はてなキーワード: ストリートビューとは
素麺といえば、個人的には島原半島産のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のものが品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。
最近では、女優の満島ひかりが南島原市の公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。
島原半島の素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府が肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内の小豆島出身の人々がいたことから、彼らが島原半島に素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。
史料の有無や民間伝承の真実性は、専門家ではないから判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。
中央部にある雲仙普賢岳や高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地が半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島は瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定の説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである。
この島原半島の南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市と半島の北部〜東部〜南部を結ぶ、左右反転のC字形に半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部の島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である。
現在は市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名・西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかったからである。
「そうめんの町」という文字が建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島の南側地帯には、海の近くで小高い丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。
別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もない小さな神社である。境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神は菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である。確認した。技術革新、すごい。
よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神・配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。
配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮の境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。
神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県・三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺の祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初に我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺は三輪山へ通ず」といったところか。
それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術が島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである。
しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである『肥前国風土記』にある、次のような記述を思い出した。
景行天皇が、現在の熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。
この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社の島原半島に分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しかし最近、自分の記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店・日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである。確認は大事。
残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。
もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山の祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代に島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社が島原半島に分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたから安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由な妄想とは魅力的なものということである。
さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳の登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。
件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前国風土記』には記されている。日本古典文学大系の注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代や御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山の神体山信仰と類似しているので、面白い話である。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。
このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島の地名「南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島が島原市・雲仙市・南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。
しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰そのものは、これからも人々の精神の地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。
【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603
これぐらいだろうという見積もりがたまたま当たったとしても単なる運でしかない
<電車と徒歩>
・電車の乗換はヤフーの方が精度が高いと思う。何番線のホームからどこ行きに乗るのかメモする
(全然違う場所に向かう電車が1つのホームに混在している駅もあって怖い)
・徒歩経路は一度ストリートビューで最初から最後まで辿ってみて見える風景を覚える
・駅内の経路も抑える。初めて行く駅は、駅の構内図を検索して、どういう風に歩けばいいのかイメージする
<家>
・予めカバンに入れて置けるものと、出発直前持ち出すもの(スマホとか)も種類分けする
・家の鍵とスイカは同じ入れ物に入れてるので、それを絶対に忘れたくないものと一緒に置いておく
(さすがに鍵を忘れて出発はしないから)
・できれば出発時間になる前に、一度出発する時と同じ装備で、靴を履いて家を出るようにすると
・天気予報と気温もチェックする
まんじゅう要求BBAの増田を読んで俺も似た思いがあるので書く。
https://anond.hatelabo.jp/20220707214147
大学生最後の年、翌年から地元に帰って就職するので最後の長い自由時間を満喫しようと、バイクで野宿しながら2ヶ月半かけて日本一周した。
途中、紀伊半島でクラッチケーブルが切れてギアチェンジできなくなり自走不可能になって、バイクを押して歩いて海沿いの小さな集落にたどり着き、そこで数日停留した。
なんとかならないかとバイクをいじったがなんともならず、大阪のショップに電話して新しいクラッチケーブルを注文して、知り合ったおじさんの家に送ってもらうことになった。
バイクをいじってるとカブにのった郵便配達のおじさんが声をかけてきて、少しこれまでの旅の話などをした。
ケーブルが届くまで待つため、集落の人に了解をもらって集落前のビーチにテントを張って寝る準備をしてたら、昼の郵便配達のおじさんが車でやってきて、テントをわざわざ探し出して声をかけてくれ、車で家まで連れてってくれて、家族団らんの食卓にお邪魔させてもらい、一緒に晩ご飯を頂いた。
ごちそうさまでした、と帰ろうと思ったら、そのままお風呂はどうだとお風呂に入れてくれ、出たらパジャマが用意されてて「え?」と思ったら、もう布団を敷いてあるよと、そのまま翌朝の朝食まで頂いてしまった。
2日目の昼にガススタ事務所に招いてくれて笹寿司とコーヒーを頂いたり、息子さんの宿題を一緒にやったり、荷物が届かないからと車で一緒に運送事務所まで探しに行ってくれて、まだ無かったので切れたクラッチケーブルを溶接で直してくれた。
3日目に届いたので結局修理済ケーブルは使わなかったし、今ではそのバイクも手放してしまったけど、修理済ケーブルは今も大事にとってある。息子が大きくなったらこのケーブルを見せて思い出話をしたいな。
他にもガススタに来てた大阪から釣りしにきたおじさんの別荘に招かれ泊めてもらったり、ガススタの隣にある民宿のおばさんにずっとバイクを置かせてもらったり、たくさんのお世話になった。
こんな無償で優しくしてくれる人が大勢いるなんて、なんて暖かい集落なのだろうとびっくりした。
新しいクラッチケーブルが届き、バイクに付け、出発するときは、ガススタのみなが手をふって見送ってくれた。
しばらく走ったあと振り返ると、海ごしに集落が小さく見えて、みなの優しい顔が頭に浮かんできて、泣いてしまった。
就職して落ち着いた翌年の春、地元からお礼の手紙を皆に送った。
他にもこの集落から少し離れた別の集落でも、駅で寝ようとしたら汽車から降りきたおじさんに声をかけられ家で寝させてもらったり、近くの崖でヘルメットを落としてしまい別の集落の駐在所おまわりさんにヘルメットを貸してもらって街まで走って新しいメットを買いに行ったり、
北海道ツーリングでは地元漁師さんの家に泊めてもらって無人島(https://www.google.com/search?q=嶮暮帰島)(むかしムツゴロウさんが住んでた)まで漁船で連れてってもらったり、旅ではあちこちでいろんな方にお世話になった。
それから20年近くたち、たまにストリートビューで今あそこはどうなってるかなと見るんだが、あのガススタがマップに表示されない。
どういうことだ?と名前や地名で検索すると、閉業済みの情報が見つかった。
グーグルマップの口コミを見ると「ここのG,Sは親父さんが亡くなった為、もうスタンドはやっておりません。」
https://www.google.com/search?q=コスモ石油+亀井石油店+新鹿
実は日本一周の8年後、長期の夏期休暇をとってまたバイクで集落を再訪し、郵便局員のおじさんは(退職済みだったので郵便局でおじさんの家を教えてもらって)再会してお礼を言っていたのだが、ガススタのおじさんは不在で、息子さんにしか会えてなかったんだ。
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/bokuto/tabi/100801/05.html
その息子さんとは、ガススタのグーグルマップに口コミを投稿したら、それを見てメッセージを送ってきてくれて、その後や現状を聞いたりしたんだが、おじさんに会えないまま別れとなったのは今でも心にひっかかってる。
世話になった人には、会える機会があったら積極的に会っておいたほうがいいよ、という話。
あとは最後にお断りした不動産会社のぐちポイント。相性って大事だよね。
あの数字って税込みだったんだね。10%上乗せしなきゃとか考えてたけど、そんな必要なかった。
諸経費って言われるお金がかかるので、10%とまでいかないけど、数百万円は余裕みといたほうが幸せになれる。
印象だけど、ハウスメーカーは額面の3割と話することが多く、中古・リフォーム業者は手取りの3割でということが多い印象。
今の日本の平均年収で手取り三割だと中古物件買うくらいのお金しか出せなくて、リフォーム代稼げるね。やったね。
ハウスメーカーは手取りでなんて言ったら買ってもらえなくなるから困るよね。
フィナンシャルプランナーに家計の収支をもとにどれくらいならいけるか見てもらうのがよさそう。
紹介してもらったフィナンシャルプランナーは保険仲介で稼ぐみたいなので、保険勧められたときに、よさそうなら入ればいい。いらなければ断ればいい。
世の中には贈与税ってのがあって、100万くらいだったら税金かからないっぽい。
あわせて600万までは非課税。
住宅価値の高い物件の場合はもう少し非課税枠が上がるけど、どこまでいけるかは建築会社に確認する必要あり。
家計簿などから「毎月の収支」を明らかにして、将来の資産を計算してもらう。
個人的には最悪のケース「ローンのボーナス払いなし、給料の上昇なし」で予測してもらって「ボーナスが出なくなるような事態になったときにやっていけるか」見てもらった。
数年前に試したときは「いや、給料上がらないわけないでしょう?」とか言われたけど、今回は特に驚かれることもなく、普通に予測してもらえた。
銀行などの利率が安いところで組めると良い。住宅専門のARUHIのflat35というのもあって、固定金利という魅力はあるが利率的になかなか厳しい。
ローン審査では他の借り入れがあるかどうか聞かれるので、自動車も買う人は「クルマは一括、家はローン」が良い。
たとえば1000万円のローンを組んで、利率が0.5%だった場合。年間5万円の利子がかかる。
対して旧制度1%の住宅ローン減税は、税務署に「おうち買った!」って申告することで、10万円をもらえる。
銀行系だと団体信用生命保険というものへの加入が必須となる。死んだら借金チャラになって、資産は家族へいくシステム。
いわゆる団信。生命保険のように過去数年間病気してませんよね?みたいな申告する。(申告の範囲、一般の生命保険は5年だが、団信は3年みたい)
最近は仕事でうつ病とかかかる人も多いので、そういった持病がある人はワイド団信ってのを選ぶことになる。こっちはちょいと利率が高いみたい。
住宅を売買するには宅建という資格が必要らしいけど、それを公表してない時点でお察し。ていうか連絡先が080とかね。
正規の広告、たとえば電車の不動産広告とかをよく見ると「xxxx不動産(宅建番号:yyyy番)」みたいに、業者名と宅建の番号が書いてある。
SUUMOとか眺めてると同じ写真がたくさん並んでたりするのはそういうこと。
誰から買っても同じかなって思うけど、「売主」から買うのが良い。仲介手数料がかからない。
っていうかネットで少し調べればわかるこのご時世で、こういう売り方が成立してるのってすごく時代遅れ感。
誤解を恐れずいうなら、売主以外は全部転売ヤー。
のぼり立てて広告出してるけど、建てた業者とは違う業者の名が入ってる。だいたい街の不動産屋の名前。
ここで話しかけて買おうとすると、仲介手数料が数百万円単位でかかる。
下に書くけど、「建てた業者」から買うか「それ以外の不動産業者」から買うかの違い。
町の不動産屋に話聞いて、よさげな物件があったから売主に直接話すればいいかなと思うけど、そういうのは忌避されるみたい。
仲介手数料で成立してる不動産屋としてはそりゃあ嫌がるよね。その不動産屋のテリトリーであるエリアに住むことを考えると、面倒ごとになりかねないし。
もちろん、そういうのを横取りして「手数料安くしますよ」みたいな業者もいたけど。
昭和かな?
埼玉方面へ向かう路線でありがちなんだけど、駅から10分くらいで県境になる。
住所にこだわりがなくて、役所まで行く交通手段を気にしない。って妥協できるならお買い得。
河川にフタしてあって見えなくなってるパターンもあるので注意。相場より大幅に安いのはだいたいコレ。
ゴミ処理場、自衛隊・米軍基地、変電所、葬儀場なんかは地価が下がる原因らしく、物件見学のときに説明される。
あとは風俗街、外国人街(チャイナタウン、コリアンタウン)なんかが近いと地価が下がる印象。
個人的に印象に残ってるのは街の食品工場の近く。酢飯の匂いがすごかった。無理だわ。
駅が丘の上にあって、その近くを川が流れてる。物件はその川を越えた先。
川を渡るために坂を下って、もう一度坂を上るっての結構辛いよ?夏場は特に。
私道に埋まってるインフラの整備は自分達でやらなきゃなので、水道管修理や道路舗装を綺麗にしたいときはご近所巡ったりしなきゃいけない。
ちなみに私道かどうかはマンホール見ればわかる。地方自治体の名前が入ったやつか、コンクリートのフタだけのやつか。
個人的には私道は2件くらい奥まったくらいがギリギリ許容限界かな?
数十棟みたいな宅地が突然現れるやつ、Googleストリートビューのタイムマシンで過去を振り返って何があったか調べておくと安心できる。
実際に自分が見たものでは「ゴルフ場(打ちっぱなし?)」「基地などの跡地」「農地」など。
シムシティじゃないけど、その土地は何に使える土地なのかってのを行政が決めてる。
戸建て買うなら「低層住居専用地域」とかになるのが普通だけど、行政と不動産屋に確認するべき。
街をよく観察すると幹線道路沿いはビルが多くて、少し奥まった地域は住宅ってなってるはず。
中古戸建に多い。狭い通路を通って、家の玄関にたどり着くタイプ。安いけど、将来売るときどうするのかが問題になる。
「再建築できるかどうか」っていう法律があって、「4m道路に2mの幅の通路が接していて云々」みたいなやつ。
再建築不可の場合、建て直すことは法律上できない。なので、周辺の古民家まとめて開発でもしてもらわない限り、扱いに困ることになる。
「竿部分は駐車場で有効活用」って書いてあるけど「再建築不可」の注意書きが。図面をよく見ると「軽自動車」って書いてある。
軽自動車の幅は1.48m以下なので、ギリギリ軽自動車を停められるだけの幅しか確保してない場合、再建築不可になる。
竿部分は駐車場で再建築可な物件。いいんじゃない?とか思って見学行ってみたけどダメだった。
生活することをイメージすると、通勤は駅まで自転車+電車で。日々の買い物はクルマで。という使い分けになる。
クルマか自転車どちらかを奥まで押し込まないといけなくて、その出し入れに毎日苦労したくない。
2件の家が並んでいて、それぞれ道路に平行にクルマを止めるように駐車場が設置されているパターン。
家の前のスペースが狭いので、2つの家が道路と接する部分に三角形の切り欠きを作って、2つの家で共有としましょう。これでお互いクルマ出し入れしやすいね。と合理的な設計の物件。
パワービルダーの物件で見かける。何かあったとしてもお隣さんと仲良くできる自信があるならいいんじゃないかな?
私はこんなとこで長文書いてるようなコミュ障なので無理ですね。
ここから先はほぼグチ。
半分くらいの不動産屋はこれ言ってきたけど、個人的にはこういうの無理。
相性ってやっぱり大事だと思った次第。
物件に対する疑問点を解消するためにQ&Aしているのであって、「皆がそうしているから大丈夫」という日本人を煽るためのテンプレは求めていないのだが?
手数料って法律で3%を上限とするって定められているわけで、その上限MAX3%で出してきたその紙どういうことなの?
分譲はじめてから結構経つみたいだけど、未だに売れてないそれらは何なんでしょうね?
オッ。そうだな。あえて言うならば40点にも満たない物件は論外なんだ。
え?明日。。。?用意できるが、お前のために用意したくない。ていうか前もって言え。
テレフォンショッピングかな?ていうかそれオプションだったんかい。説明不足すぎるだろ。
前回合った時は来月末って言ってなかったっけ?そんなに焦ってるのを見る限り、期末の決算に乗せたいのか、営業成績を伸ばしたいかですかね?
GoogleMapで色々な所を見ている。
初見の場所にする予定だったが、昔行ったなんらかの思い出がある場所も見てみた。
なんとなく自分が記憶で持っていた街の雰囲気とストリートビューで見る実際の景色はえらい違うもんだな。
街は数年単位で変わっていくとはいえ、記憶というのは曖昧なんだ。
東尋坊見ながら、そういえ大学の時部活の合宿で行ったな。みんな何してるんだろうなと思った。
多分、俺と違ってそれなりの人生送ってるんだろうか。
別にあん時、幸せとか思えなかったけど、今思えば楽しかったな。
俺は、どこで道を間違えたのだろうか。あの時、踏ん張っていても、多分どこかで踏ん張れなかったんだろうなとは思う。
だからあの時踏ん張らなかった事を後悔していた時期もあったが今はそれもなくなった。
とりあえずその日まで、懸命に生きようと思う。一日一日を大切に。