はてなキーワード: スペアとは
結構な額が掛かったのだけど、新しいもの好きなのでファーストペンギンとして飛び込んできた。
ちなみに、その仕組みはこうだ。
俺の人工学習データじゅうに散らばっている量子シナプスには数百万個のスペアが含まれていて、機能中のセクターのどれかが故障したときに代わりができるように待機している。そのスペアは、前もって特定の言語や思想に割り当てられてはいない。なぜなら、たとえば代替の需要が右翼的や左翼的に偏った場合に、左翼派に割り当てられたスペアが、うまい棒のチーズみたいな人気味によって場所ふさぎに終わることがないようにするためだ。そして選択後に俺の思想を真似る手段は、形式分子や言語フィルターではなく、量子井戸全体に一連の電圧を設定するというものなので、スペアが表現できるのは民主主義・共産主義のような二元論に限定されない。
次の局面では優位な反応を示していた。標準の思考(はい・いいえ)の曲線はすでにかなりの部分が重なりあっていたが、青の曲線はそこからほぼ完全に離れたところにあった。デフォルトで選択されているのは、青と赤のあいだにふたつの新しい曲線を押しこんでから、さらに折衷案の端にひとつ、否定案の端にひとつの曲線を付け加える方法だ。
”逆方式”のデフォルトもひと組用意されていて、それは新しい思考のさまざまな組みあわせからどのようなかたちで情報を引きだすかを指定するもの。あらゆる人間の頭の中で赤と青の反応の違いが計算され、脳へ送られるのとまったく同じように。
このようにして作られたAIと俺は今週中に面会する。仲仲良くやれれば良いなと思う。
それからの一年間、俺はそれを溜飲に入れたままで手をつけず、でも腸は煮えたぎっていた。アンドロイドが自分の上司になったのは十八ヵ月ほど前だから、他が同じことをしても安全なのはほとんど間違いないはずだけど、俺が自分の上司のことをSNSで罵倒していたのが重役にバレたらどうなるかは、想像する気にもなれなかった。
俺は翌週の午後まで待った。その時間、重役は会議に没頭する。俺は自分の部屋のドアを閉めて、カーテンを引いた。ドアには鍵がなかったから、アカウントに偽装してアイコンを隅まで塗り潰したものの、モニターをじっと見つめたままでいるうちに画面が暗くなってしまった。VRの中で、元上司のことを考えた。元上司は俺も持っているのと同じ業務が原因で職を失ったが、目の見えなかった期間が長すぎたのでESC(Employment Support Center)の力では光を取り戻すには至らなかった。元上司が見せた将来への信頼が揺らぎはじめる。元上司の業務内容と俺の業務とは同じ系だが、取り掛かり方は個々人それぞれだ。俺は職を失うハメになりたくない――それに、俺がもたらそうとしている変化は、社長のところへ行ってアンドロイドの設定をもとに戻せば取り消せるものだとはいっても、それは重役に気づかれずにできることではなかった。
ゴーグルを揺すってふたたび明るくし、アプリの起動画面を表示した。この幻想的なアイコンのような鮮明で新緑の葉が木に宿っているのを、俺は見たことがない。けれど旧世代的な家庭環境を持つ友人たちが、寓話とも呼べる”新緑の葉”を見つけることは自分たちにも全然できないと確証してくれたことがあり、その言葉を疑う理由はなかった。俺の職場環境は、人間の三種類の性格類型論の典型的な反応と同じように分類することで、人の力量を最大限発揮できるよう最善を尽くす。だが、単なる分類しかしていないわけではなく、ほかの選択をすることもできる――その選択した場合、俺は職場の中に新しいハードウェアを入れることなく、社会心理学的なこれまで以上の就労を得ることが出来るのだ。
その仕組みはこうだ。俺の人工学習データじゅうに散らばっている量子シナプスには数百万個のスペアが含まれていて、機能中のセクターのどれかが故障したときに代わりができるように待機している。そのスペアは、前もって特定の言語や思想に割り当てられてはいない。なぜなら、たとえば代替の需要が右翼的や左翼的に偏った場合に、左翼派に割り当てられたスペアが、うまい棒のチーズみたいな人気味によって場所ふさぎに終わることがないようにするためだ。そして選択後に俺の思想を真似る手段は、形式分子や言語フィルターではなく、量子井戸全体に一連の電圧を設定するというものなので、スペアが表現できるのは民主主義・共産主義のような二元論に限定されない。社長が送ってきたアンドロイドは、各員に指示して俺たちの持つスペアのすべてを覚醒させ、さらに、覚醒したスペアをもともとの思想の領域のあいだとその両側、計四つの新しい帯域に同調させることができた。
俺はマウスホイールを指先でなでながら、結論を出そうとしていた。アンドロイドの上司が俺を他の社員と同じにしている。アンドロイド上司のおかげで俺は人々の中に紛れ込んでいる。それ以上のものを望む理由は? 統計学的な運命まかせにされていても、俺はあと二十年、完全に職を失うことはなかっただろが、友人は実行できるもっとも早い時期に代替手段を選択し、俺はこの環境に適応する機会を最大限にあたえられた。
だが、それは十八ヵ月前のことだ。俺の頭にまだ新しい環境を意義あるものに出来る柔軟性がある今、この試みがなかったら、自分がなにを逃したかは死ぬまで分からないままだろう。
決断を引きのばさせていたマウスから指をいったん離して、そのあとすぐ画面のボタンをクリックする。
会社はアンドロイドの優位性と実務証明を必要としたが、どちらもアンドロイドの取扱説明書にはっきりと記載されていた。メーカーの保証書は既に期限切れだが、なにも無効にはなっていなくて、HPの長たらしい前書きが謳うところによれば、このアンドロイドは定期検査をする技術従事者からその作動を完全に隠すことができる。休止状態に戻しても修正不能な誤りが生じないかぎりは、企業がアンドロイドの思想ブールに干渉したことは一生発覚しない可能性もあった。
次の局面では優位な反応を示していた。標準の思考(はい・いいえ)の曲線はすでにかなりの部分が重なりあっていたが、青の曲線はそこからほぼ完全に離れたところにあった。デフォルトで選択されているのは、青と赤のあいだにふたつの新しい曲線を押しこんでから、さらに折衷案の端にひとつ、否定案の端にひとつの曲線を付け加える方法だ。 ”逆方式”のデフォルトもひと組用意されていて、それは新しい思考のさまざまな組みあわせからどのようなかたちで情報を引きだすかを指定するものだった――あらゆる人間の頭の中で赤と青の反応の違いが計算され、脳へ送られるのとまったく同じようだ。
そうした構造をなにかしら編集する――そのプロセスに企業独自のひねりを加える――ことを考えると、緊張で手が汗ばんだ。理想的な思想範囲がどんなものか、俺自身の個人的な考えを作り上げようとしても、どこから手をつければいいのかさえわからない。それは同時に、俺がデフォルト設定を許可するとしても、それが悪意に基づいた選択ではないことの証明だともいえるだろう。けれど、表示されているいくつかの曲線の整然とした見た目には、心落ち着かせるものがあった。密着して並ぶ曲線の小さな山の各々は、隣の山から約八十ナノメートル離れた波長で頂点に達していて、行政上の認可領域を均等かつ効率的にカバーしている。そのどこかにもおかしな感じはなかったし、生物学的深層レベルの複雑な正当化なしには納得できないところもなかった。なにも変更は必要ない。
俺は『続行する』を押して、次のページに進んだ。
警告
あなたのアンドロイドの思考セクターを起動・再同調させると、アンドロイドの脳の思考経路に永久的な変化を生じさせる可能性があります。このアプリは思考をオリジナルの状態に戻すことができますが、あなたのアンドロイドの挙動に関しては、われわれはそのような保証をいっさいいたしません。
この警告に俺はまったく動じなかった。アンドロイドが受けとったり受けとらなかったりする情報によって改変されるというのは、俺にとって目新しい話ではなく、取扱説明書にでかでかと書いてあることだった。アンドロイドの登場は日本を救うのにはちょうど間に合ったが、俺を救ってくれたほどの効果があるものではまだなかった。さまざまな規模の企業や自治体たちもアンドロイドを導入している。考えれば考えるほど確かだと思えてくるのは、俺がこのチャンスをふいにしている間に、同僚や俺の友人たちが俺のはるか先を全力疾走して谷の反対側に姿を消してしまうのがいちばん恐ろしい、ということだった。
警告文はプログレスバーに取って変わった。アプリとアンドロイドの共同作業の進行状況を、バーの上の文章が警告するのを俺はまじまじと見ていた。スペア・センターの工程作成、センサーの内部テスト、再同調、再テスト。
プログレスバーが八十五パーセントのところで一時停止し、アプリが俺に、AIは制御されているか、適切な業務は可能か、と尋ねた。思考はクリアで、業務環境は整備済みだった。俺は社内からアカウントを追い出し、スマホをひらいて自分のアカウントを部屋に導き入れてから、社長にもらったアクセスキーをテーブルに置き、それからアンドロイドに投じる思弁ベースが連続した帯になるまで前後に調整した。
アプリに指示されるまま、俺はゆっくりと帯を動かして、スペクトルの左から右へ、赤の端から順に少しずつ青を動かしていった。スピーカーからナノメートルの数字がカウントされるのは、アプリが量子ブールにおこなった微調整をあらゆる波で検証しているためだ。それはとても劇的で俺に高揚感をもたらした。
アプリが終了を告げる。
「完了」
スマホを見ると、プログレスバーは百パーセントに達していた。画像がズームアップして、環状の帯がふたたび表示された。それが広がり点になるとアプリは終了し、俺をスマホのホーム画面をじっと眺めた。
扉を全面に閉じて、部屋を空白で満たす。なにひとつ前と違って見えるものはなかった。周りを知覚するのに何かの変化が生じるまでには数日から数週間かかることもある、と注意を読んでいた。しかし、苛立ちは安堵に相殺された。俺が今ほかに何をしたにしろ、少なくともアンドロイドに害を与えても職は失ってはいなかった。
次の数日間、俺は職場を実験場にして、同僚の意見に対して独自の判断をしたようなアンドロイドの言論に悩まないことを学習した――いうまでもなく、人権無視や、パワハラや、答えようのない曖昧な質問につながるような、それよりはっきりした反応を見せないことも。明らかに動揺する新入社員や、競合他社びいきの上司を見て、ニヤニヤ笑いをこらえるのが無理そうになったときには、自分だってどこを取っても同じくらい馬鹿みたいに見えていることを思いだすようにした。そのためには鏡は必要なかった。ちらっとシャツの汗の染みに視線を下げれば、それはまるで洪水の水が引くときに残していった灰色の沈泥のように見えて、こみあげる恥ずかしさがきっちりと唇から笑みは拭い去った。
その昔、パソコンが壊れると治し方を調べたくてもパソコンが壊れているからインターネットに繋がらないという地獄があった。
(「スペアPCを押し入れから引っ張り出して一時的にそれで調べればいい」とか「ノーパソがあるやろ」とかはてなーは言うんだろうけど、普通は一家にパソコンは一台やったぞ)
今はもうパソコンが壊れたらスマホで検索し、スマホが壊れたらパソコンで検索できる。
その影響でスマホの修理方法について書かれた書籍は、あの時代のパソコン修理の本と比べて数が減った。
でもそうじゃない人は?
スマホが壊れて電話も使えない状態で友人宅にいきなり行ってネットを見せてもらうわけにもいかないだろう。
日頃は情弱向けと馬鹿にしていたAUショップに行って故障状況を伝えて復旧を懇願するんだろうか?
それとも、いきなり買い替えるのか?
人間の身体にスペアボディがあって日によって使い分けることが出来ると仮定します。
ある日、右足を激しく打撲して足を痛めたためやや歩行に困難をきたすとする。
その日は左足を主に使って右足をかばうことでなんとか歩行は可能だった。
上記の例ではスペアボディにより交互の入れ替えで歩行は可能でした。
しかし、もしもスペアボディがなかったならば同一のボディで右足と左足の痛めることとなりました。
その場合、しばらく怪我が治るまで歩行は極めて困難となったでしょう。
靴の話に戻します。
それはその靴の仕様が不可能になるほどのトラブルではありません。
そのふたつの不具合が重なることで残念ながら靴Aの継続使用が不可能になりました。
ところがもし靴Aを連続使用したのではなく靴Bを交互に使っていたのでしたら、
互いのトラブルは重複するがなかったため、靴の継続使用が可能でした。
出生率が高い地域って、女の人権がないわけではなく、実際女も社会進出してるし、みんな働いてる。っていうかその地域において農作業とかはまさに「社会」だし立派に社会で働いてるわな。
ないのは子供の人権。家父長制において嫁に人権はあっても子供1人1人の人権なんてものは存在しない。
まず、医療が進んでないから乳幼児が死にやすい。「医療ケア児」なんてのは生まれた瞬間死に、アレルギー持ちは離乳の時に死に、多動とか注意欠陥、あるいは目が見えない耳が聞こえない子は幼少期に事故って死に、アスペなど親とコミュニケーションが上手く行かない子は「しつけ」で死ぬ。
健常定形で元気な良い子だけを残すよう子ガチャのリセマラができるってこと。さらに教育に金はかからない。
こういう国で10人子供産んだら、障害や病気持ちは5歳ぐらいまでに死んで、残った健常児は10歳ぐらいになったら労働力になり、女は嫁に行って婚家から牛とかもらってたくさん子を産み、一番賢く強い子は家を継ぐ。それなら、10人産むリスクがなくメリットしかない。
一方、先進国で10人産んだら障害や病気持ちも含めて全員最低18歳ぐらいまでは親が責任持って育てないといけない。下手したら30ぐらいまで子供部屋にいる。これ無理ゲーじゃん。
先進国では子供に人権が存在して親がその人権を保証する責任があるのが最大の問題なんだよ。で、それを支えるキャパがある大人が少ない。とにかくリスクが高すぎる。これこそ不都合で誰も言っちゃいけない話になってるけど。
現状で女の人権を抑圧しても、妻子を養わないといけない男のほうがむしろむやみに子供を産ませたいと思わないからやっぱダメだと思う。
イスラムだってなんだって、どんなに男の権利が強い国であっても、子供が死ななくなって育成コストが上がると出生率は下がる。死にやすいからスペア作るために産ませるんだよ。
そりゃそうだよ。男の権利が強い=責任が強いってことだし、自分の稼いだ金でたくさんの子供養って狭い家で貧乏暮らししたい男もそんなにいないわ。
無料ガチャで育成コストも安くて、いらないの引いたら捨てることができて手持ちを圧迫しないならいくらでもガチャ回すじゃん。
先進国における子ガチャって全体的に育成コストが強制的にかかる上に一定確率で地雷カード引かされてゲームオーバーなんだから、そんなガチャ怖くて引けないよ。
増田、HSPじゃないと思うわ。感覚過敏エピソードが何もないじゃん。リアルHSPの人に失礼。
カウンセリングもココナラで悩み聞きます1時間500円みたいなやつじゃねえの?
まあ、これ普通に人格に問題あるだけでしょ。回避性パーソナリティ障害なんていうと病名みたいになるけど、要は逃げグセがあるだけ。
エピソードを見る限り、一貫して「人間関係において予測される嫌な事態を避けている」だけのように見える。
女友達とはちゃんと関係構築できているのにって思うでしょ?それさ、これまでの人生においては1vs1の人間関係を構築する必要はなかったから適度に逃げてもクセが露呈しなかっただけだよ。
友人関係は婚活みたいに「お断り」も「交際終了」もないもんね。必然的に相手からの「お断り」から逃げるためにこっちから関係を断つなんて必要はない。
最初から相手とぶつかりそうなことや断られそうなこと一人だけ浮きそうなことを避けて同調してれば良好な関係作れるし、そうやってりゃ人を不快にはさせないから女友達には礼儀正しいいい人ぐらいに思われてるでしょうよ。逃げてるのがバレてないだけ。
あと、蛙化現象も本来の意味と違うよね。蛙化は、単に「些細なことで嫌いになる」んじゃない。自分が元々好意を持ってた人が自分に興味を持つと嫌いになってしまうんだよ。「自分なんかに興味を持つから気持ち悪い」ってレベルの話なの。
これは、自己肯定感の低さゆえなのだけど、増田の場合、謎に自己肯定感は高いからその気持は絶対に理解できないと思う。
なぜ自己肯定感が高いと感じるか。それは「私は恋愛に関して何の障害も無いのに非モテ」って自認からも読み取れるし、文章全体に漂う「自分のような人も多い、女ならみんなそう、自分はHSPだから普通の人より度合いが強いだけ」という謎の思い込みもそうだよね。
で、増田の疑問。他の人がなんで恋愛や結婚できてるかってのは単純な話で、他の人は増田ほど相手との衝突や相手から拒絶されることを恐れてないだけ。
「ヤリモクかもしれない」「本当は自分はスペアかもしれない」「女なら誰でも良いのかもしれない」そんなことは誰でも考えるんだよ。でも、普通はそこで逃げないの。ひとまずは相手を信用して実際に付き合って信頼関係を作って恋愛や結婚に至ってるの。
だから、まずHSPだの蛙化現象だの都合のよさそうなラベルは外したほうがいい。
他の普通の人と違って自分は「逃げグセのある人間」「自分が怒られないために平気で嘘をつき他人を傷つけるタイプの人間」だという自認をまずもったほうがいいんじゃない?
「ブロックしてしまった人達に対し、罪悪感が無いとか申し訳無いという思いが無い訳ではありません。寧ろ強いです。」とか言ってるけどさ、これも逃げだよ。
正確に言うと、相手や周囲の人に及ぶ影響みたいなものを真面目に考えて誠心誠意謝罪するとかとにかく自分で対処するのが面倒だから、一番自己完結して気楽な「罪悪感」に逃げてるの。
罪悪感持ったり、申し訳ないって思うの、殊勝に見えるけど、実は自分は布団ひっかぶってるだけで何のアクションも取らなくていい一番ラクな選択肢だよね。
まあ、結論として、いくら世間にHSPなり自称HSPの困ったちゃんに対する理解が深まったとしても、現状の増田をどうにかすることは難しい。
「世間に理解がない」というのを免罪符にしてるのは見る人が見たらまるわかりだし、見苦しい。
身内には「怒られに弱い」って理解してもらって若干表現をマイルドにしてもらうぐらいなら可能かもしれないけど、それでも怒られること拒絶されること嫌われることハズレを引くことを完全に回避することはできないんだしね。
増田が100%安心できる相手なんていないし、結婚を視野に入れた付き合い、具体的には赤の他人と将来一緒に暮らす前提で付き合う以上怒られたり拒絶されたりはどうしたって避けられないから。
増田がまだ若くてかわいいメンヘラちゃんだったらワンチャンあるかもしれない。男も性欲が勝って理解のあるスパダリ彼くんやってくれるかもしれないし、増田もちょっとはアホになって男を信じることができるかもしれないよ。
でも、もう30代半ばでデブスでしょ…それは厳しいよさすがに。
ボウリング説明ゲームとは、ボウリングのスコア計算方法をできるだけ簡潔、かつ正確に説明するゲームである。
説明が正しいことを確認する方法として、説明から「パーフェクトゲームのスコアは300点であること」「ワンゲームの最大投球数は21投であること」などが推論できなければならない。
ボウリング説明ゲームのプレイヤーは、各々簡潔な説明を持ち寄り、お互いにレビューする。
もしも誤った解釈が可能であることを指摘されたら、その説明は棄却される。そうでなければ受理される。
受理された説明のうち、最も短い、または最も簡潔と判断された説明を示したプレイヤーが勝者である。
※
1ゲームは10フレームからなり、1フレームにつき2投できる。各フレームの最初にピンが10本配置される。
各フレームの2投球で倒したピンの数の合計がフレームの得点となり、10フレーム終了時点の各フレーム得点の合計がゲームのスコアとなる。
・フレームの1投目でピン10本倒したとき、ストライクとなる。フレームを進める。後続の2投で倒したピンの合計が、ストライクしたフレームの得点にボーナス加算される。
・フレームの2投目でピンを合計10本倒したとき、スペアとなる。フレームを進める。後続の1投で倒したピンの合計が、スペアしたフレームの得点にボーナス加算される。
・10フレーム目のみ、ストライクまたはスペアの時、上記ルールを満たすための追加投球が認められる。
パーフェクトゲームとは、すべての投球でピン10本を倒すことを達成したゲームのことで、各フレームの得点は30点(10+10(後続1投目)+10(後続2投目))であり、30点*10フレーム=300点となる。また、投球数は12である。
各フレームごとに2投できるが、10フレーム目のみストライクまたはスペア時に3投投げることができるため、2投 * 9フレーム + 3投(10フレーム目) = 最大21投できる。
身近に、お伺いを立てているつもりなんだろうけど、誘導尋問じゃん、というような聞き方をしてくる人がいて、嫌だ。
以下例文
B「買った」
A「じゃあ古い○○はもう要らない?要らないならちょうだい」
B「古い○○は使い切ったので捨てた。」
これが
A「古い○○で要らないのがあったらちょうだい」
B(増田)が新しいものを買って所持しているという言質を取ったうえで、古いものは不要だと確定させてから、自分の要求(古い○○をもらうこと)を通そうとしてくる感じがすごく嫌だし、そもそも使い切ったから新しいのを買ったのに、古いのがもらえると考えるのもよく分からない。
今回の場合は古いものは捨てているから良いんだけど、スペアや予備として取っておきたい場合もあるので、あるけどあげることはできないということもあり、そういう時はそう伝えて断るんだが、冷たいとかケチだとかそういう反応をされる。
コメント読んでて思い出したけど
「○月○日って空いてる?」って用事を明言せずに聞かれるのが嫌ってしょっちゅう話題になってたわ
完全にそれでしたワ
メインデザイナーはロバート・ウッドヘッド(Robert Woodhead)とアンドリュー・グリーンバーグ(Andrew C. Greenberg)である。
当時、コーネル大学の学生だった2人がそれぞれ作成していた『パラディン』『ダンジョンオブディスペア』というゲームを互いに評価し、
に代表されるRPGを、大学でのコンピュータ支援教育に用いられていたメインフレームよりも規模の小さな個人向けのパソコンで再現するため製作したものが、本作のシナリオ#1である。
マジだ!へー!知らんかったわ!
TVゲームのRPGってそう考えるとTRPGを一人でも遊べて視覚的にもわかりやすく仕上げたゲームって感じなんだな。
視野が広がったわ。