「チュート」を含む日記 RSS

はてなキーワード: チュートとは

2018-11-03

anond:20181103184912

メディアって結局は広告を乗っける下請け業務ビジネス構造なわけだけど、広告費でメディア自身を維持することによって「広報力」というリソースを自社保持することが可能になるわけよね。このリソース財産に変換するモデルとして、「なんらかの財物を購入しておいて、後付でこの財物価値広報で盛り上げる。財物価値が高まったところで転売するなり、貸し出すなりして金銭を得る」っていうビジネスモデル発明された。

このモデルの主な戦場不動産で、鉄道(主に私鉄だが時にはJRも)とメディアテレビ新聞)と広告代理店の三位一体が我が世の春を謳歌したのが、バブルという時期だったわけ。そういう意味では西武も堤王国JR-SkySkyもチューチュートレイン森ビルも全部同じ文脈に属している。

2018-10-11

メインをメーンって言うの辞めない?

メーン会場、メーンキャスターといった言葉をよく聞く気はしないか

なんともなく間抜けな響きだ。

メーンって聞くとどうしても剣道の掛け声にしか思えない。

メインがメーンなら、ドメーンだし、チューチュートレーンだし、24時間戦うのはリゲーンだ。

これを何コレクトネスっていうのか知らないけど、浸透してる言葉を無理に直す必要はない。

なんでもかんでも統一しなくていいのよ。

メールメイルじゃなくてメールでいい。メインはメーンじゃなくてメインでいい。

規則にのっとらせたい症候群の皆さんは少し落ち着いていただきたい。

2018-01-15

丁寧語とは 【初級関西弁講座】

丁寧語とは、眼前の相手への敬意を表す言葉であって、単なる「敬語」という意味ではない。言ってみれば、部下が上司にする言葉遣いである。一方「しゃーない」はどちらかと言えば上位者から下位者になげかけられる男性語における関西弁俗流表現であり、軽い侮蔑語としての「アホか」に近いニュアンスすらある。「シャーナイヤン(1)」「シャーナイヤロ(2)」とか「シャーナイヤンケ(3)」「シャーナイチュートンノジャ(4)」など、「シャーナイ」のヴァリエーション(※1)を考えれば、ほとんど罵倒語ですらあるので、これを丁寧語にするというのがまず発想として奇妙である

また、コレを無理に「仕方ない」の意の丁寧表現と取るとしても、一般関西弁ネイティブ世界で、たとえば部下が上司に向かって”仕方ない”という自分感想を直接的に述べるシーンというのがまず想定しにくい。関西弁は非常に日本のものであるような文化体系に基づく言語なので、「仕方ない」出来事に遭遇したときには、出来事の「状態」を描写するよりも、古語のようにその状況に遭遇した「相手の心情」を慮って言葉が発せられ、これによって相手へのより強い敬意や遺憾の念を表現するのが普通からである。従って、「しゃーありません」などという妙な言い方は、ネイティブからは出てこない。これは、表面だけ関西弁だがハート関西弁ではない人間想像で喋るエセ関西弁である朝ドラなどで非常に頻繁に見られるが、イントネーションを似せれば似せるほど不気味の谷に近づいて違和感があるのでこういうのは本当に止めた方がいいと思う。(※2)

さて、ではネイティブはこういう場合なんと言うのか?

たとえば「上司契約を取るため条件を下げるよう上にかけあってきたが、社の方針ダメだと言われる状況に遭遇したときの部下の一言」を想定するならば、「コレ、ホン↓トニナン↓トモナラナ↑イン↓デスカネー…」が正解だ。やや棒読み最後を低く呟くように発音するのがコツである。「何ともならない」ことを分かった上で、敢えて相手の心の内を代理的に言語化する。一番「何ともならない」ことを分かっているのは上司だ、との了解の下で(棒読み口調によってこれは察せられる)敢えて一段自分を低め、道化となって「分からないフリ」をすることで、上司自身に「マアナラヘンナ/無理↑ヤ(=仕方ない)」と言わせるための一言である。これはかなり気を遣った「仕方ない」の関西弁による丁寧表現である。「仕方ない」とこちから言うのではなく、相手に「仕方ない」と分からせるために相手の心情を思い諮り、同時に敬意を表現する。こういう柔らかな「寄り添う言語としての日本語」の特長を、日本の伝統大事にされる方々には関東においてもぜひ日常的に取り入れてもらいたいと思うばかりである

また、もう少しカジュアルに(カジュアルという概念自体関西文化にはうまくそぐわないのだが)表現すると? たとえばちょっと丁寧に同格の同僚と喋るようなケースで「今後こういう傾向になっていくのはやっぱり『仕方ないですね』」という内容を言う場合どうなるか。その場合は、自立語ではなく付属語補助動詞表現することになるだろう。つまり、「ない」自体敬語化されるのではなく、「仕方ナイ↑デスネー」みたいな感じだ。女性表現としては、「仕方アリマセンネー」が考えられ、これは増田の想定に一番近いのだが、女性語の場合丁寧な社交の場では言葉関東弁に近づくケースがあるので(これについては谷崎潤一郎小説細雪」の中でも少し触れられている(※3))このようになる。

以上、増田の初級関西弁講座であるネタであることは言うまでもないので話半分に聞いておくように。ホナマタ

https://anond.hatelabo.jp/20180113124118

※1 厳密に言えば、「シャーナイ」とほぼ同義で使いうるのは「アホクサ/アホカイナ」である。前者は事態を、後者相手を軽くあしらい流すときに用いられる。ただ、このような間投詞的な「アホ」(詠嘆の「アホ」という)の用法は、シチュエーションにより様々な意味を含有するので、非ネイティブ使用するのに苦労する部分である。「アホ」は本来道化クラウン)を意味する言葉だが、同質性の高い世界において道化役は時に非常に重要役割を果たすものであり、それが関西文化圏では共通了解とされているため「あいつアホやな」という言葉批判ではなく、時に非常な敬意や褒め言葉になりうるし、また若年女子が用いる「アホっ」は、おおむねソフトな「I like you.」の意味了解されるのである

 なお、「ヤン(1)」~「チュートンノジャ(4)」に至る変化は、一見微妙に見えるがそれぞれ

「(1)仕方ないじゃないですか?(=だからあきらめて貰えませんか?(依願))」

「(2)仕方ないじゃないか?(=だからどうしようもないと考えなさい。(命令))」

「(3)仕方ないと私は言っているでしょう?(=ひょっとして言いがかりを付けて喧嘩したいのですか? 何ならお相手しますよ?(威嚇))」

「(4)仕方ないとこの私が言っているのだ。(殺すぞ(予告))」

…という意味となっており、特に(2)から(3)に変化したときは明らかに相手モードが変化しているので注意が必要である。親切なネイティブならば、語尾に「ヨォ」という威嚇語を追加し「シャーナイヤンケヨォ!」とメンチ(接近して目を合わせる威嚇のポーズ)とともに発音してくれるので、こちらは非ネイティブにも分かりやす表現となるが、できれば(3)を聞く前に第三者を介入させるか和解を申し出るのが望ましい。

※2 たとえば朝ドラなどで、番頭はんがお嬢さんに「仕方ナイデッシャロ」などという奇妙な関西弁を用いる「けったいな」シーンは容易に想像できる。このように関東人がエセ関西弁を振り回して「関東人の思う関西人」を演じているのは、実際典型的な「文化の盗用」であり、今後厳しく批判されていくことだろう。

※3 谷崎潤一郎細雪(上)」より。(舞台戦前なので、約80年前の話である。)

彼女は相良夫人のような型の、気風から、態度から、物云いから、体のこなしから、何から何までパリパリ東京流の奥さんが、どうにも苦手なのであった。彼女阪神間の奥さん達の間では、いっぱし東京弁が使える組なのであるが、こう云う夫人の前へ出ると、何となく気が引けて、――と云うよりは、何か東京弁と云うものが浅ましいように感じられて来て、故意に使うのを差控えたくなり、却って土地言葉を出すようにした。それに又、そう云えば丹生夫人までが、いつも幸子とは大阪弁で話す癖に、今日はお附合いのつもりか完全な東京弁を使うので、まるで別の人のようで、打ち解ける気になれないのであった。成る程丹生夫人は、大阪っ児ではあるけれども、女学校東京であった関係上、東京人との交際が多いので、東京弁が上手なことに不思議はないものの、それでもこんなにまで堂に入っているとは、長い附合いの幸子にしても今日まで知らなかったことで、今日夫人はいものおっとりとしたところがまるでなく、眼の使いよう、唇の曲げよう、煙草を吸う時の人差指と中指の持って行きよう、――東京弁はまず表情やしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れないが、何だか人柄がにわかに悪くなったように思えた。」

2016-01-17

渡辺直美

芸と華があって好きなのだが、マジで早死しそう。それと痩せたら多分かわいいのに、色々もったいないとも思う。

さぁ、ここで一曲聞いていただきましょう。中西圭三でチューチュートレイン

2016-01-07

英語精神論じゃないよ。

私は英国在住のおっさんである

今でこそ英国在住であるが、30歳の頃は外国人英語で話すなんてことは到底考えられなかったおっさんである

アクティビズム英語って出来ないんじゃなくて単にビビってるだけと思うのだけど」

http://daisuke-tsuchiya.hatenablog.com/entry/scary-learning-English

日本人英語ができない理由勇気積極性の欠如に求める話は昔からよく目にするが、私は精神論だけでは解決しないと思う。勇気の欠如を否定しているわけではなく、勇気が出ないことには理由があり、そこを解決せずに精神論帰結させても、一部の人以外はうまくいかないと思うのである

古い話でしか英語の話でもなく恐縮だが、むかし「要は勇気がないんでしょ」というエントリはてな村で大反響を読んだ。

http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886

アクティブなAが、彼女ができない非アクティブなBに説教する話である。Bは本当は彼女を作りたいのにいいと思ったコに思い切って声をかけることができない、いろいろ自分言い訳して傷つくのが怖いだけで要は勇気がないんでしょ。ダセェ、とそんな説教である。読ませる素晴らしい文章だと思うが、これも精神論である。Bが草食系だが爽やか青年で、本当に積極性だけでうまくいく可能性も確かにあり、エントリにおけるBはそのエントリの筆者なのでおそらくそのケースであったのだろう。しかし多くの現実はこうだ。Aはイケメンなので女と話をするのが得意であり好きである女性側も少なくとも悪い気はしない。Bは残念だがブサメンキモメンなので今のまま変な積極性を出してもうまくいかない。痛い奴、気持ち悪い奴と評判を立てられ、最悪コミュニティーにいられなくなる可能性もある。

想像してみれば簡単に分かると思う。明らかにそういうタイプでない男が、何に影響されたのか、変に積極性を出して女性にどんどん声をかけているその姿を。痛いよね。男も女もお互いにツライよね。勇気がどうという精神論だけの話ではないのだ。簡単に想像できる話であり、だからこそ多くの彼女なしは積極性が出ないのである。もちろん積極性「だけ」で好転する例も否定しない。そういう例もあるだろう。しかしながら多くの彼女なしは、根本原因(の中で変えられる部分)にアプローチしないと、精神論積極性を出せといっても多くは出ないし、無理矢理出してもツライ結果になる。女性に声をかけても嫌がられない、おかしくない程度のおしゃれと会話、要するに最低限の「雰囲気」を身につける努力を、勇気を出すことと両輪でする必要があるだろう。

大きく脱線した。英語の話だった。

何故上の例を挙げたかというと、多くの日本人勇気積極性だけ出して外国人に話しかけにいっても、それは長続きしないと思うからだ。ナンパ告白よりずっとハードルが低いのでどんどん試して欲しいが、多くの人は続かない。何故か。ここが大事だ。「多くの日本人単語を並べて意思表示はできるが、それに対する相手の返答が聞き取れないから会話にならない」からだ。

俗に「日本人は過剰に間違いを気にするから英語が話せない」と言われる。まったく納得できない。会話で間違いを気にするレベルに達している人がどれだけいる?多くの人は間違いを気にするレベルではなく、会話が成立するかを気にしているのだ。

冒頭のエントリはこう言っている。

>既に日本人て話すためのスキルって持ってるんです。少なくとも日常会話レベルであれば。結構多いのが「言ってることわかるけど、どう返したらわからない。」ってヤツです。

私はむしろ逆だと思う。どちらかひとつと言われたら、聞き取れないことこそが問題だ。「パードゥン?」で1度はよい。2度聞き返してもなお分からない。どうする?打つ手なしである。ジ・エンドである。気まずい雰囲気だけ残して会話は終了。必要なことを聞くだけならできるよ。駅はどっちですか。指してもらえばいいし、最悪筆談だっていい。でもそれは一方的必要なことを聞いているだけで会話とは言わない。

英語圏旅行に行く人、入国管理官の言っていること聞き取れますか?スーパーでは?マクドナルドでは?使われているのは全部知っている単語だ。でも。聞き取れない。話すほうは勇気でなんとかなっても聞くほうは勇気ではなんともならないのだ。

あなた会社パーティーに出ました。フィリピンの子会社から日本にはじめてきたマネージャーが出席していますが、日本語ができないので端で寂しそうにしています最近英語勉強し始めたあなたビビらず話かけました。

あなたマイネイムイズタローヤマダ。ナイストゥーミーチュー」

カルロ「ハイヤマダサンアイムカルロ。ナイストゥーミーチュートゥー。ハウアーユドゥーイング?ハウズエブリシンゴーイン」

あなた「(?エブリシンゴーイン?何だ?良く分からん。。。)サンキューサンキュー。」

カルロ「(??)(気を取り直して)ディヂューXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX」

あなた「パ、パードゥン?」

カルロ「ディヂュースペンXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXリデーXXXXXXXXXXXXXXXXX?」

あなた「(やべ、また分からない)パ、パードゥン?」

カルロ「(イライラしながら)ディド ユー スペンド XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX?」

あなた・・・・。」

カルロ「・・・・。」

こんな感じになると思う。日本人単語を知っていても発音カタカナイメージしているので、実際にはかけ離れている発音に慣れないと聞き取れないことが非常に多い。ネイティブほどゆっくりしゃべることは苦手だし、本人はゆっくりしゃべっているつもりでもゆっくりなのは最初の3単語くらいである。何度聞き返しても聞き取れない。一度目のパードゥン?はいい。2度目は相当厳しい。そして2度目でも聞き取れなかったら会話は終わりである。このきまずいツライ会話を多くこなしていくことだけでは英語は上達しない。100回もこなせば上達すると思うがそれまでに嫌になってしまうだけだし、機会も限られている。

繰り返す。話すほうは勇気でなんとかなっても聞くほうは勇気ではなんともならないのだ。

必要なのはもう少しリスニングスキルを高めること。本当の初歩、本当に簡単な会話でよいので、ネイティブ日常会話の発音理解できるトレーニングをすることが大事なのだと思う。それは英会話学校でもいいがとにかく料金が高いので、スカイプ英会話がよいだろう。だが(上のカルロと違って)ゆっくり何度でも話してくれるフィリピンの人の講師でもハードルが高く続かない人も多いだろう。アプリゲームなんかでよい。一文の英語をきちんと聞き取って書けるまで20回でも50回でも聞き返すことが大事で、ゆえに聞き返しの使い勝手がよいことが何より大事だ。CD音源などだとこの聞き返しが難しい。

この最初リスクニングの壁を越えること、挨拶バリュエーションと挨拶に続く幾つかの典型的な会話、趣味とか休暇はどこに行ったのかとか(多くの外国人は休暇のすごし方の話が大好きだ)、スポーツは何をやるのかなどを聞き取ることが多くの日本人にはできず、だから日本人日常会話レベル英会話もできない。多くの人にとって勇気だけでは解決しない問題となっているのだ。

2014-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20140121181527

満足した豚であるよりは不満足な人間であるほうがよく、

満足した愚か者であるよりは不満足なソクラテスであるほうがよい。

ジョン・スチュートミル言葉らしいです。

いまこそ立ち上がれ

2012-04-11

24時間テレビ愛は地球

を救う~絆・再生

日本の絆を今再び取り

戻そう!島田紳助全力

疾走!!つるの上地雄輔

イラ達…父ちゃん

帰りをずっと待ってた

徳光・東国原羽鳥

涙…日本中の絆コール

お帰りなさい紳助さん

日本復活を背負い激走

和田AKBベッキー

全力サポートさら

韓国からも緊急出演!!

少女時代日本再生

為に大熱唱!今田品川

庄司ピースも熱狂中継

▽9:00頃 スペシャル

ドラマ冤罪~全てを

失った息子…それでも

人はやり直せる!親子

の絆再生闘争500日」

泉ピン子 速水もこみ

ち 木下優樹菜 矢口

真里 ラサール石井

11:00頃 紳助応援に

続々…くりぃむ&ネプ

チュート!今夜遂に

ロンブー淳ギリギリ

2010-01-07

私がノンスタ優勝を心から祝福できない理由

http://d.hatena.ne.jp/toronei/20100105/A

たいへん読み応えのある面白いM-1評で、納得できる点も多々ありました。

そして拝読後、真っ先に感じたのは、「このM-1評に納得し大いに感心する一方で、toroneiさんが大プッシュし『過去最高のチャンピオン』とまで賞賛するノンスタに依然としてモヤモヤした気持ちが残るのは何故だろう?」という点でした。


この点について考えてみたところ、出たのはバカみたいに単純な答えです。

私にとって08年優勝時のノンスタが、面白さ<努力の痕跡に見えてしまったこと。これが問題だったわけです。


M-1出場者はとんでもない量の努力をしている。

これは、想像力がよほど欠如した人でもない限り誰でも簡単に推し量れることです。

M-1には、劇場で普段やっているよりもずっと短い4分間で漫才を疲労しなければならないというルールがあります(しかも時間超過したら減点されるというシビアさ!)。予選時には更に短い2分間でのネタ披露も要求されます。この時点で、出場する芸人には「普段のネタを抜粋・再構成する」あるいは「普段より格段に短いネタを新規に作る」努力が要求されます。これだけで相当な労力だと思うのですが、勿論そのネタは抜群に面白いものでなければならず、かつ実演の際も非常に高いパフォーマンスを求められます。

近年では「4分間という非常に限られた時間の中に幾つの手数を盛り込むか」が争点となっていると語られていました。とすると、極力無駄を削りつつ、かつ話の流れや設定はは容易に伝わるようにし、その上で笑いどころを可能な限り増やしていくことが課題となるわけです。それを実現するなど一体どれほどの努力が必要か、素人の私は気が遠くなる思いです。

もっと単純なことで言えば、「4分間×2の台詞完璧に暗記」し、「一度も噛まず言い澱まず、適切な声量で聞き取りやすく、必要であれば大小のアクションを交え、最善のテンポと間合いを崩すことなく自分セリフを披露」し、「以上のことを、ただでさえ緊張するのにゴールデンタイムTVで大先輩が睨みを利かすという苛烈な状況下でも確実に完遂」する――こんなことを一体どれだけの人ができるか。それを考えるだけでも、出場者たちの並々ならぬ努力は簡単に想像できるはずです。


歴代のチャンピオン努力について思いを馳せてみましょう。

初年度で何も解らない手探りの状態で、優勝候補というプレッシャーだけしっかり課せられて戦った(中川家)。ラストチャンスに加え、非吉本という重圧(ますだおかだアンタッチャブル)。コンビ暦が浅く、前コンビでは両者がボケ担当だったところから漫才を再構築した(フットボールアワー)。優勝前にすっかり売れっ子になってしまい多忙を極める中での挑戦(アンタ)。ネタの内容・構造を大きく変えた(ブラックマヨネーズチュートリアル)。大会も知名度を高め「強豪」が定着する中、ほぼ無名状態で優勝をさらった(ブラマヨサンドウィッチマン)。過去に低評価を受けたというマイナス実績を背負い、その汚名をきっちり返上した(フットチュート)。超弱小事務所所属に加え、敗者復活戦からの出場で本番への準備もままならなかった(サンド)。

それぞれが重荷を背負った中で、M-1の大舞台漫才をしました。そしてその漫才は、ネタパフォーマンスともに素晴らしい出来であった。何の努力もなしにできることではありません。

「そこそこにお笑い好き」である私は、彼らが優勝目指してその年のM-1に挑んだとき、上記の情報を既に知っていました。

しかし、少なくとも個人的には、彼らのネタ中、「彼らの努力」について思いを馳せることはありませんでした。

例えばブラマヨネタ中、私の頭の中を占めていたのは、「ヘイヘイオーライとかやってた人たちが、よくぞこんなに面白いネタを作ったなあ。すごい進歩だなあ」「これだけの台詞量を、こんなに噛まずに滑舌よくできて凄いなあ。しかも後半に行くにつれてどんどん怒鳴り合いか、素晴らしいスタミナと集中力だなあ」というようなことでは一切なく、「おもしれえええwwwwwwwwww」「村上ファンドwwwwww鮭よりハチミツwwwwwwwwwwwwwwバカスwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」というようなことであったわけです。感慨や賞賛は、ネタがすっかり終わった後にじわじわと湧いてきました。

08年。私はノンスタネタを観ていました。

ノンスタのことは、大ファンとかイチオシではありませんでしたが、低温ながら応援していました。やっと出られたか。良かったなああ。面白いのをやってくれるといいな。去年の敗者復活はそれまでの年よりかなり面白かったよな。でもボケの細い子、繊細そうだから緊張しそうだな、心配だな。頑張れよ。大会前、そんな風に思っていました。

そしてネタ中、私の頭の中を占めていたのは「よく出来たネタだな」「2度ボケシステム、よく考えたな」「凄い頑張ってるな」ということでした。

私は、ノンスタを、その工夫を、ネタの出来の良さを、練習量が凄まじいものであろうことを、並外れた努力を、即時に認めて評価し、賞賛し、あまり笑えませんでした。


何言うてんねん。俺らは楽しそうにみせてナンボやろ。真面目なとこなんか見せてどないすんねん

これはかつて明石家さんまが、「芸人は軽く見られる。裏ではたいへんな努力をしているのに」と愚痴をこぼした品川祐に向かって言った言葉です。

努力の痕跡」と「笑い」は食い合わせが悪い。少なくとも、努力の痕跡は笑いにとって「ノイズ」です。私たちは「一生懸命に必死で頑張っている人を笑う」ようなことを「いけないこと」だと教えられて育っているのですから。

お笑い芸人は何の努力もせずテキトーにやって笑いを取っている」などと考える無神経な人はそうそういないでしょう。私たちの多くは、さんまさんをはじめとする芸人たちが才能のみならず不断努力によって「私たちをコンスタントに笑わせてくれる」という状態を生み出していることを知っています。裏返せば、それでも私たちが芸人を見て笑えるということは、「努力の痕跡を見せないようにできることが(一流の)お笑い芸人の条件である」とも言えるのではないでしょうか。


08年M-1は、かつてなく優勝者に不満があがった年でした。toroneiさんは「お笑いファンは皆ノンスタ優勝という結果に納得している」と書かれていましたが、実際はやはり「ノンスタが優勝?え?」という声が非常に多かったと思います。そして私もその一人です。

しかし、私は決して、ノンスタネタが悪かった、つまらなかったと言っているのではないのです。彼らは優れたネタパフォーマンスを披露したが、「頑張り」がそれを上回って伝わるような出来に見えたため、残念ながら「高評価だが笑えない」という結果になってしまったと言っているのです。そして、それまでの優勝者が成し遂げてきた、公然の事実である「血の滲むような努力」を舞台上では見せない、あるいはすっかり忘れさせてしまう、という「努力」を怠った(もしくはそれを成し遂げる力が不足していた)コンビを優勝者に選んだという点においてM-1違和感を抱いたのです。

2009-03-24

http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20090323/1237743581

1億人のチューチュートレインは、50cm間隔だと軸長が5万キロメートルになる。これは地球の赤道を1周と1/4する。したがって地上でチューチュートレインをやっても、その全貌を見ることは出来ない。仮に宇宙空間で出来たとしても全員に一糸乱れぬ動きをさせるには、同期の問題が発生する。

5万キロメートルは、光の速さでも1/6秒かかる。したがって、端でそろった動きを見るためには、光の遅延を勘案した動作指示が必要になる。

なお、パースペクティブの影響を緩和するには、端からある程度の距離をとったほうがいい。たとえば、地球・月間の距離程度は必要であろう。

2009-03-07

エグザイル増員って。

エグザイルに全く興味がないジェネレーションなんですけどー。

どの層がファンなんだ、誰がCD買ってるんだ、と思ってるんですけどー。

増員って。

モー娘か、と私も他のたくさんの人と同じように思いました。

エグザイルってさ、目新しいことを一つもやらない人たちっていう印象なんだけど、そのあたりどうなんだろう?

だって、一番ヒットしたのってチューチュートレインとかじゃないのか。

ATSUSHI(でしたっけ。歌のうまい方)が、途中で加入してもとから居た男前だけど歌はイマイチな人がいなくなって、ヤングイケメン(歌は発展途上)が入って、っていうのは一応知ってるんですけど。

今度、ネスミスと一緒になるんでしょ?

じゃあ、ATSUSHIネスミスでいいじゃん。

むしろ二人にしてしまえばいいのに。

で、いまさらケミストリーと対決すればいいのに。

わたしがエグザイルを受け入れられないのは、踊る人たちに何の意味が?と思ってしまうからなんだろうなぁー。

これと同様に、なんかラップの人たちで楽器いないのに10人くらい居るひとたち、あれも「リストラせんかい」と思って見ているんだけど。

だって、リップスライムはさ、全員の声のタイプが全然違ってて、全員に「居る必要がある」のはわかるのよ。あれは、あんだけいないとダメ音楽だと思うんだけど。

10人くらい居るひとたちって、全員ユニゾンがほとんどじゃん。

・・せめて半分でよくね?

あれは、「え、デビューすんの?じゃあ俺もいれといて。バイトクビになっちゃったし」的な感じで増殖したとしか思えん。

はい。で、エグザイルの話に戻そう。

14人になったけど、これがきっとどんどん減ると思うんです。

だって、やっぱさー「俺がここに居る意味って?」って思うじゃん、人間って。

14人いると、小さい学校の1クラスだしね。

私の予想は年末か、年明けに一人減る。だな。

ま、そこまでエグザイルが今の調子かどうかも疑問だけど。

2008-03-18

論理理論の違い 参考図書

http://anond.hatelabo.jp/20080316210124

増田だけど、ブクマありがとう

どんなものでも反応をもらえるのは、やっぱりうれしい。

読み返してみると、たしかに省略が多いかもしれないと思う。

かといって、続きを書く気力はないのだ。

続きに関しては、ちゃんとした書籍に任せたいと思う。

2冊挙げたので、興味の湧いた方はどうぞ。

参考図書

・[新版] MBAクリティカルシンキング/グロービス・マネジメント・インスティチュート

因果関係や、論理の基本について書かれてる。

最近増田流行の、児童ポルノは児童への暴行事件を増やすか?

といったことへの理解も深まる。ハードカバーで値が張るのが玉に傷。

・創造の方法学/高根 正昭

仰々しいタイトルだけど、中身は社会科学分野を事例にして、

科学」や「理論」が何であるかを解説した本。

社会科学研究方法の、ごくごく基礎的な考え方を知るためにもいい。

すごく分かりやすいし、すぐ読める。そして安い。

けど、余談ながら、この本を読んでも「創造力」は身につかない。

タイトルがこんななのは、たぶん、この本が書かれた頃の日本では、

日本人欧米の技術のサルマネや改良が得意で、

新しいものを一から作り出す「創造力」がない、

なんて議論が盛んだったせい。

要するにこの本のタイトルは売り込み過剰だってこと。

今となってはタイトルで損してる、掘り出しものな一冊なのだ。

2007-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20071208224920

「自分の小さな「箱」から脱出する方法」アービンジャー インスティチュート

ニュースサイトとか書評ブログで紹介されてて夏頃に読んでみた。

人間関係がうまくいかない原因が書かれている。

読んだ後は家族との付き合い方がちょっと変わった。いい方向に。


amazonとかmixi書評でもたくさん取り上げられてるからそっちの紹介文も読んでみるといいかも。

2007-08-23

タバコたばこ煙草

タバコはなぜ今も売られてるか、教えてあげよう

タバコ警告表示-EU

受動喫煙に関する誤謬報道事件 - Wikipedia

中絶・abortion・

「母親としてあるべき愛情が見いだせない」「自己の欲望や幸福を満たすためには子供の命を犠牲にしても構わないという、母親としては考えられない自己中心的で身勝手極まりない動機」懲役14年

差別・discrimination

世界一人権のないインドの不可触賎民

カースト - Wikipedia

基本的な4つのカースト(ヴァルナ・四姓)

ブラフミン(サンスクリットブラーマナ、音写して婆羅門(バラモン))

神聖な職に就いたり、儀式を行うことができる。ブラフマンと同様の力を持つと言われる。「司祭」とも翻訳される。

クシャトリア(クシャトリヤ)

王や貴族など武力や政治力を持つ。「王族」「武士」とも翻訳される。

アイシャ(ヴァイシャ)

商業製造業などに就くことができる。「平民」とも翻訳される。

スードラ(シュードラ)

一般的に人々の嫌がる職業にのみ就くことが出来る。スードラはブラフミンの影にすら触れることはできない。「奴隷」とも翻訳されることがある。先住民族であるが、支配されることになった人々である。

カースト以下の身分

カースト下の人々もおりアチュートという。「不可触賎民(アンタッチャブル)」とも翻訳される。力がなくヒンドゥー教の庇護のもとに生きざるを得ない人々である。にも拘らず1億人もの人々がアチュートとしてインド国内に暮らしている。彼ら自身は、自分たちのことを『ダリット Dalit』と呼ぶ。ダリットとは壊された民(Broken People)という意味で、近年、ダリット人権を求める動きが顕著となっている。


天然資源・漁業

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん