はてなキーワード: デビュー曲とは
ホロEN一期生として、衝撃的なデビューを果たしたラッパー。キャラは死神。
カリオペがデビューした2020年当時は、今から振り返るとまだVTuberの創世記と言っていいんじゃないかと思います。
実際に服役してた個人勢の「懲役太郎」さんとかエッジの効いたVTuberはいたんですが所詮アングラで、「死神」というキャラ設定でデビューしたホロEN一期生が、デビュー配信でいきなりプロレベル(に聞こえた)のオリジナルラップ曲をリリースした衝撃はものすごく大きかった気がする。
ラップのリリックを含む作詞と、イラストも描ける多才な人。日本語もかなりうまくなった気がする。
ホロEN三期生「Advent」所属。キャラは「音の魔神」。ホロも期を重ねて、世界観がややコアになってきた気がする。
EN三期はデビュー後たったの2ヶ月でJP7期相当(7期ではない)の「ReGLOSS」がデビューしたこともあり、ホロには珍しいデビュー続きとなってしまい、その点でやや不遇感があるかも。
EN三期ともなると色々なホロメンの中でデビューしただけあり、ネリッサは一聴して歌がものすごく上手いと思います。
喋りは英語なのでちょっとしかわかりませんが、歌全振り系のおもしろお姉さんっぽいw
ホロライブはプロデュース方針としてアイドル的なカワイイ売り方をしており、喋りやネタで盛り上げたにじさんじより魅力が伝わりやすかった?のか、JPメンバーにも英語圏のファンが多数いました。
それで満を持してデビューしたのがENメンバーです。あっという間に登録者数300万人超えてびっくりした記憶がある。(なお現在400万人超え)
燃え尽き症候群というのか、どうも意欲が著しく減退してしまったようで最近は配信が少なくなってしまったのが残念です。
ぐらちゃんは設定的にはアトランティスの末裔であり、サメのしっぽが生えてます。通称サメちゃん。
ホロメン(ホロライブメンバー)はたまにカラオケ配信をしたりするのですが、ENメンバーも例外ではなく、たまに歌配信をします。
ただし英語圏には日本のJASRACのような超大手の著作権管理団体が無いらしく、窓口が散在している故にYouTubeでライブをするのにも許可を取るのが大変だそうで(下手すると事務所とか作曲者直ってレベルらしい)、故にムメイをはじめとしたEN組の歌配信はアーカイブがなく、リアルタイムでしか聞けません。(ライブは問題なくて、動画に残す為の権利がめんどいらしい)
その中でもムメイの生歌はかなり上手い方で、英語曲オンリーですが一聴の価値ありです。(あとおすすめしたいほど上手いのはサメちゃん)
母国語はドイツ語ですが英語、日本語、イタリア語も普通に話せる才女。言語習得が得意?らしく、他のホロメンによるともっと話せるらしい。
VTuberの事務所はにじさんじとホロライブの圧倒的な二強で、他はすべて相当な差で後塵を拝していると思われます。
その中では歌に絞ることで比較的上位にいた?と思われるRe:ACT所属のV。
(現在ではぶいすぽっ!とかのが勢いあると思う)
「歌手志望の子を騙して連れてきたんじゃないか?」(ド失礼)と思ってしまうくらいいい曲歌います。
作詞作曲が出来て歌えるということで、シンガーソングライターに近いと思われます。
地道に数年頑張ってて、たまーに見てる。
最近…でもないけどホロライブの「Blue Journey」という音楽プロジェクトに「あの日の僕らへ」という楽曲を提供した(作詞作曲)。
NON-EDIT TALK : MY LITTLE LOVER featuring AKKO*華原朋美
華原:
こんばんは、華原朋美です。今日は7月り2日です。うーん? そろそろ夏ですかね。7月って言えば……、そうですね、夏ですかね、やっぱり、これから先は。今日の私の格好を見ても夏っていう感じなんですけども、みなさんはいかがですか? 今日のゲストは、私、すっごいドキドキしてます。MY LITTLE LOVERのAKKOさんです。よろしくお願いします。
AKKO:
華原:
いやぁ。
AKKO:
華原:
AKKO:
いや、なんか夏にはぴったりかなって。
華原:
AKKO:
朋ちゃんも真似したんですか?
華原:
AKKO:
好きですか?
華原:
AKKO:
いい感じ?
華原:
いい感じです。
AKKO:
華原:
ああ、やっぱり女性ですね。なんか、女ですね。
AKKO:
そうですか? いやいや、朋ちゃんもね。
華原:
いちおう、女を装って。あの、今日は、いろいろ聞きたいことがたくさんあるんだけど、歌を歌うのにつながる今までの人生ってあるじゃないですか。
AKKO:
うんうん、うん。
華原:
でも、いろいろなスタッフの人から話を聞くと、情報を集めたんですよ。昔は音大に通ったり。
AKKO:
華原:
これは私もそう思ったんですけど、バレエを。
AKKO:
うん。ちょこっとね、バレエは。
華原:
そうですか。
AKKO:
朋ちゃんはやってたんですか?
華原:
やってたんですけどね。
AKKO:
私ね、新体操やってたんですよ。
華原:
新体操って、これ?
AKKO:
そうそう、リボンとかボールとかなんだけど。だから、新体操の基礎ってバレエだから、それでちょっとね、やってました。
華原:
リボンやりながら歌いました?
AKKO:
歌わないよ。
華原:
AKKO:
あ、本当に。
華原:
うん。あの、平均台、10cmぐらいしかないんですけど、そこの上で転回やったりとかしてたんですけど。
AKKO:
危ないですよね。
華原:
危ないですよ。
AKKO:
怖いですよね。
華原:
落ちちゃった時とか、もうどうしょうもないほど痛かったんですけど。
AKKO:
なんかね、歌ったり踊ったりがとにかく好きで、ずっと。ちっちゃい頃から。だから新体操、まあ踊り、とにかく一回ハマって。まあ、それを終えて、「今度は歌か」と思って。音楽大学行って、声楽とか勉強して今に至るんですけどね。
華原:
やっぱり、音楽っていうものに関しては、自分は生まれつきすごく「それしかない!」って思ってたところってありますか?
AKKO:
いや、「それしかない!」っつうよりも、本当にただただ好き。好きでたまらない、楽しくてたまらないものが、本当に踊りと音楽だったんですよ。でも、ちっちゃい頃からね、「みんなの歌」とかなかった? ああいうの片っ端から歌ってみたりとかね、一人で勝手に部屋で歌ったりとかね。本当、それだけでもすごい楽しくって。
華原:
あの、私も「みんなの歌」みて歌ってても、私は一人で歌ったりとか出来なかったんですよ。みんなで合唱とかやった時、一回だけ自分が一生懸命歌えるっていう感じで、あの、その本を見た時、いちばん初めの印象ですけど、本を見た時に、恥ずかしいなって思っちゃったんですよ。そういうのってないですか?
AKKO:
わかるわかる。
華原:
なんか、「これ、私が自分で歌うんだ」って思った瞬間、すごい恥ずかしくなって。
AKKO:
でも、だって、隠れて歌っちゃえばいいじゃん。そういうのは思わなかったの?
華原:
AKKO:
私、逆にね、合唱とかのほうが恥ずかしかったかな。なんか、となりの人の声と聞こえたりするじゃない。で、自分の声とかも聞こえちっゃたりするのが。それだっら、なんか一人で歌ってたほうが、なんか好きだったかもしれない。うん、そうだなうん。
華原:
それはすごいプロですよね。なんか、私はそう思うんですけど。あの、合唱コンールの時に………、ごめんなさい、私の話で。
AKKO:
ううん。
華原:
合唱コンクールの時に、あの、ソプラノのパートを歌ったんですよ、私。で、ソラノのパートを歌える人がそんなにいなくて、私ともう一人ぐらいしかいなかったんすよ。
AKKO:
あら。
華原:
それじゃあもう声が、今から考えるとね、声が届かなくてしょうがなかったのになんでソプラノとかを歌えたのかな? って。恥ずかしいと思いながら声を出すってうのは、すごく見てる人が楽しむところなのかなって、今は思うんですけど。
AKKO:
なんか、見てる人も歌ってるほうも楽しいよね、歌とかってね。
華原:
踊り踊るのと歌を歌うのって、とにかく好きだし。私も踊るのも好きだし、歌うも好きなんですけど、でも、それを一緒にするのはなかなか難しくて。で、いつもフンの人から手紙とかもらって、そこに書いてある文章を読んだりすると、「左手、右が、どうしてこんなに動くんですか?」って。私はあの、「それは振りですか?」ってかれるんですけども、「振りじゃなくて勝手に動いちゃう」っていうふうに言うんでけど。で、ビデオ見たんですよ。
AKKO:
何の?
華原:
全部。
AKKO:
華原:
はい、全部見ました。
AKKO:
華原:
AKKO:
いやぁ、私はもうぜんぜん。
華原:
いいなぁとか思ったんだけど。
AKKO:
いやいや、私もやっぱり、まだやってみたことはないけど、踊りと歌を合わせるって、まだ自信ないなぁ。やってみたいけど。ジャズダンスとかも、多少習ったりとしたことあるけど、難しいよね。
華原:
難しいですよね。あの、アルバムの中で、アルバムの中じゃないけど、♪いつかHEY! HEY! HEY! ~って、あるじゃないですか。
AKKO:
デビュー曲なの。
華原:
あれ、私、すっごい好きなんですよ。
AKKO:
あ、本当に。
華原:
私、あれ聴いて、「いつかはHEY! HEY! HEY! に出て上いってやろう」とかってました。
AKKO:
あれ? その頃ってまだデビューしてないんでしたっけ?
華原:
いや、いろいろしてる時期だったんですけど。
AKKO:
あ、そうか、そうか。でも、いい歌詞ですよね、なんか。意外と前向きだしね。HEY! HEY! HEY! ~とかいって投げやりな感じだけど、じつはね、かわしてる感じでもんね。
華原:
あの歌はすごいいいですね。あと、「Hellow again」もうメチャクチャ好きです。
AKKO:
あ、本当に。いやぁ、嬉しい。
華原:
プロモーションビデオ見たんですけど、半袖でマフラーをしてるじゃないですかAKKO うん。
華原:
それは、やっぱりあのマフラーには何かあるんですか?
AKKO:
いや、私が考えついたことじゃないんですけど、その時のアートディレクターの藤さんていう方がいて、その方がなんか発想して。そういうふうにTシャツにバーバーのマフラー。すごい可愛いですよね。
華原:
可愛いなって思いましたね。
AKKO:
私もびっくりしちゃったんですけど、でも、それはその人の。
華原:
なんかあれですよね、「Hellow again」っていうのは、昔からある場所。昔かにる場所っていうのは、AKKOさんの中でどういうところですか? 昔からある場所。
AKKO:
昔からある場所? どういうところなんだろうな? けっこう冒険が好きなんで、んまり留まってないんですよ、私。だからね、ちょっと。ごめん。
華原:
ううん。あの、私は自分であの曲を聴いて、自分が、朋ちゃんが昔からある場所ていうのはどこなんだろう? っていうふうに探しちゃったんですけど。
AKKO:
どこでした?
華原:
わかんないですけど。昔からある場所って実家かな? とか思ったんですけど。
AKKO:
それはでも、私も思った、一瞬。実家かな? って思ったけど。結局なんか、自ベースの気持ちだったりするのかな、とか思ったけどね。わりと私は、なんか楽しくきようっていうのがベースにあるんですよ。
華原:
いいですね。
AKKO:
笑って生きようとか。一度しかないし、人生。だからなんか、そういうのが私のレイスというか、場所なのかなって、今ちょっと思ったけど。
華原:
いいですよね、なんか。転調の部分とかも、すごい綺麗ですよね、「Hellow agan」とかね。
AKKO:
華原:
AKKO:
いきなり変わりますよね。
華原:
すいません、ごめんなさい。私、気性が荒い人だから。
AKKO:
大丈夫です。気性なんですか?
華原:
気性? あの、何を話すのか忘れちゃった。
AKKO:
ごめん。邪魔しちゃったね。
華原:
AKKO:
そうなの。
華原:
AKKO:
華原:
憧れですよね。
AKKO:
本当?
華原:
女の人として、憧れの場所ですよね。
AKKO:
本当?
華原:
私はそうなんですけど。AKKOさんってお呼びしても?
AKKO:
もう「AKKO」で。
華原:
「AKKO」で? 言えないっスよ、そんな。AKKOさんは、あの、あれですよ、歌をて、それで売れて。それから女の人として、私が勝手に言うことですけど、女の人とて結婚して、子供を産んで、それで生活をして。それでも歌を歌い続けるっていうの、すごくいいスタイルですか?
AKKO:
いや、もうメチャメチャいいですね。
華原:
AKKO:
いや、1mmも描いてないですよ。
華原:
1mmも?
AKKO:
そんなの想像できないでしょ? 普通。ちっちゃい頃なんてそんなこと。ある意ゃ、すごい派手なことだし。でも、まあ、普通の営みだと思っちゃうんですけど、私。たまたま。
華原:
お姉さんですね。
AKKO:
え? いやいや。将来、本当に愛する人と結婚して、その愛する人との子供が産いっていう夢はずっとあったけど、それがこういう状況で起こるとはぜんぜん思ってかった。
華原:
AKKO:
華原:
すいません、なんか。
AKKO:
華原:
今日、本当に忙しい中を来ていただいて、すごく嬉しいです。
AKKO:
いやいや。本当に私も今日は楽しみだったんで。
華原:
あの、あれですよね。子供を産んで歌を歌うじゃないですか。声、変わりました
AKKO:
声? 声っていうよりも、なんか表現の仕方がすごい変わったような気はする、の中で。もうちょっと振り幅が持てたような気はしてますけどね。産んだ後レコーデングしてみて。
華原:
私は、そういう経験はしたことないんですけど、初めての人ですよね? なんと。あの、曲を書いてくれる人と結婚して、それで子供を産んで、幸せな家庭を築きなら、温かい歌をみんなに伝えるっていうのは、すごく初めてな。
AKKO:
今までそういう人、いなかったんですかね? どうだろう?
華原:
私はそういう、こういうふうになった人を目の前にして話しをするのは初めてなですけど。
AKKO:
でもね、そんなすごく見えるけど、ぜんぜん本当にただ普通のことをやっているけで。まあ、そういうことの影響が全部歌に出たりとかね、普通するし。もちろんすい前向きに楽しく生きようっていうパワーは多分出てるんだと思うんだけど。でも、から本当、私は普通なんだよ。
華原:
AKKO:
そうかなぁ?
華原:
すごくその、こういうさっきのが、私から見ると温かいふうに見えて仕方がないす。
AKKO:
そっか。
華原:
それをそのまま、べつに隠す必要もないし、それを一番として先頭に立ってる人もないし。そこがなんか、AKKOさんのいいところで。
AKKO:
そうかな。でも、そう言われるとすごい嬉しいです。
華原:
すいません、自分で喋ってて、なに言ってるのかって思っちゃって。
AKKO:
いやいや、でも、すごい嬉しい。そっか。
華原:
そうですね。なんか「ANIMAL LIFE」っていうCD聴きました。
AKKO:
ありがとう。どうでした?
華原:
それを聴いてても、すごくいいですよね。
AKKO:
いいですか?
華原:
はい。私はあの、AKKOさんの声っていうの、すごく気持ちがいいんですよ。
AKKO:
あ、本当に? すごい嬉しい。
華原:
聴いててすごく気持ちがいいし。で、私が一番気持ちがいいなって思うところと緒です。あの、私がいちばん気持ちいいと思うところは、安心して休めて眠れるってうところが一番すごく気持ちがいいとこなんですけど。そういう時にAKKOさんの声をくと、さらに。
AKKO:
子守歌のように? いい感じ?
華原:
すごくそういう声を持ってるなって思ったんですけど。
AKKO:
ああ、嬉しいです、そんな。
華原:
どこから出てるんですか?
AKKO:
いやいや、そんな。こっちが聞きたいよ、朋ちゃんの高い声とか。すごいパワーる声とか。
華原:
パワーは、AKKOさんのほうがすごく優れてると思う。
AKKO:
いやぁ。でも、正反対な感じですよね、私たちの声ってね。今、思ったけど。
華原:
そうですよね。裏返したらとか、表にしたらとか。べつのところにあるし。
AKKO:
なんかね。
華原:
だから、私にはない声だし、私がすごく欲しいなって思っても、ぜったいに手のかないところにあるし。それは間違いないですよね。
AKKO:
いや、私もだって、ぜんぜん届かないところにいるのと同じだもんね。なんか武さんとかは、声、いろんな声質を持ってるっていつも言ってくれるんだけど。変化球投げれるとかね。でも、ノーコンだって言われちゃうんでけど。だけどまあ、それが分、私のいいところで。朋ちゃんはでも、やっぱりすごい高い音域とか、すごい音域出て。で、もう本当にすごいパワフルだと思うんですよ。
華原:
じゃあ、お互いそういうふうに思ってるところってあるのかな。
AKKO:
うん。やっぱりね、持ってないものとかね。
華原:
持ってないものって欲しいよね。
AKKO:
欲しくなりますよね。
華原:
何でもそうだよね。洋服で、すごく可愛い服が店頭に飾ってあって。で、それ欲いなって思っても、お金がなかったりして買えなくて。で、本当は届きそうなところのに届かなかったりとかって思いませんか? なんか。
AKKO:
え? 届きそうなところに届かないと言うのは?
華原:
AKKO:
最近ぜんぜん行ってないよね。
華原:
カラオケとかで、私、「Hellow again」とか歌うんですけど、あれもすごいですね。男の子、女の子がいても、絶対に自分はウマく聞かせなきゃいけないっていうとろに、気持ちが届くんですよ。だけど、AKKOさんの声には絶対届かない。届きそうでかないみたいな。
AKKO:
ああ、そういうことか。
華原:
だから、MY LITTLE LOVERのAKKOはいいっていうふうに思うんですよ。
AKKO:
やっぱでも、人にはその、全部万能な人なんていないからね。なんだろう? 自ね、出来る範囲を広げつつも、その中でベストを尽くすのがいちばん素敵だよね。なんつって。
華原:
素敵。
AKKO:
いつもそう思ってるんだけど。
華原:
素敵な人ですね。一番はじめにAKKOさんていう存在を知った時、私は「あ、絶対バレエとかやってる人だな」って思いました。
AKKO:
あ、本当に。
華原:
まだ、声とかは聞いたことがなかった時で、MY LITTLE LOVER。
AKKO:
今日ね、たまたまね、本当たまたまなんだけど、昔の取材の時の切り抜きとか事所とかに置いてあったりするじゃない。それをなんかちょっと必要があって調べてたね。そしたら、デビュー当時の写真とか載ってるわけじゃない、その雑誌の切り抜きから。それ見たら、もうすごいポッチャポチャで。私、びっくりしちゃったんだけど「うわぁ、やめて!! 捨てたい」とか思ったんだけど。いや、でも、あの頃はやっぱ、かなり丸くて。もう慌ててトレーニングとかして。
華原:
トレーニングをしたの!?
AKKO:
うん。ちょっとダイエットじゃないけど、スポーツクラブとか通ってね。だいぶの頃よりはスマートになったと思ってるんだけど。
華原:
カッコいい女性になりましたね。
AKKO:
そうですか? あら。
華原:
そういう感じがする。
AKKO:
ああ、そうか。前なんかキャピキャピっていう感じでしたもんね、けっこう。そいうんじゃなくて?
華原:
全体的に、なんか楽しい感じの人だなっていうふうには思った。で、今、会ってそれは本当だった。
AKKO:
面白く生きなきゃね。
華原:
AKKOさん、そういうふうに思ってるじゃないですか。で、私はそういうふうに思てるところもあるんですけど、時々くじける時がある。「こうじゃダメなのかな?」てなっちゃう時ってない?
AKKO:
いや、あるよ、もちろん。あるけど、うーん? あるけどなんかね、そういう時向きなことを考える。
華原:
前向きなこと。
AKKO:
うん。
華原:
AKKO:
そう。最近ね、ちょっとあんまり家を空けることとかやっぱり多いじゃないです。海外に撮影とか行ったりとか。だからね、あんまりしてないんだけど、前はよく育てた。
華原:
なんか、ロサンジェルスに住んでたり、日本に住んでたりっていうのがすごく多って聞いたんですけど。
AKKO:
華原:
多かった時期ありましたね。ロスにずっといた時期とかありましたけど。
AKKO:
そうか、そうか。ロス多いんだけど、寂しいんですよ。友達とかね、あんまりいいじゃないですか、やっぱり。
華原:
AKKO:
喋れないです。
華原:
私もぜんぜん喋れないです。
AKKO:
でも、日常いちおう困らない? 困らないよね、スーパーとか簡単だもんね。そうのは大丈夫なんですよね。そうですよね、ロスとかでね、一緒とかになれたらと、ふと思ったんだけど。
華原:
思うよね。私もすごい思う。
AKKO:
けっこうね、そうだね。アメリカ人の友達とか出来にくいもんね。
華原:
外人て、なに言ってるかわかんない。
AKKO:
私もさ、すごい愛想いいっていうかさ、やっぱりアメリカ人と喋って、自分で勉しようと思うじゃない。だから、アメリカ人の人と一生懸命喋るのよ。で、前にニュヨークにいたんだけどね、その時は。まあ、妊娠中だったにも関わらず、そこのドアーイいるじゃない、コンドミニアムとかだと。そのドアボーイが、しきりに「今日、事に行こう」とかね、すごいもういっぱい誘ってきて。私、妊婦なんだけど、「I'm regnant」とかって言ってるのに、ぜんぜん通じてなくって、すごい困ってたことかせった。困っちゃうよね。
華原:
困りますよね。
AKKO:
華原:
AKKO:
本当?
華原:
誰か一緒にいなきゃって思いますけど。
AKKO:
一人でわりとね、フラフラ遊んでたんじゅゃなくてね。
華原:
AKKO:
その時はね、武史さんがちょうどMr.ChildrenとYEN TOWN BANDのレコーディング行ってて。で、私は妻ですからついてって。その間、多少撮影があったりとかしててあとは英会話学校とかちょっと行ってたりしたんですよ。
華原:
AKKO:
うん、ちょっとね。そう。だから、わりと一人で雪道とか。冬だったんでね、吹の中あるいて。
華原:
吹雪?
AKKO:
いや、すごいんだって。ニューヨークのね、去年30年振りの大寒波とかいって、雪で。もうそんな中ね、歩いて行ってたよ、ダウン着て。防寒して。一回だけね、セトラルパークの横でね、氷に滑ってね、尻もちついて。妊婦ってね、尻もちついちゃけないのね、絶対ね。で、もう、すごいびっくりしてね、泣いちゃったことあったけね。
華原:
AKKO:
歌った。レコーディングした。
華原:
AKKO:
「Yes」とか。
華原:
♪Yes~ってやつですよね?
AKKO:
華原:
雑誌で、「子供にどんな音楽を聞かせましたか?」って、妊娠中に。それで「妊にアルバムの曲を聞かせるといいですよ」って書いてあったんですよ。
AKKO:
華原:
そうなんですか?
AKKO:
アルバムの曲っていうか、何でもいいんだけど。自分が気に入った曲を、胎教にさそうな曲を、たまたま私が聞かせたのが「Evergreen」っていう。「Evergreen」のの一番最後の曲で。それを毎日毎日聞かせてたら、産まれてからね、その子がどんな機嫌が悪くても、どんなに泣きじゃくっても、それを聞くと機嫌が直るんだよっていのをね、聞いてたんですよ。だから「Evergreen」聞かせてて。で、産まれてからもっぱり聞かせるとすごいご機嫌になる。びっくりしちゃったんですけど。
華原:
あの、「アリス」っていう曲あるじゃないですか。呪文かけてますよね。あれ、いですよね。
AKKO:
あれ、なんかコンピューターのね、「ディギディギディギ」とかってなるじゃな。私もよくわかんないんだけど。あれをとったものなんですけどね。
華原:
あ、そうなんですか。私はなんか。
AKKO:
呪文っぽく思った?
華原:
呪文かけてるのかなって。
AKKO:
華原:
ああいうのって、なんて歌えばいいのかなって。
AKKO:
わかんないよね、最初ね。けっこう質問された、最初。でも、なんか、コンピュターなんですって、もとは。私もね、機械弱いんでね。
華原:
私も弱いです。
AKKO:
難しいですよね。
華原:
AKKO:
華原:
あ、すごい。
AKKO:
一時期ちゃんと向かったことがあるんですけど、ちょっとプロモーション忙しくって、中断しちゃった。
華原:
私も今、中断してますね。
AKKO:
あ、でもやってたんだ。
華原:
あの、ファンの人からメールがきたりとかして、それを見て、返せる人には返しっていうふうにやってたんですけど。難しいですよね。
AKKO:
ね、難しいよね。でも、けっこう面白いんだよね、ああいうのを見ると、 Permalink | 記事への反応(2) | 03:08
若林加奈「PIRA★星物語」https://youtube.com/watch?v=8ywNOrxVL6c
セイントフォー「不思議TOKYOシンデレラ」https://youtube.com/watch?v=n5LyiLc_yOU
橋本美加子「メロウ・シーズン」https://www.youtube.com/watch?v=W-xssnIcpPE
石丸奈津子「私はロボット」https://youtube.com/watch?v=ibxPzKUwvJM
江原由希子「ちょっとだけ」https://youtube.com/watch?v=U8ESzgMPJP8
松本典子「春色のエアメール」https://youtube.com/watch?v=cM0RGGpB2VM&pp=ygUY5pil6Imy44Gu44Ko44Ki44Oh44O844Or
森川美穂「教室」https://youtube.com/watch?v=SDIR3y2sfmQ&pp=ygUU5qOu5bed576O56mCIOaVmeWupCA%3D
藤原理恵「愛よファラウェイ」https://youtube.com/watch?v=Q0za8yJgHIo
岡本舞子「愛って林檎ですか」https://youtube.com/watch?v=1MGk4C2SjFw
芳本美代子「白いバスケット・シューズ」https://youtube.com/watch?v=__CpSRdHm9I
河合その子「涙の茉莉花LOVE」https://youtube.com/watch?v=bmAM87GjKhs
いしのようこ「テディーボーイ・ブルース」https://youtube.com/watch?v=MS9wDfq0Yb0
斉藤由貴「卒業」https://youtube.com/watch?v=oSqTaVzqPIk
南野陽子「恥ずかしすぎて」https://youtube.com/watch?v=sFmtotmrYiU&pp=ygUj5Y2X6YeO6Zm95a2QIOaBpeOBmuOBi-OBl-OBmeOBjuOBpiA%3D
浅香唯「夏少女」https://youtube.com/watch?v=laX3goFOuXk&pp=ygUU5rWF6aaZ5ZSvIOWkj-WwkeWlsyA%3D
中山美穂「「C」」https://youtube.com/watch?v=UgxHlo2PJE0&pp=ygUO5Lit5bGx576O56mCIGM%3D
アイドルの熱愛報道が出るとはてブみたいなお行儀の良い界隈では「そもそも恋愛禁止なんて人権侵害」「プライバシーは」みたいな意見が上位だけど現実はファンがこんな感じなのよね。
なにわ男子、全員が文春に目をつけられてるって事を分かってる上で普通に会っちゃってる所が1番ダメなんだよ
付き合ってる人がいるのは構わないけど「今だけは会うの控えよう」とか1ミリも思わないのかな、凄すぎる
いち人間の色恋沙汰について、叱れとも話し合えとも思わないけど、これだけ続くと、なにわ男子にとって熱愛報道って重要度高くないし、気にも止めてないんだなって悲しくなりますねぇ。
もうちょい仕事真面目にやるとかできひんの?AV女やら同業者やら手出して
仕事配慮より女との欲を優先か なんでこいつらが優遇されてKPが干されたん?表向きもうちょい我慢しろや
仕事ナメてんのか
デビューして間もないなにわ男子毎月女と撮られてるけどこれまで全く撮られてないHey!Say!JUMPもセクゾもまじですごいな、、、、なにわって一番性欲ないホモキャラなのに一番オスなのきつい
なにわ男子 あの可愛いって感じの雰囲気で売ってるアイドルのくせしてどいつもこいつも恋愛欲と性欲ゴリゴリの人ばっかりなのにデビュー曲が初心LOVEなの何の冗談?すぎる
普通に考えて、8月9月11月で立て続けの熱愛とかなにわ男子が初だろWW何回も言ってるけど、恋愛は自由。でもお前たちは女より第1にファンの事を考えろバレずにやれだから熱愛男子とか呼ばれるんだよ高橋に関して流出沢山して西畑と長尾が撮られてるから気をつけようってならなかったの?
やっぱりしんどいからあえて検索避けはせずに書くけどさ、1回目、2回目、3回目ときて、なにわ男子、どんどん呆れられてるのわかってる?
なんかもう、誰が好き?って聞かれた時になにわ男子!って言うのすら恥ずかしくなってきたよ。誇れないよ。
こんなアイドルグループは嫌だ!って大喜利があったら「一ヶ月ごとに熱愛出す売り出し中のキラキラ系アイドルグループ(笑)」堂々優勝出来るよ。
「プロ意識が低い」「アイドルの自覚が足りない」と叩かれまくってるんだけど恋愛していて会うな撮られるなとかどう考えてもムリじゃない?(リモートってコト…?)
曲名 | リリース年 | 出版社1 | 出版社2 | 出版社3 |
-------------------------------- | -------------- | ------------------------------------------- | ------------------------------------ | ------------------------------- |
STAR LIGHT | 1987年 | ヤマハミュージックEH(CM) | ロックダムアーティスツ | |
Can’t Stop!!-LOVING- | 1991年 | ジャニーズ出版 | ||
LOVE YOU ONLY | 1994年 | フジパシフィックミュージック | ||
MUSIC FOR THE PEOPLE | 1995年 | CONTINI ED MUS DI CONTINI ALBERTO | ||
硝子の少年 | 1997年 | ジャニーズ出版 | ||
A・RA・SHI | 1999年 | ジャニーズ出版 | ||
NEWSニッポン | 2003年 | フジパシフィックミュージック | ジャニーズ出版 | |
浪花いろは節 | 2004年 | ジャニーズ出版 | ||
Real Face | 2006年 | ジャニーズ出版 | ||
Ultra Music Power | 2007年 | ジャニーズ出版 | フジパシフィックミュージック | |
Everybody Go | 2011年 | 日音 Synch事業部 | ジャニーズ出版 | |
Sexy Zone | 2011年 | ジャニーズ出版 | ||
ZaABC~5stars~ | 2012年 | ワーナー・チャペル音楽出版 株式会社 Synch事業部 | ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス | ジャニーズ出版 |
ええじゃないか | 2014年 | ジャニーズ出版 | ||
シンデレラガール | 2018年 | 日音 | ジャニーズ出版 | |
Imitation Rain / D.D. | 2020年 | ジャニーズ出版 | ||
初心LOVE | 2021年 | ジャニーズ出版 | ||
JUST DANCE! | 2022年 | フジパシフィックミュージック | ピアーミュージック | ジャニーズ出版 |
故ジャニー喜多川は「哀しきモンスター」…55歳のゲイライターが考える高齢同性愛者の性欲と特殊性
https://mag.minkabu.jp/mag-sogo/21102/
こちらの考察が旧ジャニオタの私、特に、「哀しきモンスター」と言うキーワードがとても刺さってしまった。
読んで思うことがあったので、増田に流す。
ちなみに昭和のことはよくわからないので、基本平成ベースで、さまざまな事例を織り交ぜているので、悪しからず。
例えば舞台や映画化もされている、ジャニー喜多川プロデュースの「少年たち」。
ストーリーは割愛させていただくが、彼のやりたいことがこれでもかと詰まった、いわばトンチキ物語。
2018年に公開された映画版「少年たち」のエンディングは、少年たちが踊り歌う舞台小屋が映し出されます。
まさしく、ジャニー喜多川の夢が具現化された場面です。自分の好みの少年たちが歌い踊り続ける永遠に終わらない舞台小屋。
読んで字の如く、一生子どもでいてよ……
といった嘆きだと推察できる。
彼は気に入った子、オタクの間ではスペオキ(スペシャルオキニ)と呼ばれているが、
スペオキが見つかると、何歳だろうが、入所して半年だろうがなりふり構わずデビュー。
スペオキを輝かせるためのメンバー編成、デビュー曲、演技経験ゼロの中のドラマの主演、
そして紅白の舞台も用意し、謎にマジックさせたり、少年たちに合唱歌わせたりとやりたい放題にスペオキを輝かせる。
売れてないのに、紅白でトップバッターで歌わせるから、視聴者の紅白離れの一旦はジャニーのせいだと思っている。
好きすぎて、12歳の男の子がいるのに、性器と言う名前のグループ名をつけるほど。
しかし、当のアイドルも最初は超特急の列車に乗せられて、行き先が分からないまま進み続けるのだけど、
変なグループ編成、突然の解体、トンチキソングなど、さまざまな与えられた試練に疑問を抱く。
ふと休憩で止まった電車を降りると、外
反抗し始めると、今度は少年たちの成長が始まる。
背が伸びる、男性的な顔になる、体躯が変わる、変声期が始まる……
その頃、怒涛のジャニープロデュース時期が終わっていくのだ。まるであの狂乱がなかったかのように。
そして成長し、逞しくなった元スペオキに久しぶりに会ったジャニーがこう言うのだ
「YOU誰?」
つまり、ジャニー喜多川は、一生涯まともな恋愛をしたことがなかったのではないだろうか。愛し愛されて、という経験が一度もなかったのではないだろうか。
これはきっとそうだと思う。
というか、生涯何度か恋に落ちている。そして献身的に尽くし、愛し、金も労力もかける。
ジャニー喜多川はおそらく誰かの影を追い続けてたら、思いがけずに事務所が大きくなり、権力を持つようになり、そして、たくさんの少年たちが集まるようになったのではないだろうか。そんな環境が哀しきモンスターを生み出してしまったのではないだろうか。
旧ジャニオタとして、この問題を知っていて声を上げられなかったのは悔やんでいる。
しかしサムソンさんの言うように、時代が変わったのは肌で感じている。
セクハラ問題が女性だけのものでなくなってきた、男性特有の生き辛さにもフォーカスが当たるようになり、
少しずつジャニーに対する疑問や疑惑に対して声を上げられるようになってきた。
しかし、彼はその前に死んだ。
夢を持つ未成年が同じような事例に2度と合わないようにしないといけない。
15歳で作詞・作曲したデビュー曲で、当時日本ではメインストリームではなかったR&Bを爆発的に広めたアーティストがすごくないことはないでしょ。
ただ宇多田ヒカルについては年齢のことは抜きにして語ることはできないと思う。
宇多田以前にも若い歌手っていうのはもちろんいたけど、青さ、未完成さを味わうみたいな空気は確実にあった。
でも宇多田の場合、こういう音楽をやるには経験とか円熟味みたいなものが必要だよね、っていう認識の、いわば完成された楽曲を15歳の若造がポンと出して来たわけ。
そりゃあ怖いし、こういう人がどんどん出てくるのかな、っていう新しい時代の到来を感じさせるものだったよ。
米津玄師に関しては世間一般の評価はよく知らないけれども、個人的には「タイアップ曲」っていうのを数段上に押し上げたな。っていうのを感じる。
タイアップ曲ってアーティスト売るために別にドラマやアニメ本編に全然関係ない曲流すのが長らく主流(もちろんそうでないものもある)だったんだよね。
今でこそOPやEDの曲はアニメやドラマの世界観を深く掘り下げるのが普通のこと。っていう意識は広まったけれど、そういう風潮を作ったのは米津の力が大きいように思う。
米津は他者の創作物に対する洞察力、理解力がものすごくて、かなり高いレベルで創作物の世界観に寄り添ったもの、下世話な言い方をするとオタクが喜ぶ曲を作る。
YOASOBIもタイアップやりがちアーティストで、曲の完成度もめちゃくちゃ高いけど、そういう「寄り添う力」みたいのは米津には及ばないと俺は思う。
>俺達から搾取してきたものがあの人たちの肌の栄養源にもならず、歌の潤滑剤にもならず、膝の軟骨にもならずに
>ただまたきらびやかなステージにテラテラの服着させられてトラウマ満載のデビュー曲歌わされることに帰結してんだとしたら
>だとしたらそれこそが成長コンテンツというものへの解答なんだろうね。
こいつら酷使されてんやろなあ、を考えるだけでなんか動画切りたくなる。
韓国系列なんか、普通に自殺がどうこうのニュース流れて来るしな。
そのあたりのこと見えないフリしてるファンたちって、実はなんか特別な感性とか才能もってんじゃないの。
俺が気にし過ぎか?
いろんなアイドルがいる、とか
そういうんじゃわかんねえんですよね
アイドルってのは成長を眺めるコンテンツだってちゃんと言わないと
『いや大物芸能人のカキタレを探す為にアイドルやらせてんだろ』とか
『いや本人の承認欲求とキモオタのキモいワンチャン精神がアイドルという気色の悪いものを産んでるんだろ』とか
言い出される訳です。
まぁそれもこれも含めて最終的に『やっぱ〇〇ちゃんの歌下手だなぁ、踊りも雑だなぁ、笑顔もできてねぇし、どうせこの後セフレとよろしくやるんだろうなぁ』『でもあの子が楽しくアイドルできてるならそれが一番嬉しいなぁ』にたどり着くためのものだったりする。
『アイツの歌がすごい!』も
『あの方の可愛さは業界一だ!!』も
単なる付随品でしかないし
もっと言うなら
年老いたら全部無くなる
俺達から搾取してきたものがあの人たちの肌の栄養源にもならず、歌の潤滑剤にもならず、膝の軟骨にもならずにただまたきらびやかなステージにテラテラの服着させられてトラウマ満載のデビュー曲歌わされることに帰結してんだとしたら
だとしたらそれこそが成長コンテンツというものへの解答なんだろうね。
若い女が乳繰り合うのなんて今だけよ
モー娘。とかあんだけあんなだったのに今でもゴマキが出てくるだけで全てが陰っちゃうもん。
俺は韓国の子達がどうなんのかは知らないし、中国の子達がどうなるのかは知らない
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
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中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。