はてなキーワード: スマイル0円とは
イエーイみんなー!クソ接客されてるかーい?
スーパーの従業員も座ってレジ打ちしていつでも水を飲めるようになった!
いやあ良いことですね!
そういう時代になりました!なぜかって?
長い話になるので興味のない方は猫の動画でも見ててください!
まず少子化って言うじゃないですか!
オタクたちは少子化対策しなきゃ!みたいな雰囲気作ってるけど実は日本も国民もそれを望んでいません!
オタクたちが少子化を問題にするとき、大抵は充てがえ論であったり、婚活で自分の市場価値が上がるようなポジショントークであることが多いです!これらは無視で良いですねえー!
少子化=人口抑制のメリットは限りある地球の資源の獲得競争を軟化させ、サステナブルな国際社会を創れることにあります!
というわけで人口抑制最高!世界平和最高!ってな感じではあるんですが当然デメリットも存在します。
それは労働力不足!
日本をはじめとして多く先進国においては労働人口が不足しており、サービスを維持するのが難しくなってしまいます。
どんな田舎でもコンビニが24時間やってたり、すぐに病院に行けたり、役所を土曜日に開けてもらったり……。
官民問わずそういう便利なサービスを維持するためには労働力が必要不可欠です。
では人口抑制しながらどうやって労働力を獲得するか?それにはおおまかに次の3つの方法があります。
人口の多い発展途上国から出稼ぎに来てもらう方法。あなたの最寄りのコンビニでも外国人が働いてるのではないでしょうか。
日本人からもっと労働力を提供してもらおうというアイデアです。
いま行われているいくつかの政策はこれをねらったものになっていますので、ここまでのお話を知っておくと政策への理解も深まるかと。
ここまで書いてアキタ
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前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221400
その年の秋だった。F君を見直す機会があった(良くも悪くも)。イベントの動員があったのだ。社会教育課という部署がやってる子ども向けの企画で、市内にいる英語圏出身の小学生と一緒に多言語で学習をしよう! というものだった。
イベント自体は年にたくさんあって、比較的若手の職員が動員されることが多い。そのイベントに、福祉課からは自分とF君が出ることになった。
人権学習センター兼文化ホールみたいな建物で、イベントは日曜日にあった。集合場所に行くとF君がいた。いつもの様子だった、ぶっきらぼうに突っ立ってる。でも、社会教育課の人から声をかけられると、にこやかに対応していた。設備業者なんかと窓口でやり取りする時も、F君はスマイル0円で対応していた。職員に接するのとは大違いだ。
で、だ。それから一時間もしないうちに、市内の英語圏出身の小学生約十人と、一般の児童も約十人と、職員約六人が集まった。ALTの人も何人かいたか。600㎡はあるホールを貸し切って、まずは英語圏の児童向けの遊び(日本でいうと『だるまさんが転んだ』レベルのやつ)をやろうということになったのだが……一般的な地方公務員は、英語を一切話すことができない。実際、この職員の中で英語が話せる者はいなかった。ALTを除いては。
それが災いしてか、英語圏のゲームルールは配布冊子で辛うじて理解できたのだが、日本の小学生の子どもに伝えることができなかった。これでは、英語圏の小学生と一般児童をつなげられるはずもなく。ALTも日本語がいまいちで。
ピンチだった。俺は英語が喋れない。昔、渋谷で若い外国人男性に話しかけられた際、しどろもどろになって「Are you money?」と反応するのが精一杯だった。「Sorry I'm money……and you?」みたいなことも言った。
社会教育課の職員も、「うわ、どうしよう。想定外」みたいになってた時、F君が後ろの入口からひょこっと出てきた。後ろにはALTの人が付いてる。するとだ、ヤツは小学生(英)に向かってさ、流暢な英語で話し始めたのだ。洋画で俳優が演じてるみたいな、ナチュラルチーズナチュラルボーンなやつだった。
あれには驚いた。英語を話せる地方公務員を見たことはなかった。普通は喋れない。まあ、F君の英語の腕前はわからないけどさ。
それから彼は、これからやろうとしている英語圏の遊びの内容について、ALT・スタッフ・参加者をつなげていって――最初のゲームは成功した。盛り上がったのだ。
それから、次のゲームや、また次のゲームも、最初こそF君やALTを介していたが、次第に参加した子ども同士のジェスチャーで対話ができるようになった。イベント自体は二時間程度だったと思うが、無事に終わった。
イベントが終わった後は、社会教育課のスタッフがF君に寄っていた。F君は、キャラクターや性格に人間味がない感じだったが、見た目の雰囲気は悪くない。いろんな職員からチヤホヤされていた。
それを見て、当時の俺はこう思っていた。「いや、おかしいだろ」って。F君に対して怒りが込み上げていた。というのも、F君が英語でのコミュニケーションを始めたのは、イベント開始からおよそ二十分後だった。
『どうしてすぐにヘルプに入らなかった? お前、英語できるんやろ』
と、当時の俺は考えた。つまり、彼は労力を使いたくなくて、あえてギリギリまで粘った。イベントがダメになる危険性が生じてから参戦したことになる。
この時ばかりは本人に伝えたよ。「なんで最初から英語使わなかった?」て。そしたら、「社会教育課が英語を話せる人を用意すべき。自分が手伝うのは間違ってる」だって。いい加減キレてしまって、F君と口論になったけど、社会教育課の人達に宥められてやめた。
いや、性格悪すぎだろ。漫画やアニメだったら絵になる可能性はあるが、現実世界だと害悪のひとつだ。土壇場で本気を出して物事を解決する人よりも、普段から本気でがんばってる人の方がゼッタイ偉いだろ。でも、俺達が助けられたのも事実だ。判断が難しい。若かりし頃の俺は悩んでいた。
上と同じく、F君の配属1年目のことだ。民間の福祉団体がバザー(フリマ)を企画した時に、福祉課職員がポスターやチラシを作ることになった。自力でやってもらうのが筋だが、その時は状況が特殊だった。
その福祉団体は立ち上げ当初だったし、市の新規事業にも関係しているし、よき関係を保っておきたかった……のだろう。上の人にとっては。
さあ、誰がそれを作るかとなって、自分がいた総務グループ(※仮称。福祉事業の統括をしてる)の比較的若手の職員がチャレンジすることになったのだが、どうもうまくいかない。福祉課長のところにポスター案を持って行くのだが、反応がひどかった。要約するとこんなところだ。
「読みにくい。読む気がしない」
「文字がいっぱいだ。絵、描けよ。絵」
その福祉課長は、デザイン会社はおろか企画系部署の経験すらなかった。ただ、言わんとしていることはわかる。公務員が作るチラシやポスターは、正直ダサい。文字上のわかりやすさを優先しているためだ。
それにしても、パワハラ全開の上司だった(※当時は2010年代半ば)。最初にこの人を見た時は、「こんな職員がいまだにいるのか?!」と驚いた。わかるだろうか。いかにも小役人というキャラクターだ。尊大で偉そうで、ふてぶてしい。(話し声が)ものすごくうるさくて、(距離感が)ありえないほど近い。
容姿はあまり書くつもりはないが、ぼってりとした見た目だった。ハムスターみたいだ。ついでに、最初の方に出てきたキレる先輩もそうだった。その人はもっと真ん丸とした体形だった。
その2人とも、俺が市役所を辞めるあたりでこの世界から消えていった。因果応報というやつだ。繰り返すが、自分がやったことは何らかの形で跳ね返ってくるのだ……。
そんなこんなで、何週間経ってもポスター作りは進まなかった。その彼は、何度も課長のところに行って、ダメ出しを食らう度にほかのグループメンバーに相談して、頼りになるリーダーにも相談して……いろいろやったが、結局ダメだった。最後は、課長からダメ出しを食らってる最中にギブアップ宣言した。
「すいません。もうこれ以上できないです」
「なっさけないな。お前!! ……おいF。考えてたんやが、お前広告代理店出身やったな。作れや」
すると、F君が席から立ち上がった。課長の方を向いてたかな。歩いて近くには行ってなかった。
「作るとは、何をですか?」
「作ったことがありません。無理かと」
「あ? どういうことやお前」
「スーパーで買う物が何かあるんか?」
「エビとイクラとさやえんどうはわかるのですが……。錦糸卵を作るのは逆立ちしても無理でしょう。酢飯もそうです」
「そっちかーーーーい!!」
というリアル感のある流れで、F君がポスター作製を命じられた。イベントまで残り二週間で、さすがにギリギリだった。F君は、その日は時間外勤務をしたようで……次の日の正午頃、A3サイズのポスターを持って俺達のところにやってきた。
「そちらの総務グループのご意見を聞かせてください。完成度は7割です。デザイン変更の余地はあります」
かしこまった様子だったよ。彼は、ふてぶてしかったり礼儀正しかったり、どっちつかずなところがあった。両極端というか。
ポスターは、なんかこう、すごく……シュッ!! としていた。オフィスソフト(パワポ?)で作ってるんだが、今時な感じの彩色で、白抜き文字で、読みやすくて、でも公務員っぽい感じで……よくわからないがすごかった。デザイン素人だけど、読みやすいかそうでないかはわかる。
それを見た福祉課長は、やはり「公務員っぽい……」と気になっているようだった。ここで、F君が言うのだった。細かい台詞まではメモってない。
・慣れない職員が頑張って作った感がいい
・それは人に伝わる
こんな感じだった。課長も時間がないとわかってるから、一応という感じで了承していた。ポスターを小さく圧縮した感じのA4ミニチラシは、さっき失敗した彼が担当することになった。F君の提案だった。
ここでもF君に怒りを感じた。なんで、もっと早く手を挙げなかったんだろう。失敗した彼が苦しんでるの、見てただろ? そうしてれば、もっと早くポスターを作れたのに。お前、広告代理店出身なんだろ? チラシ作ったことないって言ってたけど、どう見ても嘘だよな。絶対、作ったことあるよ。と、当時は考えていた。
でも、「福祉課」という単位で仕事を考えてほしかった。そりゃ、あっちは設備管理や財産管理をするグループで、仕事が違うのかもしれないが。
ちなみにF君は、広告代理店では営業の仕事をしていたそうだ。あのキャラで、よくそんなことができたな……と思ったが、彼は思いつきで突拍子もないことを言ったり、何食わぬ顔で嘘をつくところがあるのを知っていた。よく言えば、取り繕うのが上手い。だったら、営業の仕事も臨機応変に務めていたのかもしれぬ。
それで、福祉バザーなんだが、うちの近所の保育園であったので行ってみた。屋外の運動スペースを利用してやっていた。まあ、なんというか蚤の市だった。これが電子世界になるとメルカリになるんだな、という感じの。さすがに盗品や横流し品や偽ブランド品は並んでなかった笑
いいバザーだった。人がいっぱい来ていて、にぎやかだった。事故やトラブルは一切なかったし、参加者みんな幸せそうにしていた。まぎれもない良企画だった。
会場には福祉課長も来ていた。最初の開会挨拶だけすると、ちょっとだけ周って帰った。スリッパと、あと何かを買っていた。総務グループからは数人と、グループリーダーが来てたかな。F君はいなかった。
例のポスターが門扉のところに沢山掲示してあった。F君がバザーの会場まで観て作ってたかはわからないが、青と白の青空みたいな写真を基底としたデザインでバザー感を表現していた。
ワードアートとか一切使ってなかった。標準的なフォントの組み合わせだ。オフィスソフトでここまでいいのが作れるんだな。
もしかして、この日が晴れになるとか、そこまで予想してたんだろうか。さすがにしてないとは思うが、でも、バザーだったら青空が見えるはずだ。センスを感じた。
そんなことを色々考えながら、俺はワカメとエビ天の入ったうどんを食べてた。当時の日記には、そのバザーの様子と「支出 うどん400円」という文字が残っていた。うどん、美味かったな。あの頃は何にでも感動できていた20代後半だった。
当記事は、最初は五千字程度のはずだった。だがしかし、キーボードを叩いてるうちに記憶が蘇ってくる。今、この瞬間も市役所時代が懐かしい。目頭が熱くなってる。
個人的には、これは女サイド、というよりも、最初の発言者を批判してるサイドの言い分に筋が通ってないと思うんだよな。
男は、というと主語大きすぎて語弊があるけど、最初の発言者の人は、どうも女には男とは違うプロトコルがあり、気を遣うことが大事とされるらしいから、男同士でいるときよりは気を遣おう、というのを前提としてきた……っていうのはさすがに読み取れるよね?
俺もそうだよ。どうも女の付き合いというのは気遣いとかそういうのが大事らしい、と薄々知ってはいるので、男の付き合いとは違ってなるべく気を遣って異文化交流しようとしていた。
で、そこに女の側から「『女扱い』してほしいんじゃない! 普通に対等な人間として扱って! 具体的には同性の友達を扱うように!」って言ってきたわけ。
とすると「え? ほんとうに同性の友達と同じように扱ったらこうなるけど?」って言うほかないじゃん? 本当にそれを望んでいるんですか? って。
そしたら「男同士には他人を尊重する文化がないのか! 礼節を重んじる女同士と違ってなんて野蛮なんだ!」とお怒りになっている。
先進国民向けにお客様待遇してあげてたら「こんな侮辱的な扱いは信じられない! ちゃんと自国民並に扱って!」と言われた発展途上国の人みたいなすれ違いはあるな。
え? お客様待遇やめてほしいの? ほんとに自国民並でいいのね? って確認しただけなのに怒られる発展途上国の人かわいそう。
そして問題は我々は発展途上国で満足しているのであり、むしろ先進国のようには振る舞えないし振る舞いたくもないから発展途上国サイコー! と思っていたりするということだ。
相手を尊重しているし自分を大事にしているからこそ、「細やかな気配りなんてするのめんどくさいし、相手もそれは同じだろうから、俺とお前のあいだでは最低限の気配りしかしないってことにしといた方がお互い楽。なんか追加で気配りしてほしいこと(疲れたから歩く速度を緩めてほしいとか、ソファ席に座りたいとか、えらいことしたから褒めてほしいとか、そういう)があったら自分から言えよ、俺も自分で言うから」って態度になるんだよな。
「相手が不愉快にならないようにお互い細やかに気配りしよう」とは真逆の理屈だが、それでもこれは配慮のひとつの形なのだ……ということはさすがに理解してもらいたいわけだが。
それなりに配慮の上に成り立っているプロトコルを一方的に野蛮だの他人を尊重してないだの言われる筋合いはないだろ。多様性とかどこいったんだよ。
少なくとも日頃多様性だの何だのと言っていた女の論客のかなりの割合が一方的に男のプロトコルを野蛮だのと決めつけて「あなたにはもっと友達から尊重される権利がある」とか的外れなこと言ってるのは失望しかなかったよ。
いやだから相手を尊重してるから相手に余計な気遣いを要求しないし自分を可愛がってるから相手に余計な気遣いをしないってだけです……俺は友達を尊重してるし俺は友達から尊重されてます……
相手を尊重してるから丁重に扱うし自分を可愛がってるので相手から丁重に扱われることを望む、という論理とはまるっきり逆だというだけ。これはどちらが良い悪いでもない。単に同じ前提(相手を尊重したいし自分を大事にしたい)から真逆の結論が出てくる典型的な事例。相手を尊重しなくていいとは誰も思ってない。ただ尊重のありかたが違う。
南の島で裸に腰蓑で気楽に暮らしていたらヨーロッパ人の宣教師が現れて「裸に腰蓑なんて! もっと自分を大事にしてスーツとかの文明的な装いをしなさい!」って言われてる気分。そりゃあんたらの国は寒いだろうからスーツが快適なんだろうけど、こっちだと蒸して暑いだけだから嫌なんだよ、裸に腰蓑がいちばん快適なんだよ、みたいな。
いやある意味宣教師よりも悪質だな。ヨーロッパ人は整った衣服を重視してると聞くからちゃんと長ズボンを穿いていったのに、「我々を侮辱しているのか? 同胞といるときと同じ装いをしろ!」と言われたので「それって裸に腰蓑で行ってもいいってこと?」と確認を取ったらなぜか怒りだした。マジで理解不能。同胞といるときと同じ服を着ろと言ったのは自分なのに裸に腰蓑姿を見て怒りだすとか何なんだよ。
(こちら側に問題があるとすれば異文化理解の解像度が足りなかったことか。要するに長いズボンを穿いておればいいのだなと理解していたら首に細い布を巻き上掛けを羽織る必要があるとは思ってもみなかった、みたいな。それを知らずにユニクロの長袖シャツとジーンズで行ったのはまあ悪かったよ。我々裸族としては、なるべく着衣族の習慣に合わせた衣服のつもりだったのだが……)
でもって、これがホンモノの宣教師なら「まあシューキョーやってる連中は頭固いから土地ごとに違う文化があるってわかんないんだね」って諦めモードにもなれるんだけど、日頃多様性とか言ってる人たちが急速に自文化age他文化sageを始めたのは絶句するほかない。びっくりするほど自文化中心主義!
こっちは少なくともあいつらは違う文化を持ってるんだなぁという程度の知識はあったのに、なんであいつらは我々がぜんぜん異なる文化の持ち主だって気づかず今頃になって驚いてんの?
「南国人にも腰蓑は嫌だから長ズボン穿きたいって人がいるよね」という話なら、「そうだね。スーツは窮屈だから南国人みたいにラフな格好したいヨーロッパ人もいるよね」ってだけの話だから異論はないです。
「南国人と言っても色々いるだろ! 一緒にするな!」そうですね。腰蓑族である我々の村でペニスケース一丁の人を見かけたら流石にギョッとしますし、逆にお隣の村に行ったらアロハシャツを着るのは最低限だろという怒られが発生することもあるので、南国人といっても色々ですね。きっとヨーロッパ人の間でも「スーツ着るのめんどい」とか色々なグラデーションがあるんでしょうね。そこにも異論はない。
「私たちの文化ではスーツを着ている人が重んじられるんです」そうなんですね、ところ変われば色々な文化がありますね。多様性ですね。別にそこに文句はないですよ。そちらの文化ではそうなっているんですか、勉強になります。
でも「裸に腰蓑なのはおかしい」とか「スーツもまともに着ないなんて人間として尊重されてない」とか言ってきたら「余計なお世話だうるせえよ」って言わざるを得ないってだけ。だってスーツってパリッと着こなせばかっこいいことは認めるけど暑くて窮屈で着るのめんどくさいじゃん。蒸れるし。裸に腰蓑のほうがよっぽど快適だよ。
で、下手な比喩はこれくらいにしておいて、お互いのプロトコルがこうまで真逆だと、異文化交流のやり方がわからない、っていう人が一定数出てくるのは当然だと思うんですよね。
男女共通のプロトコルを新しく作りましょう、という話なら、まあ話を聞く用意はありますよ。男女双方がちょっとずつ快適さを捨てれば成り立つプロトコルってことですよね(男は他人に配慮しなくともよい快適さを諦め、女は他人から配慮される快適さを諦める)。
でもどっちかのプロトコルに統一なんて無理でしょう? 無理なことを要求するのやめよう?
どっちかに統一すべきだって主張するなら俺は女のプロトコルはおかしいから男側に統一すべきだって言うよ? 本気で言うよ? だって雑で鈍感な人間でも気楽に生きていける社会の方がいいもの。他人に配慮できない人間は針のむしろになる世界よりも、配慮してほしいことがあるなら口に出して言えよそうじゃねえとわかんねえんだからよ、っていう世界の方が絶対にいいよ。楽だよ。俺にとっては生きやすいよ。雑で適当な鈍感人間の自分が生きやすいプロトコルはこっちだよ。気遣ってほしいやつもこれで別に困らないだろ。気遣ってほしいことがあるなら言えばいいんだから。
自分が客として気持ちよく過ごすために店員にスマイル0円を強要する社会よりも、自分が労働者として快適に過ごすために無愛想な店員を我慢する社会の方がどう考えても健全だろ。
今俺はすっごい女側のプロトコルを悪し様に言ってるわけだけど、このくらいは言っていいよね? 男のプロトコルにはあれだけ雑な批判を投げつけてもポリティカリーにコレクトな界隈では許されてるみたいだし、多少雑に女のプロトコルを叩いても問題ないって理解でいいわけだよね?
女側が「それでも私たちは配慮しあってお互いに快適な環境を維持するプロトコルの方がいい」というなら、別にそれは止めません。色んなプロトコルがあっていいよね。多様性ってやつだよ。
でもそうすると、何度も言うけど、どうしたって異文化交流のやり方がわからんとか、異文化の人たちが理解不能でこわい、みたいな人たちは一定数出てくるわけ。これは双方にね(もちろん、自文化が嫌だ、あっちの文化が羨ましい、みたいな人も双方に出てくる)。
そこは受け入れよう? 「人間扱いすればいいだけ」みたいな思考停止はやめよう? 「同性と同じように扱ってほしいだけ」がトンチキな要求だって自覚しよう?
友達の前でスーツ着てネクタイ締めてナイフとフォークでフレンチ食うのが「対等で親密な付き合い」の文化圏と、友達と一緒に裸に腰蓑の格好して手掴みで肉食うのが「対等で親密な付き合い」の文化圏があって、お互いに価値基準がぜんぜん違ってるときに、「人間扱い」なんて言われたってわかるわけないじゃないですか。
スーツ民と会うためにわざわざジーンズ穿いてきた腰蓑民に「そんな格好で来るなんて我々を侮辱しているのか! 同胞と過ごすときのような格好をしろ!」って言うのがめちゃくちゃトンチンカンなのはわかるよね? むしろ異文化を尊重しようとしているのは腰蓑民の方じゃん?(失敗してるけど……)
共通のプロトコルに統一しよう、我々も手掴みで肉を食うことにする、というならまあ上半身に服を着るのもやぶさかではないけど、自分たちはスーツもナイフもフレンチも捨てないけどお前らは腰蓑も手掴みも捨ててスーツを着ろ、それが「人間扱い」だ、なんて馬鹿な理屈がありますか。異文化蔑視の自文化中心主義にもほどがある。相手を対等な人間と見做してないのはお前らの側だろ……
自分たちの快適なプロトコルを維持したいなら「人間扱い」なんてフレーズが他者には通じないことを理解してください。「人間扱い」に共通の見解を見出したいなら自分たちのプロトコルを(快適さを多少犠牲にしてでも)変える覚悟を持ってください。
異文化交流はどうしたって理解不能で不愉快なものなわけです。私も何年間か外国に住んで、現地人の友達や親しい人はたくさんできたけど、それでもやっぱりあの雰囲気には違和感がある、ていうか現地人の距離感おかしくね、みたいな感覚は残って、そこが残るってのは結局どれだけ言葉やら習慣やらを勉強したって人類共通のプロトコルなんて成立させるのはめちゃくちゃ困難だということじゃないですか。
私が行きたくて行き住みたくて住んだ国でも「やっぱりあいつらの文化にはどうも馴染めないところがある……」となるんだから、たまたま同じ社会で隣り合って生きてるだけの人たちがお互いの文化をちっとも理解できないのは仕方ないですよ。だって別に住みたくて同じ社会に住んでるんじゃなくてたまたま隣人として生まれついただけだもの。
まあその文化に馴染めないってのはお互いに仕方ないとして、異文化がそこにあることを認識しそういうものなのだと尊重する、が結局のところ第一歩なんじゃないかなぁと思いますね。
異性の文化を野蛮だの尊厳がないだのと侮蔑し「人間扱いしろ」なんて思考停止ワードをわめいてる内はそもそもスタートラインにも立ててないというか、ポリティカル・コレクトネスって知ってる? 多様性の尊重について考えてみよう! みたいな啓発講座を受講してから議論に参入してほしいとしか言いようがないですけど……
ていうかこれアレだよな、研究テーマにいちいち口出してきて自由なテーマ設定はさせないけど親身に進捗状況を尋ねてくれたり執筆を手助けしてくれたりする教授と、自由に研究テーマを選ばせてくれるけど基本放置(会いたいと言えば時間作ってはくれるし指導してくれと言えば論文添削はしてくれるんだが自分からはやらない)な教授とどっちがいいかという話だよな……ウッ頭が……
(ちゃぶ台返しすると、そら社会に出て社会人として、つまり同僚やら何やらとして知り合った相手にいきなり「仲良しの男同士のコミュニケーション」は適用しないですよ。そういう男のホモソは親しい間柄に限り、仕事上の付き合いしかない男や女には適用せず、一般社会でそれなりに丁寧な無難な扱いをしておく。それは女も同じでしょ? ただの職場の同僚にそんな細やかな察してコミュニケーション満載の女のホモソは適用しないじゃん? だからまあそれなりの相手には男女双方のホモソから離れた中立的な取り扱いをしておけばよろしいのでは……それを「人間扱い」と呼ぶのは友達を人間だと思っていないことになるのでまったく賛同しないけれども……)
https://toyokeizai.net/articles/-/229405
あくまで第一義的な仕事(例えばバス会社ならバスの運行・コールセンターならお客さんとの折衝)に対して賃金は発生していて、感情労働そのものには値段がついていないことが多いんでないかと思う。
第一義的な仕事をこなすに当たって感情労働は当然提供されるべきスキル・手段(それ単体では仕事と言えない付加物)とみなされており、感情労働力の行使にはコストを要さないとされている、あるいはコストを要すということ自体認識されてない、みたいな。私自身の感覚ベースの話だけど、建前としてはそうなってませんかね?って感じです。身近な言葉で例を挙げれば「スマイル0円」だとか。
感情労働それ自体に値付けがされてないならば、その価値は低く見積もられがちなんじゃないでしょうか。
「そこは心構えの範疇だから、金銭的価値には反映されない部分ですよ」なんつって精神論の問題に持っていかれてそうな気がする。
暗示的に値付けされてる職種もありますけどね。コールセンターとか。時給高めなのは殴られ代(精神)が含まれているからなんでしょう。雇用側は「精神的にキツいから高時給です」とは言わないけど。
精神的負荷が高い代わりに報酬も高く、就職する方も織り込み済みの割り切り型職種ならともかく、ホスピタリティが主眼に置かれない(でも感情労働コストが大きい)職種はそれこそ“搾取”されやすいんでないかなーと思います。
また、感情労働の結果メンタルをやられても、そこに労働が介在してないとするならば、労働災害とはみなされにくいですよねってのもあります。