はてなキーワード: センター試験とは
幼稚園から高校のころまで田舎に住んでいたが、少なくとも幼稚園入園から中学卒業までいじめを受けていたような気がする。
というのも、田舎だと幼稚園の人間関係が中学校、下手すれば高校ぐらいまで固定された状態だ。
そんな状態では一人をスケープゴートにし続けて集団の結束を図るということが行われる。実際にそのターゲットに自分が選ばれた。
だけど、どんなことをされたかを思い出そうとしても思い出せないというか、頭が強く締め付けられるような感覚になって思い出せない。そのうち動悸とか眩暈もしてくる。
ただ「怖いことがあった」「(親や教師の言うことに逆らうと/従っても)ひどいことになる」という感覚だけがこびりついている。
ついでに親や教師の言うことには服従していた。なぜなら教師の言うことに逆らうと恐ろしい目に合うからだ。だからといって従っても同年代から恐ろしい目に合うので世話がない。
高校まで大体そんな状態だった。大学進学の際、誰も来なさそうな遠い田舎にある無名の小さなFランク大学に進学を決めた。
推薦入試も「同級生に進路が知られて襲われるのではないか」という疑念がぬぐい切れず受験せず、センター試験利用一本という一番楽な方法で受験した。
あと、進学先が特定されないようにダミーでそこそこ名が知れたマンモス私大に合格したり、架空の大学の合格証書(今考えると有印公文書偽造でガチ犯罪)をこれ見よがしに机に置いたりと偽装工作を繰り返した。
しかし同じ学校に通っていた人間が同じ大学に進学してきた。その瞬間目の前が真っ暗になった。
同じ学校の人間が地元の連中を引き連れて自分のところに「お礼参り」に来てひどい目にあうのではないか。その恐怖が大学時代続き、半分息を殺しながら生活し続けた。
結局大学院進学の時にようやく地元の人間から完全に縁が切れた。とはいえ大学院に在籍していた時も「また地元に引き戻されていじめてきた連中におびえる生活をしなければいけないのではないか」という疑念もぬぐい切れなかった。
その恐怖のせいでM2後期のころには精神がボロボロになった。一応お情けで修士号は貰い、フニーターや雇われ研究員になったりもした。
しかし意識的か無意識か地元の人への恐怖心はぬぐい切れず、結局精神が完全にイカれてしまった。
最終的にうつ病だの○○病だのという診断は降り、色々書けないようなイリーガルなことをしながら小銭を稼いで食いつないできた。とはいえ別件でトラブルに巻き込まれたせいでなけなしの小銭も吹っ飛び無一文になった。
このあたりに関しては色々後ろ暗いこともあるので込み入ったことは書けないということは許してほしい。
両親は経済的理由から自分を実家に引き戻したがっている。ただ、地元に戻ったら同級生に襲われるのではないか?また酷い目に合うのではないかという恐怖はぬぐえない。
その恐怖から十数年間必死に逃げ続けてきたが、地元への強制送還というかたちで逃げる手段がなくなったなら恐怖のあまり精神が完全に無になってしまう。
実家のある地域の閉鎖性を鑑みた場合、どこかで地元の同級生にあう可能性は高い。そんなことになったらと考えただけで全身が凍り付きそうになる。
ついでに親にこのことを話しても「それはお前が劣った人間だからだ」と糾されるのがオチだ。そもそもいじめっぽいことをされていた時期ですら、学校を休むという選択肢はほぼなかった。
なぜなら学校を意味なく休めば長田百●子がやってきて「お前を施設に連行していじめ倒す!」みたいなことになりかねないからだ。実際自分が小中学生のころはそういう番組が頻繁に流れていた。
そういうさらに恐ろしい目に合わないためにも、親の期待する優等生を演じるしかなかった。だから親も本当は信じられないというか、自分にとっては恐怖の対象でしかない。そのほかに信じられる人間もいない。
一度認知行動療法を受けようとしたことがあったが、「自分のことについて考えよう」というテーマが出た途端頭が締め付けられるような感覚に襲われた。動機もした。
それは「お前が酷い目に遭っているのはお前が全部悪い!お前は劣等だから酷い目に遭って当然!」ということを眼前に提示されるからだからだ。
実際「自分がいかに卑劣で極悪な人間か」「自分はおぞましいことをしながら生を貪る自己中心的な外道だ!」「自分に比べたら凶悪犯罪者の○○なんて聖人君子」ということはずっと考えている。
逆に自分をほめることは「悪徳の栄えの一丁目」でしかないと思っているため、絶対にしないよう心掛けている。
もうぼろぼろなので「あと2年ぐらいでお迎えが来そうだ」とも薄々感じている。お迎えが来る前に自分の苦しさの正体がなんであるのか?ということを詳しく知りたい。
PTSDなんだろうかね?
余談
子供の声を聴いただけで動悸が止まらなくなったり、全身が硬直したりするのだが、これも学校での酷い経験があったからなんだろうかとふと。
どちらも学ぶ内容は似通っているからだ。
しかし、その上で文学部と法学部まで併願するのは理解ができない。
高校で長い期間をかけて大学入試のための勉強をしておきながら、大学の4年間で何を学ぶべきかを決めなかったの?
文学と法学とでは学ぶことは大違いだけど、併願するってことはどちらを学ぶことになっても構わないってことなの?
大学入試時は最低でも17歳だけど、それだけの年齢になっておきながら自己を確立できなかったの?
例えば私だと、中学の理科で電気回路の問題を解くのが好きだったよ。
高校の理科でも物理を選択して、そこでも電気分野が好きだったから大学でも電気を学ぼうとしたよ。
工学部の中でも電気系の学科は他の学科に比べて就職が有利で、インフラ関係などの安定した企業に就職できるからという理由もあるけどね。
大学受験ではいろいろな大学を受けたけど、全て電気系の学科を受けて、機械・情報・建築などの他の学科を受けることは無かったよ。
残念ながらセンター試験であまり点数が取れなかったから、国公立大学はあきらめて地元の私立大学に進学したよ。
大学入学後は大学の勉強と併せて電気主任技術者(電験)の勉強をして、在学中に資格を取ったよ(それでも、一番簡単な第三種のみだけど)。
そして、高校生の時から考えていた通りにインフラ系の企業に就職したよ。
私の話はこれくらいにして君の話に戻るけど、慶応大に入学できるくらいに勉強してきたのに、なんで肝心の大学で自分が何を学ぶかについて無頓着なの?
低レベル高校生が、大学に進学できるならどこでもいいとFラン大学を受験して、学部も適当に選ぶのとはわけが違うはずなのに。
君は早稲田大も受験したのだから、おそらくは偏差値の高さで受験する大学を選んだようだけど、大学の偏差値が高ければ学部なんてどうでもいいの?
大学で何を学ぶのかさえ、どうでもいいの?
低レベル高校生の愚かな進路選択なんて興味ないけど、私より遥かに勉強ができる人の進路選択について興味があるから答えてくれるかな?
「お前が 『好き』 と感じたことと、それが 『良い』 かどうかは別問題」
はてなにおける文章力あるなしの定義は、まさしく 「好き」 と 「良い」 を混同した状態となっております。
言葉の定義について後で揉めたくないので最初にここをハッキリ書いておきますね。
話し言葉に近づけた表現をするなら以下のようになるでしょうか。
はてなにおいて 「文章力がある」 「文章力がない」 という言葉が使われている場面の多くが、単にその文章の好き嫌いを語っているように感じます。
言っているはてなー本人が 「読み手に伝わりやすい良い文章」 とは何かを正しく認識できていないことによって想起している問題です。
文法が正しい。誤字脱字が少ない。無意味な造語が少ない。対象の曖昧な代名詞が使われていない。複数の読み解き方が可能な文章となっていない(意図してそれを行っている場合は除きます)。論理の飛躍がない。過剰な頻度で同じ話を何度も繰り返していない。こういったマイナス要素の少なさこそが、良い文章を形作ります。
契約文書や法律文書は、甲乙による呼び名を代表とした堅苦しい表現が使われています。これらは一般的には読みにくい文章となりますが、それぞれの表現が指す範囲を明確にする必要があり、かつ冗長にならないようにすることを最優先する必要があるために、独特の表現を使った文章となっています。
日常会話において法律文書のような表現を用いれば、伝達において齟齬が生じやすくなるでしょう。逆に契約書に砕けた表現を多用すれば、あとで揉める原因となるでしょう。
シチュエーションごとに適切な文章表現を選び出す能力は 「文章力」 の最重要の構成要素です。
「文章力」 の構成要素を羅列し見れば分かる通り、 「個人が好ましいと感じたか」 は 「文章力」 との関係性が極めて薄いのです。
過剰にヘイトを煽るような表現を多用して判断力を下げる文章が世の中にはありますが、それを書いた人間の目的が相手を感情的にさせて判断力を下げることであったならば、それはその目的にあった文章となっています。
自分の好き嫌いを基準に 「文章力」 を語るはてなーにはそういった視点さえも欠如しています。その証拠に、自分本位の好き嫌いの基準のままで文章の良し悪しを判断し 「文章力がある」 「文章力がない」 という表現が多用されているのを非常によく見かけます。
このような謝った言葉の濫用は、全く持って言葉に対して不誠実と言えるでしょう。
ですがそれらが悪意や、善意のなさによって生起していると考えるべきではないように思います。
単純に、 「文章力」 というものを正しく認識する機会に恵まれることの難しさが原因だと私は考えます。
高校までの教員の中に言語の研究において論文を何本も書き上げた経験がある人がどれほどいるのでしょうか?
大抵は大学に通い教員免許を取る過程において少し齧った程度のままで、その後は現場の忙しさに翻弄され、学生たちのしょうもないてにをはの間違いを如何に効率よく正していくかばかりが頭を支配することでしょう。
そして多くの日本人はそうした教員から受けた言語教育だけを、言語に対して深く触れた体験だと感じ、そこに言語能力というものの天井を感じてしまうのです。
虫かごに入れられたノミの話と同じように、人間は下手に天井を感じるとそれ以上を目指さなくなります。
正しい言語力というものを、単にセンター試験の国語で満点を取れるだけのものであると思えば、そこからの百分率で言語というものを考えるようになる。
ですが実際には言葉というものはもっとずっと複雑でいくらでも工夫のしがいがあるものなのです。
それを知らない人達が安直な好き嫌いで 「文章力がある」 「文章力がない」 といった表現を使っているのは非常に悲しいことです。
ですが、これは現代社会における教育コストの問題であり、一個人が過剰に憂いても仕方がないことなのです。
それでも吐き出したかったのでここに垂れ流させていただきます。
お目汚し大変失礼致しました。
別に家業継ぐとかではないけど俺は本当に商業科目が好きで入った
特にマーケティングが好きで今でもマーケターになりたいと思ってるぐらい
オープンキャンパスで「大学にいけます!」みたいなこと自信満々で言ってたけど実際偏差値47(自分の実力ではもっとあった)で推薦もいうほどよくないのによくそんな自信満々に言えたなと今思う
一応センター試験の科目で情報科目があってそれを数年後くらいにブランクある状態で解いたら初見で75点くらい取れた(数2Bの代わりとかに使える)
現役の時知らんかったけどふつうにすごいと思った
けど偏差値47だし商業科故に他の科目が割を食う形になってしまってた
両立できますよとかほざいてたのになんだこのザマはと
で調べたら商業科は田舎の方だと偏差値が高く都会になるほど偏差値が低いらしい
え、じゃあどうしようもないじゃん
塾いけばいいって話だけど片道40分自転車漕いで公立の商業科通ってたんだけど(私立はもっと頭悪いしもっと遠い)
大学まで待って普通科いけっていうのは分かるけどエキスパート目指すなら早いうちがいいじゃん
そういうシステムのために後手を踏まされるのってスゲェやるせねぇ
超ムカつくわ
自分への戒めというか、感覚を忘れないようにするために書かせてほしい。前にも流行った話題だと思うけど。とある実況者界隈の切り抜きみてコメント欄に書き込もうと思ったけど、あまりに隙自語だし場違いだなっておもったからこっちに書く。
かいつまんでその切り抜きの内容書くと、
○とある実況者Aが両親が夜出掛けるたびに夕食代として妹と二人分で五千円もらってた。←それに対して実況者B·Cが「多くない?!」と反応
○実況者Aの実家が金持ちって話に移って、大学時代の勘違いで奨学金は貰えるものだと思っていた、借金じゃん誰が借りるんだって思った話をすると、実況者B·Cは「いやみんな借りてるよ?」と反応
○実況者Aの妹さんはさらに過保護にされており、一人暮らしだったがバイトするより家に帰って来てほしいと両親から仕送りが増やされた話と、帰省のための新幹線の定期代も親が払っていた。
○実況者Aは自分の家が金持ちだとはしばらく思ってなかったが、実況者B·Cはそれに対して終始「金持ちじゃん!」「普通じゃないよ!」的な反応
多分細かい部分は違うけど大まかにはこんな内容で、自分も最初は笑ってたけど見返したらあんまり笑えなくなった。あんま大きい声では言えんし新幹線定期の下りとかはスケール違いすぎてあれだけど、奨学金や妹さんのバイトの下りはわりと似た価値観だったことを切り抜き見て思い出したから。
高校生〜大学生なりたてのころの奨学金のイメージ、頭がよかったら国とか大学とかが「お前もっと頑張れよ!」ってくれるお金、って感じだった(多分そういう奨学金も実際あると思う)んだけど、説明会行こうとして利子とかの話を聞いて初めて、「えっ返さなきゃいけないの?!」と知ってまず驚いたし、説明会は授業終わり残って聞いてくみたいなスタイルで、「じゃあめんどいからパス」ってすぐ思ってたら授業終わったあとわざわざ残る子が予想より多くて「大学費用足りない人って意外と多いんだな」ってことに次驚いたし、大学で仲良くなった自分と同じ“““普通”””の家庭の子だと思ってた友達が奨学金借りててまた驚いてしまった。その時初めて四年制の私立大学に通うことになっても奨学金の話なんて家では一切でなかった、普通だと思っていた自分の家のこと「中流の少し上くらいの家なんだ」と自覚したのを思い出した。
妹さんのバイトさせないで仕送り増やした下りも正直心当たりがあるというか、自分も親に遊びに行くと言えば充分お小遣いもらえたし、欲しい服とかも頼めば買ってくれたし、そういう生活のためにお金が欲しかったわけではなかったけれど、「社会勉強にやっておきなさい、合わなければ辞めていいから」って親に言われたのと「バイトしておかないと就活のときに書くこと減るぞ」って先輩から言われてなんとなくで始めたのを思い出した。私は実家暮らしだから一人暮らしの仕送りない分お小遣いある方なのかな、と軽く思っていたけど、同級生の中には実家暮らしでもバイトして家にお金入れなきゃ大学通わせてもらえない子もいたし、そのバイトをしなきゃいけないせいで授業出席危ういみたいなことも聞いて、上からで申し訳ないけれど心底気の毒に思ったのがめちゃくちゃ鮮明に蘇った。
思えば高校時代にもセンター試験の自己採点をクラスでしたあとで、「公立無理かもしれない、お母さんは私立でも大丈夫だよって言ってくれたけど…」と言って泣き出した片親の子をみんなが励ましてるの見て正直(泣くほどのことか?そんなに学費キツイなら入試とか頑張って奨学金もらえばいいんじゃない?)、って軽く思ってしまったけど、別にそれその子の家が片親だからとかじゃなくて、自分は公立はマストではなくて選択肢の1つって感じだったけれど、公立じゃなきゃ通わせられないって家もあるんだとその時気づけばもう少し違った心の持ち方があったかもしれないと思う。
話が逸れたけど、別に自分の家は特段に金持ちとかそんなではなく、それこそ都内のタワマンが〜とか高級車が〜とかそんな家じゃなくて、あくまで地方都市基準ではあるけど、それはそれとして私の中で親が子供の学費出してくれるのは当たり前のことだと思ってたし、公立だと親孝行だけど、私学でも悪くて「お金の掛かる子でねぇ(笑)」扱い程度、大学行かない選択肢はなかった。それが“普通”の家だとまだ心のどこかで思ってる自分がまだいる。実況者B·Cが「俺たちが普通だよ!」って強めに言ってるところで、ああやっぱり自分は普通じゃなくて物凄く恵まれてた方だったんだなぁ、と再確認して、同時になんか怖くなった。今あんまり他人の年収とか家庭環境とか学歴とかあえて訊かないくらいには大人になったけれど、いつかどこかでポロッと自分の“普通”に照らして話してしまいそうで怖い。
自分への戒めというか、感覚を忘れないようにするために書かせてほしい。前にも流行った話題だと思うけど。とある実況者界隈の切り抜きみてコメント欄に書き込もうと思ったけど、あまりに隙自語だし場違いだなっておもったからこっちに書く。
かいつまんでその切り抜きの内容書くと、
○とある実況者Aが両親が夜出掛けるたびに夕食代として妹と二人分で五千円もらってた。←それに対して実況者B·Cが「多くない?!」と反応
○実況者Aの実家が金持ちって話に移って、大学時代の勘違いで奨学金は貰えるものだと思っていた、借金じゃん誰が借りるんだって思った話をすると、実況者B·Cは「いやみんな借りてるよ?」と反応
○実況者Aの妹さんはさらに過保護にされており、一人暮らしだったがバイトするより家に帰って来てほしいと両親から仕送りが増やされた話と、帰省のための新幹線の定期代も親が払っていた。
○実況者Aは自分の家が金持ちだとはしばらく思ってなかったが、実況者B·Cはそれに対して終始「金持ちじゃん!」「普通じゃないよ!」的な反応
多分細かい部分は違うけど大まかにはこんな内容で、自分も最初は笑ってたけど見返したらあんまり笑えなくなった。あんま大きい声では言えんし新幹線定期の下りとかはスケール違いすぎてあれだけど、奨学金や妹さんのバイトの下りはわりと似た価値観だったことを切り抜き見て思い出したから。
高校生〜大学生なりたてのころの奨学金のイメージ、頭がよかったら国とか大学とかが「お前もっと頑張れよ!」ってくれるお金、って感じだった(多分そういう奨学金も実際あると思う)んだけど、説明会行こうとして利子とかの話を聞いて初めて、「えっ返さなきゃいけないの?!」と知ってまず驚いたし、説明会は授業終わり残って聞いてくみたいなスタイルで、「じゃあめんどいからパス」ってすぐ思ってたら授業終わったあとわざわざ残る子が予想より多くて「大学費用足りない人って意外と多いんだな」ってことに次驚いたし、大学で仲良くなった自分と同じ“““普通”””の家庭の子だと思ってた友達が奨学金借りててまた驚いてしまった。その時初めて四年制の私立大学に通うことになっても奨学金の話なんて家では一切でなかった、普通だと思っていた自分の家のこと「中流の少し上くらいの家なんだ」と自覚したのを思い出した。
妹さんのバイトさせないで仕送り増やした下りも正直心当たりがあるというか、自分も親に遊びに行くと言えば充分お小遣いもらえたし、欲しい服とかも頼めば買ってくれたし、そういう生活のためにお金が欲しかったわけではなかったけれど、「社会勉強にやっておきなさい、合わなければ辞めていいから」って親に言われたのと「バイトしておかないと就活のときに書くこと減るぞ」って先輩から言われてなんとなくで始めたのを思い出した。私は実家暮らしだから一人暮らしの仕送りない分お小遣いある方なのかな、と軽く思っていたけど、同級生の中には実家暮らしでもバイトして家にお金入れなきゃ大学通わせてもらえない子もいたし、そのバイトをしなきゃいけないせいで授業出席危ういみたいなことも聞いて、上からで申し訳ないけれど心底気の毒に思ったのがめちゃくちゃ鮮明に蘇った。
思えば高校時代にもセンター試験の自己採点をクラスでしたあとで、「公立無理かもしれない、お母さんは私立でも大丈夫だよって言ってくれたけど…」と言って泣き出した片親の子をみんなが励ましてるの見て正直(泣くほどのことか?そんなに学費キツイなら入試とか頑張って奨学金もらえばいいんじゃない?)、って軽く思ってしまったけど、別にそれその子の家が片親だからとかじゃなくて、自分は公立はマストではなくて選択肢の1つって感じだったけれど、公立じゃなきゃ通わせられないって家もあるんだとその時気づけばもう少し違った心の持ち方があったかもしれないと思う。
話が逸れたけど、別に自分の家は特段に金持ちとかそんなではなく、それこそ都内のタワマンが〜とか高級車が〜とかそんな家じゃなくて、あくまで地方都市基準ではあるけど、それはそれとして私の中で親が子供の学費出してくれるのは当たり前のことだと思ってたし、公立だと親孝行だけど、私学でも悪くて「お金の掛かる子でねぇ(笑)」扱い程度、大学行かない選択肢はなかった。それが“普通”の家だとまだ心のどこかで思ってる自分がまだいる。実況者B·Cが「俺たちが普通だよ!」って強めに言ってるところで、ああやっぱり自分は普通じゃなくて物凄く恵まれてた方だったんだなぁ、と再確認して、同時になんか怖くなった。今あんまり他人の年収とか家庭環境とか学歴とかあえて訊かないくらいには大人になったけれど、いつかどこかでポロッと自分の“普通”に照らして話してしまいそうで怖い。
増田は、人口20万人ほどの地方都市で生まれ育った。いわゆるベッドタウンではなくて、そのあたり一帯の中心的な都市だ。
典型的な非モテとして生きてきたが、数学化学物理の成績だけは学年2位を争う程度に良かったので、高校3年生の後半になって初めて「女性に好意的に話しかけられる」というイベントが発生した。もちろん、理系科目の難しい部分について「教えて欲しい」というものだった。それまでの人生において散々、指さして「キモーい」などと罵ってきた人物もある程度は含まれていたが、自分は嘘を教えて彼女らの成績を落としたりはせずに、真面目に応じた。
そんな女性たちとの会話が日常的になってしばらくすると、その中の1人の女性と親密になった。数学がひどく苦手な反面、国語と生物とスポーツ全般が大得意という女性だった。スポーツ得意な人間というのは自分達を差別的に扱う者ばかりだろと最初は思ったが、そんなことは無く、自分は数学を教え、代わりに自分の苦手分野かつセンター試験(※当時の呼称)で大きな配点を占める国語を彼女に教えてもらい続けるという形で関係が深まっていった。
センター試験の3週間ほど前の、冬のある日。自分は風邪を引いてしまった。3日ほど寝込んで再び学校に赴いたところ、その彼女に「増田くん、風邪を引いたら『しょうが湯』で身体を温めるんだよ」と教えてもらった。早速2日間ほど飲み続けたところ、すぐに治った。
その後、自分は第一志望の難関大学(の理系学部の中で一番簡単な学科)に合格したが、その彼女は残念ながら不合格となり、第三志望の滑り止めのところへと進学していった。自分は合格したというのに悲しくて泣いてしまった。そこで完全に自信を喪失した自分は、人にモノを教える職業には絶対に就かない、と心に決めたのである。
互いの進学先は物理的にとても距離が離れていた上に、当時は携帯電話というものは一部の裕福な人間の持ち物だったため、その後は稀に近況報告をし合うだけの仲にならざるを得なかった。成人式で再会した時に聞いた話では、その彼女は既に彼氏を作っているとのことだったので「人生オワタ\(^o^)/」となった。高校生の頃は全く知らなかったのだが、男友達によればその彼女は「学年で一番かわいい」と評判だったらしい。そんな大物と数ヶ月間という長期間に渡って親密になれただけでも人生大勝利である。30歳の頃にはご結婚の報告も頂いた。自分は非モテの民なので、それ以降の人生においては恋や結婚の話は皆無だ。年収が多少高い程度では、婚活アプリ等を利用しても人生はビクとも動かない。
====
さて、40代にもなると身体にはガタが来るものである。風邪を引く頻度も上がってきた。その度にしょうが湯のお世話になって風邪を緩和させている。
今週も風邪を引いていたが、今回ばかりはしょうが湯を飲んでもなかなか緩和しない。「もしかして、しょうが湯そのものの効果は薄いのでは?風邪を治すには恋心が大事なのでは?」と思い至り、当時のことを思い出しながらこの文章を書いた。果たして、この風邪は治るのだろうか…?
すごい漫画大好きだけど(1万冊くらい読んでるけど)、人生変えるほどでもないなというのを、自分の体験を含めて、書いていきます。
もちろん漫画が自分の糧となってる(色んな事を追体験できたとか、知識の幅を拡げられたとか)という自覚はあります。
小学生の時のずっとサッカーやってたけど、スラムダンクの影響で中学からバスケ部に入った。
けどバスケ部も入ってみたものの、面白くもなかったので3ヶ月で辞めて、サッカー部に入り直した。(ちょうど日韓ワールドカップが開催されてた影響もあるけど)
けど、その性癖を人前に出すわけでもなく、彼女とかにも変な性癖を出すわけでもなく、ごく普通の性生活を送ってる。
ちょうど中学の頃に読んでて、矢野くんっていう男の主人公的なキャラがかっこよくて(女の子にモテそうな感じで)、服装とか行動とかちょっとだけ真似したりした。
結果、少しモテたりしたけど、所詮付け焼き刃で(通用するのは中学生くらいまでで)、社会人になったら自分の軸をしっかり持ってる人がリスペクトされる(モテたりする)よね。
これは漫画じゃなくてアニメ(ラノベ)だけど、センター試験2日前くらいにたまたま深夜テレビ見てたらバッカーノ!がやってて、めちゃくちゃ面白かったから、センター試験直前なのに全話観ちゃった。
ただ、意外と試験に影響なくて志望校に受かった。これでもし志望校落ちてたら人生変わってたかもしれない。
まぁ前日にアニメ観ただけで落ちるくらいなら、どうせ落ちてただろうし、あんまり影響はないと思われる。
・ピスはめ
これ読んで成年漫画にハマった。そしてそれがこうじて学生時代成年漫画を扱う書店でバイトしてた。
でもまぁそれは、ただの趣味でしかないし、そんな人生が変わったとかじゃないなぁ。普通に全然違う業界に就職したし。
■結論
漫画なんて、所詮娯楽でしかなくて、だいたいの人にとっては、人生なんか変えるほどの影響力なんてない。
てか、ハンターハンター読んで人生変わったってどんな人生なんだよ笑
ただ漫画家になったとか、編集者になったとか、中華一番!読んで料理人なったとか、本当に人生が変わった人はいると思うから、ちゃんと影響があった漫画って知りたい気持ちはあります。
もし、そういう人がいたら教えて欲しい。
既に学びたい事があるなんて立派だと思う
どんな分野か知らんが、将来役立つかどうかなんてその時になってみないと分からないし、そんなに考えなくて良いんじゃないか?
夏休みにいろんな大学のオープンキャンパスでも行ってみればいいよ
自分は獣医師だけど、動物好きと勉強好きと人の役に立ちたい気持ちと、あとは一生使える資格っていう打算的な部分があったわ
かくいう自分も、高1の頃なんかセンター試験が何かもよく分かってないぐらい進学に現実味感じてなかったな
そのうち嫌でも意識するようになるから、本格的に考えなきゃいけない時期までにいろいろ視野広げて見学しといたらいいと思うよ
頑張ってな