「デカメロン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: デカメロンとは

2017-09-23

anond:20170923130755

そういや、「デカダンス」じゃなくて、どっちかというと「デ・カダンス」なんだね

デカメロンは「デカメロン」だけど

2011-01-28

本当の失敗は、挑戦しないことだ。


[時間とは出来事である][機会費用][権内][権外]英語・会計・IT

なせば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり。

行動は必ずしも幸福をもたらさないかも知れないが、

行動のない所に幸福は生まれない。

ベンジャミンディズレーリ

ウォールストリートジャーナル」の調査で、

65歳以上の人を対象に以下の質問しました。

人生をやり直せるとしたら、何をやり直しますか?」

どのような回答がもっとも多かったと思いますか?

解答

最も多かった答えは、

仕事上でもっと冒険する」でした。

決心する前に、完全に見通しをつけようと決心する者は、決心できない。

アンリ・フレデリック・アミエル

選択しなければならないのに選択しないのは、

それ自体がもう選択していることになる。

ウィリアムジェームス

間違った決断は、最後まで下されない決断に優る。

ブライアントレーシー

きみには、次のことしか言えない。

ボッカチオが『デカメロン』の中で言っているように、

「やった後で後悔するほうが、やらないことで後悔するよりもずっとましだ」

という一句だ。

今日きみが享受している、恋することによって得る喜びは、明日になればもう受けられないものなのだよ。

それを受けているきみは、わたしにすればイギリスの王よりもうらやましい。

マキャベリ

失恋の格言

愛することによって失うものは何もない。

しかし、愛することを怖がっていたら、何も得られない。

アンジェリス

最善の策は正しいことを選ぶこと、

次善の策は間違ったことを選ぶこと、

最悪の策は何もしないことを選ぶこと。

セオドア・ルーズベルト

ある事を真剣に三時間考えて、自分の結論が正しいと思ったら、

三年かかって考えてみたところでその結論は変わらないだろう。

フランクリン・ルーズベルト 第32代米大統領

2010-10-06

サッカー関係者スポーツ報道関係者の皆様にお願い

唐突ですが、サッカー関係者スポーツ報道関係者の皆様にお願いです。

サッカー日本代表監督イタリア人が就任し、「カテナチオ」という言葉新聞に頻繁に見られるようになりました。しかし、「カテナチオ」という表記に非常な違和感が拭いきれません。

イタリア語の-ccioは、カタカナ表記にする場合、「-ッチョ」とするのが一般的です。分かりやすい例として、牛肉の薄切りCarpaccio「カルパッチョ」があります。「哀れな奴」を意味するpoveraccioを表記するには「ポヴェラッチョ」。「デカメロン」を書いた中世作家は「ボッカチオ」と一般には表記することが依然として多いですが、正式にはBoccacio「ボッカッチョ」と呼ばれます。

「チオ」表記になるのは-tioの場合であって、fellatio「フェラチオ」がその典型でしょう。イタリア近代作家D'Annunzioは「ダヌンツィオ」「ダンヌンツィオ」と表記されるのが一般的ですが、「ダヌンチオ」「ダンヌンチオ」でも許容されると思います。

さて、したがってイタリア語のcatenaccioは、カタカナ表記では「カテナッチョ」とする以外にありえません。「鎖」を意味するcatenaに、より劣ったもの軽いものを意味する軽蔑辞-accioが付け加わることによってcatenaccio「カテナッチョ」(掛け金)という一単語になっています。また、イタリア語日本語の発音の差は他の言語ほど大きくないので、「カテナッチョ」と表記してその通りに発音すれば、イタリア人にも通じます。しかし「カテナチオ」では分かりません。

そこでお願いというのは、「カテナチオ」表記をやめていただきたいのです。正しく「カテナッチョ」と書いてください。せっかくの日伊文化交流の大事な一歩です。つまらないことに見えても、異文化を理解するというのは、こういう小さなことから始まるのではないでしょうか。

2008-12-04

ゾンビの事ばかり考える毎日

一時期、ゾンビのことばかり考えていた。

ロメロ監督の名作「ドーンオブザデッド(ゾンビ)」を観てからだ。

それまでは金曜ロードショーで「バタリアン」など、

ゾンビ系の映画は何度か観たことがあったんだけど、

もともとホラー系が苦手で、特にハマったりはしなかった。

しかし、最近観たロメロの「ゾンビ」はレベルが違った。

ヒューマンドラマ社会風刺、世界終末、アクションなどが

盛り込まれ、恐ろしいほど名作だったのだ。

70年代の映画なのでゾンビメイクなどはショボイが、

そんなの全然気にならないくらい、ものすっご面白かった。

そして、一時期は「俺がこの終末世界に居たら、こう行動する」などを

ずっと頭の中でシュミレーションしていた。

仕事に行ってもゾンビのこと。

パソコン打ちながらゾンビのこと。

友人と御飯を食べながら、でも頭の中はゾンビのこと。

彼女とベッドの中で、ゾンビのこと。

夢の中でもゾンビのこと。

「くさりかたびらを全身にまとえばゾンビにかまれても平気じゃね?」とか、

防御方法をずっと考えたりしていた。

武器は銃+槍系だろうか。カーズみたいに手に剣をくっつけるのもできたらいいな、

とか真面目に考えていた。

そうしているうち、ゾンビ映画をいくつも観ている自分が居た。

28日後

28週後。

ナイトオブザリビングデッド

イオブザデッド。

REC。

ダイアリーオブザデッド。

アイアムレジェンド

ドーンオブザデッド(リメイク)。

ゾンビーノ

ショーンオブザデッド。

バッドテイスト

etc.etc....

いくつか名作とも出会ったのだが、

ロメロ監督の「ゾンビ」を越えるゾンビは無かった。

ゾンビ」は、ここ100年で最大の「創造物」ではないか。

あらゆるクリエイターの指標となる、バイブルではないか。

数百年後、ボッカチオのデカメロンみたいに、

「ロメロ」の「ゾンビ」が世界史教科書に載るのではないか。

それほど、ゾンビのことしか考えられなかった時期がある。

・・・いかんね。

さて、仕事仕事

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