はてなキーワード: セクシャリティとは
小生は30代後半のおばさんである
女の子と付き合ったことがないということに物凄くコンプレックスがある
でも小生が小生(中年おばさん)として女性と付き合いたいのかというとそういうことではない気がして…
本音を言うとイケメン(またはフツメン)になって女の子とセックスしたり交際してりしてみたい
女性の出会いのパーティーに参加してみたことがあるのだが、普通にモテなかった
自分のセクシャリティはわからない ノンケなのかバイなのかレズビアンなのか、それともジェンダーフルイドとかいうやつなのか?
小生が女性としてモテないからこんな気持ちになるのか?と思って、若い頃は男性と交際してみたり、思い切って女の子っぽい格好して不特定多数の男とやりまくってみたりしてみたこともあるが治らなかった
数日前から「BLGL愛好家は同性婚の支持を!」「版権キャラにレインボーフラッグを持たせて何が悪いの?」等の話題が各所で散見されていますが、「当事者置いてけぼりの空中線になってるな」という印象です。こういう流れを見る度に、正直かなり腹が立っています。
ちなみに発端になった同性婚自体に関しては、「私自身は婚姻関係に興味ないけど、望んでる人たちが権利を享受できるようになったらいいよね」と思っています。
で、何がそんなに腹立つのかって話なのですが。
そもそも今世間で巻き起こっているLGBTフレンドリー活動は、お金儲けや企業のイメージアップとして利用している側面が大きい=マジョリティによるマジョリティの為のもので、そのムーブに適応できる一部の当事者しかピックアップされていない状況なんですね。
その中でも同性婚の話題は異性愛者にも感覚として伝わりやすいのでエモーショナルな注目を浴びやすく、それにより極端なセクマイ観が広まっていることに大変嫌悪感があります。
そしてタイトルの件。
人の性自認を「それはおかしい」と否定することはモラルに反しているとは思うのですが、女性オタクの中には別の問題から来る生き辛さを自分のセクシャリティに由来していると勘違いしている人が大勢いると体感しているのも事実です。
いわゆる一昔前に「生物学上は女」と言っていた人たちですね。
■ 性別違和は思い込み?実はそれ性別違和ではないかも…|https://iris-lgbt.com/blogs/gender_dysphoria
性別違和と混合されやすいのは、「男らしさ」「女らしさ」が嫌ってこと?という指摘です。性別という属性で「男らしさ」「女らしさ」を強制せずに、自分らしく生きていこうというのはもちろん望ましいことです。
ただしこのことは、性別違和のある感覚とはズレています(別の事柄ですから、同時に生じる可能性はあります)。
例えば「スカートが嫌」というとき、「スカートという女らしさを押し付けられるのが嫌」なのか、「男性なのに、女性だと見られるのが嫌」は違います。もし後者のように「本当は別の性別なのに、誤った性別で見られるのが嫌」だとしたら、きっと性別違和の強い状態なのだと思います。
上記のような混同をしている人が非常に多いように感じており、そういう人たちと我々は性質が全く異なるので残念ながら会話が噛み合わないし、SNSで見当違いの議論が発生しやすい状況になっています。
私はそれが非常にナンセンスだと思っていて、やるせない憤りを感じている訳です。
なので、「本当はセクマイではない」人たちが、共感力の高い(あえて悪く言うならば無知の)異性愛者を巻き込んで大盛り上がりしてるのは、実際の当事者は大分冷めた目で見ていますよ、ということを知ってほしいです。
匿名掲示板にいると、公式で同性愛展開があった作品の話題を1部の過激なヘテロのオタク(あくまで1部であって大半はまともであろう)が荒らしたり攻撃してくることがある。
普通に怖いな…と思っていたんだが、逆にこんな荒らし行為をする程同性愛要素に憎しみや侮蔑を持つ層がいるということは、登場人物が全員シスヘテロと明言されてる男女好き向けコンテンツを作ればああいう層にめっちゃウケるのでは?
公式で明言されてても同性愛二次創作は生まれるかもしれないが、公式棒でマウント取れて気持ち的には楽だろうし、人が集まりそうじゃないか?これは金脈では?と思ったが
よく考えるとわざわざ明言するのもそれはそれでああいう層の振る舞いからすると忌避されそうだな…
セクシャリティとかそういう横文字を見るだけで去っていく人種NO.1な気がする。
というかそもそも荒らしをするような層をターゲットにしてコンテンツを作るのって良くないかもしれないな…
そういうコンテンツってあるんですかね
”デミセクシャル(デミセクシュアル)とは、精神的なつながりを感じる相手に対してだけ、性的な欲求を抱くセクシャリティ(性的指向)のこと。 基本的には、デミセクシャルの人は性的欲求や性的興味を持たず、強い愛情や深い友情など精神的なつながりがある相手にだけ、性的な欲求を抱く。” https://ideasforgood.jp/glossary/demisexual/
ごく稀にコラムなんかで取り上げられているけれど、この紹介に対して「そんなん別にマイノリティでもなんでもない、その辺にいる、ごく普通」「自分がマイノリティと思いたいだけの、厨二病が作った概念」みたいなコメントがついていたりする。
確かに用語が多すぎるよなあ、とも思う一方で「人格を知らない相手にどれだけ性的な好感を持ちうるか」というのは実際、人により結構ばらつきがあるように思う。年単位の時間をかけて相手を知る必要がある、という人から、別に出会って3秒でセックスできる、という人まで。
あるいはもう少し知名度のある、アセクシュアル(他人に性的魅力を感じない)やアロマンティック(他人に恋愛感情を抱かない)も、「全く感じない」と言い切れるレベルの人はマイノリティかもしれないけれど、そういう属性をグラデーション的に持っている人は結構多いんじゃないだろうか。
要するに、「わたしはマイノリティか、否か」という0か1かという問いはともかく、性的指向にまつわる概念を座標軸にして、座標空間上に自分を位置付ける、それを通じて自分がどういう人間なのかを緻密に問い直して言語化することには、自分に合ったパートナーを探す上では、大多数の人間にとってもそれなりに価値があるのではないか、と思う。結局、結婚後に性の不一致で揉める夫婦も多いわけだし。
男女対称に、弱者女性 Femaless が存在するはずでしょ
・性自認
・性的指向
に次ぐ
・性他認
それの
これ。
でも。だとすると。
セクシャルマイノリティとしての弱者男性の新定義に従うと、弱者男性の生きづらさ…社会に自分が男性のセクシャリティだと認めてもらってないゆえの生きづらさは、認めてもらわない限り消えない。って事になるけど。
もし弱者男性が男らしさから降りることで生きやすくなるならば。
その時点で、新定義は間違ってました。弱者男性は性的マイノリティではありませんでした。となるよねぇ。誰か、試した男、いる?