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はてなキーワード: チンチョンとは

2024-01-27

ヨーロッパでニーハオやチンチョンチャン言われたら

ヨーロッパアメリカよりも差別が野放しにされている地域であるので東アジア人を見かけると全員中国人だとバカにして「ニーハオ」とか「チンチョンチャン」などと話しかけてくることが多い。特に若い低学歴の男にこのようなことをしてくる者が多いので、彼らにこのような声掛けをされた場合は"Fucking redneck, KKK nigga, you bustard Nazis"と叫び中指を立てて銃を取り出す仕草をすれば良い

2023-08-08

「ニーハオ」と言われるのは差別か、というやつ

ヨーロッパの国での駐在旅行好きのため色んな国を回った経験あり。

Twitter話題になってた、アジア人が「ニーハオ」って言われるのは差別?っていうやつ

差別じゃないよ。ニーハオって言われて嫌なのはそれが差別でしょ?」みたいな人がまだいてびっくりした。たぶん「あの感じ」を体験したことがない、もしくはクッッッソ鈍いか白人からのお言葉ならなんでも喜ぶ人なんだと思う。

これ、体験したことない人のイメージって

「ニーハオ☺️(にこやか)(さわやか)」みたいな感じだと思うのよ

もちろんそういう人もいる、アジア文化に興味があったりね

自分も「コンニチハ」って話しかけられて、日本語勉強してるんです、もし嫌じゃなかったらお話しませんか?って言われて一緒に旅するみたいなあったかい思い出もある。

でもほとんどはさ

「ニーハオ🤪🤪🤪www(チンチョンチャンwww)(アジア人www)(ファーwww)(ニヤニヤニヤwwww)」って感じなのよ

もう全然違う 悪意10000000000000%

被害妄想だ」って言う人は

日本人が浅黒い肌の外国人にわざわざ近づいたり遠くから笑いながら「ナマステwwナマステwww🥴🥴カレーwwwwwwナンwwwww」って言うのを想像してほしい

シンプルに異常じゃない?

なんか「あの感じ」がよく伝わるビデオとかあったらいいのにな…と思う

というか、「自分差別を受けるはずがない、差別をする人なんてそんなにいない」と思ってる人ほどマジの差別を受けた時どうしようもなく絶望しそうだから心配になる

2023-01-20

anond:20230120004227

他人に関心を持つ社会は、すれ違っただけの知らないアジア人に「チンチョンチャン!」と声をかけたり、風変わりなファッションを着込んだ若者を見るなり苦言を呈したり、飛行機に乗っただけで隣の客からあれこれ話しかけられたりする面倒な社会と表裏一体。

他人と関わらないことによるメリットデメリットを上回ると判断して他人と関わらずに済む社会を作ってきたのが日本人

おいしいところ取りはできない。

2022-12-06

anond:20221206172614

リベラルダブスタを許せない保守、いざ自分達がダブスタする時に自分の首を絞めるって気づかないのかな。

チンチョン発言文化盗用に寛容なのは別にどうでもいいとして、リベラルダブスタに対しても寛容に振る舞っておけば自分自身のダブスタリベラルに許してもらえるだろうにね。

anond:20221206172614

チンチョンチャンって中国語発音馬鹿にするやつでしょ?

なんで日本人ダメージ受けんの?中川家モノマネとたいして変わらないじゃん

2021-07-21

差別された私にもあるもう一つの差別

アジア人差別」をしたフランス人が「差別じゃない」と本気で否定する理由

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/85321

これを読んで、海外人間があれは差別じゃないという主張は、認めはしないが言わんことは分らんでもないと感じた。

私自身も海外に長く住んでいるが、アジア人を「チャイニーズ」と呼ぶことを彼らは全く差別だと思ってない。

まりにも失礼な場合は「日本人だよ、君は教養がないんだね」と言い返してた。

バッハチャイニーズと言い間違えた時は、やっぱり共産党大事なんだろうとか

ただの言い間違えと捉えた人は多かっただろう。

ただ海外に住んだことある日本人なら思っただろう。

「またか、いつものあれか」

国によって違うが アジア人 = チャイニーズと思ってる人は死ぬほどいる。

何度も何度もそういう場面に遭遇して、いつしか嫌悪感を抱くようになった。

本題はここからなんだが、その嫌悪感理由に気づいた。

一つは彼らのあまりにも無知で無邪気な素振り

もう一つは中国人を見下した私の考えだった。

我々日本人とあの中国人を一緒にするなという気持ちが怒りの根底だった。

それがチャイニーズではなく、「アメリカン!」や「モンゴリアン!」なら笑って否定できただろう。

一般的日本人中国の方への偏見差別に対して無頓着すぎる節がある。

ポリコレ全盛期にも関らず、いまだにテレビ中国の人の喋り方を模写して馬鹿にした芸が見ることができる。

中川家の芸と外国人がする「チンチョンチャン」に何の違いがあるだろう。

他にも「~でアルヨ」とかいくらでもテレビ見たりできる。


その事に気づいてから、まず私が抱えていた差別を無くす作業を始めることにした。

もし、この文章を読んであなたの内側にも差別があるなら、

まず自分自身が持っている差別気持ちを失くしませんか?

2021-02-05

anond:20210204232207

道端でアジア人を見たらチンクチンクと囃し立てたりチンチョンチンチョンと謎の中国語モノマネ揶揄ったり指を目の横に当てて吊り目ジェスチャーするのをやめたところで何年でアジア人差別がなくなるかのエビデンスがないからそのくらいはやってもいいでしょ、楽しいし。

エビデンスがないのに人の行動を制限しちゃいけないよね、殴られたわけでもないんだし気にしすぎだよ。

て言われても俺はそういうのは人種差別を感じるからやめてほしいわ。

2015-06-25

笑わなければ、人生勝てない

 海外で小売り、20年。店について、シャッター開けてから、前を浮浪児が二人、10才、8才くらい、裸足で小さなアルコールトルエンの缶を持って通り過ぎようとしたら、振り返り立ち止まっていた。ふらふらして、ニタニタ笑っている。中毒者で、大きいほうが小ぶりのナイフを持っていた。怖がるとかえって、図に乗るので、こちらも笑いながら、どうしたのと声をかける。さあ、かかってきたらどうするか。一瞬考える。脇にある折りたたみのテーブルをぶん投げてとか。彼らは、チャンチンチョンと言いながら去っていった。怖いと思ったら生活できない。家族を養うことはできない。弱気になったら負けだ。

2015-01-13

エクスキュースとしてのリベラル

http://anond.hatelabo.jp/20150111070135

少し話が違うけれど、年末ネタのような話題があって

を書いたものです。

その記事はてなブックマークに、

mahomi4 全く的はずれすぎ。

というコメントがありまして、この人の見る当を得た見解ってのはどういうものなんだろうとブックマークをたどったところ、

http://blog.goo.ne.jp/iida-miki/e/0d68f604177d2bdeb387e20a5dc9afb0

フランス新聞社 シャルリー・エブド襲撃事件について

という記事にたどり着きました。扱っている事実が同じなのに見解正反対というのもなかなか面白いのですが、少々以上に気持ち悪いと感じたのも事実です。

その気持ち悪さを説明するのも手間がかかるのですが、やってみますと、

さて、そのアンテグラシオンやら政教分離があるので、

親がどの国出身でどんな宗教を持っていようがフランス国民として

平等に生きていけることになっている。とはいえ本当に違いがないか、

住む場所や肌の色、名前判断されていないかといえば

実際には「平等」なんて言えないだろう。アンテグラシオン

うまくいけば(理念上は)素晴らしいけど、そんなに簡単に

適応できないこともある。フランスは今でも階級社会の名残が

あり、地区ごとに生活環境もかなり違うので、移民の子として生まれ

様々な葛藤感情を抱いて育つ人がいるのは想像できる。

(今朝のLe Mondeにはシャルリーの絵に対して今でも怒っている

イスラム教徒中学生の話が載っていた。)

アンテグラシオンやライシテの実態について、その限界認識しながらもルソーまでひもといて、全体的にはフランス万歳!とまとめている点です。ベルばらオスカルでしょうか。

私がすごく気持ち悪いと言うのは、こういうことをフランス人が言うならまだわかるのです。マジョリティの側にはどうしても見えてこないものというものがあります。それは善悪問題ではなくて立場問題です。

有働出人みたいな人がそうでしょう。まあ、あの人の活動はそれなりに有意義な部分がありますが、あの人に代表されるような白人マイノリティは、有色人種の国、それも支配階級にはならない日本韓国に来て、初めてマイノリティ性というものを味わうことになります。そうすると見るものさわるものすべてが刺々しく感じられる。

アメリカにいる時は警察官黒人を狙い撃ちにしてもあまり気にもしていなかったような人が、職務質問日本警察官にされると激怒する。年間何十人と言うレベルで何とかバッシングで死者が出ているオーストラリアから来た人が、じろじろ見られるくらいで韓国レイシストと騒ぎ立てる。

こういうことは日本では私たちマジョリティから言われて初めて気づくという面もあります。言われてもただ反発するだけということもあります。自らがマイノリティとなった時に、マジョリティである時の視線・態度をかえりみるにまでなれればいいのですが、残念ながら、女性暴力を振るう黒人男性同性愛者を差別する女性は珍しくありません。

そしてそれを更にマジョリティの側が、見ろ見ろ、連中はこんなに野蛮だぞとはやしたてる。

あるドイツ人と話していた時、我が国民主的リベラルで、世界に冠たる我がドイツ、みたいな話になって笑ってしまったのですが、まあそれはその人個人の話なので、ドイツ人って全然変わっていないよねとは言わないでおきましょう。ただその人には人種差別はどこにでもあるけれど、東洋人がしつこくチンチョンチャンとまとわりつかれる国はドイツ以外ではそんなにはない、年間百人以上ヘイトクライムで殺されている国はそんなにはないということは「見えていない」のですね。

リベラルであると言うことが、他者を見下すこと、見ろ見ろ連中はこんなに野蛮だぞってなることが、リベラルがそのためのエクスキュースになることがあるのです。

リンク先の記事の何が気持ち悪いかと言えば、日本人で、パリに住んでいて、未だにシャルリー・エブドに怒っている中学生新聞記事しか見たことがなくて、見えないゲットーに守られていてマジョリティのような顔をしている、それがすごく気持ち悪いのです。

国民戦線ルペンだって、アンテグラシオン同化政策と言う意味で、ライシテはイスラム強制的に同化せしめると言う意味で大賛成なのですからね。

歴史をひも解いて言うならば、フランス革命以後、フランスは確かにリベラル原則を打ち立て、それを徹底してきた歴史があります。公平を期して言うならば、第一次世界大戦後、日本列強要求した人種平等原則英国アメリカは反対しましたがフランスは賛成したと言うことも付け加えておきましょう。

しかし同時に、そのリベラルでライシテな共和国下においても、フランスもまた数々の非道をなしてきたことは忘れてはなりません。

フランスでは支配層の横の流動性が高く、文化人メディア関係者政界に横滑りすることも珍しくはありません。新聞人であったクレマンソーが第一次大戦期のフランス首相であったように、エリート層は全体として支配階級形成していますポールデュシャン二十世紀半ばのジャーナリストで、第四共和政期にアルジェリア行政官に就任して、監獄を視察しています。その時、アルジェ独立派囚人たちの身体に、拷問の後があるのを見て首都に報告しています。その拷問の傷跡は、デュシャン自身の身体にもありました。ナチスに捕らわれていた時に拷問された跡です。

パリ解放の日の記録をサルトルが書き残していますルクレール将軍に率いられた自由フランス軍の入城をもってしてナチスパリ占領は終わりを告げて、自由だ!自由だ!というはじけるような喜びを書いています。そうして成立した自由フランス、ライシテなフランスの下でアルジェリアでは拷問が行われていたのです。

インドシナでのフランスの動きも決してほめられるようなものではありませんでした。フランス当局もいちまいかんで行われた人身売買ナチスから解放された人たちの手によってなされたものですし、フランスインドシナ独立を抑えるため、アメリカに対して原爆の使用を執拗に求めています。これも、自由なるフランス言論の自由フランス体制下でなされたことです。

はいちいちフランス過去の悪行をあげつらって、批判したいのではありません。フランスリベラル諸制度国家制度の補完部分であるにすぎず、国家制度のものを、相対化して批判するようにはなっていないということを言っているのです。フランスの内部にいるシャルリー・エブドは水の中にいるため水の重さを知りません。自分がネジであるに過ぎないことを理解できていないのです。それは結局、彼の中にマイノリティ性がないからであってマジョリティ側の暴力について無自覚であったからです。能力問題ではありません。性格問題です。

批判と言うもの嘲笑侮辱にならぬよう、あるいはそうなっても構わないのは権力の側に対してのみ、その注意深さが必要です。風刺画というメディアは明らかに全方位になす批判方法にはむいていません。

 
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