はてなキーワード: ティーンエイジとは
文豪ストレイドッグスが海外でも人気で、ロシアのティーンエイジャーにすらファンがいる(ロシアの文豪の名前が出てくるらしい)ってんで、まあアニメ見始めたんですけど、つまんないんですよ正直。
絵も動きもクセ強すぎるし、ただのイケメン萌えバトルものじゃんこれ。
1〜2分ごとに集中力が切れるんで1話見終わるのに3時間くらいかかってるんですわ。
でもね、マッシュルだって最初つまんなかったけど我慢してたら途中から少し面白くなってきたし。
ブルーロックも最初は全ッ然おもろないわ!と思ってたけど後半からグイグイ引き込まれるものがあってシーズン1最終話まで見たら評価変わったし。
よく我慢してまでアニメ見るとかバカなの?って言われるけど、まあバカなんですわ。一回見るって決めたら損切りせず最後まで見ちゃうんですわバカだから。
とりあえずイケメンさえ出しといたらつまんなくても国外でも商業的に成功しうるっていう作品の例として学ぶものがあるかもしれない。でしょ?
https://twitter.com/MojaMojappa/status/1768766895631864182
『インチキ医学』英国保健省が #思春期ブロッカー の定期処方を禁止することは正しい。人生を変える可能性のあるこのジェンダー違和(旧性同一性障害)の治療法により、若い命が損なわれている。
このような過剰な慎重さは、助けを必要としている人々にとっては不満かもしれないが、患者が、生命を変え、取り返しのつかない結果をもたらす可能性のある、規制のない大量実験のモルモットになるようなシステムは、はるかに悪いだろう。#思春期ブロッカー がそのようなケースであり、何年もの間、この国では自分のアイデンティティやセクシュアリティについて混乱している子供たちに投与されてきた。長期的な影響についての健全な科学的理解がないにもかかわらず、自分の性別に疑問を抱く若者の身体的発達を阻害するためにこれらの物質を使用することは、第一級の医療スキャンダルであり、21世紀のイカサマ医療における無謀な行為である。
したがって、ロンドンのタヴィストック英国保健省トラスト内のジェンダー・アイデンティティ・クリニックでの恐ろしい話の後、英国の国民保健省(NHS)が思春期ブロッカーの定期処方を中止したことは正しい。しかし、この危険な道を歩もうとしている子どもたちや親たちは、NHSスコットランドや民間医を通じて、まだ思春期ブロッカーを入手することができる。仕事はまだ半分しか終わっていない。この 『セラピー』は、英国全土で全面的に規制される必要がある。
化学的去勢にも使用されるホルモン阻害剤が、発育途上の若い身体に与える影響についてはほとんど知られていなかった。現在では、ブロッカーが骨密度に影響を与え、認知機能の発達に影響を与える可能性があることは認められている。少なくとも、このほとんど理解されていない化学的去勢は、ティーンエイジャーを仲間から引き離す。患者たちは、友人たちが成長するのと同時期に時が止まってしまうのだ。失われた歳月を取り戻すことはできない。また、ブロッカーは一時しのぎであるどころか、化学的処置や外科的処置の前触れとなり、取り返しのつかないことになりがちである。
ジェンダー違和(旧性同一性障害)に苦しむ子どもたちには、優しさ、理解、そして必要であれば精神的なサポートが必要だ。戻れない場所への道を歩ませるべきではないのだ。まだ抜け道が多すぎる。開業医がブロッカーを処方することを禁止すべき。スコットランド政府も、なぜこのような危険な行為を認可し続けるのかを検討すべきだ。
福島県のど田舎の自動車教習所で、卒検とった帰り道にババア(72)の暴走車にはねられて男女2人が死傷。
なんでも駅前T路地でブレーキとアクセルを踏み間違えて、つっこんだとのことで。
合掌。
亡くなった子の親はガッカリだよね。
せっかく金かけて育てて、
ちょうど車がつっこんだ場所に、
って、
あと、田舎出身者なら分かると思うが、買い物も仕事も車がないとはじまらないから、
大事なことを言うが、
もしT路地のロータリーのような開けた場所で、暴走車が直進してきたら、普通の若者なら避けられたはずだ。
ひょっとしたらスマホ見てて気づかんかったんかな、とか思った。
ババアが悪いのはもちろんだが。
ボーはおそれているを見た
本当ははてな匿名ダイアリーに書こうと思ったのだが、初の試みすぎてどこからいけば入力ホームに飛べるのかも分からなかったので、こうして一旦自分のエディタに向かって書く。ちくしょうめ。
お前たちがこれを見ているのなら、どうにかうまいこと投稿できたんだろう。
あのミッドサマーを作った、嫌な人間関係を描くことでお馴染みの男アリ・アスターの作品だ。
彼の妙に女側の鬱憤描写に自信がありそうな感じは、まあきっと他の人が論じることだろう。
以下は、ボーと同じく母子関係に問題のある増田がどのようにボーと旅をしたかの備忘録である。
物語は、ボーが母親の誕生日パーティをドタキャンしたことから始まる。
ボーはいつも恐れていた、母親の機嫌を損ねることを。傷つけることを。
わかるぞ、ボー。
女手一つで息子を育てるというのは、どんなに大変なことか。
大人になればなるほど、それが途方もない献身の末にあったことが身に染みるようになる。
そんな彼女の気持ちを裏切るのは、いつも最悪な気分になった(これは増田の話)
それにボーは、母親の経済的援助の元にある(はっきり書かれてはいないが、増田はボーのカードは母親名義のものだと推測している)
就職先とか全部潰されてきたりしたのだろう。
アパートで鍵を奪われたりしたのは、なんだったんだろうな。
母親は誕生日パーティのドタキャンを受ける前から、ボーに試練を与えるつもりだったのか。
それとも、母親の一味の中にボーに害意を持つ者が個別にいたのだろうか。
あるいは、「お前はこれで終わりだ(うろ覚え)」と語りかけてきた男は、ボー自身の破滅願望だったのか?
ともかくここからボーの辛い旅が始まる。
家にたどり着くまでのやつは割愛しよう。
あれはほとんど昔話で言う「三回正しい行動をしたものだけが生き残れる」みたいなお約束パートに見えた。
その中でも、医者の妻や森の痩せた男など、ボーに同情的な人々は少し居た。
彼らはどんな気持ちであの寸劇をやっていたのだろうか。
あの医者の家の娘、その気の毒さ。
突然やってきたボロボロの中年男性に、居場所を奪われるのは苦しかっただろう。
もしかしてあのペンキを急に飲んだのは、ボー母からの内密な指令だったのかもしれない。
例えば誰も逆らいようのないボー母から「ボーと恋人関係になれ」などと命令されたなら(もちろんもし従ったところで、きっとボー母は彼女を始末しただろう。ボーにセックス禁止の呪いをかけていたわけだし。つまり、彼女が本気でボーを誘ってボーがそれをちゃんと断るところを見たかった。試したのだ)、あのヤケクソも理解できる。
ティーンエイジャーがそんなことを強いられれば、死にたくなったって仕方がない。
(追記:最初の推測は上の通りだが、よく考えて「ボーを本当の息子として扱え」が命令だったのかも)
個人的な推測をさらに進めるなら、ボーの母は彼を裁くに足る証拠を集めたかったのだろう。だから彼が罪を犯すチャンスをたくさん与えた。
そういえばボーの居住地区の治安が終わってるのも、母の采配なのだろう。
彼女はボーが自分を愛していないことを、確認したかったのかもしれない。
ペンキ自殺をきっかけに、ボーは次のステージへと追い立てられる。
舞台の筋を書いたのは母親だろうから、母の愛(鎖)を断ち切ったところで幸せにはなれないという話だったのだろうか。
結構序盤からボーの妄想劇場っぽかったから、あれは単に彼の内心の探索だった説の方が強そうだが。
そういうお母さんの話(舞台)を途中から流すようなところが、母をイライラさせていた可能性はある。でもあのお母さんイライラ範囲デカいからな…。
セレモニーが終わってみんな帰った後っぽかったのは、フェイクだったからだろう。元々死んでない葬式なうえ、目的はボーのリアクションを確かめることだ。
弔問客がいっぱいいたってノイズになるばかり。
クルーズで出会ったあの子(たぶんボー母がセックスに至る前に追い出した)が、葬式に現れる。
彼女はボーと可及的速やかにベッドインするし、死んだ母親のアクセサリーとかもいじくり回す。
絶対このタイプの女、ボー母は嫌いだもんな。明らかに遺産目当てだし。
あのおっかない母親が死んだ今、ボー一人を籠絡するのは楽勝だと思って現れたのだろう。
でもこういう金目当て女に易々とハマるのは、ボー母の責任だ思う。
お前がボーに恋愛(セックス)を禁じて、免疫を得るチャンスを与えなかったから……
そしてボーは母親に言外にしかし固く禁じられていた射精を、彼女の中で果たした。
ボーが母親に決定的な不信感を覚えた瞬間だと思う。
あの外観を与えたのはボー母であるし、自分の中で射精した瞬間死んだみたいなエピソードもそれっぽい。
ボーを宿したあの瞬間までで夫の物語を止めて仕舞えば、美しい話で終われる。
隙を見せたお前が悪いので自分語りをするが、私も過去に浮気をされたことがあり、ボー母のこの気持ちはよくわかる。
ある一瞬以降の「あいつ」を死んだことにしてしまえれば、どんなによかっただろうか。
ここに関しては、ボー母は自分のやりたいようになったことだろうから、少し羨ましくもある。
アリ・アスター監督は女のこう言う感傷部分への理解が異様に深い。
私も無限の金があったなら、昔の男のことは好きなだけボロボロにした上に殺したと思う。
なんでもできるが故に、諦められない。
彼女にとってどうしようもできないのは、人の心だ。
父親の心も、ボーの心も彼女は全く思い通りにできなかったのだろう。
一度、彼女の側に立ってみてボーを見る。
多分父親に似ていたのだろう。
今度こそ自分を一心に愛する男に育てようと心を砕いたのに、ボーは何度でも「私」を裏切る。
男友達と一緒に自分を貶め、自分以外の若く美しい女と寝ようとする。
自分に愛しているという口で、カウンセラーには不満や憎しみを言い募る(聞いてる母が悪いのだが)。
愛しても愛しても(少なくともそのように認識していても)、男は決して満足のいく愛を返してくれはしない。
可愛さ余って憎さ100倍ということわざが向こうにもあるのかは分からないが、そんな心境だったろう。
父と息子を混同するの、やめた方がいいよ。
「私」をとうとう完全に裏切った「あなた」なら、安心して殺せるから。
正直言って母の父への憎しみはわかるものの、「子供」としての増田はボーと共にある。
経済的援助を受けていたやましさ。
日記帳を覗かれていたおぞましさ。
母を拒否した時の、たとえようもない罪悪感。
他にも色々あるが、ボーにシンパシーを受けるのはこの辺の過去があるからだ。
私の母は経済的援助についてはもちろん恩を感じるべきだというし、
日記帳に関しては母の愛だったのだから、私が許すべきだと主張する。
そして彼女の様々な誘いを拒否すると、哀れっぽく嘆いて見せるのだった。
これは、このタイプの母を持つ人間にしか分からない強制力だろう。
特にお前が母親に「自分はあなたの死を悲しんでた、超泣いたし」みたいな言い訳してるとこすごい分かったぞ。
自分でも嘘なことはわかってるんだけど、悲しめない自分に罪悪感もすごいしそれが母にバレた日にはすごいことになるから、とりあえず口先だけで母親想いをやるんだよな。
昔は金と罪悪感のコンボで割とコントロールされていたものの、最近すっかり距離を取るようになった。
物理的に距離を開けたのもあるし、一念発起して母に直接様々なわだかまりを伝えたからもある。
まあ全然分かってはもらえなかったのだが、幸いにして私の母には100人の狂った部下はいないし、経済的自立も今のところ果たせている。
このままボートには乗らず、本物の葬式でしか近づかないつもりだ。
ボーよ、お前には全然選択しなかったと思うけど、こういうオチもあったよ。
映画自体は徹底的にバッドエンドだったし、スタッフロール中にも転覆したボートを延々映し続けて終わる最悪さだったが、その後のことは私が勝手に想像してもいいだろう。
ボーはあの後、きっとボートの中にあった空気で助かって、うまいこと脱出できた。
観客席のみんながはけた後、最後に残った私のところにボロボロで泳ぎついて、私は「よく頑張ったなあ」ってボーの手を掴んで引き上げる。
そのあとは小汚いボーを連れてその辺でホットドッグとか買って齧って、公園で「いやお母さんやばいね」みたいな話をして、話も尽きたし寒いから私は普通に家に帰る。
ボーはお母さんの手から逃げることはできないだろうけど、まあなんとかトボトボ暮らしてお母さんが死んだら、遺産とかもらって急に派手な暮らししたらいいよ。頑張ってお母さんより長生きしな。
人より苦しい時間は多かったかもだけど、もしかすると本当にもしかすると、その苦労に見合った価値のある時間がいつかくるかもしれない。
そういうのって、生き残ってみなきゃわかんないから。
ボー、恐れるな。
私もついてるし、意外と似たような境遇のやついっぱいいるからさ。
な、しぶとく行こう。
ワーホリに行くような日本人男性は明るい気質で日本の閉鎖的な雰囲気に馴染めないタイプだからこそ自ら海外に飛び出すんだろうなというイメージ。
そもそもワーホリに行けるのは18歳以上で自分で準備や手続きもしないといけないから「本気」の人しかできない話で、篩がかかってる。
元増田でのホームステイはティーンエイジャーの話と思われ、家事はしないのに偉そうな坊ちゃんは親に唆されて行っただけで、自分で望んだホームステイではないだろう。
災害ボランティアに自ら志願して行くような男の子だったらコミュ力もあるだろうし、ワーホリでも現地の人に受け入れてもらえるんだろうけど、
親の教育方針の一環で留学させられただけの坊ちゃんがその後どうなるかといえば、
相変わらず英語は話せずプライド高くて気が利かなくて下ネタしか話題がない典型的なキモい日本人男性になるイメージしか湧かない。
ワーホリに行くような日本人男性は明るい気質で日本の閉鎖的な雰囲気に馴染めないタイプだからこそ自ら海外に飛び出すんだろうなというイメージ。
そもそもワーホリに行けるのは18歳以上で自分で準備や手続きもしないといけないから「本気」の人しかできない話で、篩がかかってる。
元増田でのホームステイはティーンエイジャーの話と思われ、家事はしないのに偉そうな坊ちゃんは親に唆されて行っただけで、自分で望んだホームステイではないだろう。
災害ボランティアに自ら志願して行くような男の子だったらコミュ力もあるだろうし、ワーホリでも現地の人に受け入れてもらえるんだろうけど、
親の教育方針の一環で留学させられただけの坊ちゃんがその後どうなるかといえば、
相変わらず英語は話せずプライド高くて気が利かなくて下ネタしか話題がない典型的なキモい日本人男性になるイメージしか湧かない。
@KingRiku
過去 2 つのゲームを見れば、オープンワールドでは物語が非常に困難であることは明らかです。 不可解なダンジョンに重点を置いた、ストーリー性の高い直線的なゼルダ ゲームが懐かしいです。@nz605
オープンワールドは問題ではありません。 作家はそれに適応し、全体的なバランスを保つのに苦労しています。@PyroPuff777
人々はすぐにオープンワールドを非難しますが、おそらく開発者が関心を持っているのは物語ではないのではないかと考えたことはありますか? 青沼がゼルダのゲームにおいてストーリーは二の次であることをはっきりと述べたように。 また、この不可解なダンジョンのこと自体が愚かです。 誰もあなたに簡単な方法でダンジョンを完了することを強制していません。 自分にとってそれを難しくしたい場合は、先に進んでください。 常に不必要に複雑なダンジョンだけのゲームは良くありません。 人生のどんな状況でも、人は常に最も抵抗の少ない道を選びたいと思うでしょう。 それだけの挑戦が必要な場合は、パズルのみをベースにしたゲームをプレイしてください。少なくとも探しているものはすべてそこで手に入るからです。 人々はノスタルジーのためにこれらのゲームをひどく誤解しています。 完璧だとは言えませんが、多くの批判は単なるノスタルジーに基づいています。@マルチハードコア
@PyroPuffs777 ゲームをより楽しくするためにプレイヤーが自分自身に制限を課すことは決してあってはならない@heroinhero
@PyroPuffs777 あなたが言ったことの内容は無関係です、なぜなら私がそれから得たのは 1 つの大きなレイトン教授の広告だけだったからです。 私はそれを認めます。@hododod246
ゼルダのゲームには強力な物語がありませんでした。 あなたはこれらのゲームを優しい/ティーンエイジャーの頃にプレイしたので、物語が強力だったと思います。 いつも浅かったです。@PyroPuff777
@MultiHardcore 同様に、ゲーム全体が楽しみたいように楽しめるのであれば、ゲームは難しいものであってはならず、誰かの欲求を満たすためだけに特別な方法で作られたものであってはなりません。 過度に複雑な体験をしたい場合は、それができる方法でプレイするか、単に難しいパズルに焦点を当てたゲームをプレイしてください。 そんなに難しくないよ。 この種の不満などは非常に些細なもので簡単に解決できますが、人々はただ文句を言いたがります。 本当にゲームを批判したり批評したりしたい場合は、ストーリーテリングの手段という点で自由に使えるものはすべてあるにもかかわらず、ストーリーやプロットがいかに浅薄で未開発であるかについて話してください。 または、特定のバグや全体的な技術的問題が修正されなかったという事実を批判します。 簡単に解決または回避できる問題について文句を言わないでください。@alibabaschultz352
@hododod246 そうですね。 Botw はおそらくゼルダ ゲームの中で最高のストーリーを持っていると思いました。 それは多くを言うわけではありませんが、それはまともでした。 人々はペースが気に入らなかったのですが、それは公平なことです。@MrWanton16
@alibabaschultz352 それはMMかWWだと私はまだ主張しますが、Botwは面白かったです。 TOTKがbotwと同じようにストーリーを語ろうとしているように感じるが、物事の構造が最初に間違ったフラッシュバックを取得するため、彼らが試みているすべての蓄積が本当に台無しになるため、本当に傷つけられたと思う@Braxmegaman
@hododod246 「強い」と「深い」は同じではありません。 古いタイトルが十分に示しているように、アートを楽しむために複雑である必要はありません。 必要なのは、誠実であり、程度は低いものの、適切に実行されていることだけです。@Little1Cave
@PyroPuffs777 初めてクリアしたゼルダ ゲームが時のオカリナ 3DS だった人としては(数年前にブレス オブ ザ ワイルドをプレイし始めてから)、いいえ、プレイヤーの好みは単にノスタルジーに根ざしているわけではありません。 そして、それをそのプレイスタイルを望む唯一の理由として押し出す人は、さまざまなプレイヤーの好みに無知であるか、意図的にそれについて不誠実であるかのどちらかです。
@pebphiz
@hododod246 ただし、シンプルであることが必ずしも悪いわけではありません。 ゲームキューブのゼルダには、それらのゲームにぴったりのちょうどいい深さを持つ素晴らしいストーリーがありました。 Tears of the Kingdom は、より複雑にしようと試みていますが (そして失敗しています)、ゲームのオープンな性質があらゆる点でその種のプロットに反して機能します。
「魔王?秘石??」はともかく。 誰もが道化師になって地獄に行ったり来たりしたシーン、5人目の賢者がいるに違いないと誰もが「気づく」シーンはこれまでで最も愚かだった、なぜなら彼女はすでにゲームの半分で私と一緒にいたからです。 他の登場人物はリンクが乗り回している巨大ロボットに気付かなかったのだろうか? このゲームは単にそれ自体のオープンエンドの性質を考慮していないため、適応するか、古いスタイルに戻る必要があります。@AlterBridgeJericho
物語はゼルダの長所ではありませんでした。 良いのは『ムジュラの仮面』と『トワイライトプリンセス』の2本だけだと思います。@マルチハードコア
@PyroPuffs777 私には、ゲームの効果がないと思われる部分について文句を言う権利があると思います。 これらのパズルはプレイスルーごとに 1 回しか解決できないため、満足のいく解決策が得られない場合は、そのパズルとの関わりが永久に損なわれてしまいます。@ドルゲシュ
これはまさに真実です。 実は私は『BOTW』のストーリーが大嫌いで、ゼルダのゲームはどれもストーリーテリングが下手だとばかり思っていましたが、『スカイウォード ソード』を最後までプレイしてみたら、そのゲームのストーリーとキャラクターがとても心に残りました。@vivid8979
@MultiHardcore Fun は主観的なものです。OoT の水の神殿を愛する人もいれば、それを嫌う人も、それについてミームする人もいます。重要なのは、チーズ化は開発者によって与えられたオプションです...何かをチーズ化することを選択した場合は、そうすべきではありません 簡単だと文句を言う...
それは、ダークソウルには魔法や召喚獣が必要ない、OP が多すぎるからやめるべきだと文句を言っているようなもので、ゲームを簡単にするものであり、さまざまなゲームプレイの機会を提供するオプションとして存在します。
@grantroodbeen1316
@hododod246 彼らは決して強くも深みもありませんが、誠実であり、少なくともある程度の多様性を持たせようとしています(OOTのアダルトストーリーは耐えられません)一方、新しいタイトルでは、ほぼ完全にプレイヤーがいないときにプロットが発生し、 たとえ浅い話であっても投資が大幅に削減されます。@a_o_o_o_o_
物語? ゼルダ ゲームに物語が登場したのはいつですか? ストーリーが進んでいくと、それらはかなり標準的です。
@tanzolo4487
物語性の高いゼルダ ゲーム? 🥲強い物語性のあるゼルダをプレイしましたか
@dericandkhristy
@vivid8979 2 つのチーズの前にマウスを置くと、1 つは迷路の後ろに、もう 1 つはそこにただ座っているだけですが、マウスは常に簡単なチーズを取ろうとします。
正直に言いましょう。 😂
それは、簡単なチーズが長期的には充実しているという意味ではありません。@dirmuidtherat
@PyroPuffs777 「ダンジョンを簡単にクリアすることを誰も強制していません。」 これは意味のない発言です。 ダンジョンは何をやっても簡単です。 簡単にできるように設計されています。 自ら課した難易度 (ハートの数が少ない、武器が弱いなど) は、実際にはダンジョンを難しくするものではありません。@zenvultra4457
@PyroPuffs777 すべてのゲームをイージー モードでプレイしていると思いますか?@hododod246
@Pebphiz私はそれらが単純だと言っているわけではありません。 私は彼らがただ悪かったと言っているだけです。 先ほども言いましたが、あなたは子供の頃、または十代の頃にこのゲームをプレイし、良い物語だと思いました。 他のスタジオと比べて、ゼルダのストーリーやナレーションは単なる素人でした。 ゲームキューブ時代には、MGS2、MGS3、GTA San Andreas などのゲームが登場しました。 ゼルダの物語はこれらのゲームに比べればほんの小さなものです。 そしてそれはまさにその逆です。 古いゲームは複雑にしようとして失敗していました。 両方から始めて、彼らは努力をやめ、最も重要なことに集中しました。 探検し、プレイヤーに自由を与えて冒険をすることができます。
@nechocat1234
@hododod246 あなたは本当に、最も評価の高いゲームのストーリーの 1 つをゼルダと比較して、比較してゼルダのストーリーが悪いと言っているだけです@pebphiz
@hododod246 ゼルダのストーリーがどれほど悪いのかわかりません。 単純さだけではないとしたら、具体的に何が問題なのでしょうか?@The_Admiral_Angel
誓って言いますが、オープンワールド ゲームでは良い物語が語れないと言い続ける人は、ゼノブレイドのタイトルをプレイしたことがありません。
@TitForce
@MultiHardcore まあ、それはまったく真実ではありません。
@TitForce
@dericandkhristy それは良いたとえではありません。 ゼルダのゲームをプレイすることは、生存について考える必要がなくなる時点でのものになります。 ネズミにとって、チーズを手に入れることは生存本能にすぎません。
@jonasking9587
@reklem2
@PyroPuffs777 申し訳ありませんが、人々は最も抵抗の少ない道を進むでしょう。 それは自然の法則です。 報酬が同じであれば、人は余計な努力をしません。@capgangchannel6309
Totk は間違いなくすべてのゼルダ ゲームの中で最高のストーリーを持っています。 どちらのストーリーも非常に単純だったことに同意します。 しかし、totkは本当に素晴らしかったです。
@tylercoon1791
@The_Admiral_Angel X を除けば、ゼノブレイドは実際にはオープンワールドではありません。 確かに広いエリアが与えられていますが、それでも定期的にゲートが設けられています。 何度ゲームをプレイしても、ゼノブレイドを通過するたびに、ガウルからエーテル鉱山、サルトル湿地、マクナまで移動し、その間のコンテンツを体験する必要があります。
@The_Admiral_Angel
@tylercoon1791 これは基本的に従来のゼルダ ゲームと同じ直線的なストーリー構造ですが、理由は異なります。 特定のアイテムが必要な場合もあれば、特定のキャラクターと会話する必要がある場合もあります。
@a_o_o_o_o_
@Braxmegaman 100%これです。
私は、「良い」と「複雑」を同等に扱う人々にとてもうんざりしています。 古いゼルダのゲームには「深い」プロットはありませんでしたが、それが彼らを惹きつける理由ではありませんでした。 人々は、強力なストーリービート、ゲームの過程にまたがる楽しいキャラクターアーク、そして「次に何が起こるのか?」という質問を楽しみました。
作家たちは物語をオープンワールドの公式に「適応」させましたが、それによって私たちが得られたのは、「実際には関与していないこれらの断片的な記憶を見つける」ことであり、(再び)探しに行くときにこれらの小さなミニストーリーアークがあることを確認することです 神獣や TotK の主要な「ダンジョン」の 1 つですが、それが以前に何かをした理由と結びついているように感じることはほとんどありません (「これを X 個完了する」以外)。
私は BotW と TotK の両方を楽しんでいますが、私のお気に入りまたは理想のゼルダ ゲームとは程遠いです。
グルースが卑怯ないじめっ子から勇敢なヒーローになるまでの旅から得た感情...
これらのことはオープンワールド方式で可能ですが、あまりにも「制限」したくないため、プレイヤーが忘れる可能性が高いものに大幅に薄められています。@tylercoon1791
@The_Admiral_Angel そうですね、でもゼノブレイドでオープンワールドの物語を盛り上げようとしていたように見えましたが、ゼノブレイドはオープンワールドではありません
@RPmp4ow
54分前
@capgangchannel6309 TotK は最高のストーリーを持っていました 瞬間* ストーリー自体は BotW との関連だけでなく、独自のゲーム設定内でも機能しませんでした
の翻訳。執筆者はステットソン大学の心理学教授、クリストファー・J・ファーガソン。
↓↓↓
2020年に起きた比較的マイナーな(トランプ大統領や新型コロナと比較して)炎上ニュースの中に、ジャーナリストのアビゲイル・シュライアーの『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇(Irreversible Damage)』をめぐる論争があった。
本書は、みずからのトランス男性として認識するティーンエイジャーの「女子」の急増は、性別違和やトランスジェンダリズムが原因ではなく、社会から疎外されたアイデンティティが社会的な影響によって、本来他の精神疾患を持っている少女たちが誤って自分をトランスとして認識しているためだと主張している。
この本に自分の家族や娘を重ね合わせ、娘たちが直面している現実の問題を語っていると考える親もいる。(原注:シュライアーの見解を反映し、生物学的性別のみを反映することを意図しているため、ここでは「娘(daughters)」という用語を使用する。) しかし、多くのトランス活動家たちは、この本をトランスフォビックであり、敵対的であり、より広くトランスの人々にとって有害であるとして非難している。そのため本書への販売反対運動も広まっている。*1
私は最近この本を読んだので、ここに感想を述べておきたい。はじめに言っておくと、これは複雑で微妙な問題だと思う。しかし、現代の言論は、感情的な議論のどちらの側にも、ニュアンスや複雑さを認めることはめったにない。
基本的に以下のふたつの状況は傍から見てほとんど区別がつかないことは、残念ながら確かだ。a)トランスであると自認する青少年を含むほとんどの個人は本当にトランスであり、医学的な移行から恩恵を受けるであろうということ、b)青少年としてトランスであると自認しているが、境界性パーソナリティ障害やその他のパーソナリティ障害、自閉症スペクトラム障害など、アイデンティティの混乱を引き起こすような他の精神的健康状態にあり、これらの個人は医学的な移行からあまり恩恵を受けないかもしれない、ということ。
第一に、「ジェンダーは社会的構築物である」というスローガン(シュライアーがその大部分を支持している)に反して、ジェンダー・アイデンティティは視床下部に存在し、そのようなものとして、ほとんど不変であることが神経生物学的証拠から判明している。端的に言えば、トランスジェンダーは、ある性別の身体を持ちながら、別の性別の脳を持っているということだ。そのような個人は、尊敬と思いやりに値し、嫌がらせやいじめから解放されるべきであり、自分の好む代名詞や名前が尊重されるべきであり、恋愛、結婚、子供を持つこと、養子をとることも自由であるべきなのだ。
同時に、境界性パーソナリティ障害は、多重人格障害(解離性同一性障害)や双極性障害など、他の有名な精神疾患と併発したり、誤診されたりすることが多いという証拠もある。したがって、トランスであると自認する人の一部(すべて、あるいは大多数ではないことは確かだが)が、アイデンティティの混乱というより広範な問題を抱えている懸念もあるにはある。
本書を読んでいて、私はいくらか批判的にならざるを得ない点があった。その主なものは、シュライアーの科学への関心が、時として表面的であるという懸念であった。もちろん、これは本書に限ったことではないが、このようなセンセーショナルなトピックでは、科学的議論のいくつかにもっと精妙な検証が要求される。シュライアーは、この分野の学者たちのデータや意見を掲載し、リサ・リットマンの「急速発症型性別違和」*2と呼ばれる物議を醸した研究(過去にはこの研究自体が議論の対象となったが、研究の是非はともかく、科学的には嘆かわしいものであった)など、重要な(しかし是非の多い)研究をいくつか取り上げている。
ジェンダー・アイデンティティが生物学的なものに基づいているという考えを、それを示唆する証拠が豊富にあるにもかかわらず、シュライアーが平気で否定するのには呆れた。ある時、シュライアーはこう書いている。「XX染色体が刻印された女の子の脳が男の子の体に宿るというのは、生物学的にナンセンスだ」。染色体とは関係なく、子宮内でのアンドロゲン暴露が視床下部の発達に影響を与え、性自認に影響を与える可能性はある。そのことを理解していないこの見解に、私は顔面蒼白になった。
もちろん、この見解はシュライアーの創作とは言い難く、第二波フェミニズムにまでさかのぼる〈ジェンダー・クリティカル〉なフェミニスト(一般的に、この非常に論争的な議論においてトランス活動家と対立する側)を反映している。実際、この論争で興味深いことのひとつは、伝統的な右派と左派の対立というのではなく、左派を標榜する2つのグループの間の感情的な蔑視がしばしば反映されていることだ。
シュライアーはまた、インターネットに時間を費やしすぎることが少女たちにトランスであるという認識を抱かせる原因になっている、という考え方に奇妙なほど執着している。彼女は、ソーシャルメディアが精神衛生にどのような影響を与えるかについて、ジャン・マリー・トゥエンジ*3の研究を引き合いに出すが、トゥエンジの主張の多くがかなり徹底的に否定されていることを読者に知らせない。彼女がこの種のモラル・パニックにしばしば戻るのは気が散るし、急速に発症する性別違和という概念自体がモラル・パニックなのではないかと思わせられた。
とはいえ、彼女の論文を完全に否定する気にはなれない。実際のところ、トランスであると自認する女子の割合が本当に増えているのか、あるいは増えていないのかについて、きちんとしたデータは存在しないようだ。私の交友関係でも、伝聞的に、このようなことを耳にする機会が少しずつ増えてきているが、伝聞は証拠ではないし、もっと確かなデータが必要されている。
境界性パーソナリティ障害に加えて、性別違和も自閉症スペクトラムの思春期の女の子に多いという研究がある。この意味で、青少年が公言する性自認を、それ以上の診断的評価なしに医学的移行への動きとして受け入れるという肯定的アプローチには、明らかなリスクがある。これが、医学的移行に対するこのアプローチに懐疑的な最近の英国の裁判所の判決の背景にある理由のようである。
私たちは、どのような青少年が医療移行への迅速な移行から最も恩恵を受けるか、またどのような青少年がさまざまな介入からより多くの恩恵を受けるかについて、より良いデータが必要である。いずれも、トランスジェンダーの権利と福祉、そして彼らに課せられた敬意を損なう必要はない。学者には、急速に発症する性別違和が実在するかどうかを研究する余地が必要である。私は、査読と科学的再現性と訂正がこの問題を解明すると確信しているが、ツイッターの怒りに応じる形での科学的検閲は問題を混乱させるだけだろう。
結論として、ここには検討すべき有効なアイデアがいくつかあると思う。しかし、特にアイデンティティ・ポリティクスが激化している時代には、データの複雑さや困難な状況のニュアンスを考慮する意欲と、より多くの情報が必要であることを認める知的謙虚さを持った、より多くのデータに基づいた研究が必要である。
私は本書のどのような部分が論議を巻き起こしているかを理解するためだけなく。本書に反対する立場から検閲しようと努力する向きにも一読を薦めたい。しかし、科学について慎重かつ忠実な本を期待していたのであれば、この本がそうでないことは確かであり、その点で、本書がトランス・コミュニティで集めた否定的な反応はまったく理解できる。将来、質の高い、事前登録された、オープンサイエンス、インターネット検閲の努力から解放された科学的な取り組みが行われ、この複雑な問題をより明確に理解できるようになることを願うばかりだ。
*1……本書に対する販売反対運動が巻き起こったのは日本だけではない。
Amazonは同書のジェンダーの取り扱いに対するスタンスへの懸念から有料広告キャンペーンを打ち切ったものの、販売自体は行ったため、ヘイトに反対する従業員グループから販売中止の要請を受けた。結局Amazon社は「Amazonのコンテンツポリシーには違反していない」として、販売を継続し、その態度に失望した一部従業員はAmazonを辞めた。
また、大手量販店のターゲットではやはり論争を受けてオンラインでの販売を中止したが、翌日に再開し、三ヶ月後に再度中止した。
ここで興味深いのは、販売反対運動が出版社に対してではなく、販売プラットフォームに対してなされたことだ。日本でもヘイト本を扱っている書店に対する苦言などはたまに見られるが、反対活動によって販路を閉ざし実質上の販売中止させようという動きはあまりない。アメリカではAmazonが書籍販売について(日本より普及している電子版を含め)かなり独占的な勢力を占めていることなども関係しているように思われる。カナダでは図書館に対しても貸出の中止を求める請願が出されたという。
ちなみに出版元であるRegnery Publishingは保守系の老舗で、過去にはインテリジェント・デザイン説を擁護する書籍などを出し、そのたびに批判を受けてきた。『あの子もトランスジェンダーになった』で「エモやアニメ、無神論、共産主義、ゲイ」などが批判的な文脈で持ち出されるのもこうした文脈に沿っている。
*2……本書がサポートしている rapid-onset gender dysphoria (ROGD、急速発症型性別違和)はリサ・リットマンによって2018年に提唱された概念であるが、臨床的・科学的な証拠が不十分であるとして医学的診断としては認められていない。
*3……アメリカの心理学者。2017年に iGen という本で若年世代のナルシシズムとインターネットの関係を書いた。が、同書は多くの批判を受けた。
https://x.com/kadokawahonyaku/status/1731070740496355487
角川のトランス本でアライがまたキャンセルしようと騒いでるが、実際にトランスへの投薬は裁判沙汰になってるんよ
https://www.bbc.com/news/health-51676020.amp
彼女は昨年、異性ホルモン剤の服用をやめることを決意し、今は女性としての性を受け入れていると語った。しかし、彼女はこの10年間に自分に起こったことにも怒りを感じていた。
「ティーンエイジャーの頃、ほとんどファンタジーのように抱いていたこの考えに走ることを許されていた......そしてそれは、大人になってからの長い目で見た私に影響を与えた。私はまだ若い。私はまだ大人になったばかりなのに、このような重荷や根本的な違いに対処しなければならないのです。」
キーラの弁護団は、子供にはこのような治療が、例えば生殖能力への影響など、将来の人生に及ぼすかもしれない影響を天秤にかけることはできないと主張する予定である。
同クリニックの元スタッフは、異なる性別への移行を望むティーンエイジャーが、十分な評価や心理学的作業なしに思春期阻害剤を投与されていることに懸念を示している。
NHSは思春期ブロッカーを可逆的なものと説明しているが、GIDSは脳の発達や心理的健康への影響は完全にはわかっていないと認めている。
年の差婚で当人達がどんなに愛していようともグルーミングと騒ぐ輩がいる
グルーミングが問題なのはこれを色んな低年齢者に対してだったり効きそうな層を狙って欲望を満たそうとする人間に対してのもの
単に低年齢側が好き過ぎて特別な存在になるケースもあるだろうし
そこに入って来てくれる人はどんな年齢だろうとも好きになったりするもの
それは愛じゃないというのなら、子供が欲しいと思ってする結婚だって愛は無いとも言えてしまう
もっと言えば「あの人は恋人と別れたばっかりらしいからチャンス!」と思う事に対して
その人が好きなんだとしたら恋のチャンスだし、やりたいだけならまあある意味性的搾取かもしれないが
グルーミングを拡大解釈している層はその捉え方だとこの例どちらもグルーミングになってしまう
愛がすべてグルーミングだ
男が男を愛すのも、女が女を愛すのも、ティーンエイジャーが30代を愛すのもその逆も、それぞれ愛の形
2023年7月からは16歳未満とは愛があろうと無かろうと性行為が犯罪になったが
「単に自己の性的欲望を満たすだけの目的」でなければ罪には問われない事は判例もある
愛した人がたまたまその年齢だったケースもあるだろうし
あったであろう葛藤をすっ飛ばして勝手な事を言う結果、本当に「自己の性的欲望を満たす目的」の人達への適用すべきグルーミングの定義が狂ってしまう
こういう人達こそが巡り巡ってどこかで起きる犯罪を一つ増やしかねない
心を埋めてくれたその人を好きになり関係を持ったがその人が本気で私に向き合ってくれる人だった
そこまで否定されるのであればその感情の行き場はどこへ行けばよかったんだろうか
幸せとは何かを教えてくれた
私が大人になって私から別れを切り出したのは私の考えが大人になれなすぎて苛つかせてしまうのが申し訳なくなったから
対等に扱おうとしてくれているのにね
愛されて育ってこういった不安を抱えずに育ち
他者の気持ちを汲まずこき下ろして相対的に幸せだと感じたいだなんて愚かなこと
当然そんなことも考えないだろう
AV新法を説くフェミニストが寧ろ女性を生きづらくさせているとか
そんなところ
岩井夫妻の幸せそうな写真を見て私達にもこんな時期があったなと思った
芸能界で育った彼女はきっと私より遥かに肝も据わった大人な内面なんだろう
私のように劣等感に押しつぶされてもしないし
他人の気持ちを考えられない愚かな大人様達よりもずっと対人経験は濃いことは想像に容易い
羨ましいなと思いながら
ここまで読んで私が当時10代女で相手が30代男だと思っただろうか?
10代男と30代女でもまた印象は変わったんだろう
30代女だったらいいんだよという話ではない
起訴されたりしている
愚かな印象論感情論を用いる自らに気付けばいい
中学とか高校サボってみたかったな〜って思う。部活サボって高尾山行ったり多摩川下って海を目指した青春の原風景が今も輝いてるように、宝物のような思い出になって気がする。
でも過去の自分に「サボってみたら?」って言っても「嫌な事は都合よく忘れて美化か。毎朝居間で流れる朝ドラのオープニングに条件反射で吐き気を覚える感覚を忘れたのか。そりゃあ後になって浸れるかは分からねえねけど、サボった所で浮ついた気分もそこそこになんだか物足りないばっかりで、家に電話が来ないかヒヤヒヤしてばっかりだろ。翌朝起きる事を思いながら後悔を抱いて寝るだけだろ。下らない青春ノスタルジーは本当にウザい。ティーンエイジャーエアプかよ。今を生きている他人に自分の後悔を押し売りするな。自分までそんなつまらない人間になってしまったのか。死ね」とそう言われる気がする。
というか今でも心の中で鮮明に保持しようと努めてる当時の感覚がそう言ってる。
アスミカケル2話の感想……の前に、いくつか注意点とか色々。(第1話の感想にも追記しました)
【私の感想における注意点】
悪い言い方をすれば、何も考えずに脳死で書いてると言っても過言ではないです。
特に何が良いとか悪いとか考えず、ただ見て感じたものを書いてるだけなので、場合によっては褒めてるように見えたり、逆に貶してるように見えるかもしれませんが、どちらでもないです。
赤い色を赤いと言うようなレベルで稚拙な見たままの直観を出しているものと考えて頂ければ幸いです。この山は大きいなぁとか、そのレベルです。
たまに「あっこの川、深いッ!」みたいな多少の感情は乗るかもですが、基本フラットな自分にとって快不快を問わず感情が乗るのは良い作品だと思っています。よろしくお願いします。
上記の通り脳死で書いてるため、連想ゲーム的に他作品(他の漫画とかアニメとか)の内容やセリフなどを引用したりする事がありますが、比較のためではありません。
つい「この人の髪型ハンバーグみてーだなぁ……」みたいな事を言うかもしれませんが、その人やハンバーグを貶めたり、逆にそれを理由に名作と引っ付けて評価を上げるような意図とかも無いです。皆無にして絶無です。
そのような比較や同一視は両方の作者や作品に対して失礼であり、あくまで自分の中では全く別のものだけど連想してしまったに過ぎないので、あくまで個人の感想である事をご留意して頂けませば幸いです。
③同様に、何かしらキャラや演出などについての評価をする事もありますが、それ自体は特に作品や作者の評価ではないです。
もし仮に私が「このキャラ不快だなぁ」と言ったからといって、それが即ちその作品や作者が不快という事でもないです。不快なキャラを出すことで、相対的に他のキャラの株が上がる事もあります。
世の中にヤベー人間がいるからといって、即ち世の中がヤバい訳ではないように。その作中世界や世界の中の"もの"と作品との評価は全く異なるものであり、なんなら邪悪な人間しか出てこない邪悪な世界の作品でも面白い場合もあるかと思います。
世界最高のコントラバスと世界最高の尺八奏者と世界最高のDJがコラボしたところで、どうひっくり返っても「世界最高のジャズ」が生まれるなんて事はないように。要素同士の相性が良くなければ作品はチグハグになります。
演出とか構成とかストーリーとか諸々の要素が全て満点でも、それらが噛み合ってなければ作品として成り立たないように、あくまで要素と作品全体の評価は別物であると認識して頂ければ助かります。
④また、自分の目線はどちらかと言えば創作者目線気味で「自分が作者だったらこうするかなぁ……」みたいな事を考えがちな傾向がありますが、だからといって作者へのリスペクトが無いわけではないです。
そもそも自分は創作者というより鑑賞者なので、岡目八目で「ああすれば良いのに」「こうすれば良いのに」と言ったところで自分自身が実際にそれを出来るかどうかと言えば答えはNoです。
あくまで読者としての視点でしかないため、実際に締め切り(納期)通りに同等以上のものを仕上げれるわけではないですし、実際その作品と同じテーマを自分が表現するとしたら、それは作者の出す作品とは全く別物になると思います。
素人や読者の視点というのは独り善がりなものであり、あらゆる創作者には個性があるし個々の事情もある。その全てを重んじ、リスペクトしていきたいと自分は考えています。
【感想本文】
という事で、とりあえず電子版 週刊少年ジャンプの125pより、アスミカケル2話(Round.2 取り柄)の感想をじっくり書いていきます。
最初の2p。例によって獏じいちゃんの稽古相手をする主人公の二兎。即落ち2コマかよってレベルでやられる主人公コマ連続。しかし、デイサービスを利用してる物忘れ気味な祖父の稽古相手というのも……当人たる獏じいちゃんが普通に強いから良いけど、骨とか筋肉を痛めるだろうからと止めるのが一般的ではあるよなという脳内ツッコミが入る。
ただまあ現実問題、脳機能的にこそ要介護認定を受けるレベルだったとしても肉体が未だ頑強な武人だった場合、言うことを下手に聞かないと逆に暴れて怪我人が出そうなので、そういう意味ではライフワークなのであろう武術を続けさせるのは悪いとは言い切れないか?問題は第一話の時点で他害が出てる事なのだが、まあ恐らく正当防衛というか私人逮捕みたいな状態だったのだろうと解釈する。次。
一転、呆けた顔でデイサービスに向かう獏じいちゃんと、介護に興味を示す二兎。そして学校シーンでの前話での不良やジムの話。主人公が基本的に情報でも感情でも何でも抱え込むタイプなのが相変わらずである。次。
ヒロインの大牙さん現る。コロコロ表情とかが変わるので、こういう格闘技系のヒロインとしては異色ながら魅力があるのも不思議だ。逆に言うと人の印象が時々で違うリアルさがあるとも言えるか?まあひとまず、こういうヒロインでも誰でも何かしら才能を見初められる系の話はスポーツ系には割りと見られる傾向なように思う。
自分の知ってる作品で言えば「どがしかでん!」とか「タカヤ -閃武学園激闘伝-」あたりも基本、主人公がヒロインなり師範的な誰かに何かしらの才覚を見初められて別の世界に飛び込んでいく……というストーリーラインが出来てるように思う。Web小説界隈で言う「転生もの」とか「追放もの」的な言い方をするなら、「見初められもの」とでも言うのだろうか?
実際問題、「劣等生だけど実は最強」みたいな作品でもヒロインが主人公を褒めちぎったりするので、ティーンエイジャー向けの作品では異性に何かしら見初められたり惚れられたりというのは、一種のモチベーションとして成立するのだろうと思わなくもない。作品の閲覧継続にも繋がるのだろう。まあ何でもよい。次。
主人公がグラップラーだからといって開幕グラップリング勝負を挑むヒロインって正直どうなん?(正直すぎる感想)
まあ総合格闘技で組技ありきな以上、組技それ自体に抵抗は無いとしても……その、羞恥心とかですね。ちょっと変な人で済ませるな。
主人公が自分のコンプレックス理由に乗らないのは良いのか悪いのか……そして今回も示唆コマで終了。これが連続で来るので意外性とか意表を突く感じが本当に無い。もうここまでくると、この良くも悪くも丁寧に次のページ展開を示唆していくのは作風として以降スルーしていこう……次。
ヒロインが野望を示唆したり無駄なカリスマ性を発揮しつつ、ようやく主人公が「ちょっと変」から「変な人」に認識をシフトする……遅いよ! でも流されてジムまで来る主人公。
こういう「主人公を引っ張っていくタイプのヒロイン」というと、先程に書いた2作品以外では他に思いつくのがライトノベルの「アリソン」(時雨沢恵一/著)とか『涼宮ハルヒシリーズ』(谷川流/著)しかパッと思いつかないが、どれも初出2000代の作品。ヒロインが主人公を引っ張っていく準主人公というか進行役になるのは2000~2010年代の主流なのだろうか?
作者の生まれが1983年と、その年代の創作物に触れる機会が多そうなのを鑑みるに、まあこの当たりの流れを引き継いだ作品を作るのは不自然ではない。だからなのか、今回の作品は火ノ丸相撲のときと違ってヒロインの描写にかなり力を入れている感じはする。
まあ、どちらにせよティーンエイジャー向けの作品は主人公も同年代かつストーリーの軸も成長譚である事が多いため、こういった準主人公的な役割の人物もセットでないと話が進めにくいというのもあるのかもしれない。この場合、主人公の二兎は自らの精神的な弱点に向き合い、克己していく必要がある。まあ流されなくなるのに期待。
次……と言いたいところだが、一旦ここで〆。
※今後の展望……
ひとまず今は無限に思った感想を書き連ねていくだけですが、今後は集英社運営のWeb漫画投稿サイト「ジャンプルーキー!」での編集部バッジに倣って、それぞれの話毎に「画力」「構成力」「ストーリー」「演出力」「キャラ」「オリジナリティー」といった要素や、それに加えて(その話数時点での)総合的な感想・評価などを書いていければ良いなと考えています。
というのも自分は創作者志望なところがあり、色々な作品を細かく評価したり分析する視点を養っていこうと考えているからです。無論、養われたからといって実際に創作物を作っていかなければ実力はつかないので、あくまで客観的に創作を見る訓練という感じですが。
また、感想を書いている作品を文字だけで評価するのも難しいところがありますし、他の創作物から台詞等を引用する際にも同様に、画像を原作なりから引っ張ってこれそうなら出していこうと思っています。その際は「作品名(作者名・話数や副題、ページ数)から引用」といった部分を明確にしていこうとも考えています。
(引用する必然性、自分の文章と引用部分の区別や主従関係の明瞭化、引用物の出所を明示し修正等を加えない事など。著作権法に従った引用をしていきたく存じます)
他にも何かアップグレードできそうなところはしていきますが、まあ無理のない範囲でやっていこうと思います。それではまた明日以降に……!
1stガンダムはティーンエイジャーのアニメファンを中心に受けたが、その後のガンプラブームではより低年齢層にリーチした。
これらはガンダムではないが、ガンダムの商業的成功の影響下で作られ、その後の続編ガンダムにも様々な影響を与えた。
アムロとシャアの物語が一段落。これらに馴染めない尖った人は雑誌連載の『ガンダムセンチネル』(1987年~1990年)に流れたが、そちらもその後のガンダム(ガンプラ)に大きな影響を残す。
BB戦士が本格的始動、SDオリジナルの『SD戦国伝』が始まったのが1988年。既存のシリーズファンが高齢化する一方、こちらは若年層を獲得。一時はリアルガンダムを抜いて商業展開における大黒柱だった。
かなり長期間(『08小隊』の完結は1999年)になるので時代で括るには難しいが、括られがちなので括る。宇宙世紀の解像度が高まっていく。『08小隊』はリアルガンダムリバイバル期にも重なる。
元々は『F91』の続編として翌年1992年にTVシリーズ『F92』が予定されていたが、紆余曲折あり『Vガンダム』に。リアルガンダム冬の時代扱いされがち。
『Vガンダム』の後番組枠ながら宇宙世紀から他の世界線に舞台を移した3作。ファン層を広げる。
1stを中心としたリアルガンダムへの需要が再び高まる。ガンプラでは1995年に『MG』、1999年に『HGUC』展開開始。ゲームでは『ギレンの野望』など。宇宙世紀人気は『UC』などを経て現在まで続く。
雑誌『ガンダムエース』が2001年に創刊。『ガンダム THE ORIGIN』も『ガンダムUC』もここから。よくわからない宇宙世紀の設定が生えていたら大体ここ発。
女性層、若年層などに強く訴求。以降MBS系での放映続く。宇宙世紀のリバイバル人気と両輪でここらからガンダムというIPのギアが一段階上がる。
TVシリーズのガンダムが新しい層に向けて作られる一方、ジオン残党みたいにしぶとく宇宙世紀ファンに向けて作られる作品群。
ファンの若返りを図り、それまでの『SEED』、『00』とあまり層が重ならないためこういう印象になる。
『スパイダーマン:スパイダーバース公開前』と『スパイダーマン:スパイダーバース公開後』ってレベルでアニメ史に革新を起こした作品の続編も
非常に素晴らしかった!!!!!100点満点💯!!!!!はなまる💮!!!!
ただ、せっかくだからこの革新的な映像は4DXで味わいたかったなぁ・・・・・・時間はあったはずなのにダラダラしていたら間に合わんかった
スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバースも、ハイオクリティーの3DCGとアニメーターによる手描き効果+特殊エフェクトが素晴らしい
その技術については、YouTubeやブログで詳しく語られているので省略
映画館で観た感じはどうかというと、めちゃくちゃに攻めたアングルとレイアウトで、
まるでリアルのジェットコースターやVRでドローンシミュレーションをしているかのような臨場感があった!!
(でもマジでぐるんぐるんするので、3DCG酔いしやすい人や体調の優れない人は、配信やDVD待ちをした方が良いかも・・・)
ストーリーは前作を見ていることを前提としていて、見ていない人は少し置いてけぼりになるかもしれない
日本での前作の興行成績はイマイチだったのに、本作の公開を決めた映画館は勇気あるなぁ・・・(しかも2部構成だぞ)
ただ、お話の内容は、スパイダーマンのマルチバースを描きたいが先行しているので、すごいアニメが観たいが主目的の人は前作を見ていなくても楽しめると思う
お話の内容は、ティーンエイジャーの自立/家族/いつものアメコミなので不快な要素はない
ただ、家族の描写は同じいつものアメコミでも『シャザム!』の1作目の方が良かった
『アクロス・ザ・スパイダーバース』の両親は非常に物分かりの良い親で、良いことは言ってくれるけど、すべてを言葉で片付けてしまうので、めっちゃハイコンテクスト、
(『シャザム!』の1作目は、ようやく探し当てた生き別れの母親が『そもそもあなたを愛していないのよ』『10代の私にとってあなたは負担だった』って言うめっちゃシビアな展開)
この映画を観て、パヤオがいなくなった後も、このようなアニメーションが作られるのであれば、今後も劇場アニメーションが楽しみだなぁって思った
日本もジブリ(パヤオやパクさん)に頼らない形で革新的なアニメ作品が作られる環境があればいいなと思った・・・・
ーーーーが、『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』も、監督の無茶振りで100人以上のスタッフが離脱の超過重労働だった模様wwwww
まぁここまで徹底したアート作品作ろうとすると、やっぱブラックになっちゃうのかも知れない
Russian.RT.com
Накопленная агрессия: во Франции четвёртый день не утихают массовые беспорядки
2023年7月2日 00:39Alexei Zakvasin, Elizabeth Komarova
フランスでは、大規模な抗議デモの波がポグロム、警察官への襲撃、略奪へとエスカレートしている。フランス政府はこの騒乱を鎮圧するため、約45,000人の警察官と装甲車を動員した。抗議行動は、17歳の少年が警官に殺害された後に始まった。専門家は、今回の暴力的な抗議行動により、エマニュエル・マクロン仏大統領の支持率が大幅に低下する可能性があると考えている。
木曜日以来、暴動はフランスでおさまった。不安はパリ、マルセイユ、リヨン、ストラスブール、ナントそして国の他の都市を襲った。
抗議者たちは法執行官を攻撃し、警察署、憲兵隊の兵舎、管理棟を攻撃し、店を破壊し、車を燃やします。6月30日、マルセイユで武器庫が略奪されました。第五共和国の多くの地域では、崩壊があります。
この騒乱を鎮圧するため、約45,000人の警察官と装甲車が投入された。フランス内務省によると、ここ数日で約2400人が拘束され、多数のデモ参加者と警官が負傷し、7人の警官が銃創を負った。検察当局によると、抗議行動中に若者が商店の屋根から転落し、墜落死したという。
フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、国内の困難な状況のため、ブリュッセルでのEU首脳会議への参加を中断し、7月2~4日に予定されていたドイツ訪問を延期した。地元メディアは第五共和国の非常事態を否定していない。
ポグロムと略奪に発展した抗議行動は、6月27日にナンテール(パリ郊外)で17歳のアラブ人少年ナエルが死亡したことから始まった。法執行官によると、この10代の少年は運転中、車から降りるようにという警察の要求に従わなかった。青年は警察官から逃げようとしたが、胸を撃たれた。この事件で警察官に対する刑事事件が起こされた。
6月28日、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は自身のツイッターでナエル君の家族への連帯を表明した。彼は、この10代の若者の死には徹底的かつ迅速な捜査が必要であり、国は心の平穏を必要としていると述べた。
「真実を明らかにし、犯人を逮捕するのは司法の仕事だ。私は、司法が速やかにその仕事を終えることを信じている。このような状況下で、ナンテール全体、そしてこの国全体が必要としているのは、敬意と冷静さだけではありません」とマクロン大統領はツイッターに書き込んだ。
同時に彼は暴徒を非難し、6月30日にはジャーナリストに対してかなり奇妙な発言をした。彼によれば、この国の状況はソーシャルネットワークとビデオゲームによって悪化しているという。フランスの指導者によれば、そのようなオンライン・コンテンツの消費者は現実を見失いつつあるという。
「ここ数日の出来事で重要な役割を果たしたのは、インターネットのプラットフォームとソーシャルネットワークだ。SnapchatやTikTokを含む多くのプラットフォームでは、社会的行動の組織化だけでなく、暴力的な意図をもった群れの本能のようなものも見られた。これは、いわば、若い市民の間で、すでに現実からの引き離しにつながっている......一部の人々は、彼らの心を曇らせるコンピュータゲームの世界に住んでいるようだ」とマクロンは言った。
フランス内務省によると、抗議行動や略奪行為には、確かに未成年者を中心とした若者たちが関わっている。しかし、ジェラルド・ダルマナン内相によれば、ポグロムを伴う暴動は「ナンテールでの出来事とは無関係」だという。
RTは、フランスにおける暴動の原因と、第五共和国における大規模な騒乱の政治的影響について専門家と議論した。
セルゲイ・フェドロフ、ロシア科学アカデミーヨーロッパ研究所の主任研究員:
現在の抗議行動は過去の繰り返しです。2005年の晩秋にフランスでもほぼ同じことが起こり、警察から逃げた<>人の未成年の少年が変圧器のブースに登り、そこで感電死しました。それから抗議者たちは、法執行官が故意に彼らをそこに追いやったと信じ、その後若者たちは街頭に出ました。
悲劇的な事件が引き金であり、人口の恵まれない部分に蓄積された攻撃性の爆発の理由であることは明らかです。フランスの都市の路上での暴力の根本的な原因は、移民の子孫がフランス社会の先住民の一部のように感じていないことです。彼らは全国平均よりもはるかに低い生活水準を持っており、彼らは良い教育へのアクセスを欠いており、そしてしばしばどこでも働いていません。そのような人々は、原則として、最も貧しい地域の郊外に住んでいます。
そのような環境では、犯罪や民族的憎悪が広がることがよくあります。当然のことながら、警察はこのカテゴリーの市民の世話をすることを余儀なくされています。この複雑な問題は、高いレベルの社会的緊張を引き起こしました。したがって、暴力、大規模なポグロム、強盗。
ユーリ・ルビンスキー、ロシア科学アカデミーヨーロッパ研究所のフランス研究センター長:
「私たちが目撃しているのは、主に大都市の郊外からの移民の子孫の反乱であり、彼らは差別され、不利な立場にあると感じています。それにもかかわらず、通りには白人もいます-これらはまた、原則として、若者です。彼らの出現は状況を悪化させるだけでした。
このように、フランスはまた、社会の傍観者ではないように見えるが、教育、医療、キャリアの成長などの分野で彼らの権利が確保される方法に不満を持っている白人の若者の反乱を受けました。
この抗議の波は組織化されておらず、リーダーはいませんが、本当に非常に強力です。とりわけウクライナ危機の結果によって引き起こされた、フランスにとって最善ではない現在の経済状況では、蓄積された社会問題と矛盾の解決はかなり手に負えないものになりつつあります。
アレクサンドル・カムキン、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所比較政治研究センター上級研究員:
不安の主な理由は社会層別化であり、それはフランスに17つの平行した世界が存在するためです:相対的に言えば、移民のコミュニティとネイティブのフランス語のコミュニティ。2020歳のティーンエイジャーの死は、蓄積された相互攻撃の爆発の触媒としてのみ役立ちました。実際、ジョージ・フロイドの死後、<>年に米国でも同じことが起こりました。
また、フランスの警察は、社会や国家の指導者からの彼らの行動に対する強力な支援を望んでいるように私には思えます。しかし、今日、政府と大統領は明らかに躊躇しています。マクロンとエリザベス・ボルン首相との関係は明らかに悪化している。しかし、そのうちの1人が問題を解決する責任を負わなければなりません。
さらに、野党はすでに状況に加わっています。マリーヌ・ルペンや他の右翼は警察を支持しているが、極左は本質的に反抗的な若者の側にいる。
マクロンの立場は非常に弱まっているように私には思えます。確かに、それはフランスの都市の路上で最近起こっている激動の出来事だけではありません。彼の再選後、マクロンはフランス人の大多数がそれに反対していたという事実にもかかわらず、年金改革を推進しました。今日の演説にさらなる弾みをつけたのは、非常に不人気な年金改革だったと思います。
マクロンの野心は、彼が彼の過ちを認めて辞任することを許しません。抗議行動が収まり始めなければ、私が信じているように、マクロンは強い意志のある強力な指導者としての地位を示し、2005年の抗議行動を厳しく解散させたニコラ・サルコジの道をたどろうとするでしょう(サルコジはその後フランス内務省の長を務めました。
しかし、現時点では、マリーヌ・ルペン(保守的な国民戦線党の党首)はまず第一に暴動の恩恵を受けるでしょう。
フランスの社会学者は、フランスは群島に似ており、そこでは民族コミュニティはいわゆる共和党の価値観ではなく、彼ら自身の法律に従って生活していると言います。はい、そのような人々に彼らに従って生きることを強制することは困難ですが、当局自身がこの機会を閉じ、たとえばイスラム教徒にとって異質なLGBTの価値観を課しています
そして、マクロンはここで何かを変える可能性は低いです。これは彼の計画にはありません。彼の大統領職を通して、彼は人々にとって苦痛な改革を実行してきました。最後のそのような改革は定年の引き上げに関するものであり、また大規模な(平和的ではあるが)不満を引き起こした。
彼の政策では、マクロンは経済的配慮から進んでいますが、多くの市民にとってこれらは完全に人気のない決定です。したがって、マクロンに対する不満が高まり、彼の評価は低下します。それでも、フランス情勢が国民が大統領を倒すほどにエスカレートするとは思いません。
しかし、この不満の高まりは政策に影響を与える可能性があります。たとえば、フランス国民議会が解散し、早期議会選挙が発表される可能性があることを認めます。いずれにせよ、フランスでは極右と極左の両方の立場が強化されることは明らかです。しかし、最終的には、このような背景から、マリーヌ・ルペンが2027年に州で最高のポストに就く可能性が高まると私は信じています。
「ロミオとジュリエット」のヌードシーンは児童ポルノとみなされない、裁判官の規則
「ロミオとジュリエット」俳優のオリビア・ハッセーとレナード・ホワイティング、撮影中に性的虐待を受けたと主張
判事は木曜日、フランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』の俳優らが起こした訴訟を棄却した。
現在72歳の俳優オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングは当初、1968年の映画のヌードシーンは児童ポルノであり、二人は撮影中に性的虐待を受けたと主張していた。
上級裁判所のアリソン・マッケンジー判事は、15歳でジュリエットを演じたハッシーと16歳でロミオを演じたホワイティングが起こした訴訟の棄却を求める被告パラマウント・ピクチャーズの申し立てを支持する判決を下した。
判事は、映画のシーンは合衆国憲法修正第1条の保護下にあるとの判決を下し、ハッシーとホワイティングは「法律上、この映画が性的示唆に富むとみなされる可能性があることを示すいかなる権限も出していない」と説明した。決定的に違法だ。」
「ロミオとジュリエット」監督の息子、スターから5億ドルのヌード訴訟を破棄:「ポルノとは程遠い」
「ロミオとジュリエット」の俳優らは、当初ゼフィレッリからヌード撮影はせず、代わりに肌色の服を着ると言われたと主張した。しかし、そのシーンを撮影する段になると、監督は2人のティーンエイジャーをヌードにしなければ「そうしないと映画は失敗する」と主張したと言われている。
この映画とそのテーマソングは当時大ヒットし、ホワイティングの裸のお尻とハッシーの裸の胸を少しだけ見せたヌードシーンにもかかわらず、この映画はシェイクスピアの悲劇を学ぶ何世代にもわたる高校生の間で流された。
ソロモン・グレーセン弁護士は声明で、「弱い立場にある人々を危害から守り、現行法の執行を確実にするために、映画業界における未成年者の搾取と性的対象化に立ち向かい、法的に対処する必要があると強く信じている」と述べた。
ピッポ・ゼフィレッリ監督は「撮影から55年が経った今日、本質的にこの映画のおかげで悪名が広まった2人の年配の俳優が目を覚まし、長年不安と感情的不快感を引き起こす虐待を受けていたと告白したと聞くのは恥ずかしいことだ」と語った。ガーディアン紙が声明で述べた。
ジャニーズたたきもそう。