はてなキーワード: チンピラとは
簡単やで
叩き増田やチンピラ増田には志も好奇心も無ければやってる感を得られる趣味もないからやで
志があればそれを達成するために目標が決まる、その目標をどうやって達成するか常に考えとるし実行して達成できれば満たされる
好奇心があれば興味を持ったことで頭が一杯になってるし知る悦びで満たされる
何でもいいから打ち込める趣味が有れば何気ない時間もその趣味のことで頭がいっぱいになってるしやってる感を得られて満たされる
叩きに邁進しとる奴はな、長く生きてきたのに己の人生の核になるものを得られなかったんや
だから人生を楽しんでいる者に対する劣等感に満ちててな、何もしてないとな、人生を楽しんでる奴と無意識に比べてな、情けない自分を己の脳が叩いてくるねん
以前から生成AIは著作権侵害じゃない云々の話で荒れてたしパブコメやらなんやらで最近話題になってたけどもっと環境が悪化してる。
情報商材やや怪しげなAI絵師がうろついてるのはともかくとしてイラストレーターに対してのネットリンチ多すぎて理解が追い付かない。
イラストレーターが懸念やら意見をだしたらシュババババってきてネットリンチしまくっててただのネットチンピラじゃないかと。
生成AIは合法みたいなのを繰り返し言ってるけど、ネットリンチやなりすましやら営業妨害に使っても合法のなることはないんじゃないか?
カラオケ行こ!観た。
いつもならシャバい実写化映画と無視していただろうけど、TLのオタクが良かったと言っていて逆張りセンサーが停止した。
ソフトBLっぽい感じなのかなと思いつつ、菊次郎の夏とかムーンライト的なヤクザと少年の文脈で見れば行けるか、と思って観に行った。綾野剛とハリーポッターみたいな少年というキャスティングではありつつ、絵柄による先入観もなかったのでその辺は観る側次第な気がした。綾野剛スタイル良いな。
冒頭のシーンでそういえば合唱モノも嫌いだったなと思い出して不安になったけど、その辺のバランスも良い感じだった気がする。歌がテーマではありつつ、歌いすぎないことで最後の紅も際立ってたし。
最初の紅は素人のカラオケとして別に全然下手でもないような気がして、よくよく思い出せば別にド下手と言っていた訳でもなかった気がするけどちょっと引っかかった。まあその分中盤のヤクザ達のインパクトがあって良かったのかもしれない。
ヤクザのコワさや部活の悩みも挟みつつ、あの気の抜けたBGMと共に一貫した軽妙なコミカルさを楽しむ作品という感じだった。紅の天丼とか結構フフッとなった。
和田君とか映画部のアイツとかも良いキャラしてたし、過不足なくちょうど中学生といった感じのやり取りもまた箸休め的に楽しめた。映画を見る部で流れてたのはカサブランカと自転車泥棒と、あとは何だったんだろうか。
変なヤクザに翻弄される可笑しさから、徐々に打ち解けて互いの軽妙な関西ノリの面白さへと変わっていって間延びもせず退屈しない。
チンピラに絡まれたり調子づいてカスと言って掴みかかられたり、ヤクザの怖さを描く場面でコミカルさから離れてピリッとするけれど、あんまり漂白された(もちろん本作でも相当されてはいるものの)反社会勢力というのもなんだし、それじゃただヤクザを名乗る変な人になってしまうし、あれも必要な場面だったなと思えた。ありがちなコメディでは物語に展開をつけるためのこういうシーンが中弛みめいて感じるけど、特にそういう印象を抱かなかった。
無神経にも学校に現れた狂児に同級生との揉め事をからかわれて、もう知らん!一人で困ってろ!ってなった後にLINEで大人の対応をするのが、少年とやくざ者の友情の距離感というものを端的に表すようで非常に良かった。
俺は迷っていたけど「まあ報道に悪意があるだけだろ!」と自衛隊に入ってしまったがめっちゃ後悔してる。
上の世代はモラハラしまくりで、下はヤンキー崩れみたいのが多すぎて、要するにどの世代も一通り駄目だな。
そのくせ生存能力だけはあって猿山のボスを見つけて取り入るセンスとか、チンコロしなそうなやつをパシリとして目をつける嗅覚はある。
実際、そのレベルの高校から高卒で入ってきてる人間も多いっぽい。
良い奴ばかりじゃないけど悪い奴ばかりでもない中で、上の世代が「良い人なんだけど価値観が昭和で取り残されている」というパターンが多くいてそこがしんどい。
パワハラするのは当たり前で咄嗟のときに人を殴ったり、殴るようなポーズを見せて「昔だったら殴ってたぞ」でアピールしてくる。
そもそも間違ったことをしたら殴るという態度を示すこと自体がアウトなので、手に持ったバインダーを相手の頭にポンと置くだけでもアウトってことが理解できてないっぽい。
男女差別的な発言も結構多く「女はこういう時」「男は結局」みたいな発言がチラホラ聞こえてくる。
そういった人達もそこまで悪い人間ではないので倫理観が欠如してるってほどじゃないと思う。
下の世代はピンキリがより強烈になり、ヤクに手を出す犯罪者、後輩から金をたかるチンピラ、供託金からこっそりつまむパチンカスといった多様な駄目人間が住み着いている。
まあ自衛隊レベルの偏差値ならこの手の輩はそれなりにはいるのだろうが、コイツらに銃を撃つ練習をさせている組織であるというのはどうにも恐ろしい。
情報漏洩をしませんとか、ハラスメントをしませんとか、そういったことについて宣誓文を丸写しして直筆で書けと言うのだ。
やってることのレベルが低すぎるだろ。
意味を理解して自分なりにレポートを書けなら頭が悪いなりにまだ効果は感じるが、写経なんて全く何の効果もないだろ。
ハラスメント防止教育とかをやると、聴講者の半分以上が寝るのだ。
本当に寝る。
なまじっか毎年やっていて、使うパワポも5年ぐらい使いまわしてるっぽいのでそりゃ何度も聞いてる人が寝てしまうのは仕方ないのだろう。
だが、それを横で見て「そっか寝ても良いんだ」と思って次々に寝ていくのは流石になんとかしろ。
話している側も完全に諦めているのか寝ている人間は放置している。
教育をしてもちゃんと聞かせたい奴ほど寝るなら、もう写経しかないんだろうな。
それだったら少なくとも「写経はさせましたが」という言い訳は出来るだろう。
と、いう態度が実に気に食わん。
言い訳が出来ればオッケーで終わらせてんじゃねーよ。
結局この組織は老害~新人まで蔓延るモラルの無さについて本気で対策するつもりがまったくないんだ。
やっていることに本当に生産性があり「優先すべきは営業利益!」というならまだしも、自衛隊の存在意義なんて「国民のためにいざとなったら動ける連中を鍛えて溜め込んでおく収容所」でしかないわけで、そこのモラルが終わっているのはどうしようもなさすぎるだろ。
この組織でちゃんと教育してることなんて行進で足が綺麗に揃ってるかの確認ぐらいだろう。
射撃でさえ終わった後に「全然できなかったわwwww」「ま、こんなもんよwww」「どうせ一生実戦で使わねーしwwっw」と話しているんだからな。
撃って走ることに対してそんな態度の軍人ばかりって、もう存在意義ないだろ。
それならせめて行儀よくあって欲しいものだが、実際には倫理観が終わっとる。
というわけで辞めるわ。
本当クソ。
早く死んでくれないかなあ
元々コント嫌いな所から来て、浜田雅功のチンピラ芸が嫌いってのがあると気付いた。
その点で、松本人志と言う人物そのものは浜田ほど嫌いではなかったと言うのも発見したりした。まぁ無関心とも言うが。
過去形なのは、今回の件で最近の振る舞いとか活動とかを知って、漫画に出てくる悪役みたいな事ばかりやってるんだなあと思ったから。その点で浜田雅功は淡々と自分の仕事をこなしているんだなと気付く。嫌いだけどな。
コントというのは
と言うのが本質だからだ。これは萩本欽一らによるコント55号が根本にあると思っている。
これは最近の「誰も傷つかない笑い」の話からすると真逆で、新喜劇やコント55号以前のお笑い、例えばクレイジーキャッツやドリフターズなどの言わば喜劇をベースとしたものと異なると思っている。
極端なことを言えば、これは白人連中が黒人を誇張して真似て嗤うのと同じことだと感じてしまう
なので、ダウンタウンがやろうと、内村光良がやろうと、東京03がやろうと嫌いである。最近はそう言う本質が見破られてきたのか、だんだんと需要がなくなって消えているのがうれしい。このまま消滅してほしい。
上記のコント芸の「普通」からちょっと外れた人々、つまり異質な人間を嗤う芸の嗤う部分だけを取り出し直接的に弄るようなものだからだ。
そしてそれに加えて浜田雅功の場合は、そうやって凄んで見せて相手がビビって萎縮するところを浜田と一緒に嗤うことによって成立している所がより笑えない。要するに弱い者いじめの当事者とその周りでいじめられているのを笑ってる聴衆という図そのものであり、何が楽しいのかさっぱり分からない。
それに対して松本人志はふざけた事をいって笑わすタイプだったように思う。チンピラ芸と違い、純粋に自分を笑いものにしたり滑稽芸で笑わせにいくタイプの芸人を普通に笑っていて、芸として威圧したりしていなかったと感じている。
浜田雅功よりはマシだと思っていた。
ただまぁダウンタウンの笑いそのものが合わないので、最近は全然見なくなっていたわけだが。
で、アマプラのCMうぜーぐらいに思っていたら、今回のこれである。
ウッチャンナンチャンについて。内村光良がコントが好きでそもそもコントが嫌いなのだが、同時にお題を与えてそれで芸人が答える形でおもしろい事を引き出す芸も持っているためダウンタウンよりは良いと思っている。
とんねるずは、若いころはヤンキーそのもので嫌いだったが、歳をとってから彼らの気持ちが理解できるようになった。ひたすら身内身内に引きこもる感じだが、とんねるずは身内にネタ振りはするが威圧したりいじめたりはしないと言う事に気付いたからだ。一緒に出演する奴をみんな先輩か後輩かタメという地方の高校の部活動みたいな感じでシンプルに分類してネタ振りするみたいな奴。そのグループの中に積極的に入りこみたいとは思わないんだけど、こう言う連中は自分のグループの外にいる奴を攻撃したりはしないし、オタクにやさしいギャルならぬ、オタクにやさしいヤンキーみたいなところで異物にたいしてやさしいのである。
1人で飯を食うのが寂しくて後輩に電話銃弾爆撃して呼び出して馴染みの中華料理屋で奢る代わりに絡み酒するとか、半強制的にフットサルチームに誘うとかそういうことはやらかすだろうが、自分の代わりに女をナンパさせるなんてことはやらないと思う。
松本人志は昔から良くも悪くも尼崎のチンピラ風味おじさんで、お笑いの才能だけの人だった。
権威に据えるのは間違いなのだが、お笑いの功績があまりにも大きすぎるせいで周りが祭り上げてしまった。
みんなそういうの全部分かった上で見てるんだと思っていた。
TV番組とかでもそういうことをやっているってやや漏れ伝わってくる話だったし、今回の話も事実だと思う。最初から松本が潔白だなんて思ってない。それがトラウマ化して20年も苦しんでいる被害者女性は気の毒なのだが、後輩芸人含めて松本サイドにはやっていることの自覚・ましてや悪意などなかっただろう、というのも分かる。
やはりどこまでいっても、尼崎のチョイ悪の、あの時代のおっさんだったのだと思う。
今回一番キモいと思うのは、落ち目になったと見るや否や「空気を読んで」いきなり批評を始める連中なんだよな。
“権威”相手には絶対に声を上げないくせに。「川に落ちた犬は棒で叩け」の精神だ。