はてなキーワード: スノーボードとは
俺は小中高大と学生時代、所謂「クラスでもイケているグループ」に属した事がない。
この「クラスでもイケているグループ」とは、いつも最低7〜8人くらいの友達とワイワイ楽しそうにしている人達の事で、
何となくどんなモノかは分かると思う。
ごく稀に、このグループに入ってしまう事が何度かあったが、この時の自分の異物感たるや半端ない。
結局、俺にはこういうのは向かないんだな、と結論付けて学生時代を過ごした。
社会人になってもひとりで過ごす事が多かったが、決定的に違ったのは学生時代ほど違和感のない事だった。
身近にいるのはただの同僚であり、友達ではないからかも知れない。
気持ちが少し楽になって、お金にも余裕が出てきて趣味が増えていった。
服を買うようになった。
ジムに通って体を鍛える事にした。
スノーボードをはじめてみた。
映画をよく観るようになった。
そして幸いな事に、「見栄えのいい趣味」だったりする。
これを20代ずっと続けて30代になった今、いつの間にか人より音楽や映画に詳しくなっていたし、
服も人からセンスが良いと言われるようになり、スノーボードの腕前も上達した。
勿論それなりに努力はした。(ここでは詳しく書ききれないけど)
周りからの印象もだいぶ変わった。特に学生時代の友達に会うと驚かれる。
リア充だと良く言われるが、実際はいつもひとりで楽しんでいたりする。
今までの時間を取り戻すかのように30代を楽しんでいるけど、それでいいと思っている。
こんどスノーボードをしにいく。
スノボードは好きだ。個人的な体感としてはスキーよりも圧倒的に簡単で楽しい。
スキーは板が別々になっているせいで、ころんだ時にあしが曲がってはいけない方向に曲がったりするので危ない。
これのせいで足首を捻挫して苦しいスキー合宿を過ごした思い出がある。スキーは危ない。
だがスノーボードは両足が固定されているのでこんなことはない。少なくとも足首系の怪我をすることは格段に少ない。
まず手首にヒビがはいったり、後頭部を強打したり、おしりを強打したりする。
とはいえスノボでの怪我をあなどってはいけないらしい。知り合いでボードをやっていたやつがこけて後頭部を強打しそれからどうにかなってしまったという話をきいた。
http://point.recruit.co.jp/doc/campaign/cm/20140206/
このCMをソチ五輪にぶつけるリクルートさんの感覚に違和感を感じてしまいました。
ぱっと見、既成概念にとらわれない自由な生き方をすすめる感動的な内容に思えるCMです。
このCMが流れるまで、私は、スノーボード・ハーフパイプ競技のNo.1になることを夢見て、努力し続けて国の代表として五輪に出ているアスリートたちの活躍を見ていました。
華やかなステージに立つ一流選手と今の自分をぼんやり比べつつ、自分より何十歳も若い選手を尊敬のまなざしで見ていたのです。
そこへもってきて「だれかと比べなくていいんですよ、あなたの人生もすばらしいんですよ」と優しい目線を装いつつ上から語ってくるこの長尺CM(2分)が放送されたのです。
人それぞれ多様な価値観があり、その人に見合ったゴールがあるべきだという理想はわかります。
ですが、誰かに決められたゴールに向かって通しナンバーのゼッケンつけてルールに縛られて競い合うなんて古い、もっと自由であるべき!ゴールは人の数だけある!どこを走ったっていい、自分だけの道がある!などというメッセージを流して、最後には「リクルートポイント、はじまる。」「まだ、ここにない、出会い。リクルート」ですよ…。
クォリティの高い撮影や池松壮亮氏の見事な演技、ナレーションにもかかわらず、私には素晴らしいはずの「ぼくらの人生」がとてつもなく安く扱われているように感じてしまいました。
マラソンという競技に人生をかけ取り組んでいる選手たちは、このCMを見てどう思うのでしょうか?
冬季オリンピックにマラソンはありませんし、人生をマラソンに例えることが多いからマラソンを使ったのでしょうが、どうにもうなってしまいます。
リクルートさんが高い制作費と出稿料をかけて「競争ばかりの狭い世界から飛び出して、人生楽しみましょう」という広告をうつのは、リクナビ進学や受験サプリで良い学校に入って、TOWN WORKでバイトを探して、リクナビで就職して、とらばーゆして、ケイコとマナブで自分磨きして、SUUMOで住むところを決めて、ゼクシィで結婚式場を決めて、赤すぐでマタニティ用品を買って、じゃらんで旅行先の宿を決めて、じゃらんゴルフでゴルフ場予約して、HOT PEPPERグルメで居酒屋予約して、ポンパレでお得にお買い物しましょう(ほかにもいっぱいありますが)と伝えたいからです。
それを言いたいがために、決められたゴールに向かって愚直に努力するという価値観を否定するのはいかがなものでしょうか。
人生がマラソンに例えられることが多いのは、厳しいルールがあることや優勝者や完走者が偉いという価値観があるからではないでしょう。スタート時点でははるか遠く、目には見えないゴールを目指し、自分の力を信じて、レース全体のペース配分を考えつつも自分なりのペースで最後まで走り続けることが、長い人生を全うすることに似ているからだと思います。
著者プロフィール
宇賀神 宰司(うがじん・さいじ)
1993年慶応義塾大学商学部卒業。同年、日経BP社に入社し、パソコン専門誌「日経MAC」「日経クリック」「日経WinPC」の編集を担当する。2002年~2004年、米ニューヨークに留学。帰国後、中小企業のためのIT化情報サイト「SMB+IT」、「日経ベンチャー(現・日経トップリーダー)」の編集を経て、2007年から現職。流通、中小ベンチャー、マネジメント、IT(情報技術)を担当する。2011年、約4カ月にわたりケニアの首都ナイロビに滞在。趣味はサーフィン、スノーボードとサンバ楽器演奏。
このエントリについて。
彼の頭が良すぎて萎えて別れた
わかるような、わからないような。読んですっきりしない部分があったので少し考えてみた。
このエントリの続編で触れられているように、この話の出発点には「高学歴と低学歴の世界の溝」の問題がある。
そもそもの問題として、「低学歴」対「高学歴」の世界の話というのはなぜ「低学歴」ポジションからの発言が多いのだろうか。それも「高学歴の世界」をポジティブなものとみなして、自分の所属する「低学歴の世界」をネガティブなものとして演出するという態度で書かれてるものが多い。
こういうタイプの文章がはてブを集めて多く読まれているのは、それを読むと読んだ人が心地良く感じるからではないかと思う。「高学歴の世界」の人はこういうのを読んで単純に優越感を感じる。一方こういう文章を読む「低学歴の世界」の人は、「低学歴の世界」にいながらにして自分は「低学歴の連中とは違うんだ」という意識を持っているような人なのではないだろうか。だから「低学歴の世界」が「高学歴の世界」に対して否定的に書かれていることに溜飲を下げる。「低学歴の世界」を批判することで、自分がそこから離れて「高学歴の世界」に近づけるような気がするんじゃないか。「低学歴の世界」に満足している人は、おそらくこの手の文章を読んでもピンとこないだろう。
では、自分自身は、こういう文章と向き合う時なにを感じているのだろう、と思った。こういう文章を読んだ時、私の胸には優越感などの心地よく単純な感情ではなく、言うも言われぬ複雑な感情がこみ上げてくる。
私自身はおそらく「高学歴の世界」に属する人間だろうと思う。曽祖父の代から大学教授の家系で、女性も祖母の代から高等教育を受けている。私は大学付属の小中高に通ったが、クラスメートの父親はおおむね医者か弁護士、研究者、大企業勤務のどれかだった。大学に入るときは、東大、京大、早慶上智、国立医学部までしか選択肢になかった。実際にクラスメートの大部分はこれらの大学に進学した。残りのMARCHレベルに進学した人たちが、私にとってとんでもなく「低学歴」の人たちだった。親類のなかでは東大京大以外は大学ではない、というくらいの認識であったし、私自身、ちょっと勉強すればだれでもMARCHくらい入れるものだと思っていた。この認識が変わったのは、大学に入って予備校でバイトを始めた時だった。どんなに必死で努力してもMARCHはまだ夢の夢という生徒が大勢いるのに衝撃をうけた。
こうして書くと自分は嫌な人間だなと思う。けれどこういった「高学歴の世界」が居心地のいいものだったかというと、そんなことはない。「高学歴の世界」は息苦しいものだ。「高学歴の世界」を定義づけるのは「今日よりも明日」だ。今日よりも明日、より良くなっていなければならない。より良く、より賢く、より豊かになっていること、それが「高学歴の世界」が求めるものである。失敗は許されない。一度失敗したものは、この日々の前進のルートから脱落し、また追いつくためには絶望的な努力を強いられる。「高学歴の世界」は失敗に敏感だ。私の両親はよく「一事が万事」と言っていた。たった一度失敗すれば、それは全て失敗したのと同じ。このスローガンに、子供の私は恐怖しか覚えなかった。遊びも教育の一環だった。教育的でない遊びは排除された。常に成長することが求められた。それは大人になっても続く。昨日よりも今日、今日よりも明日、より成長して改善していること。「高学歴の世界」を統治するのはこの原理である。
このような世界が自分にとって当たり前だったのだが、それはまたひどく息苦しくもあった。そこには「明日」と「未来」はあっても、「今日」と「いま」はない。なにもかもが「明日のため」であるとき、いまここに生きているという感覚はどんどん摩耗していく。今、この瞬間どんなに成功していても、それを100%として認めてもらえることはない。明日さらに良くなること、明日さらに成功することが求められる。それは絶え間ない自己否定でもある。この自己否定がなければ、改善も成長も望めないから。
やがて神経衰弱のような状態になって、ふとある趣味をはじめた。そこには私と同じような育ち方をした人もいれば、そうではない人たちもいた。このとき私ははじめて「低学歴の世界」に触れたのだと思う。その「低学歴の世界」のひとたちは、多くが高卒で、男も髪を染め、女性はミニスカートや露出の多い格好をしていた。タトゥーを入れている人もいれば、道端でケンカをする人もいた。この仲間のなかに入って、私ははじめて「今を楽しむ」ということを知った。お酒を浴びるように飲んで、馬鹿な話をして、大笑いして、そういうことをしても、明日のためにはならない。明日に残るのは、二日酔いだけだ。けれどその瞬間は、ものすごく楽しい。彼らは遊ぶことがものすごく上手だった。季節ごとにいつも楽しい遊びを考えていた。バーベキュー、花見、キャンプ、スノーボード。「今、この瞬間を楽しんで生きてもいい」ということを知ったのは、自分の人生が大きく変わるほどの体験だった。
こういう経験を通して考えてみれば、「うちらの世界」の価値観も理解できる。「高学歴の世界」は未来の為にという価値観がとても強い上に、一度失敗するとその損失を取り戻すのが非常に困難であるという認識を共有している。彼らにとって「バイト先での醜態を公衆に晒すこと」は大変な過ちでありなんとしても回避されるべきものである。一方「低学歴の世界」にとって大事なのは今この瞬間である。今この瞬間を楽しむことが何より大切でなので、その行為が未来にもたらす影響は考慮しない。今、バイト先の飲食店で食材をおもちゃにすることが楽しくて、目の前にいる友人を楽しませることができるのであれば、そのことがなにより重要なのだ。
「明日のために生きること」と「今を思う存分生きること」は、本来両立しうるものであるけれど、どちらかにかたよるとそれぞれ問題をひきおこすのだなと思う。自分の生きてきた世界のことは、みなよく知っている。だからこそあらも見えるし、別の世界に憧れもする。それはもちろん幻想なのだ。どの世界にも光と影がある。ユートピアはいつだって「どこにもない場所」なのだ。
さて冒頭の「彼の頭が良すぎて萎えて別れた」というエントリーであるが、これを読んで再びなんとも言えない気持ちになった。この人はなぜこんなに彼との間に線を引きたがるのか、そこに溝を認めたがるのか。なぜそこに溝を認めた上でそれでも相手を受け入れることができないのか。この場合、二人の間にあるのは「学歴の溝」ではなくて彼女の方のコンプレックスなのだと思う。自分が手に入れたくて仕方がないものを、もう自然にもっているように見える相手への嫉妬なのだろう。けれどそれは「毎日より良く」という価値観のなかで研鑽されてきた結果なのであって、同時にそのなかで切り捨てられてきたものも存在するのだと思う。そういう自分が切り捨ててきたものを恋人に求める気持ちが、私にはよく分かる。私が強く惹かれるのは同じ世界の人ではなくて、別の世界の、ある種の「生きる智恵」を持っている人だ。多く笑い、気楽で、今を楽しむ人だ。この話で、彼は彼女にたとえばそういう魅力を求めていたのかもしれないのに、紋切り型の階級差を持ちだして自己完結する姿になにか割り切れないものを感じる。
一方で、このエントリーで語られている話自体がすでに紋切り型のものであるとも言える。語り口が現代風であるというだけで、話の中身は明治時代からでもありそうな話だ。とりわけ語り手を男にしてみると、既視感が強くなる。身分差のある恋をした男が、バックグラウンドの違いを感じて、女を捨てる。「彼女の頭が悪すぎて萎えて別れた」と男が語る。あるいは女が男を思って身を引く。でも私達が生きているのは現代日本だ。好きなように生きればいい。相性が悪ければ別れればいいし、よければ付き合えばいい。けれど「高学歴」「低学歴」という単純な構図に当てはめて自分の生き方を縛るのは、愚かなことだと思う。自戒を込めて。
僕とは、そういう関係にはなれないと。
そういわれてしまったら仕方ないし、これ以上関係を悪化させてたくない。
どのみちあきらめるしかないと思って必死にあきらめようと努力してた。
あきらめることなんて出来ないって分かっているけど、もういっさい連絡とかしないようにしたんだ。
でも、ふとしたきっかけで、みんなでスノーボードに行く事にになった。
みんなは僕がその子にふられたらなんて事知らないと思う。
もうなんだか凄くどきどきして死にそうだった。
めっちゃ緊張もした。突然過ぎる。
なんかなんだか、今回一緒に行って、今まで以上にその子の事が好きになってしまった。
僕はこのままあきらめた方がいいのだろうか。
あきらめられるのだろうか。
でもこのまま何もしないであきらめるなんて、なんか我慢できない。
もうどうしたらいいのか本当にわからない。。。
一生の問題
君は、自分が今抱えている問題が解消すれば楽になると思っていないかい?
問題は常に付きまとう。
問題を抱えはじめたのは小6くらいの頃だっただろうか、中学生になれば解決する問題、それは通学路だった。
小学生の一つの楽しみと言えば行きと帰りの歩き道として通学路が制定されていた。
住んでいる区域によってある程度“この道を通らなければいけない”という決められた道程があり、もしその道以外を歩いて登下校しようものなら朝と帰りの学級会で
「○○君が通学路破りをしていました。」
なんて問題にされる。
確かに親や教師達が心配してとの事だというのは解るが、中学生になればこの問題は解決し自由に好きな道を選んで登下校できた。
勿論、中学は中学で自転車に乗ってはならない等の規制があったりする。
常に問題はつきまとう。
高校生くらいになれば早く自分で働いて自分の稼ぎで自由に買い物したいと思うし、大学生になれば内定さえ取れれば等と考える。
係長になれば、課長になれば、部長になれば、役員になれば、いつになっても問題は解決しない。
我々は、問題を解決する為に生きているのだろうか?
結婚をすれば、子供ができれば、子が親元を離れれば、孫ができれば。
いつあなたは楽になるのだろうか? 欲にはキリが無いなんて事を言いたいのではない欲は大きく沢山あっていいんだ。
問題を抱えていている時というものは兎角“これがどうにかなれば後は楽だぞ”と考えやすい。
しかし、それも束の間、お腹が空いて空いて仕方無かったのに、腹いっぱい飯を食べた時の満足感は食事が終わった30分後でも持続するだろうか?
否応なしに課せられた問題もあれば自ら抱え込んだ問題まで様々だ。
そう問題に振り回されるのではなく、問題を制御しコントロールしているという自覚が、問題を問題という言葉から感じる嫌に重たいイメージを変えるのではないだろうか?
自分でしたいと思った事がすぐ簡単にはできない事であれば問題だ、色々とその問題に対し取り組まなければならない。
しかしいくら自分で設定した問題とはいえ過去に誰かが成し遂げた課題であったりすると、どうしても道無き道を突っ走る新雪の中を滑るスノーボードの様な快感は得られない、決してそれが楽とは限らないが先駆者達に寄る補正に補正を重ねられた道であるからだ。
だからそう、君も一つでいい
この宇宙でまだ誰も成し遂げた事のない課題。問題を抱えてみないか?
それはトンデモない事でいい、トレーニングで一輪車に乗れるようになるのと同じようにテレパシーで特定の誰かと会話したいであるとか、誰も作った事のない新しい料理を作るでもいい。
大事なのは常に心にその“自分だけの解決したい問題”を抱え続ける事だ。
とは言っても、その自分用の人生の問題を作るのはけっこう難しい。
生老病死というように、現代の様々な問題が無い遥か過去から、人は様々な問題に苦しんできた。
僕は逆にと言える例えでもないが生老病死の苦しみとは逆に“知想伝忘”の楽しみを一生の問題にしてみてはどうかと思う。
“知る”楽しみ 何かを知ること、新しい知識を得る事は快感である
“想う”楽しみ 何かを考える事、感じる事、思い描く事、想像、創造する事も快感だ。
“伝える”楽しみ そしてそれらの楽しみを他人に伝えて共感を得たならな楽しみを共にする楽しみもある
“忘れる”楽しみ かといって転んで痛かったり、不運や事故は起こりうる。できれば颯爽と忘れてしまえば尚楽しい。
なにかや曲のある宗教臭さがでてきて申し訳ないが
一生、問題は続く
そして、楽ではないのは問題があるからではなく
問題を他者から与えられるからであって、自分で設定していなからという側面が多分にあるからじゃないかと思ったので書いてみようと思った。
かといって、これらの問題と問題と見る事なく、淡々とこなす物として見過ぎると次にはこういった問題が浮かび上がる
“先が見えてしまう”
というものだ、問題が問題でなくなると、なんだか自分の人生を早送りしたくなる。
もっと先へ行きたいもっと早く行きたい、だってどんどん楽しくなるから。
そうすると今度は、時間の流れの遅さにいらだちを覚える。
結局本当に、時間こそ問題なのかもしれない。
いや、この話に突っ込むとやばそうだ・・・
ちょっとほら、もう、こんな私の文章にあなたは何分を費やした?
時間の問題ならば、長い人生たまには時間を見つめなおすのもいいかもしれない
あなたも今夜は色々と詮索するのは止めて暗くして布団に入り目を閉じたら
時間が見えてくるかもしれないww
そして、そうご存知の方も多いかと思うが時間の感じ方は「自由」にできるんだぜ!
だからおれはなんにでも好意を持とうと決めたのかもしれない。
遅い時も早い時も、その時の自分の時間の感じ方を楽しんでみようよ
そうすれば、また次の新しい“一生の問題”が見つかるかもしれない
@awaikumo
世間体の為にイケてる風を装うのってすげぇくだらねぇなぁ~と思う。
そう思っていて、そういう人たちを軽蔑してるんだけど、でもどこかでイケてる人たちを羨ましく思う。
ダーツバーとか、英会話教室とか、スノーボードとか、好きな映画は「時計じかけのオレンジ」とか、BURBERRYとか、フットサルとか、ナンパとか、昔はやんちゃしましたとか、大前研一とか、ドラッカーとか、MBAとか、青山のカフェとか。
イケてる風なものとは全く無縁の生活をしているから、本当は羨ましいんだと思う。でもこれってイケてる風を装ってやっていることだとしたらとても痛々しい感じだよね。地獄のミサワだよね。いわゆるリア充というのは、こういうのを好きでやっているのかイケてると思うからやるのかどちらなんだろうか。
返信ってこれでいいんかな?
服は昔から好きで何回か変な方向に行ったけど、
今は落ち着いてきて良い服を普通に清潔に見えるように着るを心がけている。
髪も月一で美容師の知り合いにタダで切ってもらってる。
もてたくて始めたスノーボードは面白くなっちゃって、今やプロのライダーと滑ったりするようになって、
夏は社会人野球や、サーフィンやキャンプ、バイクでツーリング、ライブ。
面白そうなことはやってみたつもり。
小説が転がりまくってる。
一時期アニメにはまっていて、2006から2009までのはリアルタイムでほとんど見た。
で、2010年で急にさめて見なくなった。
やっぱりなんかオタクが出ちゃってるのかな。
あと、焦りすぎてるってはあります。
頑張ろうとすれば頑張ろうとするほど、だめになっていくような。
でも、どうすることもできないんです。
「彼女いたことはあるんだよね?」
「はい。」
「恋愛に興味が無いとか言ってたけど、実際どうなの?」
「なにがですか?」
「だから、興味ないとか言いつつ恋愛してるじゃん?」
「はい。」
「それってどうなの?」
「どう、と申されましても。」
「嘘なの?」
「嘘ではありません。」
「じゃあなんで付き合ったの?前も聞いたかもしれないけど」
「そうですね。成り行きで、とでも言いましょうか。前も言ったかも知れませんが。」
「…まあいいや、成り行きで付き合った。確かどっちも告白とかしてないんだよね?」
「はい。」
「そうですね。」
「それは、いいです。」
「え?なんで?楽しかったんでしょ?」
「そう、ですね。」
「どういうこと?はっきり言ってよ」
「細かいことになってしまいますし、言い訳じみたことを言わないといけませんから。」
「はい。正直なところ、あまり覚えていません。すぐ最近の話ではないので忘れていることもありますし、特に、当時の心境などというのは、『今思い返せば楽しかった』というのと、『当時楽しんでいた』こととはまた違いますから。今思えば楽しかったんだろうな、とは思いますが、当時自分がどう思っていたかは思い出せません。」
「好きだったの?相手のこと」
「はい。当時は。」
「今は?」
「好きじゃないってこと?」
「そうですね。」
「なんとも思ってない?」
「なんとも、というわけではありません。今は友人です。」
「友達になったの?」
「そうです。一度付き合った人なので、他の友人とは少し違いますが、親しい友人です。」
「へえー…なんか変だね、それって、今まで付き合った人全員?」
「全員というわけではありません。中には連絡が取れない人もいますので。」
「だよね、全員だったら気持ち悪いよ」
「そうですか?」
「だって、また好きになったりしないの?」
「しません。」
「なんで?当時を思い出したりしないの?」
「思い出すこともあります。かといって、また付き合いたいなどとは思いません。」
「でも、当時楽しかったんでしょ?」
「はい。」
「もしかして、遠慮してる?」
「はい?」
「本当に楽しかったの?今も友達だから遠慮してるんじゃないの?いい人だし、彼女だったんだから、本当は付き合って楽しくなかったけど、楽しかったって思わなければ相手に失礼だとか思ってない?」
「思ってないです。」
「じゃあ、おかしくない?なんで楽しかったのにまた付き合いたいと思わないの?しかも今も親しいんでしょ?前は好きだったんでしょ?ちょっとぐらいそう思わない?」
「当時、楽しかったのは遠慮でもない事実です。そして、また付き合いたいなどと思わないのも事実です。」
「うーん…なんでもう付き合いたくないの?」
「え?」
「だって、前好きだったんでしょ?なんでもう付き合いたくないの?」
「え、別れたらもう好きにならないの?」
「私は、なれません。」
「なんで?」
「なんでと申されましても、じゃあ何故別れたんですか?もう無理だったから別れたんですよ?それなのに、また好きになるとか、おかしくないですか?」
「おかしくない。また好きになることもあるよ」
「…そうですか。私はありません。また好きになるぐらいだったら、別れたりしません。」
「壮絶だったの?」
「なにがですか?」
「…えっと、じゃあ別れたら絶対好きにならないの?」
「ならないと思います。」
「そこまで割り切れるの?」
「割り切るというわけではなくて、私にとっては好きになったり付き合ったりというのが、ものすごく不自然なことなのです。よくあること、ではなく、普通に生活をしていたらまず無いことなのです。それは、私の日常生活および、人生の中で、人を好きになること、恋愛をすること、というのが、初めから含まれていないから、とでも言いましょうか。
つまり、前にお話ししたように、元々関心の無いことなので、非日常なのです。異常事態なのです。ですから、一度その異常事態に突入して、別れたという形で失敗したにもかかわらず、もう一度その異常事態に突入しようと思いますか?失敗の原因が解決できているなら、それもあるかもしれません。しかし私には何が失敗だったのかもわかりませんし、もう、そういう原動力は起こりえないのです。」
「はい。ハードルなんて生易しいものではありません。私にとって宇宙旅行のようなものです。」
「なにそれ、それは言いすぎでしょ、意味わかんない」
「それぐらい難しいということです。第一、私は恋愛したいなどとは思いませんから」
「でも楽しかった」
「どちらかと言えば、やはりいい経験だったと思います。でもまたしたいとは思いません。特に同じ相手とは無いでしょう。あなたにもそういうことあるでしょ?」
「恋愛ではなくて、いい経験だったけれど、二度とごめんだという事です。すごく厳しかった習い事とか、アルバイトとか、受験勉強とか、そういうのありますよね?」
「あー、そうだねー、就職活動とかかな?二度とやりたくないけど、自分を見つめなおす機会になったし、勉強にもなったかもしれない。就活中に友達になった人もいて、楽しいこともあったけど、やっぱり二度とやりたくない」
「それと同じよなものです。」
「え?、違うでしょ?だって就活は、できればやりたくないけどみんな仕方がなくやってるものだよ?基本的に楽しくもなんともないよ?みんな嫌々やってるし」
「そうですね。その点は違います。そこまで深刻ではありません。でも似ています。」
「恋愛と?」
「私にとっては。」
「何がそんなに嫌なの?」
「嫌、というわけではないんですが。単純に関心が無いだけで。」
「でも嫌だったんでしょ?」
「でももう二度としたくないんでしょ?」
「そういうわけではありません。恋愛については、したいもしたくないもありません。ただ同じ人と付き合うことはもう無いだろうってだけの話です。」
「なんで?」
「別れた、という結果を経ているからです。もう一度同じ事をしたとしても結果が見えているからです。それはあまりに不毛なことでしょう?そのために傷ついたりするのはごめんです。」
「傷つくの?」
「はい。だって、異常事態ですから、負荷や圧力は尋常ではありません。ましてや、一度別れるに至るまで冷め切った間柄なのですから、それを乗り越えてもう一度付き合うなどということは、私個人の心情としてはあり得ません。」
「じゃあ、あなたから見て、一度別れた人とまた付き合ったりしている人はどう思うの?」
「くっついたり離れたり、というやつですか?」
「そうそう」
「そうですね。私から見て、彼らの付き合うことに対するハードルは、私に比べると非常に低いものだと思われます。軽いという意味ではありません。彼らの中には恋愛というものが日常に組み込まれているのではないでしょうか。私にとって異常事態でも、彼らにとっては普通のことなのかもしれません。ですから、私のように恋愛に対して脅えることもなければ、血圧を上げることも無いのかもしれません。失敗も成功も、それも日常的なのかもしれません。私にとっては宇宙旅行ですが。」
「よくわからないけど、恋愛が好きか嫌いかってことね?好きだから簡単に付き合うけど、嫌いな人は付き合ったり別れたりするのも嫌ってことね。」
「じゃあ、好きになったりしないの?」
「そうですね。その好きというのがよくわかりませんから。」
「女の子に興味ないの?」
「語弊があるかもしれませんが、飽くまで本能的には反応します。理性的には、女だからというだけで特別興味を示すことはありません。」
「どういうこと?」
「ですから、これも前回の繰り返しになりますが、女性を性欲の対象としてみることは出来ます。その時以外は、ただ人間としてみるだけです。」
「惚れたりしないってこと?」
「うーん…簡単に言えば、興味持つってことじゃないの?」
「興味ですか。」
「うん」
「どっちも含めて。でも、普通付き合いたいと思う相手を最初っからただセックスの対象としてだけは見ないよね?」
「そう、でしょうね。」
「だから、人として興味を持つことと、惚れることって同じじゃないの?」
「なんで?」
「だって、ヘテロセクシャルの人間でも、同性にも興味は持つでしょう?」
「あ、そうだね。じゃあ相手のことをもっと知りたいって思うこと?」
「それも、同性にだって思うことはありますよね。」
「あるね。じゃあなんだろう、相手と一緒にいたいと思うことかな?」
「それだって、同性にも思うじゃないですか。家族にも思いますよね。それが惚れるとか付き合うとかと同じですか?」
「違う違う!、なんて言えばいいんだろう。」
「私が思うには、」
「なになに?」
「はい。私が思うには、これはとても単純なことで、本当は言うまでも無いと思いますが、」
「うん」
「恋愛というのは、やはり、根源的には人類が子孫を残す上で必要な、ボカシ、マヤカシに過ぎないんですね。神聖なものでも高等なものでもなく、とても純粋な、ただ子孫を残すためだけの、言い訳とでも言いましょうか。それが人間心理、知能の発達に比例して、他の動物よりやや複雑になったというだけなのでしょう。結婚という制度もその上で出来上がったのでしょう。
人間特有の芸術や文明といった、子孫繁栄に直接不要なもの、とは少し違いますが、同様に発展した、子孫繁栄という目的を完遂することだけに囚われなくなった、文化の一つだと思います。」
「例えば?」
「例えば、有名な話で、スキージャンプという競技がありますよね?」
「うん、冬季オリンピックってもう終わったの?」
「すみません、それは知りません。」
「まあいいや」
「はい。スキージャンプという競技、もともとは刑罰だったと耳にした事があります。」
「そうなの?刑罰って、鞭打ちとかと同じ?」
「そうです。スキーを履かせて高いところから飛ばせる刑です。」
「恐ろしいね」
「なんで?」
「なぜかは知りません。囚人が面白がって病みつきになったんじゃないですか?それはともかく、もともとの、刑罰という目的から外れて、スキージャンプは競技として、オリンピック種目になるほど発展しました。」
「そう考えるとすごいね」
「何が?」
「どこが?」
「子供を作る言い訳だったのが、子供を作るという本来の目的だけに囚われることがなくなり、その言い訳の部分だけ人類の叡智と長い年月を経て文化的に発展を遂げたことです。」
「急にわからなくなった」
「私にもよくわかりません。」
「何が言いたかったんだっけ?」
「うん、そうだね」
「ですから、私で言えば性欲が存在しますので、その点ではズレは生じておりません。」
「子孫繁栄だけで見ればそうだね」
「そうです。そして、恋愛とは、その子孫繁栄に付属する要素の発展系です。」
「なにそれ、どういう意味?」
「はい。私にとっては、スキージャンプは刑罰以外のなにものでもないのと同様に、私にとって、子孫繁栄にとりまくごまかしというのは、スキージャンプのオリンピック競技までの発展についていけませんでした。」
「わかりにく!」
「子孫繁栄だけに囚われなくなった、発展した概念として、そこに存在はするのはわかりますが、理解や関心の対象とならなかったということです。」
「…ううん」
「ですから、惚れるということがよくわかりません。」
「ごめん、やっぱりわからない」
「私も言っていてわかりません。」
「じゃあ、恋愛についてどう思った?」
「経験してみて、どう思うの?楽しいって言ったり、もうしたくないって言ったり、どうでもいいって言ったり、結局どう思ってるの?」
「ええと、ちょっとまってください、それぞれ言ってることを整理してもいいですか?」
「どーぞ」
「はい。まず、私はもともと関心がありません。」
「恋愛に?」
「恋愛に。」
「うん、それで?」
「はい。元々関心はありませんが、何度か付き合うことになりました。」
「うん」
「そうだね、今独りだもんね」
「はい。楽しかったから、といって、やはり興味をひくものではありませんでした。」
「え、ちょっとまって、」
「はい。」
「それはどういうこと?」
「はい。楽しいと感じたからといって、全てにおいて興味を持ちますか?そんなこと無いですよね?」
「うーん、どうだろう」
「例えば、私はスノーボードを2回だけやったことがあります。」
「2回?なにその2回って」
「なんかそういう機会があったのです」
「うん…そうなんだ。それで?」
「はい。それでですね、スノーボード2回だけやったんですが、楽しかったです。でもその2回しかやったことはありません。」
「それって最近の話?」
「2年前です。」
「もう行きたくないってこと?」
「そういうわけではありませんが、楽しいと感じたからといって、興味は持てなかったという意味です。」
「うーん、めんどくさいって事かな?」
「少し違います。心が動かないとでも言えばいいでしょうか。ただ楽しいだけなのです。」
「そんなに言うほど楽しくなかったってこと?」
「そうですね、熱狂するほどではなかったですけど、楽しくなかったわけではありません。」
「なるほどねー面白いって思っても、誘われないとやらないこととかあるしね」
「…同じなんだ」
「同じです。ですから、楽しいかったですけど、関心はありません。」
「それって、もてるって言いたいの?」
「なんかそれ、前も聞かれましたね。もてませんよ。」
「まあいいや、恋愛についてはどう思っているの?関心が無いにしても経験したんだから感想ぐらいあるでしょ?」
「そうそう、どうだった?」
「はい。一経験としては楽しかったですけど、恋愛そのものは非常に苦しいものだと感じました。」
「何が苦しいの?」
「システム?なにそれ?」
「システムってなんでしょうね、何て言えばいいのでしょうか、恋愛の仕組みとでも言いましょうか、過程、ですかね、わかりませんけど、それがとても辛かったです。」
「何がつらいの?」
「うわ、苦手そう…」
※前回、前にも、
ここのはてなー(エセ科学排除原理主義)にとっては、こういう教育もNGかな?
http://www.geocities.jp/ino_hideki55/020602-kokugonoheya-hatugenkiroku.htm#02060202
から引用。
~~
道北サークルページ http://homepage1.nifty.com/dohoku/index.htm
に載っています。
《引用開始》…………………………………………………………………
野 村 智 明 e-mail:EZB07655@nifty.com
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ユーモアのある表現が生まれ、楽しい授業となる。原実践は石川晋氏。
サークルの仲間・小野敦司氏のレポートをもとに追試したものである。
<準備>北海道新聞日曜版 日曜版「アリアドーネ・ユウコの星占い」(人数分)
星占い作文用紙(人数分)
北海道新聞の日曜版を提示する。どのような記事があるか、大まかに見せる。
この中に、星占いがあります。今週のみなさんの運勢が出ています。
「アリアドーネ・ユウコの星占い」の部分をあらかじめ印刷しておき、それを配布する。
他の星座のところも読んでみましょう。
『今週一番の運勢は何か』『今週あまり運勢のよくないのは何座か』をきく。
こうしてみていくうちに、星占いの中に書いてある◎○△×などの記号の意味が分かる。
星占い作文用紙を配布する。
4種類の運勢がたった74文字の中におさまっています。
74文字の中に入れる書き方の秘密を「アリアドーネ・ユウコの星占い」の中から見つけましょう。
3分間1人調べをして、その後グループで話し合いをする。子どもたちが見つけた、書き方の秘密は次の通り。
・句読点を多く使う。
・一文を短く。
・「です」「ます」「でしょう」などを省く
・助詞を減らす
・なるべく漢字を使う
・大事なことだけ書く・・・・
それでは、アリャドーナッテンネ・○○の星占いを書いてください。
10分後、読み方の例として教師の作品を紹介する。出来上がった作品を、グループ頃発表し合う。
各グループよく書けている作品を1点ずつ選出し、学級全体の場で発表する。
<児童の作品>
健康運上昇。今欲しいものが手に入る。人助けをして、金運&勉強運アップ。
ストレスがたまっているなら、ペットと遊ぶこと。来週からあなたの人生はゆず色に。愛情△健康◎金運◎勉強◎
スポーツで、スノーボードの大会でみごと優勝するかも。優勝すると家ですし5人前特上だ。
健康では体ばっちり。勉強では、たぶん中学ではよいと思う。(英語)愛情×健康◎金運◎勉強○
iPhoneのアプリ「支出管理」というソフトが便利で、非常に家計簿を付けやすい。
収入は毎日そんなに変わらないので、支出だけしか管理しなくて十分なのです。
突っ込まれる前に説明をしておくと…。
日付 | 大分類 | 小分類 | 金額 |
---|---|---|---|
2010/2/1 | 医療費 | 病院 | ¥1,450 |
2010/2/1 | 医療費 | 病院の薬 | ¥1,580 |
2010/2/1 | 飲食費 | お菓子 | ¥118 |
2010/2/1 | 飲食費 | 昼飯 | ¥440 |
2010/2/1 | 飲食費 | 飲み物 | ¥110 |
2010/2/1 | 書籍 | ジャンプ | ¥240 |
2010/2/1 | 交通費 | 電車 | ¥160 |
2010/2/1 | 交通費 | 電車 | ¥150 |
2010/2/2 | 飲食費 | 昼飯 | ¥280 |
2010/2/2 | 交通費 | 電車 | ¥160 |
2010/2/2 | 交通費 | 電車 | ¥150 |
2010/2/2 | 飲食費 | お菓子 | ¥105 |
2010/2/2 | 飲食費 | お菓子 | ¥100 |
2010/2/2 | 書籍 | 漫画 | ¥1,617 |
2010/2/3 | 飲食費 | お菓子 | ¥105 |
2010/2/3 | 飲食費 | 昼飯 | ¥280 |
2010/2/3 | 飲食費 | お菓子 | ¥525 |
2010/2/3 | 飲食費 | お菓子 | ¥100 |
2010/2/3 | 書籍 | サンデー | ¥260 |
2010/2/3 | 食品日用品 | スーパー | ¥1,391 |
2010/2/4 | 飲食費 | お菓子 | ¥100 |
2010/2/4 | 飲食費 | お菓子 | ¥220 |
2010/2/4 | 飲食費 | お菓子 | ¥105 |
2010/2/4 | 飲み会 | 一次会 | ¥3,000 |
2010/2/5 | 飲食費 | 昼飯 | ¥280 |
2010/2/5 | 飲食費 | お菓子 | ¥100 |
2010/2/5 | その他 | iPhone アプリ | ¥230 |
2010/2/5 | 書籍 | 漫画 | ¥560 |
2010/2/6 | 飲食費 | 朝ご飯 | ¥98 |
2010/2/6 | 交通費 | ガソリン | ¥2,194 |
2010/2/6 | 飲食費 | お菓子 | ¥136 |
2010/2/6 | 飲食費 | 昼飯 | ¥900 |
2010/2/6 | 遊び | 温泉 | ¥700 |
2010/2/6 | 遊び | ペンション | ¥9,765 |
2010/2/7 | 飲食費 | 飲み物 | ¥150 |
2010/2/7 | 飲食費 | お菓子 | ¥150 |
2010/2/7 | 飲食費 | 昼飯 | ¥250 |
2010/2/7 | 遊び | 温泉 | ¥500 |
2010/2/7 | 遊び | お土産 | ¥630 |
2010/2/7 | 飲食費 | 夕飯 | ¥1,150 |
2010/2/7 | 交通費 | 洗車代 | ¥1,000 |
2010/2/7 | 交通費 | ゲレンデまでのガソリン+高速代 | ¥6,000 |
2010/2/8 | その他 | スノーボードのグローブ修理 | ¥525 |
2010/2/8 | 飲食費 | お菓子 | ¥100 |
2010/2/8 | 飲食費 | お菓子 | ¥105 |
2010/2/8 | 書籍 | ジャンプ | ¥250 |
2010/2/8 | 食品日用品 | ハンズ | ¥1,155 |
2010/2/8 | 食品日用品 | 無印 | ¥776 |
2010/2/9 | 飲食費 | 昼飯 | ¥450 |
2010/2/9 | 飲食費 | お菓子 | ¥160 |
2010/2/9 | 飲食費 | お菓子 | ¥100 |
2010/2/9 | 書籍 | イブニング | ¥330 |
2010/2/9 | 飲食費 | 夕飯 | ¥1,000 |
2010/2/10 | 飲食費 | お菓子 | ¥100 |
2010/2/10 | 飲食費 | 昼飯 | ¥280 |
2010/2/10 | 書籍 | サンデー | ¥260 |
2010/2/10 | 飲食費 | お菓子 | ¥130 |
2010/2/11 | 飲食費 | お菓子 | ¥105 |
2010/2/11 | 交通費 | 電車 | ¥160 |
2010/2/11 | 遊び | 映画 | ¥1,000 |
2010/2/11 | 飲食費 | 昼飯 | ¥1,130 |
2010/2/11 | 食品日用品 | 無印 | ¥262 |
2010/2/11 | 交通費 | 電車 | ¥160 |
2010/2/12 | 飲食費 | 昼飯 | ¥280 |
2010/2/12 | 飲食費 | お菓子 | ¥100 |
2010/2/12 | 飲食費 | 飲み物 | ¥120 |
2010/2/12 | 飲み会 | 一次会 | ¥4,000 |
2010/2/12 | 飲み会 | 二次会 | ¥2,000 |
2010/2/13 | 交通費 | 電車 | ¥300 |
2010/2/13 | 医療費 | 病院 | ¥1,020 |
2010/2/13 | 医療費 | 病院の薬 | ¥990 |
2010/2/13 | 交通費 | 電車 | ¥290 |
2010/2/13 | 飲食費 | 昼飯 | ¥740 |
2010/2/13 | 飲食費 | 夕飯 | ¥1,500 |
2010/2/15 | 交通費 | ガソリン | ¥616 |
2010/2/15 | 遊び | リフト | ¥3,500 |
2010/2/15 | 飲食費 | 昼飯 | ¥1,000 |
2010/2/15 | 飲食費 | 飲み物 | ¥200 |
2010/2/15 | 飲食費 | お菓子 | ¥138 |
2010/2/15 | 遊び | 温泉 | ¥1,000 |
2010/2/15 | 交通費 | ゲレンデまでのガソリン+高速代 | ¥4,000 |
2010/2/16 | 飲食費 | 昼飯 | ¥280 |
2010/2/16 | 書籍 | ジャンプ | ¥240 |
2010/2/16 | 飲食費 | お菓子 | ¥130 |
2010/2/16 | 飲食費 | 夕飯 | ¥238 |
2010/2/17 | 飲食費 | 昼飯 | ¥280 |
2010/2/17 | 飲食費 | お菓子 | ¥210 |
2010/2/17 | 交通費 | 電車 | ¥310 |
2010/2/18 | 交通費 | 電車 | ¥310 |
2010/2/18 | 飲食費 | 飲み物 | ¥120 |
2010/2/18 | 飲食費 | 昼飯 | ¥280 |
2010/2/18 | 飲食費 | お菓子 | ¥105 |
2010/2/18 | 食品日用品 | マツキヨ | ¥699 |
2010/2/18 | 飲食費 | 夕飯 | ¥1,100 |
2010/2/19 | 飲食費 | 朝ご飯 | ¥432 |
2010/2/19 | 飲食費 | 昼飯 | ¥1,000 |
2010/2/19 | 遊び | リフト | ¥7,400 |
2010/2/19 | 飲食費 | 夕飯 | ¥1,000 |
2010/2/20 | 飲食費 | 昼飯 | ¥820 |
2010/2/20 | 飲食費 | お菓子 | ¥350 |
2010/2/20 | 飲食費 | 朝ご飯 | ¥600 |
2010/2/20 | 飲食費 | 夕飯 | ¥1,000 |
2010/2/21 | 遊び | お土産 | ¥630 |
2010/2/21 | 飲食費 | お菓子 | ¥220 |
2010/2/21 | 飲食費 | 昼飯 | ¥880 |
2010/2/21 | 交通費 | 駐車場 | ¥200 |
2010/2/21 | 交通費 | ゲレンデまでのガソリン+高速代 | ¥2,300 |
2010/2/22 | 飲食費 | 昼飯 | ¥800 |
2010/2/22 | 飲食費 | お菓子 | ¥100 |
2010/2/22 | 飲食費 | お菓子 | ¥100 |
2010/2/22 | 飲食費 | お菓子 | ¥100 |
2010/2/22 | 書籍 | ジャンプ | ¥240 |
2010/2/22 | 飲食費 | 夕飯 | ¥1,000 |
2010/2/23 | 飲食費 | 昼飯 | ¥1,000 |
2010/2/23 | 飲食費 | 飲み物 | ¥110 |
2010/2/23 | 飲み会 | 一次会 | ¥4,200 |
2010/2/24 | 飲食費 | 飲み物 | ¥140 |
2010/2/24 | 飲食費 | 昼飯 | ¥600 |
2010/2/24 | 飲み会 | 一次会 | ¥3,000 |
2010/2/24 | 飲食費 | お菓子 | ¥700 |
2010/2/24 | 書籍 | サンデー | ¥260 |
2010/2/25 | 飲食費 | 昼飯 | ¥280 |
2010/2/25 | 飲み会 | 送別会 一次会 | ¥4,500 |
2010/2/25 | 飲み会 | 送別会 二次会 | ¥1,500 |
2010/2/26 | 飲食費 | 昼飯 | ¥618 |
2010/2/26 | 飲食費 | 飲み物 | ¥150 |
2010/2/26 | 遊び | Howling in the Night 2010 | ¥4,500 |
2010/2/26 | 書籍 | 押井守関連 | ¥4,000 |
2010/2/26 | 交通費 | 電車 | ¥640 |
2010/2/26 | 飲食費 | お菓子 | ¥105 |
2010/2/26 | 飲食費 | 夕飯 | ¥126 |
2010/2/27 | 食品日用品 | 無印 | ¥577 |
2010/2/27 | 交通費 | 駐車場 | ¥100 |
2010/2/27 | 食品日用品 | スーパー | ¥1,700 |
2010/2/27 | 食品日用品 | 100円ショップ | ¥210 |
2010/2/27 | 食品日用品 | スーパー | ¥158 |
2010/2/28 | 食品日用品 | 薬局 | ¥198 |
2010/2/28 | 飲食費 | 夕飯 | ¥480 |
2010/2/28 | 飲食費 | 飲み物 | ¥130 |
2010/2/28 | 交通費 | 電車 | ¥380 |
2010/2/28 | 固定費 | プロバイダ費用 | ¥5,708 |
2010/2/28 | 固定費 | mixi | ¥315 |
2010/2/28 | 固定費 | au携帯 | ¥3,105 |
2010/2/28 | 固定費 | ソフトバンク携帯 | ¥3,856 |
2010/2/28 | 固定費 | DMM | ¥1,890 |
2010/2/28 | 固定費 | 東京電力 | ¥4,187 |
2010/2/28 | 固定費 | 水道代 | ¥1,743 |
2010/2/28 | 固定費 | ガス代 | ¥3,570 |
2010/2/28 | 固定費 | 自動車保険 | ¥3,240 |
2010/2/28 | 固定費 | 家賃 | ¥73,350 |
¥222,671
大分類 | 金額 |
---|---|
固定費 | ¥100,964 |
食品日用品 | ¥7,126 |
飲食費 | ¥29,124 |
飲み会 | ¥22,200 |
遊び | ¥29,625 |
交通費 | ¥19,580 |
書籍 | ¥8,257 |
医療費 | ¥5,040 |
その他 | ¥755 |
明らかに支出が多すぎです。
実家に5万いれて実家暮らしをしても、飲食+固定費で5万以上は浮くんだな。
しかしながら、一人暮らしに一度慣れたら、もう実家暮らしなんてできないけど。
飯代わりにお菓子を食うくらいだったら、家で作った方が安上がりだ。
忌憚のないご意見をお願い致します!
『自分の中の差別心との戦い(国母騒動について)』http://anond.hatelabo.jp/20100222232502
Heterologie:スポーツは遊びである。社会学では常識。学校教育としての体育と遊びとしてのスポーツは違う。日本ではスポーツに精神主義が入り込む。日本の精神主義は元来差別的な儒教道徳に基づく。イギリスのパブリックスクールにおいてスポーツを通してジェントルマン精神を身に付けるのとは雲泥の差がある。
musicllyy:イジメ被害者、ホームレスは「異端の弱者」。DQN、ヤンキーは「異端の強者」。異端の弱者を叩く方法として、イジメ、リンチというのがあるんだけど、異端の強者を叩く方法はなかった。そこで担ぎ出されたのが国母くん。悲しいことに、今回、彼は世の中の不良の身代わりになってしまった。
chroju:向こうの席で、おばあちゃんたちが国母ファッションについて議論しとる。「あそこでいきなり叩き始めるのが不思議。以前から彼はああいう態度だったんだろうに」と、なかなか鋭い。
kwansaijin:国母選手報道。決して「メジャー」ではない競技で、潤沢な支援も保障されない中、世界トップレベルに達するためにどれだけの肉体的鍛錬と精神が必要とされるか。それを普段の試合を紹介もせず、努力に敬意も払わず、4年に一度取り上げ、「俺の税金で連れてきたのに」とでも言いたげな傲慢な「世間」。
sugaki:@tyokuondo マスコミのやり方と同じで、無用に盛り上がったり敵を作ったりするのが好きですからね、人間ってヤツは。それが恥ずかしい事だって思えるようにならないと「異様な国母バッシング」みたいな暴走は後を絶たないでしょうね~
mao3mao3:RT @kwansaijin: CNN Asia が国母選手に関する日本の反応を報道中。「ヒップホップスタイルの若者に、日本の権威者が猛反発。」「別にドレッドヘアでもええんちゃう?」「彼の風貌の前に、彼のスキルに注目すべきだ」という、ごく真っ当なレポート
hiro779:色々あった国母和宏。顔から血が出てるコトを言われて、これがあってのスノーボーディングと答えた。いい滑りだった! #gorin #olympic
hara_tkyk:それにしても、全く本質とは離れた所での感情的すぎる騒動を繰り返し、それに乗って行くマスコミの本性、本当に恐ろしくなった。政治や社会問題も本質的には変わらないレベルで報道され、批評されているとしたら、かなり深刻な問題では無いか、と。
hara_tkyk:しかし、現役生活や、第一線から退いた後の国母氏の人生を考えるならば、今のスタイルで世の中を渡って行けるとは、残念ながらやはり思えない。やはり周囲の人々が真剣に国母氏の今後の人生を考えるならば、ある程度の指導はやはり必要かと思う。もちろんリスペクトが前提の。
bcxxx:RT @masatim 国母くんがどうとかよりも服装とかのくだらないことで個を潰そうとする軍国主義みたいな輩が本当に嫌なんだ。
hara_tkyk:朝ズバ、特ダネ、共に国母持ち上げ大会開始。なぜそれが最初から出来ぬか。まあ視聴者の顔色伺ってるからだろうけど。国母叩くよりもSAJの問題を。それがジャーナリズムでしょ。
drug_discovery:全肯定か全否定、っていうヒトが多い世の中って大丈夫なんだろうか。そんな世の中にはまだなってないと思いたいけど。
bcxxx:でもそれはファシズムを生むよ。「みんながそう言ってる(はず)」「当然○○すべき」「空気を読むべき」「分をわきまえるべき」ってね。勝手にマスを代表したつもりの連中の声がいちばん強くなる。
bcxxx:国母君の存在は、今の日本人にとってひとつの踏み絵だね。自分の中の保守性と向き合い、克服できるかどうかの。無礼で常識知らずの鼻ピアスにドレッドの若者に、一切の感情を抜きにして、理念として、確信を持って味方できるかどうか。あなたの存在が問われている。
varian02:一番謎なのは国母さんの「反省してまーす」を謝罪会見だと脳内変換してる人だ。あれ選手の意気込みを聞いて激励するための記者会見だろ。そんな場であんな空気読めない質問したらそりゃ国母さんじゃなくてもチッ、うっせーなだわ…。
knighthalt:国母選手には是非ともメダルをとってもらって、途端に手のひら返して「国母が日本の○個目獲得ー!」とか賞賛するカメラに向かって「これは日本のメダルじゃなくて、俺のメダルですよ?」とか言ってほしいですね
nakajimamiyuki:国母選手は所定の選考過程を経て五輪代表になったわけで、誰かの価値観にそぐわないからといって叩いたり不利益を課すのは絶対におかしい。これはすべての日本型組織に共通していえること。そんなだから強くなれない
Goro56:国母がまったく悪くないというのではなく、「こいつは公にいじめても良い」という暗黙の了解ができたときに、一人だったらしないような人まで巻き込んで集中攻撃するのはいじめの仕組みそのもの。
shibainuking:頑張れ国母。僕は応援するぞ。学校で恒常化している着崩しを止めるために、国母選手を処分するということがあってはならない。誰かの価値観にそぐわないからと処分をしてはいけない。 河野太郎公式サイト | ルールと価値観 http://bit.ly/agYzmS
T_Nomar:国母くんは今回のオリンピックで日本人唯一の金メダルを獲得して、表彰台で日本国民に向かって中指立てるぐらいまでやっちゃったらいいよね。そこまで突き抜けるとニュータイプのヒーローだよね。実力があれば応援する人はいるはずだ。
TokikoKato:そうなら、背広に腰パンはどう?RT @nomasema: @TokikoKato 龍馬は袴にブーツ、信長はビロードのマント←バッシングどころか歴史に残る斬新さ。腰パンで騒ぐなんてネタがないからでしょ?マスコミさん・・・ RT @TokikoKato オリンピック.国母選手、か
amneris84:国母選手の服装問題で、東海大に抗議殺到。中には「殺すぞ」「帰ってこなくてもいい」という過激なものあり、とのこと。多数が個人を叩き始めると、多数の中に紛れ込んで、日頃の鬱憤晴らしをする輩たち。こういう連中こそ、「日本の恥」だと思うんだけど
toyozakishatyou:オデはさー、国母選手の記者会見に関しても、本人が心から思ってもいないようなことを他人が強制した言葉で謝罪させたりするから、あんなことになっちゃったんだと思う。ちゃんと自分の言葉で説明させてあげればいいのに。事なかれ主義がいろんなことをこじらせる。
RPM99:選手は競技前に「世論やマスコミ」という地雷を慎重に避けながらインタビューに答える、というエクストリームスポーツを終えてから本番に望む。競技後の評価はすべてメダルや順位等の結果で判断されるので、別に応答内容はどうでもいい。
gotch_akg:フォーマルな場所にはフォーマルな格好じゃないと恥ずかしいっていうことは、そういう経験しないとわからないだけであって、1回だけ間違えたからと言ってを袋だたきにするのは間違っている。東海大は応援してやってよ、国母選手。こういう風潮嫌い。朝青龍問題も然り。
Koichi2000:そういえばスノーボードの国母?ていう人の話。まあ、よくもこんなたいしたことない話でマスコミだか世論だかは大騒ぎできるね。分かりやすく批判しても反撃されないとわかると一斉集中攻撃の集団リンチ。アホくさ。とりあえずは自分もいつそんな目に合うかもしれないので強い気持ちを忘れないように。
polityy:国母選手の問題、一体だれがそんなに騒いでいるのかと言えばマスメディアとそれに煽られた若者らしい。年配者はいいんじゃね?的な人が多い。若者は日の丸を背負っているのにとか下らんこと言っているらしい。その若者に言いたい「お前は背負っていないのか?」こういう他人事愛国心が一番醜い。
japanasiam:あのスノボの選手の競技結果次第でボロクソ言おうと思ってる人がいるんなら、その心、彼の服装より乱れてるわ。
国母和宏クン(カントリーマアム)は、見かけによらずナイスガイだった件。
ttp://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/52437594.html
試合後に彼は「4年後は五輪に出るか」と問われて、「オレのほかに本当のスノーボードを見せてくれるヤツがいれば出ない」と答えたのです。これはすなわち、本物のスノーボードを見せるために五輪に出場したという意志表明。誰に対してかといえば、もちろん日本人に対してです。X Gamesで活躍しても日本では話題にものぼりません。スノーボードの魅力を伝え広めていくには、日本人が大好きな五輪に出るのが最短の道。結果的に、今回のドタバタを経てスノーボードへの注目度は大きくアップし、多くの人が彼の滑りに注目しました。そこで彼は見事な滑りを見せ、同時に世界最高の選手であるショーン・ホワイトについて何度も紹介することに成功したのです。
最近、スノボの国母選手が話題な訳ですが、それについて、まあ、垂れ流しで。
個人的な感覚では、彼のあの時の服装や会見での態度は決して擁護出来るものでは有りません。
自分もスノーボードをちょっとばかりやるので、彼のスタイルなんかは多少理解ができますが。
しかし、競技においては頑張っていたと思うし、正直良くやったと思う。
X Gamesなんかとメンツが被ってても雰囲気が違っているので、
結構、ドキドキしながら見てしまいましたし。
でもまあ、一連の騒動なんかで嫌悪感がある人の批判は止まる事が無いようですね。
メダルが獲れずに成績が8位であった事も要因の一つだと思いますが。
元々、個人的には国母選手がメダルを獲る事はかなり難しいと思っていましたが。良くて銅かなと。
(個人的には8位でもかなり凄いと思いますよ、しかもパーフェクトメイクじゃなかったし。)
個人的には、メダルを獲ったからって彼の行為が正当化されたり許されたりする事ではないと思います。
その理由は、行為は行為、競技は競技、と分けて考えているからです。
でも、それをゴチャ混ぜにして考える人が多いので、正直なところ驚きました。
さらに驚いたのが、
http://ksklog.blog108.fc2.com/blog-entry-1048.html
この記事でした。
・・・これは笑えない。
と、思ったのですが、意外と笑っている人が多いようで・・・。
明らかに彼に非があるし、常識無しのDQNと思われても仕様がない。
でも、今回の滑走については批判されるべきところは無かったんじゃないかと思います。
彼の滑りはいい加減な物ではありませんでしたし、メイクの組み合わせも意図が解るような物でした。
でも、2度ともに残念な結果になってしまいました。
そこを実力不足だとか練習不足だ(多分これは無いですが)とか叩かれるならまだ理解の範囲内ですが、
転倒して負傷したのをあげつらい笑いの種にする事は理解ができません。
国母選手の行為より何倍も醜いと思ってしまった自分の感覚は変なんでしょうか?
笑いのセンスや感覚、感受性が人それぞれの物だと理解はしていますが、
一生懸命頑張った人間の失敗を(過去に問題があったとはいえ)笑い飛ばす人が結構いるというのは、
何と言うか、得体の知れない嫌悪感が湧いてきた。
「郷に入っては郷に従え」という言葉もあるけどな。
今国母がいるのは日本じゃなくてカナダ、それもオリンピックという国際的な場なんだから、そっちの感覚に合わせるべきだろ。
少なくとも、日本から一歩も出たことがないお前よりも、海外で活躍して何度も国際的な試合に出ている選手のほうが、よっぽど国際的な場での振舞いについて心得てるだろうよ。
欧米では受け入れられないとかいう話をした後に、いや受け入れられてるけど?って言ったら、今度は日本限定の話を始めるとかwww
スノーボードをオリンピック競技に採用したってことは、IOCがスノーボードの文化を受け入れることに決めたってことだろ。
スノーボードをオリンピック競技にするかどうか賛否両論あったっていうのはつまり、ああいうモヒカンドレッド腰パン文化をオリンピック競技として受け入れるかどうか、って話だったの。