質問返しが有効。〇〇で働いてたことがありましたが、あなたさまは?とか。こういう腹を割らないことをするから、コミュ障なんだけどね。
マウントの取り合いは人の性だと受け入れて、あとは人にどう思われてもいいと開き直ればいいのかな。
なろう版(同一内容):https://ncode.syosetu.com/n0012dq/
「みなさんを騙して、不安にさせて、それを今まで黙っていて、本当にごめんなさい」
これで良いんだ。
悪いことをしたら、認めて謝れば、許してもらえる。『自分はやってない』だなんて、最初から考えるべきじゃなかったんだ。さっさとこうしていれば良かった。
「いいよ」
「いいよ」
「いいよ」
「いいよ」
……
その時だった。
アヤネが突然立ち上がって、そう言った。俺の目をまっすぐ見ながら。
俺が犯人じゃない? なんでこいつがそんなことを言うんだ。
———俺は水曜日、確かにヒロミの上履きを隠した。昼休みが始まったら教室でぼーっとして時間を潰し、外で遊ぶやつらが出ていくのを待った。ヒロミもその一人だった。俺は誰の注目も浴びないように、まるで俺もドッヂボールをしに行くんだと言う風に教室を出て下駄箱に向かい、俺の下駄箱から3列ずれたところにあるヒロミの下駄箱に、彼女の上履きが入っているのを確認した。そして、誰にも見られていないことを確認して、その上履きを取り、教室の反対側にある熱帯魚の水槽に入れたんだ。あの時、「ポチャン」と言う音がして、跳ね返った水が少しシャツにかかったのは、はっきり覚えている。誰にも見られずに計画を遂行した俺は、何事もなかったかのように校庭に行って、ドッヂボールに合流した。———
確かにそうだった。だから俺は、今こうやって、わざわざみんなの前にたって「ごめんなさい」したんだ。それで、やっとみんなも許してくれるところだったじゃないか。それなのに、こいつは今更なにを……。
「犯人は、……」
アヤネが続けようとした時、後ろのタカヒロが飛び上がって叫んだ。
「僕じゃない!」
「はぁ? なにそれ。誰もお前の話なんかしてねえだろ」
全くだ。
クラスの視線は、一気にアヤネとタカヒロのふたりに集中した。「いいよ」コールも止まっている。
「犯人は……」
「だから僕じゃないって言ってるだろ!!」
「黙って、タカヒロ君疑ってな……」
「黙るのはそっちだ!」
「だからそうじゃないって言って……」
「うるさい!」
タカヒロの怒声で静まり返った教室を、アヤネの涙声が濡らした。
「私はケンジ君じゃないって……」
『俺じゃない』……?
「違う、違う、違う! 犯人はケンジなんだ。それでいいんだ。ほら、本人がそう言ったじゃないか!」
……。
「あいつは、アヤネの上履きを見つけたユウヤが羨ましいって言ったんだ! 『ヒーローだぜ?』って言ったんだ!」
やめろ。
「あいつは、みんなに褒められて、女子に感謝されるのが羨ましくて、自分で上履きを隠したのに、それをまるで、『俺は頭が良いから見つけられるんです』って言うみたいに、わざと知らないふりをして、自分で隠したのを自分で見つけて、自慢げに『先生、あった!』なんて言ってたやつだ!」
やめろ。
「あいつは、表では優等生ぶって、裏では女子の上履きを盗む変態だ!」
やめろ!!
気づくと俺は教室を飛び出していた。
俺は変態だ。いや、違う。俺は本当は、やってないんだ。俺は変態なんかじゃない。
『全部あいつが隠したんじゃねえの?』
違う。
違う。
違う。
俺はやってないんだ。
『俺は陰湿で、変態で、嘘つきで、自分がやったんじゃないと都合よく思い込んで、タカヒロを怒鳴って追い返してしまうような、ひどいやつだ』
違う。
『謝っちゃえば良いじゃない』
違うって言ってるだろ!
「ただいま」
声の震えが悟られないように、精一杯いつも通りにそう言った。
「だめじゃない、勝手に帰ってきちゃ」
「うん」
「無事帰ってきましたって連絡入れておくから」
「うん」
「何かあったならお母さんに言いなさいね」
「うん」
とにかく一人になりたかった。
俺は自室に入ると、鍵を閉めて、ランドセルを放り出し、ベッドに突っ伏した。
あれは、夢だったのか……?
『ポチャン』
水の音。
俺は壁にかかっているカレンダーに目をやった。父さんが会社でもらってきたもので、世界のいろんな場所の綺麗な写真がプリントされている。9月は、オーストラリアのエアーズロックの写真だ。
あれが夢だったとしたら、俺はあの日の昼休み、何をしていたんだろう。
確かこの時は、廊下の窓の外に上履きが落ちてたんだ。俺がやったのか?
この時は、理科実験室のゴミ箱。俺は昼休みに理科実験室に行ったんだろうか。
この時は、俺じゃない。ユウヤが見つけたんだ。上履きがどこに隠されていたのかも、俺は知らない。
アヤネの上履きを隠したのは、誰だったんだろう。
『犯人はケンジなんだ。それでいいんだ。ほら、本人がそう言ったじゃないか!』
そういえばタカヒロとは、俺があいつを怒鳴って追い返してしまってから、話してない。『チョコボ』もやってないし、先週は卓球も行かなかった。あいつは、行ったのかな。
考えれば考えるほど、気が重くなった。もう終わりにしたかった。どれもこれも、上履き隠しのせいだ。誰が犯人かんなて、どうでもいいじゃないか。みんなの前で謝れば、許してもらえる。それでみんな忘れてくれるし、また元どおりドッヂボールでもなんでもできるんだ。
……そうだ。今朝も俺はこう考えていたんだ。真実なんてどうでもいい。謝れば終わるんだから、それでいい。みんなとも仲直りできるし、タカヒロにも謝れるはずだ。そんな風に思っていた。
……
プルルルル、プルルルル
母さんの声。
『え、うん、ちょっと待ってね』
誰だろう。
※REBORNおよび雲雀恭弥が好きな方の閲覧はおすすめしません。
現在大学4年生・就活生の私が、黒歴史を文字通り燃やす話を思い出して書きとめます。
登場人物☆
小学4年生に進級するちょっと前だったか、私は友達のハルナちゃんに家庭教師ヒットマンREBORN!を布教された。
ゲーム好きでも決してオタクではなかった(昼休みは活発にドッヂボールで遊ぶ外向的な児童であった)私が、現在まで重く引き摺るキモ・オタクになるきっかけであった。
ハルナちゃんはランドセルの底にこっそりと漫画を忍ばせていて、放課後に1~3巻を貸してくれたのを覚えている。
家に帰って漫画を読むと、暴力的で偉そうな赤ん坊が主人公の頭に向けて銃をぶっ放しているではないか。
衝撃的展開に3巻一気読みした。読み進めていくごとに、REBORNの面白さに・そして何より雲雀さんというキャラクターに一瞬で惹き込まれ、登下校中も授業中も雲雀さんのことしか考えられないクソキッズになっていた。
群れるのは嫌いと言いつつ並盛中の風紀委員のトップに立つ姿。トンファーという武器をまるで体の一部のように操り華麗に戦う姿。
彼のかっこいいところを表現したいと思い、授業中に絵を描くことも増えた。オタクは推しの絵を描きたくなる。ならない?
(この頃から算数の成績が落ち込み、現在まで数学に苦戦することになる。完全に雲雀恭弥のせいです。)
そんなこんなでREBORNにどハマりした私は、数か月後ハルナちゃんに連れられてアニメイトデビューを果たした。
アニメイトのことについて一切知らなかったが、ちょっと意地っ張りな私は知ったかぶりをした。
素直で優しいハルナちゃんは、「そうなんだ」と微笑みながら、静岡駅から10分ほどのところにあるアニメイト静岡に案内してくれた。
当時覇権ジャンルだったREBORNのコーナーは、入り口すぐの目立つところにあった。
クリアファイルが、ミニポスターが、雲雀さんと同じ風紀委員の腕章が、所狭しと並んでいた。
私は目を輝かすと同時に激しく後悔した。
こんなに雲雀さんのグッズがあるとは思っていなかったので、お財布にあまりお金を入れてこなかった。
なけなしのお金で制服姿の雲雀さんクリアファイルを買った。アニメイトポイントカードを作ってもらった。
REBORNが好きな人同士で繋がって、毎日雲雀さんへの愛を綴っていた。
2000年代のインターネット文化「バトン」をご存じだろうか。知らない人はググってください。
アメブロ上の友人から「バトン」が回ってきたら、 雲雀さんと会話しながら回答します☆ という地獄のようにキツい回答方法をとっていた。
A.私「REBORNを読むことかな~♪雲雀さんもそうでしょ?」
A.私「雲雀さん~~!好き~~~!!」
雲雀「...///」
等々、今見るとキツすぎて全身震えるくらいの痛さだ。
私は小学4年~6年の約3年間、黒歴史をマッハ1で製造していたのであった。
何事にも終わりがくるというが、私の「終わり」は唐突であった。
中学1年生の冬。
何故か突然雲雀恭弥への愛が消えた。
萎えたのだ。全てに。
ジャンプ漫画特有の、あのダラダラとした引き延ばしが原因なのだと思う。
REBORNにも雲雀恭弥にも(勝手に)愛想が尽きてしまった。
私はその日のうちに、部屋にある大量のREBORNグッズをゴミ袋に入れた。
部屋に貼っていた雲雀恭弥のポスターも、ビニールフィルムがついたままのクリアファイルも、勿体なくて使わないままだった雲雀恭弥イメージの入浴剤も、
更にはコピー用紙に描いた雲雀恭弥の絵も全部全部ゴミ袋に突っ込んだ。
ゴミ袋に投げ入れた雲雀恭弥のサウンドロップが、経年劣化で変質したへんてこな声で「咬み殺すよ」と鳴いた。
私のお父さんは小さな会社を経営していて、その敷地内には焼却炉がある。
私はお父さんに頼んで、夜も更けたころに会社に連れていってもらった。
焼却炉の中に雲雀恭弥を押し込んで、いくつかボタンの操作をしたら焼却炉がゴオゴオと音を立て始めた。
上を見れば、冬の澄んだ空に白い煙が立ち上っていく。
つらつら書いてたら凄く長くなったので時間のある人よければ。私のクズっぷりにイラつくかもしれません。
クソつまらん理由というのは、部活のとある仕事をマジで絶対クソほどやりたくなかったから。以上。ちなみにこの仕事は私が高二の時に廃止になった。ちょっと笑った。
その頃の私は毎日活動のある部活に所属していて、学校に行く=部活に行くだと思っていた。部活のアレをしたくない→部活に行きたくない→学校に行きたくない。我ながら酷いダメ人間だと思う。
母は学校に行かないことにちょっと、いや本当はかなり反対していたのかもしれないが、「もう義務教育じゃないからね」と目を瞑ってくれていた。その代わり引きこもる間は私が家事をしていた。と、言っても洗濯と皿洗いと肉屋のタイムセールに行くくらい。かなり優しく甘い。でも部活が嫌すぎて精神が弱っていた私は否定されなくて安心した。本当にいいお母さんだと思う。
父は良くも悪くも寡黙な人で、私が学校を休んでいて暫く言わなかった。逆にドキドキしてたが、母には「あいつは学校に行かんのか」と相談していたらしい。わたしにも「高校なんて行かなくてもいい。大学で何をどのくらい勉強するかが大事」と言ってくれた。マジで優しい。大学生一年目に全然勉強してなかったら怒られた。二年目は頑張るよ。
最初一週間は風邪なことにしていた。症状が酷いことにして友達からのLINEもみなかったし返さなかった。見放さないでくれた友達全員が聖人過ぎる。きっとこの人たちは長生きするし良いことがある。
一月下旬、部活の仲良しグループのLINE通知を見て思わず既読をつけた。
「今から〇〇の家行くわ」
部活終わりの18:30過ぎの通知。見たのは19:15。お風呂で見た。学校から家までは大体1時間。私は大慌てで髪やら体やらを洗って風呂を出てまたグループを見た。
「マジでいってる?」
1ヶ月弱ぶりの返事に既読は即ついた。四人グループだから既読3。驚いた。
「ちょっと迷ったけどもうすぐ着く」
三人は本当に来た。お風呂上がりで髪の毛も濡れてるし死のうと思ってドアを開ける。学校来いとか部活こいとか言うだろうか。何を言いに来たんだ、どうしてきたんだ。
「あ、なんか思ってたより元気そうでよかった」
三人はそう言って笑って私に次に出る公演のチケットを渡すだけ渡して帰ろうとした。私はとりあえず三人にチョコパイを渡して、慌てて外に出れる格好に着替えて最寄り駅まで送った。
駅までの道で「死んでるかと思ってたー」「なんかこれ青春っぽいね」「お腹すいた」みたいな話をした。私はあーとかうんとか言うばかりだった。混乱してたし。
別れ際に一人が言った。
来たくなったらでいい、来れそうならでいい、とか続けてて私はちょっと笑った。この人たちは今でも仲が良い。本当にいい人達だ。誰も彼氏はいないけど。
でも私は行かなかった。本当バカ。行けよ。
二月。バレンタインの季節だなんて思ってたら担任から二者面談のお誘いが来た。外に出たくないわけではなく、部活に行きたくない、授業に行きたくない、学校の人に会いたくないだけだったので行った。家庭科の先生だったから家庭科室で面談した。
「やっぱり、部活のせい?」
私のいた部活は辞める生徒も毎年何人かいて、まあ厳しい部活だと思われていたのだろう。私は部活が厳しいから辞めるわけじゃないし、そこまでヘタレじゃないし。と謎の意地を張って(しなきゃいけないことがしたくない、つまり部活のせいで学校に来てないわけだけど)「違います」と言った。で、まぁぼんやり考えていたことを担任に言った。転校しようかなと思ってるとか、高卒認定試験受けようかなとか、学校にいく意味がわからなくなったとか。担任もまた良い人で、無理に来いとは言わなかった。「二年生として転校したいなら協力はするから、三学期末テストだけは受けて欲しい」とか「合唱コンの練習を頑張ってるから見に来て欲しい」とか言われた。私は三学期末テストを受けて合唱コンを見にいくことを決めた。
ちなみにこっそり見に行った筈の合唱コンなのにクラス全員に私が行ったことはバレていた。
Twitterの裏垢というのがある。仲良い友達同士だけでフォローし合う身内アカウントだ。そこで「三学期末テスト、受けるだけ受けようと思う」みたいなツイートをした。
クラスの仲良い子から電話が来てびっくりして出た。聖人二人組だった。
「一緒にテスト勉強をしよう」「いつもしてた(定期テスト前はグループ通話をしながら勉強した)みたいにしよう」「範囲は全部教える」私は受けさえすればよかっただけのテストを勉強しはじめた。
テスト一週間前くらいから聖人コンビはほぼ毎晩電話をかけてくれた。内容はほぼ雑談で何を話したかあんまり覚えていない。「一回学校来てみて」「一回きたらするっと復活できるよ」と言われたのは覚えてる。でも学校に関すること本当それだけ。嘘、合唱コンの結果も聞いた。一年生ではトップだった。
その日の朝は死ぬほど嫌で嫌で嫌で嫌で死にたかった。ヒソヒソ話されたら死ぬ。でももうあと3.4日でこの学校とはおさらばだ…四月から二年生として生きるために耐えるしかない…。
そう思っていたけど周りは普通だった。普通にインフル明けの人みたいに接してくれた。元気?とか遅刻してないねとか、覚えてないけど超普通でなんというか拍子抜けした。
次の日もその次の日もテスト最終日まで私は遅刻せずテストを受けたし赤点はなかった。なんなら数学は普通に点数良かった。
テスト最終日、数日後のレクリエーションの球技大会の競技決めをした。私も普通に頭数に入っていたし、私含めた八人グループみんなでドッヂボールにした。学校行ってこの人たちとドッヂボールしてからやめても良いか。
球技大会まで学校に行っててふと気づいた。別に普通だ。学校行って虐められるわけじゃないし普通に楽しいし、多少先輩がいるかもとか気を使うけど超普通。え?じゃあ学校行けば良くね?
学校は辞めなかった。転校もしなかった。
でも部活はやめた。でも家に来てくれた三人は変わらず仲良くしてくれた。
特に盛り上がるところは無かったが私が高校を辞めそうだった時の話はおわり。
話の構成下手ですまん。
とにかく両親と担任、友人五人に支えられて、この人たちのおかげで私は高校二年生になれた。
もちろん高校の人がみんないい人で私を指差して笑う人がいなかった(いたかもしれないけど私は知らない)から二年三年と辞めずに済んだ。
特に友達五人には感謝しても仕切れないしなんていうか意味がわからない。
出会って一年ない他人にここまで尽くせるか? 家まで行ったりテスト範囲教えて一緒に勉強したり、普通に学校戻っても仲良くしてくれたり。
私は高校三年間でたくさんの人にお世話になった。ここであげたのは八人だけど、私はこの八人なら誰の連帯保証人にでもなれる。
(追記)
映画見終わったら上の方にあってびっくりした。読んでくれた人本当にありがとう。
私がいいやつだったかは自分ではわからないけど、本当に周りに恵まれて愛されて育ったんだなって思います。あと連帯保証人はやめます。私の自慢の友達に限ってそんなことはないと思うけどね。
誰かを助けられるような人になるよ、ありがとう。
ちょっと前に流行ってたロウトみたいに受け口が広くてキャパシティが少ないという絵の載った心が弱い人の話ではないけれど、俺はどうも痛みに弱い。
デコピンだのシッペだの肉つまみ攻撃だのをされると「痛っ」「ええっ、これで!?」といったやり取りをちょいちょいすることになる。
痛みや刺激を感じた時に、無視し続けたり耐え続けることができなくなるまでの閾値が人より低いらしい。
極端に筋肉がないわけでも太っててムチムチとかいうわけでもないけれど、
血圧を測られるだけでも圧迫される腕が痛くて眉間に思いきりしわを寄せて我慢している。あれを数分も続けられたら音を上げそう。
正直パワフルな人が相手だと握手ですらちょっと痛いことがある。
採血の痛みはその日ずっと痛いので腕に違和感が付き纏って筋肉が凝り固まるのか、そのうち腕を上げること自体しんどくなる。
単純に刺激に対して感覚過敏めいた傾向があるので、そういうのも影響しているのかもしれない。
その他のあるあるとしては
硬い机の上に肘や手首の骨のあたりをつけるとか、リストレストに手首を預けるだけでも痛くて落ち着かなかったりする。
服の袖の縫い目やボタンが他の物に触れて押し付けられて当たっている程度の事でも仕事に差し支えるレベルで痛み出す。
襟首の狭いシャツは首が苦しい→痛いとなってしまうので着られない。
ネクタイは相性が悪い、就活と成人式と卒業式とバアちゃんの葬式に参列したあとに毎回原因不明の熱を出して寝込んでたのは慣れないイベントの疲れだろうけれど、
Yシャツにネクタイやタイピンの感触で過度に体が緊張状態になってたのも一因ではないかと思っている。就職先の選定基準に私服勤務必須というのも面倒な体だ。
タンクトップやナップサックは肩に細い紐が食い込んで痛い。靴下のゴムが肉に食い込むのも痛い。
もちろん腕時計もダメ、社員証を首から下げるのも重み(社員証何gだよ……)が掛かっている部分が我慢できないほど痛くなるので、胸ポケットに装着するか襟の裏を通して首に紐が当たらないように注意する。
メガネはいろんなタイプに何度挑戦しても耳が痛くて痛くて1日はつけていられなかった。
マスクも痛くなさそうなものを選んでも、やっぱり耳にかけると2時間ぐらいで痛み出すので、柔らかいゴム紐で首の後ろで結んでみたりするが、耳よりはもつけど結局首筋が痛くなったりする。
ダボついていないズボンのポケットに替えのボタンが入ったままになっているとケツが痛む。
ダボついたズボンのデカいケツポケットの生地が座ったときにすこしヨレて圧力がかかるのもケツが痛い。
あとジーパンの前ポケットのあたりのなんか妙に入り組んでて分厚い部分とかもふとしたときに圧迫されると痛みやすい。
トランクスのゴムがジャストサイズだと腰が痛むから買ったらまず少し動けば勝手にずり落ちるぐらいまでゴムを伸ばしてから履く。
ニット帽をかぶってゴーグルをつけたら、耳と側頭部が圧迫されて違和感、我慢してかぶっていたら痛みに変わって堪えられなくなってスキー教室をリタイア。
マフラーをゆるく巻いても重苦しく感じて、そのうち首とか肩とかがガチガチに凝って頭痛までくるから巻けない。
子供の頃だと、体育の赤白帽のゴムが触れるのが気になったのかすぐ嚙みちぎって親に怒られたり、水泳帽が苦痛だったり、ドッヂボールで痛くて転げまわったり。
爪もお湯でふやかしてからでないと切れなくて、中学で衛生検査に引っ掛かった時に無理にその場で切らされたが、
痛みで声を出さないように必死で堪えていたけれど片手終わるぐらいで涙が止まらなくなってしまってびっくりされた。
Tシャツの袖の長さの調節だけで少し我慢すれば過ごせる春から秋までは気楽なのだが、冬場になってくるとさすがにいろいろ着ないといけないから憂鬱だ。
なんだか感覚過敏の話と痛みに弱い話がごっちゃになってしまったが、なにあkと生き辛くて不便なのはもうこの際仕方ないとしても、
こんな感じなのを口で説明しても人にわかってもらうのがなかなか大変なので、なんか説明しやすい検査とかできればいいのになーと思う。
35歳になりいじめの記憶を辿るという、かなりどうでもいいことをなぜかしようと思ってしまった。そこまでハードないじめのではなかったのかもしれないがまぁ思い出してみよう
自分の中でいじめだったという認識があるのは保育園、小中?高の4時代、中学はそこまででもないが順に辿ってみる
▼保育園
保育園にはいじめっこが2人いた僕はジャイアンとスネ夫に見立てていたがさながら僕はのび太だった。
ジャイアンと僕は同じ女の子のことが好きだった。彼はいつも「女の子ちゃんは俺のモノだ」と言って誰も近寄らせようとはしなかった。多分、彼女も当時はまんざらでもなかったのだと思う。とてもうらやましかったのを覚えている。(これは嫉妬)
保育園に通っている間は、ほぼその2人に毎日殴られ、泣かされて帰った。これは保育園ながら結構辛かった。ジャイアンとスネ夫は僕とは違う小学校に入った。救われたと思った。
人間失格のくだりではないが同窓会などで保育園の時の話をすると、当時の僕を覚えている人がなぜかいない。存在感が薄かったのだ。写真にはよく写っているようで不思議がられる。
▼小学校
小学校は山側に住んでいる人と、谷側に住んでいる人にわけられた。小学校は20人で1学年1クラスしかない小学校だったが、僕は山側に住んでいた。山側に帰るのは僕ともう1人だけ。残りの18人は谷側に帰る人達だった。おかげで、登下校時の話題に乗り遅れ、ブームに乗り遅れた。また、下校後に山側と谷側で遊ぶ交流もほぼなかったし、おまけに僕はピアノを習っていたため女のようだと言ってからかわれる日々だった。
そのうち成長してくるとクラスにはボスが誕生した。もちろんボスは谷側の人であったため、しもべのような人を数人従えて必ず僕はのけ者にされた。ドッヂボールや鬼ごっこ、サッカー・班決め。チームになるような何かの時には必ずヒエラルキー通りのチームわけになった。なので、勝ったためしがない。多数決では、彼の意見にみんなが賛成したのでかなり不条理な決定がまかり通っていた。先生もなぜか不条理なことを受け入れていた。
あるとき、集団相撲というのが流行っていた。チームで分かれて全員をなぎ倒したら勝ちというルールで、特に土俵などは存在しない遊びだった。教室でやっていたらロッカーの角に頭をぶつけて頭から大流血した僕はすぐに病院に運ばれた。
手当をされて戻ると「あれ?生きてるの?」と言われた。後になってわかったが、僕が病院に行っている間に先生の指導のもと、黙祷されていたようだった。今でも信じられない。
しかし、小6の頃革命が起こった。クラスのリーダー格の女の子が隣の席になると一気に仲良くなった。
その女の子と仲良くなることで女子陣が味方につくようになった。無論、男子たちとは更に距離が開くことになったが、初めて友達ができた感じがして救われたのは間違いない。
▼中学校
中学校では走り出しは順調だった。新入生代表挨拶を自分が読んだためだ。
(とはいえ、新入生代表挨拶は、小学校の時誰もやりたくないということで、ボスが僕を指名したために決まったものだった。誇れるものではない)
入学して3ヶ月頃までは普通だった。しかし、突然風向きが変わった。それまで仲の良かったと思っていた人達が僕を外し始めた。僕が小学校時代の弱者であるという認識が広まったのかもしれなかった。そして、若干名の無視を受けていたものの、そこからいじめが発展したということは特になかったが、中学時代はそのくらいだったので、平穏無事に終わったと思ってもいいだろう
▼高校
高校も走り出し1ヶ月は順調だったが、クラスの人間関係では最悪の高校生活だった。少しづつ友達が増えてきたと思ったら1日にして孤立してしまった。
きっかけは、前の席に座っていた1人の男子だった。ある授業中、居眠りをするととても激怒する先生がいたのだが、彼は居眠りをしていたので、起きなさい的な意味で、冗談まじりに消しゴムのカスを後ろからなげつけた。そんなに深い意味はなかった。起きて振り向いたが、殺すぞくらいのキレ方をされた。
そのことにおいては僕も悪かったのかもしれない。
それからだった。何日もしないうちにみんながよそよそしくなって、気付いたら完全に無視される状況が出来上がっていた。これは高校3年の夏くらいまで続いたので、2年半くらいだろうか。
初期の頃は本当に1日が長くて辛すぎた。特に辛かったのは修学旅行だ。3泊4日の沖縄は最悪の思い出だ。オール無視されながらの班行動。これはいじめ人生の山場だった。
高3の夏に何が起こったかというと簡単で、ターゲットが俺ではなくなっただけだった。そこで、そのターゲットをハブるため、俺に声をかけてくるようになったのだ。しかし彼らと仲良くなろうなどという気も一切なく、うれしくもありがたくもなかった。新しくターゲットになった彼はとても辛そうにしていたが、僕の2年半にくらべたらどうってことないだろうと思ったし、そしてその2年半無視していた仲間がターゲットになったところで、どうでもよかった。
長年無視をくらって、それでも頑張ってくらしているととてもタフになる。もう全然1人でも楽しめるような自分が完成していた。暇さえあれば、写真を撮ったり、美術室で絵を描いたり、学校を抜けて映画館に行ったり、本を読んだりしていた。おかげでちょっと人とは違う感性の高校生になっていたのだと思う。
そして、予備校・大学と進んだがそこはなかなか良い友達ができた。
▼その後
23くらいの頃、高校の同窓会が1度あったので参加してみた。既に俺のことを忘れてしまっている人もいたが、よく参加したものだと自分でも思うがまぁよい経験だろう
きっともう同窓会はないと思うが、あったらまた参加すると思う。おかげさまで強くなったし、自分の感性が活きる仕事にもついた。結婚もしたし、今はよい友達もたくさんいる。
こうやって記憶を辿るのはなぜか自分はわからないけど、今はとても幸せだから、なんか見返せたような気がする。それを実感したくて書いたのかもしれない
http://anond.hatelabo.jp/20161108120656 の続きです。あと2回くらいで完結しそうです。
大丈夫だ。何も心配はない。昼休みのチャイムが鳴ってから10分。人の移動がなくなるのを待って、俺は行動を開始した。
簡単だ。昼休みの中頃、1人で下駄箱のある玄関に向かう。昼休みには外で遊ぶやつと教室に残るやつがいるけど、外で遊ぶやつは休み時間が始まったらすぐに出て行くから、そいつらがみんな出て行ったあと行けばいい。教室を出て行くところを目撃されても怪しまれる恐れは全くないし、校庭で遊んでいるやつらはいちいち玄関に誰がいるかを見たりしない。あいつらはただボールを投げたいだけだ。
万が一下駄箱の前にいるところを誰かに目撃されても、そこにいるというだけでまさか女子の上履きを取ろうとしているなんて思う訳がない。女子の下駄箱と男子の下駄箱は隣り合っているから、立つ位置が多少ずれるだけで、遠目から見れば全く不自然なところはない。もし誰かに見られても、何事もないふりをして自分の外履きに履き替えて校庭に走って行けばいいだけの話だ。
幸いにして教室は一階だから、目的の上履きさえ取ってしまえば、あとは事前に決めた隠し場所に素早く置き去りにすれば良い。ここが唯一リスクが大きいステップだけど、所要時間は十数秒。見られる確率は十分小さい。それに、もし誰かに見られても、口止めする手段はいくらでもある。
完璧だった。何もかもがうまく行った。誰にも見られることなく、俺はヒロミの上履きを、玄関を挟んで教室の反対側に置いてある熱帯魚の水槽に、入れた。
「ポチャン」という音がして、水が跳ね返った。シャツに水滴がかかったが、この程度なら目立つことはない。
昼休み終了のチャイムが鳴って、ヒロミが校庭から戻って来れば、彼女は自分の上履きがないことに気がつくだろう。
このまま教室に戻ってもいいが、万が一ということもある。ドッヂボールをしているタカヒロたちに合流しよう。一緒にドッヂボールをしていたという記憶さえあれば、それで十分アリバイになる。人は誰と一緒に遊んだかは覚えていても、誰がいつ来たかということは簡単に忘れてしまう。俺が途中から来たことなんて、誰も気に留めることなく忘れてしまうだろう。
いつものように外履きに履き替えて、タカヒロたちのいるところへ走って行った。
計画通り。あまりにも思い通りにいきすぎて、笑いがこみ上げてくる。
「じゃあみんな伏せて」
助かった。笑いを堪えるのに必死だったんだ。伏せていれば、笑いを隠す必要はない。
「心当たりのある人は静かに手を挙げなさい」
心当たりのある奴なんている訳がない。俺は誰にも見られていない。俺を疑う奴なんて誰もいない。
「残念ながら、名乗り出てくれる人はいませんでした。前にも言いましたが、悪いことをしたら、隠していると一生後悔します。でも、それでも名乗り出ないということは、仕方がないのでまたみんなで探します。見つかるまで、家には帰れません」
いよいよだ。ただ、ここで真っ先に水槽に向かったらダメだ。あまりにも迷いなく見つけると、最初から知っていたんだと疑われるかもしれない。まずは誰でも思いつきそうな場所を『探す』。男子トイレに入って、個室を順番にチェックする。洋式トイレが詰まっている以外、おかしなところは何もない。
男子トイレから出て、いかにも「どこだろう」とでもいうように辺りを見回す。これ以上もたもたしていると他の奴が偶然見つけてしまうかもしれないから、カモフラージュはこのくらいでいいだろう。
「先生!あった!」
「遠藤さんの上履きが見つかりました。水槽の中に入っていたそうです。園田君が見つけてくれました」
ヒロミのほうにちらと目をやってみたけど、こっちをみてはいないようだ。まあいい、俺が彼女の上履きを見つけたということさえわかってもらえれば……
「全部あいつが隠したんじゃねえの?」
耳を疑った。
「そうだよな、3回とも見つけられるなんておかしいよな」
「私知ってる!そういうの、ジサクジエンっていうんだって、ママが言ってた」
違う、俺は……。
「俺が隠したんじゃない」
「じゃあなんで毎回お前が見つけるんだよ。超能力でもあるっていうのか?」
「違うって言ってるだろ!」
恐怖で気が狂いそうだった。