はてなキーワード: デジタルネイティブとは
吾輩は黒電話からポケベルとPHSを経てスマホに至った世代である。
ある時、吾輩はいつものバーミヤンで一人火鍋しゃぶしゃぶ100分(レモン塩だし&白湯スープ)を堪能していた。
大人一人で火鍋しゃぶしゃぶ食べ放題コースを食べているのを見かけたら黙って見守るがよい。
そういうオーラを出しながら食べていた吾輩に反応したのか、斜向いの家族連れの息子兄弟がテンション高くなって大声で話していた。
吾輩は別段、子供の大声など気にも留めていない。ましてやバーミヤンの火鍋しゃぶしゃぶだ。
だからそんなに静かしなさいなどと怒らなくてもいいよママさん。
ママさん、周りに気を使う必要などないのだ。こちらは火鍋しゃぶしゃぶに集中しているだけだから。
そんなことを思いながら吾輩は、火鍋しゃぶしゃぶの肉のお代わりをタッチパネルで注文した。
その肉のお代わりがネコちゃんロボットで配膳されてきたとき、斜向いの息子兄弟のテンションは爆発した。
おいおいおいおい。おいおいおいおい。
黒電話からの歴史のある吾輩ならともかく、君たちがテンション上がることはないだろう。
どちらかというと、ネコちゃんロボットを見て騒ぎたくなっているのは吾輩の方だよ。
君たちはもっとこう、さもネコちゃんロボットが当たり前のように振る舞ってもらわないと。
なぜデジタルネイティブ世代のお子様なのに、ネコちゃんロボットごときでワーワー騒ぐのだ?
どこの番組か忘れたが、
「選挙の勝敗はどれだけ多くの有権者と握手したかで決まるといわれます」
と当たり前のように言っていて、卒倒しそうになった。
というのが率直な意見であった。
(注:私は現代政治は詳しくないけど政治史は興味あるおじさんです)
彼の秘書だった早坂氏の記録が興味深い。
選挙前に農村に選挙カーが入るときには、はだしで田んぼに入って、
農作業をしている奥さんやおばあさんに、泥だらけになりながら駆け寄って
このような平民目線に近い行動は、票集めに絶大な効果があった。
一方対照的なできごとがあった。
今回の安倍氏暗殺事件で、「女子高生2人の状況説明がうますぎる」
と、ツイッターで少しバズったのである。(現在は動画は削除されたか)
という興味深い記事があった。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220707/k10013706251000.html
データ処理に基づく冷静な判断を求めている証左ではないだろうか?
ショーとしては成り立っているものの、
そこでなんらかの「結論」が導かれることはない。
また、テレワークが普及し2年が経ち、
「事前に資料を共有したり、時間を決めて会議するようになった」
「顔を交えて議論しないと進まない」と感じる人も多いようだ。
「胸襟を開いて」「心を通わせて」といった表現を好むのも、
ここにあるのは、老人は決定プロセスに感情を必須としていることである。
もちろん、個々人の行動は感情をもとにしているのが当然で、
服を買うときのような、ジュースを選ぶときのようなものとは違う。
そこに、これまでの日本人の投票行動の未熟があったのではないだろうか。
有名人の認知度、という「親しみ」という感情をもとに判断しやすく、
それを実現するために提言した結果立候補する、というなら歓迎である。
しかし、
権力基盤があって、それの広告塔としてタレントが採用されるのであれば、
理想・構想のない人間が国会の椅子に座る意味とは?という純粋な疑問である。
ブラウン管を通じて、感情を動かされた人に、親しみを感じたのである。
しかし多くの日本人は、それを判断できなかった、ということもあるのではないか。
このような蒙昧で前時代的なシステムに立脚している選挙に、価値はあるのだろうか。
もはや、すべてオンライン投票でいいのではないか?とすら思う。
票を入れる前に、候補者の思想・政策を何千文字くらいで詳細に読めるようにする。
経歴だとかは細かくはいらない。
「どんな業種で、長年従事してきた、〇〇のプロである」が分かればいい。
そこで判断すればいいと思う。
これはデジタル学習に長けた若者にとっても歓迎されるのではないか。
断っておきたいが、私は田中角栄氏が嫌いではない。
「おーっ!奥さん!よろしく!」と握手をしに行ったエピソードが好きである。
「その時代において」「もっとも適切に・合理的に票を獲得する」方法を、
つまりその時代にあった方法を、常に探り続ける、というのが重要なのだ。
違うところを挙げるほうが難しいのではないだろうか。
そういうことである。
ダルマに目を入れたり、赤いバラを当確者の名前に張り付けることが悪いわけではない。
「今、この方法が最適なの?」「街頭で無防備に叫んで、握手することが必要なの?」
と問うことが重要なのではないだろうか。
外国によっては、その「問うこと」自体が禁止されている国もある。
民主主義を最大化する、そのためには、
歴史を見ても、老人が意思決定すると、独裁・強圧的な国家が生まれる。
戦国時代を終わらせるきっかけとなった桶狭間の戦いのとき、信長は20代であった。
天安門に集まり、戦車の前に立ちはだかったのも、若者であった。
もはや取引先からの選択対象から外れ、成長が困難な時代になっている。
という企業は潰れていく。
逆に、若い社員にまかせて企画したり、SNSを通じて発信するような企業は、伸びている。
デジタル世代が急速に育っていて、ポテンシャルの高い人材が生まれている。
彼らを押しつぶすことのないよう、彼らの才能を最大限活かして、
出だしから笑えるのは「クラウドネイティブ」はシステムの作り方の話で個人がクラウドネイティブって意味不明なんだよな。
「新人に対する期待値は高い」ってあるんだけど、カスみたいな中小によくある話で、自分達はITについて何もわかってないし、なにも勉強しないし、何も変える気がないけどとりあえず若いやつを入れればなんか変わるだろうみたいなノリを感じる。若い空身でそういう会社に入ってしまうと20代前半の貴重な時間と人生を失うことになる。
あと「やってほしいこと」って書くだけで新人がここに書かれてるようなことを、弁えてできる人材になってくれるんだったらマネージャーは楽な仕事だよな。それができないからマネジメントが必要になるっていう。
ある程度社会人経験積んで思うのは、社会で働くことを特権化して社会人かくあるべしみたいな規範に頼りたがるのって、マネージャーの能力が低い会社が多い。利益が出てるとか経営地盤が安定してるとか別次元の話で。むしろ安定して利益が出てる変化の乏しい業態ほどマネージャーのレベルが低い。
一握りの人に伝わればいいって
↓
「なぜ君は総理大臣になれないのか」って映画がNetflixに来てて、前に町山さんっていう本当に知らない人が評論みたいなのしててブクマに上がってて題名覚えてたから観て面白かった
まずこの映画、ドキュメンタリーだから一人の人生を見ているという視点だととても面白い
目標が総理大臣、というか全うな政治家で全うな日本を目指しているが不信感が増えるやり方が多い
今でも話題になる統計不正が長期政権は起こり得るということをその取材され中に言ってたり、先見の明はありそうなのにくすぶっている
既存の政党なんか腐ってるんだから新しく政党作ってやれや、と思うのだがどうしても既存の政党の枠組で成り上がろうとする
近道に見えるけど最終的にはそれ人離れるやつって思いながら見てた
持続可能な日本を、みたいなの言ってるから、老人は切り捨てて若者を優遇、というか対等くらいまで是正しよう、みたいなことになるはずなのに、
支援者が歳の召された方で草だし、どぶ板選挙みたいな古臭い選挙運動しかなくて若者にリーチする気なさすぎて草だし
途中、大声張り上げる選挙運動おかしいって思うって言っておきながらそれはでも続けるし
しかし老人は選挙行くしって思うと難しいよねって思ったり、、、(きっと20年後くらいには選挙カー無くなってると思うけど)
その人確か取材当初は結構若い32歳から政治家やってて、報われてて欲しいが、まだくすぶっている現状
合理的で少数派にも目を向けれるような人だと感じた
(実際会って討論したら面白いなあと思いつつ)
20年遅いとデジタルネイティブ世代が合理的に判断して選挙も変わっているはず、と思うだけに可哀相だった
日本の捻じれ、というか糞さを感じれる良質のドキュメンタリーでした
酒ガブガブ飲みながら観てこれ書いて乱文だろうが書きたくなったから書きました
・何を言っているのか?
・誰が言っているのか?
・どういう状況で言っているのか?
よく誰が言っているのかを重視するのはよくない、
誰が言っているのかはかなり重要です。
しかし、それがバイアスになって悪影響を与えるというのも事実です。
ホリエモンが言っていた、とか
頭の中で変更して仮定する、
とJKが言っている。
これは正確性がある、アテにしていい意見ですかね?
いや無理ですよね。
まあひょっとしたら地震について詳しいJKもいるかもしれませんが
だから、こういった意見は誰が言っているのかが重要であるとわかります。
とか読まされると途端に最近の若い子はデジタルネイティブですごい、
と言っていると仮定してみたらいいのかもしれません。
それは本当に価値があるのかもしれません。
まあこういう感じです。
こういったシチュエーションを変更するような補助線を引いてあげると