はてなキーワード: トルエンとは
だいたいが「香りのマナーに注意しましょう」「柔軟剤の量は守りましょう」で終わり。
ところが、すでに、韓国や日本国内のNPOがほんの数種類ではあるが、
・グルタルアルデヒド…頭痛、めまい、接触性皮膚炎、喘息などを引き起こしやすい。毒性が強い。
・イソシアネート…呼吸器や目の炎症の他、中枢神経を侵される危険性あり。毒性はトルエンの百万倍
香りばかりが重視されているが、こういった有毒成分にも着目しないと、
で、CMでうたっている「香りのマイクロカプセル」は香料をイソシアネートでくるんでいるわけだが、
洗濯してもなかなか落ちないほどの頑固さと、長期間香りを放出する特性を持っている。
これが、吸い込むと一部は肺の中に溜まっていく。
そして、肺は洗浄出来ない。
「塵肺症(じんぱいしょう)」という病気になる。
肺線維症を起こしたり、気管支炎を起こしたり、肺の弾力が失われて、
中国のPM2.5が以前騒がれていたが、国内でも似たような物が生活用品として
日々使われて生産されているわけです。
それから、化学物質についていろんな記事を読んできて思ったのだが、
柔軟剤の香りが好き過ぎて、スプレー容器に入れて部屋に撒いているという人がいるらしいが、
イソシアネートで脳の神経がやられているんじゃないかと考えています。
「この香りが死ぬほど好き」と言い、人から注意されると切れてわめく。
そういえば、最近いきなり切れて犯罪を犯す人が増えていることについて、
このあたり、医者や科学者も注目して、国に提言して欲しいところです。
たかが柔軟剤ごときで国民の健康や安全がおびやかされるなんて、
とんでもないことです。
参考URL
最近声高い男ボーカルが流行っているのか、数が多くて辟易している。
もっと男臭い、低い、泥臭いような声を出すバンドを知りたいから教えてくれ。
参考までに、増田はエレファントカシマシ、イエモン、amazarashiあたりが好きだ。
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■追記
現時点でブクマに挙げてもらったものをまとめてみた。(21:31時点/トラバは今まとめてる)
リンクとか追加するかも。
泉谷しげる with LOSER
SUPER BEAVER
https://www.youtube.com/watch?v=YXFSr_JFVj0
memento 森
忘れらんねえよ
OKAMOTO'S
甲本ヒロト(現:ザ・クロマニヨンズ、※増田注:個人的にはTHE HIGH-LOWS推したい)
OLEDICKFOGGY
Nothing but thieves
Catfish & the Bottlemen
Royal blood
Creedence Clearwater Revival
Silhouette From The Skylit
Joe Cocker
The National
Tom Jone
Warren Zevon
John Cougar(現:John Mellencamp)
Guns N' Roses
Phil Anselmo
Howard Andrew Williams
Clutch
Bunker Hill
Alabama Shakes
Motörhead
Kaleo
先日、「週刊金曜日」という雑誌に「ひろがる香害」という記事が掲載された。
やっと…という感じである。
イソシアネートの毒はトルエンの一万倍も酷いという。
他社ではあまり大きく取り上げられなかった。
というより、各新聞社が「取り上げない」のだ。
P&Gに至っては、行政機関から成分の質問をされても隠したくらいだ。
なんとも恐ろしい。
最初から「なんとなく体に悪そう」といって、全く使ってなかった。
彼女達の勘は素晴らしいと思う。
自分の健康も徐々にむしばまれていく…そんな生活用品を売る企業ってどうかと思う。
ちまたに売られていたら、安全だと普通の人は思ってしまうだろう。
身を守って欲しいと思う。
そして、拡散してほしい。
買えないこともないと思うけど、放火するならガソリンでいいのになんでトルエンなのか。それにトルエンはPETを侵すのでこの記事の方法で持ち運べるのかなあ。
まぁ、タイトルの「レガシープログラマ」とは私の事なんですけどね。
if( foo == TRUE ){
という判定文をよく見かける(fooはいろんなオブジェクトだと思ってほしい)。
個人的には、この書き方、嫌いなんだよね。
if( foo ){
か
if( foo != FALSE ){
と書いて欲しいわけよ。とにかく「TRUEか?」という判定にはして欲しくないわけです。
で、なんでこう書くの?と外注や若い連中に聞いたら、「TUREは1ですから」と必ず答える(断言する)。
あ、あれ???自分は「TRUEはFALSEでは無い。確定しているのはFALSE=0という事だけ」だとずっと思っていたんですわ。
古いC言語風に書けばこんな感じ。
#define FALSE 0 #define TRUE (!FALSE)
確かに、実際に値を表示させてみると、昔のVC6だと「1」という結果が出てくるし、VB6だと「-1」という結果が出てくる。これ、当時混乱の元だったんだよね。
新しいC++や規格ではBOOL型というのがきちんと定義されたと思うけど、製品寿命が20年とかいう私の職場では、DOSやC(K&R)、アセンブラは現役だし、プラットフォームもなにもWindowsに限らない。組み込みマイコンも使う(うちのところはVxWOKSだが)し、UNIXやLINUXも使う。
もちろん、マネージドC++(.netFramework)やC#、JAVA、Parlも私は使うし。でも、どのプラットフォームでどの言語になっても「TRUEか?」という判定文は使ってこなかった。
で、試しに、VC2008のincludeフォルダをgrepしてみたら、
#define TRUE 1
あ、ほんとに「1」だ。
typedef bool int
なんて見かけるから、やろうと思えば「5」でも何でも数字が入ってしまうわけですよ。そこで「== TRUE」なんてやられたら、絶対に成立しないわけで。バグの温床になるんじゃないかなー、と思ってかたくなに前述の姿勢を持っていたわけです。
今(最近の)言語はきちんと「BOOL」型(またはboolという名のクラス)を定義されていて、コンパイルエラーになるか、自動的に補正してもらえるのかもしれないけど、ちょっと気持ち悪い。
最近、ちょくちょく外注や若い連中と意見や話が合わず、「ああ、俺ってレガシープログラマなんだな」と思う事が多くなった今日この頃。ネットワークに平気でリトルエンディアンのデータを流すとか、勘弁して欲しい。LANアナライザでデータが見にくくてしょうが無い。
俺は「グリコ・森永事件」が起きた1984年に中学三年生の春を迎えた。
その年に俺の中学で起きた「ちょっとした事件」に直接関わっていたが、黙って暮らしてきた。「時効成立なので」という訳ではないが、小文をしたためさせてもらう。
俺の住んでいたところはグリコ・森永事件の現場(東は滋賀県、西は兵庫県西宮市)の両端の間に位置し、多感な時期であったこともあり、何か、事件の犯人は近くに住んでいるのではないかと感じていた(そういう噂も内々にもあった)。
俺の行っていた中学は行区内にいわゆる「文教地区」ではないところもある、関西では一般的な「柄が少し悪い」学校だった。
中三の時期、俺の学年は田中(仮名:以下略)がワルで仕切っていた。学年にもう一人、佐藤(仮名:以下略)という、中二からメキメキ、ワルさを極めを力をつけている奴がいた。当然、田中および取り巻き(俺も末端ながらその一人だった)は佐藤のことを「いちびってる」として「そのうち、締めよう」と考えていた。佐藤は仲間とつるむタイプではなく一人で田中グループの人間をシバきまわしたり、「カツアゲ」していた。俺も佐藤に小遣いをむしり取られたことがあった(ちなみに田中には「制度」として上納していた)。
グリコ・森永事件が広域事件として、社会を騒がせていた時期、俺の中学も小さい宇宙の中で、ちょっとした「抗争」が起きようとしいた。
案外、田中は早く動いた。中学の屋上に佐藤を夜に呼び出して、シバキ回して「ヤキをいれよう」ということになった。俺も参加するよう言われた。でも、何か怖くて、その晩はバックれた。後で田中の子分に「小心者」と罵られ暴力を受けることは覚悟していた。
Xデーは訪れた。翌朝、佐藤は中学の校舎の裏側のコンクリの上で、落下死体として発見された。田中の周辺からだいたいのところは聞いた。田中と佐藤で屋上で殴りあいをして、田中は佐藤を組み伏せた。田中側は複数だったかもしれない。
当時、俺の中学ではシンナー、トルエン遊びが流行っていた。田中たちは下になった佐藤に無理やりシンナー、トルエンの混合物を目茶苦茶に吸引させた。田中は容赦ない奴だったので、その前に佐藤の肋骨を数本、踵で体重をかけて、内臓にめり込むよう折っていたし、腕もへし折っていたようだ。
激高した田中とその取り巻きはぐったりした佐藤を校舎の屋上のフェンスから投げ落とした。現場に俺は居合わせてなかったが、田中の「肋骨折り」は以前も目撃したこともあり、怒り狂った田中の凶暴さは知っていたので、佐藤を「落下」させることくらいはやりかねないと思った。
佐藤の落下死体があったことから、朝から警察が来てものものしい雰囲気だった。田中らは逮捕されるだろうと思った。少年院とかに行くだろうし、本人たちもそういった人生を選択していると思った。佐藤が死んだことには、少し「ぞっと」したが、所謂「想定内」であった。
その日の夕刊に警察発表の記事が社会面に載った。一段扱い、小さな記事であった。
とひっそり、単独事故死ということで片付けられていた。
その後、田中とその側近たちは登校しなかったし、先生も佐藤の転落死などなかったように静かに中学義務教育を継続した。
俺は、怖かった。佐藤が殺されたことよりも、何百倍も「転落死」として処理されたことが今でも怖い。丁度、グリコ・森永事件の犯人が捕まらなかったのと同様、国家権力をもってして、外傷を受け複数の骨が折られた死体も「事故死」とする方が都合がいいこともあるのだと、中学三年生のときに知った。
よく殺人で捕まった犯人が累犯として他の犯行も認めたという報道もある。きっと真実もあれば、コントロールされた「事実」もあるのだろうとずっと思っている。
高校に行って、社会人になったが、静かに人生を送るように極力つとめるようにしている。まあ、それが、日本における市民の普通の生き方なのかもしれない。
田中および一番側近の村上(仮名)はその後、任侠の見習いをしているとも聞いたが18歳の時、死んだ。深夜、国道を田中のスピード運転でカーブを曲がり切れず対向車線にはみだして、タクシーと正面衝突。田中と村上、そしてタクシーの運転手さんまで即死だった。田中はアルコールを飲んで運転していた。
先日、実家が引っ越すので荷物を整理して、中学校の卒業アルバムを見つけた。佐藤はもちろん、田中、村上他の写真もなく、彼らは最初から存在していないようにアルバムされていた。
多言語化に必要な時間や労力と、言語の多様性の価値とは別モノだよ。
それから、コンピュータ世界における言語の表現方法を考えるなら、はじめから他言語サポートを目論んで制作されたのでなければ、海外サービス等で文字化けするくらいのことを特別視する必要性は無いんじゃないかな。日本語(というか、二バイト文字)対応っていうのは、英語圏では必要のない技術を使ってるわけだし、無頓着になっちゃうのも仕方無いと思うよ。喩えるなら、クロスプラットフォームなクラス作ろうとしてたのについついリトルエンディアンな処理系しか考慮していなかった、後から気付いたけど直すの面倒って場合だとか、クロスブラウザ目指していたのに、ついついグラフィカルブラウザのみ考慮していた、テキストブラウザや音声ブラウザの存在に後から気付いたけどテスト環境整えるのが面倒だし、そもそも少数派だし……ってくらいで、別に意地悪して切り捨ててたり、言語を強制する目論みではないと思う。