「ダンボール箱」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ダンボール箱とは

2020-04-21

医療機関にはマスクが足りないのに国民全員毎日マスク付けてる不思議

医療関係者が日夜医療行為をしている間一般人夜討ち朝駆けマスクを買い集めてるからだな

マスクの所持数に差が出るわけだよ

あるいは品薄になる前の備蓄

7枚入りを10個では足りないが100個あれば700日もつ

家族4人なら400個

ダンボール箱に入れて部屋の片隅にでも置いておける程度だろう

これだけあれば一般人ワクチン待ちできる

2020-02-22

anond:20200221214642

・物を減らす、仕舞う。

洗濯自分のだけ。

・たった今やってほしい事を具体的に言う。

未診断なのにADHD確信?とか、そもそも別れなよとは思うけど、そのアドバイスはいらないんなら、増田の「体が楽になる」ことを書く。「気持ちがどうのこうの」の案はない、ごめん。

●モノを減らす話

モノがあるから家事が大変なので。

食器は1人深皿1枚コップ1つにする。メニューは鍋1つで出来るものだけ。食事が貧しくなるのは仕方ないと割り切り、栄養が取れて片付けがラクなら良しとする。

パスタカレーか丼ものになると思うけど、丼もの常識品性を捨てれば意外と幅広い。

野菜がとりたいなら肉じゃが丼、おひたし丼、大根おでん丼とか何でも一皿にご飯と一緒に盛る

洗うのが皿とコップと鍋ひとつなら、彼氏がやってなくて増田が洗う羽目になっても、心はともかく体は楽だ。

使わない食器や鍋はダンボール箱に入れて厳封する。まな板包丁複数あるならそれもひとつに絞る。増田がいない時に彼氏勝手に使って放置しないように。

部屋の中に可愛い雑貨など生活必需品でないものがあるなら、それも箱に入れて封。ものが少なければ少ないほど、掃除系の家事ラク

彼氏私物仕舞ってもらう。

家事効率化のために、ミニマムライフにしようとおもってさ〜!協力してね!」というテイで。(……でも増田は言えなさそうで、彼氏は協力してくれなさそうな気もするけどね……まあ頑張って言うだけ言ってみるんだな)

洗濯の話

洗濯自分のだけやる。一人暮らしなら自分のを干して畳むのは当たり前なので、自分のはしんどくてもやりましょう。

彼氏のは彼氏放置してたら増田も、放置。手出し無用

もし彼氏が、本当に「やる気はあるけどつい先延ばしちゃう」のだったら、帰宅前に電話して「洗濯した?干した?取り込んだ?畳んだ?やってないなら今やってね〜」と教えてあげよう。それは手助け、協力というものだ。

休み会社を出るとき電車に乗る前、最寄り駅ついたら、ドアの前、とメリーさんくらいに頻繁に教えてあげよう。忘れっぽい小学生の子供に任せたら、ギャグをまぶしつつこのくらい管理するので…(子育てじゃあるまいし大人に対してそこまでやるか、というのはおいといて)。

それで彼氏がやるようになれば良し、嫌気が差して自宅に帰ればまた良し、ケンカになれば「じゃあもう言わない!でも干してなくて腐っても、洗濯してなくて着るものなくて困っても知らないからね!」と言える。

それで増田洗濯ぐらいやってくれても…ってなっても、「体力的に無理」で押し通す。思いやりとか愛情の話にはしない。

●「たった今」の話

増田自分がいない時に彼氏に色々やっといてもらって、帰宅したら快適なおうちであってほしいんだろうけど、それは一旦あきらめよう。世の中にはギリギリにならないと動かない人がいる。

増田の目の前で、「今、すぐ、○○をやって」と頼んで、やってもらう。

例えば夜寝る前に、「今、明日朝ごはん作ってラップして冷蔵庫に入れてね。彼氏くんの使った鍋や食器が洗ってないから、まずそれ洗ってね」とか。

増田が仕方なく彼氏の尻拭いしたのと同じだけ、目の前で家事をしてくれたら、体力的にはいくらかラクにはなるはず。

…………色々書いたけど、あんまり上手く行かない気もするんだよなぁ。で、あまり上手くいかなかったら。

食器雑貨ダンボール箱仕舞ってあるし、自分の服は畳んであるしで、その部屋を引き払って引っ越しする準備はできてるよ。

親切なら彼氏の分のおまかせラクラクパックを予約してあげるくらいはしてもいいんじゃないかな?

(できるだけ増田意向に沿ったつもりの提案したけど、本音

「あたしが疲れてても実家に帰らないとか、それあたしに愛情ある?あるならあたしを楽にするために実家に帰るはずじゃん?それとも家事してくれる?できない?じゃああなた家事しない、あたしは体が楽になる、を両方満たせて同居する解決策を考え出してよ?家事代行?お金ないよ!ゴミ屋敷でいいとする?やだね!あたしの提案は、あなた実家に帰る、だよ。嫌なら対案を出せ!愛情はあるけど対案を出す能力がないなら、私の案に乗るしかなくない?あなたの心の中はわかんないから『愛情はある!』とあなたが言うなら否定はしないけど、具体的な実生活の困難は愛情じゃカバーできないこともあるよ。そして、それはそれとして、あたしにはあなた愛情があるとは感じられなくなっちゃってるけども」

くらい、自分だったら思うよな〜、とおもいました…。)(男女逆でも同じ意見、といちおう書いとこう、小町じゃなくて増田から…)

2020-01-11

統合失調症は、ZOZOTOWNの箱が怖い

ZOZOTOWNダンボール箱が横倒しになると「NONO」と読めてしまい、それが訴えかけてきて怖い。

2020-01-07

ネットで言われてるIT業界現実

なぜかネット特にこことか意識高い系ブログで喚き散らしてるIT業界妄想みたいな現状認識と、実際の違いを誰も書かないのが不思議で仕方がないので、これからIT業界で働きたいのなら、一つ覚えておいた方がいいと思い書こうと思う。

まず、増田が狂ったように喚き散らしてるIT業界トップに行けば行くほどホワイトで稼げてウハウハっていうの、あれハッキリ言うけど妄想から

多分、一流どころがどんなところかもいけもせずに、大昔のweb系とかのイメージそのままどっかにあると思ってそんなこといってるんだろうけど

ぶっちゃけIT業界の一流どころなんてワークライフバランス?なにそれおいしいのってレベルで一流は一流で人間生存限界を超えた激務を当たり前のようにこなしてるよ

残業3桁時間台の世界とか、想像したことないでしょ?みんな楽々働いてるように見えて、中途で入ってきた並レベル(増田レベルの)奴が1か月やそこらで口から血吐いて倒れて2か月休職って世界よ?職場雰囲気はいいし、このレベルエンジニアの人ら、人間的によくできた人多いから、顔には出さないけど。

こんなの海外でも一緒どころか、海外の方がもっとすごいといわれてる。会社行ったら次の日ダンボール箱渡されて、お前クビだから荷物纏めてとっとと失せろって世界で、エリートなんてスマートドラッグ通り越して、シャブ打ちながら働いてたのバレて捕まってニュースになるなんてのが割とあるといわれるくらい、血反吐を吐いて激務をこなしてるのが公然の秘密みたいな世界なわけですよ

どんな業界もそうだけどさ、トップ層なんて命削って金稼いでるわけよ、そんな世界を見る機会もないくら格差が開いたから、なろう小説みたいなモンが流行るんだろうけどさ

からネット増田意識高い系ブログで言われてるような上は楽してホワイトで稼いでワークライフバランスで、2次元から飛び出てきたような乳のデカいねちゃんモテまくりなんて、真っ赤な嘘です

恋人出来ないとか毒親思い出したとかそんな、ちょっとでもくだらねー理由でウジウジ悩んで体調不良起こすような、ヒメマスより繊細な環境に弱い増田達が、とてもじゃないが稼いでるとかIT業界いたのなら、ガセってわかるのに、なんで誰もそこ突っ込まないんだろうな

2019-12-07

anond:20191207011120

Amazonにもコンビニ受け取りをすすめられた。コンビニからでっかいダンボール箱を抱えて持ち帰るのきついんだよね。自転車のカゴに入らないサイズとかだと本当に大変。ヤマトさんのありがたさを実感してます

2019-10-08

anond:20191008234737

ダンボール箱何箱にもなる(2週間分の食べ物とか)

マンションだとまとめ配送されて内容物の開封・分配に立ち会わないと誤配送で揉めることが(昔は)あった

今は個別配送だけど食べ物からトイレットペーパーまで頼めるネットスーパーのさきがけだから、かさばってロビー独占する

2019-08-29

命日の決まっていた猫のはなし

の子は命日が決まってるんだな。


安楽死を決めた時、私はそう思った。


うちのかわいいかわいい猫のはなしをしようと思う。

疲労と虚しさMAXだった若かりし頃、実家の犬を恋しがる私に知人が囁いた。

「猫なら手がかからないよ」

あれこれ言い返したと思う。それでも知人は言葉巧みに猫の良さを吹き込み続けた。

結果、私は一度でいいから飼ってみたい、とメインクーンを選んだ。

いい子が安く買えるかも、と安易な思いつきでネット検索し、ブリーダーからそれはそれはかわいいブラウンクラシックタビーの男の子を譲ってもらった。

買い手がつかず生後半年のその子は、7万円で我が家にやってきた。

残念なことに重度の食物アレルギーを持っていたその子は、メインクーンとしてはあまり大きくなれなかった。

メインクーンの成長が止まるまで三年ほど。その間、血便を伴う下痢を何度もくり返し、体質に合う処方食が見つかるまで一年かかった。

ベスト体重は6.4kgの、男の子にしては小さなメインクーンになった。

ただ、私の猫はとても朗らかだった。

人間が大好きで、友人たちのアイドルになった。

「猫は好きじゃないけどこの子は好き」

積極的に会いに来てくれる人もいた。

7歳の時にアレルギー改善したのは幸いだったと思う。アレルゲンの除去療法に成功したのだと思うけれど、詳細は医学系の情報をあたっていただきたい。

10年生きればいい、と言われた猫は、13歳になった。免疫力が落ちてきたのか、鼻炎で鼻水を垂らすようになったけれど、月に一回の通院で点鼻治療を続けた。獣医が言うには加齢によるものから対症療法しかないとのことだった。

13歳になったある夜のこと、帰宅すると猫が倒れていた。体温が下がり、呼吸は荒く、今にもしんでしまいそうな様子だった。

近所のかかりつけ医に連れて行くか、救急病院に連れて行くか、それとも家でこのまま看取るか、悩んだのは10分くらいのことだった。

私は猫をキャリーバッグに詰め込んで、タクシーに飛び乗っていた。

朝まで元気だった。食事を少し残したことが気になったけれど、それだけだ。わけもわからず失いたくなかった。

向かったのは、夜間診療もしている以前のかかりつけ医だった。引っ越しして何年も経つが、カルテが残っていた。

タクシーの中から電話をしたので、急患として即座に処置を行ってくれた。電話を聞いて急いでくれたタクシー運転手さんにも、病院スタッフの皆さんにも、その間待ってくださった他の患畜の皆さんにも、感謝している。

採血レントゲンCT、様々な検査をして酸素が投与された。

原因はわからないが肺に水が溜まっている、無気肺を起こしている、心臓肥大している、明日はないかもしれない、そのようなことを言われた。

今夜が峠ですってやつだな、と頭のどこかで考えていた。原因がわからない以上、治療のしようもなく、とにかく今晩頼んで帰宅した。

妹猫が、不安そうに待っていた。抱きしめて泣いた。

ほとんど眠ることができず、翌朝病院が開くのと同時に向かった。酸素ハウスの中で猫は、ぐったりと寝ていた。声をかけて触ると、目だけでこちらを見た。

酸素投与とステロイド抗生物質の点滴を続けた。

猫は三日間何も口にせず、病院許可を取って自宅からフードを持参した。四日目の朝だ。朝ごはんを完食したとうれしそうに看護師さんが教えてくれた。猫は酸素ハウスの中で座って、帰りたいと鳴いた。

どこかで見た記憶を頼りに、ペット用の酸素ハウスレンタルして、自宅で看取ると連れて帰った。猫はなかなか酸素ハウスに入ってくれなかったけれど、その間は酸素マスクそばに置いた。明日にもしぬかもしれない猫を、無理矢理ハウスに入れるつもりはなかった。

毎日好きなものを食べさせた。後にいうちゅ~る食べ放題まつりだ。

内服薬だけはと飲ませながら、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。酸素ハウスを返却した。猫は普通に歩いていた。

猫の中で何がおこっているんだろうと、もう一度病院へ連れて行った。色々と再検査をし、二回目のCTを撮った。前回の入院で右の肺は半分ほど潰れてしまっており、心臓肥大していた。

「あのあと他の先生たちにも聞いてみたんです。猫ちゃん重症喘息による無気肺です。あの時は肺炎合併してああなったんでしょう。また繰り返す可能性はあります

うちの猫喘息だったなんて、全く気づかなかった。鼻水を垂らしてくしゃみをしている、と思ったのは咳だった。それと知ってから注意して見ると、くしゃみをする時と、咳をする時があった。喘息治療をすべきだったのに放置していたことを、深く後悔した。

近所のかかりつけ医は信用できないと、遠くの病院まで月に一回ほど通うことになった。そんな生活を7ヶ月ほど続けた。

ある時、帰りのタクシーの中で猫が粗相をしてしまった。ペットシーツのおかげで大事には至らなかったが、粗相するほど我慢させたことが申し訳なくて、近所に開院した別の病院に連れて行った。

その頃猫はまた鼻水を垂らすようになっていた。それから右目だけ瞬膜が出るようになっていた。年を取ると瞬膜が出っぱなしになりやすいというが、右目だけ? と少し気になっていた。

これまでの経過を聞いた先生も、それが気になると言っていた。ひとまず二週間分の喘息の薬をもらって、信頼できそうな先生だと安心した。

二週間後、先生が言った。

「顔の右側が腫れてきている。鼻の悪性リンパ腫可能性があります

そうか、と思った。ショックもあったが、もしかしたら、と思っていたからだ。

右側からしか出ない鼻水、瞬膜、大きくなってきたおでこ

「顔の悪性リンパ腫はどうなりますか」

「すごく腫れます。ぼこぉって変形してくると思います最後は悪液質で亡くなることになります

私の猫は片肺の13歳だ。抗がん剤治療には耐えられないと判断して、ステロイドによる治療選択した。

けれど腫瘍を抑えることはできなかった。ステロイドを増やしても、どんどん腫れるばかりだった。

25mg/日を10間内服させて、それでも腫れが進行していた。鼻血浸出液で、可愛かった顔は汚れるばかり。けれど拭かせてくれなかった。

副作用による空腹感で、猫は鳴いて鳴いて、可哀想だった。

ステロイド25mgは5錠になる。朝3錠、夜2錠。追加して抗生剤が半錠ずつ。

苦しみながら飲む猫に、私は治療の中止を選択した。自己満足しか思えなかった。

薬剤性の高血糖で血糖測定やインスリンもしていたが、全てやめた。

ステロイドを中止した翌日から、猫は昏昏と眠るようになった。

ごはんを食べて、寝る。そんな穏やかな生活は、5日しか続かなかった。

から鼻血、口からはよだれが大量に出るようになり、ペットシーツが欠かせなくなった。それでも気を抜けば部屋のどこかが血だらけになっていた。

カリカリを食べなくなった。ウェットなら食べてくれたのも2日ほどだった。それからはちゅ~るしか受け付けなくなり、ちゅ~るさえ食べない日もあった。

視神経が圧迫されたのか、目が見えなくなった。突然の全盲であちこちぶつかりながら、恐恐歩くのが可哀想でベッドの上を区切ったらそこで眠るようになった。

トイレにいけなくなった。連れて行くとおしっこはするときもあったが、どんなに踏ん張ってもうんちは出せないようだった。

2週間が経った。

ちゅ~るも食べなくなった。食べられなくなった。

最初は食べようとしたけれど、ひどくむせて鼻からも口から出血する。鼻と口が繋がってしまったようだった。そのうち猫は食べることを諦めた。

当然水も受け付けない。脱水がひどくなり、あれほど出ていた鼻血浸出液ピタリと止まった。

このまま家で見ていても、数日で亡くなるだろうと思った。

けれど、体の置き場がないとフラフラになりながら寝返りする姿や、一箇所でぐるぐると回る姿、とうとうベッドの上でおもらしして自分でショックを受けている姿を見て、安楽死を考えるようになった。

別れたくない。悲しい。寂しい。

それと同じくらい、楽にしてあげたい。

戻れないことはわかっていた。朗らかで、やんちゃで、甘えて鳴いてばかりのあの子はもう戻ってこない。

自分だったらどうだろう。ガンの痛みに苛まれて、目が見えなくなって、鼻からも口からも色々な体液が出て、お腹が空いても食べることができなくて、そして今は脱水症状に苦しんでいる。

動物病院に状況を報告した。安楽死選択ひとつだと思うと先生は言った。

苦しみの合間、眠っている猫を見て思った。

の子は命日が決まってるんだな。

翌日は動物病院休みだったから、一日中猫と過ごした。

苦しんで鳴く猫を撫でて、体をトントンして、そうすると猫は15分くらい寝る。それからまた起きて苦しむ。

愛しさと諦めが交互にやってきた。

安楽死の当日。予約時間ギリギリまで悩んだ。

行きたくないと言って泣いた。ずっと一緒にいたい。家で最期まで看取りたい。

猫は眠る時間が少し長くなったように思った。昏睡に近かったのだと思う。

やっぱりやめようか、と言ったのは予約時間5分前だ。

猫は起きて、苦しそうに叫んだ。

看取りたいというのは自分エゴだと思った。泣きながら猫をキャリーに入れて、病院へ連れて行った。

病院は昼休みだった。着いたときから先生看護師さんも泣いていた。おとなしい猫のことを、かわいいかわいいと言って撫でてくれた人たち。

点滴の針を刺す。処置室へ移動する。気が済むまで二人で、と先生たちは出て行った。たくさん話しかけてあげて、と。

けれど、声を出したら号泣してしまいそうで、やっぱりやめると言ってしまいそうで、囁くように「いいこ」「ありがとう」とくり返していた。

猫はぐったり寝ていたけれど、起きて、また鳴いた。苦しい、と。

大丈夫もっと話す?」

顔を出した先生に、私は言った。

「お願いします」

病院がきらいな子ではなかったけれど、一番好きなのは家に決まっている。

早く連れて帰りたかった。楽にしてあげたかった。

最初に繋がれたのは麻酔薬だった。プロポフォールだと思う。しみる薬剤だから、薬が入る時、猫は苦しそうに泣いた。前投薬をお願いしなかった私のミスだ。

数十秒で猫は眠って、呼吸が浅くなった。

そのあとに二種類入ったけれど、そちらが何だったのかはわからない。猫は呼吸が止まり心拍が止まった。

二人とも号泣しながら、とりとめもなく話をした。

先生は、前は安楽死に反対していたけれど、自分の猫の時に限界まで頑張らせてしまって、後悔してからは賛成していると言っていた。

「やさしい選択をなさいましたね。いいおねえちゃんでよかったね」

先生は私も、猫も褒めてくれた。

帰ったらお風呂に入れてあげるといいと言われて、本当はもう何も本人の嫌なことはしたくなかったけれど、少し悩んで体を洗った。

たっぷりシャンプーリンスを使って、血の塊やこびりついていたおしっこを全部洗い流した。

体を拭いて一番涼しい部屋に連れて行くと、留守番していた妹猫が不安そうにしていた。

帰ってきた兄猫、もう呼吸の止まっている兄猫、私を見て、鳴いた。

「どうして」

体を乾かして、耳や口に脱脂綿を詰める姿を妹猫はじっと見ていた。

すべての処置が終わって、ダンボールに入った兄猫のところにもう一度行って、悲しそうに見ていた。

猫が"死"を理解しているのかはわからないけれど、どんどん具合が悪くなる兄猫が妹猫の相手をしなくなって、苦しそうにしている姿をずっと見ていた。

「もう大丈夫だよ」

妹猫を撫でて、一緒に寝た。兄猫のように朝まで一緒にはいてくれなかった。

いつかはと思っていたから、その後の段取りスムーズだった。

猫が生きている間に葬儀社を見繕ったり、アイスノンの用意をしたり、体が収まるサイズダンボール箱を用意したりするのはつらかった。

でも、しておいてよかったと思う。きちんと見送ってあげることができたから。

それから、死後の処置自分でしてよかったと思う。

鼻血浸出液の塊を洗い落とした猫の顔は、やっぱり私にとって世界一かわいかったけれど、同時に諦めがつくほどに哀れだった。

大きくなった腫瘍が鼻の穴を塞ぎ、裂いて、口の中まで入り込んでいた。

処置をしなくてもあと2~3日だっただろう。

けれど、その2~3日あとには更に腫瘍が広がっていただろう。

どれほど頑張ってくれたのかわかって、うれしかったし、ありがたかった。

姉が言った。

「いっぱい愛してもらったね」

そう。猫に愛されていたのは、私だった。

家猫のあの子にとって、世界で一番愛しい相手は私だった。

安楽死を悩んだ時、はてな匿名ダイアリー記事がとても参考になった。

自分ペットに対して安楽死選択したことは、あまり口にできないことだと思う。

感謝気持ちを込めて、私も書き残そうと思った。

それから、鼻腔内腫瘍、鼻の悪性リンパ腫の転機についても可能な限り詳細に記した。

目に見える病気はつらい。これからどうなるんだろう、最後はどうなるんだろう。調べてもわからなかった。

もちろん、早期から悪液質になり、眠るように息を引き取る子もいるとは思う。

ただ、私にはそういう例が見つけられなかった。

ペットロスに関しても、亡くなる前の方がキツかった。

対処法を調べても亡くなったあとのことばかりで、毎日毎分生きてるか不安に思いながら涙する感情対処する方法は見つからなかった。

結論から言うと、どうにもならない。だからどこにも書いていないのかもしれない。

とりあえずいつでも仕事をやめられるように貯蓄に励むといいと思う。かけられる人は不労保険とかもかけたらいいんじゃないかな。

自分に関して言えば、家で付き添うようになってからの方が不安は少なかった。

離れている間にしんでいないか毎日戦々恐々としていた。

最後お金の話をしようと思う。

7万円を最初に出したのはそういう意図だ。

4日間の入院で15万円ほどかかった。

酸素ハウスを3ヶ月レンタルして6万円。

薬代が月に1.5万円~3.5万円。

採血レントゲンが1.5万円。

CTが4万円。

そして安楽死処置が3万円で、葬儀が2万円。

治療11ヶ月に及んだ。がんばった私。

もっともこれはミニマム治療だった。良心的な動物病院だった。

抗がん剤を使っていたら、入院が長期に渡っていたら、考えるとキリがない。

お金がない人はペットを飼ってはいけない。

これはもう、べきとか、なるべくとかではなく、事実として。

最低賃金上がればいいのに。

雑然と書いたけれど、私の猫の話はここでおしまいです。

いつかどこかの誰かと猫の、役に立ちますように。




8/31追記

twitter感想を見かけたよ」と友達が教えてくれたので、検索して全部読んだ。

自己満足と、もし検索に引っかかればって気持ちで書いた乱文に、たくさんの言葉ありがとう。とてもうれしかった。

今でも歩いている時に何の前触れもなく涙が出たりするけれど、愛の量だと思ってる。

安心してるんだ。もう苦しんでいないって。

でも、私の帰りを待っていることはないって、それがどうしようもなく悲しいんだ。

この感情はそれぞれ別のものから、ずっと抱えていくと思う。

話が複雑になるので詳細は省いたけれど、妹猫の話を少ししようと思う。

便宜上妹と言っているけれど、血縁関係はないんだ。

今回記事に書いたメインクーンが超絶寂しがり屋で、一頭飼いしてたら精神的におかしくなってしまったので、保護猫だった年上の女の子に来てもらったのが最初(便宜上姉猫)。

姉猫は10歳で先立ってしまった。その時も色々あったけれど、今回は触れない。

姉猫が亡くなってしばらくはメインクーン一頭飼いだったけど、やっぱり寂しかったみたいで、妹猫に来てもらった。

飼いたくてメインクーンを選んだけれど、飼ってみたらあんまりに愛しくて、猫のことを色々調べるようになって、保護問題ペットショップの不適切販売を知ったんだよね。

私は安易に猫を飼いはじめてしまったけれど、だからこそ2匹目は保護猫って決めてた。

妹猫は兄としてメインクーンを慕ってくれて、本当に仲が良くて、その姿は癒やしだった。

その時に弟猫だったメインクーンは、兄猫になったんだ。

妹猫は寂しそうだし、悲しそうにしてる。人間と同じように、悲しみを抱いて生きてくんだと思う。

「別れがつらいから二度と飼えない」って人に伝えたいことがあるんだ

姉猫が逝った時、もういいかなって私も思った。兄猫が寂しがらなかったら、妹猫は来てなかった。

実際のところ来てくれたから、わかったことがある。

それは、亡くなったあとも、思い出が増えていくってこと。

妹猫を見て、姉猫はああだったな、こうだったな、って思い出すことが増えた。

最初ちょっとつらかったり、姉猫と妹猫を比べるようで申し訳なくなったりしたんだけど、すぐに違うなって気付いた。

妹猫を通じて、姉猫の思い出がどんどんやさしいものに変わっていった。当たり前だった記憶ひとつひとつが、キラキラ色づくようだった。

亡くなったあとも姉猫を愛しく思う気持ちはずっと続いていた。

兄猫がさみしがらなければ、妹猫が来てくれなければ、知らなかったこと。

きっとこれは、新しい子を迎えるつもりはなかったのに迎えることになったから気付けたことだったので、共有しとく。

別れはつらいけれど、悲しいし寂しいけれど、次の出会いを恐れる必要はないと思うよ。

いつかあなたが、愛し愛される家族とまた暮らすことができますように。

姉猫も兄猫も妹猫も、どの子世界一かわいい

世界一ひとつしか持っちゃいけないって誰が決めたんだ。少なくとも私の辞書にはないな。

生きててくれるだけでよかった。逝ってしまっても愛してる。

の子もみんな世界一だよ。

あとな、創作って言ってた人な。

文章力があるって受け取っとく。ありがとうな。

創作だったらいいな。

そしたらきっと今頃、どの子もうちで伸び伸び寝てて、パソコンに向かってる私のところに兄猫あたりが飛び込んでくる。

キーボードダイブしてもいいよ。叱るけど。

ずっとずっと愛してるよ。

ところでなんで増田なのか(あとでぐぐっとく)

2019-08-07

夫と片付けの手順が逆でイライラする

引越し後の部屋の片付けの話。

私はスペースがどれだけあるか把握しないと片付けができないので、物を全部ダンボール箱に集めた状態からしまっていく。

夫は物がどれだけあるか把握しないと片付けができないので、物を全部ダンボール箱から出して片付けを始める。

夫の方法だと、私から見ると散らかった状態を経過するので、すごくイライラするし不安になる。

まじ片付くのかよって。

こういうことよくあるよね?

2019-08-06

昨日、東京大阪で同時間にゆうパックを出した

たまたま相互に送る荷物あったんでやってみた。なるべく不公平がないよう、どちらも集荷の中心となる郵便局に、同サイズダンボール箱を持ち込み。多少軽さに違いはあるけどどっちも服だしそこまで変わらんと思う。

追跡によると大阪から出したやつはもう東京着いてるが、東京から出したやつはまだ東京のままだ。上りのほうが早いとかあるのか、その他の要素なのか。

2019-01-15

anond:20190115164120

ちなみに今は壊れた液晶を3Rセンターに送り返そうとしてダンボール箱がなくて困ってるとこ、

新しい液晶を買えばどうせ箱は捨てなきゃいけないのにまだ買ってないかリサイクル梱包にこまる

なんという非効率

2018-12-02

anond:20181201183605

靴やバッグが、未使用のまま、ただたまっているのなら、リサイクル業者出張買取に頼んでみてはどうだろうか。完全未使用でなくても、1度か2度使っただけで状態のよいものなら問題なく買い取ってもらえるはずだ。買取の際、ご本人(奥様)に立ちあってもらい、「これは自分が使う」OR「これは自分は使わない」という判断をしてもらう(業者が来る前にできるものはその判別を済ませておいて、「使わないので買い取ってもらう」と判断したものダンボール箱に入れて封をしておくこと)。「使うかもしれない」は「使わない」に直行直行がキツければ「暫定・使わない」ボックスを用意して、それがあふれたらその「暫定」ボックスの中から「使わない」ものを選ぶ("1 in, 1 out" の原則で)。出張買取基準や流れとしては、このページがわかりやすいのではないかと思うが、BOOK OFFなんかでもやってるし、他にもググればたくさんの解説が出てくる。

業者に自宅に来られるのがいやならば、仕分けした「使わない」ボックスを持って、リサイクル店に出向けばよい。免許証保険証があればその場で買取完了だ。

買取でできたお金だが、それを使ってまた物を増やしてしまっては元の木阿弥なので、すぐには使えない状態にしておくこと。株を買うとか定期預金にするとか、あるいは実家の親に預けるとか。

奥様は、「自分はそれを使うかどうか」の判断自力ではほぼできなくなっているのではないかと思う。あるいは「使うかどうか」はどうでもよくて、買うこと、保有しておくことそのもの目的で買い物をしているかもしれない。その場合自力はいかんともしがたいのだが、何かのきっかけで一気に流れが変わることはありうる。そのきっかけをご本人も求めているのかもしれない。使いもしないものを次々と買ってしまう買い物依存場合クレジットカードを解約するだけでも行動はかなり抑制されるというから検討してみてはと思う。

よい方向に向かうことを祈っている。

https://anond.hatelabo.jp/20181201183605

 自分は鬱とかの精神病患者(そこそこ長く、今後も続く)。なので精神病を抱えて生きるのがしんどいのは分かる。

 

 奥さんが暴れたり泣いたり伏せったりする姿をご主人は耐えていかなきゃいけないと考えてらっしゃるかも知れない。

 しかし、患者さんの家族にも人生がある。

 ご主人が奥さんに譲歩しすぎ、ご主人のストレスが蓄積して共倒れになる可能性を危惧する。

 

 奥さんが「買い物依存症」なのかどうかをまず見極めなきゃいけないと思う。

 担当医に生活状況をきちんと報告し、対策を練ることが大事

 例えオタクだろうが、金銭管理に野放図になるのもどうだろうか?

 自分も本やアニメフィギュアが好きだけれど、お小遣い範囲でというのを守ってる(そうしなきゃ生活出来ない)。

 かわいそうだけれど、最悪、奥さんクレジットカードなり没収も想定しなくては。

 

 あと、大切なのは一度に沢山判別させないこと。

 大きめのダンボール箱に入れた分、これを「今週中に判別しようか」とアバウトに決めておく。

 判別は一緒に。ただ、口出しせず見守り、ある程度終わったら「がんばったね」「よくやったね」と沢山ほめる。

 

 精神病患者自己否定タイプも少なくない。

 認められたい気持ち、ほめられたい気持ち、だが、自分矮小さを強く意識しそれが出来ない事もある。

 奥さんの両手をとって、「ありがとう」「がんばったね」とほめてあげてほしい。

 例え家族暮らしていても、孤独感にさいなまれている精神病患者さんはいから

 

 干渉せず、だが、見守るというのは難しい。

 寝込んでしまう姿を見たくないから、好きなままにしてしまうという気持ちもわからないでもない。

 しかし、家族として今後も暮らしたいのであれば、ほんのわずかでも、互いが気持ち良く暮らせる事が大事なのではと思う。

 奥さんだけの家じゃない。奥さんの為だけの家族じゃない。

 

 自分は夫共々共倒れしてしまい、破綻し、離婚を選んだ。

 仲は良いのでそこそこ電話で話したりするが、共に生活することはないと思う。

 愛や恋があろうと、生活もっとシビアから

2018-11-20

anond:20180715231209

被災経験がない奴は暢気でいいなぁ

生きるためなら何でもありだよ

ダンボール箱に土と新聞紙しいてでもトイレするもんだよ追い詰められたら

こんなもん書く暇があったら東京防災でも読んどけ

2018-10-31

anond:20181031182933

父がバイク乗りで、1歳の時後ろにダンボール箱をのっけてその中に入れられて

伯父の家にいって歌わされたことがあるので、段ボール箱入りです💦扱いがぞんざい……。

一人っ子で替えがないから、怪我されたら困るって言ってました。

友人がブチ切れて私の自転車練習しなよ!って言ってくれたけど、怒ると怖い父なので隠れて乗ってたらきっと殴られたと思うんです。

(ぜんぜん大事にされてないような。)

2018-08-15

キャンプ反省

キャンプ 二十代後半の男二人で行った

楽しい

癒し効果がすごい。椅子に座ってお酒を飲んでるだけで何かが回復する

・そこまで暑くはない。夜は長袖でちょうどいいくら

自然の中で食べる飯は最高

ゆっくり食うの最高

炭火で食う肉は最高

キャンプの主役は飯

・夜暗過ぎ。お隣さんがいないと心細くなるレベル

・星、見えすぎ

・天候が全て。雨だと終了。大きめのタープがあってなんとか

津田がやってたダンボール箱に各々の荷物を分けて置くやつ天才

・枕カバー適当な衣類突っ込んで枕にしたの天才

・ソーラーバッテリーは神

・お皿は紙皿で充分。そのまま捨てれるのがいい

・袋を多めに持って行ったのよかった。割と使う

タオルも多めがいい。とにかくいろんなものが汚れていく

・トングは2個いる。飯用と炭火

・ランプは一人一つ

クーラーボックスは二ついる

・炭はノーマルタイプを大量に持って行くのがよさそう

包丁はいらない。切ってから持って行くのが良し

・水そこまで必要じゃない。二人でも一本飲みきれない

・傘、キッチンペーパー、洗剤、懐中電灯型のライト(夜の散策用)、サランラップまな板テント固定用のハンマーマジックはあれば助かる場面多い

身体動かして遊ぶ系の道具あってもよかった

焼肉ならタレは複数持って行くべき

・虫対策必須虫除けスプレー、長袖、虫除け芳香剤、虫よけLEDライトでなんとかなった

・一睡も出来ず。テントで寝るのは居心地悪すぎ。虫の羽音がテント越しに聞こえて落ち着かない。せまい。蒸し暑い

・寝るとき各自別れるのが良さそう。簡易ベッド買うか

テントの下にマット敷いたら結構違うはず。シート二枚はごつごつして痛かった

・概ねなんとかなったけど要所要所でこれがあればって感じる場面多かった。次回は今回の装備+αで良さそう

2018-08-10

私は親のことが苦手だった。

世の中で言ういわゆる毒親とかそういうのではない。むしろ一人っ子の娘とだけあってとても大事に育ててもらった自覚もある。しかし依然として成人を超えても親が苦手だった。親と言っても主に母親である母親としては尊敬しているが、一人の女とみると絶対に仲良くはしたくない人種であることも挙げられる。しか母親としての彼女に対するこの気持はなぜなのかについて最近考えてみたところ私は母について「理解する」ことはできても「共感する」ことはできないからだと思った。逆に言えば母にとって私のことも理解をしてくれても共感はしてくれないだろうという根本気持ちがあるからなのかもしれない。だからこそ母に対してなにか「相談をしよう」であるとか「自分の近況についての話」であるとかをしようとは全く思えない。だから今では母に口出しをされるのが何よりも嫌でなにも話さない子になってしまった。

こうなったわけには一つの理由があると私は思う。それは小学校いじめられていたこであるいじめといってもよくあるトイレの個室の上から水を掛けられたりであるとか、ノート勝手に捨てられたりだとかそういう目立ったことはされたことはない。(一度小学二年のときに体育から戻ったら洋服教室の奥のダンボール箱の中に隠されていたことはあったが)主に目立っていたのは悪口だった。馬鹿らしくも集団グループ大事にし、イレギュラーという異分子を許さな雰囲気が私の学年にはあった。私は幼稚園私立卒業し、そのなかでも私自身地が強いので合わない子と口論になったりもしたが、その子はその子の子は他の子でのびのびと楽しい幼稚園生活をしていた。

小学校に上がって一応国公立受験したものの、自分自身よくわかっておらずテストを真面目に受けなかったものから普通に落ちて、地元の市立に入学した。そしたらどうだろうか女子男子カースト制度、その上野蛮、小学校に上る前はそれなりに漢字勉強に興味のあるいい子であったはずなのに、小学校に入ったとき自分名前をすべて漢字で書いたらある日男子3人に机を囲まれてこう言われたのだ「習ってない漢字を書くのはルール違反だぞ」と。今でも「は?」と思うし、当時も「何いってんだこいつ」と思っていた。けれど現実というのは自分ひとりだけじゃどうしようもなく、そのころの私はいわゆる私立出身の気弱なお嬢さんだったわけなので、そういったことを言われたり、私の学年は男子言葉絶対男子評価女子から評価も決まっていたので当然私は冷遇されてるのに耐えられなくてその権威に屈したのである

その上何よりも嫌で嫌で仕方なかったのは小学1年と2年のとき小学校担任である。もうこの担任が本当に嫌だった。そんな子供っぽいクラスメート女子意見をそのまま鵜呑みにして私のことを変に特別扱いし、一緒にして馬鹿にしてくるような担任だったのである。ついでにいえば1年のときクラス男子教室で殴り合いになったときも止めずに観覧していたような担任である。そんな担任クラスメートのと一緒に過ごす小学校生活になんの楽しみもなく私はひたすら自我を抑圧され、耐えるしかなかった。

結局6年まで耐え抜いたものの、私自身の性格は順応できるように自分でも歪んだ自信もあり、なおかつ口も悪くなった。今では治った方ではあるが当時は本当にそんな野蛮のなかで生きていたので口より手がでるような子供に育ってしまった。自分でも今思って悲しくて仕方がない。

その間私は何度も親に「学校行きたくない」「休みたい」という主旨の主張をしたが、一度たりともその苦しさをわかってもらうことなんぞなく、理解してくれようともしなかった。そんな親であったので小学校の私は直接親に「いじめられているか行きたくない」などとはとても言えなかった。バイト先の主婦さんの子供が小学校に馴染めず今不登校してるという話を聞く度に「羨ましい」という気持ちしか湧いてこない。私もできることな不登校になりたかった。あん場所に今でも一ミリたりともいたくない。

20年以上生きてきた中でも人生どん底は今でもあの小学校時代だった。そんなトラウマである小学校時代なにも救いの手を述べてくれなかった親に対して「理解する」「理解してもらう」ことなどできないと今でも心の奥底で思ってしまっているから、親に心を開くことができないのだと思うし、これからもこの溝を埋めることは決してないのだろう。

2018-08-06

槙本氏は、高知県支店が全国の支店間で実際に荷物を運んだ伝票を公開。

四畳半に住む単身者引っ越しなのに、「ふとん袋が5つ、食堂テーブルの大が1つ、ダンボール箱の大が40個、小が50個」

などと記されている実例を挙げ、

「4畳半の中にこれだけの荷物が入るわけがない。実際に運んだのはダンボール箱20個分。明らかに意図的に料金を多く取ろうとしていた」

説明

A○w○y

昨日近所で宅配便のにいちゃんがA○w○yのロゴ入りダンボール箱を大量に運んでた。

頑張って仕入れてる人がおるんやろな。

2018-03-07

[] #51-7「ノットシューゴ」

≪ 前

某日、『ハテアニ』の親会社にて。

「これを見てください」

フォンさんはそう言って、ダンボール箱を机に勢いよく置いた。

その中には、シュー監督降板に対する抗議文メールで届いた写しなどが大量に入っていた。

「もちろんこれだけじゃありません。まだまだ持ってきていますからね」

父たちの打開策はこれだった。

シュー監督降板に対する抗議文を、ひたすら募ったのだ。

重役たちは机の上に積まれ抗議文の山を、ただ黙って見つめていた。

それには理由があった。

「更に付け加えるなら、この抗議文スタジオにきたものだけです。皆さんの会社にも同じくらいの……或いはそれ以上の抗議文が届いたのではありませんか?」

親会社スポンサーにも、メールなどで抗議するよう世間に促していたのだ。

臭い方法だが、これが意外にも効果的だった。

そもそもシュー監督降板の要因は、親会社世間の風当たりを気にしていたからだ。

その世間が味方について、逆に親会社たちの敵になろうとしているならば、方針を変えざるを得ない。

「確かにシューゴさんの言動は反感を買いやすいです。色々とコンプライアンス違反やらかしています。でも、それは彼なりに作り手としての矜持が常にあったが故です」

「もちろんアニメというのは監督一人で作っているわけではありません。それを踏まえてなお、今の『ヴァリオリ』があるのはシューゴさんの存在が大きいですし、そしてこれからシューゴさんなしの『ヴァリオリ』なんて考えられません!」

当然、これは側面的な話でしかない。

抗議文を書いた人間の多くは『ヴァリオリ』のファンである人たちが多く、シュー監督を嫌う人たちは依然変わりない。

それでも、シュー監督が『ヴァリオリ』に必要であるという声も強いことを、否が応でもからせるにはベター手段だったのだ。

「皆さん、いま一度考えてみませんか。所詮アニメビジネスです。コンプライアンス大事でしょう。でも同じくらいクリエイター本位であることも大事なのです。それがアニメクオリティにも繋がり、売り上げにも繋がりやすくなる。なぜなら彼らが見たいのは、こんな水面下のトラブルではなく、あくまアニメなのですから


…………

こうしてシューゴさんは、今も『ヴァリオリ』の監督を続けているってわけだ。

ここで話を終えて、めでたしめでたし……でもいいかもしれないが、現実というものは綺麗に終わらないことが多い。

視聴率は下がっちゃいましたね……それでも十分に、人気と呼べる程度ではありますが」

「まあ、作り手が同じだからってクオリティが安定するかはまた別の話だからな。同じ監督が作っても続編でコケるなんてのは、よくある話だ」

シューゴさんはそう言っていたが、実際の出来はこれまでと変わらなかった。

大きな要因は他にあったのだ。

今回の一件は世間を大いに賑わし、大分ゴタゴタしてしまった。

そういった情報に敏感な人間バイアスがかかってしまい、アニメを楽しく観れなくなっていたのだ。

着ぐるみの中に人がいることを分かっていても、その中身を見せ付けられると興ざめする人間が出てくるみたいなものですね」

「マスダさん、あなたの例えは分かりにくいです。それにしても、作品の内容自体問題ないのに、こんなに顕著に反応が変わるんですねえ」

内面問題ばかりはどうしようもないさ」

「そうです。小便を完全にろ過しても、それが元は小便だと分かってたら嬉々として飲みたいとは思いません。変態でもない限り」

「マスダさん、あなたの例えは分かりにくいです」

「えー、つまり大半の受け手にとって、アニメってのは“現実から離れていて欲しいってことです」

「“現実”なしにアニメは作れないのに?」

「そんなものと向き合いながらだと、アニメを楽しめない人間だってたくさんいる。そして俺たちはそんな人間区別してコンテンツ提供することはできない。物理的に不可能なんです」

不条理ですよ、そんなの。じゃあ今回の一件で誰が得したんですか」

「そんなのオレだって知りたい。まあ、ちょっとやそっとのことでゴタゴタしたりガタガタになるってことは、そのコンテンツ自体が実は大したもんじゃないってことの証明ではあるわな。今回、馬脚を露わしただけのことだ」

なんだか釈然としない話だが、とどのつまりアニメは観たいやつが観たいようにしか出来ていないってことなのだろう。

そして、そんな人間のために父やシューゴさんたちが日々翻弄されているのを思うと、アニメ関係仕事は割に合わないなと俺は思った。

(#51-おわり)

2014-03-29

大学5年生だったころに経験した日雇いアルバイト

留年した年、親から仕送りストップしたため、1年間日雇いアルバイトをした。

夕方6時から翌朝8時まで、自宅付近にあった運送会社の集配所で、荷物仕分けをする仕事だった。

残す単位は2つだけだったので、学校に行く必要ほとんどなかった。

アルバイトに来るのは合計7人くらい。顔ぶれは毎日ほとんど同じ。

学生や見知らぬおじさんが来ることもあったが、2日以上勤務する人は本当にまれだった。

たまに続けて出勤する人もいたが、数週間くらいで来なくなり、またもとのメンツに戻る。

勤務時間が長いし、ずっとダンボール箱を移動しつづけるのは本当に辛いし、常連メンバー雰囲気も独特だった。

学生はひとりもいなかった。

働く場所は、鉄骨で組まれた大きな倉庫だった。

夕方倉庫に到着すると、片側半分くらいがうず高く積まれダンボールで埋まっている。

もう片側には運送トラック用の搬入・搬出口が8カ所ほどある。

僕たちアルバイト仕事は、ダンボールに貼り付けられた伝票を見て配送先を確認し、それに応じたトラックの搬出入口までダンボールを運ぶことだった。

この作業夕方から翌朝までひたすら続く。

休憩時間は1時間。日給は1万円。

しかアルバイト求人票には「倉庫内軽作業」とあった気がする。

「軽作業」といっても、これはフォークリフトなどの重機を使わない作業ということで、人力でやる分には重くて仕方がない。

とくに古着が詰め込まれダンボールそれから木枠に収められた小型エンジンは、手首が抜けるほど重かった。

社員は、監督役が一人いるだけだった。

朝方になると、その他の社員も出勤してきて、小さなフォークリフトを器用に運転し、人間の手では運べないような荷物を整理する。

そうこうするうちに運送トラックがやってきて、ドライバーたちが僕たちの仕分け荷物トラックに積み込み、各地域に向かって発車していく。

そのあたりで時計が8時を回り、アルバイトが終わる。

アルバイトが終わったら近くの吉野屋に入り、牛丼を二杯食べ、その足で銭湯に寄って、自宅に帰るなり泥のように眠るという日々を送った。

銭湯風呂桶にとったお湯を身体にかけると、真っ黒になった水が排水孔に流れていった。

最初はびっくりしたが、どうやらフォークリフトのはき出した粉塵が、全身の体毛に張り付いているようだった。

鼻の穴に指をつっこむと、指先が真っ黒になるので分かった。

常連アルバイトメンバーは、自分を除いて全員住む家がないようだった。

といってもこれは随分後になってから仲良くしてくれた人からいたことで、直接本人に確認したわけではない。

日給が1万円あればアパートを借りれると思うのだが、そういうことを聞ける雰囲気ではなかった。

どこで寝泊まりしているのか聞いてみると、大抵はクルマの中らしかった。

休憩時間には、みんな競馬の話をするか、花札をしていた。

グチらしいものをこぼしているのは聞いたことがなかった。

自分過去を話す人もほとんどいなかった。

自分のことを話す人は、みんなすぐやめてしまった。

そういう人が話すのは「自分は昔はこうでなかった」とか「自分は昔上場企業に勤めていた」など、言い訳じみたことばかりだった。

たまに来る学生は「キツイ」「ツライ」と思ったことをそのまま口にして、そのまま来なくなった。

常連メンバー自分のことを話そうとしないのは、美意識というよりは、言っても仕方がないという感情があったからだと思う。

そこに踏みとどまるために、そうせざるを得なかったのだと思う。

それが奇妙に居心地がよかった。

人に対する優しさでは決してないのだが、そう錯覚してしまうようなところがあった。

自分大学生だったが、身分を明かすことはしなかった。

半年ほど経ってようやく打ちとけたおじさんとだけ、たまに会話した。

このおじさん、九州出身でもともと会社経営していたらしい。

それが経営手詰まりになり、奥さん子供と別れて、今は独り身とのことだった。

一時期は羽振りがよかったらしいが「今はこんなや」と言って笑ってみせる。

そんな物腰が他のメンバーとは明らかに違っていて、それが自分に話しかけてくれた理由なのだろう。

この元社長から「化粧の濃い女の人は、お願いすればやらせてくれる」と教えてもらった。

「本気でお願いすればいける。一度ではだめ。あきらめずにタイミングを見計らってお願いしつづけろ。そしたら三回目くらいでやらせてくれる」らしい。

実践する度胸はなかったが、勉強にはなった気がする。

最後アルバイトの日、その人にだけ今日最後だと伝えた。

そうしたら「ここが社会底辺だ。ここでの仕事を続けることができたのだから、どこに行ってもがんばれるはずだ」と太鼓判を押してもらった。

いい思い出になった。

でも、あれから今まで、この時の経験以上につらいことがなかったかと言えばそうでもない気がする。

会社勤めのほうがつらいことが多い気がする。

今でも、なぜ自分がそのアルバイトを続けることができたのか、はっきりと説明できない。

なんとも言えない居心地のよさがあったのはたしかだが、それだけが理由かと言われるとそうでもない気がする。

そういう仕事をする素養があるのかもしれないがよく分からない。

から15年くらい前の話。あの頃のことを今でもたまに思い出す。

別にたいした内容の話ではないけれど、あまり人には言わないようにしてきた。

今回はじめて書いてみた。

あの人たちは今どうしているのだろう。

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