はてなキーワード: スペクトラムとは
そもそもアスペルガー症候群は古い呼称で、今は「自閉症スペクトラム障害」と言うんだが。
ASDは「Autism Spectrum Disorder」の略なんだよ。
つまり発達障害のそれぞれの特性をスペクトラムのように連続体としてとらえてるんだ。
はっきり「アスペルガー」と判断できる特徴があるというより、ある人は耳から情報を聞くのが苦手、ある人は目から情報を得るのが苦手、ある人は騒音が苦手というように、それぞれ違う特性を持ち合わせていて、その総称として「自閉症スペクトラム」と呼ぶ。
未だに「ASD=アスペルガー症候群」と思ってる人は間違いだと言うことを覚えておいてほしい。
発達障害の中でも、コミュニケーション能力の困難、こだわりが強いなどの特徴がある「自閉症」「高機能自閉症」「アスペルガー症候群」を総称して自閉スペクトラム症と呼びます。
【子どもの発達障害 「自閉スペクトラム症(ASD)」とは?アスペルガー症候群などとの違い】
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_346.html
これは発達障害を語る上で基本だと思うんだが、分かってない人が多いと思う。
これを機会に覚え直してほしい。
もし子供に遺伝してたら、昔みたいに「個性」で見逃してもらえないだろう。療育とかが必要になったら、たぶん妻が仕事を辞めることになる。収入も減る。
発達障害はスペクトラムだから、遺伝すると両親は軽度でも赤ちゃんは重度、超重度で出てくる可能性もあるね。
生きづらさ、療育にかかりきりというのもあるけど、それですまなくて生活が全介助になったり、暴れるようになることもあるよ。
もしそうなれば、夫婦のどちらかが仕事を辞めるだけでなく、もう一方も車で送り迎えしたり、療養施設を探して奔走したりと、残りの人生が大きく変わることになるだろうね。
https://togetter.com/li/1932188
・つばめ氏、(マジで他人を発達扱いすること自体問題があるんだが)、ASD(自閉スペクトラム)だと仮定すると全ての行動に納得が行っちゃうんだよ。
「救われてほしいです」=存在を矯正するかそのまま死ねっていう意味ですよね。
なんでここまで言われなきゃいかんのだと悲しくなる。
日本氏ねが許されるんだったら、こういう健常者の傲慢と無理解に氏ねっていうのも許されてほしい。
あれあくまで「子育てとか母親」の地位が強いから許されただけで、発達障碍者はネットでは下民扱いされてるからどうせ叩かれるんだろうけど。
特にASDの男なんか生きてても迷惑かけるだけの害虫くらいに思われてそう。
或いは「女の子に好かれたい!」という『承認欲求』に起因するところもあると思うんだよなまぁ仮に性癖だった場合は尚更直るもんじゃないけども
これでいいじゃん。なんでこれじゃダメなのか。
なんでこんな屑のせいでASDが雑に殴られるのがまかり通るのか。
健常者、女性差別ができなくなったからといって新しい差別対象として発達障碍者を便利に使いすぎだろ。
まとめ主、正義ぶってるのかもしれないけど、このまとめを何の問題もないと感じて載せてるあたりクソだわ。嫌い。
人間が夜空を最も美しく感じるのは10歳のときで、それより歳を重ねると霞んでいく一方だという言説をどこかで読んだことがある。ふと思い出していくつかの言葉の配列を用いて検索してみたが、原文は見つからない。私の願望なのかもしれなかった。
高校に入学して初めての夏休み。昼下がりの会食を済ませたあと、中学時代の友人と共に町を歩いていた。田舎の道路は全ての人にとって旅路の通過点に過ぎない。当然私たちにとってもそれは同じだったが、朧げにしか意識しなかったし、その必要さえもなかった。畑に埋め尽くされた景色の中で、過剰に舗装されたアスファルトの黒さが不釣り合いに見えた。
会話の間隙にそれとなく見上げた夕焼けの赤に瞼の裏がぬるく解けて、いやに清々しくなって、言葉を失った。そんな気持ちになるのは生まれて初めてのことだったから、これが青春とかいうやつなのかなとか、半ば冷笑的に黙考した。その場には笑い声だけが響いていた。気づけば私も笑っていた。
ある状況の渦中にあることを認識するためには、そうではない状態を知覚する経験が不可欠だ。だから、ある幸せが存在することに気づくのは、消失へと向かうスペクトラムの萌芽に足を踏み出すのと同義なのである。
歳を重ねると空や海に涙が零れるようになることだけは知っていたけれど、あの冷えた幸せに終点があることを想像するには私たちは若過ぎた。
17歳の秋に、初めて翡翠の水平線を見た。修学旅行の2日目、沖縄の海だった。バナナボートに乗る同級生を尻目に、アトピー性皮膚炎のある私は象牙色の大粒な砂浜をひとり散策していた。平坦な床を歩くことに慣れた私には、踏み込むたびに不規則に崩れる足場が新鮮でたまらなかった。仄かな潮風が体を包むと、澄んだ笑いが漏れる。聞こえる笑い声はあの日よりもずっと多かったけれど遠く離れていて、波音が容易くそれをかき消した。自由になれたような気がした。今だけは隣で笑う人なんていなくてもいいと思えた。
太陽の眩しさすら爽やかだった。あの頃はそれほど偏頭痛が酷くなかったから、眼窩を抉る痛みを知らずに心を真白に染められた。
ずっと、海を見ていたいと思った。交じり合う碧色のゆらめきと地球の呼吸に身を委ねている時間は、何よりも心地よかったから。その日から私は、沖縄の海を憧憬している。
物体が永遠の美しさを持ち得ることがないように、我々の審美眼も恒久ではない。その瞬間の網膜を最も鮮明に彩るものは何なのか、私たちの瞳には何が残されているのか、詮索せねばならないと思う。瞬きを注視しなければ、一縷の光はすぐさま通り去ってしまうのだから。
週刊少年ジャンプなのは別に価値観のアップデートがまだ、って訳じゃないと思うね。
ジャンプが未だに週刊少年を銘打ってるのは、マーケティング的な理由だって説があった。
男子向けの漫画ですよ、ってことを打ち出して、少年を迷わせないようにするためだと。
でも、実際には雑誌は本屋の表に平積みされる。単行本は少年向けコーナーに置かれる。
「少年」のラベルが無くなっても何一つ不便は生まれないだろう。
フェミニストらを中心として広く価値観のアップデートが叫ばれてる中で、あくまで少年を掲げ続けてるのはきっと別の意味がある。
ジャンプ編集に採用される人員は「少年の心」を備えてなくちゃならない。確か、関係者がそう明言していたと思う。肉体的な性別はどうでも良くて(それを制限したら雇用機会均等法に反する)、内面的に少年的な感性を会得してなくちゃならないってことだ。ターゲット層の顧客感覚を理解しているのが素質として不可欠なのは納得できる。
女子はおままごと、男子は外でサッカーをする。そんな傾向は世界的にある。性欲は第二次性徴付近になるまで芽生えない。しかし自己の性の認識はもっと早く、幼稚園児のレベルですでに発現している。不幸にしてあまり知られていないが、ペニスを持つのに男児として扱われる事に違和感を持つトランスジェンダーの園児は存在するんだ。
大学の入学時の関門から差別が取り払われてもなお、STEM と呼ばれる科学分野の女性の人気は少ない。男性陣はロボットに興奮するのに女性は関心を示さない、ってネタがあったが、それはまさしく現実を反映している。性認識は価値観の形成に大きく関わってくる。どんなものを選好するか、は性別によって大まかに偏りがある。
腐女子と呼ばれる女性たちに、週刊少年ジャンプはとりわけ愛好されていると聞く。アンケートを介してキャラ設計にも影響を与えているという噂も聞いたことがあるくらいだ。彼女たちは身体的に古典的な意味で女性ではあるものの、精神的には一部男性の心を持っていたとしても何もおかしくはない。LGBTの旗が虹を描いているのは、性のスペクトラムがまるで光の色のように滑らかな広がりを持つためだ。トランスジェンダーにしても、体が女性で心は男性、のような4パターン程度に収まる訳もなく、典型的な女性の心の内側に、実はごく幼いころから「男らしい」部分を抱えて一緒に育ってきた可能性は大いにありうる。
三次元に好きな奴がいるからって三次元の人間についてオタクと呼ばれるほど詳しいことが期待されるなんてことないだろ?
ドルオタは別としてな。
しかし二次元で好きな奴いるとドルオタ並みに詳しいことが期待されそうじゃなかったとかで勝手にマウントとられたりすることまである。
理系が恋に落ちたので証明してみたでもやってたが二次元が好きというのはキンゼイスケール上に位置づけできるスペクトラムな性志向でしかない。
つまり二次元が好きというのを即知識偏重主義者と解するのはおかしいってことなわけだけどもそこに気付かない人間がやたら多い。
てか、好きなアイドルがいるってだけでそのアイドルについて知識的に詳しいことが要求されるってのも大概おかしいわな。好きになった人間がたまたまアイドルだっただけの話なんだから。
わい増田、発達とかスペクトラムじゃなくてアスペを名乗っちゃう世代のアスペ、大学中退してクローズ就職が無理で、就労支援施設から障害枠雇用×転職2回という典型的発達さん@都内企業。
まず第一に、(地方じゃ難しいかもしれないけど)障害枠専門の転職エージェントを使うといいと思う。
ハロワの障害枠に比べて、採用コストかけられる程度にはちゃんとした企業が募集している。総合商社、メーカー、保険金融が多かったかな。
有名な大きい会社は勤めてる人の大半が「論理的思考が可能で話の通じる人」なので働きやすい。わざわざエージェント使って障害枠を採用するくらいなので、企業側も慣れてるし。
そんで都内の大企業はテレワークしてるところも多いので、今なら地方でも応募できると思う。あと半年したら、テレワーク下火になってるかもしれないけど今ならワンチャンあるかも。
ベンチャーも福祉も、業務に占める人物や情緒をどうこうする作業の割合が大きくて、アスペにはきっと向いてない…。ハロワ経由で入った福祉業界と中小ベンチャーは、根回し忖度めんどくさかった…。
あと、入社後の心構え。
就労支援施設でもよく見たし、自分自身そうでもあるのだが、アスペにありがちな「仕事を通して社会に貢献!」とか「人の役に立とう!」とかを一回お腹の奥の方に飲み込んだほうがいいと思う。義憤に駆られることは自分もとても多いし、まあ正直いうと、過去の転職理由は義を見てせざるは勇無きなりなんて思って余計なこと言って、人間関係揉めたためなのだ。そんでしばらく経った後で、その「一言」は「自分の業務」ではなかったと思うし、言われてる方もそんな大層なご忠告を言われるのは業務外だったと思うし、さらに言えば雇用主側もアドバイザーとしてアスペを雇っているわけではない。
アスペは「こうあるべきなのでは???」と常日頃から考えがちだけど、ほかのみんなは全然思ってなくて、会社では「業務」だけに従事していた方がいい…
というわけで、大きい事業会社のDX推進部門とか経理部門とかに潜り込んで、会社では仕事だけして、やりたかったら別の場所でボランティアとかするといいんじゃないかなと思いました。
そんでこの話のオチは、この日記自体がアスペの義憤に駆られた業務外の余計なご助言だってことだよ! これをうっかり会社でやると、まーた転職コースだぜ! ひゃっはー!
息子を児童相談所へ預けた。一時保護で、期限は設定されていない。
今日の朝に役所へ相談→担当の方に来てもらう→預けることを決め、その場で連れて行かれる
の流れ。本当に急な決定だった。息子も何が起こったのか分かっていないと思う。
2日前から「離婚して息子と縁を切りたい」「息子の存在を消したい」「息子と自○したい」などの強い言葉を並べるようになった。子育てに疲れたのだ。
疲れた要因はいくつか候補が挙げられるが、それを紐解くために心療内科へ通っている。
だが次の診察までに数日あり、それまでに妻が息子に何をしでかすか分からない。ましてや土日は息子が家にいる。妻を家に1人にもできない。だから冒頭のとおり連絡を入れた。その後の顛末は冒頭の通りである。
妻は、息子のいない、2人きりのときに戻りたいと言う。でも私は3人で生活を続けたいと言う。それなら離婚するか息子を消すしか選択肢が無いというのが妻の論理だ。
児相の提案をされる前は、私と息子/妻で距離をしばらく置いて住み、落ち着かせる選択肢しかないと思っていたので、正直なところ今日の急展開はありがたかった。以前から親身になって相談に乗ってくれて、いざという時にすぐに行動してくれた役所の方には頭が上がらない。
ただ、玄関から車で連れて行かれた息子を見送ってから、自分でも信じられないくらい寂しいし、泣きそうになっている。あらゆる場面に息子がいないことを実感してしまって、その度に心に穴が空く。車内で後ろを振り返った息子の顔が脳裏に焼き付いている。
さらに見送った後に妻が
「無期限ていつまで許されるんだろうね。まあ本当に帰ってこなくていいんだけど。」
とポロッとこぼした瞬間、一気に気持ちが冷めてしまった。3人で過ごしたいという気持ちがスーッと薄れていった。今「離婚したい」と言われたら合意しただろう。決して自分からは切り出さない私の性格が悪いのは認める。
おそらく、元々私の中にあった優先順位が炙り出されただけなのだろう。私はなにより息子と一緒に生きたい。息子がどういう人生を歩もうが見届けたい。妻と2人きりの関係に戻るのは今ではない。
もう数時間、私から口を開いていない。たぶん話さなくてはいけないことがあるんじゃないかと思うが、話す気になれない。
幸い妻のメンタルは急速に落ち着いた(ベッドに寝たきりだったのが、テレビを見て笑っている)ので、しばらく離婚を切り出されることはないだろう。
2人で生きるとしたらどうやって生きていけるか、具体的なプランを考え始めている。
4/16追記
一晩寝たら少し頭の中が整理できた。息子と急に離れたことで私もメンタルがやられて書き殴りたくなったのだろう。改めて3人で生きていける方法を模索したいと思う。
妻もだいぶ平静を取り戻し、暴言を吐かなくなった。息子のことを考えるたびに落ち込むと言うので、なるべく息子の話はしないようにという話をした。外に出てリフレッシュもさせたいが、まずは布団から出てご飯をしっかり食べるところからやり直しだ。
また、コメントにも書いたが、息子は発達障害(自閉スペクトラム)と診断されている。特に年齢に比して言葉の発達が遅い。児童療育にも通っている。他にも遅れはあるが割愛する。
もはやタイトルの通りの感情は遠くに置いてあるのだが、戒めとして残しておきたい。
今日は久しぶりに2人で外出した。定期的に一時保育は利用していたのだが、前回預けた時は妻が寝込んでいたので。特に時間制限なく過ごせたのは本当に久々だった。妻も思い出の場所に行けて楽しかったと言っていた。
ただ夜になってからの反動なのか、妻の口からは自分の状態に関する自責の言葉ばかり出てくるようになったので、服薬して横になるように促したところである。
私も今日は楽しかったのだが、やはり息子も一緒にいてほしかったなと思ってしまう。ちゃんとご飯食べているだろうか、ふと泣いていないだろうか、ウ○コ食べてないだろうか、など、思い出とともに気持ちがよぎる。
実家の親にだけは今の状況を伝えたが、その他の知り合いにはなかなか共有しづらい。心を保つためにも、迷惑をかけすぎず気持ちを開示できる場所を早めに確保したい。まず週明けに役所の方と会話させてもらおう。
年々、発達障害とされる人々は増えている。
以下、発達障害者を発達と略す。
あと、ここでは「発達障害は障害ではない」とか「スペクトラムの問題だから」みたいなことは扱わない。そんなこと言われても現実にあってないし何の慰めにも奮起にもならない発達は多いだろ。昔は発達にも居場所があったみたいな話も同じく。ただの社会的隔離を美化してる場合がある。
なんで発達が増えてるのか、医者と、教師の知り合いに聞いてみたことがある。それぞれの考えは違っていた。
ある中年男性の医師は、一般生活に求められる技術や社会性のハードルが上がり過ぎたから、と言っていた。つまり殆どは外部の、要因だと。
教師は、ちょっと違ったことを言っていた。後天的な要素もあるけど、それに反応してしまうトリガーについては常に先天的にあるだろうし、それには確かに遺伝があるのでは、みたいな事を言っていた。
上の意見は参考意見として、俺が言いたいのは、発達は新人類じゃないかってこと。そしてそれをめちゃくちゃに、クソみたいに、バカみたいに誇って良いんじゃないかってこと。
クソとかバカとか書いたのは、図書館とかにある上品な福祉本みたいな生やさしい肯定ではなく、社会に敵対したりキモがられたり腫れ物にされたりする存在なのを本格的に誇るために。
「発達」「アスペ」「コミュ障」・・・言葉や名前が付けられたと思ったら、すぐにそこいら中で蔑称となって蔑視が広まってる。
アスペルガーの時も、ほんの少しの間にアスペ、アスペ、アスペ。「アスペを採用しないようにはどうする?」「彼氏がアスペかも!」「アスペは犯罪気質がある!」みたいな記事だらけになった。
今度ネット上で流行ってた「ケーキが切れない」とやらもそうなりつつある。そして社会は発達障害と向き合うことなく、排除と嘲笑と腫れ物扱いのやり方だけ上手になるんだよな。
これまで、発達はそれぞれ一人一人の苦しみのなかで閉じ込んでしまっていたり、自助グループみたいなのに繋がっても「定型の、現行の社会」に矯正されるための監視された自助みたいなことしか出来なかった。
CPの人たちは「青い芝の会」という戦闘的な障害者活動をしてたし、なんなら同性愛者もラディフェミも色々やってる。発達もそろそろ似たやり方をとるべきなんじゃねえか。
発達は、よく「挨拶や謝罪の形式みたいな社会的マナーや文化が備わってない」と言われる。いいじゃん。新しい文化作ろうよ。今まで現れてきた色々な文化もマナーも、「新しく」作られた瞬間はあるんだろ。発達もそれなんだよ。それが見れて嬉しいだろ。学者は心配してないで、これについて論文書けよ。
カサンドラがどうとか「発達は身近な人を傷つける」とか騒ぐやつもいる。いいじゃん。俺たちは新しい人間関係のモデルを今作ってんだよ。なんでパートナーが発達だって分かった瞬間「答えが得られた」気になってんだよ。相手が発達じゃないなら「傷つき度25」で発達なら「傷つき度100」なのかよ。
でも、個人的な人間関係ばかりやっても限界があるし根本的な問題は解決しない。もっと根幹に切り込もう。
発達障害手帳の効果が他の手帳よりかなり少ないよな。役所にみんなで乗り込んで訴えようぜ。
発達は税金関連の処理が苦手だよな。税務署を占拠して「もっと簡単にしろ、発達の税金軽くしろ」って示威しなきゃだめだ。
「ケーキの切れない」とかなんとかで有名になって、発達がかなり牢屋に入れられてる事が分かったじゃん。それでそんな記事みて「なるほどな」って思ってるだけなの?刑務所を取り囲むべきだろ。発達を社会に返せって。社会が発達と直接向き合って新しい文化を作る機会を奪ってるって。
少数民族レベルでも自治権を得て、これから増えていく発達の数に見あった土地を得るべきでは?
強めに書いてきたけど。
発達が増えてるとかいう情報に触れて、発達自身が何で卑下しなきゃいけないのか?それに腫れ物ともキモがりともつかない態度で接する社会ってなんなの?その社会は必要な社会なの?って事なんだよな。
そしてそれは、発達が、ホモ・サピエンスの新しい形みたいなこと、そういうレベルにしないと、説明がつかない。ホモ・ハッタツトゥス。
俺は定型社会こそぶっ壊れるべきだと思うから、どんどん発達障害の社員が面接をすり抜けて会社の「慣習やマナー」を滅茶苦茶にすればいいと思うし、どんどんキモいコミュ障が「正しいコミュニケーション」を破壊してくれればいいと思ってるよ。発達と定型社会の対立軸が揃いつつある今、根本から発達障害者とされた人々が社会を問うていく必要がある。
発達は新しい人間だ。発達も、アスペも、コミュ障も、「青い芝の会」をやろう。CPがバスを占拠した様に、発達も社会を占拠しよう。「不自然」を「自然」にしよう、というかそんな言葉を辞書から消そう。
>好きな作品をつまんない、面白くないなどと断じられて気に食わないのはわかるが、
確かに好きな作品を腐されれば面白くはない、面白くはないがまず言っていいか。
それについて行き違いがあるようなので書く。
(そもそも自分はここに挙げられた作品の大半をそこまで好きではないので「好きな作品」と断じることに疑問があるがまあ書かなかった自分が悪いということで)
まず自分は
>「つまらないと感じた人が一人いる」と認識するでしょう。誰だって。
明確にこの一人でもある。
なるほど、元増田には合わなかったんだな。合う人もたくさんいる面白い作品だが、合わない人がいるのは当たり前だ、仕方がないね。
である。
ツリーには「〇〇を読んであの理解になる増田はおかしい」コメントがいくつかある。
「???本当にその作品を読んだのか???もしかして、同じ名前の別の作品があるのか?」と
首をひねるような表現が多々ある。
まあ、確かに、そういう目で見ようと思えば見られなくもないけれども・・・?????と思うことすら難しい箇所すら頻出する。
念のため書くが自分自身の解釈とずれる(から気に喰わない)という話ではない。
客観的に、というのも難しいが、客観的に元増田はかなり偏った解釈をしている。
少なくとも、元増田記事で取り上げられた漫画の読者の主流とはかなり違う目線で見ているのではないか?
そして、なぜそうなるのか?
その推測を書いただけだ。
つまり、感情でいえば気に喰わないよりも、理解不能なあまりの驚愕のほうが9割ぐらいを占める。
>アスペだの
他のコメントで複数が「のだめはアスペちゃうやろ」と突っ込んでいる通り、
多少なりと発達障害の知識がある者であれば、のだめはアスペルガー症候群あるいはそれに近しいスペクトラムにいるとは到底思えないことは理解できるはずだ。
>それとも自分の攻撃で相手がどう苦しむかを愉しむために人間の内面に興味があるとか?
あなたは「何が人格批判かは自分が決める」と思っているのかな?
それとも「自分が行っているのは"ただの読解を批判"で、お前が言っているのは許されざる人格批判だ」と言います?
あなたは自分が書いた「他人の内面に興味がないタイプなのではないか」が気に入らないようだ。
他人の内面に興味がないタイプを否定しているのはあなた自身では?
自分が否定しているからこそ、私が書いたこの何気ない非難を含まない推測が気に喰わないように見える。