はてなキーワード: ゼイリブとは
似たような経験がある。
持病関連で出来た友達がいて、入退院を繰り返していつも体力がなかった。
なので歩いてゲームができるIngressはリハビリに最適だった。
ゼイリブが大好きな俺はもちろん緑だったんだけど友達は青でやってた。
彼はまあ家業みたいなのがあって、時間はほぼ自由になる職業だったのでそのうち原付きを買って
夜な夜な都内を荒らし回る地獄のレジスタンスプレイヤーみたいになっていった。
さすがに和歌山とかまで遠征にいくような人じゃないけど、都内の緑からしたら
かなりのヘイトを買うプレイスタイルだったんだろう。アンチみたいなのが増えた。
そして個人(見た目)を特定されたけどそれでもプレイスタイルはかわらない。
いつでもどこでも、壊せるものは全部ぶっ壊しに行った。
ほぼ24時間やってたから無職だと思われてたろうけどまあ似たようなもんだけど大家だからね。
そのうち位置情報を偽装して破壊してると濡れ衣をかけられて、リアルでストーカーされたプレイヤーに
因縁をつけられたあげくにスマホを取られて眼の前でヘシおられたそうな。
いちおう警察行こうかっていうと大人しくついてきたらしいんだけど
「壊しちゃったなら弁償してね」みたいなことをいわれたらしい。
でも相手からしたら無職チート野郎を成敗してやった気持ちなのか、弁償はされず。
面白かったので当然ネット掲示板と陣営チャットに書き込みをした。もちろん全体(両陣営が見られる)にも。
都内は複数で回るレイド?とかが多かったので、通報多数で俺のアカウントはロックされた。
その後の相手のことは知らないけど友達はさすがにウンザリしたのか今は変なマイナーソシャゲをやってるみたい。
まあ刺されなくてよかったよねと今では笑い話ではある。
行き場のない女性を保護している活動をしている実在団体をネタにして小説とかマンガ書くとしたらこう群像劇で人生のつらいことが色々交錯してでも友情とか人生は敵ばっかじゃないよって団体の人に徐々に心開いたりとかそういう感じの社会派なやつ、俺の好きな漫画だと「家栽の人」みたいな感じだなーとか思っていたが
関連団体で覚せい剤でヤクザともめて破門になったヤクザがやってる宗教色のある女性保護団体が覚せい剤でパクられた、となるとジャンル変わっちゃうな
町の中をふわふわと回遊する、若さと日本国籍ぐらいしか持たない、人間関係に恵まれない女たち
たくさんの女を救ったはずなのに救われた女が表に出ないのはなぜか?
そもそも救っていないなら費やされた金や労力はどこへ?
救われた女は今どこへ?
救われた女は救われる前の女と同一人物なのか?
中学生のとき、理科の先生が映画が好きで、なんか授業のコマを使ってみんなで「ゼイリブ」を見たことをふと思い出した。
今思うと完全に先生の趣味だったんだけど、あれはあれで楽しかったので良い思い出。
英語の時間には、別の先生だけど、英語のヒアリングだとかなんとかこじつけてスタローンの「ロックアップ」を見たんだけど、今思うと題材的に英語の発音的にも適していたのかは謎(たぶん適してない)。
なんかそういうのみんなの体験あれば教えて下さい。
※できれば、そういうのがあってクソだった!というテイストよりは、未知のものに出会うチャンスが合ったみたいなののほうが読んでて楽しいけど、どちらでも。
動画:
https://twitter.com/keijitakeda/status/1445589826921631760?t=T7CWJ_3ZBADRzgcMTbr95Q&s=19
12秒程度の動画。最初の1秒程度に「今日の仕事は楽しみですか?」と表示される。
だから
AlphaDrives / NewsPicks が
ビジネスに鼓動を
ブランドメッセージである「今日の仕事は楽しいですか」のタイミングの写真をRT、拡散される
https://togetter.com/li/1784040
「市民、あなたは幸福ですか?」というTRPG「パラノイア」のセリフを連想する人が多く、コンピューター様ネタで盛り上がりをみせる。
謝るということはやっぱり悪いことしてたんだなとさらに叩く
今ここ
あらすじを簡単にかくと、無職になった労働者の白人のおっさんが、
色々あって真実を見ることができるサングラスを手に入れて目覚めるんだけど。
まぁそのサングラスを通してみると隠されたメッセージをみたいなのを見ることができて、
宇宙人が人間のフリをして社会を支配していのも発見できてしまう。
みたいな話なんだけど、これって今見るとQアノンを信じる白人のおっさんそっくりだよな。
議事堂占拠したやつらもゼイリブの主人公みたいな巨大な悪に逆らうレジスタンスみたいな気分だったんだろうな。
抜けてた。
共依存の行く先は、ぐずぐずとした破滅に他ならない。エンターテイメントは、それが逃避という形であっても、最終的には現実と戦うためのものでなければならない、と思っている。それが作り手の良心であり、矜持であるべきだ。
「現実と戦う」ためのエンタメみたいのはもう厳しい感があると思うの。個人的には舞城王太郎がピークだった。
みんな正直既に疲弊してる。だからボカロ界隈の歌詞はあんなドロドロに暗かったり過剰に過激だったりみたいな感じになるんだと思う。
なんてったってボカロで現実と戦う系の歌は(知ってる限り)ひとつ残らず自己犠牲ネタ(悪けりゃ単なる自殺)だかんね。
『メアリーと遊園地』、『カゲロウデイズ』、『悪ノ召使』、みんな最後にグスコーブドリが火山に残るとこだけやりたがってる。
宮澤賢治の自己犠牲だってもやもや来るところが全くないとは言えないのに、ボカロはみんなして「誰かのために死ぬ」とこは嬉々としてやりたがるくせに「その誰かといばら道を生きる」方は誰もやらん。
「いばら道でも何でも切り開いてもがいてもがいてもがく」ようなのは誰もやらん。あるいは「やったけど無駄でした」くらいの描写に留めて省く。
もうみんな疲れてんだよ。うんざりしてんだよ物心ついたころからろくでもない未来像ばっか聞こえてきて。
自分の人生割とクソかもと思ってるし、そのクソ人生投げ出して「誰かのため」と等価交換できるんなら御の字だとか思ってんだよ。
それが現実とやらに報いる一矢たり得ると思いこんでいてそんなものまともな逃避以下の自己正当化だって事実からは目を逸らし続けてんだよ。ガキだから。
本当の「誰かのため」のためには自分が命捨てて済ますんじゃなくて困難てんこ盛りな道を寄り添い続ける覚悟がナチュラルに要るってことから逃げ続けてんだよ。
だって既にしんどいからこれ以上しんどくなるのってごめんだもの。
"どうしてこれが、これがハッピー?"♪、終わりも始まりも見えない道に寝そべって身体がグズグズに崩れていくのにゼイリブドハッピリーエバーアフターって納得なんてするはずないわってなものよ。
がんばってるみんな、がんばろうぜ。がんばるから。きっと現実は変わる。第一に、そう信じてなきゃ、まっとうなものをつくる方法なんて無いのだから。
頑張れるのはもう作り手だけだよ。
消費する側はもう現実が何をどうやったって変わんない気がしてるよ。
つーか消費するばっかり受け身ばっかりで「現実が変わる」なんて奇跡のようなことが起きると思ってる時点で頭があたたかい感じの人間だってことになるわけだけど、もうぬるい露天にぬるぬる浸かってたせいで肺呼吸でぜーはー言いながらのたうつようにして地を進むなんてできないんだよ。
もう頑張れるのは作り手だけだよ。マジで。
おれは頑張りたいからまだ作ってるけど。