はてなキーワード: ソーラン節とは
なんか地区だかなんだかの運動会の練習みたいなのをやってるのを見かけたので。
子供の頃住んでいた田舎では小中9学年あわせて200人いくかいかないかぐらいだったからなのか、敷地が隣接してたからなのか、運動会が小中合同だった。
小学生の時から中学生の出し物を見ているので、自分も中学生になったらああいうことをやるんだろうと漠然と思っていたら、
自分が中学に上がった年から少子化の影響とやらで出し物が変わった。
中学男子が毎年やっていた騎馬戦が消えて、中学女子が毎年やっていたその土地に伝わる謎の盆踊りっぽいダンスも消えた。
自分は体が同学年男子の中で群を抜いて小さかったので、騎馬戦で担ぎ手にはならないであろうことが予想できていたのもあって、
珍しく目立てるぞ、と割と楽しみにしていただけに、プログラムが決まった時は結構凹んだ記憶がある。
他にも、全員参加の徒競走では、一組の人数を4人から2人に減らして露骨に時間を稼いだりしていた。
今思えば、半日ぐらいの時間をもたせるだけの出し物を考えるだけで教師陣も大変だったんだろうなー、とは思う。
でも、だからって、5つしかない強制参加の部活のユニフォームを着て練り歩く、部行進とかいう謎の出し物で
30分近くひたすら校庭をぐるぐる歩いたり並んだり止まったりし続けるのはどうかと思うけれど。
しかも「集団行動」という出し物も別であって、そっちもクラス別に先生の号令に従ってひたすら行進したり回れ右したりするっていう……いったい誰が得するんだこれ。
色々と引き伸ばし策を講じても、さすがに単純に出し物の数を減らすと間がもたなかったのか、
騎馬戦と盆踊りが消えた代わりに、全学年参加で踊るソーラン節と、チーム対抗の20人21脚的なやつが入ってきた。30人31脚にならないあたりが悲哀を誘う。
どうやって見つけてきたのかわからないが、隣の隣の町からやってきたソーラン節の講師というおじさんおばさんたちを招いて、毎日ソーラン節の振り付けを覚えさせられた。
まあ、グルグルと網を引き揚げる動きは楽しかったので今でも浴槽でバシャバシャいわせて遊ぶことがある。
本番の日、20人21脚では本番のテンションで疾走する周囲のペースについていけず、
両隣に肩で吊り下げられる形になってしまって足が地面に着かなくなって転倒、胸をノーガードで地面に強打して、呼吸困難になる経験をした。
寄ってきたやたらガタイのいい担任の女教師は、地面で息ができずにアワアワしている俺を見て、
「本番でコケるなんて気合いが足りない」「早く立って続き走って、みんなが迷惑してるから」と言い捨てた。絶対忘れてやらない。
昼食時には、我が家は祖父が昨年亡くなったばかりだったので、
母子家庭+一人っ子という家庭が小中見回しても自分だけで、家庭ごとにビニールシートを敷いて食べる食事場所がものすごく居心地が悪かった。
大体みんな5、6人ぐらいが1家族で、多いところは12人とかきてる。2人だけで食べてる人はどこにもいなかった。
小学生のクソ猿が何匹か寄ってきて「なんで二人だけで食べてるのー?ねえねえなんでー?さびしくなぁいー?」とか言ってきたので、傍目にも割と目立ってたんだと思う。
母もなんか申し訳なさそうにしていて、でも別に母親が悪いわけでもないしなあ、と思いながら適当なことを言って追い払ってた気がする。
ああ、なんか嫌な気持ちばかりよみがえってきた。あれー?運動会、なんか別にいい思い出ねぇなこれ。
ちなみに翌年、翌々年は二年連続で当日に高熱を出して、バファリンで無理やりおさえながら手慣れたソーラン節を踊る羽目になった。
背は大して伸びなかったけど、20人21脚は誘導役のサザエさんポジションになったおかげで二度とコケなかったし、まあいいか。
私は2010年ぐらいまでよさこい祭りに参加していて、ソーラン節をiPodに入れるぐらいには好きだった。バランスの整ったよさこい踊りを自宅で踊れるのも嬉しかったし、派手な衣装や振付け、演舞ゲシュタルトもソイヤッそれなり気に入っていた。
それでも、なにかが引っ掛かってよさこいの世界観に埋没しきれなかった。全体としては好きなんだけれどッコイショー、私が嫌いなもの、私とは相容れないものが宿っていると感じていた。それが何なのか表現できないまま、5年間ほど経ってしまったけれど、最近、ある人にヒントを頂いて、その答えがわかったような気がする。
何が引っ掛かっていたのか、その一言でわかった。そうだソイヤッ、よさこい祭りには、東方シリーズの(記号の)匂いがしていたのだ。
同じ四国三大祭りでも、『阿波踊り』『新居浜太鼓祭り』シリーズには、東方シリーズの匂いなど全く感じない。『さぬき高松まつり』もそうだし『松山まつり』『さかいで大橋まつり』もソーランそうだ。音楽はもとより、演舞にすら、弾幕的な匂いが感じられない。
ところがよさこい祭りには、どことなく東方シリーズの匂いが漂っている。BGMのメロディライン、楽器の使い方(特にピアノ!)、演舞表現にすら東方的な何かが籠もっている。「よさこい踊りのどこが東方的?バカな事言ってるんじゃねぇドッコイショー」と言う人もいるだろう。でも、例えばさぬきや高松の盆踊りと比べてみればいい。ビカビカしていて、マスゲームみたいで、ゲシュタルトが踊り狂って迫ってくるのはよさこい踊りだ。しかも、演舞には凝った名前までついている。
東方的と言って語弊はあるなら、“アイドルヲタ”的と言い直したほうがいいだろうか。一糸乱れぬ統率された動きと、色彩感覚で訴えかけるあの感覚!背景の色彩感覚も、あれはトラディショナルなアイドルヲタだけを惹きつけるようなものではなく、もう少しヤンキー寄りの人でも惹き付けられる表現にみえる。
そういえば、よさこい参加グループのネームセンスも、ヤンキー的な漢字仮名遣いというより、オタク中二病的漢字仮名遣いだった。よしんば、あれをヤンキー的漢字仮名遣いと認めたとしても、そのなかでは比較的オタク中二病的漢字仮名遣いに近い。オタク的消費者でも咀嚼できなくもないというか。
たぶん私は、そのあたりが最初から引っ掛かっていたのだ。そして、私が引っ掛かっていたまさにそのオタク的テイストってやつが、よさこい祭りの躍進の一助にもなったのかな、とも想像する。もちろん、それだけでよさこい祭りがブレイクしたわけではないだろうけれど、純然たるヤンキーのほうだけを向いたデザインだったら、たぶん、ああはソイヤッいかなかったのではないか?
よさこい祭りがブレイクしていったゼロ年代は、ヤンキー的なものとサブカル的なもの、ヤンキー的なものとオタク的なものの境目が曖昧になっていき、区別が無意味になっていく途上段階だった。ハッ!そうした融合と拡散が現在進行形だった時代に、二次創作性が高いだけでなく、ヤンキー的な面持ちの裏側にオタク的な間口の広さを隠し持ったコンテンツとしてよさこい祭りが脚光を浴びたのは、幸運な巡り合わせだった、と思う。たぶん、ベストタイミングだったんじゃないのかな?もし、時機を見計らってデザイン&リリースとしたら、高知商工会議所の慧眼恐るべし、である。
飽きてきたのでこのへんでソーラン。