はてなキーワード: スパイラルとは
写真を撮る人を撮る人を撮る人。
視界を写真に撮って切り取る人がいる。なるほど新しい。
写真を撮る人もまたレンズを向けられる対象の例外ではなく、写真を撮る人を更に撮る人もいる。なるほど新しい。
そうしてメタを取ったようでいて、更にその人もまた同じ状況に晒されている。なるほど新しい。
展開があるのってせいぜいここまでで、それ以降は3人目と同じだと思う。
撮る人を撮る人を撮る人を撮る人も、撮る人を撮る人を撮る人を撮る人を撮る人も大して違わない。
これはニュアンスの色をぼんやり表す程度の例え話なんだけど、いわゆるお笑いの天丼は原則数回までみたいなのってそういう事なのかなって思った。
あと最近冷笑って言葉が流行ってて、冷笑する人を冷笑する人を冷笑……みたいな無限のスパイラルが発生するって言われてる。けど無限というのとはなんとなくちょっと違うような気がする。展開が止まってるから。
今日はエネルギー、角運動量...等々のオブザーバブルの例とシュレーディンガー方程式の関係を学びました。
ところで、Twitterである操作を行うことにより、数学に関連するおすすめが多く表示されるようになりました。
そうして、とある数学者の動画が表示されたので、じっくりと視聴しました。
数学が情報として表示されると、こう言われているような気分になります「政治のことは忘れなさい。数学の問題を解いていれば趣味にもなるし、平和だ」
世の中には様々な政治的問題があります。日本国内のインフレスパイラル、地球温暖化とカーボンプライシング、ウクライナ情勢、石油価格の問題などです。
数学の問題とは違い、これらは価値判断の問題です。排出権取引に賛成する人は将来世代にも考慮して温暖化を解決しようと言いますが、反対する人は短期的に「自分が生きている間」の利益だけを考えます。
あるいはインフレの問題は、インフレを抑えようという実質値を考慮する人は賃上げに反対しますが、名目値だけを見る人は賃上げを要求するのです。
価値判断の問題は、声の大きさで勝負が決まってしまう部分があります。フォロワーだけは沢山いる自称データサイエンティストが「コイツは意識他界系だ」などと言うと、そのレッテル貼りに同調する人が出てくるわけです。
そのような政治の話には、もしかしたら関わらないほうが良いのかもしれません。政治の話を中心的に行う人をミュートし、数学に引きこもりたい気分です。
しかし、寛容さが必要だと思うこともあります。数学の話をする人の中にも、肩書や知識の量でマウントを取るどうしようもない人がいます。こういう人を「見ないようにする」よりは、自分が寛容になるほうが手っ取り早いと思うのです。
つい最近、ある政治活動家が、「各々のミツバチは、ニューロンとして見るのが良い」と言っていました。
人間社会もそういうものかもしれません。誰かがイシューを発見したり、意見したりすれば、それはニューロンのように伝達され、物事が部分的にわかってきます。
そしてその情報は保存されます。一歩々々、何か知識の塊が進化を遂げているのかもしれません。
それとも、それは退化でしょうか。ある話題で社会が二極化した場合、どちらかが間違っているのではなく、異なる前提を持つ人が価値判断で争っているのかもしれません。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230922/k10014203381000.html
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6476149
友人の兄貴の弟の友人に聞いた話。最近の富士通汐留本社、やたらと広いフロアを借りてたけど、広すぎてマジガラガラで誰が見ても金の無駄状態だったらしい。
来年9月で撤退だそうだけど、元々汐留に展開してあったフリーアドレスの部屋、あまりにもガラガラだったので、既に閉鎖して使われていない。そもそも汐留、主要駅近くとかでもなくて、わざわざ寄るような場所じゃないんだよな。
本社機能としてどうなのかと言うと、本社機能から積極的にテレワークを推奨している結果、特に汐留はテレワーク率が高く、全社では出社率2割だけど、ここは所属社員は1割も来てないんじゃないかという事らしい。
さらに出社とマークされていても、自分の通勤圏内であればどこに出勤してもよいルールになっているため、神奈川に住んでる人が、川崎工場に出社して仕事して、わざわざ汐留までに行かない、みたいな現象が見られる。
さらに、営業や打合せの拠点としてもあまり意味が無くなっている。営業やSEなどは、社内の実務的な打合せはほぼオンラインで済むそうな。セレモニー的な打合せ(四半期に一度の部門会議(ランチ交流会付き☆)とか)はあるけど。
社外の打合せはオンラインで済む場合はオンライン、オンラインで済まない場合も、例え自社の発注先であっても、富士通に呼び出すというより、自宅から相手先に直行が多い。地味に不便な汐留に呼び出すより行く方が楽で、相手のキーマンにも会えるので効率がよい。
コロナ禍が終わりに近付き、気楽に取引先に行けるようになったら、あれ?こっちの方が効率よくね?と言う事になりつつある。コロナ禍が終わったのに、対外的な応接室の使用率が下がるというスパイラル。
特殊な機密保持が必要なものを除けば、元々どこでもリモートで仕事ができる体制になっているため、客先のオフィスで仕事しても、自宅で仕事しても、オフィスで仕事しても、アクセスできる情報リソースに差が無い状況なのがでかい。客先であっても「自社に戻ってキャビネットから紙を捲って確認しないとわかりません」がない。
更に、全社一括で主要なレンタルオフィスを契約しまくっている。
多数の会社の日本中のレンタルオフィスが利用でき、都内であれば、ほぼ全ての駅近に利用できるレンタルオフィスがある。
故に
みたいなワークスタイルが定着している。自分が所属していると言う理由だけで、所属先のオフィスに出社すると言う儀式が必要ないのだそうだ。
一方で、セレモニー的に集まる場所は必要で、誰かが「○日はxxのためにオフィス出社します」とか言い出すと「久しぶりに会って会話したいので私も出社します~」みたいな感じでぞろぞろ出社する人が雪だるま式に増えていき、打合せが自然発生的にくっついていく現象が見られる。
ただ、これはコントロール可能なことが殆どであり、2週間に一回とかそれぐらいの頻度なので、汐留である必要は全く無い。
富士通川崎工場(自社の土地で自社ビル。一部歴史的経緯で川崎市から借りてるけど)で全く問題は無いと思われる。
外国のテック企業で出社強制するという話が出ているが、日本の場合……少なくとも富士通は、そこを強制するまでもなく、わずかでも必要になれば自主的に出社しているということがたぶん異なる。逆に一切出社しなくて良い完全フルリモートはないと思われる。
でもそれ、負のスパイラルと共に、3世代目以降の将来まで断ち切ることになるやろ。少子化で。
そのせいで貧乏な家庭が増えたらどうなる。
非常に残念ながら、お前にパワハラしてくるアホや、無能すぎて0.5人分の労働生産性しかないアホであっても、完全に居ないよりマシである。
アホが部下でも使いこなせる有能になってアホから出る利益を享受する立場になるか、それが無理ならアホのいる世界をただただ生きる以外にない。
自分は青葉や加藤と大して変わらないような犯罪者目前の男女がうようよいる職場に居るのだが、でもやっぱこいつらに同情しろと言われてもなあ…という
こいつらにビッグモーター並みの罵声を浴びせられた事は日常茶飯事だし、強者には媚びへつらうのに弱者にはほんとに好き勝手やるし、しかも自分が邪悪なゴキブリだという自覚が一切ない
更にそういう男女で当たり前のように結婚して子供を作って負の連鎖がものすごい(噂で聞いているだけだけど、DVや子供への虐待、離婚率の高さは目を覆うばかり)
まず創業のジャニー喜多川が、自分のところの商品に手をつけてたのが犯罪だよね
ケーキが大好きでケーキ屋さんになったところで、商品のケーキを食べたら自分で食べた分も売り上げに計上しないと脱税になるよね
男娼業もやってたなら届け出をしておけばよかった話かもしれない
とにかく
①目的外のことを
②隠して行っていて
③実際に被害や損害が出てた
これについては、本人を責めればいい話だよね
次に、そのジャニー喜多川の商品がバカ売れなのでメディアはこぞって使ってたんだよね
視聴を稼ぐために使うには卸してもらわないといけないので、商品に手をつけてたことを知ってても黙ってたんだよね
メディアは知りませんでしたですまないところでも見かけてましたって証言もしてるんだからほう助だよね
たしかに一つ目の「本人の問題」が大きな原因で「本人がそれを行わなければ被害は発生しなかった」のだけど
それを行うことができる環境を知りながら放置してただけじゃなくて「本人がそれをしやすいように」という流れ
つまり売れるためにはという条件を前提に追加する手助けをメディアがしてたことになるよね
セクハラしてるから使わないとか、スクープするとか、訴えるとか、やめたほうがいいと言ったりせずに
黙って見過ごすだけではなくて、そのあと起用して売るってことは第一の問題をより大きくするためにかかわってるよね
だから第一の問題と同じくらいの大きさの問題としてほう助になるんじゃないかな
ここで一旦、現在の問題についてになるんだけど、ジャニー喜多川はもういないので今後被害は発生しないよね
現状、その被害者を叩くことで故人を弔う形になってるけど、まあそういう風習なんでしょとしか言えないけど
実際今後は被害者増えないよね
でも、メディアはなんにも変わらずそのままの状態で存続してるよね
ジャニー喜多川以外で、性別も男女どちらかについて、出演の都合をしたり露出度をあげることで人気があがって
人気があがるから露出度があがるという調整の権利をもってる人が、あつかってる商品にしたいことをするために
メディアを使っているとしたら、今現在も進行形で被害をうけてる人がいるかもしれないってことだよね
でも、個人を叩くために現在いる被害者を干すことで弔ってくことでそれをかくしてはないのかな
被害者は「被害をうけました」って声を上げて犯罪を阻止する義務を行ったから共犯とみて叩いていいのかな
いじめられる側が報告義務を怠ることでいじめを助長してるとみるのがただしいという指針なのかな
問題の話にもどって、三つ目にその被害者から仕事を奪う事が問題の解決とか浄化につながるのかな
被害者は被害をうけましたって訴え出ないと、退職に追い込まれたりしたとしても内部告発しないと共犯みたいな扱いかな
第一に本人、第二に環境やほう助の協力者、第三に被害者本人のどれに問題があるのかって考えたらさ
第二のほう助が、一番利益も得ていて、一番阻止できる位置にあったのに、自分の都合のためだけに黙って、自分のうりあげのために黙ってたというのが問題が大きいと思うんだよね
そして一番問題になってない、そしらぬ顔で加害者の異常性と被害者の無責任性だけ叩いて、それでまた儲けてるみたいな
ジャニー喜多川傘下で加害者側の現存の人間もいるだろうし、それ以外の事務所や立場の人間で同じことをしている人間がいないわけではないんじゃないかな
ジャニー喜多川以外に性加害をしている人間なんていないとして、性だけじゃなくていろんな問題行為をしてる、たとえば大御所古参の歌舞伎役者が横暴だとかいう話とかなかったとしても
それでもメディアがジャニー喜多川について、その人ただ一人が地球上でゆいいつ以上な行動をとる人だったとして、その行為を許したのは本人なのか天なのか世界なのか
はたまた不動産の所有者だったのか密室の管理者だった人か火元責任者だったのか、親族なのかファンなのか広告主だったのかっていったら
やっぱり知っててなおかつ金儲けにつかったメディアがほう助しなければそんなことは防げたのかもしれない、問題を拡大したものメディアだったんじゃないかって思うんだよね
僕個人としてはメディアが、ただザルみたいに情報を伝えるだけの機能をすることが大事みたいな話をするんだったら
隠したり記者の感想を盛り込んだり、売れるものだけ偏って売るみたいなこと自体が問題なんじゃないかって思うしその結果の一つがこれなだけで
まだまだいっぱいあるんじゃないのかなって、それも小出しに売っては寝返って、だれかの責任を追求しましょうって煽って、それをまた売っていくこと自体が問題だと思った
被害者の顔をみると思い出すみたいな意味で使用を控えていくスポンサーが増えていくのは負のスパイラル感あるとおもうけどそれで浄化して立て直せるならいいかなとおもうけど
メディアはそこらに焚きつけてまたそしらぬ顔でただ立ち直れもしない被害者を燃料にして儲けていくだけってするのはよくないんじゃないかなって気持ちになってる
1980 年代、心理学者のリチャード E. ペティとジョン T. カシオッポは、説得がどのように機能するかを説明する「精緻化尤度モデル」を開発した。ここでの「精緻化」とは、その情報をどれだけ注意深く考えるかという意味である。人々に注意深く考える意欲と能力がある場合、「推敲の可能性」は高くなる。これは、人々が関連情報に注意を払い、メッセージの議論の利点に基づいて結論を導き出す可能性が高いことを意味する。
他人を説得するには少なくとも2つの方法がある。最初の方法は「中央」ルートと呼ばれ、聞くメッセージを注意深く熟考することから生まれる。中央ルートが関与している場合、提示された情報を積極的に評価し、それが真実かどうかを見極めようとする。一方で「周辺」ルートが関与している場合、実際の情報やメッセージの内容以外の手がかりにさらに注意を払う。たとえば、誰かのメッセージの実際のメリットを考慮せずに、その人の魅力や教育を受けた場所に基づいてその人の主張を評価する可能性がある。
周辺ルートを通じてメッセージを受け入れる場合、中央ルートを通じてメッセージを受け入れる場合よりも受動的になる傾向がある。
有名な心理学者のスーザン・フィスクとシェリー・テイラーは、人間を「認知的守銭奴」と特徴付けている。彼らは「人間の情報処理能力には限界があるため、できる限り近道をするのです。」と書いている。
動機や議論を処理する能力が低下するにつれて、説得には周辺的な手がかりがより重要になってくる。
議論(中心ルート)の実際の利点を比較検討して信念を更新すると、周辺処理を通じて信念を更新する場合と比較して、更新された信念は持続する傾向があり、反論に対してより堅牢になる。慎重かつ思慮深い検討を通じて何かを信じるようになると、その信念は変化しやすくなる。
つまり、周辺ルートを通じてより簡単に操作される可能性がある。周辺ルートを通じて何かを確信している場合、操作者は周辺ルートをもう一度使用して最初の信念を変えることに成功する。
心理学者のレオン・フェスティンガーは、社会的比較プロセスに関する影響力のある理論の中で、人は自分の意見を他人の意見と比較することによってその意見の「正しさ」を評価すると示唆した。他の人が自分と同じ信念を持っているのを見ると、その信念に対する自信が高まる。
これらの考えを総合すると、人間の心の中には何らかのメカニズムがあることが示唆される。たとえそれが真実であっても、自分の地位を下げるようなことを言わないようにする。そして、たとえそれが嘘であっても、自分の地位を高めるようなことを言うように彼らを駆り立てる。
さらに、自身の評判がどうなるかという考慮が私たちの信念を導き、私たちの社会的地位を維持または強化するための一般的な見解を採用するように導くこともよくある。暗黙のうちに「この信念を保持すること(または保持しないこと)が社会にどのような影響をもたらすだろうか?」と自問する。
説得の周辺ルートに戻ると、多くの人がそれを信じている場合だけでなく、その信念の提唱者が権威ある人物である場合にも、何かを信じるかどうかを決定する。
オックスフォードの心理学者セシリア・ヘイズは、著書『認知ガジェット』の中で次のように書いている。彼らは、同じ年齢と性別の同じくらい身近な人よりも、大人が社会的地位が高いと考えるモデル、たとえば学校の校長を模倣する可能性が高い。
それでも、私たちが高い地位を持つ他人を真似するのは、彼らを模倣することで自分の地位が向上することを期待しているからだけではない。権威ある人ほど有能であると信じがちであるが、プロミネンスはスキルのヒューリスティックである。
研究者のアンヘル・V・ヒメネス氏とアレックス・メソウディ氏は、威信に基づく社会学習に関する最近の論文で、能力を直接評価することは「騒がしくコストがかかる可能性がある」と書いている。代わりに、社会的学習者は、モデルの外観、性格、物質的な所有物などから推測することによって、ショートカットを使用できる。
ここで、次のような疑問が生じる。周辺的説得による操作の影響を最も受けやすいのは誰か? 教育を受けていない人々のほうが操作されやすいと信じるのは直感的に思えるかもしれないが、研究によると、これは真実ではない可能性がある。
心理学教授のキース・スタノビッチは、「マイサイド・バイアス」に関する自身の研究について論じ、次のように書いている。「あなたはそれに属しているのは、それらはあなたの気質と生来の心理的傾向に適合しているからです。」
一流大学の学生や卒業生は、自分側の偏見に陥りやすい。彼らは「自分自身の以前の信念、意見、態度に偏った方法で証拠を評価し、証拠を生成し、仮説を検証する」可能性が高くなる。
アメリカのジャーナリストであり、『第三帝国の興亡』の著者であるウィリアム・シャイラーは、ナチスドイツの従軍記者としての自身の経験をこう語った。シャイラーは次のように書いている。「ドイツの自宅やオフィスで、あるいは時にはレストラン、ビアホール、カフェで見知らぬ人と何気ない会話をしているときに、一見教養があり知性のある人たちの突飛な主張に出会うことがあった。彼らがラジオで聞いたり新聞で読んだりしたナンセンスをオウム返ししているのは明らかでした。時には同じことを言いたくなることもあったが、まるで全能者を冒涜しているかのような不信感を抱かれた。」
同様に、ソ連崩壊に関する研究では、大学教育を受けた人々は高卒者よりも共産党を支持する可能性が2〜3倍高いことが研究者らによって判明した。ホワイトカラーの専門労働者も同様に、肉体労働者に比べて共産主義イデオロギーを支持していた。
今日の米国内のパターンはそのような調査結果と一致している。政治アナリストのデビッド・ショールは、「高学歴の人々は、労働者階級の人々よりもイデオロギー的に一貫した極端な見解を持つ傾向がある」と述べている。これは、問題に関する世論調査やイデオロギー的な自己認識にも見られる。大卒の有権者は穏健派であると自認する可能性がはるかに低い。
この理由の 1 つは、時間や場所に関係なく、社会の富裕層の方が地位を維持したり、地位をさらに獲得したりするために正しいことを言う可能性が高いためであると考えられる。
カリフォルニア大学バークレー校のキャメロン・アンダーソンが主導した最近の一連の研究では、社会階級が社会的地位への欲求と積極的に関連していることが判明した。より多くの教育を受け、お金を持っている人は、「他人の意思決定に影響を与えることを楽しんでいます」や「名声や社会的地位を得られたら嬉しいです」などの発言に同意する可能性が高かった。
ケイトー研究所がYouGovと協力して行った調査では、全米を代表する2,000人のアメリカ人サンプルを対象に自己検閲についての質問を行った。
その結果、高校教育以下の学歴を持つ人の25%が、政治的見解のせいで解雇されたり、雇用の見通しが損なわれることを恐れているのに対し、大学院卒の学歴を持つ人の割合は44%であることが判明した。
政治学者のジェームズ・L・ギブソンとジョセフ・L・サザーランドによる「口を閉ざす:米国における自己検閲のスパイラル化」と題された最近の論文の結果は、Cato/YouGovの調査結果と一致している。彼らは、自己検閲が急増していることに気づいた。マッカーシズムの絶頂期だった1950年代には、アメリカ人の13.4パーセントが「以前よりも自分の意見を自由に言えなくなったと感じている」と報告した。2019年までに、アメリカ人の40%が自分の意見を気軽に言えないと回答。ギブソンとサザーランドは、「自分の意見を言うことを心配している民主党員の割合は、自己検閲を行う共和党員の割合とほぼ同じで、それぞれ39%と40%である」と報告している。
この増加は特に教育を受けた層の間で顕著である。研究者らは次のように報告している。「自己検閲に従事する人々が限られた政治的資源を持った人々ではないことも注目に値し、おそらく予想外である…自己検閲は最高レベルの教育を受けた人々の間で最も一般的である…この発見は、以下のことを示唆している。社会学習のプロセスであり、教育を受けた人ほど、自分の意見の表現を妨げる社会規範をよりよく認識している。」
興味深いことに、教育が自分の権力意識とマイナスに関連していることを示す示唆的な証拠がある。つまり、教育を受けていればいるほど、「自分が意見を表明しても、自分の意見はほとんど揺るがない」「自分の考えや意見は無視されることが多い」といった意見に同意する可能性が高くなる。
ミュンスター大学のリチャード・ラウ氏が率いる「他者の最良または最悪の見方:一般化された他者認識の尺度」というタイトルの論文を考えてみる。
研究者らは参加者に、ソーシャルメディアのプロフィールや動画に登場する人物を評価するよう依頼した。参加者は、「この人が好き」「この人は冷淡だ」などの発言にどの程度同意するかを尋ねた。その後、参加者は自分自身についてのさまざまな質問に答えた。
高等教育は一貫して、人々に対するあまり肯定的な見方に関係していなかった。この論文は、「人々の感情、行動、社会的関係を理解するには、彼らが他者に対してどのような一般的な見方を持っているかを知ることが非常に重要です…人々がより良い教育を受ければ受けるほど、他者に対する認識は肯定的ではなくなります。」と結論付けている。
したがって、裕福な人々はステータスを最も気にし、自分にはほとんど力がないと信じており、仕事や評判を失うことを恐れており、他人に対してあまり好意的な見方をしていない。
つまり、意見は、その真理値に関係なく、ステータスを与えることができる。そして、自分の地位を維持したり高めたりするために特定の意見を表明する可能性が最も高い人は、すでに社会のはしごの上位にいる人でもある。
○個人的に好きだが、周りのアニオタで名前や内容を知らない(あるいは勘違いしてる)人が多少いる系
ガヴリールドロップアウト、おねがいマイメロディ、ガッチャマンクラウズ、あそびあそばせ、ガルパ☆ピコ、ナイツ&マジック、スキップ・ビート!、銀河へキックオフ、兵部京介、亜人ちゃんは語りたい、ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?、ジョーカー・ゲーム、こみっくがーるず、GJ部、スパイラル、デュラララ!!、魔王様リトライ!、フルメタルパニック?ふもっふ、ONE OUTS、パリピ孔明
鬱で何事にも関心が向かず日々の生きる目的がなかったとき、出会ってはいけないゲームに触れてしまった。
クレーンゲーム。どのゲームセンターにも置いてあるプライズ機だ。
メンタルをやって狂い始めていた人生が、一気に崩れた瞬間だった。
満足に仕事もこなせていないので、もう中途市場で私を拾う会社は存在しないだろう。
2023年3月、心の拠り所だったソシャゲであるアイドルマスターシンデレラガールズが終了した。
それが直接的な原因かどうかは不明だが、その頃から明確に体調が悪化した。
仕事はできない。集中ができない。もちろん資格勉強なんてできない。
余暇を過ごすアテもない。ハマっていたゲームも漫画も、集中が続かない。
何もできない。
起きて、仕事をするフリをして、飯を食って、寝る。
生きている理由がない。
昔から浪費が好きだった。
音楽ゲームを嗜んでおり、「復調したときに腕が動かなかったら嫌だから」という理由でゲームセンターにはちょこちょこ通っていた。
そんな中、ふとクレーンゲームに目が行った。
クレーンゲームには嫌な思い出がある。
モバマスの担当の缶バッチが出たとき、あまりのセンスのなさに店員から3回アシストを受けた。
結果、7000円で缶バッチ1個。
7000円。
もう二度とやらないと誓ったゲームに、気づいたらお金を入れていた。
ゲーセンの収益のほとんどがプライズとメダルであることも知っている。
クレーンにお金を入れるやつのほとんどがカモなことを、知っている。
結果は覚えていない。
取れたことは確かだが、天井を叩いたのかテクでねじ伏せたのかは覚えていない。
でも、取れてしまった。
生きるモチベーションがなかった自分に、2つの快楽が結びついた。
1つは、景品が取れること。
もう1つは、タイパよく金を浪費できること。
100円で10分遊べて、6000回はボタンを叩ける音楽ゲームと比べて、
100円で15秒遊べて、2回ボタンを叩くだけのゲームは、ばかばかしいが、あまりにも甘美だった。
気付けば、クレーンゲームにハマっていた。
財布だけ持ってゲーセンに行き、両手をいっぱいにして帰る日々が続いた。
もちろん、テクニックは持ち合わせていない。
金が飛んでいく。
でもそれが心地よかった。
でも、クレーンゲームをやっている。
気付けばカードローンに手を出していた。
浪費して、金がないことに嘆き、ストレス発散に浪費する。
家から出ることすらせず、金を浪費できることに気付いてしまった。
ローンの上限を叩くのはあっという間だった。
さて、そうなるとさすがに焦りが出てくる。
鬱で馬鹿でも、無い袖は振れないことは知っている。
心療内科の先生は、励ましてくれるだけで特に処方は変わらなかった。
独力でなんとかするしかない。
ギャンブル中毒の人間は一念発起して「はい! ギャンブルやめます!」とはなれない。
・ギャンブル欲を少しずつ小さくしていく
の2点が挙げられる。
一般に無課金ユーザーからすれば課金石を割ってスタミナ回復をすることは効率が悪いといわれがちだが、
私にとっては軽い浪費をしながらギャンブルができ、時間を無為に使える画期的な存在だった。
限定ガチャの開催時以外にガチャをする旨味が少ないタイトルのため、周回にだけ石を使えるのも追い風だった。
これで様子見、と言いたいが、まだスマホでオンクレをしてしまう問題が残っている。
なんならソシャゲなんてほとんどエミュ使ってPCでやってるんだから、周回しながらオンクレができてしまう。
なんとかしてスマホをいじる時間をオンクレ以外のアプリを稼働させる時間にしないとギャンブル中毒のままである。
スマホを拘束してくれるアプリを探して、ようやく原点に立ち返ることができた。
私には心の拠り所があったじゃないか。
『アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ』
U149アニメに絶望し(担当が出てこなかったため)、長らく起動していなかったが、こいつが残っていた。
音楽ゲームだからタイパが悪く、スタミナ回復手段も豊富にある。
デレステには放置編成(「ミスをパーフェクトにする」などのスキルの組み合わせで、プレイせずに曲をクリアできる編成がある)があるので、私のリアルスタミナや集中力は必要としない。
オンクレをしないようにスマホでつけっぱなしにするアプリとして、こんなにも適切なものはなかった。
というわけで、こんな記事を書きながらもNoxではアークナイツの石を割りスマホからは星環世界が流れ続けている。
自分がカスである自覚はもちろんあるが、もがいている日記くらいは残してもいいだろう。
クレーンゲームの欲求もそこそこ小さくできているので、しばらくはこれで様子見。
私は30代女で営業部長をやっている。採用や人員異動で40代小梨女性の年上部下が来ることがあるけど、軒並み地雷で合わない。過去2名ほど入ってきたけど、合わなくて別部署ヘ異動していった。
自分より社会人歴がある人が部下になるなんて、普通にめんどくさいのよ。相手のバックグラウンド考慮して適度にヨイショしたり、出来てないことをやんわり指摘したり、指摘しても直らないからその仕事を巻き取らなきゃだったりでほんとダルい。
でも、おじさん部下は年下上司であっても仕事のスキルで判断してくれるから、初めこそ若干気を遣うものの慣れればちゃんと戦力になってくれる。
40〜50代子蟻女性の年上部下も揉めることはない。出産育児でキャリアギャップが出来ちゃう辛さは分かるし、その分何とか自分のキャリアを築こうと頑張ってくれるので、こっちも改善点を指摘して次の仕事で直してもらってみたいな良いスパイラルが回る。
問題は40代小梨女性なんだよなぁ。40代ともなると20〜30代ほどモチベーションもないし、スキルの伸び代もない。出来の悪い仕事の改善点をいくらフィードバックしても全然良くならない。過去2名のうち、1人はフィードバックしたらパワハラだと騒ぎ、もう1人は指示の出し方が良くない&部長の役職にある人とは思えないとまで言ってきた。冷静に考えてあなたたちの言うことが本当だったらこの部署の業務回ってないでしょ、他の人はそれで業務が回ってるんですけど、って思ったわ。
あんまり個人の属性でラベリングするのが良いとは思わないけど、共通項が40代小梨女性なんだな。憶測でしかないけど、こういう人って私が男性年下上司だったら同じこと言わないと思う。女の敵は女とは言ったもんだよ。
上司は私の仕事ぶりは認めてくれてるけど、どんな部下でも上手く使わないといけないし、文句を言う部下が出てくるのは良くないよね、みたいな事を言ってくる。40代小梨女性の戯言で評価を落とされたくない。
あと小梨に、お子さんいいですねとか私はお母さんになれなかったから…とか言われるのもしんどい。何回も言われて返す言葉も尽きるし、だいたい仕事するだけの間柄なんだからプライベートを話したいわけじゃない。語られても興味もない。そんなのどーでもいいからまともな仕事してくれ。
もうめんどくさいから、この層の人からは私が30代&子蟻&役職有だから僻まれるんだなと思い始めてる。合わない層がいる時点で管理職として未熟なんだろうけどさ、他人を変えることなんて出来ないじゃん。どんだけ言っても仕事出来ないじゃん。無理じゃん。
むかし公民館で花火大会の運営をしてた。毎年、地方の花火大会を無料でやっていたから知っているのだけど、本当にしんどい。なので、それを書き込んでみる。
とまあ、花火大会を無料でするというのは、今の時代は無理ですよ。かつては、花火大会をすることで公民館のメンバーが潤ったけど、もはや利益受給者がないのだからやろうと思えない。というわけで、夏の風物詩を欲すならば金を払ってくれ。貧乏人うんぬんではなく、花火大会には金と体力と気力が必要なのだ。金が無いと花火大会は実施できない。花火大会を無料で観覧させろというのは、「パンとサーカス」よろしく事業継続性に乏しいのである。
https://twitter.com/kazzuaki/status/1681307788864258049
①累進性が壊れてる最大の理由は分離課税+軽減税率の合わせ技。資本軽課=租税支出=補助金によって経済成長を実現できるとした時代があった(2000年代前半)。貧乏人に金を渡すとすぐに消費してしまう。リテラシーが低いので、投資といっても貯蓄に回してしまう。しかし、これからの時代は株式や金融派生商品の時代だ。直接投資を増やさないと経済成長しない。だから金持ちを優遇すれば 彼らは所得の割に消費しきれないわけだから、その余った金を貪欲に直接投資に回すはずだ。そうすれば経済成長する。貧乏人は誰も助けてくれないとなれば一生懸命働くだろう。この合わせ技で経済成長すれば貧乏人だっておこぼれに預かれる。金融立国、聖域なき構造改革とはこのことだ。
②日本の所得税がスカスカになってる理由は所得控除。特に給与所得控除と公的年金等控除がでかいが、これは減税額によってサラリーマンと自営業者(青色申告)と年金受給者との負担を調整してきた結果。所得控除の仕組みが高所得者減税になっていて、低所得層に恩恵がない形だったのは勤労を重視していた(小熊/井手)から、というのが通説だろう。
③福祉国家を維持するための財源として他の制度が重要であったこと。日本の社会保障の中心は社会保険(ビスマルク型社会保障)。社会保険料の負担の特徴は再分配を効かさないこと。リスクに応じた負担(民間保険)よりは定額保険料の方が社会的であるし、定額保険料よりは定額から所得に応じて負担が減少してゆく擬似比例負担の方が社会的。この社会保険の共助的公平性が日本の公平感の基礎にあり、それが諸税の女王たる所得税の地位を低いものとした。社会保険料控除も大きいし。そこに付加価値税が登場することになる。付加価値税に触れ始めるとこれはこれで長いが、直間比率を間接税に寄せた方が経済成長する(2度目の登場だが言説としてはこっちが古い)、高齢者の負担(年金所得を控除しといてなので減税スパイラル)が不当に小さい、などといった理由で所得税より付加価値税が好まれた。欧州的には輸入品に課税できるということ、輸出品に課税しない(租税支出=補助金)ということで、経済のグローバル化に対応した税だということだったはずだが。福祉国家の充実には、この新しい税制である付加価値税が鍵なんだと(事後的にではあるが)評価され、所得税へと注目が集まらなくなっていった。
この辺りの再分配の不味さに対して専門家はずっと苦言を呈してきたが、社会/政治的な支持は減税/増税阻止で安定してきたので、金持ち減税/勤労(プロテスタンティズムとは違った意味で)を重視する租税制度が出来上がって今に至る。ここにメスをれようてして失敗したのが新しい資本主義ね。