はてなキーワード: タフネスとは
おっすオラネズミ!
絶対に行かないワニ!
会いに行きたくないワニ!
絶対に会いに行かないワニ!
物語になるような美しい平凡を生きていたワニ!
妾の子として生まれ、母を失い天涯孤独、死のうと思って軍隊に入ったけれど、馬を丁寧に手入れしてたら、気がついたら終戦してて、それで最近まで生きてたワニ!
イケメン、というか、旅の一座の女形が、夜中に夜這いに来るような、今で言うユニセックスな、そんなエキゾチックと言うかエロティックな人間だったらしいワニ!
なんか分かるワニ!
ばあちゃんは裕福な農家の末の娘かなんかで、どこで見知ったか知らないけど、そんなじいちゃんのエロさに射抜かれて、メンヘラになって、二人で駆け落ちして、自由恋愛の末に結婚したワニ!
じいちゃんは、そんなこんなでメンヘラばあちゃんと、ばあちゃんとの間にできた二人の子供と、家族になって、長い間生きてきたワニ!
つまりそれがもう終わるよって、
強烈に惹かれるワニ!
絶対に行かないワニ!
人間が死ぬという時、その人間に会いたくなる、その気持ちは分かるけど、じいちゃんに限っては、会いになんか行きたくないワニ!
そんなのポルノワニ!
もう少しで死ぬという人間を見に行きたいだなんて、そんな本能遡及的なイベントなんて、ポルノハブワニ!
じいちゃんはいつも遠い目をしていて、会話のテンポもゆっくり、というか、最初に頭に浮かんだこと、本当に言いたいことはそっと横において、それから、優しい言葉をじっくり選んで、ようやく返答する、そんな人間だったワニ!
そうやって、考えてるあいだ、視線は下の方に落ちていて、ワニはいつもその視線を追って、一緒に下の方を見ていたワニ!
でも下の方には何にもなかったワニ!
ワニがそうしていることを、じいちゃんは知っていたワニ!じいちゃんが知っていることを、ワニは知ってたワニ!じいちゃんが知っていることをワニが知っていることをじいちゃんも知ってたワニ!
だから、ワニと話すときのじいちゃんは、いつもより深く下の方を見て、いつもよりゆっくり時間を掛けて、でも、いつもより短い言葉で返答したワニ!
それが遺言ならありがたく頂戴するワニ!
お前には絶対に会いに行かないワニ!
新幹線に乗るまではしたけど、降りたワニ!
ママンには、なぜワニは最期のお見舞いに行かないかを滔々と説いた長文をメッセージしたけど、多分あれは世界一の駄文だったワニ!
ばあちゃんがキレようが、じいちゃんがもう少しで死ぬからじいちゃんを見物しに行くなんて、絶対にしないワニ!
ワニはじいちゃんが、死ぬからってよく喋ったり、死ぬからって何かを変えたりする動物ではないことを、絶対に知ってるワニ!
いままでそうやって生きてきたんだから!
まるで自分によく似た、哀れな動物が生まれてしまったかのように!
ワニは会いに行かなかったワニ!
癌細胞にむしゃむしゃされて、骨と皮だけになって、まるで原型を留めていないじいちゃんの写真を、姉ちゃんからラインでもらったワニ!
そして気がついたら死んでたワニ!
午前四時くらい、自力でトイレに這ってって、ズボンを下ろして、座って、力んだくらいのところで事切れたらしいワニ!
しっこより先にうんこが出るんだぞ
って言ってたの思い出したワニ!
葬式では、無言でぶらぶら、たまに棺の中を覗いたり、綺麗に整えられた死体を触ってみたり、ラムネのような冷ややかさに驚いたり、セレモニアルな悲しみにノッていけない、そんな感じを、じっくり味わっていたワニ!
じいちゃんの方の親戚が誰も来てないけど、本当だったワニね!
生物学上の父親が、お金を出してやるから大学に行きなさいってオファーしたのに、それを断って軍隊なんか入って、飛行機に乗れなかったから馬の手入れして、虚無に等しい玉音放送を聴き、気がついたらメンヘラの生命力に流されて、最近まで生きていたって、本当だったワニね!
わーお終わらないワニ!
全然終わらないワニ!
それでもう死ぬんですね
逃した!
自らの意思によって逃したワニ!
そんな目をするなよじいちゃん!
よく生きてたじゃないか!
真面目に考えると無論、
「コレクタブルカードでゲームをする(しかも同一カードを複数枚使ってもよい)」
が最大の発明なのは一切疑問の余地はないのだが、それはそれとして、元増田が挙げている物がどの程度「発明」だったかネチネチかつダラダラかつ主観的に検討してみる
無論、発明ではない。遅くとも、表記スペースが極めて限られているボードSLG時代には極めて標準的な考え方だった。
おそらく本当のイノベーションとは、
「イタリックで説明文を追加すれば無闇矢鱈に新しいキーワード能力を追加してもよい」
という決断が下された瞬間である((MAROがどっかで書いてた気がする))。
無論、発明ではない。ただし、
がデッキ構築という概念と密接に絡んだイノベーションな可能性は否定できぬ。
無論、発明ではない。カードゲーム(日本語で言うところのトランプ)を遊べば、そんな物が設定されている物はすぐに見つかるだろう。
ただし、(Raise Deadでなく)Animate Deadは明らかに異常な発想である。
無論、発明ではない。ユニットが青色だろうが灰色だろうが歩兵は3-3で戦車は5-5である(ダニガンは偉大だ)。
無論、発明ではない。ユニットが青色だろうが灰色だろうが歩兵は3-3で戦車は5-5である(ダニガンは偉大だ)。
それより『Bobby Lee』(所謂「積み木の南北戦争」。第一作は1972年出版の『Quebec 1759』)みたいなのをTom Dalgliesh(Colombia Games創業者)がどうやって思いついたのか知りたい。
あれって「アイデアというのは複数の問題をいっぺんに解決すること」そのもので、明らかに頭おかしい。
無論、発明ではない。ただし、山札から他のゾーンにカードを移動させる手段が多彩なので、発明に見える可能性は否定しない。
「勝利条件が設定されている」と「勝利条件を狙って行動できる」の間の断絶は本来は極めて大きい。
そういえば、バクスターか何かだと思うのだが、サイドボードがない時代の大会で、デッキ二つ用意して、対戦相手によって使い分ける話が載ってなかったっけ?
Duelistに1回載ってた謎のポイント制デッキのルール、サイドボード10枚毎にポイントが設定されてた(上限30枚)の、面白かったよね。
「コレクタブルカードでゲームをする(しかも同一カードを複数枚使ってもよい)」
普通のカードの代わりに平然と基本地形が混ざってるリバイスド以前のパックでドラフトしてた人達って頭湧いてたと思わない?
と書き換えると何か直接の先祖があった気がするが思い出せなくてモヤモヤするよね?
タイプ1とタイプ2を分離するのは確かに画期的だったが、本当の決断は
「Ice Ageを出すときにカード背面のデザインを変えなかった」
ことではないだろうか。
もともと、Ante関係のカードの存在故に、まともなトーナメントルールを作るならば「禁止カード」の設定が必然だった、という偶然から発生した話ではある。
それがなかった場合に「特定のカードはデッキに入れてよい枚数をコントロールする」という発想が出たかは謎ではある((いやそれなら最初に「同一カード4枚制限」を思いついたのが一番の発明だろう))。
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。
「運命の人」の冒頭部がわけがわからない?とは僕にとって驚愕である。各々解釈の揺れ(それが良い詩の証明だろう)こそあれど全くそのドラマを想定できないなんてことが日本語話者にあって良いものなのだろうか。こうやって個人の妄想でしかないものをもっともらしく解説者ぶって書き連ねるのは、作詞者である草野さんに対する不遜なのは重々承知している。僕自身あまり好きでない類だ。しかし全くわからないという人間を目にしてこの3日心のもやもやは晴れないままだった。心待ちにしたスターウォーズ鑑賞中も頭の中はスピッツだ。夜眠ろうにもはーしーるーはーるかーと頭の中でループする。
もういてもたってもいられない。ここに駄文を書き連ねる。
「バスの揺れ方」というのは不規則でとても強力なものだ。電車のような規則性はなく、タクシーのような微々たるものではない。乗客は常に見当もつかない方向から強い力で揺さぶられときにはその力でよろめく。
続く「人生の意味がわかった日曜日」は、逆説的に言って、日曜日でなければ気がつかなかったということを表している。多くの人にとって日曜日は休日である。つまり平日では行われないことがその日起こり、平日では気にとめなかっただろう些細なことがこの気づきをもたらしたのだ。
そして日曜日は週末である。日々の営みが7日で循環するよう設計された人間社会において、日曜日は一つの区切りになっている。労働や勉学に励む小市民ならば、7日間のうちに起こった悲喜交々はこの日を最後に一旦清算され、人々は次の1週間もまたひたむきに日々を過ごしていく。日曜日を意識するこの歌詞の主人公もまたそんな人間の一人だと言うことが読み取れる。
改めて一文を読むと「バスの揺れ方」が連用修飾語として「解った」に係り、「解った」は続く「日曜日」の連体修飾語になっているため、主人公がバスに揺られていたのは「人生の意味がわかった」のと同じ日であるといえる。それぞれが別の日であるなら、バスに揺られた日を示すためにさらに「バスの揺れ方」を修飾する必要がある。なお、バスの揺れかたはバス内部でなければ感じ取れないので、主人公が日曜日にバスに乗車しその日のうちに「人生の意味」に気がついたと断定できる。
ここで一旦まとめると「バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日」というのは、
「毎日つつがなく規則正しい生活を過ごしている主人公が、休日が故に起きた特別な出来事をきっかけに思慮にふける。彼はこの日乗車したバスの不規則な振動と、不意な出来事に翻弄されることもある社会の悲哀を重ね合わせた。そして『人生の意味』を悟る。」という内容であると推定される。
不可解な点がまだ残るが歌詞の次行に進みたい。
歌詞を読むに彼は「君」の手を握れるほどそばにいることがわかる。注目するのは「でもさ」という否定形の接続詞で、これにより主人公が「君」の手を強く握るという方法で「人生の意味」に抗う姿勢が示された。
話が戻るが日曜日という日は週末であり曜日の中でも特異な地点である。あくまで僕の考えであるが、歌詞の主人公からすれば日曜に思い巡らせたことは月曜にはリサイクルされてしまうので、「日曜日」に発見した「人生の意味」がこの主人公の行動に影響を与えるのはその「日曜日」に限定されるはずなのだ。そういう意味でもなければわざわざ日曜を指定する必然がない。月曜でも水曜でも歌詞は成立する。よって「強く手を握る」ことで「人生の意味」に抗うことが可能なのは「人生の意味がわかった」日と同日であると考えるのが自然ではないだろうか。
とすると彼はバスに揺られた日曜日に「君」と会って過ごしたということになる。おそらく彼と「君」は同じバスで揺られている。
そして「君」がバスの中でよろめいてその手を彼が支えるという場面があったのだろう。彼は「君」が人生に翻弄されてもずっと支え続けていこうと心に決めるのだ。
つまり「バスの揺れ方で〜」のまとめで述べた"特別な出来事"は、「君」と休日の行動を共にしていることなのではないだろうか。普段ならバスの揺れに不快な思いをしているはずなのに、君がいるときはなんだかそれを感じない、そのことが彼の日曜日を特別にしたんじゃなかろうか。
出だしの2行を僕なりにまとめると
「週末に『君』とのデートをとりつけ心が弾む主人公。普段なら不快なバスの揺れも『君』が側にいれば全然苦でない。そのことに気がついた彼は、小市民として淡々と日々を過ごしているはずの自分にも時々ハプニングが降りかかるその人生の理不尽さと不規則で激しいバスの振動を重ね合わせた。『生きていて辛いことがあっても傍らのこの人がいればそんなことは全然気にならない。』彼はそれを確信する。その時またバスは揺れて『君』が大きくよろめいた。すかさず『君』の手をキャッチした彼。彼自身はその揺さぶりに動じないとしても、この相手は『運命の人だから』挫けることがないように支えていかなければならないと決心する彼であった…」
なお直後3行目の「優しいだけじゃなく偉大な獣」は、この優しく相手を守り支える姿と、揺さぶりに翻弄されず過酷な環境であっても生きていける野獣のようなタフネスという二面性を集約した言葉だと考えて僕は納得した。
確かにこれらには何の確証も論理性もない。しかし聞き手の中にファンタジーを想像させられれば詩はそれでいいんだと思う。
まだまだ書き続けたいが時間がないので書き控える。
ちなみに僕が好きな歌い出しはBLANKEY JET CITYの「ガソリンの香りがしてる」だ。何もわからない。
余談だがスピッツの2ndアルバム「名前をつけてやる」にはその名も「日曜日」という曲が収録されている。「運命の人」が可愛く思えるほどに奇々怪々な歌詞で「晴れた空だ日曜日戦車は二人をのせて」と言葉で歌は始まり、サビで「蜂になろうよ」と相手を誘う。それから6年が経ちデートはちゃんとバスを使うようになり、蜂への変身願望から偉大な獣になる誓いをたてるまでに成長したんだと思うと、なんと立派になって…と親戚のおばさんのような気分にならないこともない。
【追記】
不死=どんなことがあっても死なない、が定義とは言ってない。
下に挙げた作品では、実はちゃんと死ぬ方法や理由が存在する。寿命だったり、ある特殊な状況下で死ぬと復活できなかったり。
「弱点があるなら不死ではない」って人がいるけどそうじゃないんだ。そこが作品の個性なんだよ。
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死なないということは「生きるしかない」あるいは「終わりが見えない」ことの言い換えでもあり、多くの作品がその苦悩をテーマにしている。カジュアルに死んでカジュアルに生き残る世界。一見すると不死は便利な道具だけど、人の死自体が最終段階である以上、不死者はその最後の一歩まで簡単に落ちるほど脆い存在でもある。だから不死者の主人公は、意外と弱い。それが作品の個性に繋がっていることも多く、面白い。
一方で東京喰種などのように単に「異常なタフネスと再生力」な物語はあまり面白くない。いやあれは作品そのものの問題か。あるいはDQのように誰かに蘇らせて貰える道具があったりするのも冷める。「どうせ負けても生き返るんでしょ」と思われたら、戦う意味が薄れる。
ゲームは描写されてない部分は想像でおぎなうもので、その想像が楽しさの源でもあるのだが、
グラフィックが美麗になると「描写されてない部分」がどんどん狭くなるから、想像で補えない部分が出てきてしまうという話。
ガードスコーピオンが飛び回って壁に貼り付いたり、攻撃を避けるために物陰に隠れたりと、
リメイクで物凄い頑張ってるのは良く分かったけど、違和感も凄かった。
どんな部分に違和感を感じるかというと、一つには攻撃のエフェクトが滅茶苦茶派手なわりに、相手が恐るべきタフネスで全然ダメージが入ってるように見えない事。
もうちょっと荒ければ「もうこの敵ボロボロだろ。え、まだ死なねえの? すげえ」って感じで手汗がじんわり出て来るところだが、
グラフィックが美麗なせいで「傷ついてないじゃん! ピンピン動いてるじゃん! さっきのダメージなんだったの!」って妙な理不尽さを感じる。
理屈の上では、ちゃんとダメージも通ってるし、単にグラフィック上ダメージが無いように見えているだけなのは理解できるのだが、
「ダメージの有無」がプレイヤーの想像力ではなく、見た目で分からないと違和感を感じてしまうほどグラフィックが綺麗になってしまっているのだ。
畢竟、相手にダメージが無さそうなのは意識からシャットアウトしてひたすら殴るという作業感が増大する。
これは地形も同様で、工場みたいなところでミサイルやら極太レーザーやらブチかましながら巨大重機が跳ね回ってるのに、地形が変わらないという理不尽。
あんな鉄板の上でビームだぞ。床に穴が開かないまでも、赤熱してとても歩ける状態じゃなくなるくらいでなきゃおかしいだろ。ああ、はい破壊不能オブジェクトなのね、と思ってしまう程度にはグラフィックが綺麗なのである。
もう一つには、フィールド狭しと飛び回るような戦闘となると、必然的に湧いてくる疑問が、
「援軍は? こんなに長時間ドッカンドッカンやり続けてるのに援軍ないの?」というのと、
「もうちょっと地形を活用した戦い方できない? でかい相手が入ってこれない狭い通路に逃げ込むとか、敵の方は高い位置の作業用通路か何かから狙撃するとか」というもの。
1997年版の時の時のバトルは、両陣営とも足を止めての殴り合いだったので、(というかそれ以前が2Dグラフィックで画面の左側と右側で撃ち合いしてたので)、
あくまで「2Dバトルの延長」としてグラフィックすげー! 3Dスゲー! そして「背景スゲー!」だったのだが、
今はオープンワールドが普通の時代である。「見えてるのに使えない」とか論外なのである。
昔は、グラフィックは綺麗になればなるほど良かった。2Dならば、あくまで捨象され抽象化された世界としてゲーム世界を見ていたのだから、画が綺麗なのは何のデメリットももたらさなかったのだ。
しかし3Dは違う。3Dでグラフィックを綺麗にするというのは「現実に近づける」という行為なので、画以外が現実に近づいていないと、そこにギャップが生じるのだ。
とりあえず、だいたい俺と一緒。
自分も31の時においつまって、死にそうになったので、そろそろ限界だと思う。
コンサータを貰って劇的に改善したので、何も考えずに治療してもらうのが良い。
今、41だけど、要領は数ミリしか良くなくなってないけど、タフネスになった。
ファミレスに行くのもだいぶ慣れた。
ADHDのパワーを信じて。それを毎日毎分毎秒ごとに軌道修正すれば、数ミリ良くなる。それまで我慢ではなく、自分を受け入れて。死ななきゃいい、何も無くてもいい。意味なんか要らない。だいたい失敗だけど、時々上手くいく。その積み重ねに疲れないように。
完璧な人とか有能な人であっても、多分それは努力だったり、素朴な積み重ねだったりするので、そういうところを完コピする気持ちで。あとは笑って生きよう。
( https://anond.hatelabo.jp/20180425090153 からの続き )
少女漫画原作の恋愛&青春アニメ。オタクの主人公とリア充の女の子の物語。いい最終回だった。
ヲタ恋と比べ、主人公のオタク性の描かれ方が古いイメージ。昔の原作なんかなぁ、と少女漫画に明るい兄弟に聞いてみたら、少女漫画に出てくるオタクのモチーフはこんな感じのものが多いよ、とのこと。なので「主人公がオタク」=「閉じた楽園に入り浸っている、他人に興味がない、どんくさい、キモい、気が弱い、コミュ障、日陰者」みたいな意味と考える必要がある。高校が舞台なので、クラスメイト全員敵みたいな、あの感じ。
ストーリーは王道。きっとTVドラマか映画になるに違いない。女の子が非常にサバサバした感じですごく好き。色彩もすごく良い。
スポ根アニメ。JOJOでお馴染みDavid Productionが原作準拠で再アニメ化。
私が本作に触れるのは初めてなのだけれど、何もかもが斬新。主人公のパーソナリティも斬新すぎるし、ライバルのスペックもやばいし、対決シーンも頭おかしいし。きっと本作の連載当時も「なんかやべえサッカーマンガが始まった」というインパクトを与えたことは想像に難くないというか。「ボールは友達!」ってこういうことだったのね…。
サッカーのシーンは全体的に非常に熱量が高く、「あの名シーンをいかにアニメ化するか」という気概が強く感じられたし、なにより強烈に印象に残る。なんかやばいサッカーアニメ始まった。
アマプラ限定。エロはない?けどグロはあるほうの魔法少女。きびしいせかいなので割とメンタルタフネスが必要。
魔法少女の力というモチーフの意味って「抑圧からの開放」とか「人身御供」とかあるけど、本作における魔法少女の力は「イノセンス」みたいな感じ。悪いやつが使うと悪い魔法に、良いやつが使うと良い魔法に、みたいな。冒頭で示されている通り物語は暗転するんだろうけれど、主人公の成長とともに力の使い方が変わっていくさまが物語における重要なテーマなのかな。
ダーティーなノゲノラ。奴隷製造機というモチーフは「ノーゲーム・ノーライフ」のルールに似てるけど、登場人物の参加動機が全員不純でとても良い(主人公も含む)。また、ノゲノラと違い、基本的に「自ら参加したいと思った人」しか参加できない仕様なので、文字通りクズの見本市みたいになってる。1話におけるアッシェンテがパチスロっていうのも非常に好き。
異種間恋愛モノ。美女と野獣みたいな?彼氏(吸血鬼)はダーカーザンブラックの契約者とか、PSYCHO-PASSみたいな。エログロ寄り。
主人公が大学生として生活する姿をリアル目に描いているので、より彼氏が非日常の象徴になっている。そういう彼氏の危うさみたいなところが凄くエロい。
イケメンパラダイス。千夜一夜物語ではなかった。中国のメディアミックス作品が元らしい。何より主人公が人畜無害な良識人ではなくむしろ悪役っぽいのが面白い。
晩餐会の後ろで流れている音楽がラヴェルの”亡き王女のためのパヴァーヌ”(オケの方)だったりする。JASRAC対策で謎アレンジを加えていくスタイルが多い昨今では結構珍しい演出だと思う。サントラに入ってたりするんかな。
3DCG版蒼天の拳。体格やべえ(モブ含む)。タバコや拳銃がめっちゃ小さい。1話ではガチ戦闘がないけど、技の演出がかっこいい。戦闘シーンではあの体格に違和感がないのが凄い。
動くモブといえば「顔が見える距離にいるモブ」と「顔が見えないくらい遠くを歩くモブ」がいて、後者は3DCGな作品が最近は多いけれど、本作は後者のモブが前者として使われているので、街並みが凄いことになっててちょっと面白い。
原作未読なのだけれど、強いやつが現れる→殺す→もっと強いやつが現れる→殺す→みたいな脳筋ストーリーじゃなく、結構しっとりしたストーリーなのが意外だった。最初だけかな?
アニメ化されたTVバラエティ。アニメのキャラクターになったなぎら健壱みたいな人が、知らない居酒屋(日本で一般的な居酒屋)を訪れるみたいな内容。
全体的に演出がTV番組のそれになっているので、アニメだと思って観ると後悔するかも。TV番組特有の演出に対する耐性が必要。先のポプテピピックではアニメの定義について温度が高かったけれど、今のところ最もアウトサイダーなのは本作。
シチュエーション萌アニメ。”〇〇の場所で、〇〇をしていて、〇〇になったときの「お兄ちゃん、〇〇」”。数分で完結するインスタントな萌アニメ。
今期最も予算が少ないラジオドラマ(イラスト付き)。あのTokyoMX系列作品。まずアニメの公式サイトが発注されてないのでアニメの配信情報が不明(ツイッターアカウントはある模様)。今の所ニコニコ動画での配信を確認。
内容は全編に渡って怒涛のシモネタ。
2015年のシュタゲ再放送時に発生した分岐イベントの続き。本作に一度も触れたことがないので、ネタバレが怖くて観れなかった。とりあえずシュタゲ観る。
略すとIVだけど3期。急転直下から始まるフルメタ続編。フルメタを一切見たことがないのでまずはそっちを観たい。
全話配信済作品は1話だけ観てレビュー書いても意味ないので保留。
特になし。
作品が非常に多い。ここで挙げている作品で多分、全体の2/3くらいだと思う。「多分」というのは、ぶっちゃけ今期のアニメが何作品あるか分からなかったのだ。中にはアニメの公式HPが無い作品もあって、個人で作品数を把握するのはほぼ不可能に近い気がする。
加えて、今期は特に配信プラットフォームの変化が気になった。今までだと「アマプラのみ」「ネトフリのみ」「AbemaTVのみ」くらいだったけれど、ゴールデンカムイの「FODのみ」に始まる、各サービスによる囲い込みがより進んでいる印象を受けた。
d’アニメストア ¥400-/月
AbemaTV…CHU ¥960-/月
FOD…ゴールデンカムイ ¥888-/月
今期のアニメをすべて視聴しようとすると、合計¥8,000-/月くらいの契約をする必要がある。
それにしてもオリジナル作品がとても豊富。調べた限りでもオリジナル脚本のアニメ(ウマ娘とか含む)が20作品近くあった。「オリジナルアニメは売れない」という時代でもないのかなぁ、と思わずにはいられない(オリジナル脚本とオリジナルアニメは違うど)。最近は名作のリメイクについての話題がよく上がるけれど、個人的にはオリジナルアニメ界隈の方がアツイ。
新作1話全部視聴はおすすめできない。観れば観るほど続きが気になる作品が際限なく増えてしまい、仮に上記の作品を今のペースで全話視聴すると、観終わる頃には来年の冬アニメが始まってしまう。何よりも、日々の活力にならない。むしろアニメを見るための活力がほしい。過ぎたるは及ばざるが如し。実は2018年冬アニメもひと通り観ていたのだけれど、おかげで旧作を観る時間が無くなってしまった。これからはもっと旧作を観るための時間を大事にしようと思う。そういう意味でも、新作1話全部視聴はおすすめできない。本当に疲れた。
遅田だけど、例の増田を読んでから色々観てみた。ただ地上波でアニメを観ないので、配信を待ってたら20日になってしまった。元田は格付けしてたのでそれっぽく並べたものの、どうあがいてもアニメ同士の優劣はつけることができなかった。容赦してくれ。利用した配信サイトはd'アニメストア、ニコニコ動画、AbemaTV、アマプラ、ネトフリ。基本コメントは見ないが、2回3回見るときはコメント付きで観たりした。
非常に中毒性の高い作品。音楽繋がりで「けものフレンズ」に近いものを感じる。全体の緩急、音楽、ギャグのテンポ等観ていて飽きないというか、1話1話が一つのMVのようになっていて、アニメを観ているというより音楽を聴いている感覚に近い。とりあえず「ヤマノススメ」ではなかった。
ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品「ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタが中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグのテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベルの喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。
一人で見てはいけないアニメ。最新話は必ずニコ生かabemaTVのコメント付きか、ツイッター実況付きで視聴する必要がある。プロデューサーの須藤孝太郎が何を考えてるのかよくわからないけれど、恐らく本作は「話題性」極振りの作品として作られていて、ある種のお祭り状態にすることが目的だと思われる。2話の青い鳥に餌をまくネタからも分かるとおり、実況するツイッター民等を含めて「ポプテピピック」なのだろう。そういう意味では伝説のアニメと言える。なおここで言う伝説は「めっちゃすごい」という意味ではなくて、「伝え聞くところの」とかそういう意味。例えば10年後、今の賑わいを知らない人からすればこのアニメは「当時このアニメは本当にすごかった」という伝聞でしかその魅力を推し量る事ができないわけで。
公式ラジオ番組で高木さんの中の人が言っていたが、「高木さんにからかわれて狼狽する西方を愛でるアニメ」だった。10分アニメでもいいからいつまでもずっと続かないかな、と思ってしまうのは制作がシンエイ動画だからだろうか。このアニメを観ているときは終始ニヤケ顔になってしまうので、人と一緒に見るのが困難な点が惜しい。高木さん可愛すぎかよ。
アマプラのみ。かなりガチの方のSFアニメ。アンドロイドと人間の物語。「イヴの時間」寄り?どっちかというと攻殻機動隊を思い出した。全身義体になった個人のアイデンティティとゴーストの存在についての話と地続きだったりするのかな。日常と非日常にそれぞれ描かれるSF描写がとてもそそられる。
アマプラのみ。主人公が感情を表に出さない、能面みたいな女の子なのだけれど、そんな彼女の心情をあらゆる方法(背景、音楽等)で演出している作品。シナリオについて、原作と見比べると「主人公が友達と楽しそうにだべってるシーン」が意図的に削られているのはそういう意図なのかなぁ、と思った。ずっと観ていたい。
前回の続き。原作既読勢によると2は結構駆け足のようなので、ニコ動のコメント等外部記憶を頼りにして観ていきたい。
ネトフリのみ。アニメーション技術の見本市みたいな作品。何から何まで凄いことになってる。特にびびったのはタイムラプス風演出。あんなの初めて観たし、どうやって作られているのか想像もできない。
https://kids.yahoo.co.jp/games/sports/013.html
百合は百合でもガチの百合。コミック百合姫は女性向けの雑誌らしく、本作もそっち寄り。公式ラジオでも言っていたけれど、エロシーンにおける作画の熱量が非常に高く、思わず「はえ^~すっごい・・・///」ってなっちゃう。コレも背景が草薙なので結構凄い。
アマプラのみ。動く方の絵本。草薙の背景だけでごはん3杯はイケる。音楽のノスタルジックみがすごく、特に1話ラストの労働歌がめっちゃ良過ぎてヤバイ。
アマプラのみ。時間の止まった世界を中心としたSFアニメ。今期のアニメの中では最もやさしさが少ないアニメなので、メンタルタフネスに自信のある人向け。主人公が成人の女性であったり、子どもの役を実際に子どもが演じている等TVドラマに近い雰囲気がある。なんかの番宣番組でプロデューサーが言ってたのは「時の止まっている空間をどう表現するか」をこだわってるそうなので、そっちの非日常がメインになりそう。1話ではクソみたいな日常から非日常に転落する話だけれど、日常パートは日常パートで暗い話なのだろう。背景も音楽も音響も良い。
「デスマーチから始まる」=「昔々あるところに」「今は昔」「Long long ago」。本当はあらすじだけで十分だと思うのだけれど、あんまり「デスマーチ」が世間に浸透していないがゆえにAパートが必要だったのかなぁ、と思った。「主人公がデスマーチって言っちゃうのかよ」という感想が出るのも仕方ないね。
Aパート、ゲーム初期のレベルデザインについてのやり取りを観れば、オンゲープレイヤーはみんな心がざわつくはず。案の定Bパートで「レベル1で高レベルの敵に囲まれる」「何の武装もない」「りゅうせいぐんがいきなり使える」「りゅうせいぐん使ってもエフェクトがない」「りゅうせいぐんをリキャスト無しで連射できる」「高レベルの敵がりゅうせいぐんで全滅」「一気にレベルが上がりすぎ」「ステータスがカンストする」等、所謂クソゲーであることが分かるので、本作は「クソゲー探訪モノ」という位置づけかと思われる。私はSteamで買ったゲームをMODで魔改造するのが好きなので、ゲームバランスの崩壊してる異世界冒険譚は結構楽しみ。そういう意味では、栄華を極めたゲームのサービス終了と同時に始まる異世界冒険譚ことオバロ2とは違う魅力があるんだろうか。
戦記モノ。ただ本作は剣と魔法の世界なので、「前近代風ファンタジー冒険譚」みたいな作品として観ることもできそう。あと戦記モノとしては圧倒的に流血表現が少ないので、なんか爽やか。最近は戦記モノがあんまり流行らないらしいので、どの辺の層をターゲットにしてるのか気になる。上記の特徴から、戦記モノが好きな大人よりも、そういうのを見たことのない若い世代がターゲットなのかな。あと同時展開してるTRPG既プレイ勢的ニヤニヤ要素どれくらいあるんだろうか。個人的には岩浪美和の作る音がめっちゃ好きで、1話だと「敵対した領主と剣を交えたときの金属音」がめちゃくちゃ凄いので聞いて欲しい。
諸事情で制作会社が変わったので実質1期。「たくのみ。」とセットにした理由が分かる気がする。12分を駆け抜けるテンポすこ
むしろこっちのほうが「ヤマノススメ」みを感じる。だがしかし2と2本立てのアニメ。12分でまとまったお話(脚本:高山カツヒコ)が心地よく、あらゆる苦悩をビールで忘れる幸せよ。仕事から疲れて帰った時、ビールのお供はやっぱり「簡単に作れて美味いヤツ」に限る。登場するお酒は全部日本のメーカーのやつなんだろうか。
博多の日常を描いたアニメ。全体的にBGMが心地よい。博多だけどあんまりラーメン枠ではない。BLACK LAGOONっぽい骨太な内容なので、お酒飲みながら観るといいかも。
上野のあの感じ×クソガキ×クソガキ×クソガキ。私も兄弟が3人いるので、小学生が3人集まったときの全能感をよく知っている。テンポ感からもクソガキ達の疾走感がよく演出されている。そういうクソガキたちを優しく見守る作品。観ててとても温かい気持ちになる。上野を中心とした背景美術が凄まじいことになっている。
私は前作のアニメをリアタイで観た人なのだけれど、CCさくらファンだった当時小学生の姉が観ていたからというだけでファンというわけではなかった。今はもう内容覚えてないし、自ら触れることはもう無いと思ってた。そんな私でさえ1話冒頭を観ただけで「イ゙ェアアアア!!」ってなったので、ファンの人は無事では済まないのだろう。マジで奇跡のような作品。
どうなんだろう、この作品を観た人はどこらへんで興奮したのだろうか。やっぱりロボットが真の姿を表したところ?1話の時点で明確な死が描かれているのは1羽の小鳥ちゃんだけなので、敢えてハードな展開になるのを抑えてるんだろうか。あんまり王道ロボットアニメを観たことがないので「メインロボット来た!これで勝つる!」といった高揚感を感じることができなかったのが残念。
TBS FREE、Tver、GYAO!などで最新話のみ無料。子どもと観る方の鉄道xロボットアニメ。子供向けにチューンナップされているからと言って大人が楽しめないわけではないんやな、って。一般人ではわからないレベルの専門用語が飛び交う程度には鉄道好きに寄り添っている。ロボットアニメとしてもかなりアツいので、最終話が放送される頃には「シンカリオンがんばえー」ってなってるかも。しかもコレ、フィクションらしい。
「迷い猫オーバーラン!」の松智洋 原案アニメ。同氏が2016年に亡くなったため、別のライター達によって引き継がれた作品。あらすじを読むだけで分かるくらい、中二病全開の作品。作中のBGMといい、とってもメルヘンチックに仕上がっている。気になったのが主人公の年齢。メルヘンチックな魔法少女モノだと大抵主人公は小~中学生が多い印象なのだけれど、なぜか本作の主人公は高校生である。1話を見る限りでは中学生でも成立しそうに感じる。OP.EDがエロい、監督の上田繁が閃乱カグラOVAの監督を務めた人らへんから察するに、主人公にエロいことをしたいのでちょっと大人にした、と言う感じなのだろうか。
ごちうさのスタッフによる日常アニメ。ごちうさだと思った?ごちうさの大ヒットが影響して大きな予算がついたのか、キャラクターの動きがめっちゃヌルヌルしている。ただしごちうさほどおとぎの国のお話でもなく、特に決定的なのは1話Cパート。よく考えたら脚本の井上美緒はハートフルボッコ系の人でもあるので、かなり胡椒のきいた日常アニメみたい。視聴者の心の、ささくれだっている部分をガンガン逆なでしてくるのでざわざわが止まらない。あとスタジオ風雅の背景がとても良い。A-1 Pictures×スタジオ風雅って去年の「亜人ちゃんは語りたい」以来?
逆ハーレムモノは「桜蘭高校ホスト部」しか観たことがないのだけれど、この作品はどの系譜なのだろう。ヒロインの声が矢作紗友里の時点で「乙女ゲーのツッコミ役かな?」となるわけだが、実際そうである。声優さん達の高い技術も相まってテンポよく進むギャグアニメなので観ていて楽しい。的確なツッコミが出来て、しかも可愛いヒロインって良いね。「月刊少女野崎くん」のパラスちゃんとか。あっちのヒロインはみこりんだけど。
1話だけ観た感想書いても意味が無いので割愛。
「いやそれ労基法どうなってんだよ」「実質奴隷じゃねえか」「何のための保育士資格だよ」「いや中学生一人にそれ任せたら誰か死んじゃうから!」などあらゆる不安を「やさしいせかい」という魔法で一掃し、安心して幼児の可愛さを楽しむ事ができるエンターテイメント。アニメーションしている幼児の可愛さは想像以上で、特に自己紹介のシーンは破壊力が凄まじい。脚本も良いので多分飽きることはないと思う。
色んなラーメンと小泉さん達のメシの顔を楽しむアニメ。惜しむらくは、日本各地のラーメンを食べて回った学生時代ほどラーメンが好きじゃなくなったせいで、観れば観るほど胃もたれしちゃう事。淡々と話が進むので低いモチベーションでも観れるアニメ。OPEDの中毒性が高め。
人外との非言語コミュニケーションを楽しむ作品。やさしいせかい。プロデューサーの那須田淳は逃げ恥のプロデューサーを務めた人なので、EDのダンスは恋ダンスのリスペクトだと思われる。ということは、本作は逃げ恥のファンくらいの年齢層(主に女性?)をターゲットにしてるのだろうか。ミーくんかわいいからね、仕方ないね。
将棋界にはユニークな人が多いらしい。将棋アニメとしては「3月のライオン」があるけれど、とっつきやすい方はこちらかも。同じ原作者のアニメ化作品「のうりん」は農業要素が申し訳程度だったのに対して、こっちはガッツリ将棋を描く方にウェイトを置いているようだ。友情/努力/勝利のサイクルを回すスポ根アニメかな?
「戦士に選ばれた女の子」「スマホゲーも展開」「Studio五組」=ゆゆゆ ではない。説明抜きでおっぱじめるあたり、詳しくはスマホゲーをプレイしてね!ってことなんだろうか。少なくともゆゆゆのようなハートフルボッコではなさそう。チャンバラ目当てに観るのが良いのかも。剣豪シリーズやってたので、いろんな構えが出てくるのが楽しい。あとどの子も使ってる鞘の柄がかわいい。
ホラー寄り。唯一無二かつ普遍的な面白さのある作品なので、いつ観ても面白いのが良い。基本的に短編集なので、リアルタイムじゃなくて観たいときに観るほうが楽しめそう。
あとかなりコミカルだった。
アマプラのみ。何かの番宣番組で聞いたのは「アニメでプロレスをやる」がテーマらしく、超人たちがリングの上で殺し合いバトルをするアニメ。超人たちの身体的特徴は元の動物になぞらえてあり、「むぅ・・・この動きは・・・」「し 知っているのか、雷電!」みたいな実況が入る辺りプロレスっぽい。バトルシーンだけならエログロキン肉マンみたいな感じ?結構アツい。
時代劇バトルアクション。アクションシーンは全体的にふわふわしていて「うおー!すげー!」とは感じなかった。国盗り合戦特有の血生臭さがあるのが良い。原作未読勢は外部記憶を頼りにしないと良くわからないと思う(未読勢並感)。原作ファンにどれくらい寄り添っている作品なのか気になった。
AbemaTVのみ。原作を手元においた上で視聴するのが良いと思った。原作のうちアニメ映えするシーンのオムニバス形式みたいなので、「あのシーンあるかなーwktk」というテンションで観るのがいんじゃないかな、音楽と背景が良いので。
今期で最もゆるいアニメ。
高校生男子の成長物語。サンリオのキャラクター達とのファンタジーではなく、サンリオのキャラクターが好きな男子達の日常アニメ。程よいBL描写のある作品で、今期のBLアニメってコレくらいかも(gdメン?知らん)。ただ、幾つかのシーンについて全く意図がわからない演出があって、「この作品は一体何を描きたいのだろう」と思った。それらが伏線として回収されるなら良いのだけれど、どうなんだろう。
特になし。
全体的にクオリティが高い印象を受けた。例えば背景だと、ハイクオリティでおなじみの草薙が携わっている作品だけでも「よりもい」「ハクミコ」「citrus」と複数あったりする。またアマプラのみネトフリのみ配信のアニメも沢山あり、全体として高予算高クオリティ化の傾向があるのかもしれない。どこぞのプロデューサーが言っていた、どんどん高いクオリティを求められる一方で人手不足になっている話を思い出した。
作品の内容について、アマプラのみ等限定配信のアニメはきびしいせかいが多く、一般配信してるアニメはやさしいせかいが多い、という傾向があるようだ。なんでだろうね。なので、気楽にアニメを観るならd'アニメストアとかで十分かも。
新作1話全部視聴はおすすめできない。観れば観るほど続きが気になる作品が際限なく増えてしまうし、途中までは楽しかったのがそのうち苦痛に変わっていくので逆にアニメが嫌いになる。後半は新しいアニメを観るためのモチベを稼ぐために好きなアニメやゲーム、音楽に触れてリフレッシュしないとやってられなかった。コレはアニメが悪いのではなく、アニメを沢山観るのは体力がいる、ということなのだろう。そんなわけで、アニメ視聴は程々にしよう。ちなみに上の様子見っていうのは「時間と心身に余裕があれば」という事なので、アニメの今後の展開がどうのではない。そういう意味でも、新作1話全部視聴はおすすめできない。本当に疲れた。
はあちゅうさんの事はよく知らないけど、かつての上司からのセクハラについて告発したら、本人の童貞いじり?への批判も湧いてるらしい。
個人的な経験では営業の人間なんかは、好む好まないに関わらずある程度の下ネタ対応みたいなのが求められるとこがあると思ってる。
とんでもない下品な事を言うおっさん相手に下卑な笑みを浮かべて同調するという演技を何度となく繰り返した記憶がある。
営業やってる同僚はもっとエグい事もしてて、主張先でバァさんみたいな女性の股間に顔を押し付けて「美味しいです〜」と叫びそれを見てる取引先の偉いさんがケタケタ笑う、という地獄みたいな現場を見た事もある。
この時は同僚は戻りの新幹線の中で「できれば見られたくなかったw」と悲しそうに笑っていた…。
まぁ極端な例で業界がちょっとアレだったのでそんな地獄があったんだけど、下ネタ全般大の苦手だった自分もそういうのに何度も立ち会ってるうちに耐性がついて多少の下ネタは平気になってしまった。
人間、役割だ仕事だと割り切ってるつもりでもどんどんそれが本当になっていく。
気がつけばわざわざ下品な事を言って相手の顔を見るような事をして、恥ずかしそうにしたらこいつはまだ青いな〜とか思うまでになっていた。まさにパワハラ。
社会に出たらこういう事だってあるんだ、さすが社会は違うな、下品だなこれで俺も大人だなと思っていたけど、そういう世界から少し離れて思うのは、はあちゅうさんとかヨッピーさんとか広告系の仕事でタフネスが求められ、頑張ってるうちにちょっとズレてきたんだろうなって印象がある。
問題はやっぱ広告業界が相当エグい事になってるんだろうって事で、告発に対してとれるアクションて電通さん昔こんな事あったみたいだけど今はどうなってんの?じゃないだろか。
でもそういう話してる人はあまり見かけない。
その昔ホイチョイプロダクションの漫画がビッグコミックスピリッツに連載されていて、
その中での広告系サラリーマンの仕事ぶりというのがそれはもう今もしあったら雑誌ごときれいに燃えるだろうなという内容だった。
ギャグ漫画として描かれてるけど戦慄したので今でもよく覚えてる。
今回も電通にだけは行かないぞと思う人が増えたらいいなと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20170528113521
http://anond.hatelabo.jp/20170527185142
このへんの腐女子がんばれよ論とか。
今回の騒動はたまたま選出基準のせいでBLの割合が多かっただけで、本質的な問題はそこじゃないと思う。
どっちかと言えばこれは「自分の作品は公のものだろうとなんだろうと使われ方を全部自分で管理したい」と願う作者とそれに立ちはだかる現実の話だ。
BL二次創作の作者にその手の人の割合が多いという意見は分かるが、別に自分の作品を管理したいのはBLもR18も二次も商業も関係ない。
例えば自分の作品がどこで閲覧できるか。自分の作品が何に紹介されるか。自分の作品が誰に楽しまれるか。自分の作品がどんなことに使われるか。
そういったものをとにかく全部自分の思い通り、想定通りにしたいと願う人は創作活動をしている人の中では別に珍しくはない。単にそれが我侭だと理解しているから周囲に要求してないだけで、内心やめてくれと思っている人はいる。
それは別にプロもアマも関係ない。それなりの年のオタクなら「俺が嫌だと行っている」という言葉に覚えのある人もいるだろう。
魚拓やアーカイブはちょっと見つからなかったので、当時の話題のまとめがあるサイトをのせておく。
http://neto10.blog55.fc2.com/blog-entry-12.html
リンク先まで見に行くのが面倒な人向けに簡単に説明すると、あのジャンプに連載していた久保帯人さん(ブリーチの作者の人)が当時私的に書いた絵をファンが喜ぶならとサイトに掲載していたけど、それをDLしてプリントアウト(自分だけで楽しむ、私的利用の範囲でもちろん適法)している人達にやめてくれって言った話。
そうすると当然「私的利用だから別に悪い事でもなんでもない」という反応もあるわけで、そういう正論に対して久保さんが言った(日記に書いた)のが
法律もウェッブルールもクソ喰らえだ。俺が嫌だと言ってる。「プリントアウトしちゃいけない」 理由がそれだけじゃ不充分なんだろうか?
という一文だった。(本当はサイトに乗せた理由についての話とかもあってもっと長いけど今回は前後の文章は関係ないと思うので該当部分だけ抜き出しました)
で、最終的には絵は削除されました。嫌だと言ってもファンからのDLしたいという問い合わせが尽きなかったため、とのこと。
この問題については確かに作者の態度はあまりよくないものだったかもしれないけれど、「確かに適法ですが個人的には嫌なので止めて欲しいです」とお願いをして、そのお願いが聞き入れられなかったので「では公開を止めます」って取り下げたのは別に何も間違ったことではない。それこそ適法。作品の公開を取りやめるのもまた作者の権利なのだから。
当時はまだブリーチは連載していなかったが、ジャンプに別の作品が掲載されたことはあったはず。つまり既にプロだった時の話がこれ。
その世界で金を払って生きている人でも自分の作品は法律とか関係なく自分が思った通りにしか扱ってほしくない、と思うだけでなく口にする人だっている。
そして個人的には後ろ盾を持ってきて権利を主張するんじゃなくてシンプルに「嫌だから止めろ」とだけ宣言する久保さんの態度は、言い方の問題こそあれむしろ変なごまかしをしない正しい姿勢だと思う。
二次創作は、原作者の意向によるけれどもまだまだグレーゾーン(作者が許可を出していないもの)は多い。公式に二次創作を認めたものもかなり増えてきたが、決してそちらの方が主流ということでもない。(とは言え二次創作=全て何もかも違法、みたいな扱いはどうかと思う)
また、原作にそのような要素がないものをBL化する場合、原作からの剥離度はいわゆる「健全」な本と比べたら高くなりやすい。(エロがないのにエロ化する二次創作も剥離度は高くなりやすい。念のため)
そして男性と比べて女性は慣習的に性的なものに触れることをタブー視されている空気はあると思うので、内圧なり外圧なりで、どうしても後ろめたさを感じる人というのが多い。
そうしたどこかうしろめたいものは、やっぱりあまり衆目には晒したくない、と思う人が多い。大勢の人の目に触れると攻撃される、という怯えがある。
結果、周囲から見た時になんだか妙だなと思われてしまうような妙なムラの掟だとかなんだとかが出来上がったりすることもまあよくある。
そういう意味では今回のような騒ぎが起きたときにはNLよりBL界隈の方が問題になりやすいだろうし、男性界隈より女性界隈の方が問題になりやすいだろう。
ただそれはあくまで傾向の話で、男だからセーフ、女だからアウトという話でもないと思う。可能性の大小の話でしかない。
それについて「嫌なら止めろ」ということは簡単だけれど、そもそもその後ろめたさの理由は内圧も多いけれど外圧だって多いのだ。しかもいわれがないタイプのやつ。
外圧が多いなかで必死に調整しながらなんとか隙間を縫ってきたのに腐女子は文句ばっかり、と言われるのは正直納得いかない。
最初に断っておくが、もちろん腐女子の妙なルールについてはおかしな勘違いだとか我侭前回の俺ルールはある。もう間違いない。
けれど全部の問題がが腐女子の中から出てきたわけじゃない。むしろ外部から「腐女子は存在が気持ち悪い」「目の前に出てこない腐だけがいい腐」とか言われたりすることもあるぐらい(今ではそういった声も減ったけど)で、それこそおおっぴらに腐った話をしたわけでなくても腐という属性を持っているだけで人間のクズみたいな扱いをされることだってあった。
それはゾーニングでどうにかできるものじゃなくて、それこそ作品の名前で検索してBLが出てきたらキャプションがあったりタグがついててもどれだけきちんと注意書きしてても叩く。こんなクソを俺の前に見せやがって。視界に入った時点でアウトなんだよ。という論調でこられる。そういう頭のおかしいとしか思えない人が普通にそこらにいた時代があった。
自分たちは嫌なら見るなというくせに、腐の作品は中身が見えなくてもその存在が目に映ったら理不尽に怒られた。そんな時代があった。
元からひっそりやりたい人はもちろんいたけれど、そもそも別にひっそりやりたいという願望があったわけじゃないけど、オープンにやると文句を言われるので仕方ないからひっそりやらないといけなかったという人もいる。そんな中でお前ら本当に我侭だな、みたいに言われると「我侭なのは分かってるけどそうさせた理由の数割はそっちにありますよね?」と思う。
上に上げたなかの腐女子がんばれ論あたりからは「あなたたち男オタクが僻地に追い込んだくせに今更逃げる事情を説明しろって言うんですか?冗談も大概にしてください」と感じてしまう部分もある。もちろんこれを書いた人が追い込んだ人達ではないだろうし、それこそ一部の頭のおかしい過激派と普通の男オタクを一緒くたにするつもりはないけれど、腐女子を雑に腐女子とまとめあげて上記のような論を展開されると私は性格が悪いのでうっかり厨返しとしてクソオタクとまとめて扱いたくなる。
謎ルールを振りかざして外部にだから配慮しろと言うつもりはないし、お前らが理解してしかるべきなんてことは思わない。理由がどうあれやっぱりやっちゃいけないことはいけないことだ。
そして、摩擦を起こさないように腐女子から動くことも時には必要だと思う。けれど外部から攻撃されてきた経験を持つ人もいる腐女子たち(当然そうでない人もいる)に「尊重してあげるからそっちからローカルルールちゃんと形にして掲げておいてよ、頑張れ」みたいな態度を取られると(そのようなつもりはなかったかもしれないけれど私には少なからずそう見えた)なんでお前のためにやらないといけないんだ、と反発されるだけだと思う。
自分で自分の作品はコントロールしたいけど、それは必ずしも叶えられるものじゃない。特にそれがちょっとばかり我侭な類のものだった場合。
そういった時、それこそ商業ベースのものはいくら嫌でもすぐにどうにかなるものではない。お金の問題や、権利の問題が絡んでくる。昨今の作品は個人だけでなくメーカーやらの手が加わってるものも多い。作者一人が嫌だと言ったところでそれに関わる他の人達の意向もあるからじゃあ止めようとはならない。
けれど、それが個人で管理している、それこそ同人作品だったら? 公開非公開を決めるのは自分の一存だ。なんか色々ややこしい商業ベースのものと違ってさくっと公開停止できる。そして消してしまうのは色々楽だ。だってもう問題が増えることはないのだから。
だから同人作品は作者が嫌だと思った次の瞬間公から消え去っている、なんてことがよくある。
それは別に晒されたとかそんなものですらなく、面倒になった、古い作品に耐えられなくなった、なんとなく気分で、そんな雑な理由でも作者が「そう」と決めたらすぐになくなってしまう。
そしてそれは何一つ悪いことじゃない。作者として当然の権利なのだから。
理解していない人も多いだろうけれど、理解した上で、だからこそ自分が管理しきれなくなったら消そう、という人もいると思う。
周囲がなんとなく空気を読んでくれている間はどうにかなるから公開する。周囲が空気を読んでくれる人ばかりでなくなったら管理しきれないから止める。
外から見ると何か起きて初めて公であることに気が付いて公開停止するのと、ついにこの日が来たかと思って公開停止するのと区別がつきにくいが。
ただ、どちらの場合も結局のところやさしく扱ってあげないと消えることに変わりはないので、そこを区別する理由はあまりないのかもしれない。
公に出したものは、法律で条件を満たせば使っていいと決まっている。だから使うことを強制的に止めさせることはできない。
でも「止めてほしい」とお願いすることは出来る。もちろんそのお願いを聞き入れるかどうかは自由なので、我侭で身勝手なお願いを無視することは何も悪くない。
悪くないがお願いすることで聞き入れてくれる人もいるんだから、別に一言お願いしたっていい。寧ろそれで双方が納得するなら円満解決、すばらしいじゃないか。
なんだか法律で認められているだとかそんなことを言うのは我侭だとか言って「お願いすることが非常識」みたいな論調の人が中にはいるけどそうじゃない。むしろ強制することなんて出来ないと分かっている知識ある人だからこそ「お願い」するのである。我侭なのは分かっているけど、できれば勘弁してもらえないか、と。
禁止だなんだとがなるちょっと残念な人達もけっこういるのが哀しいところだけれど。
まあ、個人の自由にすればいいと思う。ただ、当然その行動に見合っただけの結果が帰ってくる。それだけの話だ。
ちょっと気を回すだけで円満に解決するならその方が皆嬉しくてよかったねってことじゃないの、ということだろう。
悪いことしてないんだからヘイト溜める方がおかしいと思うなら、それは高慢だと思う。相手から罵倒してきたり誹謗中傷を投げ掛けてきたりしたらそれは行き過ぎた行為だけど、余計なことをされたせいで安寧が崩れたのなら、そりゃあ不満の一つも抱く。
いくら文句言おうがそれは身勝手な話だから別にどうでもいいと言いきれる鉄人だけが相手の気持ちを無視したらいい。実際身勝手な文句もそこそこ多いので。
感情的に書き殴った本題ではない部分について、ちょっと言葉が足りないところとか大げさに言ったところはあって、いろいろツッコミを受けております。すみませんでした。概ね仰る通りですがいくつか反論したい点もあります。
で、本題に関する部分についてこっちで補足入れると、私がメインで言いたかったのは
というあたりです。
「ネットに上げると嫌なことがあるかもしれないので最初から出しません」というのも一つの正しい手段だけど「ネットに上げると嫌なことがあるかもしれないけどいいこともあるかもしれないので考えた結果上げることにします。ただ、嫌なことが実際に起きたり環境の変化で嫌なことが起こる確率が上がったりするならその時は下げます」っていうのだって正しいですよね。
私の回りにはあの論文に扱いが雑だと怒る人も配慮があってよかったと苦言を呈す人もそういうのはおいといていくら学会発表だからって論文としての出来がアレすぎて「普段私がどれだけ苦労して論文書いてると思ってるんだ論文舐めるんじゃねぇ」と別方面でキレてる人もいますが、あれについて別に法律違反だとかおかしなことを言う人もいなければあの論文を書いた人が悪人だと言う人はいません。
声の大きい人が目立つのはよく分かるんですけど、なんだか嫌なら最初から上げるなよバカだなぁみたいな反応がどうにも目に入ったので(当然そうでない人もたくさんいますけど)そういう人達に「なんで上げちゃいけないんですか? 別に使われたことに文句は言ってないじゃないですか」って言いたかったのです。
ネットに上げて使われたことに文句を言ったりあまつさえ法律違反だとかなんだとかおかしなことを言ってる人は残念だと思います。
id:houyhnhm 剥離はくり→乖離かいり、の方がよくない?
うまくまとまったか自信はないですが書いてみました。
http://anond.hatelabo.jp/20170531012221
id:chibatp9 「覚悟も無しにあげてたの?」みたいなのは研究側というより、むしろ創作側(非二次)の人が言ってるのを見るが。
個人的にはどっちかと言えば創作には携わってない人が言ってて、研究職の人は観測対象がおしゃかになる的な意味で論文側が微妙といった反応のイメージでした。創作側、というのはあまり感じたことがなかったですが、ひょっとしたら批評慣れしている人やタフネスな人が多いのかもしれませんね。
書き方を見てひょっとして誤解を受けてる? と感じたのですが、なんで上げたの的なことを言う人にちょっと物申したかったけど言う人は研究者側だとか捜索側だとかは特に言ってないつもりです。