はてなキーワード: ソーシャルグラフとは
ジョージ・オーウェルがかつて1984年の中で予想した「ビッグ・ブラザーが見ている」世界になってしまった今、社会的弱者だとか、性的なまなざしがどうかなどを気にしながら生きていかなければならなくなった。
日々、心をすり減らしながら働いて、ほんのひとときの慰めすら焼き払われるようになってしまった令和2年の空気に、政治的な正しさとやらが自分たちの日々のくらしにはなにももたらしてくれないことに気づきつつも、いつかは報われる、そう思いつつ過ごしていたと思う。
一見、素晴らしく見える言説。
貧困をなくそう、飢餓をゼロに、すべての人に健康と福祉を。
SDGsの17のゴールについて、文句を言う人はいないだろう。だって、そうあった方がより良い社会に見えるから。
これに反論するには、謳われているこれらのテーマよりより強い強度で、反証しなければならない。
しかしこれらのゴールは、そもそも反論する必要すらない、無敵の命題なのだ。
ひとは多くのテーマを投げられると混乱してしまう。マジックナンバー5と言われるように、17のゴールなんて扱えようもない。
それでもテーマ単体はそれぞれどうしようもなく正しい。ただしいのだ。
そうやって少しずつ罪悪感を逆手に取り、気づかないうちに、正しさを盾に作り上げてきたディストピアは我々が暮らす社会を次第に蝕んでいったように 思える。
こんなことネットで言ったら社会的に死ぬよね、みたいな枕詞をつけて、対面で、「ここだけの話」をするようになってしまっている。
1984年で描かれていた監視社会は気がつけば現実のものとなっていた。
そんな時代に暇空茜氏が登場したのは痛快この上ない出来事だ。
私はapos時代やブラウザ三国志時代の空白氏を存じ上げなかったが、Twitterにて「暇な空白」として現れた以降、フォローこそしていなかったがリストに入れて彼の振る舞いを眺めていた。
すぐレスバ対象にマウントを取るし、ピンフスキーにウザ絡みをし続けるさまなどは、見ている分には昔のインターネットが戻ってきているような気がして個人的にはめんどくさそうだけど好ましく思えていた。
彼を好ましく思わない人からは、承認欲求に狂った躁状態であるという揶揄を目にしたが、それは誤りで今も昔のインターネット然とした振る舞いの延長であると思う。
忖度なくマサカリを投げ、雄叫びをあげる猛獣でありつづけるだけであり、私のような新参から見ても変化してるとは思えない。
とにかく氏は特殊個体であることは間違いないが。そういう人なのだ。
そんな彼が暇を持て余して?始めたウソを暴くという戯れだが、この話を追っていてずっと感じていることがひとつある。
彼は一切攻撃していないのだ。
ただ淡々と記録をつまびらかにし、過去のデータや発言と照合して、それらを解説してオープン化しているだけにすぎない。
それが攻撃だと感じるのであれば、自身の振る舞いを顧みた方がいいと思うが、それはまた別の話。
正しい「とされる」ことをしているから、多少難があっても多めに見てもらえる、というバリアが彼の行動によって無効化されつつあるように見える。同時に相手がたの反論や非難の矛先を全て彼が受けることによって、矢面に立ちたくない、立てない事情がある他の人間も行動に参加できるようになっているのだ。
結果、暇空氏が一人で叩き出せるダメージよりも遥かに大きな数値を稼ぐことができていると思う。
むろん、暇空氏一人が攻撃もしなければならない場合だったとしてもかなりの数値だと思うけれど。
こういった暇空氏が端緒となった調査行動だが、彼が裁判費用として集め始めたカンパの金額を見るに、社会的に大きなムーブメントが産まれていることは疑いようがない。皆、彼に望みを託したいのだ。一方で、Twitter以外のソーシャルメディアではこの話題をあまり見かけない。
だからマイナーな運動なのだ、影響はないという意見になってしまうのはわからないでもない。しかしこれは(あくまで私の個人的な見解だが)実態を窺い知ることができないという観点から正しくないと言えるだろう。
私のFacebookのフレンドには、暇空氏が言う83-2人委員会の人間がいる。「ナニカ」に近いと目される組織で勤めている人間も複数名いる。財団の犬も。
社会人として、そんな交友関係の中で、この関連の記事に言及なんてできないのは自明であろう。
関係性に色々なグラデーションがある中、83-2人委員会に名を連ねているけれど、今のあなたの見解は?なんて今のインターネットの世界で聞けるわけがない。そしてそもそもFacebookは国内においては仕事の告知や自慢しか流れてこなくなっている斜陽気味のメディアだ。
わざわざ、波風を立てるようなことを書かないのだ。書いてしまうような人は狂人であろう。(おそらくその手のタイプの人はフレンド関係のままだけどフォローをはずされているだろう。)
しかしながら、わたしと同じようなソーシャルグラフを持つ友人とリアルで飲む時に、ポロッと話題に出してみると面白い反応を得られるのだ。
お互いの認識を恐る恐る確認するようなやり取りをした後、「あれまじでやばいよね」みたいな形になる。
そして、「暇空にカンパしたもん」というように、陰ながら支持している旨を明かす。「おれも」と返す。そして、「これはFBでは言えないよねー」「そうそう、角が立ちすぎる」なんて会話になるのだ。
極めて個人的なサンプルであるが、800人くらいフレンドがいる中で、その中で近似したソーシャルグラフを持つ200名の中で、たまたまリアルで会う機会があった人のうち15人弱がそんな感じだった。
普段積極的にインターネットに触れている党派性に染まっていない層はWBPCの話について好ましく思っていないと思っていいんじゃないだろうか。
一方で、ソーシャルグラフが近くない友人、実家近辺の友人や大学時代の友人はこの問題を認知すらしていないからここが課題だと思われた。
左のいつメンがいれば、同様に右のいつメンもいて、一般的な生活者だったらどっちのいつメンの話も聞きたくないのだ。怒りに満ちた言葉や、皮肉になってない当て擦りの言葉なんかもう、たくさんなんだよ。
そういういつメンは言葉遣いも悪くなる。怒っている人には近づかなくない。だから先鋭化する。
そんなところに突如として現れたのがこの冷静さに満ちた動きなのだ。観客をするにもリテラシーが必要とされる。
かわいそう、良さそうといった感情によって蹂躙されてしまった社会と世間を取り戻す智慧の革命と言っても過言ではない、かも。
あけすけに語られる不恰好な言説ではなく、冷静にウィットを込めて、時には自虐も入れてソフィスティケートされたうえで投げかけられるから、抵抗なく飲み込める。これを冷笑という向きがあるのかもしれないが、そう知覚してしまうこともわからないでもない。しかし、冷笑というよりはポップであると感じる方がおおいのではないだろうか。
本件はもはやcolabo問題ではない。
ナニカが何かは観客席の人間からはわからないが、最終的にはナニカ疑獄に収束すると思うし、そう願いたい。これは静かな、静かでポップな革命だといえよう。これがきっと、戦後の本当の終わりを示す標なのだと思う。
まず、幸福とはなんぞや?
という話から始めることになるわけだが
これはこれで正解がない問題に思える
ブコメには当然、
みたいな文字列が並ぶし、まあ、自分も大喜利としてそう書きたくなる気持ちは山々なのだけど、
でも、俺はこういう科学的な探求はすごくいいと思うんだよなあ
幸福=〜です!
そこからスピリチュアルな話を展開するとか、微妙な論文を持ってきて、さも科学的な話に見せかける
ライフハック!って感じであるw(これもゴミみたいな用語になってしまったよなあ
でも、日立の幸福度の研究はそういうものではないように思っている
例えば、社内で人の移動する量が多いほど幸福感が高まるのではないか、という仮説が出てくる
ここで短絡にこれを結論にしてはならない
移動するほど幸福なら、キャノンの座らせない工場とか滅茶苦茶社員は幸福ということになる
個人的に考えても、そうなるようには思えない
ただ、社員が社内を移動した量、というパラメータは当たり前だが計測しなければ見えない数字だ
(計測するためには会社のセキュリティーカードのデータ、Bluetoothのビーコンを持たせて位置推定をするのもありだと思う)
計測しないで、地頭だのコミュニケーション能力だの言い始め、こうすべき、という結論を持ってくる
疑似相関だろうが因果関係が不明だろうが、まず仮説にはたどり着かなければならない
幸福とはなんぞや?という正解があるんだかないんだか分からんテーマに、
日立のこの研究はまったく間違ってない、科学的考察として非常に正しい展開だ
データも取らんで、なんとなくこうなんじゃないの?で語るのが寧ろダニング=クルーガー的だろう
ただ、データから短絡に疑似相関を正解にしたりするなら、本当にディストピアであって、
ブコメに書かれているような皮肉の対象としては適切なんだと思う
自分もブコメに自信を持ってそう書くだろう(https://www.youtube.com/watch?v=bK95lWHl7js
そういえば、部下を上司の相性で決めていい、みたいな話が増田に前にあった気もするが、
自分なりに科学的に考えるなら、そんなもん、何の実験も検証もしてないのに分からん、としか言いようがない
これも、相性とはなんぞや?という話になってぼやけてしまうが、
自分なりに考えるなら、とりあえず相性はなんとなくでもいい、10点満点中何点というアンケートでもいい
いや、本当は良くないが、相性と会社の業務遂行能力が比例するのかの問題を優先したいので、敢えてそうするわけだ
会社の多くの中間管理職に協力してもらい、相性の数値データを取る
そういう蓄積をせめて数年やってから、上司は部下を相性でセレクトしていい、というならまだ理解できる
それから人同士の関係というならグラフ理論にも持っていきやすいのではないだろうか
Googleなどの検索エンジンのページランクみたいなものである
有向無向グラフ、隠れマルコフなど色々な数学的要素が頭に浮かびやすい
という繰り返しもないのに、
寧ろ、そういう努力を怠って、科学的な話もヒューマンな話も安易に結論を語るなよwなんか最近の世の中病んでるよなあ…
痩せないとなあ
iPhoneメインで使っている身としてAndroidとGoogle+に思っていること | F's Garage@fshin2000
http://f-shin.net/fsgarage/1456
Google GlassとGoogle+のシナジーについてだけど、
別にiGlassみたいなものが出た時に、iOSはOS標準でFacebookとの連携をサポートしているわけで、
iGlassからFacebookの情報を引き出せばいいだけ。という話にだってなると思う。可能性の話ね。
このブログの考察のネックは、Google GlassもGoogle+もまだ普及していないという点が問題で
一方でFacebookは既に普及しているという点かなと思う。
コンタクト管理という観点から見たら、別にそれがGmailと紐付いている利点て一般的ではないし、
そのほうが、コンタクトから呼び出すメーラーや、アドレスの自由も保障されるしね。
Google+のCircles管理はコンタクト管理のために存在するんじゃなくて
それは要するに「どうでもいい人」を「どうでもいい繋がり」のまま避けるための手段なんだよね。
だから結局、Google GlassがGoogle+とつながって、それが適切なCircles管理と不可分になっていったとしても
それって「プロフィールを公開してもいいCircles」と「プロフィールを公開しないCircles」に分けるってだけの話だと思うんだよね。
地元から大学進学と共に都会に出た人間だけど、地元志向の人に対して違和感を感じていた点は、所得でも知的レベルでもなく、たった一つ。
ソーシャルグラフとインタレストグラフを一致させようとすることだけだ。
言いかえると、たまたま近所に住んでいるから仲良くなった子や、たまたま同じクラスになったから仲良くなった子、
たまたま同僚だから話すようになった人に、積極的過ぎる「趣味の布教」を行う点。あるいは布教に応じなかった人を拒絶する点。
私は、近所に住んでいる人とは地域の話をすればいいし、クラスの子とは学校の課題やイベントの話をすればいいし、
同僚とは仕事の話をすればいいし、趣味の話をしたければ趣味のコミュニティに所属すればいいと思うのだけど、
地元志向の人は、"イツメン(いつものメンバー)"と全ての話題を共有したがる傾向にある。
だから地域・学校・職場などの枠組みにたまたま結び付けられただけの人に、趣味の一致まで求めてしまうんだよね。
趣味の押し付けはヤンキーに限らず、オタクもやっていた。地元オタクの友達関係も"イツメン"的だよね。
趣味の種類が、車やバイクの改造なのか、同人誌を描くことなのかっていう違いだけで、押しつけがましさは一緒。
これが嫌なんだよ。自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間を求めている感じが気持ち悪いって感じる。
子どもは、他人と自分の違いに対して傷つき感を覚えるらしいけど、成長に従って違いを受け止められるようになるという。
地元的、"イツメン"的な人たちは、いつまでも違いを受け止められない「子供」の部分が、
外見が太ろうがシワシワになろうがハゲようが、一生むき出しになっているようで、
それが美化されて称賛されている様子がなんだか露悪的なものに感じて、引いてしまうんだよ。
そして都市部でも実は地元民同士行われてる。このひとが地元に戻れば当然そうなるだろうし、でなければ地元でも浮いているんだろう。おいらが同じ人種だからよくわかる。
東京で生まれ育って、固定化された人間関係に満足してきた東京都民とは分かりあえないだろうし、
地方Aから地方Bに移住した人となら、もしかしたら分かりあえるかもしれない。そういう感覚です。
「自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間を求めている感じ」がとにかく嫌なんですよ。
お互いにその甘えを押し付け合って、依存し合って、監視しあって、縛りあっているんです。
グループ内で数多くの不文律が出来ていて、破ると「非常識だ」。
グループ内では同じものを好きになって同じものを嫌いにならなければならず、期待にこたえないと「裏切った」。
そして「非常識だ」「裏切った」と言われないで済むように振る舞えることが「コミュ力」だと勘違いしている。
これが嫌なんです。表面的に期待にこたえて何とかしのぐことはできますが、永久にこれを続けるのは耐え難いです。
彼らはそれが幼稚な依存関係であることに気付いてすら居ない。依存関係のことを「絆」と言い換えて美化している。
そして依存関係を自分と同じように美化しない人を批判して、仲間内の依存関係を強める道具として活用するんです。
よく出来たシステムだと思います。しかし私は短期的には耐えられますが、長期的にこれに耐えるのは負荷が高すぎて無理です。
いつも同じこと出来る仲間がいることが悪いことなのか? 都会でそういうものから開放されたのに、わざわざこんなの書くのは何でかな。少しでも羨ましいという気持ちがなかったといえるのかな。
都会に出てもなかなか解放されないんですよ。都会に居る人が皆そうではないという訳ではないので。
都会に暮らし、社会的地位や経済力を持っていても、「自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間」を求めている人は居ます。
羨ましいとは思えません。"イツメン"の内部では、イジメとは行かないレベルの醜悪な「イジリ」が蔓延していることも知っています。
(彼らはイジる側に居る時は「冗談」「ネタ」と言い張って、イジリを止めようとする人を「ノリが悪い」と批判します。
そして自分がイジられる側になると「酷いイジメを受けた」と言い張るか、自分より弱い対象を探してストレス解消のサンドバッグにします)
そしてLINEグループから外される恐怖、陰口を言われているかもしれないストレスと常に隣り合わせであることも知っていますから。
特に親しい友達が居ることが悪いことだとは思わないんですよ。私にも居ますし。
ただ、違いを受け入れられない幼稚さが気持ち悪いんですよ。
オレはこれまで一人で生きてきたし、これからも一人で生きていける強い(成熟した?)人間だ、と言いたいらしい。この強さの幻想は都市空間と若さがもたらす限定的なものなので、あまり過信しないようにね。
そんなこと一言も言ってないです。
ぼくはレイシストです。まで読んだ
書いてません…。
まるで監視社会かのような濃密なコミュニケーションネットワークだと、趣味部分への干渉も同じようになされるケースは結構多そうだよなぁ。無意識だったり善意だったりする場合もありそうだし。
だからこそ、その善意に対して不快感をあらわすと叩かれるわけですけど。
ただ「善意でコーティングされた押しつけがましさに対してストレスを感じる」こと自体は、
「おまえどこ中だよ」「イツメン最高」系の人でも経験あるはずなんですよね。
「自分の趣味を押し付けたいから、押し付けられることも受け入れなきゃいけない」という取引に縛られてるだけな気がする。
で、この「押し付けたい」が幼稚であり甘えだと言いたいわけです。
オキシトシンは中枢神経で働く神経伝達物質でもあり、母子の絆や、信頼や愛情といった感情、グループ認識などの社会的行動にも複雑に関わっている。
オキシトシンは、自分の嫌いな人が何かに成功した場合には嫉妬をかきたて、嫌いな人に自分が勝った場合には得意な気持ちにさせる、というものがある。
私が嫌悪しているものって「オキシトシン過剰」の一言で説明できるものかもしれませんね。
より厳密に言うと「オキシトシンの負の側面に目をつぶってオキシトシンを礼賛するスタンス」。
とりあえず私が作ったわけではないことだけは主張しておきたいです…。
http://j-lyric.net/artist/a00839f/l027f2d.html
地元じゃない人が多い大学でも企業でも同僚に趣味や共感を求めまくる人は一定数いたから地元かどうかだけじゃなさそう。ただ、人生で会う人間の数が少ないまま大人になることで一つしか人間関係が想像できないのかも
地元志向と「知人と自分の同一化を求める人間」はイコールではないのに、私の中で強固にイメージが結び付けられているのは、
地元志向で生まれつき与えられた人間関係に籠る人ほど「人生で会う人間の数が少ないまま大人になる」傾向にあるからかなと思いました。
でも確かに偏見でしたね。調べれば確実に強力な相関があると思いますが、イコールのように言ってしまったのは偏見でした。
内容自体は趣味押し付けてくる奴うぜーの域を出ないのだが、それを地元志向とか関連性よくわからん呼び名でタイトルにしちゃったのが残念な増田。まぁさすがにレイシストは言い過ぎだろとは思うので同情しとく。
「レイシストは言い過ぎ」というか、地元志向には排他性(よそもの嫌い)が伴うので、地元志向の人こそレイシストに近いと思います。
「地元愛」と「隣の県の人間が嫌い」が表裏一体だったりします。
うざい奴が決まって持ち合わせている幼稚さは故郷を離れてヨソモノとしての振る舞いが必要な環境にいれば改善されたのではないかと思わせられるって話でしょ?めっちゃわかる。
はい…。そういう話です…。
とある中小のゲームメーカーでソーシャルゲームの開発(のアライアンス担当)をやっているのだが、色々な会社と色々な話をする中で、ガンホーやコロプラやクルーズが儲かって、GREEやそれ以外のゲームメーカー(と何よりもうちの会社!)があまり儲からない理由が分かってしまったので、ここに記したい。
ガンホーやコロプラって、現場の開発の人たちはどうか分からないけど、営業や幹部職の連中はマジで売上のこと以外はほとんど考えてない。先方との打ち合わせとかでも基本的に売上と納期の話くらいしかしない。こりゃ生粋のゲーム開発者やゲームオタクからは絶対嫌われるわと思ったもん。
ただ、オレが彼らに感化されている部分はあるにせよ、彼らが言ってることは基本的に営利企業として間違ったことは言ってない。若干、品がないかなあと思ったりするけど、「販売本数は上がらないと思いますけど、新機能入れましょう!」とか言ってくるうちの開発の人間よりは間違いなくビジネス的に正しい。
ゲーム会社でソーシャルゲームで大成功している会社もさ、コナミとかバンダイナムコとか、業界人だったら、、、ね、分かるでしょ?
で、一方でGREEの話。ダメだわ、あの会社。儲ける気がなさすぎる。利益がどんどん減ってきて焦ってるのと、提携しているヤフーから圧力くらってるようで、形こそゲームの誘導を増やしたり手数料上げたりしてるけど、嫌々やってることがダダ漏れw 非上場で社長の趣味でやってるようなうちの会社より儲ける気がないって、真剣に凄いよ。
でさ、そういう儲ける気がある/ないってのはさ、そのまま企業努力の質にも量にも直結するのよね。人間誰しもが1日は24時間なわけで、その限られた平等な24時間の間で、GREEがソーシャルグラフwについて考えている時間、うちの開発チームが自己満足の新機能を考えている時間、ガンホーは少しでも売上を上げる施策について真剣に考えているわけよ。ついでにいうとガンホーの人間はGREEの人間より倍の時間働くしね。
元々他の会社より高学歴で地頭がいい人間がそろっている会社がさ、社員全員が本気でひたすら売上(と利益)を追求したとしてさ、儲からないわけがないじゃん。レアガチャが儲かってる理由とかいってる人がいるけど、あんなのはただの1つの手段に過ぎないわけで、儲かってる本質は確実に彼らのこの姿勢だよ。レアガチャが規制されようが、RMTが規制されようが、まず間違いなくそれに変わる同じくらい利益を出す方法を見つけるよ。
一緒に仕事をしてて本当に痛感したのはさ、うちの会社にしろ多くのゲーム会社にしろさ、結局のところ同人サークルなんかと大して変わらないんだなってこと。現場のクリエイターはさ、それでもいいと思うんだよ。ただオレみたいな営業の人間や経営者がさ、同人サークルの延長みたいな気持ちで仕事してたらダメだよね。
というわけで、ゲームメーカーなど他業種の人も、特に営業とか経営者の人は、ソーシャルゲームの第一線で活躍している企業と一緒に仕事をすると、マジで刺激を受けれるのでオススメ。ちなみにガンホーやコロプラの中の人もパズドラや黒ウィズみたいなヒット作は連発出来ないと思ってるみたいだけど、「じゃあ将来性ないからやめるか」じゃなくて、「稼げるうちに稼げるだけ稼いでおこう」っていう考え方がやっぱり違うよね。
http://anond.hatelabo.jp/20131219201739
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ライフラインになったから生き残ったんだよ、って言ったってなんの意味もない。どうやってそれがライフラインになったのかを説明しないと。
しかも「Facebookもさ、実は最近になってからソーシャルグラフ、つながりのリフレッシュには力入れてるみたい」と言ってるからには、「ソーシャルグラフ、つながりのリフレッシュ」はライフラインとして生き残った要因ではないということ。
それ以外の何かがあった、ってことでしょ。
議論してるやつ、意味不明なこと主張してるやつら全員間違ってるから。本質はそういうことじゃないのよ。
SNSの生命線、核は強みになる独自機能でもなければ、個別の機能でもないのよ。
もちろん全体的なトレンドとして、よりライトで、よりリアルタイムなコミュニケーションがスマホによって促進されたのは事実。
けどやっぱりそれは二の次なのよ。
mixiがオワコン化したことは、日本人である俺らにとっちゃむちゃくちゃ感慨深いし、センセーショナルな問題だけどさ
SNS発祥のアメリカではもう何度も繰り返されてきたことなの。
アメリカでは概ねFriendsterから始まり、Myspace、FacebookへとSNSの世代交代が何度も起こってるわけ。
これはなんでかっていうと、人って3~4年で自分を取り巻く環境と、交流する人がガラッと入れ替わったりするわけです。
学生は中高大で3、3、4年で変わるし、社会人も3、4年で変わるでしょ。特に社会人は自分含め周りが結婚し始めたり、子供産まれたりもするじゃん。
だから3~4年経った時点でSNSに登録されてるつながりってのは、現実とはかなりズレが出てくるわけ。
でもまぁ、3~4年くらいならいいのよ、みんな我慢して、違和感抱きながらも使い続ける。
要はどうするかっていうと、新しい友達とつながり続けるわけ。
でもそのあとまた3~4年経つと、またつながりが変わる。そしたらもうSNSには2世代にわたって蓄積されたズレが積もり積もってるわけ。
これが大体6~8年かけて起こる。このタイミングで人はSNSを乗り換えて、心機一転新しく0からつながり作るわけ。
Twitterなんてこのスマホ全盛時代に、初期はボコボコ落ちまくってたじゃんよ。
だからmixiがオワコン化しちゃったのは、このソーシャルグラフのリフレッシュが上手くできなかったからだな。
Facebookも、実は最近になってからソーシャルグラフ、つながりのリフレッシュには力入れてるっぽいけど。
ニュースフィードの読み込みだけじゃなくて、投稿の際にも公開範囲切り替えられるようにしてる。
そのうえ、最近はフレンドの解除がすっげーやりやすくなってる。
どーせ上手くいかねぇだろうけど。
成長したSNSはユーザーに、もう最近からんでない友達外してもらわないとダメになってくわけ。
mixiと違って、Facebookのつながりの方が、遥かに陳腐化するのが早いってのはお前らが既に感じてる通りだ。
mixiは2年も3年も楽しく遊べただろ?でもFacebookはすぐにめんどくさくなったろ?
実名だから検索もしやすいし、オープン!オープン!とか言うから、みんな申請しまくって最初からつながりとか無関係なんだよ。
最初からお前らの持ってるつながりからズレてるの。名刺交換した人とは良くて知り合い、ほとんど覚えてなくて赤の他人だろ。
それをFacebookにどんどんぶち込んだりするから日本ではFacebookが流行って2年や3年でもうひーひー言ってる奴らがいるわけ。
だから去年ぐらいから、アメリカだとPathとか、日本だとそのパクリのCloseとか出てきてるんだろうなってのが俺の見解。
家族とか、マジで仲のいい友達(心の友ってやつ?)はそうそう変わらないからな、そういう変わらないつながりだけにフォーカスしたSNSが出てきても不思議じゃない。
上手くいくかしんないけどさ。
一昨年父がなくなって、相続でもらったのが何故かド田舎にかった一軒家。一度片付けにいったけどあまりに自宅からは遠すぎてそのままほったらかしにしていた。
まあ、家はつかわないと痛むよ、といわれたけど、さすがに貸しだそうにも借り手もつかないよといわれほとほと困っていたところ奥さんの知り合いに田舎暮らししたいといっていた人(以下Aさん)がいたので連絡をとったらほいほいと話がきまってしまった。
知り合いだし、お金もらうといろいろめんどくさいので「そのうち気が向いたら返して。」という話になった。その時にAさんが税金とか腹痛いから所有権変更したいといってたけど、さすがにそれは、とお茶を濁してしまった。後から考えるとこれがいけなかったのかもしれない。
その後、年があけてしばらくしたらいきなりAさんから何故かTwitterのメンションで「登記変更まだですか!?」といきなりきたので面食らってしまった。携帯もメールアドレスもしってるのになんでTwitterとおもって焦ってしまった。そして奥方にも「連絡とれないんですがどうなってるんですか!?」といわれて二人して焦ってしまった。
いろいろ考えて「所有権変更してもいいけど、取り戻し特約付きの書類作成させて欲しい」といったら「わかった」といわれて、ほっと胸をなでいた翌日、事態は急転。
「友達同士で書類書くとかありえない」「信用していないのか」と罵倒のメールが来て、ソーシャルグラフにも「約束守っていない」とかかかれまくって夫婦そろって頭痛くなってしまいました。そのメールには「連休前半には出て行く、鍵は書留で送る」とだけ一方的に連絡がきて、どうしようとおもったら、半日もしないうちに「返事よこさないのはありえない!」と何故かさらにお怒りの様子。
そのまま返事にこまっていたら、家の鍵はとりあえず着いた。心配なので連休後半にとんぼ帰りでいってみたら据え置きの電化製品までもっていかれてしまいあいてて状態。まあ古かったし、勉強代とおもってまあいいやとしました。
家だったけど、車とかバイクでもありうるはなしだよなーと。
今回の教訓
付き合いが長いからといって信用するな
人に貸すといのはあげるのと同義とおもえ
返事はあいまいにするな
先日、引越しをした。引越し先の駅前にはバス乗り場があり、そこからシャトルバスに乗ることができる。ヨーカドー行きの無料バスだ。
ヨーカドーは駅前から15分の少し離れた場所にあるが、かえって住宅地に近いといえる好立地だ。ここには衣類、食料品、生活雑貨はもちろんのこと、薬、化粧品、書籍、CDやDVD、美容院、歯科、眼科、クリーニング、靴の修理、マッサージ、旅券の購入など、生活するうえで必要なありとあらゆるものが集積されている。 若者はヨーカドーの中のゲームセンターでプリクラを撮り、ヨーカドーの中のボウリング場でデートを楽しんでいる。家族連れはヨーカドーの中のマクドナルドでハッピーセットを注文している。爺さんはヨーカドーの中の保険屋で50歳から入れる保険の説明を熱心に聞いている。ヨーカドーには生活の全てがある。
昔は個人商店や中堅の商店も近所にあったと聞くが、ヨーカドーの出現が全てを変えてしまったようだ。ヨーカドーの裏手にまわると、かつてスーパーマーケットであった廃墟や、かつて薬局だった跡地が残されている。
駅前から少し歩くと中堅のスーパーマーケットもある。実際、仕事帰りの買い物はこちらの方が便利だ。しかし、スーパーで買い物をすると、買い忘れをすることがままある。帰り道にはセブンイレブンがある。少し割高だが、スーパーに買い直しにいくよりはるかに便利だ。スーパーから自宅までの経路はいくつかあるが、その経路上には必ずセブンイレブンが出現する。どうも周到に出店計画が練られている気配がある。駅前徒歩0分の位置にもセブンイレブンがある。駅から帰ると、セブンイレブンの前を必ず1回は通過する。
ヨーカドーとセブンイレブンにライフラインを握られている。生活をしていると、たいていこのうちのどちらかに世話になる。どちらもセブン&アイHDの子会社だ。
とても厄介なことになっているのではないか、と思う。
店舗にはカメラがある。防犯カメラだ。防犯カメラの映像は普通、ハードディスクに記録されている。要するに、コンピュータに接続されたカメラが店舗の至る所に配置されている。俺らは犯罪者ではないが、否応なしに記録される。それが安全を担保していると俺らは知っている。だから受け入れている。
今、映像をチェックしているのは警備員。コンピュータではなく、人が見ている。
ところで、あらゆる経費の中で最も高いのはなんだろう。人件費だ。
だから、映像を監視するのはまもなく人ではなくコンピュータになるだろう。そんなことが可能だろうか? と思うだろうか。可能だ。
迷惑メールの検出に使われている、ベイジアンフィルタというアルゴリズムがある。ベイジアンフィルタはメールに何が書かれているのか、ということを理解することはできない。日本語は理解しないし、英語も理解しない。だが日本語や英語で書かれたスパムを検出することができる。ベイジアンフィルタがやっていることは単純だ。単語にスコアを割り当て、スコアが一定の値を超えると「どうやらスパムっぽい」と判定しているに過ぎない。とても単純だが、効果は抜群だ。
同じことを映像にも適用できる。犯罪者はたいてい現場を下見する。滞在時間、店内での移動距離、買った物の種類、など、精緻に見れば必ず異なるパターンが現れるはずだ。今時、コンパクトデジカメですらリアルタイムに顔認識するくらいの芸当はできる。SONYのは笑顔すら判定できる。企業で持っているサーバではもっと精密な分析ができてもちっともおかしくない。今ある技術の組み合わせだけで、「犯罪予見システム」を作ることはそう難しくはないはずだ。
もちろんアルゴリズムはミスをする。スパムフィルタも俺の母ちゃんからのメールを迷惑フォルダにぶち込む。だが、ほとんどの場合、誤検知は問題にならないはずだ。少しばかり余計にセコムさんを呼び出してしまっても、ほんとうの強盗が現れたときにセコムさんがいてくれたほうがいいはずだ。案外、おにぎりやお弁当を買ってくれてチャラになるかもしれない。
「万引きGメン」も不要なコストだ。そのための人を雇うくらいなら、カメラを増やして不法行為の現場を撮影し、アルゴリズムでアラートを上げたほうがよい。絶対に人件費より安くつくはずだ。証拠の写真さえ押さえることができれば、たとえとり逃しても、犯罪者は二度とセブン&アイHD傘下の店の敷居を跨げない。入店した途端に、犯罪者データベースと顔認識の結果のマッチングを行えばよいだけだからだ。
このように、俺たちの生活をコンピュータに接続されたカメラが取り囲む世の中が出現するのは規程路線だ。俺は10年ほど前に「エネミー・オブ・アメリカ」って映画を見て、「アメリカやばいはww」って笑ってた。今この映画を見ると、もはや単なる現実に過ぎないから、「何がすごいの?」ってなるだけだと思う。でも、この映画ですら、生活のシーンの大半を撮影するカメラを私企業が握るとは予見していない。
俺たちは、ヨーカドーとセブンイレブン、セブン&アイHDにライフラインを依存している。セブン&アイHDはカメラを持っている。サーバも持っている。
おそらく、短期的には、とても便利なサービスが次々と出現するのではないかと思う。
さきほど、顔認識について触れた。カメラは映像から人間の特徴を識別できる。これは今では簡単なことだ。もう少しソフトウェアが進歩すれば、「この人は何を見ているか」、「この人は誰を見ているか」くらいは判定できるだろう。ひょっとすると、とっくの昔にできているかもしれない。人が誰を見ているか、何を見ているか。それがわかる。
セブン&アイHDはそれをリアルタイムに握る。人間関係をそれとなく掌握できるということだ。「何を見ているか」もわかるはずだから、趣味の傾向などもわかるだろう。
ところで、「犯罪予見システム」の可能性について触れたが、ソーシャルグラフを使ってこの技術を適用するとどうなるだろう。
「過去のソーシャルグラフの傾向と照らし合わせると、そろそろこのカップルは結婚しそうだ」
「この人たちは住んでいる場所も違うし、今まで出会ったことは一度もないが、食べ物の趣向や映画など趣味の傾向が近いから、結婚すると70%の確率でよい家庭になりそうだ」
未だかつてない高精度で相性のマッチングを行うことができる。ほかにも、それこそTwitterやFacebookなどと連携してもっとデータを預ければ、もっと素晴らしいサービスが実現できるだろう。
とても便利。だからきっと俺らはこれを受け入れるだろう。防犯カメラを受け入れたように。
もう少し、掘り下げてこのシステムの応用を考えるとどうなるだろうか。「過去の事例」が蓄積していくと、アルゴリズムもどんどん賢くなり、予見できる物事の対象が広がっていくはずだ。ヨーカドーがもっと儲かれば、就職、レジャー、冠婚葬祭、ありとあらゆる局面で「予見」や「マッチング」が可能になるだろう。それがもたらすサービスが便利なら、俺たちは最終的にはそれを受け入れてしまうだろう。
俺にはそれのもたらす行く末がどうなるのか、見当がつかない。
これって健全?
タイムラインで話題になっていた少女漫画を読んでみたくなったので、自分へのクリスマスプレゼントのおまけとしてさっき書店で買ってきた。ついでに前からずっと読みたいと思ってた少女漫画も買った。
話題になっている少女漫画はたまに買うが、だいたいつまらないので買ったあと後悔する。置き場所もないし。
今日買ったものも片方はつまらなかった。次巻は買わない。でももう片方はおもしろかったので、2巻3巻も買おうと思った。
書店のレジに並んだときは上の2段落を、マクドナルドでポテトを食べ終わった後は下の一段落をツイートしようとした。でも、つぶやくTwitterアカウントがなかった。そうだ、昨日垢消ししたんだ。
わたしががTwitterをはじめたのは高1の1月だから、3年くらい前になる。最初のうちは、ネット上の有名人と、自分と興味がかぶっている知らない大人の人をフォローしていた。するとタイムラインでは社会で今話題になっている小説とかニュースの話題がぶんぶん行き交うので、そこで気になった本を買うことがよくあった。全く知らない大人同士がリプライをかわし合ってるのをみるのも大好きだった。ツイート数が多かったのもあって、だんだんとフォロー、フォロワーが増えてきた。同年代の人たちは最初はTwitterの存在自体しらないこともざらだったが、今ではほとんどみんなやっている。高3くらいからだんだんとリアルグラフが増えていき、大学に入学してからは一気に増えた。そしてだんだんとTwitterがつらくなっていった。
ソーシャルグラフとリアルグラフが半々くらいで半実名という状態が自分には向いていなかったようだ。それ以前に私がつかっていたwebサービスというとリアル、前略のようなリアルグラフと直結しているものか、2chのような匿名のものしかなかった。最初のうちは半匿名として知らない人を見るのに使っていたTwitterが、いつのまにか知り合いにも知らない人からも見られている半実名のものになってしまっていた。自分は直接は知らないけど同じ界隈にいる人から悪意のこもった(というと過剰かもしれない。少なくともまったく善意のない)Retweetをされたりして、すごくつらかった。全く知らない人なら別にいいんだけども、同じ界隈にいる人からリアルの私とは全然違うTwitter上の私をみられて、それをリアルに持ち込まれるのが嫌だった。
自分がはてな匿名ダイアリーに書く日が来るとは思わなかった。
よくある話だ。振られてしまった。いや、遊ばれた、といったほうが正しいのかもしれない。
ソーシャルメディア上で知り合った人と、何回かデートしてセックスして、そのあとよそよそしくなった。
数ヶ月後、また絡んできて、やり取りして、数回逢った後、忙しいといって逢ってくれなくなった。
別の女性ときゃっきゃとネット上でやり取りしているのをよく見かける。そのたびに心が痛む。
そういえば、色々な方から「あの人は気をつけたほうがいいよ」と注意を頂いた。
そういえば、私の前にも仲良かったのに突然ちっとも絡まなくなった人がいた。
この間まで仲良かった彼の会社の元同僚とも、急にやり取りがなくなったな。あれは何なのだろう。
私の知り合いの女性とも飲みに行ったそうで、酔ってタクシーの中でキスされたとその女性から自慢された。
泥酔していていろんなことを話し始めて、彼はセックス上手そうだからセックスしたいな~って言っていた。
昨日、そのコとはPathでつながったから、そろそろそういう関係になっているかもしれない。
ああ、嫌だ。
まだ好きか?っていわれると、よくわからない。
全てを絶ってしまいたいが、ソーシャルグラフでつながっていて、ネット上で全く目に入らないようにできない。
目に入ると、気になってしまう。何をしているのか。何やっているのか。
そして、先のタクシーの彼女とはPathでつながり、私とは繋がってくれないと、哀しいというか、悔しい。
もう何も気にしないで生きていきたい。ソーシャルメディアを全部やめればいいのだろうか。
彼一人のために自分の楽しみだったものを捨てるのだろうか・・・
と、彼が読むのが好きであろう、はてなダイアリーに書いてみた。自分のことだと、わかるのだろうか。
それとも、彼が主張したように、「そういう関係なのは君だけ」だったのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20120526091039 続き
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206228386853560324
なんか「Studygiftは<公>だと思ってたのに<私>だったのか、騙された!」とか言ってる人が何人かいるが、公の意味をこれからもう一度再定義した方がいいと思う。そうやって怒ってる人は公がどこかから神のように降ってくる存在だと思っていないだろうか。
https://twitter.com/kirik/status/206229674295181312
いや、公を誤認させてはいかんでしょ RT @sasakitoshinao なんか「Studygiftは<公>だと思ってたのに<私>だったのか、騙された!」とか言ってる人が何人かいるが、公の意味をこれからもう一度再定義した方がいいと思う。そうやって怒ってる人は公がどこかから
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206228646128656384
公は天から降ってくるものでなければ中間共同体が勝手に担ってくれるものでもなく、今後は<私>の無数の集合体、<私>がつくるさまざまな仕組みの集合体によって<公>が成り立つという方に考えを切り替えないと。
https://twitter.com/kirik/status/206230378468487169
先生、public というのはきちんとした定義のある言葉です。ご主張は理解しますが、今回の事例でそのような理屈は通らないと思いますよ。 RT @sasakitoshinao 公は天から降ってくるものでなければ中間共同体が勝手に担ってくれるものでもなく、今後は<私>の無数の集合体、
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/203695743184273409
おっしゃる通りです。情報は開示されてる。家入さんという個人の信頼でも担保されてる。詐欺じゃないでしょ。 RT @fox_m @sasakitoshinao 単位とらなかろうが旅行に行こうがそれをひっくるめお金出す人の選択の自由はあるという話を佐々木氏は言ってる気がするんだけど。
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206751155445956608
私は家入一真という人は、おおくの人が批判するように欠点もたくさんあるのかもしれないけれど、彼が追い求めている価値に共鳴している点で全幅の信頼を置いています。
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206752926461476865
そんな担保などあるわけないでしょう。すべては個人の意見。客観など幻想にすぎない。 RT @maitreya_K 公私とか自助公助とか、そういう切り口自体が佐々木俊尚さん、あなたのセルフサービスの問題意識と見受けられます。その見方はいったい何によって担保されているのでしょうか?
先ほどTwitterに連投したStudygift問題についての論考です。以下、少し整理して転載します。
一連の議論を見ていて思うのは、個別包摂と社会包摂がごっちゃになってしまっていませんか?ということ。社会包摂とは生活保護などの公的扶助をはじめ、誰もが平等に享受できるセーフティネット。個別包摂は、個人的なつながりの中でのセーフティネット。
たとえば隊長の「就学希望児童助成を軽いノリでやるな」という記事もそのひとつで、社会包摂としてはこの視点はそうだろうと思う。しかし個別包摂にまでそれを求めるのか?ということ。
■家入一真さんの例の件で願うことなど: やまもといちろう http://bit.ly/KArAfU
個別包摂なんて、親戚のおいちゃんおばちゃんに金出してもらうのと同じレベルで、単にそれをネットのオープンな場所でやってるだけ。だから「出したい人が出せばいい」と私は書いたわけです。そういう家族単位、知人単位、ソーシャルグラフ単位の個別包摂の集合体が、公的扶助などの社会包摂を補完していく可能性があるから。
だから個別包摂で、後から「なんだお前退学してたのか!」「男女関係からんでんじゃないの?」とかそういう話が出たとしても、おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話。「ほんまに復学する気があるのか?」「おまえ結婚しても学業続けられるんか」みたいな、そういうレベルの話。
そしてこの社会的包摂と個別の包摂の混同は、実のところ河本準一氏の生活保護騒動にもつながっている。「息子が支援(個別包摂)できるのに生活保護受ける(社会包摂)のはけしからん!」と。河本氏にあなたは個別包摂を利用せよと求めている。だったらなぜStudygiftの坂口さんには個別包摂によって支援を受けることを許さないのか? 二つの問題の根っこは、ここで実はつながっている。
Studygiftは皆が見える場所でやってるからけしからん、目に入らないところでやってくれという意見もあるだろう。まるで全員に門戸が開かれてるように誤解させるのはけしからん、と。だがこうした個別包摂でさえも可視化されてしまうのがネット時代の恐ろしいところなのだ。そしてこの可視化時代に、妬みや誹りや恨みの対象となるありようはそこらじゅうに可視化されている。今までは知らないで済んでいたことが、全部見えてしまう。これはある意味たいへん苛烈な時代だ。
しかしこのような個別包摂の試みは今後も次々出てくるだろう。個人間送金が簡単になればさらに加速する。私はその多様化は社会包摂を補完するありかたとして否定すべきでは無いと思う。今回のStudygiftは拙速なのは事実だが、そういう試みの最初の小さな一歩にすぎない。
ネットを活用した個別包摂のセーフティネットに対して「うまくやりやがって」「詐欺だ」と怒る人たちは今後も増え続けるだろう。それは避けられない。たとえばこの記事などが典型だ。
■仮に僕膣と学籍詐称が無くてもstudygiftは駄目だよな http://bit.ly/KAuGAA
無償のリスペクトが応酬されているだけの評価経済社会に留まっていれば、問題は起きなかっただろう。だが評価経済と貨幣経済が結びつくことで、評価=カネということが実現してきている。これは大きな波紋を投げ掛ける。
すべての人々が平等に包摂されるような時代は最早やってこない。そういう包摂は戦後社会でも平等幻想でしかなかったが、その幻想さえも剥ぎ取られる時代になってきている。だからこの問題への怨嗟は今後もなくならないだろう。しかし社会亭包摂とは何かということをもう一度考えなければならない時期に来ている。
自らを助ける者が助かるだろう。しかもその「助かる」有り様は見えてしまっている。だったら自らを助けられる者だけが助かればいいのか? そして、自らを助けられない者をいったい誰が助けるのか? これはコミュニタリアリズムとリバタリアニズムの対立にも繋がってる。だからここから本当に真っ当な政治哲学的な議論が始まるのかもしれない。
そう期待したいけど。
いのうえ とーる 私もこれを全く社会包摂で語って批判する人が多いことに最初から不思議でなりません。説明不足である問題点を除けば、売りのある人、自分がいいなと思った人を援助することは不自然でもなんでもないわけですし、そこに不公平だと文句をいうのはおかしいと感じます。だから、わたしは批判のほとんどは単なるそういう行動ができない人の嫉妬にすぎないと思えるのです。
上田 康之 ぼくも佐々木さんの言わはることに賛成なんです。同棲してたとか、退学してたとか、どーでもええ話やと思います。
勝手にやりゃええ話やと思います。
ただ、隊長の話と少し似てるんですけど、なにぶん対象が「子ども」なんで「顔を出して、実名も晒して、学校に行きたいけどいけないというプライバシーを晒すことが、どれだけの苦痛を将来において背負うことになるのか」ってのが少しだけ気にはなりました。
この子は20歳超えた子ですし、その点は理解してるかもしれないですけど。
最上 雄太 Twitterにも幾つかレスしましたが、別に悪意も変な扇動をしようという気もないのは伝わりました。
寄金 佳一 星野智幸さんが小説家らしいさすがの感性で語っています。「私たちがバッシングし、叩こうとし、殺そうとしているのは、「俺」なのだ。自分なのだ。」と。
http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/05/26/6457416
で、悪意がないのにこういった事を本気で書かれているのにヤバいな、と思いました。
不特定多数と知人の区分けが無意味と言いつつ、個別包摂と社会包摂に分けて考えろっていう起点自体が無茶苦茶ですよね。
先の「無視すればいい」という発言もそうですが、本質が全く見えてらっしゃらない。
今回こういう騒ぎになっているのは、一言で言えば「当事者に納得感が無い」からですよね?
この納得感というのは言うまでもなく必須要件であり、また今回の「当事者」は支援をする側される側だけじゃないですよね。
皆まで言いませんが、仲良しごっこも同好会ノリで楽しくやるのも全然いいんですが、迷惑かけないでって事です。
おおつね まさふみ これは「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話すようなトークを、単にネットという開けた場所でやってるだけ」って言われるだけのような……
おおつね まさふみ 「社会的包摂と個別包摂はネットで差別される。前者について発言するのは自由だが、後者については言論の自由は制限される。理由は◯◯だ」の、理由の部分がなんだかわかりにくいので、そこを聞きたい所。
川岸 義明 今回の件で、就学希望児童助成自体が世間的に眉唾に思われたのであれば....個別包摂,社会包摂に関わらず、痛い話だなぁと...支援者がそれを正しく区別できるのでしょうか....よくわかりませんが...
Kanehira Takashi 学費援助の件では、否定派と肯定派の対立軸がすぐに出来て、両者を包摂するとしたら、弱者を助けたい人(肯定派)の役回りになりそうです。生活保護の件でも、否定派と肯定派の対立では、やっぱり弱者を助けたい肯定派が、否定派に地道な説得をすることでしか包摂が来ない気がします。否定派は日本版ティーパーティーに見えます。閉塞感があるとさらに狭い方にいくのだなと。歴史を振り返ると、女性参政権を勝ち取った人はなんて偉いんだろうと想起したりもします。
くらます りょういち 個別包摂の試みというのは、ずいぶん前からありますね。いわゆる「○○ちゃんを救う会」。海外で手術受けるのに○千万円必要です、みたいな。
しかし、その「○○ちゃん」の情報が、もし事実と異なるものであったとしたら。それがお金を集めた後に明らかになったとしたら。
はたしてそれは「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話」で済むんですかね。
上田 康之 くらますさんの【「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話」で済むんですかね】は、それで済ませたらええんちゃうかなぁ。
もし、その子が将来、極道になったとしても、文句言わんと、それ込みで支援したろうって思ってやったらええんちゃうかなと思います。
はやし りょう 社会的包摂と個別包摂を区別してるんじゃなくて、資金の集まり如何に依らず目的を達成出来ない可能性を明らかにしないまま支援名目で投資を募ったのが叩かれてる原因じゃないですか?社会的包摂と個別包摂で区別して云々って論調が通るならば極論すれば「ばれなきゃオレオレ詐欺ってOKなの?」って話になりますし。
今回の件は何がよくて何がだめだったのかを議論してブラッシュアップを図るのが第一で、論じる人の社会的な関係性に論点ずらすのは単にこのネタつかってプロレス見せてるに過ぎないと思います。
おおつね まさふみ それだと「支援もしないし、興味もないけど、紛らわしい弱者風の錯誤でカネ集めているのは見過ごせないから個別包括をネットのオープンなところで主張する」という人だって居てもいいよね。
はやし りょう おおつねさんの発言がStudygiftをウェブで展開する事の意義だと思います。意見を述べている人の立場を以て「あなたには発言する権利がない」というのはもう本当にナンセンスですよ。そんな主張は第一次世界大戦でもう過去の遺物になってるんだから、知的なブラッシュアップに社会的立場とかホント混ぜないでほしい。
芝尾 幸一郎 個別包摂の取り組みだったら、金くれ http://kanekure.ssig33.com/ と言うサイトで良い気がします。そして、現にこのサイトは別に炎上していない。個別包摂の例なら上のサイトの方が適切な気がします。
金くれ
kanekure.ssig33.com
松本 孝行 社会が面倒を見るのか個人が面倒をみるのか、それを河本さんの話だけで語るならいいですが、studygiftを混ぜてしまうと、とたんに焦点がぼやけてしまいます。その問いかけはたしかに社会起業家やサッチャー・レーガンの社会福祉削除の話とも関連して、非常に重要だとは思います。しかしstudygiftの話はまた別問題です。それに私的な援助ができるのはジャストギビングなどもあるわけですし、なにもstudygiftがダメに成ったから全てダメになるということはありません。むしろ、今回の件は私的な寄付という行為へのハードルを上げたと思っています。
とにかく論点はそこじゃないと思いますよ。
荒巻 里江 個別包摂と社会包摂の区別以前の問題では…? 被支援者が嘘(あるいは誤解を招く言葉)を堂々とサイト上に掲げ、お金を集めようとしたことは、仮に悪意が無かったにしろ問題のある行為ですよね。そして「お金を出したい」と思わせる為の嘘に気付けば、いくら身内のおっちゃんと言えど腹が立つのではないでしょうか。そしてそんな嘘に騙されたおっちゃんの存在を知った周囲が、姪を批難するのは至極当然の流れだと思います。私には佐々木さんが「騙したのが身内のおっちゃんなら何ら問題ない」と仰られているようにしか見えないのです…。そんな馬鹿な話がまかり通るのであれば、世の中の詐欺は無くならないでしょうね。
稲畠 康 概ね同意ですが、個別包摂とはいえ間にサービス提供事業者(本件ではLiverty)が入っている訳で、「おっちゃん」と「姪」の間で話せばいい話と言う下りに疑問があります。
小林 啓一 私も次長課長の河本さんの件とstudygiftの問題はほとんど同じく(Twitter風に言うなら公式RTする様に)感じていました。
これって例えば子供が自立した夫婦の片方が亡くなった時、残された方が再婚する事に親族が反発してしまう話と同じと考えています。
つまり日本社会では成人でさえ個人としての自立が得られず、私で解決すべき問題と公で解決すべき問題の線が引けない、判断できない。
しかもそれに対して、それこそ非当事者が当事者の問題にずけずけと土足で入り込んで、さもしたり顔で持論を押し付ける。
こういう嫌らしい社会にしない様、個々人の当事者性を高めるにはどうしたらいいでしょうかね・・・?
佐々木 俊尚 叩きやすいものを叩く。叩かれてるものを擁護すると、「今さら何擁護してるんだ佐々木は、バカじゃないの?」という反応が湧き出てくる。ドヤ顔で勝ち馬に乗る連中が大量に湧き出てる。
おおつね まさふみ 「誰にでも叩く理由があれば叩く自由は有るよね?」って話なんですが、批判者ウザいっていう話だったのかな?
河村 明 当事者でないものはもの言うな、という考え方は当事者性を高めるのと、逆のところにあるような気が...違和感を感じました。
荒巻 里江 少し気になったのですが、佐々木さんは『問題点を指摘して批判すること』と『ただやみくもに叩くこと』を一緒くたにされてませんよね??? studygiftに対して批判的な意見は『すべて悪だ』と思われてませんよね??? 汚い言葉を吐き捨てるだけの人間も勿論います。しかしstudygiftを批判している人間全てが、ただ勝ち誇りたくて、ドヤ顔をしたくて、運営側に行動を起こしている訳ではないのです。佐々木さんに言わせれば『これは当事者だけの問題だから周りが口を出すな!!』ってことなのかもしれませんが、(揚げ足をとるようで非常に申し訳ないのですが、)もしそうであるなら『非当事者である佐々木さんがstudygiftに関して擁護的な意見を述べられたこと』にも違和感を感じざるをえません。個人的には、改善すべき点を完全に無視して、盲目的に運営側を擁護されるのは少し危険なのでは、と思います。
Shuichi Asai 恥ずかしながら、個別包摂という言葉は初めて聞いたのですが、「個別」と「社会」という分け方が、そこまでデジタルにできなくなってきてるのではないでしょうか。人の姪のことでも、親しい家族以外の人でも、アドバイスする可能性があるでしょ?インターネットでおおっぴらにやられると、なんでも身近に感じてしまうんですよ。コンプガチャ問題も、同じようなもんでしょ。みんな、コンプガチャなんてやっていないのに、嫌悪感を持つ。インターネットに人間がいる以上、このような現象が避けられないので、これを考慮してリスクヘッジするか、覚悟して強行突破するしかないのではないでしょうか?
Shuichi Asai あと「ドヤ顔で勝ち馬に乗って、したり顔している連中」は佐々木さん側にも沢山いますよね。
木下 孝二 生活保護の件、社会包摂の不正利用という1事例にすぎない。学費の件は、個別包摂を依頼する側の本人、仕掛人の当事者性が不足してましたね。「投資」ではない借金や資金支援というのは財布の中身やネガティブ情報も十分に相手に晒す必要がありますから、パブリックな場で募集しようとすれば当然それらを全公開する覚悟が要る。中途半端に情報量を抑えようとしたから、支援要件としての情報量を満たせなかった。
木下 孝二 やまもと氏は「学業支援という未成年中心の支援に機微情報全公開の手法はふさわしくない」と述べていてそれに同意するわけですが、佐々木さんも述べている既存のクローズド(親類)から一歩だけ進んだ、クローズドなソーシャルグラフ上での支援というのが、「一歩先のネット時代の支援」の形ではなかったかと思います。studygiftはいきなり全公開ですから、ちょっと勇み足が過ぎたかなという印象です。
最上 雄太 確かに叩く事自体が目的の人も散見されるので、イライラされるのも、ニュートラルを保つのが大変なのも分かりますが、勝ち馬とかドヤ顔とかいう言葉が出てくる事自体に驚きです。叩かれてるとか周りがどうとかではなく、それこそ極めてニュートラルな視点から感じた事を僕は言っただけですし、ほとんどの方も同様なのでは。論点ずれるのでこの辺にしておきます。
佐々木さんの論考には賛同しかねます。なぜなら、佐々木さんが個別包摂という概念を持ち出すのであれば、Studygiftでは支援者と被支援者との関係が、おじさんと姪のような信頼性が担保される関係には無いからです。ネットの時代の個別包摂だからといって支援者に寛容を求めるのは、支援者にはあまりに酷な話でしょう。
そもそも包摂とかコミュニタリアリズムとか、そんな複雑な概念で論考するような深刻な事案でしょうかね?私には小難しい言葉を意図的に多用して御自身の主張「出したい人が出せばいい」の正当性を守ろうとしているようにしか読めないのですが。
やまだ まさゆき 個人的には「親戚のおじさんが、懇意にしてるキャバクラの女店を持たせたいけど、身銭で賄うんじゃなくて、「この子の夢を叶えてあげたいので、ちょっと金をくれないかな」って言ってきたって印象。
てめーの女なんだからてめーで金出せよって思うし、どうみても「かわいそう」だからじゃなくて、下半身問題にしかみえないのを「かわいそう」という綺麗事を全面に押し出そうとしているから問題視されているのだと思う。
「ばれなきゃオレオレ詐欺ってOKなの?」という書き込みがあるのだけれども、studygiftで今回提示されている案件は血液型占いを本気で信じている人だって「あー・・・これは」って気づくくらいの作りになっていると思うのね。オレオレ詐欺なんか比較にならないくらいにユルいというか最初から、ぐぐたすで有名になったおねーちゃんがiPhone持ってインドなうにお金出してね☆(・ω<)だっていうのは誰の目にも明らかなのに綺麗事で押し通そうとするから、切り込み Permalink | 記事への反応(1) | 11:15
インターネットひいてはソーシャル メディア時代が産み落としたひとりの青年が手にした権力について、どのように使っていくかということを体現しているものと言えるのではなかろうか。
強すぎる力は、時に使用者を惑わせる。己を律する事が出来るか、力に翻弄されるかは本人の心次第である。
まず、多種ある発言から組み立てると
・上から目線嫌い
・何かを解決しようと声高に叫び
・すばらしい寛容性のなさと
・全くスジが通ってない論理を
・突き進む、加速するというようにとりあえず周りを煽る (良く言えば鼓舞)
・etc...
といった感じになるのではなかろうか。
そして、多種ある発言の根幹は、以下を鑑みると意外と見えたりもする。なお、家族構成や生活状況は知りもしないので推測であることを断っておく。
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IHayato:うちの父親は会社経営者だったりする。もう設立30年。社員は10人くらいのスモールビジネス。血は恐ろしいもので、同じような道を歩む気がする。 http://twitter.com/IHayato/status/172299003671744512]
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IHayato:あと、今更ながらストレングスファインダーやってみました。噂通り、気持ち悪いくらい当たりますねこれ。 さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かすamazon.co.jp/gp/product/453… さんから http://twitter.com/IHayato/status/174514392505909248]
AkaneSato:IHayato ストレングスファインダー、なんでした?気になる(^-^) http://twitter.com/AkaneSato/status/174514938004520960]
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IHayato:AkaneSato 最上志向、活発性、戦略性、未来志向、適応性でした。「最上志向」の記述は気持ち悪いほど当たっていると奥さんと盛り上がりました笑 http://twitter.com/IHayato/status/174524660317294592]
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この 2 つの事象というのは、彼の御仁の数々の不思議発言を考える上で非常に重要なポイントとなる。発言だけを取り上げていると、「おっさんたち、そんなにつっかかってどうするの?」 (下参照) という話しに終わってしまう。
しかし、 *一人のプロ* として見たらどうだろうか。お客さんを抱えているであろう立場の人間が発するものとして、非常に危ういものであるということも事実である。
イケダハヤト氏に影響される若者を心配する前に: http://zktn.posterous.com/114158755
yukio:「ウォッチ対象になってるのはイケダさんじゃなくて、お追従してる皆さんの方だってことにそろそろ気がついた方がいい」RT zktn_: イケダハヤト氏に影響される若者を心配する前に post.ly/6Adsx http://twitter.com/yukio/status/183039452166365184]
イケダハヤトという名のおっさんホイホイについて語るスレ http://tekusuke.tumblr.com/post/19762152811
・金銭的には裕福だった可能性
http://www.ikedahayato.com/?p=5027 「中学一年生になりPCを買い与えられた僕は、HTMLでウェブサイトを作ることにハマりました。」 (中学生がコンピューターで遊ぶという状況)
・褒められることが多かった可能性 (つか褒め殺し?)
中小企業であるが故、幼少の頃から職場にも出入りしていた可能性は高い。そうすると、周りから (特に年上、つまるところ社員) は持ち上げられていた可能性。
・加えて、正す (叱る) ものがいなかった可能性
まぁ、上と同様
・我慢を知らない
寛容性がないっていうように本人は言っていたが、平たく言って我慢が出来ない子供だと。家庭環境を考えても、非常に甘やかされて育った可能性が高い
... は、ここからは読み切れないが、上の状況からすれば偉そうにしていて、あまり遊んでくれるやつもいなかった可能性がある。いじめられっ子だった可能性もある。パソコンに没頭するってのもその理由。
※社会問題ウンヌン言いながら、相当身近なはずの 「いじめ」 には過去触れていない。
・異常なまでの「奥さん大好き」発言
先日の「家庭カッコイイ」に繋がるのだが、幼少の時代には愛情を注いでもらえなかったのでは無かろうか。ただ、それはベッタリしていればいいってものじゃないので、本人が間違って解釈していた可能性が高かろう
以降は、良くツイートされるポイントについて前述の点を加味しながら考察していく。
よく下のように「有名になって影響力をつける」と言っている。 人の話を聞かない、なんかを解決するウンヌン言っているが、何が一番重要なのかというのを考えると、この「有名になりたい」という事に思える。
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IHayato:世の中を動かすのは良くも悪くも影響力。マーケティングとオンラインメディアに携わり、強く実感しました。僕は影響力を社会的課題の解決のために行使できる人間になりたい。greenzとソーシャライズ!の執筆を頑張らねば。 http://twitter.com/IHayato/status/151649105049960449]
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IHayato:変化を起こそうとして飛び出す人は本気で応援したい。今日の飲み会も素晴らしいプレーヤーにたくさん出会えた!僕がやるべきことはもっと影響力を付けることかな。さっさと有名になりたい、と昨年の今頃ツイートした気がするけど、その想いは変わらない。 http://twitter.com/IHayato/status/151644980077797376]
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二十代も後半になっているであろう状況でなぜ、執拗なまでに有名になりたいというのであろう。有名になることが自分の人生としてのゴールなのだろうか?
ところが、有名は解ったとして、何を以て有名になったという指標もさっぱり解らないのが現状である。
次に、自己形成というのを考えた場合、この考えに至ったポイントは生い立ちに紐付くと考えられるのではなかろうか。幼少の時に見ていたであろう実家の営みの光景に影響されているか、もしくは学校生活 (学生生活) 状況の反面教師として「自分は有名になって (親以上に) 影響力をつけてやろう (影響力を得ることで見返してやろう)」といった思いが隠れているのではないかということが読み取れる。
有名になって誰を見返したいのか、誰の鼻をあかしたいのかということについては、よく解らないというのが現時点である。別にそれはこちらには必要ない。なぜかという方が重要である。
後述するが、有名になって同調意見を集め (異端者はブロックで排除 (笑))、ソーシャル イケハヤ教団まで持っていきたいのではなかろうか。この目標のために、数々の活動 (不思議なものも含めて) を行っていると考えれば合点もいく。
実家が社長であるならば、その人数を凌駕し、その頂点に君臨したがるというのも解らないではない。
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本当は「貧困」な日本社会。- @May_Romaさんと素敵な仲間達。-
May_Roma: イタリア住んだ時最初は凄く不便で毎日怒ってた。イタリア人がお前が怒る理由わかんないって言ってた。電車は機械だから壊れるのが当たり前で、自販機がなけりゃその辺のタバコ屋でジュース買って、24時間営業の店ないなら夜出歩かなきゃいい。気が付かなかった自分が狂ってた。 https://twitter.com/May_Roma/statuses/181825632429277185
May_Roma: 二十代の頃、伊に住む前の自分は、正直言うと、 金をかせぎたい、同級生より有名になりたい、勝ちたい、ばかり考えてた。親があんたは間違ってるという声には耳を傾けなかった。家族が大事故にあい、伊に住んで色々気がついて、家族は元気かと声をかけてくれる同僚に囲まれて考えが変わった。https://twitter.com/May_Roma/statuses/181826932248293376
May_Roma: 家族が大事故にあった時、日本にいた。休暇を取らせて下さい、と休んだら、言われたのは、お前プロジェクトどうすんだ、変わりはいないんだよ、何考えてんだ、だった。事故は平気かなんて言葉はなかった。言った人達は世間的には「勝ち組って言われてる人達」だった。仕事は辞めた。 https://twitter.com/May_Roma/statuses/181828056128815104
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本件は全く異なる文脈からなので参考程度としていただきたいが、May_Roma 氏が過去を上のように振り返っている。中央の発言に関しては背景は異なるだろうが、状況は非常に似ている。
彼の御仁も「失うものはない」「見限る」といった発言を繰り返しているため、周りが諭しても無駄であることは自分も含めて理解をしている。
考え方を改める場合は、こういった自分自身に深く関係する外的要因が必要なこともあるので、今思っている有名になりたい、頂点に君臨したいというところがどのように変わるかというところであろう。以降はそのための行動、発言と思われる点について考えていく。
どちらかというと、ことある毎にこの話題を持ち出す方が「粘着」と言えるような気がする。 (笑)
それはさておき、少なくとも上から目線といわれないためには、我々が接する際には以下のような対応でなければならないようである。
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2011年を振り返る
http://www.ikedahayato.com/?p=5461
尊重し、学び取る
今年の夏あたり、「ザッポスの奇跡」の著者で知られる石塚しのぶさんと講演でパネルディスカッションをした際に、強烈な衝撃を受けました。
石塚さんは2回り以上年上の方ですが、ほぼ初対面に近い僕に対して「池田さんはどう思う?」というボールを巧みに投げ、スポットライトを当てる機会を提供しようとしてくださいました。
石塚さんとカフェで一時間ほどお話する機会も頂いたのですが、信じられないくらい僕のことを尊重してくださったことが、未だに震えるほど記憶に残っています。
記憶が正しければ、石塚さんはコーヒーを飲みながら「今日は池田さんから学びたい」という言葉を仰って下さったように覚えています。完全に学ばせていただくつもりで顔を出したので、大変面食らったのは良い思い出です。
年齢や立場に関係なく相手を尊重し、学び取ろうとする姿勢は、人を感動させます。
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ここにもあるとおり、尊重というのを「持ち上げてくれること」と間違って解釈しているのでは無かろうか。
上の例では、ディスカッションなのだから置物じゃあるまいし、自分から突っ込んでこないのであれば、話を振るようにするのは当然である。しかし、それを「スポット ライト」とまで言ってしまうのは、ナルシストと言って良いかと思う。
色んな人の話を聞くというのは別に「学びたい」と言わなくても、どういう意図でセッティングされているかというのを思えば自ずと解るものであるが、残念ながらこちらの御仁については「表明してあげないといけない」ようである。
つまり、明示的に持ち上げてあげる (もしくはへりくだる) 必要があるということである。
それを象徴するであろう言葉が以下のものである。すばらしいブログ (笑) まで提供してくれているので、まずは眺めていただきたい。
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IHayato:書いてみた。 「上から目線」がナンセンスな理由 | ikedahayato.blog - is.gd/UqBwUX http://twitter.com/IHayato/status/164886221036863489]
http://www.ikedahayato.com/?p=5779
僕は上から目線の物言いが嫌いです。どんなに偉い人だろうが、上から目線な時点で95%「見限り」ます。 http://www.ikedahayato.com/?p=5779
↓上のようにいっているが、この下のツイートと矛盾するのがやはり不明瞭。
IHayato:横柄な上から目線でコミュニケーションしてくる人は、ある種の余裕や「甘え」があるからではないか、という話を聞いて興味深いと思った。失敗確率を下げたければ、丁重で真摯にコミュニケーションを取る確かに立場が上であればあるほど横柄でも許される。 http://twitter.com/IHayato/status/172297068721868800]
IHayato:「上から目線」のかっこ悪さは、これから際立つようになる気がする。高圧的になれば人は動く、という価値観自体が前時代的。これからはいかに力を認め、未熟を見抜き、権限を与え、創造性を爆発させるかを考えないといけない。 http://twitter.com/IHayato/status/164315871383257088]
IHayato:高圧的で上から目線の人からは積極的に学ぶ理由もない、とも思ってます。もっとフラットな関係で与え合おうとしてくれる人はいるし、そういう人から学ぶ方がお互いのために取って良いはずです。 http://twitter.com/IHayato/status/155482316406403073]
naga8888:了解しました。サヨナラRT “IHayato: 高圧的で上から目線の人からは積極的に学ぶ理由もない、とも思ってます。もっとフラットな関係で与え合おうとしてくれる人はいるし、そういう人から学ぶ方がお互いのために取って良いはずです。” http://twitter.com/naga8888/status/155500865254469632]
IHayato:僕が今更悟ったのは、ツイッターとかブログでぐちぐち言ってくる人なんてスルーすりゃいいんです、というシンプルな話です。ちゃんと批判してくれる人はもっと違うやり方で伝えてくれます。 http://twitter.com/IHayato/status/155481493299400704]
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これらから類推するに彼の御仁の生い立ちにも関係してくるのだろうが、叱られた経験などがないのではなかろうか。家庭や学校でどういう学び方をしていたのか定かではないが、悪いことや道理に反することを行ったら叱られるのが常であるが、叱る側がそれを怠ってしまうと子供は、いいこと悪いことの判断能力が欠如したまま成長することが多い。
そして、冒頭のとおり物品に恵まれ、囲んでいた大人に持ち上げられることが多かった可能性を考慮すると、大学卒業後は社会人というくくりの中では一番下に位置する状況に置かれるのであるが、当然新卒であるし、上司や先輩 (年配という意味での大人) からは何かしらの命令などがあっただろう。
寛容性がないと言っていたことから、我慢が出来ないであろうことも災いして、その状況 (要は、大人は自分に対して優しく接してくれるはずなのにそうじゃない状況) に耐えられなかったのではないかどうかと推測できる。(結果、11 か月で退職となったのではないか)
そういった性格から、命令されることやそれに準じるような問いかけを非常に嫌い、とにかく自分自身が有名になり、語りかける側が必ずへりくだってくる (尊敬を持って接してくる) ようにしたいのではなかろうか。
(それは、自分で営業しないでも向こうからお願いしに来る状況にしたいといった発言にも符合する)
上から続く話題だが、上から目線の話題が出るときに必ず出てくる話がこの「失礼な物言い」である。先のようなことに注意をして接しないと、このような言われ方をしてブロックされる。
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IHayato:なんか最近mentionでえらい失礼な物言いをされることが増えている。それ面と向かって同じこと言えるの?と言いたい(言えるならそれはそれで良いですが)。これからの時代、オンラインとオフラインに違いなんてないですよ。 http://twitter.com/IHayato/status/164899988743266305]
IHayato:先のツイートは、議員のツイッターアカウントのサポートをしていた時も強く思ったな。あれは他人事ながら、mention欄見てるとかなり精神に来た。 http://twitter.com/IHayato/status/164901203447255043]
IHayato:「いきなりお前呼ばわり」は確かにあるw http://twitter.com/IHayato/status/164901991288553472]
IHayato:世代論にするつもりはないけれど、若い人はツイッターのソーシャルグラフがリアルなせいか、失礼な物言いしてくる人は滅多にいない。 http://twitter.com/IHayato/status/164904512027492353]
IHayato:さっきの「なんか失礼な物言い多いよね」というツイートが結構共感されてる。みんな嫌な思いしてるんだなぁ。 http://twitter.com/IHayato/status/164996271852109824]
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さて、ここでの疑問点は「えらい失礼な物言い」というものが具体的にどういったことを示すかである。上にある「議員のアカウント」あたりは結構すごそうな感じがするが、こちらの御仁の TL を public search する限りにおいては、「えらい失礼」と本人が言うツイートというのは見あたらない。
我々が考える失礼な物言いというのは基本的に、
・罵詈雑言
・誹謗中傷
・怒鳴りこみ (ツイートでの再現は厳しいが...)
といった事であるが、こちらの御仁の場合には、過去のブロック例と TL を見る限りにおいては、
・指摘 (間違いなど)
・(厳しい) 質問 (またはざっくりした質問 (笑))
・意見
というようなものまでを「失礼な物言い」と位置づけている。指摘や質問なども「誹謗中傷」という言い方をするので、言葉を知らないという言い方もあるのだが...
まぁ、本人の主観であるので仕方ないところではあるが、少なくともフォローしている信者も「大変ですね」等々の同情票を出してくるため、よほどのものが出ていると思っているだろうが、実際にはそんなものはほとんどないのが実情である。
結果、「晒そうと思っているが踏みとどまるようにしている」といったアピール攻撃によって、更に信者の同情を買うという手段を取っている。
これも続いてくる話しであるが、既に本人がツイートしている内容と行動が伴っていないので、書き留める必要も微妙なところであるが、これも本人が声高らかに言っているので取り上げておく。
まず、彼の御仁はどうでもいいというが、言葉の定義から考えておこう。
・匿名: 本名を明かさないで別の名前というのは事実なのだが、ネットでは「ハンドル名」というのがあるので、分けた方が良かろうと思う。なぜなら本名自体は特定できないにしろ、発言者の特定はできているからである。
ただし、彼の御仁の場合はこれとは異なるようで、
・本名 (実名): アカウント名が本名であること、自分の顔写真をアイコンにしていること、言及したことはないようだがプロフィールも書かれていることあたり
・匿名: ハンドル名含めて、上の条件を見対していないもの全て
であるようだ。
ここで疑問なのは、 *偽名* (実際には本名でないのでこれも *匿名* に当たるはずだが) や *詐称* については触れていない。本名であるかどうかの担保が得られていない状況において、これほど不確定なものもないと思われるが、 *「日本語で人名っぽいものであれば本名として認識」* すること自体にも疑問を感じる。
さて、であれば本名であったら、ちゃんと受け付けてくれるのかというと...
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IHayato:匿名粘着アカウントはホントに気持ち悪い…名前と顔出している人なら何言われても良いのですが、匿名からの攻撃は身の危険を感じます。ここ最近憑かれてます。というわけでブロック多用中ですがご容赦下さい。 http://twitter.com/IHayato/status/151828705570856960]
↓信者の応援も込み
Hiroki_Komazaki:IHayato そういう人最近多いですよね。くじけず情報発信がんばって下さいな。イケダさんのポジティブな情報にはいつも勇気づけられています。 http://twitter.com/Hiroki_Komazaki/status/151830861313089536]
maimukaida:IHayato そうなんですね…。でもイケダさんまけないで!応援! http://twitter.com/maimukaida/status/151941202458066944]
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IHayato:前もツイートしたけど、面と向かって言えないことはオンライン上でも言うべきではない。匿名アカウントでしか誰かに批判的なこと言えない、というのは明らかにかっこ悪い。社会の悪を告発することで身に及びかねない危険を防ぐために匿名です、とかなら別ですが。 http://twitter.com/IHayato/status/171933362485858304]
↓
gosuke:だから、対談断らなきゃ、いくらでも言うんですけど…。RT IHayato: 前もツイートしたけど、面と向かって言えないことはオンライン上でも言うべきではない。匿名アカウントでしか誰かに批判的なこと言えない、というのは明らかにかっこ悪い。社会の悪を告発することで身に及びかねない http://twitter.com/gosuke/status/171984076557918208]
gosuke:いや、だから面と向かっても言うから。そもそもボク、名出し顔出し所属出しだから…。> mentionで失礼なことを言ってくる人たち ikedahayato.com/?p=5806 IHayatoさんから http://twitter.com/gosuke/status/165297112739880960]
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という状況である。本名やアイコンが顔写真であるなら、「名前と顔出している人なら何言われても良いのですが、」のように言っているのでちゃんと対応しているかと思いきや、実際にはブロックしまくっている状況であるので「匿名だけブロック」というのは既に本人自体守っていない。
ザ・インタビューズは 単なる自己承認欲求充足装置だという批判 が多い。
あきらかに自己承認欲求が強くて「インタビュー募集してます!」「質問ください!」「~に答えました!」という人が大量にいる。それにのっかって「朝ご飯は何を食べましたか」なんてたわいもない質問してる人もいる。そのしょーもない自己承認で舐めあうサイクルが不快で近寄りたくもない人がいるのは理解に難くない。
専門家が気軽にインタビューに答えているケースでは読む価値のある文章もあるのだが、どうでもいい一般人の自己承認欲求充足やりとりなんて面白くもないし、目にもしたくないって人は多いだろう。酒の席の自己語りが面白くない奴の集まりみたいなもんだ。Twitterの140文字でさえ面白い事を言えない奴が面白い長文を書けるわけもなく、意味のある情報を求めている人にとってはどうしょうもないサービスでしかない。殆どの人にとってはインタビューズは有意義な回答や文章を読める場所ではなく、文章は単なる副産物で、自己承認欲求充足やりとりが主目的だ。下らない文章書いたり読ませたりすることに時間とリソースを使うなら、tweetにfav一発してた方がよほどスタイリッシュだ。 (というのがインタビューズ批判論者の大体の考えだろう)
TLにいる人をかたっぱしからインタビューズのリストに登録してみたらあることに気付いた。リストに入れると回答数と回答率がずらーっと出るので、各人がインタビューされている回数が大体わかる。
すると、「インタビュー募集してます!」「質問ください!」「~に答えました!」という人が必ずしも被インタビュー回数が多いわけではない。むしろ自己主張が少ないのに被インタビュー回数が多い人がいる。
なのに、やたら被インタビュー回数が多い人がいるのだ。考えられる理由は、
あたりだと思う。
もしそうだったら面白いよな。こんな目立たない奴がそんなことしてるって、ばれたら恥ずかしいだろう。でも確かめる方法がないから想像してもどうしょうもないのがつまらん。しっかし複アカウントで30も50も自分に質問してシコシコ文章書いて、それが誰も読んでないってどうなんだろうね。やめるにやめられないんだろうな。個人的にはこの可能性は低いかな、と思っているけど。
完全匿名でしか聞けないなんて、この先進展しないと思うがね。妄想できればいいってタイプにはいいおもちゃかもしれない。
質問されたい自己承認欲求グループとは別に、質問したい自己承認欲求グループがいるってことだ。
質問したい自己承認欲求グループにとって、この手の特徴もなく、自己主張が少なくおちついていて、つついても特にトラブルになりそうもない人間ってのは格好のひまつぶし対象だ。
しかしこれはそんなに馬鹿にしたわけでもないと思う。どんな集団でも空気な人間というのは空気なだけに緩衝材になっている可能性がある。Twitterや酒の席のようなリアルタイムで会話や情報が流れる場では、引出しが多く言葉の回転が速い人間が目立つために空気でペースのゆっくりした人間の影響が全く見えなくなってしまうが、インタビューズのような場だと空気タイプの影響がわかりやすくなるのだろう。
ここに、インタビューズが成功した理由の一端が見えていると気付いた。
インタビューズが批判されるとき、「リア充同士の馴れ合いサービス」という視点が使われがちだが、それは少し違う。
良く考えてほしい。インタビューズは一方通行な匿名だ。「質問ください!」と言うより、質問する方がはるかに行動コストが低い。つまり、インタビューズは「質問ください!」と言っている行動力ある人間ではなく、こっそり質問している非リアや弱気な人間によって回転しているサービスなんだ。
匿名で質問し、記名で回答が返って来る。その回答は必ずしも自分に向けたものではないが、質問したのは自分だと質問した人だけはわかっているので、コミュニケーションを充足した気分になれるわけだ。質問する側にとっては、ノーリスクハイリターンだ。目立たないが何故か被インタビュー回数が多い人がいる現象も、それをよく表している。できるだけ行動コストが低くて済む相手に質問がなんとなく行っているわけだ。
本当のリア充なら、インタビューに答えこそすれ質問なんかしていない。Twitterで@飛ばしたり電話したりメールしたり直接会って話した方が早い。
ザ・インタビューズはリア充の為のサービスなどではなく、リア充のように充足を得たい非リア、リア充との接点を得たい非リアの為のサービスだというのが自分の今の結論だ。だからこそ非リアが声に出来なかった需要を掘り起こして成功しているのだと思っている。