「スタジオミュージシャン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: スタジオミュージシャンとは

2013-09-15

若いころに音楽という華やかな世界チャレンジしてたせいで負け組感が拭えない。

 

今の自分は良い教育を受けて、収入でも社会的名誉でも、

いわゆる成功した「立派なおっさんである

 

若いころにモテなかったから目立とうとして」というモチベーション

積み上げたクリエイティブスキルを活かすよりも

学生時代に周りの大人がうるさかったかしょうがなく」身につけた地味なスキルの方が

圧倒的に世の中において大きな価値を生むようで、

今の自分若い頃に想像した「ダサいおっさん」でしかないにも関わらず、

どうやら世の中で勝ち組と言われる立場に来たのだと思う。

 

しかしながら、自分若い頃に目指していた何かという点では完全な負け組である

 

学部生の頃に一緒にバンドをしていた友達は今ニコニコ動画という界隈においカリスマ扱いされている。

院生の頃にスタジオミュージシャンあるいは楽曲提供者として関わったシンガー

年に数回ほどはテレビ音楽番組に呼ばれている。

 

そして自分が関わったわけでもなく、また音楽面で敬意を払えるわけでもないが

明らかに自分よりリア充臭のする若者たちが演奏する映像

油断すると目にしてしまうことがしばしばある。

 

おそらく自分死ぬまでに稼ぐ収入は彼らより多いかもしれない。

 

集めた敬意も彼らに負けないかもしれない。

 

なぜだか自分の頭おかしい部分に興味を持って愛してくれた妻は

贔屓目なしに見てもそのへんのグラビアアイドルなんかよりも美しい。

 

これだけCDの売れない現在おいて、ミュージシャンという職業

かつてと比べると圧倒的にしょっぱいものであることも理解している。

 

だけど、それでも、今音楽成功していない自分、ということについても

なんだかよくわからない敗北感がハンパない

 

たまにうっかり映像で目にしてしまう、

ミュージシャンたちが観客を煽り、盛り上がるシーンを見るのがとても辛い。

 

 

自分はどれだけ演奏を練習しても、作曲に関わる理論勉強しても、

ミックスやマスタリングに関わるスキルを身につけても、

そうした知識に今本業として活用している心理学マーケティングの知識を応用しても、

絶対にそうはなれない人間だったのである、ということが目の当たりになるのだ。

 

 

たぶん自分に与えられた仕事音楽ではなかったのだ、ということを理解しつつ、

音楽仕事としている人をうっかり目にしてしまう度に泣きそうになる。

  

  

2012-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20120915132420

すごく返信やらコメントがついていて驚いた。

言いたかった事は、将来の保障はないけれど音楽家でも食べていける

ってこと。ギリギリ生活にはなるけど、20代前半から今まで職を変えるか

って思うほど追い詰められることは無いってこと

トラックバックを見ていると作曲家で食えないって書いてあるけど20代半ば

くらいまではそんなもん。チャンスをしっかり待てるかどうかと、それまで

人間関係をすねたりあきらめたりしないで構築できるかだと思った。

言いたいことは、自分くらいの3流音楽家wikiとかに名前も出ないレベル)でもこれくらいの

収入や人脈が構築できるのならば、ライナーノーツ名前がのるクラススタジオミュージシャン

TVに出る音楽家はいったいいくら稼ぐのだろうかと思ってします。

ここら辺の情報でるかなーと思って赤裸々に書いてみたんだけど音楽家PCモバイルに疎いか

はてなに来ないよね

そこらへんの情報やうわさでもいいので知ってたら書いてほしいわ

とりあえず、今年度も与えられた仕事に穴を空けないように頑張ってみます

いろいろな質問コメントありがとう

2011-07-07

再生約束 初音ミクLAライブを見た外国人感想その1

 初音ミクのLAコンサートに関して、Promise Of Rebirthと題したそこそこ長い感想外国人が書き込んでいた。正直、随分と難解な表現が多く、翻訳も怪しげになってしまった。書き手のHN(wintermuted)を見るに、本来なら黒丸尚風に訳すべきなんだろうが、とても私には無理。とりあえず訳してみたのを置いておく。無断翻訳なので匿名で。誤訳はあると思う。

 なお原文のurlは以下の通り。

http://animediet.net/commentary/mikunopolis-at-ax-2011-promise-of-rebirth

+++++以下無断翻訳+++++

Mikunopolis、アニメエキスポ2011:再生約束Promise Of Rebirth

 メガゾーン23に出てきた謎めいたヴァーチャルアイドルの原型たる時祭イヴがSFにおける一種の狂信的比喩として想像をかき立てる場面に現れてから四半世紀強ののち、昨夜のアニメエキスポにおける比類なきイベントMikunopolisがちょっとした進化的な跳躍を成し遂げた。西洋におけるこの概念の最も著名な派生例がアル・パチーノの穏健な映画シモーヌ]、及びウィリアム・ギブスンほとんど遺伝的に接続された精神小説あいどる』]を通じた形をしていることを踏まえるなら、数千人のファン(及び間違いなく好奇心旺盛な連中)がオタク世界デジタル彼女アンドその友人たちと伴にロサンゼルスノキア・シアターをほとんど埋め尽くすなんてのは、まだまだ先のことだと考えらていたに違いない。不可解にも外部に広がった走査線からケミカルライトネギその他に鮮やかに彩られた通路に至るまで、それはリン・ミンメイだけを認める歓迎の場であった。今なお振り払っている最中である土曜夜のイベント後の残響は、かなり深い思考を私にもたらした。

 いつもカリスマチックなダニー・チューによる紹介と、それに伴うダンスロイドの形をしたリズム点火係は、その先に待っているものの興味深い味見役を果たした。この前座は、おそらく秋葉系(Akiba-kei)の空気に慣れていない聴衆にとって、何が次に来るかを示す重要リトマス試験紙だ。このショーを準備する時間ほとんどなかったことが見て取れる点が、これが日本直輸入製品であり、一見客に対するちょっとした警告にもなっていた。私自身が見いだした特に重要な点についてはすぐに述べる。

 既に日本で有名になっていたコンサートの形式をカンニング済みだった客の大半は、青緑色の髪が次々と繰り出す人気のある曲と、目がくらむようなライブ伴奏(39s Giving DayのDVDで演じたオリジナル奏者の大半、及びこの有名なディスクには含まれていない弦楽器奏者の面々)の混合物を味わった。その間ずっと聴衆は大いなる称賛のためリズミカルケミカルライトを振り、その動きが最後まで全公演を通じて見られたのは心強かった(こうした行為、及びその概念に対する彼らの長く続いた反応は、米国の聴衆にとっては奇妙に思われるものであることを、私はこの場で認めなければならない)。ボックス席に座り、ステージから1階席、クレーンカメラ、そして複数のカメラで撮ったHDスクリーンハイライト映像まで含んだ全景を見る。多くのミクのファンかつアーティストが作った聴衆が親しんでいるヒット曲、World is Mineやポッピッポー、サウンド[ママ]、ロミオシンデレラ、その他多く(どこかでミラクルペイントを彼女に演じて欲しかった)は、オープンソースな現象がほんの3年でどれほど広がったかを示している。そして特に歓迎された巡音ルカ鏡音リン&レンの登場は、観客の熱狂をさらに高めた。センターステージに置かれたほとんど透過性のスクリーンに跳ね返るホログラフィックな投影機は、時にミクが踊りながら少し両端に近づくたびにその限界を示したが、同時にこの海外遠征の短い命に対する理解を伴ってある種の魅力ももたらしていた。

光とサイバー化の見世物

 こうした話を正しい文脈の中に置くため、ちょっとした歴史を思い出そう――小さな子供だった私は、おそらくは地元の祭に毎年来ていたレーザーライトを使ったショーを見に行ったおかげでそれを一つの起源として啓示を受け、1980年代初頭に芽吹いてきた新たなテクノロジーに興味を抱いた。そのショーとは、要するに空気で膨らませたドームの中で音楽に合わせて行われたレーザーペインティングで、客は入場料を払い、床に置かれたたくさんのクッションの一つに腰を据えて15分から20分間、まばゆい光の列と、ミッシングパーソンズトーマスドルビーなどのアーティストの曲に合わせたアニメーションを楽しんだ。今となっては原始的ものに思える――ミュージックPVはいうまでもなく、コンピューターが生み出すアートアニメーションにつながる想像まで至るには長い道のりがあった。また、こうした地味な傾向が存在しなければ、84年のマクロス映画における楽しいコンサートシーンもある種心を揺さぶるほどのパンチ力は持たなかったと敢えて言うこともできる。私が思うにそれは時代の刻印であるが、同時にライブエンターテインメントがどのように変化していくか数十年にわたる発展を知らせるものでもあり、おそらくは音楽芸術の愛好者がいずれはあるところで分裂に至ることまでも示唆していた。

 なぜならこの時代に育った者にとって、アナログからデジタルへ向かう音楽の傾向が何か恐るべきものとみなされ、音楽業界で排斥されたことが一般的な心象として残されているからだ。子供の頃にクラフトワークデペッシュ・モード、ジョルジオ・モロダー、YMOやソフトセルなどのファンだった者にとっては、誰かがシンセサイザーの人工性を嘲り、音楽自然さを殺すと聞かされるのは珍しくもないことだった。そしてこの議論の中に何粒かの真実が含まれているとしても、それは一方で、当時は多数のコンピューター故障の懸念とショーを乗り切るためだけに間違いのない注意深さを必要としたこれらのかさばったキーボードから音を創り出す人間努力と創意工夫を、台無しにしていた。最終的にこの否定的な議論は多くの未来音楽及び演奏形式に付きまとい、興味深い結末をもたらした。それはまたミクのライブ伴奏をこれほど楽しく必要な要素にもした(ギター黒田晃年、ベース田中晋吾、ドラム折田新、キーボード安部潤――言及すべき弦楽器部門を除く。いずれもとても素晴らしい)。スタジオミュージシャンは、あらかじめ簡単に録音することもできる演奏に大いに心をこめることになる。新たな道具を愛するアマチュア音楽家と、伝統的なものとの融合実験によって、このショーはさまざまな要素を混ぜたある種の喜んで受け入れられるシチューとなり、ときにいくつか二級品の歌があったにもかかわらず、既存の姿ではなく可能性を約束するものとして機能していた。――以上がショー全体で私が本質的に感じたことだ。

 誰も見失わなかったよう望むのなら、この最終目標へと向かうDNAを手に入れることが私にとってベストなのだろう。なぜLAのショーはこれほど意義深いのか、そしてVOCALOID、ミク及びこのようなショーが持つ主要な意味あいとは何か。

ジッグラト[古代メソポタミアの塔、バベルの塔]の崩壊:ポップの民主化アイドル思想の終末

 さてこれは真に落とし穴的な回答である。なぜならアイドル歌手という概念及びヴァーチャルアイドルに伴う必然的結末まで考えを煮詰めるからだ。我らが今いるのは現実に近づいたキャラクターアニメーションの時代というだけにとどまらず、オープンソース化した大衆文化の可能性がある時代でもあり、我々はオタクの領域を超えて全く新しい何物かになるまで成長しうるアイデアをおそらく目撃している。YAMAHAが今年のNAMMショー[米国で開かれる楽器展示会]で多用途VOCALOIDを紹介したのを見ても、現状はメディアを通じた古い分配モデルが不可避の断末魔を上げるところに達したと敢えて見なせるように思える。スペイン製のソフトから取りだした一つのアイデアを、音楽作成のための輝かしい新たなモデルへと広げ、そして数が多すぎ、時に厄介な日本アイドル歌手業界を考えた場合に多数の集団に働きかける天才の発案に過ぎないマーケティングにまで、拡大する。終わりなき競争、怪しげな才能、さらに怪しげなマネジメント、生死にかかわる健康上の危険、類似性、そして夢想を維持してほしいというファンからの圧力に満ちた困難な人生――そう、こうしたマーケティング方式とファンに駆り立てられた神話が混じり合って音楽スーパースターたちにかくあるべしとする任務を押しつけるのは、それこそVOCALOIDにとって理想シナリオだ――しばしば置き換え可能で、派生的、はかなく、言うまでもなく消耗品であるミューズたちが、変化もましてアイデアも嫌う文化産業のために存在している。

 考えてもみてほしい。マイルズ・ダイソン言葉を言いかえるなら、これこそ決して疲れることなく、興奮状態にもならず、二日酔い仕事に出てくることもないアイドルだ。彼女はショーを続けなければならないことを知っており、一瞬のうちにコスチュームを変えられる。何よりファンが歌を作り、バンド彼女の横で演奏しているという2つの理由で、その歌は偉大である。過剰な荷物と期待を持つことなく、アイドルが実行すべきだと期待されるあらゆることをする能力を自ら持つミクの存在そのものが、ある種の輝かしいアンチテーゼなのだ。彼女は文字通り、何でも人々の望み通りになれる。汗一つかくことなく。

 そしてこれほど目立つ歓迎を伴う西洋への紹介は、日本人にとってだけではなく夢を共有できる分野を長く求めていた世代にとっても何か極めて特別なことの始まりであり、過保護にされることなくさらなる発展が期待できる約束されたスタートだ。そしてこの夜の感動的な聴衆たちから判断する限り、長きにわたる憧れはついにその実を結んだようだ。

 イヴシャロンレイ……君たちの歌がますます現実に近づいてきた……

+++++無断翻訳終了+++++

 言うまでもないがシャロンマクロスプラスシャロン・アップルレイギブスンの小説に出てくるヴァーチャルアイドル投影麗(Rei Toei)である

 

初音ミクLAライブ外国人感想その2「再生約束フリーダム

http://anond.hatelabo.jp/20110708223459

初音ミクLAライブ外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」

http://anond.hatelabo.jp/20110709211718

初音ミクLAライブ外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来音色

http://anond.hatelabo.jp/20110710234300

初音ミクLAライブ外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」

http://anond.hatelabo.jp/20110711212701

初音ミクLAライブ外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマス世界征服

http://anond.hatelabo.jp/20110712205546

初音ミクLAライブ外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」

http://anond.hatelabo.jp/20110713211501

初音ミクLAライブ外国人感想その8「ミクノポリスコンサートリポート

http://anond.hatelabo.jp/20110714210122

初音ミクLAライブ外国人感想その9「アニメエキスポ初音ミク

http://anond.hatelabo.jp/20110715222900

初音ミクLAライブ外国人感想その10「アニメエキスポ2011(抄訳)」

http://anond.hatelabo.jp/20110716194029

初音ミクLAライブ外国人感想その11「世界彼女もの初音ミクはいかにして全てを変えたのか」

http://anond.hatelabo.jp/20110717201147

初音ミクLAライブ外国人感想その12「アニメエキスポ2011でのボーカロイド体験」

http://anond.hatelabo.jp/20110719031316

初音ミクLAライブ外国人感想その13「ミク:日本ヴァーチャルアイドルメディアプラットフォーム

http://anond.hatelabo.jp/20110719203237

海外blogに載っていたクリプトンインタビュー

http://anond.hatelabo.jp/20110723142345

2009-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20090528220912

成長途中のバンドマンは今でもかつかつばかりで恵まれてるのは大手に後押ししてもらえるごく一部の人だけ。アイドルのバックにつくベテランスタジオミュージシャンとかだってほんのごく一部。だからそういうのがなくなっても全体のレベルを下げるほど大きな影響はないと思うが。

ただ全体のレベルを実感できるのはテレビとかの大衆向けメディアが普及してるおかげなわけで、実際にレベルは下がらなくても、自分がいいと思い込んでる音楽を多くの人が知らないままになるせいでレベルが下がったと思い込む人は増えるはず。

http://anond.hatelabo.jp/20090305221614

コピー可能なメディア無料もしくはメディア代だけになったとしたら、

アーティストユーザーが直に取引する形に近づき、レコード会社が潰れたり影響力が減るのかな?

もしそうだとしたら

 

 

・一部のライブ中心のトップミュージシャンや劇盤の人は残るだえろうけど、マスマーケットの基盤がなくなると、全体の勢いがなくなり、趣味レベルではいいけど、専業ミュージシャンの多くは消えるんじゃないかな。

趣味の細分化も加速しそう

欧米才能のある映像作家の金のかかったミュージックビデオが見れなくなるんじゃないだろうか。これは嫌だな

アイドルのバックにつくベテランスタジオミュージシャンとかも減るだろうなあ。花は無いけど技術のあるスタジオミュージシャンコネとか失われたら勿体無い。

TV音楽番組も減るんじゃないかな。まいいけど

自分の作りたい音楽が分かっていて、デジタル環境を持ち、一人で作って録音して後は売るだけの人は(売れるかは置いといて)いいけど、

例えば才能はあるけど成長途中のバンドマンとかは楽器代やスタジオ代、生活費で金がかつかつになる上、商業的センスを持った人によるダメ出しとかがなくなったら、もしかしたら全体的にレベル下がるんじゃね?

 

で、ライブってどのくらい儲かるの?

2008-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20080421112015

編集者作家芸術家パティシエカフェ飲食店経営、かな。思いつくところでは。

やっぱり男女は根本的な体力が違うから、どうしても体力差があまり関係ない職業しか残らないね。

漫画家とか小説家とか音楽家とか画家は男女関係ないんじゃないの。

少女漫画家とかアイドルを考えると

作家音楽家はちょっと性別によって表現されるものが変わるからちょっと違うと思う・・・

それでも編集者スタジオミュージシャンとか裏方よりになれば

性別の出る幕は減るね

被服以外のデザイン系もそうかな

本当は体力差も言い訳にして欲しくないんだよね。

ガテン系仕事やっている男には体力のない奴も老人も大勢いる

スポーツ選手じゃないんだから平均的な女の体力があれば十分つとまるし

体力の無い男はエクスキューズできない

2008-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20080122101912

例えば世の中にはスタジオミュージシャンって職業とかギター教室講師って職業とか専門学校専任教師って職業とか色々あるわけですよ。

それらを夢へのステップアップとしてやっている人もいるんだろうけどそれを職業にしている人も沢山いるわけですよ。

そういう人は音楽に携わっていないのかって話ですよ。

2007-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20070314205834

それで思いましたけど、

どうして自分はそのときある選択肢で最も最悪なものを選んでしまうのか?と考えたら、

私には夢見がちなところがあって、

自分の人生を変えてくれそうな相手を選んでしまうというのがいけなかったと思います。

私は多分そこそこの月給のサラリーマン結婚して、

旦那は年々頭が薄くなって、セックスは外で済ませるようになり、

私自身はパートとぐれた子供の尻拭いに人生を費やすのが関の山

という程度の人間ですが、

(いや、それはすごいことです、まさにそういうことを私はやりたい)

これまでの私の選択を省みると、明らかに間違っています。

(年齢は付き合ったときの相手の年齢です。)

23歳 映画監督志望→後にそこそこ著名な脚本家に、彼は唯一成功したかも。

21歳 画家志望→後に社会人に、元旦那です。

30歳 ミュージシャン志望→実際は名もないスタジオミュージシャン。後にどうなったかは不明です。

30歳 小説化志望→後に生活保護受給者に、離婚後付き合ってすぐ別れた人です。

32歳 自称芸術家→後にヒモに

で、20代前半はまだいいけど、30前後にもなって、

芸術とかいっちゃってる人はもう駄目っていうのがこの表からよく見えますね。

思い返せば普通学生サラリーマン選択肢の中にはいたのに、

そういう人には目がいかないというか…眼中になかった。

だけど後に私が選ばなかった彼らがどんどん結婚して、

腹が出て、たまに会うと安い居酒屋なんかに連れて行かれて

かみさんがうるさくてさ??」なんてぼやくのを聞いていると、

ぼんやりと「あれ?私間違ってた?」と思いますが、

これまではどうしてもその間違いを認めることができなかった気がします。

これはどうしてかな?とつらつら考えると、

少女マンガの読みすぎかなあと思います。

まだ結婚前に元旦那と交際していた頃。

私の親友のYちゃんが、私の部屋にあった、

とある少女マンガを読んで言ったことを思い出しました。

「ああっ!今ようやくわかった!

 あんたの人生の元凶はこの漫画にあるんだ!」

「はあ?どういう意味?」と、私が聞き返すと、彼女はこう答えたんです。

「辛くても笑顔で頑張れば、いつか王子様が現れて、

 私をお姫様にしてくれるってあんた本気で思っているでしょ?

 この子は何処でこういうくだらない幻想を拾ってきたんだろう?

 って私は長年不思議に思ってたんだけど、今ようやくわかった。

 あのね、現実は違うから!

 王子様なんか居ないし、あんたお姫様じゃないから!

 このヒロインみたいにニコニコ笑って辛さに耐えてたら、

 いつか皆わかってくれるとか、ありえないから!」

「うるさい!」と当時は聞き入れられませんでしたが、

Yちゃんの言うとおりでした。

ただ愛し愛されて生きたかっただけなのにな、と思います。

愛し愛されて、王子様とお姫様。全部マボロシでした。

今は男の人に対して幻想はありません。別に何も期待してないです。

大学生純粋でちょっと可哀想になるけど、

 だけど、ただ知らないだけで、いろいろな事を知ってしまえば、

 ほかの男と同じようになるんだろうと思う。)

もしかしてやっぱり両方と別れて、お見合いでもするべきなのかな?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん