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はてなキーワード: テクストとは

2021-03-17

anond:20210317203353

現状がリベラルじゃあないから、それを変革しようとしてる人たちの話でしょ、それ

本書では、クルアーンという豊かなテクストを「リベラル」な解釈へと開き、変革を期す者たちに着目。

2021-02-18

数年ぶりにDMM英会話した

初めてDMMやった4年前:地元田舎仕事辞めて無職、試しにDMM無料体験やってみたが、緊張と英語能力0だったため、う、う、ああとゾンビみたいな鳴き声あげて撃沈。

後に3ヶ月間語学留学することにする。(この経験とは関係なく単に暇だったから)

現在:だらだら勉強してTOEICは800取った。会社英語圏の社員が多いがぶっちゃけ、みんな喋りが早すぎるし半分しか理解できてない。

必要事項を伝える程度しかできない。

無料チケットがいまだに余ってたのでやってみた。

相手ガーナ黒人男性ヨーロッパ圏の人とはプライベート仕事で軽く関わったことある

アフリカ人とは一度も話したことなかったし、どうせみんな綺麗そうな女性ばっか選んで予約してるだろうと思ったから。(4年前の俺)

開始、お互いに自己紹介

思った以上に訛りはなく、綺麗な英語だった。

聞く所によるとガーナの現地語は40程に別れてるが共通公用語としてみんな英語話せるらしい。

とりあえず文法を選んでどのテキストがいいか聞かれる。

適当に98番目の「上級者向け」のものを選ぶと、先生が読み上げる。(画面は共有されてる)

先生はただ読み上げるだけ。そして内容は現在完了形過去完了形で、中学レベルだったので、

オーケー ティーチャー!レッツチェンジトピック!ナウアイフィールディステクストイズトゥーイージーフォアミー!

ソーレッツスタートフリーカンバセーションオーケー?!

ということで、ただの会話をして25分間のレッスンを費やした。

気づいたのが、4年前はめちゃくちゃ緊張しながらオンライン英会話してたのが、今回は全く緊張しなかったこと。

最近はあまりネイティブスピーカーに囲まれ環境に、コミュニケーション取れない俺だめだなぁとなってたが、

このガーナ人はゆっくりめに話してくれたのもあるが、いや俺前より全然余裕で会話できるじゃん!と気がついたこと。

まぁ結局地頭弱くても、人間勉強続けてれば上達するもんなんすね。

2020-12-16

人「『作り手と創作物は別』論は創作物を嫌いになりたくない人が自分に言い聞かせる為の呪文」 ←そうだったの!?

なんか勘違いしてた

オタクをやる上での行動規範か何かかと思ってたわ

例の件で推しをやめます。

「作り手と創作物は別」論って創作物を嫌いになりたくない人が自分に言い聞かせる為の呪文しかないんだから文脈から逃れられるテクストなんて存在しねーし)作り手から創作物を嫌いになったっていいんだよ別に
2020/12/16 02:53

2020-12-04

anond:20201201075346

ポリティカルコレクトネス根本的には現代版の大乗仏教思想なので、フェミニズム思想もそれと上手く習合すれば大乗になれるのだけどね。

誤った過去言葉を自省し、コレクトネスに即した言葉を唱えれば、大学テクスト読解などの専門的な教育を受けた経験がない人々も救われる。

その流れでフェミニズム言葉も入れて、性別人種国籍性的指向関係なく誰もが救われやす社会にしたい。

2020-11-23

anond:20201123110422

二次創作に似ているかどうかというだけの観点だと、むしろ作品を徹底的に分析の点こそまさに二次創作と同じって気がするけどなあ・・

作者に起きた出来事の影響とか所詮は周辺的な情報って感じだし、テクスト分析とかとはちょっと事情が違う印象が。

2020-11-08

女オタにとっての二次創作ってのはつまりゆるい批評活動みたいなもん

なん?

テクストに対する解釈とか意味付与みたいなものを、もとのテクストと同じ創作の形で表現して読者で共有するっていう文化なん?

俺は何でもかんでも二次創作するの謎すぎって気持ちで生きとったけど、濃い人がアニメ批評で鋭い読解を言葉にしてくれるのは好きだから、それと同じ文脈だったんかな

2020-10-30

anond:20201030153043

ジェンダー思想テクストに答えが書いてある!

どうすれば良いか迷ったらそれを読め!

2020-10-09

寝るのも忘れるような物にどうやって出会うか

人によって小説だったり、テクストサイトだったり、ゲームだったり、色々違うだろうが、

寝るのも忘れて没頭してしまう物に出会うことがある。

小説を読んでいて、感情移入して泣くでもなく、文章から目が離せなくなり気づいたら朝だったといったような経験だ。


このような物にどうやったら出会えるのか。


良いと言われる物は沢山ある。

話題になっているものを追いかけるというのも手だろうが、どうもヒット率が低いように感じてる。

良い!と思うが没頭できるものは少ない。

ゼルダBoWの祠名を全部覚えてしまうとか、そういう没頭できるもの出会える確率だ。


はてブだと、これは凄いと呼ばれる物は沢山見つけられるが、後で読むといったのに近いか、瞬時的に感動するものが多い。

あとで長文を書き散らかさないと衝動が収まらないといったことに出会わない。


コメンドシステムが発達したものの、このような物に出会える機会は増えてないように思う。

2020-08-15

小説評論から実用文にシフトする国語教育」というデマについて

 こういう内容の記事への反応ツイートされ続けている。

 「高校文学勉強をせずに、もっぱら実用文に重きを置いた教育をすることになった」という記事だ。

「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育 | 教育現場は困ってる | ダイヤモンド・オンライン

 あまりにも間違いが多いので、どこかでデマとして中和されるだろうと思っていたが、一向に中和されず、インフルエンサーまでツイートしはじめる始末なので、無駄かもしれないが、間違いを指摘しておきたい(一部については、心ある人の指摘によって途中で記事修正されている。ありがとうありがとう。)

 デマ対処するのは面倒だが、整理しつつ述べていきたい。なお、この文章は今回の改訂方針に賛成・反対という立場を採らずに書く。

大学入試で「実用文」だけが出題されるようになるわけではない

 「2021年から大学入学共通テスト」が実施され、それに合わせて高校国語改革も行われることになった。」と書いてある。これはその通り。そして、モデル問題として、「国語に関しては、生徒会規約自治体広報駐車場契約書が問題文として出題された」と書いてある。これもその通り。

 しかし、既存の「小説(詩)」や「評論」が出題されなくなるわけではない。このことを書いていないことが悪質だ。モデル問題は、記述式がなくなったため、参考になりにくくなっているが、ちゃんモデル問題のものを見てほしい。思ったものと違うはずだ。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00035513.pdf&n=02-01_%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%86%8A%E5%AD%90_%E5%9B%BD%E8%AA%9E.pdf

 「実用文」は確かに出題されるようになる。だが、それだけを出題するわけではない。古文漢文も出る。

論理国語」は「実用文中心」ではない

必修科目と選択科目のこと

 ここからが少しややこしい。高校国語には「必修科目」と「選択科目」がある。

 必修科目は主に1年生で学ぶことになる科目だ。これには、「現代国語評論文や実用文)」「言語文化小説古典)」の2つがある。これはどちらも学ぶわけだ。科目を2つに割ることはどうなのか、という議論はあるが、「小説」が消えるわけじゃない。

 記事の中で書かれているのは、2年生以降で学ぶことになる選択科目だ。これには4科目ある。

 「論理国語」:実用文や評論文 論理的に書いたり話したり聞いたりすることも学ぶ

 「文学国語」:小説や詩 小説や詩を読んだり書いたりすることを学ぶ 創作楽しみだ

 「国語表現」:主にコミュニケーション中心の科目。レポートを書いたり、スピーチをしたり、ディスカッションしたりを学ぶ

 「古典探究」:古典 古典を読んだり、古典について探究的な学習を行ったりする。古典現代言葉比較して変遷を調べたりもする

 中身は大ざっぱに書いている。くわしくは学習指導要領を読んでくれ。

 で、この4科目から、おそらく「2科目」(多いところは「3科目」)選ばれるだろう、というのが今の目算だ。

 いわゆる進学校だと、入試を考えると外しにくいのが「論理国語」。これは記事にも書いてある通り。もうひとつは「古典探究」が確かに有力だろう。だが、「文学国語」が選ばれる可能性もそれなりにはある。

 そもそも元になっている記事は「古典」にまったく触れていない。「古典」にはかなりの部分文学が含まれるのだから、「文学勉強をしない」は嘘っぱちだ(古典文学よりも近代現代文学大事だ、という主張ならばできる)。

論理国語」は実用文だけを学ぶ科目じゃない

 さて、肝心の「論理国語」だが、記事ではあたかも「実用文」の科目であり、「駐車場契約書、レポート統計グラフ、取扱説明書」を学ぶかのように読めるが、これだけではない。

 対象になっているのは、「論理的な文章(論説文や解説文,社会生活に関する意見文や批評文等)」と「実用的な文章法令文・記録文・報告文,宣伝文等)」だ。記事では前者についてほとんど言及していない。そして、このどちらも単純に理解できるようにするんじゃなくて、散々言われてきたように「批判的に」読めるようにすることをねらっているものだ。

 記事に書いてある「実用しか読まない非教養人」を育てることになる、という指摘はミスリードだ。そして、こういう記事ミスリードされない人間を育てようとしているのが、今回の改訂だと言ってもいい。とはいえ、専門外の文章批判的に読むことが難しいことは、今回のことでもよくわかっただろう。

 今回の改訂には問題も色々ある。だが、不確かな情報議論したところで得るものは少ない。

 とりあえず、ダイヤモンドオンラインの書くことを真に受けて、「これでは日本崩壊する!」とか叫ぶのはやめてほしい。「本当かな?」と思って調べる一歩を大切にしよう。

追記

 ブックマーク数15は超えて安心したが、デマに対するワクチンにはなりそうになくて残念だ。

 とにかく、教育に関する議論は「自分が受けた教育」をベースに話す人が多いが、それには注意しよう。今のコンピューターのことを話すときに、WindowsXP経験をもとに話されても困るだろう(これは比喩)。教育も同じことで、少なくとも10単位教育はかなり変わる。教科書も変わる。確かに高校は変化がにぶい。だが、小学校中学校は大きく変わっている。もちろん、「変わる」ことがいいことだとは限らない。

 現状に問題がないわけでは全然ないが、自分が「いつの問題」のことを話しているか意識して話さないと、互いの話は食い違い続ける。

追記2

 こういうご指摘をはてなブックマークでいただいた。ありがとう

myogab

 反論の組み方が藁人形論法ぽくて、元記事の筆者もそんな極論だけを吹聴する気はないだろうよ…って感想。誤解が広まってるなら訂正は要るだろうが、論点逸らしをしてるなら逆効果だろな。

 藁人形論法のつもりはなかったのだけど、冗長になると思ってあまり引用しなかったせいかもしれない。できれば元の記事を読んでみてほしい。論点は色々あるが、この記事では論点を示すことが目的ではなかったので触れなかった。触れた方が盛り上がるのかもしれないけど。

 で、誤解なのだが、わりと広がりつつあって頭が痛い。Twitterでは、「#国語教科書小説廃止に抗議します」というハッシュタグがある。だから廃止しないんだって

 今日町山智浩さんが「国は国語教育から文学より実用文を重視する方針ということですが、それでいったい誰が国語教師になるというのでしょう?」と元の記事引用してツイートしてた。読書猿の人も(おそらく好意的に)次のツイートリツイートしてる。

hhasegawa

 文学中心ではない国語教育を、というのは実はわからぬでもないものの、そこで持ち出される「実用文」が「生徒会規約自治体広報駐車場契約書」なのがいかがわしい。文学以外の文章といえばそれしかないの?

 小説文芸評論ではないテクストがすなわち規約広報契約書ではないわけで、例えば論説記事でも歴史叙述でも新書のような学術的概説でもそれに該当し、どれも相応に「実用的」なのである。要するに、「論理国語」で真に排除されかかっているのは文学ではなく、「テーゼのある文章一般ではないか

 https://twitter.com/hhasegawa/status/1293668438880038912

 「論理的な文章」に「論説文」が入ってるんだから、「テーゼのある文章」が排除されるわけがない。これも、元の記事があたかも「実用文」だけを学ぶ科目であるかのように書いたことが原因だろう。このツイートをした人は、数日後に次のようにツイートしてる。

 一応、「論理国語」教材に「新書新聞社説などで取り上げられる様々な分野の学術的な学習の基礎的な課題に対して、論点が明確になるようなもの」も挙げられてはいた。が、ここまで「実用志向だと、この「論理的な文章」の内実もどうなることやら。

 その心配はたぶんないよ、と言いたい。これまでの傾向から完全に変える冒険教科書会社はできない。これは良くも悪くも歴史証明している(いや、悪いのだが)。冒険をする教科書は売れない。

 このあたりの人は、いわゆる「一般の人」よりはリテラシーがあると思う。が、それでも不確かな記事をもとに不確かなことを言ってしまう。これはまあそういうもんだよな、と思うんだけど、燃え広がりつつあると真顔で「それはちがうよ」と言うしかない。

2020-07-22

オタクジェンダー規範に関する研究を読もう

twitterでたまに、男オタクは女や非オタク男と比べて「男は仕事、女は家事」のような性別役割分業を支持する割合が高く保守的である、という結論の棒グラフが回ってきているのを見かける(例:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/phanomenologist/status/1228500960588124163)。あれはしばしばフェミニストによって「男オタク女性蔑視の表れ」のように引用されるが、そもそもどういう文脈で出てきた棒グラフだったかちゃんと確かめた人はいるのだろうか? そして、あのグラフをめぐって学者同士の意見対立していることはどのくらい知られているのだろうか?

ということで、以下であのグラフが出てきた文脈を紹介してみるよ! なお、増田は男オタクだけど、統計とか専門外だよ!

あの棒グラフの出典は、社会学者北田暁大による若者趣味に関する研究の一節である北田 2017: 291)。だがもちろん研究というものはそれだけで完結するものではなく先行研究の積み上げた文脈のもとに成り立つものだ。そして北田(2017)が特に目の敵にして批判しているのが、心理学者山岡重行による研究である山岡2016年単著において腐女子心理学的に分析し、腐女子恋愛観だけでなく彼女たちに向けられたイメージについても論じた(山岡 2016)。

山岡研究はどう評価すればいいのか難しい。確かに興味深い点が多く、たとえば2015年時点でもオタクに対する否定的イメージ存在し、そのなかでも腐女子は同じオタクから否定的に見られているということを学術的に明らかにしたこと山岡 2016: 99, 132)などは、オタクあいだでは公然事実とはいえ一定の意義があるだろう。しかし一方で、男オタク腐女子は相性が良いんだからもっと恋愛すればいいのにというようなアドバイス大きなお世話というかソバイスの極みであり、腐女子心理について質問調査のみに基づいてものを言うのはいいとしてもBL作品構造を論じる上でテキストクリティークを欠いていることは理解しがたい(山岡 2016: 229-230)。山岡データに基づく研究重要性を主張するが、物語構造などの質的な面に踏み込むのであれば、数字で示されたデータだけでなく様々なテクストに当たって読み込むという人文学的な手法採用する必要があるはずだ。心理学実証研究としては面白いが、実証以外の部分で余計なことを言い過ぎている、という評価をするのが最も良いだろうか。

では、それを批判した北田研究はどのようなものなのだろうか。実はこれ、読んでみるとわかるがかなりのツッコミどころの塊なのだ

まず、北田がこの調査で用いた方法論について確認してみよう。北田依拠しているのは、2010年練馬区1988年1990年まれの男女に対して行った調査である。つまり2020年現在アラサーに対して10年前に行われた調査に基づくデータである。このデータは、北田が中心となっている若者趣味についての共同研究の一環として採られたものであり、北田(2017)が収録されている本に収められた他の論文も同様にこのデータを出典としている。

北田は、東浩紀(2001)のデータベース消費論に依拠しつつ、男オタクの消費が東の言うようなデータベース消費である一方で女オタクすなわち腐女子(ここ、「ん?」と思う人が多いだろうけどとりあえず脇において続きを読んでほしい)の消費が関係性消費である、という先行研究提示される図式を踏襲する形で分析を進めていく。当然、ではこの論文で言う男オタクと女オタクってのはどんな集団を指すんだ、腐女子かどうかはどうやって決めるんだ、という操作定義が求められるわけだが、北田がどんな定義をしているのかを以下で見てみよう。

北田はまずオタク操作定義を示すが、この時点で首を傾げてしまう。たとえば「ライトノベルが好きだ」という質問はいいとして、「マンガきっかけでできた友だちがいる」や「アニメきっかけでできた友だちがいる」という項目は、そりゃそれに当てはまるオタク大勢いるだろうがコンテンツきっかけでできた友人がいるかどうかはオタクとしての本質に何も関係ないよね? もちろんこの研究では若者趣味というテーマを掲げていて、趣味人間関係がどう連関しているかという点も研究対象に入るわけだからそういう質問項目が悪いわけではないのだが、それをオタク定義に使われると困惑するほかない。やめてください! 友達がいないオタクもいるんですよ!

そして北田は、上記のような質問定義した「オタク」を更に「二次創作が好きか否か」で分類する。つまりオタクを「二次オタク」「非二次オタク」に区分し、それをさらに男女で分けるわけである。そしてこの「二次創作好き」というのを定義する指標として「マンガ二次創作(同じ登場人物で、原作ストーリーとは違うストーリーを考えたり読んだりすること)に興味がある」(北田 2017: 270)というのを持ち出している……えーっと、これだと、銀河英雄伝説』も『炎の蜃気楼』も『東方』も『アイドルマスター』も原典マンガではないので当てはまらないのではないか? この調査の後にヒットした『ラブライブ!』も『艦隊これくしょん』も『刀剣乱舞』も『ユーリ!!! on ICE』も、いずれも原作マンガではない。仮に私が当時練馬区に住んでいてこんなアンケートを渡されていたら、「私が買っているのはアニメ作品二次創作なんだけど……」と回答に悩んでいたことだろう。「作品」「コンテンツ」とでも言い換えれば済むところをなぜ「マンガ」と表現したのか理解に苦しむ。ゲームを全部ファミコンと呼ぶおかんかよ(この喩えもいい加減古くなってきたな……)。

さらにこの調査は、「二次創作が好きな女性オタク女性二次オタク)」と「二次創作が好きではない女性オタク女性二次オタク)」を区別しているが、肝心の二次創作の中身については区別していない。つまりBL同人を読んでいようが男女カプの二次創作をしていようが「女性二次オタク」だし、商業BL一次創作同人専門の読み手二次創作に手を出していなければ「女性二次オタクである。つまりこれは、二次創作が好きなオタクを析出することはできても、本質的に腐女子を析出できる調査ではありえない。もちろん同じことが男オタクにも当てはまり、女キャラ無駄淫乱になって男相手にサカる同人誌も女キャラ同士がプラトニックイチャイチャする同人誌も同じ「二次創作である。種つけおじさんレイプ百合区別できない質問項目をもとにデータベース消費と関係性消費の対立みたいなこと言っていいのかな……いやダメでしょ。

だが北田定義おかしさはこれに留まらない。彼はなんと、「二次創作好きでオタク度の高い女性を『腐女子』という言葉でまとめあげることにはもちろん問題がある。二次創作好きとBL好き、やおい好き、女オタクなどの差異を孕んださまざまな概念が交差する地点に『腐女子概念存在している」としつつも、便宜的に「『二次創作好きで、オタク尺度が高位2層である女性』を、操作的に腐女子と」定義している(北田 2017: 307)。はぁ???

言うまでもなく、腐女子の全員が二次創作に興味を持つわけではなく、二次創作に興味を持つ女性オタクの全員が腐女子でもないのだから(男女CP百合の愛好者はどうすればいいんだ)、この段階で北田研究対象を正確に捉えられていないことがわかる。BLが好き」という質問項目を入れてないのに「腐女子」の操作定義なんてできるわけないだろ! この問題については山岡からtwitterでツッコまれているほか(https://twitter.com/yamaokashige/status/1131363111636615168)、「興味」と「嗜好」を区別すべきだとも批判されている(山岡 2019: 21)。妥当な指摘だろう。意地悪なこと言うけどさ、これを注に放り込んでるのって悪意ありますよね?

さらに、男オタクに関しても、「二次創作好きオタク男性ディープ男性オタク」(北田 2017: 294)と記述している。当たり前だが二次創作にはたいして関心もないがディープオタクはいるだろうと言わざるを得ない。声優のおっかけを熱心にやっているオタクディープオタクではあるかもしれないが二次創作が好きなオタクとはいえないだろう。

総じて、北田研究は、オタクとしてディープであるか否かとか腐女子であるか否かといったことを、すべて「二次創作が好きか」で測ろうとしている。だがそれはとんでもない勘違いである二次創作好きな人ディープオタク腐女子であることとの間にはある程度の相関関係はあるだろうが、あくま論理的には一対一で対応しているわけではないのだからディープオタク定義したければ注ぎ込んだ時間やカネや知識量を、腐女子定義したければBL趣味の有無を、それぞれ尋ねるべきだったのだ(特に客観的な測定が困難な「ディープオタク」と違って、腐女子かどうかは「BLが好きだ」という項目を入れた上で性別と組み合わせれば一発で判定できるのだから、ここで手抜きをしているのは許しがたい)。

少なくとも山岡の著書にはパッと見で「おかしいぞ?」と思うような操作定義あんまり見当たらなかったのに、北田論文操作定義はパッと見でもわかるツッコミどころが多すぎる。これもうどんグラフ出されても信用できないでしょ。データの処理とか以前に操作定義おかしいんだもん。

で、北田にさんざんdisられた山岡は別の著書(山岡 2019)を発表して北田反論している。個人的にはその議論はおおむね妥当であるように思えたので、詳しく知りたい人は山岡(2019)を読むか、彼のtwitterを見てほしい。私は統計とか詳しくなくて、前提となっている操作定義おかしさは指摘できても、標準得点に差があることは「対極にある」ことを意味しない(https://twitter.com/yamaokashige/status/1125940271298990080)とか、このへんはまったく気づかなかったので。

最後に、北田山岡のどちらの研究おかしい、と思ったポイントがあるので言及しておく。

北田データ練馬区若者から採ったものであり、山岡データ都内複数私立大学学生から採ったものである。つまり東京圏居住しているか、通える距離に住んでいる若者データに偏っており、さら後者大学生のみのデータとなっている。これが血液型性格判断の話であればいいかもしれないが(よくないけど)、オタク文化拠点東京などの大都市に集積していることと、就労等によって趣味との関わり方が変化すること、そして趣味学歴が及ぼす影響を考えると、東京圏若者」のみに焦点を合わせて「オタク」の全体像を論じることは適当ではない。そこで集められたサンプルは、オタクコンテンツが身近に溢れていて可処分時間が多く学歴も高いオタクサンプルに過ぎず、オタク代表例とも若者代表例ともいえない。

とはいえ、では他にどういう調査のやりようがあったのか? というと、思いつく計画がどれも高額の研究費を要求するものになってしまって個々人の研究ではなかなか厳しい。少なくとも、東京だけでなく日本全国(最低でも、大阪札幌などの東京以外の大都市圏)からサンプルを抽出することは必要だろうし、そのサンプル調査には大勢非オタクも引っかかる以上はサンプル数もそれなりのものにする必要があるだろうし……こういう大がかりな質問紙使った研究ってやったことないかイメージ湧かないんだけどどんくらい金かかるんだろう。

それと、北田山岡統計データを重視しているので、あえて質的研究には踏み込んでいないのだろうが、それでもやはりいずれの研究当事者の言説分析を欠いていることは大きな欠点であろう。オタク自分たちについて膨大な自分語りを残してきており、それを悉皆調査すべきだとは無論言わないが男オタク腐女子自分たちのことをどう語っているのかも踏まえた上で論じられればなお良かったんじゃないかな。もちろんそれは大規模な質問調査並にめんどくさい手続きであり、代表性とかどうやって保証するんだ、という感じではあるのだが、せめてオタク自身の手になる非学術的な文献はもっと多く引用されていてもよかったのではないか。それは一歩間違えば大塚英志(2018: 136-140)が指摘するような当事者営為無視した簒奪的な研究にもなりかねない、と思う(もちろん彼らは文化のものを論じているわけではないので、文化を論じる研究者に求められるほどの慎重さは要求しなくてもいいとは思うが)。

いやでもやっぱりこれ北田(2017)のほうがひどいわ。山岡(2016; 2019)の操作定義を見てると、彼自身オタクではないにせよ、趣味によってつながる人間関係のありようみたいなのを肌感覚でわかってるって感じがするけど、北田定義トンチンカンなんだもん。もしわかった上でやってるならクソだけど、仮に本気でああい定義を持ち出してきたんだとしたら、それはもう根本的に趣味でつながる人間関係がどんな感じなのか肌でわかってないってことだよね。趣味人としてのリアルからかけ離れすぎてるんだよな。

あと北田研究がひどすぎるからって社会学全般が悪く言われないといけない理由はないので念のため。北田研究別に社会学者なら誰もが参照してしかるべきみたいな位置づけのそれではないので……

追記

よく分からんのだが、その北田氏の研究がいい加減なものだとしても

2007年練馬区若者においては、漫画アニメが好きで二次創作を好む男が

それ以外と比べて保守的男尊女卑傾向だ、って事はとりあえず事実、って事になるのでは

anond:20200722104112

これ、回答の平均値じゃなくて標準得点を元にしたグラフなのよ。標準得点をもとにそんなこと言えるか? って山岡批判してるからそれ読んで(https://twitter.com/yamaokashige/status/1126035720122953729)。

ワイが間違ってたわ。言えるっぽい。すまん。

続きはanond:20200722142616で。

文献一覧(あいうえお順)

2020-05-22

anond:20200522162846

プログラマーは『他の職業は頭使わないけど俺らは使うからしかけられても困るんだぜ(ドヤァ』と言う」って意味で書いてると分かるだろ

プログラマーは話かけられたら困るときがある」を

『他の職業は頭使わないけど俺らは使うからしかけられても困るんだぜ(ドヤァ』って解釈するのがテクスト読めてないよね?

anond:20200522162205

それってテクストが読めてない状態じゃない?

「ゾウさんが好きです」って話に

じゃあ「キリンは嫌いなのか!」ってツッコんでる感じだよそれ

参考

https://twitter.com/sacreconomie/status/1260362695150194688

2020-05-01

anond:20200501131536

フェミニズム同士で意見対立したらどうしてるの?

テクストに一番近い意見の人に従うとか?

2020-04-14

『「星野源がはっきり安倍批判しない」のに怒り、失望する人とそれへの反論』がツラい。

ツイッター政治でワッショイやってる連中なんて発達障害しかいないんだという現実を突きつけられた思いがする。

雰囲気」や「行間」はわからない。だから白黒はっきりした言葉を求める。そういえばあの映画評論家発達障害だったな、、、。それまでの雰囲気ベース日本映画批評とは一線を画し、テクストベースロジカル映画解釈するという彼のウリは、その特性によるものだったのだと思う。

2019-11-18

続きが気になった瞬間本を閉じる病気

かかってしまった。本気で悩んでる。

アニメとか漫画とか小説とか長編同人文とかソシャゲとか全てに該当する。

なんなら長編じゃなくても、1万字足らずの話の途中で一旦閉じて無意味ブラウザゲー(ソリティア系統)とかやってしまう。

これは多分よく言われてる「歳をとってコンテンツ摂取力が落ちた」現象ではないと思う。

スケダン・彼方のアストラ篠原先生が以前「最終回が読めない」現象話題にしてたけど、あれはお話が終わってしまうことが寂しくて、というのが主な話だった。それも違う。

簡潔に言うと、物語に何か期待した瞬間、その期待を実際のテクストが下回ることに恐怖を覚えてしまう。のだと思う。

実際そこはかとなく怖い。

ちなみに先のネタバレをどれくらい知っているか、はあまり関係ない。結局はそれを聞いてどれほど自分が期待をふくらませるか、あるいは萎ませるかにかかっているわけだから(そして前情報で萎んだならこの悩みにかかずらうことは無い。それはそれで問題なんだけども)

結果としてちゃんと見られるのは「既に読んだ作品アダプテーション作品小説アニメ化とか)」「可もなく不可もなくそれなりで見た作品」「ソシャゲ期間限定イベントで素材欲がこの病気に勝ったもの」とかそのあたりになる。

要するに本命になればなるほど見られなくなる。

例えばソシャゲ、言ってしまえばFGOなのだが、2017年の頭から始めてまだアガルタにいる。戦力はあるし周回もできる。飽きていないはずだ。アガルタは(賛否あるようだが)ネタバレをある程度聞いて逆に楽しみになり、レジライが出てきて話が動き出してきたな、と思った瞬間止まってしまった。少し手を出したアナスタシアも、パツシィくん可愛いね、と思った瞬間に止まった。

他に幾らでも例が出せるが概ねこんな感じだ。

ちなみに音楽なら普通に聴ける。

映画劇場まで行けば見通せる。BDそもそも借りないのでよくわからないが。

原因もきっかけもよくわからない。

そして類似の悩みを抱えているオタクを周囲(タイムライン)で見ない。これで悩んでいるオタク活動的オタクとしてやっていくのは難しいからかもしれない。

数年来ずっと抱えていたものなのだが、最近更に顕著になってきた。このままではただ見たいものけが無為に増えていってしまう。滑稽すぎる。

かい解決策、ないし類似例を知っていたら教えてほしい。切実に。

anond:20191117234258

うちだと二十代のうちはマッキノン、ドゥオーキン、バトラーらのテクストを徹底的に読み込む。

かに実践に移るのは大抵三十過ぎてからだ。

2019-11-16

anond:20191116001154

分野によってはあるらしいね

テクストヴェーバーが本当に言いたかたことは何か?

2019-11-09

anond:20191107140353

節子、それ社会学フェミニズムやない、文学理論フェミニズムや。フェミ違い。

何にでも「ジェンダー関係の不均衡」を見出して語る芸の一派でな。

他にも見出すべきネタによって、「階級闘争」(マルクス主義)、「統一のある経験可能性」(ニュークリティシズム)、「エディプス的葛藤」(精神分析)、「転覆的なエネルギーの封じ込め」(ニューヒストリシズム)、「テクスト自己脱構築的な性質」(ディコンストラクション)、「帝国主義の閉塞」(ポストコロニアル理論)、「ヘテロ・セクシュアルな基盤」(ゲイレズビアンスタディーズ)とかいろいろあるんや。

2019-08-12

フーコー言葉と物」二の五「言語(ランガージュ)の存在(エートル)」を読んだ。

シーニュの配置がシニフィアンシニフィエだけになった近代以降は、ランガージュが物質的な実在とは限らなくなったこともあって“第一義的なテクスト”への接続が断たれている。文学はそのランガージュの生のままのエートルに遡ろうと頑張るけど、もはや第一義的パロールが失われてるから昔のように上手くはいかないようだ。(末法思想みたいだな。)

2019-04-27

anond:20190427193151

レトロスペクトにおもしろおもしろくないと断罪するのはテクスト批評としてはあんまり賢い方法じゃないね

それよりもシェークスピアが後世の英語空間に与えた影響の大きさに目を向けるべき

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