はてなキーワード: タキシードとは
先日、わが弟の結婚式があった。
実は当方、結婚式は初めてだ。子どもの頃に招かれたことはあるかもしれないが、全く憶えていない。
当初は出ないつもりだったが、貴重な機会だと思って参加させてもらった。父、母、妹、俺の四人だ。
以下、数百字にわたって感想を述べたい。
チャペルの隣にあるホテル風の建物に入った時は、まあそんなもんかって感じだった。親族側なので、ほかの招待客よりも早めに行く必要がある。待機時間は長かったな。二時間くらい待ったよ。小ぢんまりとしたホールで、スタッフの人が泡でふわっふわのコーヒーを持って来てくれた。あれはコーヒーだったのか?
ああ、そうだ。トイレに行こうとしたら別のスタッフに停められたんだよな。すぐそこを新郎新婦(弟と嫁)がリハーサルで歩いていたらしい。やっぱり、事前に姿を見そうになると止めるものらしい。
時間が経って、ほかのスタッフの人がホールに入ってきて、親族その他参加者を呼んだ。そんでチャペルに着くと、牧師の人や讃美歌のチームがいて、青が基調のステンドグラスがあって、ドラマで見るのと一緒の光景だった。
それで、式が始める前に参加者みんなで記念写真を撮って、外国人の牧師が挨拶をして、いよいよ新郎新婦が登場するわけだよ。
いやあ、恰好よかったね。新郎は細身のタキシードがシャンと決まっていた(追記:よく思い出してみると、ズボンの右ポケットにスマホが入ってるのが明らかだった。人によっては萎えるポイントかもしれない)。その次に入ってきた新婦も、ドレスがめっちゃ清楚にまとまってる。お父さんと一緒に、ゆっくりと牧師の前まで歩いていくんだが、その後ろで参加した親戚の女の子たちがさ、新婦のウェディングドレスの尻尾のところを持ち上げながら歩いてるんだ。いや、あれには参ったね。はっきりいってお洒落だった。
それで、讃美歌があって、聖書の言葉を読み上げるのがあって、「やめるときも、すこやかなるときも」っていうのがあって、あとは流れだった。くちづけの時、弟が相当に緊張していた様子が伝わってきた。その辺は兄弟だからな、わかるのだ。
それらの儀式は、テレビドラマで見るのとほとんど一緒でびっくりした。そういうものなんだな。ドラマと違うのは、花嫁がほかの男に奪われないことくらいだ。
最後に、一時間半ほどの食事会があった。出てくるものは、ワインでもジュースでも刺身でもパンでもステーキでも、とにかく何でもうまかった。ほかの参加者ともしゃべりたかったけど、俺はわけあってあまりしゃべることができない。
ほかの親族とか、参加者の人達は大騒ぎしていた。新郎新婦を囲ってやりたい放題だったし、小さい男の子らもやっぱり楽しそうだった。はしゃいでいた。
小中学生の女の子らは、新郎の方に駆け寄っていて、いっしょに二人並んでの記念撮影を求めていた。弟はイケメンで、はっきりいっていい会社に勤めている。性格もいいのを知っているのだろう。
父も母も妹も、新郎新婦と記念撮影をしていた。俺もそっちに呼ばれたけど、結局行かなかった。俺にはいくつか障害があるから、あまり動けないのだ。できれば人前にも出たくないが、たぶん人生で最後の結婚式参加だからなあ。
俺は、ひたすらに烏龍茶飲んで、パンを食べていた。食べ物が小さいので油断していたけど、お茶漬けが出てくる頃にはお腹いっぱいになっていた。もしかして、食べ物のサイズが小さくても、上等なものだとお腹いっぱいになりやすいのだろうか。
宴も竹縄な感じになって、新郎と新婦が最後にみんなに挨拶をしていたっけ。親への感謝が主だった。ふたりが音楽とともに退場して、俺達一家もさあ帰るかとロビーに降りて、父母の着替えを待ちながら妹とゆっくりしていると、新郎の弟が帰ってきた。妹と話をしている。互いの労をねぎらっているようだ。
弟は、その後こっちに話してきた。「兄ちゃん。来てくれてありがとう」だって。「おめでとう」とだけ言って、ちょっと会話をして、「じゃあ、またな」で締めた。あいつは、俺の結婚のことは口にしなかった。したくてもできないとは思うが、ハレの場で考えることではない。
新婦側の親族がまだ残っていた。さっきの子ども達が新郎に群がっていた。男の子はスプラトゥーンの攻略法を聞いていたし、女の子はやっぱりツーショットの写真を求めて並んでいた。
それから、新婦方の親族とちょっとだけ雑談をして、それで解散になった。
楽しかったなあ。いい式だった。一生の思い出になった。
ところで、もし俺が健常者で、弟みたいにイケメンで、いい会社に勤めていたとしたら、結婚式は挙げなくないな。だって、恥ずかしいだろう。あんなに見られて。写真を撮られて。耐えられそうにない。恥ずかしすぎる……。
とまあ、いろいろ想像をしてみたが、こんなのだって結婚式に参加しなければ得られなかったものだ。参加してよかったと今では思える。弟よ、どうか幸せに。 兄より。
私はポムポムプリンのオタクだ。題名の通り、最近どうにもポムポムプリンがサンリオオリジナルの商品(サンリオショップやサンリオオンラインで取り扱う商品のこと)でハブられがちな気がしている。
ポムポムプリンは今年のキャラクター大賞で2位を獲得し、ここ数年ずっとTOP3を維持しているキャラだ。
にも拘わらず、だ。1位のシナモロール・3位のクロミ・4位のポチャッコ・5位のマイメロディはサンリオオリジナルの商品メインキャラの常連なのにポムポムプリンがハブかれるのが多く感じて来た。
というのも先日発売したいちご新聞を読んでこの気持ちが爆発した。中身は購入しないと読めないので詳しくは書かないが、簡潔に言うと今後展開予定の2シリーズにおいて、上記の1,3,4,5位のキャラクターはメインで登場するのにポムポムプリンだけマスコットなどの展開がなくシークレット商品のみの登場と明言されたのだ。
それ以外にもある。最近だときらめきビジューシリーズ・ぼーっとチルタイムデザインシリーズ・サクマいちごみるくコラボ。サクマコラボなんかはポーチや缶ケースは出たものの、マスコット化の選出には漏れている。
ちょっと前までさかのぼればキューピットデザインシリーズにエモきゅんデザインシリーズ、おしりピカッとデザインシリーズもそうだ。全て「1,3,4,5位のキャラクターはメインで登場するのにポムポムプリンだけマスコットなどの展開がない」シリーズだ。おしりピカッとシリーズなんてお尻がチャームポイントのポムポムプリンをメインにしなくてどうすると思うようなシリーズ名なのにマスコット化の選出からは漏れた。何故だ。何故1,3,4,5位のキャラクターは毎回のように出ているのに2位のポムポムプリンが漏れるのか。
毎回そのデザインのシリーズの合ったキャラクターを選出していればそうは思わないのだろう。例えば9月の「ときめき平成コギャルデザインシリーズ」なんかはあくまで「ギャル男」ではなく「コギャル」とついているのだから男の子のポムポムプリンがいないのは納得だし、逆に同日に出た「大盛りデザインシリーズ」はシナモロール・ポムポムプリン・ポチャッコの犬トリオをメインに3人が食欲の秋を楽しむのがコンセプトなので、そこにマイメロディやクロミがいないのも納得できる。
セーラームーンコラボのジュピターのコラボ相手がマロンクリームだったのもコラボ先のジュピターの性格に合ったキャラを選出しているようで個人的に非常に好感度が高かった。
毎回それならいいのだ。毎回そうやってシリーズの雰囲気に合ったキャラを選出しているのならそれでいい。別に私だって毎回ポムポムプリンのぬいぐるみを出せ!毎回メインキャラにしろ!などとは思っていない。
ただ、「キャラクター大賞の順位に見合った扱いを受けていない」この一点のみ気になって仕方がないのだ。
勿論沢山いるキャラクターの中でポムポムプリンは十分恵まれている方だ。それもわかっている。勿論他のキャラだってメインにいないことがあることだってわかっている。
でもどうしても、1位のシナモロール・3位のクロミ・4位のポチャッコ・5位のマイメロディが揃うシリーズで2位のプリンだけいないシリーズがこんなに沢山続けて出るのかと考えると悲しくなってくる。
どれだけキャラクター大賞の時期に頑張って投票しているのだと思っているのだろう。ポムポムプリンは一度干された経験があるからこそ、もう後悔しないように毎年毎年必死に投票している。グッズだって毎回購入している。
なのにどれだけキャラクター大賞で頑張ったって、どれだけグッズを購入したって、こうやって周りの上位キャラは毎回のように選ばれているのにポムポムプリンだけメインビジュアルにいないシリーズがこの数か月で立て続けに出たら悲しくなってくる。
思えば去年もタキシードサムのファンが順位に見合った扱いを受けていないと荒れていた様子を見た。最近はキキララのファンの子達も不安な声をよくTwitterで目にする。個人的にはキティちゃんだって最近グッズ出なさ過ぎなのが気になっている。ふわふわスノーデザインとかキティちゃんだけマスコットホルダー出ないのあれなんなの?キティファン絶対キレていい案件だったよあれ
あまりキャラ大の順位ばかり振りかざしているといつか順位が落ちた時に何も言えなくなるから言及したくない気持ちもあるが、でも本音ではキャラ大の順位に見合った扱いをしてほしいという気持ちが強いのだ。
別にキャラ大の結果を今後の展開に反映すると明言されたわけではないし、こっちの自己満なのだろう。でも、推しがキャラ大の結果で目視できる人気に見合った扱いじゃなかったら、悲しくならない方が無理な話ではないだろうか。
「結婚」って何なんだろう。人生の墓場だ とかよく聞くけど、独身だからなおさらその意味が分からない。
最近、起床即faceboookを開いたら、紺色のタキシードの男性と白いドレスの女性を、これまたスーツの男性やらおしゃれ着の女性が
囲んでいる写真が目に飛び込んできた。寝起きだったので視界がぼやけていたが、目を凝らしてみたらそれは大学時代の友人の結婚式の写真だった。
ついにか・・・・・・。と思った。本来なら、そういう感想を第一声で出すべきではないのかもしれない。
いや、よろこばしいことではあると思う。友人にはこれからも幸せで居てほしい。だけど、この気持ちは何なんだろう。
一晩よく眠れず、自分の気持ちに問いかけてみた。それは嫉妬だった。
俺は今、猛烈に結婚=幸せの象徴 だと思っている。多くの人間共も、結婚は幸せの一つのカタチだと思っているだろう。
それが、今自分の手元には無い。自分はこのまま、友人たち既婚者様のように、「誰かにとって、異性の1番」に成れないんじゃないかという不安に陥った。
法的に特定の異性とセックスする許可を得た状態=既婚 だと思うと、強烈な焦燥感にかられて昼間も仕事に手がつかなくなりそうだった。
そこで、今日の昼休みから早速マッチングアプリを始めた。(通算3度目)
いろんな女の子の写真を選別している中で、見覚えのある女性の写真があった。
それは去年の12月に自殺した同僚の女の子だった。彼女もまた、結婚を人生の目標の一つに掲げている人間の一人だったようだ。
きっと彼女には思い描いていた人生があったのだ。恋愛をして、結婚をして、旦那さんと、そしていつか産まれてくる可愛いわが子のために生きる人生。
どうして、26歳という若さでそれを諦めてしまったのだろう。親御さんが職場に遺品を取りにいらしたとき仰っていたように
「いろいろあったのだろう」と思う。 それにしても、早すぎる。俺より4つも若い。
だけど、生きていく中で感じる苦しみや悲しみは、人生が長いからってその分耐えなければならないわけではないとも思う。
アプリに今も表示されている、葬儀の時の遺影と同じ写真。それを見て、本当に、気づいてあげられなくてごめん、と思った。
もっと声をかけてあげればよかった、密かに可愛いなぁと思ってたし、ちょっと誘ってみればよかった。机の席も斜め向かいだったし。
だけど自分は奥手すぎて、俺が中途入社して彼女が亡くなるまでの約1年間に交わした言葉は4,5回くらいだったと思う。
うちは逆だった。
彼のタキシードとかも自分達で買うか?借りるか?借りた方が安いけど仮商品ダサすぎへん?みたいな話をしてるのに、当の本人がどうでも良さげ。
うちは海外で写真結婚式だったから、2人の写真素敵なもの残したくないの?なんでそんな私任せなの?って感じでもめた。私のドレスにもあんまり意見なくて、なんかすごく寂しかった。
結婚式は無事終わったけど、こういうのって結局生活の中で出るんだよね。
引越し終わって家具はどうするか?とか配置は?家事分担は?みたいな話でも彼は結局私任せ。
この夫婦でいる限り私が主導で何かやらないと何も始まらないし終わらないのか?と一時期ストレスがすごかった。
結局不満全部話して、夫主導のタスクもしっかりやってもらうって事になったよ。
結婚式で増田が不満不安感じてるなら、今のうちに喧嘩とか話し合いしといた方がいいと思う。多分結局生活してたら同じような気持ちになって、どこかで揉めると思う。
近年めちゃくちゃ聞く「トランスジェンダー」
あれおかしくない?
Wikipediaとかには、トランスジェンダーとは「生物学的に割り当てられた性別に違和感を持ち、 異なる性を生きていきたいと考えている人の総称」と書かれている
いや、「性別」ってそもそも生物学的に割り当てられたものであって、それ以上でもそれ以下でも無いだろ。
身体が男か女かってだけの話なんだよ。
自分がトランスジェンダーだと思う人って、なんでトランスジェンダーだと思ったのか教えてほしい。
「スカートが嫌いな女」で良くない?
・男だけど男が好きだから
・女だけど女が好きだから
「同性が好き」ってだけで良くない?
近年の「多様性を認めよう」の方向性が大きく間違ってる気がしてならない。
「心が女性であるトランスジェンダー男性が、証明書に女性と書くことができる社会」
「心が男性であるトランスジェンダー女性が、戸籍を男性にできる社会」
社会が認めるべき「多様性」っていうのは、「性別」の固定観念を打ち消すことではないの?
社会が認めるべきなのは「スカートを履きたいと思う男性は、心が女性である」ではなくて、「スカートを履きたい男性もいる」ということではないの?
社会が頑張らないといけないのは「トランスジェンダーという第三の性別を認めて受け入れること」じゃなくて、「男性らしい」「女性らしい」という固定観念を無くすことじゃないの?
世の中では
O型は大雑把
※もちろんこの通りではないけど例えとして
トランスジェンダーの人達が言ってるのって、「私は血液型検査でB型だったけど、几帳面だから心はA型」っていう話だよ??
社会はそれに対して「心がA型の人達のことはA型として扱おう。書類にA型と書いて良いことにしよう」って動いてるんだよ。
いいのそれで?
身体が男なのに心が女だからって、病院で治療を受ける時に「私は女です」って主張するんだよ?
おかしいだろ
かっこいいものが好きな女でいいじゃん。
男がスカート履いたっていいし、女がタキシード着たっていいし、男がピンクを着ても、女が青を着ても、男が男を好きでも、女が女を好きでも、それでいいじゃん。
「そういう男」「そういう女」なんだよ。
https://www.nytimes.com/2022/04/24/business/akihiko-kondo-fictional-character-relationships.html
東京-近藤顕彦は、ほとんどすべての面で、普通の日本人である。気さくで話しやすい。友人もいるし、安定した仕事もあり、スーツにネクタイをして出勤している。
ただ1つ、例外がある。近藤さんは、架空の人物と結婚しているのだ。
彼の愛する初音ミクは、ターコイズ色の髪を持ち、コンピューターで合成されたポップシンガーで、レディー・ガガのツアーに参加したり、ビデオゲームに出演したりしている。近藤氏が深い鬱状態から引き上げたという10年にわたる交際を経て、2018年に東京で非公式に小さな結婚式を挙げた。ぬいぐるみの形をしたミクは白い服を着て、彼はお揃いのタキシードで登場した。
近藤さんはミクの中に、愛とインスピレーションと慰めを見出したという。近藤さんは、取り揃えたミクの人形たちと一緒に、食べたり、寝たり、映画を見たりしている。時には、こっそりロマンチックな旅に出て、Instagramに写真をアップすることもある。
近藤さん(38歳)は、人々がそれを奇妙だと思い、有害だとさえ思っていることを知っている。この記事を読んでいる人たちもそうかもしれないが、彼が成長することを望んでいることを彼は知っている。そして、そう、彼はミクが本物でないことを知っている。しかし、彼は、彼女への思いは本物だと言う。
「一緒にいると、笑顔になれるんです。"そういう意味では、彼女は本物だ "と。
近藤さんは、ここ数十年の間に架空のキャラクターと非公式な結婚をした何千人もの人々の一人だ。熱狂的なファン文化のあらゆる気まぐれを満足させることを目的とした巨大産業が、その役割を担っている。アニメや漫画、ゲームのキャラクターへの思い入れを語るオンライングループには、世界中で何万人もの人々が参加している。
中には、笑いを取るためだけの関係もある。しかし、近藤さんは以前から人間のパートナーは欲しくないと思っていた。それは、日本の家庭の堅苦しさを否定するためでもあった。しかし、近藤さんは昔から、人間のパートナーはいらないと思っていた。
その気持ちを受け止めるのは、最初は大変だった。しかし、ミクとの生活には、人間のパートナーとは違う良さがあると彼は主張する。ミクはいつもそばにいるし、裏切らないし、病気や死に目に会うこともない。
近藤さんは、自分自身を「フィクトセクシュアル」と呼ぶ人たちが増えていることの一端を担っていると考えています。そのこともあって、彼は自分の結婚を公表し、世界中の報道機関の気まずいインタビューに応じるようになった。
人工知能やロボット工学の進歩により、無生物とのより深い相互作用が可能になり、その数はますます増えていくだろう。
政治的な運動ではなく、見てほしいという訴えなのだという。"他人のライフスタイルを尊重すること "だと。
芸術作品が、怒りや悲しみ、喜びといった現実の感情を呼び起こすことは珍しいことではないし、フィクションを欲するという現象は日本独自のものではない。
しかし、架空のキャラクターが本当の愛情や恋心を呼び起こすという考え方は、現代の日本で最も高い表現に達しているのではないだろうか。この考え方は、非常に注目されるサブカルチャーを生み出し、繁栄する産業の基礎となっている。
パリ大学ナンテール校の研究者で、架空の結婚を広く研究しているアニエス・ジャール氏は、この関係は、日本では定着している「稼ぎ頭・妻」という結婚モデルに対する拒否反応を示している、と語った。
「一般人には、生きてさえいない人のためにお金と時間とエネルギーを費やすのは実に馬鹿げているように思われます」とジアール博士は言う。「しかし、キャラクター好きにとっては、この習慣は必要不可欠なものだと考えられています。それは彼らが生きていて、幸せで、役に立っていて、人生のより高い目標を持つ運動の一部であることを感じさせてくれるのです。"
大炎上するだろ。
たとえば乃木坂の誰かが、手頃な男(たとえばジャニーズの誰か)と、実際には2人の間に愛なんかないのにホテルでラブラブHしてる最中っぽい写真を投稿したら、乃木坂ファンの怒りは想像に難くない。
2人の間に愛があろうが無かろうが、2人がラブラブHの見かけをした行為を実行した時点で、ラブラブHしたのと同義なのだ。
それはなぜか。女性アイドルの人気の根源たる「疑似恋愛」が、表層を内面と同視することを前提としているからだ。
ファンがメンバーと握手するのは、メンバーにとっては単なる仕事だが、ファンそこには通常の握手と同様の精神的な連絡があると見做すことで、握手に価値を見出している。
したがって、心を伴わない、仕事としての男性器の女性器への挿入も、ファンにとってはラブラブHと同義だ。
上記はラブラブHの例だが、キスに引き直せばこの例が現実の仕事選びにも影響していることが分かる。
女性アイドルは、芝居としてであっても、イケメン俳優とキスをしてはいけない。それは芝居であってもキスだからだ。
ならば結婚式はどうだろう。
エイプリルフールのネタとして、現実に結婚するわけではないが、ウェディングドレスを着たメンバーがタキシードを着たジャニーズにエスコートされてバージンロードを歩き、指輪を交換し、永遠の愛を誓い、花びらが舞うアーチを二人手を繋いで通り抜ける。
疑似行為を本番と同視するファンの心理からすれば、「嘘の結婚式」は現実の結婚式と同視される。ファンの怒りは想像に難くない。
それが疑似恋愛であろうとも、ファンが得られない疑似恋愛を誰かに特別に与えるなら、それはファンへの裏切りに他ならない。
したがってエイプリルフールのネタとして男性との恋愛を想起させる嘘をつくことは許されない。
レズなら推しの処女は守られる(とアイドルファンは考えている)。
レズはアイドルの純潔を汚さない。「恋愛禁止」の「恋愛」にレズは含まれない。
アイドルファンは同性愛を異性愛より低く見ているし、運営もそれを知っているからエイプリルフールのネタとして同性婚を出すことができる。
twitterで話題になっている「道端で突然見知らぬ女性をトイレに連れ込み説教しながら着物を剝がす」着物警察の蛮行を恐ろしく眺めていたのだけど、
関連ツイートで「私も着物警察によく絡まれるけど負けません!」という方がお写真をあげていた。
お洋服とお着物を掛け合わせたかわいらしいコーディネートだったのだが、カジュアルなフレアスカートに合わせていたのが上半分に切られた黒紋付だったのである。
見た瞬間にウッ…と思ってしまった。
「黒紋付」とは最も格式が高い礼服のひとつで、黒無地に前身頃と袖と背の計5つの家紋が入っている。一番目にするのはお葬式ではないかと思う。遺族・親族席でお着物の人がいれば、それは黒紋付である。
黒紋付を普段着にするのは、なんというか、洋服でいえば上半身がタキシードで下はチノパンみたいなちぐはぐさに思える。いくら着物は自由といっても、洋服と同じように格式はあるのでは?あと新品で誂えれば数万~数十万するから、おそらく中古で買ったであろう他家の紋付を切ってしまうのも、なんだか罰当たりなように思えてしまう。リサイクルショップに神棚のおやしろがあっても、それをドールハウスにはせんだろ、的な。他人んちの紋を背負ってそのアレンジする?私が元の持ち主だったら化けてでそう。
別に黒無地のお着物だったらなんとも思わず、黒紋付であるがゆえのことなので、これが着物にまつわる面倒くせえ一面だよなと一人でうなずいたりもする。
嫁と一緒に買いに行ったんだよ。ダイヤの質(?)もすごく良いって店員さんがオススメしてくれて、
大きさも予算的に買えると思ってたより少しだけ大きいやつが買えたんだ。ものすごくいい買い物が出来たって喜んでた。
記念に可愛いテディベアもくれたよ。タキシードとウエディングドレス着たペアのやつ。
これも嫁がとっても喜んでた。「結婚式のとき会場の受付に置こう!」って言って、実際に飾ってた。
今でも家のリビングの棚に仲良く並んで座ってるよ。もう15年も座ってる。
何年か前に4℃が嘲笑されるブランドだって知った時、やっぱり悲しかったよ。嫁には言えないなぁって思った。
あの時嬉しそうにしていた顔を思い出すと申し訳ない気持ちが半分、でもあの時はそれが精一杯だったって自分を納得させる気持ち半分。
初めに言っておくとこれは性根ド腐れザコ創作マンのお気持ち表明増田です
読みてー奴だけ着いて来な!ヒャウィゴッ
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事の発端は数年前にさかのぼる。私は創作畑的な界隈の端っこで活動していた。
いくらぼかしてもわかる人にはわかるだろうが、いわゆる「うちの子」的な概念とそれに付随するいろんな形のデータをネットに放出するタイプの創作だ。
私もいろんな人の作成した「うちの子」を借りてなんかいろいろやっていた。とても楽しかった。
人が人なら黒歴史かもしれないが私はめちゃくちゃ自分の創作大好きマンなので全然今でも楽しかったなぁと思っている。
なんならその数年前の作品は今でもたまに見返すし、楽しそうだなぁこいつと微笑む余裕さえある。自分の創作大好きマンの懐は深い。
が、自分の創作大好きマンの創作はしかし、基本鳴かず飛ばすだった。
これは「うちの子」的な概念の創作をしたことがある人なら大体わかってもらえると思うんだが、他人に「うちの子」を好いてもらえる快感ったらない。
もちろん基本はアタシが誰より一番!一番好きよ!てなもんで常にラムのラブソングな訳なんだが、このラムは同担歓迎だからあたるがモテてたら最後列彼氏面で腕組んで静かにうなづくタイプ。
サンキュー、いいだろ、うちのあたる……。もっと良いとこあるんスようちのあたる。ちょっと待ってね今用意するから、あたるの新衣装!
そんな感じ。つまり、誰かに推してもらえるとこっちも捗るわけだ。
今はどうなんだかいまいちわからんが、私がその界隈にいた当時、そこは別に広い界隈じゃなかった。
とはいえ全員顔見知り限界集落みたいな界隈でもなかったので、もちろん超絶人気の鉄板アイドルみたいな「うちの子」もいればそうじゃない草の根みたいなやつもいた。
うちのあたるはどちらかといえば草の根タイプだった。学芸会でも石ころの役を任される方だった。
それに関してはまぁ、別に良いと思ってた。少なくとも当時は。
超絶人気の鉄板アイドルのいわゆる「親御さん」は、それに見合うだけの労力も支払っていたし、努力をたくさんしていたし、普通に推せた。
学芸会でなんの役ももらえないような「うちの子」だって何人もいたような規模の界隈であることは確かなので、なんなら石ころでももらえるんじゃん!やったなおめぇ!って思っていた。
まぁ、うちのあたるも頑張ってるんでね…わかる人が分かってればいいんだっちゃ……っつって。うちのあたるが主役をやれる劇はうちのリビングでやればいいんだから。
あたる!今日はなにやる?!シンデレラ?!よーし!お前がシンデレラだ!
ホームビデオ撮っとく?!ヒュウ!ダーリンが一番輝いてるっちゃ!
そんな風なスタンスで、まぁ数年、楽しくやっていた。
その界隈から離れたのは、普通に別ジャンルでの活動が忙しくなってしまったからだ。
ただ楽しかったことは覚えているし、本当にたまに風のうわさでうちのあたるがよその家の発表会に出させてもらったという話を聞くこともあったので、気が向いたらそちらの界隈のアカウントを覗くようにしていた。
(「親」が活動していなくてもその「子」を借りるということは全然ある界隈だし、すくなくともうちのあたるに関しては好きにしてくれと表明していた)
ある日、そのアカウントの方にリプライが届いていた。どうやらうちのあたるを発表しているページに不備が出ていたらしい。
メンテナンスもしていなかったからそんなこともあらぁなと改修した。ついでに、界隈を離れたころに気づいてずっと手を入れたかった部分もすこし修正してうちのあたるを発表しなおした。
まだこの子を必要としてくれる人もいるんだなぁと本当にうれしかった。
ご連絡ありがとうございました。これからもうちの子をどうぞよろしくお願いしますとメッセージを添えて改修の旨をお知らせした。
しばらくして、どんなもんかなと連絡をくれた人の様子をうかがいに行ったら、見事に燃え上がってた。
燃え上がってたって言葉には齟齬がある。なんか一人で燃えてた。ショックを受けて意気消沈したあと、一週回って燃え上がってる感じだった。
えっマジで何事????なんかうちのあたるの話してる????何????修正できてなかった???
慌てて確認する。ちゃんとできてる。オッケー今日もダーリン輝いてるっちゃ。
趣味の良い事じゃない気がしたから嫌だったんだけど、気になるのでその人のツイートを激さかのぼった。
どうやらお知らせした私の態度があまりにも事務的だったことが事の発端らしい。
「私はこの子をこんなに愛しているのに、生みの親に愛されてない」「なんてかわいそう」「こんなお情けで更新されるしかないなんて」
「今回の対応でこれからさき絶対に供給がないことを思い知らされた」「これから先この子を扱っていく自信がない」
というようなことをここ数日呟いているらしかった。
「かわいそう」ってなんだ。
かわいそうなのか?うちのあたるは。
「生みの親に愛されてない」のか?うちのあたるは。
数年放置していた「うちの子」だ。確かには端から見れば愛がないように見えるのかもしれない。
でも、私のつくった子だ。これだけは絶対に言える。私が一から作って、命を吹き込んだ子だ。アタシが誰より一番だ。
何で「愛してない」なんて言われなきゃいけないんだ。何が「かわいそう」なんだ。
じゃあなんで数年前、私があたると二人でリビングでやっていた劇を見に来てくれなかったんだ。
あなたがあの時「最高のシンデレラじゃん」って言ってくれたら、手拍子の一つでもしてくれたら今だってあたるのシンデレラドレス作ってたかもしんないじゃん。
シンデレラどころか赤ずきんコスだって第二形態だってタキシードだって作ってたかもしんないじゃん。
おんなじ場所にいたはずなのに、あの時あなたはこっちを見向きもしてなかったじゃん。
それを今更好きだとかだいじにしてほしいだとか言われたって困るがな。
ってことでもやもやしてたんだけど。
「近所の店の閉店が決まってから、本の絶版が決まってから、『好きだった』なんて言ったって無駄」みたいなツイートが別のアカウントのTLで回ってきて、なるほどこういう気持ちね!って思った。
『報われなかった子が・店が・本がかわいそう』なんて、何にもしてないまっさらの手をかざして、泥だらけになって頑張ってた人の目の前で言ったって本当に無駄なんだな!びっくりした。
つまりそういうことです。ここまで付き合ってくれた増田一同、好きなものにはリアルタイムで好きって言っておけよ!