はてなキーワード: センセーショナルとは
水星の魔女の炎上を快く思っている節があり、自己分析のためにも。
予防線張っておきますが、一個人のお気持ちと憶測のオンパレードです。一般化しないでね。
同僚には小さい嘘をつくことが多く、隠れるのがちょっとしんどい。
最近は、彼女におるふぇんちゅを見せられた後、オルフェンズ本編を見せられようとしています。
助けてください。
百合に釣られて見始めて後半はみんなの成長に、大きくなったねぇッ〜〜;;マルタン〜〜〜;;
とキモオタの涙を流しながら毎週二人で楽しんでいました。
満足の最終回、ガンダムエースでの結婚明言で祝砲挙げられているのも何を今更と思っていましたが、
その後の電子版修正→小火→お詫び, 解釈の余地→炎上で、なかなか芸術点高いなと思い知らされました。
Twitter上で炎上の経緯を追っていたこともあり、モヤモヤがエコーチェンバー的に怒りの方向に向かっていった節もあります。
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1)現実で同性婚ができないのに、公式の表明で作品での結婚の表現が没収された
2)お詫びが由緒正しい同性愛差別の文脈に乗ってしまい、これを出してしまう無神経さ
3)超大型IPで同性婚・同性愛を扱ってくれるという期待からの失望
1)現実で同性婚ができないのに、公式の表明で作品での結婚の表現が没収された
フィクションでくらい結婚のお祝いさせてくださいよ〜〜〜!そっちじゃ全然アリなんでしょ?
きっと、男女カプだとここまで燃えていないですよね。この一因には同性同士で現実で結婚できないからがあると思います。
そもそも男女カプだとここまで明確な結婚表現をすれば、雑誌での文言修正もなかったのでは?憶測にすぎませんが。
同性愛者・両性愛者の中でも同性婚については意見分かれるかと思いますが、私は同性婚認められてほしい派です。
なぜそこまで結婚にこだわるのか。
結婚が分かりやすく祝福される関係であることに加え、強い社会保障のセットであり、
彼女と大きな共有財産を持とうとしたとき、結婚してないと法定相続人になれないんです。
良識的で娘を愛する親御さんが、娘の幸せを願っても同性パートナーと一緒になることを渋るには、
そんな法的な立場の不確かさがあるんじゃなかろうか。
現実には少なくない人が合理的かつ愛情深い判断で、男女カップルと同性カップルの
祝福のハードルを分けている、それが差別につながっているのだと感じています。
2)お詫びが由緒正しい同性愛差別の文脈に乗ってしまい、これを出してしまう無神経さ
同性愛差別の文脈にガッツリ載ってしまったために爆炎あげとるんかなと思います。
炎上前、作品内でスレッタとミオリネはすっかり家族になっていたと解釈していました。
お詫び文から、彼女らの関係を匂わせだけで売り出そうとしていた!?→クィアベイティングだ!と爆発した次第だと。
正直、マイノリティでなければ・マイノリティの問題に関心がなければ、匂わせが火種になるとの考えには至らないかも。
クィアベイティング批判自体も、ものによっては言いがかりでは?という立場です。
でも、女同士が花嫁花婿というセンセーショナルさで売りながらこんな脇の甘さ、これが燃えないとお出しすること自体、
ほんと当事者には興味ないんだなと思わされたのがイライラポイントです。
そもそも、狂ったオタクどもは何をせずとも推しカプを醸造できるのだから、
他カプで商売したかったら結婚は撤回せずに、何食わぬ顔で全カプに媚び売っとったらよかったんや。
なんでそこ変に誠実になってるの?その誠実さは怖いんよ。
3)超大型IPで同性婚・同性愛を扱ってくれるという期待からの失望
大袈裟ですが、ガンダムで堂々と同性カップルハッピーエンドを扱うことで、世界が変わると信じていたんです。
あわよくば他のエンタメに波及して、悲恋や考えさせられる止まりの作品だけじゃなく、
(アニメに詳しくないので、今どき全然アリますよってのならごめんね)
頭お花畑ですが、エンタメの力を信じているので娯楽作品全体での雰囲気が変われば、
現実世界の同性愛者もほんの少し生きやすくなると信じているんです。
それほど水星の魔女のラストは最高でしたし、ガンダムの威を借りたかった。
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以上、感情的に書いてしまいました。稚拙な文章で伝わったか不安です。
ピンと来てない方はそもそも差別じゃないでしょと思うかもしれませんが、
一当事者としては差別的な流れだと、根底にホモフォビアあるでしょと受け取っています。
声をあげても社会は変わらないし、これだから声の大きいLGBTはと思われて終了。
虹やピンクのフラッグなんてダサくて掲げたくない等々思いもします。
実際にはほぼ声上げずに、楽しくひっそり生きています。
でも、静かにしていることで、10年後も若い同性愛者が同じようなモヤつき、
同じような肩身の狭さを感じていると嫌だし、申し訳ないとも思います。
正直溜飲を下げるためですが、願わくば、喉に刺さる小骨のような生きづらさを少なくしたい。
怒ったところでこの先生きやすさを獲得できるのか、不安ではありますが。
今回の炎上に私も乗っかりましたが、
たくさんの人が差別的だと怒ってくれるとは思っていなかったです。
SNSの特性上都合の良い意見が見えがちでしょうけど、心強かったです。
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一オタクとして「もしかして、”配慮”から表現が抑制されているのでは?」という疑念が芽生えてしまったのが残念でならないです。
ほんと、この炎上がある前は1000億点満点に楽しめて、作品自体は今も最強です。
オタクのレズとしてすっごく嬉しかったのが、ミオリネとエリクトとの関係が良好だったこと。
パートナーの家族に家族として受け入れられるのが、どんなに心強くて嬉しいことか。
制作者はそれを分かって表現していたんじゃないかと思っています。
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火も落ち着いたかと思ったら、乾いた松ぼっくりがくべられましたね。
なんですが、完全に公式がまいた「解釈の余地」で悪い方にも捉えられるのが残念。
まきびしかな。
「結婚に固執」「【結婚】という表現じゃなくて【パートナー】」とツイートしてパチパチと爆ぜていました。
大野氏自身は、公式スタッフの同人誌に対する反応に苦言を呈しているだけのつもりと思うのですが、言葉選びがやばいですわ。
黒人主人公の映画制作スタッフが、文脈を知らずにAll lives matterを掲げちゃうようなアホさだろうか。
大人数で仕事していれば、悪意の有無に関わらず差別的な表現をお出ししてしまう人は発生するでしょう。
会社なりが建前でも”政治的に正しい”姿勢をとっていることで、作品・スタッフが差別に加担のレッテルから守られるのですが。
そもそも、今回の騒ぎは順序が逆ですね。
ほんと、なんでこんなに脇が甘いんだ…
これ脇が甘いんじゃなくて、作品を売り出す側の芯が無いのかな?
ネット民がバカだからではなく、どんな賢い集団でもインターネットで話していると、そうなる。
インターネットのどんな特徴がそうさせるかっていうと、現場に直接居ないってことと、バズりが存在すること。
目の前にクズのKKOが沢山いる状況だったら、まあどんなにオジがキモくても「こいつら全員殺そう」とは言わない。「中にはいい人もいるけど」が絶対に入る。だって目の前に、ほんとに中にはいい人がいるもん。
これは発言するやつだけじゃなくて、聞く側もそう。「中にはいい人もいるからダメだろ」が自然に出てくる。
インターネットはそうじゃないからね、現実を確認しないままに、極端な意見が出やすい。
もういっこ、バズりがあるってのは、極端なことを言うことにインセンンティブがあるってことだ。
現実で話してるときは、バズるかどうかは関係ないんだ。どうせ言葉は声が届く範囲にしか届かない。センセーショナルなことを言う意味がない。
ネットはちがう。センセーショナルなことを言うと、それだけ声が届く範囲が広がる。
台湾人の卓球選手と結婚して子を二人なしていた福原愛さん、不倫して離婚することになる。そのとき子の親権は「共同親権」とすることで合意。
2人の子(姉と弟)は夫側の元で養育される。これが2021年の話。
そして2022年夏、福原さんは夏休みの間一定期間子供を預かるため台湾を訪れる。
弁護士警察官立会いの下で面会がなされるが、夫側が2人の引き渡しを拒否、福原さんは泣く泣く弟一人だけ連れて日本に帰国。その際夫はメディアを使って福原さんを猛バッシング。いわく「誘拐だ」と。
その際福原さんも週刊誌を使って反論、ちょっとだけ世間を騒がせた。
その後1年近く世間に向けては音沙汰がなかったのだが、つい先日の7月27日夫が記者会見を開く。
そこで語られたのは1年たっても福原さんが子供を返していないこと、埒が明かないので東京地裁に申し立てた結果7月20日に引き渡し命令が下りたこと、それでも返す気がないなら未成年者略取で刑事告訴も検討していること、だった・・・。
まあこんな感じで結構センセーショナルな事件なわけだが、はてなでは全く話題になっていない。
ヤフコメですら5000コメ以上ついていて、そのほとんどが福原愛を非難するものだ。
民事の話でお互い言い分があるだろうから、ヤフコメ民のように安易にどちらが善い悪いと騒ぐのはどうかと思うが、話題にもならないのもどうかと思うよ?
ハーグ条約や行政、司法の対応、現行制度の問題点、メディアを使って応酬することの是非など、ただのスキャンダルではなく社会問題として語られるべき論点も結構あるはずなんだが。
単独親権肯定、連れ去り容認、母親無謬主義者が多いはてなーにとってあまりにも都合が悪い話題だから触れられないのかなと穿った見方をしてしまうよ。
あの事件のやばいところって、日本人の若者による繁華街での白昼堂々の強盗事件っていうところだけじゃなくて、第三者の撮影によって犯罪を防ごうとする善良な市民が危険にさらされてしまうことが周知されてしまったことだと思う。
もし自分があの状況にいたとして、撮影者と通報している女性とどちらになりたいって言われたらどちらを選ぶ?
どちらでもなくて何もしないでもいいよ。
でも、少なくとも通報している側にはなりたくないって思わなかった?
何が言いたいのかというと、犯人をどうにか閉じ込めようとしてドアを締めたり、撮影者に促されて110番通報して状況を説明しているであろう女性にしてみれば、逆恨みの危険性はあっても何のメリットもないということが皆に伝わってしまったということ。
犯人がどんな行動を取るかわからない中で、あの至近距離で色々と何とかしようとしていることは本当に勇気があるし素晴らしいことだと思う。
でも、だから何?という感じ。
警察から報奨金もらえるならまだしも、表彰されたって何の得にもならんでしょ。
それどころか、映像がセンセーショナル過ぎて何度も何度も繰り返し流されることで、無意味にひと目に晒し続けられることになってしまっている。
テレビでは今でこそモザイクがかかってるけど、SNSにアップでもされてたらそれを消す手段なんてないに等しい。
撮影しているから当然ではあるけど自らの姿は一切見せず、酷いのは撮影している途中で女性から「110通報しましたか?」みたいなやり取りがあって、「まだです。お願いできますか?」って答えてるところだ。
この人にしてみれば犯罪がどうこうよりも、この動画が金になるか、少なくともバズることがわかってて110番のために撮影を止めたくなかったわけだ。
まんまとあの中では一番安全な位置から動画撮影をつづけてそれが使われまくって、お金やら承認欲求やらを満たしましたとさ。めでたしめでたし。
とはならんでしょ。
この動画のせいでこの女性がどれだけ危険に晒される結果になってしまっているのか。
結局何が言いたいのかというと、こんな動画を見させられ続けたら、自分は通報する側になんてなろうと思わないだろってこと。
いつどこで自分を含んだ動画が撮影されていて、撮影者の承認欲求欲しさに無断で使われたって文句の言いようがない。
それがどういう未来になるかというと、目の前で犯罪が起こっていても、カメラが気になって自分ではアクションを起こせなくなる=犯罪の発覚や発見が遅れる=犯罪の成功率が高まる=犯罪が増えるってことだよ。
「撮影されることに躊躇して行動を起こせなくなる」っていう状況は今までだっていくらでもあっただろうけど、これをきっかけにどんどん増えることになるだろうね。
目の前で犯罪が行なわれていても、何もせず素通りする人ばっかりになるってことだよ。
その一瞬の躊躇でどれだけ生死の分かれ目になるか計り知れないけど、それで自分が死んでも助けようともせずにレンズを向けてる人間に「仕方がないね」って言えるならいいよ。
あれほどすぐ目の前で犯罪が起きてたなら、助けるか逃げるかのどちらかであって、撮影に徹する行為は大いに批判されるべきだ。
少なくとも、自分は撮影者のことをとてつもないクソ野郎だと思っている。
人間関係に疲れてしまって、そこには何も残らないかもしれないという不安だけが残ったので仕方がない。書くか。という細い支柱がにょきにょきと生えた。掴まるものがそれしかないので私はそれに触れることにした。
人間を整理する。近づきすぎた花のうちどちらかを摘む作業と同一視したい。
A…友人。今回一番派手に揉めた。怒らせた。失望させた。裏切ってしまった。
C…友人。受け止めてくれたと思っている。だけど実情は違うのかもしれない。
D…友人。Aの隣で私を叱ってくれた。でもどうしたらいいかわからない。
E…友人。話をしてくれた。信じてくれたならいいのに。
F…先輩。彼は私の何であるつもりなのだろうか。定義とは、実情より優先されるのだろうか。
右手の指輪と左手のヘアゴムが絡むほど祈ったら、きらりと光った薬指だけがいやに大人びていて気色が悪かった。私はまだ大人ではありたくなかった。
Bと喧嘩した。
Aに相談した。すっかり別れる気でいたから、きっとその気で話して、その翌日にCにも同じような話をした。AとC、彼女らは態度さえ違えど私の幸せを考えているのだと言って、私の恋人に別れを告げることを賛成してくれていた。
その翌々日、Bと会った。好きだと思った。もしかしたら好きではないのかもしれない。それは常に胸の中にあって、姿を見たときにも自分を疑った。でも別れることなんてできないと、強くそう思ってしまった。アドバイスでどうにかなる柔軟さを世界に置いてきてしまっていた? どうだろう。今となっては、という話になる。
私は散々話した別れ話の構想をなしにすることをAに告げた。彼女は怒った。当然かもしれなかったが、血縁以外で初めて明瞭な怒りを投げかけられて、私の頭の中はゆっくり真っ白になって、そこまで怒ることだろうかと思った。彼女が常々言っていた言葉を盾にして自分を守ろうとした。
そしてすべての思考が同じような緩慢さで停止した。
ゆっくり失われる世界の詳細と相反するように「私」と「他者」の境目が、気持ちいいほどはっきりりとしていくあのセンセーショナルな心象風景は衝撃的だった。
地平線すら脱落した白い世界で、「私」だけが太いマジックペンで縁取りされて、あらゆる色彩の侵入を阻んでいるさまを、当事者の私すらもなぜか他人事のように見ていた。
わたしという人間が誰かの意志を無下にすることがまるであるべき形みたいだった。
彼女が私にくれた言葉はもったいないほど長く、それらはスクロールするにつれどんどんとつらそうになっていた。
そして恥ずかしいことに、そこで初めて彼女を傷つけたことに思い至った。悲劇のヒロインに身を沈めようとしていることを痛烈に批判されていると感じた。(AとCからすれば、というかすべての友人と呼称していた人間たちはみなとっくにそう思っていたのかもしれないが)
Dが、ひどく憤慨していた。傷つけた、というよりはひどい迷惑をかけたのだと思う。
私も泣いたし、彼女を泣かせるような関係を持っていたのだから。
この中で一番長い関係を持っていたのに、固定化されてだんだん固くなっていた関係は割れてしまったのだろうか。もう水はひび割れから抜けていくしかないのだろうか。
Cは何も言っていなかったが、Aの返事を受けて私から急いで謝罪のメッセージを送った。Cはあなたの人生だからどうも思っていないというある種ひどく軽く透明な返事をくれた。
悲しく、安心した。不注意で鍋を触って赤くなった指先を溜息と一緒にさっと冷やしてもらえたような印象を与える言葉選びだった。
後にこの印象はひどく揺らぐことになるが。
私はすっかり複雑化した友人関係の中で声を上げないことを選んでいたから、話ができて本当に、心から嬉しかった。あえてひどい言い方を憚らなければ、餌を与えられた気分だった。
彼女はフラットに、やさしい言葉をくれた。豊かでやわらかい言葉を使う人だと常々感じていたから、変わらない感触をくれたことに対して私はひどくわがままに解釈してやさしさを受け取っていた。
愛おしかった。
そのあと、Aから話したいと連絡をもらった。いつも私は与えられてばかりいる。
嬉しくて、でも何を話したら正解を選ぶことができるのかなんてことばかり考えてしまって嫌になるうえに私にとっては以前話したことがすべてだった。
すべてだったから、これ以上どんな言葉を発することが正しさと結びつくのかは理解できなかった。
これが今までの出来事だ。
そしてもう一つ同時に進んでいて、書かなければならないと思ったことがある。
書かなければ抱えきれないと思ったことがある。
私のための文章に、さらに自分勝手が混ざることを注として付さなければならないと思うほど横暴な話である。
主人公はFだ。
彼は、この話の中で私が唯一男性三人称を用いる相手で、私という人間に様々な側面から好意を抱いたままの異常な感性の持ち主である。
Fは今回の件については全くの外野であったはずだった。
しかし、CとF、そして私と恋人のBは同じ団体に所属しており、半年ほど前に私とBが揉めたことをきっかけに連絡を取り合っているようだった。その流れでCからFに今回の件が伝わったようだった。
その事実については私は問題だとは認識していない。Cが私によってもたらされた悪感情を消化するための手段は誰にも阻まれるべきではない。
Fは、Cから話を聞いたことを隠して、私にメッセージを送ってきた。
正直、(これまでも自分や相手に対して自己表現と防衛のために必要な修辞を伴いながらも可能な限り正直に記述してきたつもりだが、この件に関してはより剥き出しな「感情」を用いて、)部外者が不必要な口を突っ込むことがひどく不快だった。
Fの記述曰く、
「Cは半泣きだった」
「Cを責めないであげてほしい」
ということだった。
調子のいいことばかりだった。
Fの、まるで訳知り顔という態度も、本当はCが参っていたのか、それとも話しぶりがFに誤認させるようなものだったのかわからないという事実も。確かめられていないが、とにかく双方の印象が異なるのは非常に不快だった。
2人とも自分が正しいような顔をして、どちらかは確実に嘘をついているのだから。それがたとえ誤解だとしても、誤解のまま私という私ーB関係の当事者兼CーF関係の部外者とのコミュニケーションをとることを選んでほしくなかった。
これまでの経験上、2人とも印象や偏見で話すことがないとは言い切れない。だからこそ「嫌」だった。
Cについては、たとえCとFの記述が両方正しいとしてもその内情が一部理解できた。ひどく衝突して怒りを向けたAと今の私が向き合えないと知って、逃げ道の役割を自分から引き受けてくれたのだとしたら、本当にひどいことをしたという自覚は生まれる。そしてCの苦しさはある程度察するものがある。
ただ、一つだけ。C自身が「私に責められた」という内容の発言をしたのなら、それは、当時の私の発言がひどく拙い故だったのだろうが、本意ではないことだけは知らせたいと思った。
Fについては、普段から私が関わった事実の誤認が激しいという印象を受けていた。
私とFの関係性を「友人」というラベリングを行うことで実情を無視してひどく親しげに振舞うその姿勢は、普段の人間活動の上では真人間には見えているギャップも相まって恐ろしい精神的な問題を持っているのではないかと邪推してしまうほどだ。(もしかすると、私という観測用レンズがひどく歪んでいるのかもしれず、その可能性は決して低くないが)
とにかく、彼とCについての問題は解決するにしても慎重な対応が必要だと思ったし、本質から外れていると思った。
話は以上だ。
私が悪い。これだけは覆しようのない事実として私は認識している。
ゆえに、これが成立したままで遍く問題が解決すれば万々歳なのだが、そう思っている。
それでは、また明日。
明日が来る私より。
不快になる事しか書いてないし、支離滅裂な文章なので頭がおかしくなりそう!
コロナがついに5類になる。
医療者側の渦中の人間だったので、正直世間の人たちの意見を意図的に見ないようにしていた3年間だった。
なんでかと言うと、余りにも自分たちのしてる事が馬鹿馬鹿しく、そして虚しく感じてしまうんじゃないかと怖かったから。
渦中から外れた今、5類移行を前に様々口汚く罵る人々をアレコレ見られるようになって、「仕事してる時に見なくて本当に良かった〜」と心から安堵している。
ちょっと心は折れたけど、アル中にも借金まみれにも性病にもならず、何となく生き延びることができた。
関係ないけどいま梅毒がやばいので、風俗行ったり知らん人とやりまくる人は一回検査してくれ。ウン10年後が怖いから。妊娠してると堕すことになるから。早めに治療したらちゃんと治るよ。
まぁ梅毒なんかはどうでも良い。
個人的には感染対策も、ワクチンも、各種支援も、このヤバめ未曾有の超災害に対してみんなわりとかなりけっこうずいぶん頑張ったように思う。
ズタボロの雑巾みたいになって働いた医療関係の人たち、私も含めて超お疲れ。
これからはのんびりスローライフとまでは行かなくても、もう少し心穏やかに仕事ができるようになると良いよね。折れた人はもう休んでくれ。
でも多分こう言うふうに言えるのは私が医療者側だったからであって、コロナで散々苦しめられた学生観光飲食エンタメなどに関係する方々からすると、医療職ってもはや『敵』というか『自分達をコロナで苦しめた諸悪の根源』になってるんだなぁと、しみじみ思った。
医者がああだというから、保健所がこうだというからという強制力のもとで散々抑圧された市政の方々からすると、それもそうかーと言う気持ち。
ごめんねってここで謝ったところで、何の意味もないし、何に謝っているのかもわからないんだけど、辛かったろうなと言うことの傾聴はできる。
できるかな?仕事だと言われるとやれると思う。悲痛な面持ちで頷きながら、手を握るくらいなんてことないぜ。
でもそうなるとむくむくともたげてくるのが「私たちがやった事ってわりと無駄だったな」「そこまで頑張らなくても良かったんだな」という考え。
日本は7万人くらい亡くなって、致死率0.2%くらい。
らしい。いまHP見てきた。
厳しめの感染対策と日本人の潔癖さと村八分文化と医療者の頑張りとあとなんか他にも色んなものが様々に絡み合って、出来た結果だと思う。
でもコロナ禍が過ぎて、こんなに医療職が馬鹿みたいに叩かれるなら、もっと対策は緩くして良かったんだなーとしみじみしてくる。
アメリカもロシアも致死率1%以上あるから、別に日本もその水準でなーんも問題なかった
単純計算すると5倍なんで、35万人くらいは亡くならないと他の国と釣り合いが取れない
あれこれと苦しい思いをして必死になったのがばかみたい
今私の頭を占めてるのはそんな考えばかり。
なんか今日胸糞悪い記事とニセ科学記事を血眼にして読み漁ったので、鬱屈とした気持ちが占めてるせいだとは分かってるんだけど。
こんな事は違いますよってのも、感謝してくれてる人もいるってのも知っておりますが。
でも酸素化が85%とかになって苦しいよ〜ってやってる人を、どうしようどうしようって思いながら治療する必要なんかなかったし、食べ物がないんです!と喚く人たちに、配食をあくせくしながら届ける必要もなかった。命ギリギリの人たちにごめん、もっと早くなんとかしとけばよかったよーって泣く必要もなかった。あれも、これもみーんな無駄。
老若男女、等しく5倍の人が死んで良かったのだと思うとなんか全てがあほらしいなーと言う気持ちがいっぱいになるわけです。
でも多分死ぬのは主に金がない人たちに超偏るんだろうなというのも頭を掠める。それはなんだかな。めちゃくちゃ腹立つな。私も貧しい側だから死ぬし。
でももっとたくさんの人が悲壮感たっぷりに死ねば、いちいち強制的に規制なんてしなくても、自発的に色んなものが少し自重ムードになって、こんなに憎悪の連鎖にはならなかったのかもしれない。
お得意の村八分文化で感染者を自殺に追い込む事はできたじゃないですか。なのであんな感じの対策で良かったんのかもしれない。
イベントもそのままやれば良かったし、飲食店も閉めずにそのままでいたら良かった。
次亜塩素酸ナトリウム噴霧しながら、クレベリン舐めて塩のかかった⚫︎コー⚫︎飲んでおけば治るんですよ。はっ倒すぞ。
病院は患者が押しかけて資源の奪い合いになって、多忙で鬱になる医療者がどんどんやめて医療は崩壊するけど、医者はともかく看護師なんかウジみたいにいっぱいいるし、時がたてば何とかなるんじゃない?
ならねーよ。後輩みんな鬱と不眠抱えてんだぞふざけんなよ。転職できた子はめちゃくちゃ明るくなってたので、それはめちゃ良かった。健やかに生きてね。
今はそんな気持ちでいっぱいになってる。
市政の人たちは医療者の事、嫌いだろうと思うけど
少なくとも私も市政の人たちのこと大嫌いなので、安心して欲しい。
口汚く罵る人はもちろん地獄に堕ちろって思ってる。
あとは上っ面でブルーインパルス笑を飛ばしたり、テキトーなイルミネーション点灯して「医療関係者にありがとう!」とかしてた奴らはもっと唾棄するレベルで嫌い。
本当にきつい時に、他人の自己満足の餌にされたことは一生忘れない。
なおブルーインパルスを操縦した人は悪くない。
でもそれを企画立案したやつも、それに金出したやつも磔⚫︎斬⚫︎にしろと思う。血を流せ。畑を血でみたせみたせみたせ。フランス国歌もそう言ってるだろ。苔むしてる場合じゃないんだよ。
金と休暇以外に欲しいものはなかったけど、それは絶対にくれなかったし。
漠然とした上の連中が、この3年間で何を考えて、私たちに何をしたのかは忘れないでいようと思う。
具体的にいうと選挙に行く。あと有給を取る。手札が少なくて泣けてきちゃう。転職がんばろ。
あとはネットでよく見かける「つよいくちょうのいしゃとかんごし」これも嫌い。
嫌いというか愛憎入り乱れてる。
たしかに良いぞもっとやれって思う時もある。もっと無知蒙昧で下劣で低俗な市民をボコボコにEBMがちがち正論で殴ってしまえと。スカッとするし。
でも結局センセーショナルな文言で煽るようなことを言っても何も解決しないのと、結局他の善良で草の根ネットワークな医療関係者を背後から撃ってることになるし、なんなら私も攻撃受けて辛いので、マジでやめろやという気持ちに落ち着く。
頑張ってるのに患者や市民にリンチされてしまった結果、世間に怨嗟を撒き散らすことになってしまった悲しい乙事主である事はわかるんだが。頼むから美味しいもの食べて、寝て、楽しいことをして、いかりをしずめてくれ。あなたたち、つかれてるのよ。
というか今ここで恨みつらみを書き連ねてる私も同位体なわけですけど。つらみー。
OMIさんがもうそれはそれは散々な罵倒をされてるが、あの人の凄いところはそれを絶ッッッッッ対に怒りで返さないところ。対話をしつづけるところ。まじですごい。
私みたいな底辺クソメディ野郎はもちろん、各方面の優秀なオイシャサンたちまでもが、感情むき出し祟り神モンスターに成り果てていく中で、静かにわかりやすい形で啓発・説得を続けようとするの、これは本当にすごいことなわけですよ。
何なんあのメガネって思ってる人も多いと思うんだけど、まともなことを怒らずに淡々と言い続ける人はまじでとんでもねー人なんで、30年後とかにめちゃ余裕が出て慈悲の心が沸いたりしたらインタビュー記事とか読んでみてください。めっちゃ心を砕いてどうしたらいいか考えて、頑張ってるんだよ、分科会の人。政府はろくに聞きませんでしたけども。ナントカ医師会とかナントカゲカ学会の人なんかより5億倍くらい頑張ってるのは知って欲しい。
とりあえず5月8日が待ち遠しいような、でも別に私の職場何も関係ないような気もするような。
医療関係者なんか来世には絶対選ばねーよと思いながら、転職を頑張ろうと思う。
みんなおつかれ。
なんか罵倒コメントでもついてるかなという戦闘的な態度で見にきたら、普通にやさしいコメントついててびっくりした。ありがとね。
でもさ100のヨシヨシと1の膝蹴りだと膝蹴りの方が脳内を占めない?
世界が全て膝蹴りしてくる人に見えてこない?認知の歪みなんだけどさ。そんな時もあるんだよ。
そして市井の人とノイジーマイノリティね。
おぼえたよ、ありがとね。
啖呵切った部分で誤字ってるのは公衆で恥部を晒しているのに等しいが、覚えるために残しておくね。
Twitterで怨嗟の部分だけ切り抜きされてて、それも羞恥心に駆られました。冷静になったら負けだ。
これは公衆便所の落書きと同じなんで、こんなもん真剣に読まんで寝てくれ。もし寝れないならKUTSUNA先生のYahooのやつを読むんだ。50億倍役にたつ。
そしてなんか凹んでる人達へ。こんなもん読んで罪悪感とか悲哀を感じないでくれ。職業選択の自由において大いなるハズレを引いてやがるざまぁと嘲笑うくらいでいいんだよ。私もそう思ってるから大丈夫だよ。
海外の医療者の人へ。なんなら海外の医療者のが本気で死ぬ思いで悲惨だったろうと思う。マジでマジでお疲れ様。海外はたぶんワクチンと文化と政治が絡み合ってあの感染者だから、何かとてつもなく巨大なものに押し潰されるような恐怖と戦ってたのかもしれない。英国とかの病院の廊下で患者が死ぬ話とかもはや戦時中だよ、考えただけで胃が捻転する。
医療職の何が大変なのか理解に苦しむ人へ。職業に貴賎はなく、どの職にもそれぞれの苦労やつらさはあると思う。現場で胸が苦しくなる場面が体験したければ、NHKのエマージェンシーコールって番組見てみて。風呂場で血まみれで冷たくなってる妻を、夫が震えながら心臓マッサージする場面(だったと思う)が出てきます。例えるとそういう類のものです。
『接遇気をつけて♡』ってうちわ持って振りたいやついるよね。うちの職場の人にもぜひやってくれ。
WHOとかいう組織のフグの毒みたいな名前の人が緊急事態宣言を解除したみたいで何よりです。
何がよかったのかといわれるとわかんないけど。
撲滅してないし、何かの感染症の流行り廃りは続くので、少年漫画の打ち切りのラストみたいな「私たちのたたかいはこれからだ…!」みたいなのを延々続ける羽目になるのだ。完。
本も論文も何でもそうだけど、1個のソースから知識を得ることに対する心配がある
ある程度センセーショナルなことを書かないと売れないし、著者がトンデモであるケースもザラだ
特に未だ自分が知らない意外な知識なんて言うのは、真実である可能性が5割を切ると思う
だってそんなのニュースになるかYouTubeにまとめられるかするじゃん
たまたまその著者が知ってるなんてことは本当に少ない
もちろん解説書、教科書、何かのまとめ、指南書、読み物、エッセイ、創作などはその限りではないけど
ほんと信用してないなと思う
この話題に関わる気は無かったのだが、すれ違いの核心に触れるコメントがあったので意見する。
[B! 増田] サイボウズ社長「テロは問題に向き合わなかったからだ」⇐おかしい へのコメント
kotetsu306 「鍵をかけなかったから泥棒にあった」を「鍵をかけてないなら盗んでいいのか!」と拡大解釈するバカ。もちろん盗むのは悪に決まってるが、それはそれとして戸締まりはしようぜって話
いわゆる「テロを肯定すんな」に批判的なひとたちは誤解してる。
確かに、鍵をかけないことと盗んでいいことは完全に別の話だ。テロきっかけで統一教会にセンセーショナルにスポットライトが当たったからと言って、元首相の暗殺まで肯定されるなんて事にはならない。
無敵の人の立場になって考えてほしい。いつもクラスの隅っこにいて腹を割って辛さを相談できる友だちもいなくて、ネットで信頼関係のない赤の他人に話すにしても、自分の感じてる被害感が特殊過ぎて無下にされてしまう。仲間もいないから当然影響を与える政治力もないし、カネもないし、人間的魅力もない。世界に影響を与えられどのような力も持ってない。孤独な人生を通してじっくり浸透させてきた学習性無力感を晴らして事態を打開するために、何か、超強力な一発逆転の手段は無いか? 何を捨ててもいい、どうせもう失うものなんてない、、、 そんな風に思い詰めてる最中に、『もちろんテロは悪いけど、テロをするだけの理由はあった』『もちろんテロは悪いけど、テロに追い込んだ元凶がある』『もちろんテロは悪いけど、それとは別に原因をなんとかしなくちゃならない』。ネットのみんなが熱心に話題にして、ニュースでも大々的に取り上げられて、ついに国が動いて。世間に、今までの硬直状態を打破する、まったく新しい流れができた。テロが無ければ絶対にこの流れは生まれなかったのは、多くの人が合意してる。
たしかに、結果の肯定は手段の肯定とイコールじゃない。そんなのはマトモな判断力の持つ大人なら誰でも理解してる事だ。
テロが魅力的で有効な最終手段だと思わせてはいけない。鍵があいてたら泥棒は入るんだよ。善悪で思い留まるならそいつはそもそも泥棒にはなってない。自分視点の正しさをテロリストにまで拡大解釈するな。想像力を持て、って話。
テロ再発防止のため
VS
「テロは主張を通すことが目的なのだから動機を広く公表すべきではない」
あなたはどっち派?
根本原因があるなら解決すべきだが、やり方がおかしい、広く公表する必要なんてない
安倍さんの事件後テレビでセンセーショナルに報道され、政治も動き、結果的に山上の主張を実現してしまっている
統一教会を擁護する気は更々ないが、結果を見るとテロリストの主張が通ってしまっている
個別に考えるべき、との意見もあるが、少なくともテロリストの主張を通すことを避けて個別に考えることに失敗していることは事実
暴力事件を起こしたらメディアで自分の主張に賛同しかせず、自ら何もしなくとも識者や政治が動いてくれるという実績ができたことは事実
この責任はどこにあり、誰が取るのだろか
岸田事件の後のメディア関係者やカルトに詳しいとされる弁護士、ジャーナリストのコメントの無責任さに呆れるばかりだが、前者の意見を持っている人からはまた違う世界が見えているんだろう
給食っていっても高校の食品科っていう食の専門科目生の自主性から始まったやつで問答無用で食わされてるわけでもない、配慮も行き届いてたし、試験試食会とでも言ったほうが妥当なやつよ
一般的にイメージされる「給食」とは違うものを報道がセンセーショナルなイメージつけたいがために煽ってる感じするしそれにパンピーが乗っかってヒスってるだけの頭悪いやつよ
はてなーって文系学問持ち上げるわりに参考文献載せてない動画を持ち上げてここはやっぱりだめなんだなって思った
俺の世界史チャンネルとかも一切参考文献を載せてないし、たくさんいる最強のメラフォロワーの一人だし。
最強のメラは怪しい情報ソースを元に断定的かつセンセーショナルな動画を作っていたりするので界隈では昔大分批判されている。
https://dic.nicovideo.jp/b/a/%E6%9C%80%E5%BC%B7%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%A9/1-
・彼は中立的に書きたいと主張しているが、功績については触れられておらず、個人の感想も多く含まれ、結果としてマザーテレサを貶める記事になっている
・そもそもマザーテレサの立場について誤解している(これは選んだソースが悪いかもしれない)
・その結果初心者向動画としては不適切。マザーテレサへの誤解しか生まれていない
後ゆっくり動画に関しては以下の問題が取りざたされてるのも知っておきたい
https://togetter.com/li/1754186
『食の雑学』は、チャンネル開設後1年足らずでチャンネル登録者数が10万人を軽く超え、急上昇1位にランクインするなど、ゆっくり解説者の中でもひときわ目立つ存在であった。しかし、その投稿内容については、雑学という名前とは裏腹に、過激なものも含まれており、一部で物議を醸していた。また、当該チャンネルは最近まで一日2本という驚異的なスピードで投稿を続けており、他のゆっくり解説者からは不思議に思われていた
https://coconala.com/requests/615440
上記は「ココナラ」というサービスにおける、ゆっくり解説の外注のうち最も初期のもののひとつである。成果物の例として『食の雑学』のYouTubeチャンネルのURLが張られているのがわかる
ちょっと前にゆる言語学ラジオが炎上してたけど、このあたりのゆっくり動画にはそれどころじゃないひどい動画で溢れてるというのが現状である。
特に俺の世界史あたりは人の動画を勝手にパクるので知的誠実どうかの以前の問題である。
文句いうばっかりだとあれなのでちゃんと参考文献を上げてるYoutubeチャンネルを上げとくと、
動画じゃなくてライブなんだけど、例えば以下のライブは大寧寺の変に対するトーマス・コンランの天皇行幸という新説の論文を解説している。
https://www.youtube.com/watch?v=CSimkIo9JXk&t=12100s
産業化した知的誠実性の欠片もないゆっくり動画じゃなくてもっとまともな動画に光が当たって欲しい。