はてなキーワード: デキ婚とは
母親はそういう人なの。あなたもいい大人ななんだから、いい加減認めようよ。って脳内仙人が言うけど、生理的嫌悪感がどうやっても拭えないので吐き出す。
中学時代、夏休みに三者懇談に行った。学校につくと、母は周囲をキョロキョロ。
すると突然、
「あっ!あの子カッコイイ!ねぇねぇ、あの子あの子。なんて名前?」
その当時、私は別のクラスメイト男子数人から嫌がらせを受けていた。だから三者懇談に行くのは億劫だった。
絶対に誰にも会いませんようにと心臓をバクバクさせながら登校して、この通り。吐きそうだった。
高校に上がれば、ねぇカッコいい子いないの?恋バナしたい。好きな人いないの~?のオンパレード。
この頃には生理的嫌悪感がさらに強くなっていて、むしろ絶対に彼氏はつくらないって思っていた。
大学に上がれば、デキ婚でもいいよとか言い出す。早く孫が欲しい~。無視。
就活中に悩んでいると、適当に就職して(フリーターは許さない)早く結婚して辞めればいいの!と言う。無視。
転職を決めた時、女ばかりの職場と知って文句たらたら。えー、出会いないじゃん。また結婚が遠のいたと小言を言われた。
ドラマを見ていても、この人の奥さん誰だっけ?旦那さん誰だっけ?っていつも神経衰弱みたいなことをしている。
だが、記憶力があまりにもないため、常に私が正解を発表している。はぁ。なんで関心の強い母が覚えてなくて、私が覚えてるんだろ?
親戚の子の彼氏の話とか、知り合いの子の彼氏の話とかを聞かされる。どうでもいいよ。誰なのよ、その子。
いろんな男と付き合えと言われたが、私はむしろ生涯たった一人とだけ付き合いたい。別れが辛いから。
仕方なく別れて結果的に複数人になったのと、初めから複数人目指すのは違うと思うんだけど。
「深夜2時に呼びつけてもすぐ来る男じゃないとダメ。なんでも言うことを聞く男じゃないと!」
嫌です。相手の迷惑も考えてください。あと、なんでも言うことを聞く人なんて嫌です。その人は主体性のない人です(父)
私が恋活も婚活もしていないのは、全く別の理由からで(簡単に書くと、どうしてもやり遂げたいことがあるため)、
心の中でもう無理かもしれないと弱音を吐き続けた上に、大切な人に出会いたい。愛したい。笑顔にしたい……なんて願望がつい浮いてきてしまったけれど、
さっき母との会話で一連の記憶を思い起こして、やっぱり今は恋愛しなくていいや!よし!頑張るぞ!という気持ちになった。やっほー
末期の癌、発覚から4ヶ月だった。
不幸中の幸いにも母が亡くなる直前に、弟嫁も含めて、父・兄・私・弟・弟嫁と実家で過ごす時間が1週間ほどとれた。
弟夫妻は関西在住。東北のとある県の実家での時間は、弟嫁にとっては、恐らくしんどかっただろうな。
母が亡くなったあと通夜・葬儀など実家で過ごす間で、寝る場所で揉めた。
母の死後、遺骨のある部屋で寝るのはイヤなので、
私が寝ていた両親の寝室を譲ってくれと兄を通して伝えてきた。
仏壇のある部屋は、
元々私が帰省した際に利用していた部屋で、
弟夫婦の結婚後、仏壇のある部屋をあけ、両親と共に両親の寝室で寝ることになった経緯がある。
兄を通して伝えてきたことに腹が立ったし、遺骨がある部屋で寝るのは..というのも何調子いいこと言ってんのと思い、両親の寝室を開けなかったことで、兄と弟と父と揉めた。
それがきっかけで、実家居場所がないように感じ、追い出されてるような気がした。
初盆の帰省を悩む中で、実家帰るのもなぁと思っていたのところ、父から兄の結婚報告を聞いた(デキ婚)
それ真面目じゃなくて、典型的な『マイルドヤンキー』や『生きづらいちゃんくん』じゃん
まぁ国も自治体も人間のためにあるものだから家族優先することは何も悪くない
無計画なデキ婚とか、彼くん・彼女ちゃんに養って貰うために子どもを作るとかじゃなきゃ、
シッターやヘルパー必要なら公費で使えばいいし、なんだったら生活保護受ければいいとは思う
けど、一般的に真面目と言われる人は、
子を作る前にまとまった休みをとっても支障がない水準にキャリア・スキルを積む
別に現代の職に対する要求値が上がったから晩婚化したわけではなく、江戸時代だって番頭が結婚したのはとりわけ有能な者で30歳くらい
わたしが育った田舎の小さな中学校は、当時いくつかの小学校から生徒が集められていた。
メインとなる小学校から来る子どもが半分、そのまた半分を別の学校が、さらにその半分づつを別の小学校からの生徒が占めていた。
その中の小学校のうちの一つは、人数が少ないのに個性的な子どもが多かった。
さなちゃんは、色が白くて、黒目がちな瞳がくりくりしていて、ベリーショートの髪が真っ直ぐぴんとしていた。当時流行っていたウルフの襟足の所の毛が首筋に沿ってきれいに流れていて、アイロン毎日やるの大変なんだよねとからっと話していた。
細くて無駄な肉のないすらっとした手足は、量産型の制服で隠されていてもすぐに分かった。
サバサバした話し方なのに、一人称が名前呼びで、さなはねって話するのが、ちょっとあざといようで、でもそれもまたよかった。
とにかく、さなちゃんは、とてもとても可愛い女の子だったのだ。
さなちゃんは、可愛いだけでなく、所属していた部活でも副キャプテンとして活躍していた。それでいて、勉強も出来て、センスも良かったから、男の子からも女の子からも人気者で、友だちも多かった。
わたしとさなちゃんは、特別仲がいいわけではなかったけれど、中学生らしく、たまに手紙を交換する仲だった。
当時はキャラもののメモ用紙とかレターセットとかが流行っていて、カラフルな紙をハートやイチゴの形に折ってそっと休み時間に渡しにいくのが定番だった。
さなちゃんの手紙はだいたいシンプルな白い紙や、いらなくなった理科のプリントを工夫して作ったお手製の便箋が多くて、そこにいろんなイラストや書かれていた。ただのファミリーマートで買った無印の水性インクのペンで無造作に書いただけの線でできてる便箋さえ、おしゃれに見えた。
ひらがなが多めのさなちゃんの手紙は、文字ひとつとっても、小さくきゅっとして不揃いにならんでいて、それだけでも他のどの女の子よりも可愛かった。
読んでいるだけでワクワクが溢れてくるし、使う言葉のセンスがすごくよかった。唐突に出てくるイラストや、仕掛けにいつも早く返事が欲しくなった。
あの頃のわたしにとっては、さなちゃんと手紙交換出来ていること、それ自体がとにかく自慢だったのだ。
他の人に大きい声で自慢したくなるような感覚さえあった。
さなちゃんからの手紙を受け取ると、自分がなんだかそれだけで価値のあるものに思えた。
手紙を貰えるくらいに、仲良しなんだと。
さなちゃんは、中学校の時に、わたしがずっと好きだった子と付き合い始めた。
彼はクラスの中心にいて面白くて足が早くて、数学が得意で、背が高かった。顔はカッコよくないのに、ギャグセンが高くて、いつも人を笑わせていた。でも飄々としてて掴みどころがなくて、そこもまた人気だったのかもしれない。
さなちゃんだったら、クラスで1番のイケメンとかとも付き合えるはずなのに、ちょっと癖の強い彼を選ぶセンスも最高だと思ったし、並んだらお似合いだなと思った。
さなちゃんは学区内で1番の進学校に行った。そこは、ちょっと真面目な子たちが行く高校で、指定の制服がダサい学校だった。
黒いブレザーで、校風もあるのか、なんか地味。
高校の入学後に、4月に駅でばったり会ったさなちゃんは、中学生の時よりもっとキラキラしていた。
わたしがダサいと思っていたブレザーに包まれたさなちゃんはキラキラした小物やアクセサリーで彩られて、それが黒い生地を背景に輝いていた。
綺麗に細かく折られたプリーツスカートは少し短めになっていて、そこから細くて白い足がすっと伸びているのも、品がない感じがしなくて、ヘルシーなのにちょっとドキドキもさせてくる感じだった。あまりにも可愛く着こなしていたのに加えて、お化粧をしていたからかもしれないけど、とにかくその姿が眩しくて、こんな山奥の駅にいたらいけない存在だ、と思った。
間も無くして、さなちゃんは中学校の時の彼氏と別れて、同じ高校の素敵な先輩と付き合っていると風の噂で聞いた。
その後、中学の時の彼氏と復縁したとかまた別れたとか、聞いてなくても誰かが教えてくれた。
久しぶりにさなちゃんと会ったのは大学卒業後に開かれた同窓会だった。
相変わらず可愛い姿を振り撒いているさなちゃんは、卒業アルバムから出てきたみたいに何も変わっていなかった。そこにいるだけで輝いていた。
大好きだったパティシエの仕事についていて毎日忙しいこと、大学時代から数年付き合っている彼氏と結婚まで秒読みなのだということ、聞きたい聞きたくないに関わらず、居酒屋の隣の席でいいなー!と絶叫する旧友の声で知ることになった。
きっと、ウエディングドレスも似合うんだろうなと思った。おしゃれな会場で、白いドレスもカラードレスも着こなすさないちゃんの姿は、パンフレットに載ってるモデルさんと代えても遜色ないくらいに素敵だろう。
さなちゃんのことを久しぶりに思い出したのは、さなちゃんの親友だった友人と久しぶりに会った時のことだった。
たっぷりサイズのアイスカフェオレを頼んで涼んでいたら、友だちが教えてくれた。
さなちゃんが、付き合っていた彼と結婚したものの、その後、同窓会で再開した同級生とW不倫の末に略奪デキ婚したという話を聞いた。
相手は、やっぱりクラスの中心にいた、おちゃらけ系のみんなから好かれていた、いわゆるいい奴。事業に成功してお金もあったようだ。さなちゃんのお店を出すのをサポートしていたらしい。
昔からさなちゃんのことが好きだった彼は、同窓会の幹事をやる中で、改めてさなちゃんに惹かれたようだ。
彼には長年付き合っていた歳上の奥さんがいたが、その方との間に子どもはいなかったとのこと。
そして、さなちゃんは、子どもが産まれたものの、その彼ともお店もあまり上手くはいっていないようで、結局お金を貰いながら実家で子育てをしているのだという。
わたしは喉が異常に乾いて、焦るようにグラスを手に取り、ゆっくり飲んだ。
喉を通るあの液体の冷たさを思い出すたびに、わたしの中のさなちゃんが、14歳のままの姿で蘇ってくる。
決して色褪せないまま。
追加
そっか、フェイク入れなきゃと思ってパティシエにしたから嘘っぽいのか…本当はペット系のお店です。山奥なのは本当です。徒歩圏内にコンビニなくて猿が出るレベル。過疎地域ではない。
四度目の胚移植が陰性だと分かった日、SNSには友人のハーフバースデーの記念写真が載せられてた。
もう不妊治療やめようって夫と話した翌日、職場の先輩に「早く生んだほうがいいよ」ってアドバイスされた。
23で就職、27で結婚、28から不妊治療開始、一度も妊娠しないまま、昨日30になった。
若いから大丈夫でもなかったし、諦めたらできるなんてこともなかった。
正直夫の稼ぎのおかげで治療を続けられなくはないけど、終わりの見えない治療に大金を費やす気にはなれなくなった。
友人たちが自然に妊娠出産していくのを見ながら、何百万もかけて妊娠できないのが馬鹿らしくなってきた。
SNS見て知ったけど、最近は「無産様」って言葉があるらしい。
荒んでるように見えるかもしれないけど、これでも友人が出産したら出産祝いは送るし、SNSの出産報告にはいいねとコメントするよ。
でもすごく疲れた。
子供好きの夫のことを思うと涙が出る。
それでも夫は優しい。
夫が優しくて幸せなのに、辛くて仕方がない。