はてなキーワード: ダボダボとは
長年デカくて悩んでいた胸を小さくする手術を受けるために整形外科でカウンセリングを受け、見積もりを取ってきた。インターネットに星の数ほどある整形レポートのなかでも乳房縮小術の症例はとても少ない。あっても整形外科医院のサイト内に内容と手術法および画像数枚が簡潔にまとめられている程度。FtM の方のブログも読んだが、そうではないケースで手術をしたという国内の症例や個人の記録は少なかった。まだ手術を受ける前の内容ではあるが、ここまでの経緯を記録したいと思い筆?をとった。
増田は30女、カップサイズFかG75、既婚、子なし、共働き、会社員、都内在住、やや低身長、標準体重。
胸が大きいと気づいたのは高校に進学し最初の体育の授業でクラスメイトにいじられたことが最初だった。増田の家庭は若干放任と毒親気味でブラを買ってもらえなかった。生活に不便だったのでコンビニ振り込みで下着をネット通販したのを覚えている。その後胸は私の意思に反してどんどん巨大化し、部活や文化祭等で揃いのユニフォームなどを着用する際に目立つようになった。その間進学から就職、今に至るまで典型的ないじられ方(見せびらかすなとかエロいとか羨ましいとか頭が悪いとか何カップとか)やセクハラをされ続けた。いじられた時、何か言い返すことで胸が大きいことを自慢しているような構図になり嫌なやつだと思われたり、褒めているつもりだと主張する人の前で変な空気になるのが嫌だったから愛想笑いで誤魔化しながら20数年やり過ごした。切になんとかならない体型いじりは社会から無くなって欲しい。
もともと増田はモードな雰囲気が好きだがその方向性は諦め、下着はサイズがないので高額で購入し、日常的にコスプレ用のさらしで胸を潰していた。スポーツや式典は胸周りをガッチリとテーピングした。物理的に息苦しい思いをするので、毎度イベントで体調が悪くならないかハラハラした。それでも人に指をさされるこの体型が本当に本当に嫌だった。「私は胸が小さくて悩んでいるのになにを謙遜しているのか」と逆ギレする女性などもいるのだが、お互いコントロールできないことなのだし、別にこちらとしても小さくはできないので、勝手に敵対視しないで欲しい。一時、ダイエットで美容体重まで減量した際も胸だけが残り絶望感でいっぱいだった。
自分の胸が嫌だという話が長くなってしまったがなんだかんだダボダボの服を着ながら日常生活をやり過ごしていた。そんなある日、海外のスポーツ選手がパフォーマンス向上のために乳房縮小術を受けたという記事を読んだ。こんな方法があるのかと、興味本位で日本で施術ができるのか、金銭的にはいくらでできるかと思いネットで調べた。そこで冒頭に述べた通りFtMの方の体験談、そして施術可能な整形外科のページや評判をいくつか見比べ、さっそく二つの院に予約をとった。
いままで胸が大きくて悩んでいると人に言うと「贅沢な悩み」だと一蹴されてきたので、受診するのはとても緊張した。顔面を含めそもそも整形自体初めてだった。全国展開の整形外科でも乳房縮小術はレアケースなので執刀医が少ないらしく、一つは自宅から40分もかかる院だった。
真剣に悩んでいることを整形外科医とスタッフに打ち明けたところ、ちゃんと話を聞いてくれて、正直涙が出そうなくらい嬉しかった(高額な施術を控える客だからかもしれないが…)。
どちらの院もだいたい同じ流れで、医師と女性スタッフの二人体制で
・どのぐらいサイズダウンを目指すか
・ダウンタイム
・手術痕
・金額
について説明を受けた。
まず胸を小さくする方法は、脂肪吸引もしくは乳腺切除、また著しく胸が垂れている場合は釣り上げ術というものを適用するのが主流だそうだ。増田のケースは乳腺が発達してしまっている胸のタイプで、脂肪吸引だけでは理想のサイズダウンは望めないため、乳腺切除が必要だと分かった。ダイエットしても胸が小さくならないということが受診によってわかり納得感があった。
また、胸の中身を出して小さくしても乳首の位置や皮膚がそのままだと見た目がおかしいので、周辺の整形手術を行う必要がある。施術は乳輪の下から縦に皮膚を切り裂き、胸の外周を半周切り取って乳腺切除をするため、そこそこ大掛かりな手術となるとのことだった。多少の傷跡が残ること、完成までのダウンタイムが回復が早くても半年ほどかかることも伝えられた。
結論、経産婦ではない場合は乳腺切除は後戻りできないのでよく考えてから決めてくださいとのことでカウンセリングは終了した。やはり出産前に施術を受ける人は少なく、子育てを終えた人がアンチエイジングとして釣り上げ術と同時に縮小術を受けるケースがほとんどらしい。個人的にはそこまで子供が欲しいわけではないし、さらに胸が大きくなった自分の妊娠中や授乳姿を想像するのもやや気分が悪くなるが、ちょうど30代に差し掛かる年齢ということもあり、別にセックスレスというわけでもないので、やはり後戻りできない施術とダウンタイム6ヶ月を考えるとやや怯んでいる。
病気ではないので、健康保険は適用されないため支払いは全額自由診療の料金になる。いくつかの院で見積もりをもらったところ、麻酔代などを含め日帰り手術130〜150万円前後が相場で、脂肪吸引のみで済む人だと80〜100万円弱ほどになるらしい。都内なのと、ある程度名の知れている整形外科を中心に見積もりをとったからこの金額になるのかもしれないので、地方の個人院や美容先進国の韓国ではどうなのかはまだわからない。またモニターといって、症例写真を提供すると2〜3割ほど金額から引かれるようだった。100万超の手術費用の捻出は私にとって大金だが、20数年間胸がデカいことに起因する嫌な出来事を考えると、金さえあればこんな思いをしなくて済んだのかと思う。その期間、無駄な飲み会などに多額を費やしたであろうことを反省するし、なんなら若くて回復が早くスケジュールに余裕のあった学生時代に施術を受ければ進学就職でいちいち嫌な思いをしなくて済んだのだろうか。
ここまでなんとなく、カウンセリングを受けてきたことを夫に話せていない。増田夫は体型などになにかを言ってきたことは今まで一度もなく、財布も別だし、増田の行動にもあまり干渉しないタイプだ。決意はだいたい固まっているのだが、まずは夫にどう切り出そうと考えながら、整形外科からもらった見積書とパンフレットをこっそりカバンから出して眺めている。
自分の持ち物である身体の整形手術なのに、まだ予定のない子供(≒妊娠出産)とパートナーのことが頭によぎるなんて、一体この胸は誰のものなんだろうか。
次女の誕生日のあと、長女の誕生日があって、その直近の祝日、二人に誕生日プレゼントと服を買ってやるために買い物に出た。トータルで三万円くらいかかった。はぁ。
服を買う時に、ついでに長女に今のうちに生理用品とかブラを買っとこうぜ、と言うと、長女は思いの外喜んだ。
長女は11歳になったのだが、最近爆速で身長が伸びると共に体型も大人に近づきつつある。彼女は小さい頃から今に至るまで安定の痩せ体型だ。身長に合わせてズボンを買うとウエストがブカブカだったのが、今は150のズボンを履いてもずり落ちなくなった。痩せているなりに身体の厚みは増しているのだ。
最近の長女は胸が急に育って来ているのが悩みらしい。そういう事をぽつぽつ言うのだが、ブラが欲しいと自ら言う事がないので、親であるこちらから提案した方がいいんだろうなあと思った。
長女を子供の下着売り場に連れて行くと、彼女は種類の多さに圧倒されていたが、ぼくが
「ステップ1とか2とか3とかタグがついてるな。まずはステップ1でいいんじゃないか?」
と言うと、それらを物色しはじめた。
「すごーい、いっぱいあるー。こんなのが欲しかったの!」
などと言うから、可愛い色のやつを買うのかな? と背後で見ていたら、スタンダードな感じの、キャミソールと一体型の白いのを二枚選んだ。黒や紫もあるし、ブラだけ独立していて、同色のショーツとセットになったものもあるよとぼくが言っても、「絶対これがいい!」と長女は譲らなかった。まあ、白無地はアウターに響かなくていいよな。もし、ぼくがユニクロの白のエアリズムばかり着てることに影響されたのだとしたら、なんかすまないなと思うけれど。
今時の小学生女子は、他の子がどんな下着を着けているのか、気になりはしないのだろうか? ぼくが子供の頃は、女子はそういう事についてはかなり煩かった。白い「初めてのブラ」なんか着けていると、露骨に馬鹿にされたものだ。
ぼくが子供の頃、ぼくの母親はどういう訳か我が子の二次性徴について捻れた考えを持っていた。だからぼくはなかなかブラを買ってもらえなくて、確か中学に上がってしばらくはノーブラで過ごしていた。部活の時以外は胸が目立たないよう猫背で下を向いて歩きがちだったように思う。
当時はぼくの母親だけでなく、世の母親達の考えは大抵いい加減かつバラバラだったので、胸が既にかなり大きいのに「子供だから」という理由でノーブラな女子というのはしばしばいた。ぼくはそれが好きじゃなくて、自分はそうはなりたくないと思ったのだが、無駄に性に対して厳格な家庭でしかも鈍感な母親にブラが欲しいなんて強請るのはあり得ないと思って我慢していた。ただ、ぼくの場合は胸が発育しかけだとしても限りなく俎板に近い胸をしていたので、ブラを着けていないことを誤魔化すのはそんなに難しいことではなかった。
だが、体育の授業や部活の授業の前後に更衣室で着替える際だけは誤魔化しなどは利かない。
体育の時の着替えはまさに針の莚に座るような心地だったが、部活の時はそうでもなかった。更衣室では先輩達が下着姿で悪ふざけをしていたし、彼女達の下着はみなカラフルでまるで見せるためのもののようだった。たった一、二学年違うだけでどうしてこんなにも文化が違うのか不思議だった。ぼく達の学年はいつまで経っても白いペラペラの下着で、誰が一番先に「色気づいて」大人のようなブラを使い始めるのか、監視し合い足を引っ張り合っているのに。
先輩の一人が日曜日に買ったばかりだというグリーンのチェックのブラを見せびらかしている時、ぼくはホワイトボードの下にレイジと二人で潜り込んでぴったりと身を寄せ合って先輩達の馬鹿騒ぎを眺めたり、今週のジャンプの話したりしていた。ブラの自慢をしていた先輩がぼくらの所にやってきて、
「今日も二人、異様に仲がいいよね」
といい、ぼくはそこに含みがある事に素で気づかず、
と答えた。
レイジとは中学に上がってすぐの部活見学期間のある日に出会った。レイジは武道館の片隅に一人で体育座りをして、先輩達の稽古の様子を眺めるでもなく膝の上に顔を伏せていた。最初にレイジがぼくを見たが、話しかけたのはぼくの方からだ。当時のぼくは既にはみ出者気質を全開にしていたが、今よりは社交性があったのかもしれない。
レイジの第一印象は、大人しそうな男子、といった感じだった。目が合って、一言二言交わしただけですぐに気が合いそうだと思ったのと、ぼくと同性である事に気づいたのとは、どっちが先だったろうか。立ち上がれば性別を間違いようはない。レイジはぼくよりずっと背が高く、正面から相対すると迫力のある胸が視界を圧倒してくる。まるでモデルのように手足が長く、メリハリのある体型をしていた。
そんなレイジだが、ほとんど大人同然の背格好をしていたにも拘わらず、ぼくと同じくまだ「子供」というカテゴリーに押し込められていた。つまり中学に上がってもしばらくはノーブラで過ごした。その点でぼくにとっては類友でもあった。
いつだったか、先輩の一人がそんなぼくらを見かねて声をかけてきた。ブラをしないと恥ずかしいとか乳が垂れるぞとか、そんなことを言われ、ぼくらは「はーい」と返事をしたが、すぐに他愛ない雑談に戻った。レイジは先輩に言われたことなど全く意に介していないようだったけれど、ぼくは内心かなり気にしていて、やはり母親にブラが欲しいとお願いしなくてはならないのだろうか? と考え、まだ何も行動しないうちから屈辱に打ち負かされたような気になっていた。
記憶に間違いがなければ、ぼくらは少なくとも一年の夏休みまでは「子供」カテゴリーのままでい続け、それぞれ親の方針通りに子供の肌着を制服の下に着続けていたと思う。そのことによってレイジがどんなデメリットを被ったかはぼくは知らないが、ぼくの方には人には言えないようなデメリットがあった。
ある日、竹刀を振った瞬間に身体の内側から「ぶちっ」と音がした。腕のつけ根辺りがヒリヒリと痛くなった。家に帰ってから服を脱いで見てみると、鎖骨のすぐ下辺りに赤い皹が入っていた。まるで鋭利な刃物でひと突きしたような傷は薄い表皮で繋がっていて、出血はない。どうやら急に大きくなった胸の重さに皮下の肉が負けて裂けてしまったようだった。奇妙な傷はその後いくつも増えていき、白い痕になって残った。
肌にいくつもの傷が残るほどに、ぼくの胸はお荷物になりかけていたのだが、だからといって目立って大きいのかというと全くそんな事はなく、服を着ている限りは相変わらずの俎板に見えるほどだった。なのに、ただ普通に生活していくだけで服の下に隠れた部分が傷だらけになっていく。その原因がさして膨らんでいるようには見えない胸であるなど、親に相談出来る訳もなく、ぼくはひた隠しにした。
その件はレイジにも話した事はない。そもそもぼくとレイジは「親友」だと言い合っていたのにも拘わらず、お互いに相手の内面には踏み込もうとしなかった。ぼくらは校舎の内外を、ひとの目も気にせず手を繋いで歩き、座る時にはスズメのきょうだいのように身体をくっつけた。部活の合間の休憩時間には互いの背中を背もたれにしたり、膝枕をしあったりした。
ぼくがレイジの太ももを枕にしている時、ぼくの鼻先にはレイジの胸があるのに、そのぼくの胸の何倍も大きな肉の塊はレイジにどんなダメージを与えたのか与えなかったのかなんて知らなかったし、レイジはレイジで、ふざけて指でつついたぼくの貧相な胸がぼくにとってはけっこうな凶器だった事など知らないままだった。
レイジに対してのぼくの隠し事なんて大した数はないが、ぼくにとってレイジは謎の多い奴であり続けた。真面目そうに見えてちゃらんぽらんで、部活だって、ぼくとレイジとはたった二人だけの新入部員なのに、レイジはよくサボり、ぼくを一人にした。夏休みの部活に、レイジは半分も顔を出さなかった。なのに試合に出ればそれなりに勝つのが不思議だ。何故レイジはそんなに休むのか、ぼくはしばしば先輩達から聞かれたが、わかりませんと首を振るしかない。
親友の癖にぼくはレイジの個人的な事をほとんど知らない。そのことが気にならない訳ではなかったのだが、いざレイジと顔を合わせると、数々の謎の解明などどうでもよくなってしまう。レイジとする話は好きな漫画やアニメの話ばかりで、端からみればそれは終始うわべだけの話をしつづけているだけで、それのどこが親友なのか不思議だったかもしれない。
ぼくとレイジは心が遠くにあるのを補うかのようにスキンシップだけは過剰に行った。一日の中で最初に会ったときは、相手の存在を視認したらどんなに遠く離れたところからも全力で駆け寄り、
「カーラミーア!」
「モンシェ!」
と叫ぶとひっしと抱擁し合う。隙あらば、学校内のどのカップルよりも密着して過ごした。
夏の間、ぼくはろくに飲食をせずに部活でしごかれていた。これ以上身体に無駄な肉がつくのを止めたかったし、生理の出血をなんとか止めたいと思って行った無謀なダイエットだったが、消耗したわりに効果はいまいちだった。ひと夏で顔だけげっそりしたぼくだったが、片やレイジは夏休み前と少しも変わらず飄々としており、健康そのものに見えた。実際、心ない男子がぼくらに対して目障りだ死ねと罵倒を浴びせるやそいつを蹴り倒しプロレス技をかけて泣かせるなどワイルドに暴れることもあった。
ぼくは安心した。実はぼくの母親がぼくとレイジが仲良くなったのを知り、ぼくの同級生の母親達の情報網を使ってレイジの個人情報を仕入れており、聞いてもいないのにぼくにそれを話したのだ。ママ友ネットワークをもってしてもレイジの事で確かな情報は得られず、噂程度のことしか仕入れられなかったようだ。それによれば、レイジは何らかの病気で定期的に通院しているという。だがその病気が何であるのかは誰も知らないらしい。
ぼくが知っているレイジの個人的なことといえば、レイジには兄が一人いて両親も健在で、四人家族で仲良く暮らしているということくらいだった。
「レイジのジは二番目のジってこと?」
「そそ」
「納得した」
きょうだいの二番目だから「レイジ」と名乗るレイジとぼくとは部活つながりの親友。クラスと出身小学校が違うせいでお互い相手の事で知らないことが多いかもしれないが、そんな事は関係なく、ぼくらはとても仲がいい。
秋になった。ある日、学校から帰るとぼくの部屋に大きな買い物袋が置かれていた。母親が開けてみろというので中身を見たら、「はじめてのブラ」と書かれた厚紙つきの白いブラが三着ほどと、その他下着類が入っていた。母親によれば、「ぼくに必要だから買った」というより「みんなが必要だと言うから買った」ようだ。母親は他人の言う事になにかと流される。
しかし、断られる可能性が高いと思いつつこちらから羞恥心を堪えつつ頭を下げてお願いすることもなしに、必要なものが手に入ったのは良いことだ。ぼくは「はじめてのブラ」を着けてみた。ところがサイズが全然合っていなかった。それはAカップだがアンダーが85cmもあって、上半身だけは骨の浮くほどガリガリだったぼくにはユルかった。
翌日から「はじめてのブラ」を着けて登校したが、いざ日常生活を送ってみると、ユルすぎるブラはぼくの助けになるどころか邪魔で邪魔で仕方のないものだとわかった。ちょっと身体を動かしただけで背中のホックが外れる。これまでの習慣通りに猫背にしていると外れるし、かといって背筋を伸ばしてもまた外れる。走るとどんどんブラが浮いてきて胸の上までずり上がってくる。それを狼狽しながらも誰にも気づかないよう適正な位置に引き下ろさなければならない。
なんなんだこれ……。母親に苦情を言うべきではないかと思わなくもなかったが、母親がぼくにブラを買い与えた時、牽制するように「デブで胸のないお前にはサイズがそれしかない」と言ったから、解決策は何もないとぼくは思い込んだ。デブは言いがかりだ。ぼくはチビの癖に肩幅と腰幅があり、脚も太かったから、セーラー服を着るとずんぐりむっくりに見えたが、上半身はガリガリに痩せていたのだ。
何でぼくだけこんな事に……と思いつつ、部活の際に先輩達がふざけながら着替えている間は、いつもの様にぼくは部室の隅っこにレイジとぴったりくっついて体育座りで待っていた。先輩達は相変わらず可愛いブラを着けていて、それらはぼくの「はじめてのブラ」のようにズレたりホックが外れたりはしない。どうしてぼくの「はじめてのブラ」はこんなにも役に立たないのか、すぐそこに何事にもあけすけな先輩達がいるにも拘わらず、ぼくは誰にも打ち明けられない気がして、勝手に孤独に浸っていた。隣のレイジは、元からそういう話をすべき相手ではない。
その時、ツンツンと脇腹をつつかれた。隣を見れば、レイジが膝の上に半分顔を埋めたまま、いやーな顔で笑っていた。
「お前、これなんなの?」
レイジはニヤニヤしながら、ぼくのTシャツの上からブラのバックベルトを引っ張った。
「何でもいいだろ!」
ぼくは小声で身をよじりながら言った。その反応がレイジには面白かったらしく、レイジは「なんなの、なんなの」と言いながらぼくのブラのあちこちを引っ張り、脇を擽ってきた。そんなぼくらの攻防戦を先輩達はいつものじゃれ合いだと思ったらしく、「今日も二人は仲良いよねー」と言った。
その日以来、レイジはぼくがブラを着けているのを面白がり、やがて服の上からブラのホックを外すという技を会得した。レイジが通りすがりにぼくの背中を叩くと、ホックが外れる。とんでもない悪戯だが、ぼくのホックは悪戯をされなくてもしばしば外れるし、ぼくとレイジはクラスが違うので、被害を受けたところで大した事にはならない。それでぼくとレイジの仲が決裂するという事もなかった。
ただ、レイジがぼくをブラのことでイジッてくるのは意外だと思った。同級生女子の中には、他の女子が「色気づく」のを嫌って意地悪をしたり他人の足を引っ張るような事をする奴が何人もいたが、レイジはそんな陰湿な女子どもとは最も遠い存在のような気がしていた。でも、その頃レイジはまだ「子供」カテゴリーの内にいて、それをぼくなんかみたいな貧乳の方がイチ抜けしたのだから、変に執着されるのはおかしい事ではないような気もした。
人の心理としてレイジの反応は特におかしいものではない。が、ぼくらの関係性の絶妙なバランスをレイジの方から崩して来ようとするのは……逆にぼくの方から壊しにかかるなら自業自得なのでまだしも……どうしていいのかわからない。わからなさすぎたので、ぼくは何事もなかったかのように過ごす事を選んだ。
二年からはぼくとレイジは同じクラスになった。一緒に過ごす時間は益々増えた。レイジが休み時間の教室ですれ違いざまにぼくのブラを外して遊ぶ事もあったが、ぼくは責任を取ってホックを元に戻せとレイジに要求し、レイジは「はいはい」と言ってぼくの制服の背中に手を突っ込んでホックを掛け直した。
その頃にはレイジは既に「子供」カテゴリーを脱していたのだと思うが、ぼくにはその件については全然記憶がない。少なくとも、ぼくはレイジからされたようにレイジがブラを着け始めた事をからかうことはなかった。
教室が一緒だと、友達同士なら休み時間ごとにお互いの机のところを行来するものだ。ぼくは授業が終わってもすぐに教科書をしまって離席することがないから、レイジの方からぼくの席にやって来がちだった。ふとぼくが顔を上げると、視界の全面をレイジの胸が塞いでいる。よく、胸の大きな女性が「(男は)私じゃなくて私の胸に挨拶をする」と言うが、レイジの場合はぼくに胸から挨拶して来るようなものだ。ぼくはレイジに知られないよう視線を外した。だからレイジの胸がしょっちゅうぼくの目と鼻の先にあったのに、ぼくはレイジのブラ事情など全く知らない。一方レイジはといえば、ぼくをからかえるだけからかって恥ずかしい思いをさせたのに。
レイジは狡いと思ったが、他の女子といがみ合うようにレイジと争うのは嫌だった。レイジと喧嘩する事があるとしたら、それとは全く関係のない、取るに足らない事が原因だ。そしてベッタリと仲がいい分喧嘩するのもわりとしょっちゅうだった。大体はぼくの方から吹っ掛ける。そこにレイジは狡いという思いがなかったとは言えないと、当時を振り返って思う。
レイジは胸が大きくて手足が長くてモデルのような体型をしていたが、女としてはある意味で無敵だった。ぼくはといえば、自分の身体がなにかとコンプレックスで、わざと身体に合わないダボダボな格好ばかりしているから、本当はガリガリに痩せていたのにすんぐりむっくりのデブだと思われがちだったうえに、貧相な体つきのわりにはきっちりと女であることのデメリットを受けた。すなわち生理が異常に重くて一月のうち絶好調なのは三日ほどしかなく、あとは瀕死。
レイジは不調知らずで常に元気いっぱい走り回っていた。何かの病気で通院しているという噂はデマに過ぎないのではないかとぼくには思われた。だがレイジはよく部活をサボった。同じクラスで親友のぼくにも何も言わず、放課後になるといつの間にか姿を消している。ぼくは既にレイジはそんなものだと思っていた。部活の顧問から、来年の女子部部長は消去法でぼくに決まりだと聞いて軽く絶望した。レイジの方がぼくよりもずっと強いのに、部長は実力よりも真面目さが大事だと顧問は言う。だがぼくは顧問が思うほど真面目ではない。絶不調ながら毎日律儀に部活に出ているのはほとんど、稽古でカロリーを消費しつくせば生理にかけるエネルギーが少なくなり、来月こそは体調がましになるのでは? と期待していただけに過ぎない。
そんな馬鹿な事をしていたせいで、ぼくはある日、体育の授業中に具合が悪くなった。その日のメニューは1000メートル走だったが、ぼくは運動神経がない癖に中距離を走るのが大好きで得意だったので、生理中だというのに無理をした。酷い目眩がして手足が冷たくなり、震えが止まらなくなった。爪が真っ青になり、顔色も青を通り越して真っ白だと、ぼくを見た体育教師が言った。体育教師は厳しい人で滅多な事では生徒を休ませないのだが、ぼくが芝生に座っても一向に回復しないので、保健室に行って休めと言った。ぼくは保健委員に付き添われて保健室へ行った。ベッドに寝かされた途端に意識が落ちた。
気がついたらベッドの側にレイジがいた。
「おはよー。今どんな気分?」
「どんなって、最悪だけど。でもさっきよりはましな気がする」
「ははっ、体育の時はヤバかったな。こいつマジで死ぬんじゃね? って感じの顔してて、先生がさすがに焦ってた」
そう言うとレイジはぼくのほっぺたをつまんで引っ張った。
「ほっぺぷにぷにー。すべすべで真っ白ー。でもさっきよりはましー」
レイジはぼくの肌をすべすべで真っ白だとよく言う。小学校時代は徒歩通学で、中学に上がってからは自転車通学で、それなりに日に焼けていたから、ぼくの肌も黒くて荒れているはずだと自分では思い込んでいたが、レイジに指摘されてはじめて、ぼくは色白で肌質がいいのだと知った。少なくともレイジのほっぺたよりはぼくのほっぺたの方がすべすべで白い。
「今どんな気分?」
「君が血色が戻ったというなら、思ったよりもいいんじゃないだろうか。確かに吐き気はしないし、頭痛もしない」
「ふーん。俺にはそういうのが無いからわからないけど、まあ無理すんなよ」
レイジはいいな。ぼくと性別が同じでもぼくのような思いはしないんだ。でもぼくみたいにひ弱なのはレイジには似合わないから、それでよいのだと思った。
トラバに続く。
みんなそんな束感出したいのか?かっこいいと思うか?
いや,かっこわるいとは思わないが,なんでみんながみんな束感だすんだよ
むしろそっちの方が多いだろ
その原因って自分なりに調べてる感じ,某東京のメンズの美容院がネットで情報発信してるからだと思うんだよな
因みにインスタでよく見る「大変身!」みたいなやつはなんでほとんどの奴ツーブロックアップバンクなんだよ
もっと他にあるだろ
雑誌とかはもっと色々提案してるの見るけどああいうのは好きな人しか見ないからなぁとは思う
これは,ファッションにも言えると思うんだよ
インスタでファッション発信してる男共なんだあれ
軒並み「モテる!」ばっかじゃねーか
みんなファッションのモチベーションってそんなにモテることなのか
これはこれで,インスタで情報収集して自分のインスタで発信するみたいなループしてんだろうなって感じはするわ
まぁファッションはヘアスタイルに比べてまだちゃんと上記以外に色々発信してたりする場所があるしメディアもちゃんとしてるのが多いからましかな
槍→騎兵→弓→槍のジャンケンまでは理解できるが実際に戦うと俺の騎兵が槍兵にボコられて全部終わってしまう。
騎兵を使うことを止めると弓の強化版であるカタパルトに全てが破壊される。
仕方ないので騎兵を遊撃兵として別枠に使うのだがこれがもう無理。
槍1
弓2
斥候3
騎兵一番槍4
騎兵第二陣5
対人攻城兵器6
対物攻城兵器7
全軍突撃を8
ヒーロー9
でやってるんだがもうこの時点で頭と指が追いつかない。
訓練ミッションでなら槍に横陣を引かせて敵の騎兵を止めつつ弓と一緒に引き撃ちを行うところまで出来た。
実戦だと完全に崩壊する。
引き撃ちは分からんので一度ぶつかったらもう撤退は存在しない。
ナポレオンの時代の戦争モノでよく出てくるオッスオッスでビビるかボコられて逃げたやつが蹂躙される押し合いしか存在しない。
そしてこの中で騎兵を暴れさせるのが無理すぎる。
こっちの騎兵は一番槍が全部止められている。
そっちをお取りにして第二陣が敵を蹂躙し返すのだが騎兵を半分無駄遣いしている分こっちがまず負ける。
ヒーローは使い方が分からんので必殺技ぶっぱさせてあとは気づいたら死んでる。
内政も当然のように意味不明なのでとりあえず金鉱に旗を差しておいて住民を量産してから適当に金鉱から他の仕事に向かわせるという杜撰なやり方しか存在せず人数の割合とかは何もわからないので資源が気づいたらダボダボに余る。
もちろんこんな状態で対人が出来るわけがないのでひたすらAIと戦いAIにボコられている。
プロゲーマーの試合の動画を見て「なるほど局地戦ってこうやるんだ~~」と知ったつもりになっていたがそもそも局地戦に戦術を持ち込む余裕がない。
荒らしとか言われても意味がわからないので斥候をSHIFTで予約したポイントを走らせる以外何もさせてない。
相手がCPUだからどうせ自動生成だろうということで敵の農民をみかけても放置しかしない。
本当に分からない。
同じことを子供達も思っているからプロゲーマーの注目度が上がっているんだと思う。
野球やサッカーとかはまずフィジカルと反射神経が大前提で、子供同士の試合だとなおさら技術や戦術が圧倒的パワーの前で霞む。
練習しまくってバケモノ化したんだろうなって思う前に生まれつき身体が凄いだけなんだろって考えちゃうと少しだけど尊敬しにくい気がする。
反射神経は相変わらず大事だけどなによりイカれてるのは当たり前のようにやっていることの当たり前じゃなさ。
それが全て技術によって行われているという部分から来る気持ち悪さ。
変化球や変態シュートのような技術的部分の鍛錬だけをひたすら積み上げて作られる未知の現象を起こしてる。
ヤバイわ。
なんなのこれ?
なんで普通の人がこんなの遊んでるの?
元アパレル店員なのだが 元増田が普段どんな店行っているかとかに言及しているわけじゃないので悪しからず
例えばプチプラ系の服屋とかイオンの中にある服屋(いわゆる自店のコンセプトを持たない流行りで店内の商品が決まるようなところ)は現在の流行で決まるので、どんな人でも着れるような服はあんまり置いてないんだよね
そして今はそういう店がものすごく増えてて、イオンモールの中なんてほぼそういう店だからね…(田舎民)
服に対する選択肢がすごく少ないんだよね、今は
もし好みの服があったとしても、ほとんどの洋服がフリーサイズ(ワンサイズ)なんですわな
着る服を選べない〜と言っている人に対して「じゃあユニクロとかGUとかしまむらに行けばいいじゃん!」はあまりにも可哀想じゃん。
選びたくて悩んでいるんだろうし…
最近の店、流行りを追うのはいいけれどサイズの選択肢くらい増やしてくれてもいいよなーっておもう…。その分プチプラとか手軽さとかを謳うのは難しくなるだろうけども…。
たとえばオーバーサイズのスウェットやニットでも、その人に合ったサイズのやつを着ればすごくいいんですよ。(それもうオーバーサイズじゃないやろっていう)
165cmの人がMサイズのオーバーサイズを着てちょうどいいって、つまり165cmの人にとってちょっぴりオーバーサイズで可愛いよね(ダボダボっぽい形になっているから、ダボダボってわけではない)ってなるが、
150cmの人が同じMのオーバーサイズ着たらそれはもう本物のダボダボなんですわ…
プチプラなんか買わないが?って人は普通にPARCOとか行ったらいいと思う。全然そんなの売ってないから 多分 知らんけど
自分も女なのに靴のサイズが26cmで、自店の靴が履けずに悲しい気持ちになったことがある。
極端な例に全部が全部合わせてくれるのは難しいことは分かっているんだよな
でもそれでも、ターゲットをめちゃくちゃ絞られている現状は変えることはできるはずだし、そうであってほしい ただS M L XLを置いてくれるだけでええんや、それだけなんや…
ドイツの靴はつま先が広いので、それに中敷きだけ作ってもらっている。
セミオーダーでは無理そうなサイズだけれど、一足はフルオーダーで作ってみると希望が湧くかも。歩くのつらいと生きるのつらいけど、つらくない状態が存在することを知れただけで、なんとかする方法を探せた。
最終的には、筋トレして重心と歩き方を変えたことで他の靴でも脱げなくなって痛くなりにくくなった。でも一足でも合う靴が無いと、そもそもまともに歩けたことが無かったから鍛えようが無かった。
年を取って筋力が落ちたらまた痛いんだろうな…でもその頃には常に身体中が痛いか…。
ついでに服も既製品が合わなくて常に息苦しいかダボダボで動きづらい。和服がすごい楽。でも仕事では無理だし私用でも下駄は長距離歩くものじゃないし、仕立ての服を増やしたいな…趣味で仕立てる人と違って消耗品であるシャツからなんだよな…。
それはいいんだよ。
その女の子の指導員っていうか、まぁ担当(同僚)のことなんだけど、ソイツの変わっていく様がまあわかりやすいこと。
新卒の女の子は元気でハキハキしてる。明るい。若いっていいな。で、その子を指導するヤツは、人の目を見て話すことができない、ボソボソ何言ってるのかわからない、服装はだらしない、見た目気にしないなど、まあそんなヤツがなぜ指導しているのかも不思議なんだが、まあ半年経った。
あれ?と思ったのが配属一か月後くらいから。
まず、髪がボサボサじゃなくなり、ヒゲもちゃんと剃ってる。床屋行ったらしい。これは今も続いている。
次に服装が変わった。ダボダボのスーツ着てたのが、それなりにピシッとするスーツに変わった。シャツもアイロンかかってる。靴も磨くようになった。
そうこうしてるうちに、話し方も変わってんだよな。声も出てるし。極め付けはコロンつけてんだよ。
はー、なんだかな〜。
女の子と話す時は誰も見たことのない笑顔なんだよ。営業所のほかのヤツも、ありゃ変わったよなとか、報われない努力してんな〜とも。一度ソイツに、お前変わったよな、って言ったら、顔真っ赤にして否定してたけど。
人はこうもわかりやすく変わるもんかね?
たくさんのブクマありがとう。みんなこういう話好きなんだね〜。まぁ、雰囲気的にそいつをいじることもあるし、褒めることもあるよ。実際成績は上がってるし、顧客からの反応もよくなってるからね。たくさん書くと長い、3行でってコメつくじゃん。だから端折って書いたの。わかってよ。そんなに性根が腐ってるわけじゃないよ!
中学生の時はリ○ーンや銀○や○.Gray-manなんかを通り後に、女性向けジャンルにハマって「○○くんは旦那さん☆」なんて言って10代20代は順当に黒歴史を積み上げて生きてきた人間です。
30を少し過ぎた今、オタクであることが恥ずかしくて仕方がないと痛感したもで書き捨てていきます。
前述のような痛いオタクで青春時代を過ごした私は、学生時代の友人も同じような趣味の人間に偏っていました。
2人に共有しているのは、極度に他者とのコミュニケーションが苦手なこと。
例えば友人とファミレスに行くと、オーダーの時2人とも小声で自分の食べたいものを私に向かって言い、私が同じことを店員に伝える。
『オー!マイキー』に登場するボブ先生とボブママの状態と言えばわかる人がいるだろうか。
オタク同士で趣味の話をする時はやたらデカい声で騒ぐのに、それ以外の人間とのコミュニケーションが全く取れない。
私は昔から我が強く比較的外交的なタイプであった故か、友人たちと外界との窓口になってきた。
お互い大人になってたまに集まると、未だに相変わらずオーダーは私に向かって小声。
店員はA子やB子に向かって紅茶はホットかアイスか尋ねているのに、2人とも私を見て小声で「アイス」なんてって言ってくる。
どんなお店でもこの状態で毎回店員さんはやりとりをしづらそうにしている。
でも自分の好きなジャンルの話は周りもドン引きのテンションで話す。
私はそのジャンル全く興味ないって何度も言ってるのに布教と称して一方的に語られるのも辛かった。
趣味で盛り上がるのも学生時代は楽しかったけど、今では冷めた感情を抱くしかなかった。
Pちゃん自体はオタクではないが、私を含めてA子とBことも接点があったため招待してくれていた。
席に着くなり2人のカバンから出てくるわ出てくるわ俗に言う『もち』『まんじゅう』『アクスタ』の数々。
彼女たちは自分の推しを、テーブルに綺麗に並べてスマホで撮影。
そのスマホもキャラクターがデカデカとプリントされてたり、どう見ても本人に似つかわしくないデザインなのでキャラクターモチーフ系と思われる物。
挙句Pちゃんと友人みんなで写真を撮る時も彼女たちの推しも一生。
テーブルにグッズを並べ始めた時点で流石に見かねて「そういうことは他人の結婚式という場でやるものではないよ。」といった旨を彼女らに伝えたが、「えーでも〇〇くんたちもお祝いしたいって言ってるからぁ〜...フフフッ!」と言った返答で諦めた。
後に確認して彼女のSNSには写真と共に『(推しカプ名)が結婚しました/////』と投稿されていた。
A子が行きたいと言い出して誘われた格式高めのホテルのアフタヌーンティーでもずっと男言葉全開で自分の好きなBLの推しカプの話をされた時も嫌だった。
どんなシチュエーションでも自分がどう思われるか全く気にせず趣味を主張し続けることが何かのステータスなんだろうか。
③ ファッション
遊びに行くときのB子格好が、タボダボの無地のネイビーシャツ・パツパツのデニム・ダボダボのグレーのロングカーディガン・黒のショルダ・爪先のところがくしゅっとしてる茶色のバレエシューズ。そしてすっぴん。
目立つのが嫌だからと地味な色しか買わなかった結果、地味な色オールスター感謝祭が結構されてしまう。
本人は地味な色という統一感を感じて安心して家を出たかもしれないが、一般的には大事故だ。
新しいものを買っていないというわけではなく、毎回似たものを買い続けているせいで不変が生まれている。
A子の服装は『擬態』と称したファッションであるがサイズ感や着丈のバランスもめちゃくちゃ。配色も全身推しキャラの担当カラーを好きなCPイメージで固められている。そしてすっぴん。
一般的に『擬態』の定義は、オタクっぽくない非オタのキレイめ女性の雰囲気に近づくことを指していると考えていた。
つまり「えっこんな綺麗なお姉さんがオタクなの〜!?」というノリを想像しているのだろう。
髪型や髪色、アウターや靴や靴下やカバンも含めて洋服のバランスやトレンド感、自分の体型にあったもののチョイス、それらとバランスの取れたメイクか。
パッと考えたけで『擬態』端的に言えばオシャレな人に見せる行為というのはものすごく大変である。
見様見真似で1日2日で簡単にどうにかできるものではないのだ。
そしてこれは男性オタクのダメファッションにも挙げられるが、自分の服のサイズがわかっていないのは共通している。
原因としては、MやLだと入らない気がしてXXLなどを毎回購入しているとのこと。しかし2人とも中肉中背である。
そしてメイクもよくわからないし、グッズ買い過ぎてお金に余裕がないからコスメを買おうとも思わないと。
自分はオシャレではないが、20代前半で自分がダサいことに気づき、遅れを取り戻すようにPC診断や骨格診断を行い3サイズや肩幅なども定期的に測って洋服のサイズを細かく見て必ず試着して購入、美容室にもこまめに通って特にコンプレックスがあった部分なので昔の自分がダサいと気付かず30を越えた場合の姿を見ているようで本当に許せない気持ちになっていた。
しかし学生時代や20代前半は許せていたいたことが年を重ねるにつれどんどん許せなくなり今に至る。
公共の場で汚い言葉使いやプギャーとか死語含めてオタク用語を交えて離さないで欲しい。
大人なんだからグッズ買いすぎてお金ないとかやめて自己管理して欲しい。
大人なんだから求められる身だしなみが歳とともに変わることに気づいて欲しい。
こんなことが20代の後半から積もっていき、30を超えてついに爆発した。
オタクであるというのは彼女たちと同類と世間的には見られるんだろうか。
昔は楽しかったのに、今はこんなにも恥ずかしい。
恥ずかしい。恥ずかしい。
気づいたらずっとクローゼットにしまったきりだった過去に買ったグッズの処分を始めていた。
山のようなゴミ服を見つめながら色々な思い出を振り返りこれを書いている。
ただそれだけの話。
最初にブルマーについて調査した記事で、ポーランドのブルマーの映っている動画を紹介した(3:55頃から)。そのことから、自分はポーランドにおけるブルマーの存在を証明したと満足し、それ以上の調査をやめた。しかし、先日のドイツのブルマーにまつわる記事で、ドイツ語のブルマーの名称を知ったことから、そもそもポーランドでブルマーを何と呼んでいるかを調べた。
結果として、今回は具体的な名称を見つけることはできなかったが、ポーランドにおけるブルマーの年代をもう少し細かく絞り込むことができた。
ポーランドの体育の歴史は1805年にさかのぼる。医師であり化学者でもあるJędrzej Śniadeckiが、身体の訓練がなおざりにされ、精神だけの訓練が行われていることを嘆き、体育を創始した。彼の目指した水準は高く、「レスリング、さまざまな武器の使用、ダンス、ジャンプ、高い木に登る、溝をジャンプする、水泳、乗馬、走りながら馬に乗る」などが教科に含まれていた。また、どうやらそこの学校では、ポーランド語も教えられていたようである。ポーランドが分割されていた時代のことと考えれば、驚きである。
ソコルはチェコのブルマーについて記載した記事でも書いた通り、チェコの民族的体育運動協会である。ポーランドのソコウはそこから派生した団体である。1863年蜂起の失敗後、同年2月に設立された。同時期のスカウト運動とは逆に、右翼的傾向があった。それに危機を覚えた当局による迫害が続いた。プロイセン占領下のポーランドでもそうであったし、独立後、再びナチスに占領されても迫害を受けた。
にもかかわらず、ソコウはポーランドの独立運動の一翼を担ったのである。
しかし、共産主義政権が成立するとソコウは違法化され、これにまつわる情報はすべて検閲された。1989年に合法化され、1990年にソコルポーランド体育協会連盟(とでも訳せるか)
へ名称を変更、現在は80のグループに8000人を擁し、若者に愛国心や市民の義務を教える団体となっている。
なお、余談だがサッカーを庶民のスポーツとして嫌ったため、20世紀に何人かのメンバーが離脱、独自のサッカークラブができるが、これがポーランド最初のサッカーチームの起源である。
(英語版では1935年の提灯ブルマーが確認できる。ポーランド語版では1937年、提灯ブルマーでのマスゲームが確認できる)
上記の「ファクト」というサイトによれば、当時はズボンとゆったりとしたシャツを着て、女の子はドレスを着て運動した、と書かれている。またソコウ(自動翻訳では「ファルコン」と出てくる)では軍服のようなものを身に着けた、とある。ブルマーに関する記載がないことに、僕は困惑した。証拠となる映像も画像もそろっているのに、文章が見つからないのである。
ポーランド語は一言もわからないので、以下の語を翻訳し、組み合わせて検索してみた。「体操着」「紺色」「ブルマ」「短パン」「共産主義」「1960年」「歴史」「恥ずかしい」など。ここで思いがけなかったのが、中東欧の多くの言語で「体操着」で画像検索すると、女性用のレオタードばかりヒットすることだった。
Wikipediaのポーランド語版Mundurek szkolny(学校の制服)で検索したが、それらしいものはヒットしなかった。イギリスの制服に関する項で、
とあり、これは
を意味するので、検索のヒントになるかと思ったが、結局見つからなかった。
pamietam obowiazkowy stroj na wf szorty granatowe bialy podkoszulek.
これを日本語にするとこうなる。
これが数少ない、ポーランドのブルマーにまつわる証言である。名も知らない誰かのコメントで、ポーランドのブルマーはあったのだと、映像だけでなく、言語でも納得できた。
こちらは過去のポーランドを撮影した写真のアーカイブだ。検索ワードをgimnastykaに変えても同じような写真が出てくる。
幸いなことに、写真の下には年代が記載されている。1930年代、1948年と書かれた写真は提灯ブルマーだが、1960年代を映している写真は、間違いなくショーツ型ブルマーだ。
また、こちらでは、少しダボダボしているが1950年代のブルマーを確認できる。
他にもブルマーで運動する女性の写真は何枚か見つけたが結論は同じであり、リンクをいたずらに増やしても意味がないので、割愛する。
陸上のブルマーやバレーボールのブルマーについてもある程度調べようと思った。一つには、日本のブルマーがバレーボールに影響されたという説があるからであり、もう一つにはブルマーのポーランド語での名称を探すヒントになるかと思ったからだ。
こちらでは1972年の陸上ブルマーの普及の様子を確認できる。
また、こちらでは陸上ブルマーの是非について論じているが、タイトルが「Majtki dla biegaczek」、和訳すると「陸上のパンティー」である。これがブルマーの正式名称かと思ったが、どうやら違うようである。
これ以上探しても見つからないので、調査は一段落とした。元々は体育のブルマーの調査だ。プロスポーツのブルマーとは少し違う。日本でも競技用ブルマーの浸透した年代と、学校制服のブルマーの普及した年代には、かなりのずれがある。名称の調査はともかく、この画像検索ではずれが出てくる。いずれ、競技用ブルマーの普及した年代を調査することがあれば、そのときに改めてまとめなおす。
もしかしたら、グーグルもDeepLも、単語レベルでの正確なニュアンスに関してはまだ改良の余地があるのかもしれない。また、日本語からか英語からかでも、訳語がぶれた。
それと、今回は自分の落ち度だが、系統的に単語を調べず、頭に浮かんだまま検索したので、何度も同じ単語で検索してしまった。また、サイトによっても訳語のブレがあった。気晴らしの調査であるとはいえ、ドキュメントファイルかなにかで記録を取りながら調査すべきであった。
もしかしたら、画像検索ではなく、文章で検索すべきかもしれない。たとえば、「体操着 共産主義」ではこちらの質問サイトが見つかり、ブルマーが黒っぽかったことを示唆する内容もある。
Wątek "Strój gimnastyczny " - wielkiezarcie.com
できることなら、なんとかポーランドのブルマーの名称を確認したい。
また、ブルマーの普及状況について、国ごとに調査を継続したい。
ちなみに、今回自分は並行してハンガリーのブルマー事情について調べていたのだが、思いがけないことが明らかになった。それに関してはできたら一週間以内に記事をアップロードし、共有したい。
遅れたら失礼。