はてなキーワード: スクールバッグとは
当のハライチ岩井が「中学生『女子』」に異様に執着しているのが見て取れるからじゃないですか?
この時点で手を出す気満々じゃん
性別を問わずに単に中学生、若い子という括りではなくて、明らかに『女』としてみてるじゃん…
もしも中学生男子がファンだって言って来ても絶対喜んでないでしょこいつ
https://twitter.com/riku_came/status/1724124229380248016
岩井勇気:そしたら、皐月って女の子が、「『ハライチのターン』毎週聴いてます」って言うの(笑)
澤部佑:ええ?!
岩井勇気:「ええ?!」ってなって。「はぁ?!」ってなって。
岩井勇気:中学生女子よ。「ええ?!なんで?」ってなって、思わず。
澤部佑:うん。
岩井勇気:だって、中学生女子が、「なんで?」ってなるでしょ。『ハライチのターン』よ。中学生女子なんだから、『セブンティーン』読んで、「竹内涼真カッコイイ」って言ってるような感じでしょ。
岩井勇気:「竹内涼真カッコイイ」でしょ、中学生女子は。クリスピークリームドーナツでしょ?
岩井勇気:スクールバッグにプーさんのキーホルダーでしょ(笑)
岩井勇気:色の付いたリップクリームでしょ、中学生女子は(笑)
澤部佑:買う方のやつ言ってよ(笑)たしかに、やめる時期だね(笑)
岩井勇気:『ハライチのターン』じゃねぇだろって思ったらさ、その女の子がまたさ、「『デブッタンテ』時代から聴いてます」って。
特に酷かったのはそのうち2年間。私はブサイクなのだが、廊下を歩くだけで男子は私の方を見て笑い、すれ違えば見た目がブサイクという意味のあだ名を大声で叫んだ。どうやらある部活の生徒の間で私がブサイクで蔑んでも良い存在だということが共通認識であるらしく、クラスメイトや顔見知りの男の子以外にも、私の知らない子も私を見ては笑って私を呼んだ。席替えをすれば常に隣の席とは数センチ机を離された。必要な連絡も全て無視されるか、「ブスがうつるから話しかけるな」と言われた。休み時間を終えて教室に戻ると、私の机の上にあったをノートや教科書、筆箱等はすべて床に落とされ、給食で使う道具(箸やランチョンマットなど)が入った巾着袋には靴の跡がついていた。掃除の時間では私の机は誰も運ぶことなく、最前席の時は私の机に触りたくないからか、その列の机は全て残っていた。ロッカーに入れておいた私のスクールバッグか絵の具バッグか習字セットは床に投げられているか、箒で掃いたゴミと共に隅に集められていた。そんなことが毎日続いた。
当時は華やかな子が多い運動部に所属していたため、女の子たちは仲良くしてくれた。そのため、学校で悔しい思いをしてもその場で泣くことはなかったが、休日に駅前のデパートに出かけた際、親の前で大声でその不名誉なあだ名を叫ばれた時と、親が手作りで作ってくれた巾着袋や手提げバッグがゴミと共にまとめられていた時は悲しくて親に申し訳なくて家に帰ってから泣いた。
それから私は、毎日毎日顔を隠して歩くようになった。休日出かけたり放課後塾に行く際は、顔を見られぬように一年中フードをかぶりマスクをして歩いた。同い年くらいの男の子を見たらすぐに俯き、その子たちが通り過ぎるまで静かに息を潜めた。
中学を卒業する頃には男子たちは飽きたのか、他のブサイクを見つけて標的を変えたのか(おそらく両方だと思う)、私のことを気にする人はいなくなった。ある程度高い偏差値の学校に進んだためか、高校ではブサイク扱いされることなった。それから大学に進学し、私は今20代の立派な社会人になった。女は化粧やファッションで化けると言うのは本当で、学年中の男子からブスと言われていた私でも見た目を褒められるようになった。その見た目を使ってお金も稼いだ。もう誰も私を見てあのあだ名では呼ばないし、私物を雑に扱われることもない。
それでも未だに地元を歩く際は顔を隠している。地元で同い年くらいの男の子を見ると、あの頃の思い出がフラッシュバックする。あの頃のトラウマで、高校生から醜形恐怖症やうつ病などいくつかの精神疾患も発症し、現在でも完治していない。
もし私が今、あの頃のあの人たちに謝罪されたら、それは許すべきなのだろうか。わたしは11年間ずっとあの頃の記憶に苦しめられている。忘れようと思っても忘れられず、地元を歩くとパニックになる。夜中に急にフラッシュバックして涙が止まらなくなる。今も人前でマスクが外せない。話す時もコンプレックスの口元を隠して話す癖が治らない。
幼馴染と親に懇願されて参加した成人式で、当時私の顔を笑ったクラスメイトに初めて名前を呼ばれて話しかけられた。飲みの誘いだった。あの頃私のことをあだ名で呼び、ブスがうつるからと蔑んだのと同じ口で、私を誘い、連絡先を要求した。私はその後、家に帰って泣いた。あのひとたちが私に与えた傷すら忘れていたことが気持ち悪かった。それでも、当時の彼らが「若気の至りだった」「反省している」「申し訳ない」と言うのなら、わたしはそれを受け入れ、あの時苦しんだ私もその後の11年も全てチャラにして許さなければならないのだろう。何事もなかったかのように笑うべきなのだ。
謝罪なんて自己満足だと思う。謝罪を受け入れなければこちらが悪人になってしまうのに。受け入れられなかった私は、いつまでも過去に執着するキモいメンヘラ女になってしまった。子供のしたことすら許せなくてごめんなさい。それでもあの頃泣いていた私のために、そんな些細なことを忘れられない粘着質な私のために、私だけは彼らを一生許すことはできない。
とってもとっても楽しかったし、落ち着いた雰囲気と優しくて温かい学校で、何の不自由もなくそこそこ沢山の経験も出来ました。
みんなでワイワイ騒いだり、好きなことを好きなだけ体験出来るような場所で、そこそこのレベルのふつーーの学校だったけど私はめちゃくちゃ満足して卒業しました。
話は遡りますが、中学校の受験校に対して親は特に何にも言わずに私の好きなように選ばせてくれたので、気に入った学校を4校受験しました。
1校だけ、めちゃくちゃ好きで好きでとても行きたい学校がありました。何より制服がめちゃくちゃカワイイ〜〜!!!
私の理想を全部詰め込んだ、お姫さまみたいな雰囲気の、お淑やかで麗しい学校でした。
普通に落ちました。
ぶっちゃけ、当時の私では背伸びしたようなチャレンジ校でした。
千葉・埼玉の1月受験で運良くそこそこの学校に引っかかった私が、調子こいて強気に出た賭けのような受験でした。
「志望している」というのも恥ずかしくて、「志望校」というのは隠しているようなレベルでした。
その代わりに第1志望と公言していた学校がありました。そこも制服が特徴的で凄く素敵で可愛かったです。
レベル的には行けるか行けないかは五分五分………ちょっと盛ったかも。
そこは5年生くらいから意識してた所でした。校舎は古くて汚いけどやっぱり素敵な学校でした。
落ちました。
2回受けたけどサクラが散りきって、何も残りませんでした。
私が通うことになったのはその学校の滑り止めとしてみんなが受けるような学校でした。
全然勉強してなかった私自身としては、それでもかなり満足の結果でした。
制服は超典型的でなんの特徴もなかったけど、小学校の友達は「3つの中で一番ここが可愛い」と言ってくれたお陰で救われたのもあるかもしれません。
そこでめちゃくちゃ仲の良い友だちに出会えたし、最初に言ったような幸せな時間を過ごせました。
本当に、本当に、なんの未練も後悔もなかったはずなんです。
でも、浪人した今年、そして今日、ふと、本当になぜか突然、「あのセーラー服を着たかったなぁ」と予備校の映像授業を受けながら思ってしまいました。
考えてみれば6年間、あのカフスを忙しなく動かして楽しそうにお喋りしてる子や、あのスカートを電車で揺らしながら英単語を一生懸命覚えてる子、あのタイを下げている子を何度も何度も何度も何度も見かけました。
重そうなスクールバッグを持って歩いている子の背中にあるセーラー襟の校章を眺めるしか出来ないのが悲しくて俯いたところで、自分のボタンの取れたブレザーが目に入るだけなので余計惨めになるだけでした。
チャレンジ校!!多分落ちるけど別に周りにも言ってないし!!!って当時軽〜〜く思ってたけど予想よりも根深かったのか、忘れられませんでした。
中学時代よりも高校生、特にまた受験生になってからの方がその想いが強くなったように思います。
いつも私は彼女たちを憧れや羨望で見ていたけど、彼女たちはもちろん私なんかが目に入ることはなくて、生涯で一度も交わることはないんだなぁ、とボンヤリ思っていました。
なんかここまで書いたら有識者の皆さんには学校がバレてしまうと思いますが、その学校には姉妹校的なのがあって、めちゃくちゃレベルは落ちるけど別の場所に同じ学校がありました。
当時はそこの受験なんて考えてなかったけど、今朝、なぜか今になってそこの学校でもいいから行きたい気持ちでいっぱいになりました。
今まであんまり考えないようにしてたけど、急にそんな欲望が出てきちゃって、7年前のことに未練タラタラな自分がうんこすぎて今すぐ流してしまいたい。
ここまで読んでくれてありがとうごさいました。
男も女も、あまりにも歳をとることにネガティブなイメージを持ちすぎている気がする。私もそうだ。
原因はなんだろうと考えたけど、いまいちしっくりくるものが出ない。
自分たちもいずれ向かう現実なのに、外見的にも内面的にも、自分はああはならないと確信している印象すら受ける。
外見的なことを言えば、別に太ってもいいじゃないかと私は思う。
シワが増えても、髪が減っても、背が縮んでも、体力が落ちても。
歳を重ねるっていうのは、それだけ長く頑張って生き延びてきたということなのだから、その過程で避けられない老朽化には自信を持って生きていきたいと思う。
しかしそれと同時に、内面的には、ああはなりたくないと憎しみにすら近い感情を抱くのだ。
若者はこれからの社会を支える重要な存在だ。狭い部屋に住んで、安い飯を食べて、たくさん働いて、税金を納める。それが私たち若者。
しかし街中に出れば至る所で年上を敬えと強要される場面に出くわす。
私だって蔑ろにしたくてしているわけじゃない、尊敬に値しない年上が多すぎるのだ。
高校の頃、部活で疲れて電車の普通席に座って寝ていたことがある。
膝の上にはスクールバッグと部活用のエナメルバッグ、足の間には当番制で洗濯しているゼッケン袋があった。ヘトヘトになってうたた寝していた私を、誰かが突然叩き起こした。
朦朧としながら顔を上げると、目の前には手ぶらで佇む60代くらいのおばさんがいた。
おばさんは目を釣り上げながら私に「退いてくれないかしら、あなたが一番若いし。」と言うと、私を立ち上がらせた。
周りを見渡してもみんな見て見ぬフリだった。確かに、私はその車両では一番若かった。
結局私は彼女が電車を降りるまで、立ったまま体の前にバッグを積み重ねてつり革につかまりながら寝続けた。
誰しもにある経験だと思う。
私たちはこれを、この先ずっと繰り返していくことになる。しかも優先するべき老人の数はどんどん増える。若者がこの椅子取りゲームに勝つ術はない。
この出来事だけでなく、言うことを聞かない年上の部下、根拠もなく私が若いというだけで提案を無視する上司、投票所に並ぶ私を見えてないかのように割り込みするおじさん。尊敬できない年上に蔑ろにされた経験は数え切れないほど存在する。
些細なことだけど、それがいくつも積み重なれば憎しみにも似た感情が生まれても仕方ないと思う。
私は彼らのようにはなりたくない。
自分の指標となるような、尊敬できる大人を見つける必要がある。
若い私たちを疎ましく思わずに、導いてくれる人を。諭してくれる人を。
歳をとることへの恐怖に打ち勝つ一番の近道はそれじゃないだろうか。
多分これ、同意する人も多いんじゃないだろうか。スクールバッグにアニメのストラップを恥ずかしげも無く大量につけたり、いつもいつも見かける度にアニメやゲームの話しかしてない人って、大抵そうだ。
化粧やお洒落を「頭の軽い馬鹿がするもの」とか思ってる。多分、スクールカースト上位の人しかしないからで、彼女たちは上位者に邪険にされ続けていたからだと睨んでるんだけど、どうだろう。
別に私は化粧しないオタク女子に化粧しなよって言うわけじゃない。お洒落も別に、好きにしたらいい。
私は大学や街へ繰り出すのにパジャマだかスウェットだか分かんない素材の服だったり、化粧をしないのが気になってしまう気質だから繕っちゃうだけで。彼女らが気にしないならそれでいいと思う。
でもね、ひとつどうしても言いたい。化粧やお洒落をしてる人に、「そんなのしなくていいじゃん」って言うのは止めなよ。
今私は大学二年生。高校の友人に触発されてオタクになった人間だけど、中学の頃からスクールカーストは底辺だった。鞄にグッズもつけはしないけど、友達とオタク話してすっぴんで街に出ていってた。高校はずっとそんなんだった。
大学に入って、1ヶ月もしない頃くらいからかな。学部の友人が皆化粧をしてるから、私もなんとなーく手を伸ばした。
革命だったよ。肌は綺麗に見えて、顔色の死んでた顔に血色が宿って、目もなんだか少し大きく見える。見えるようにしたから当然だけど。
私にとってオタク活動が一種の自衛だったように、化粧も鎧みたいになった。
化粧したって性格までは変わらないから、努力して明るくなって、そこそこに人付き合いも増えた。
今までオタクでもない賑やかな子は苦手だったけど、案外付き合ってみれば良い子ばかりだった。多分、オタク期特有の思い込みがあったんだと思う。「化粧してて、オタクじゃなくて賑やかな子は性格の悪い脳足りんだ」って。サイテーかよ自分。
オタクって見た目が似てる。化粧しない、服も適当。つまり選民意識も高けりゃいっちょ前に自衛力も高い。
でもそうしたところで、化粧キメて服も整えて、スタバとかアパレルブランドできゃいきゃい騒ぐ眩しい世界の住人なんかにはなれない。
だから「あんなことしてる人達は派手で頭が軽い」って見下すしか出来なくなる。見下して、”化粧しないしお洒落もしない”自分を許した気分になる。これ、私の体験談なだけなんだけどさ。
リア充になりたいんじゃなくて、リア充がしてるような楽しいイベントとか、誰しも少しは憧れると思う。
でも大半のオタク女子たちはそんなの関われない。学生時代を彼女たちに怯えて過ごして、羨望が苦しいから、いつの間にか小馬鹿にすることで平穏を保つ。
で、環境が変われば人も変わることを、往々にしてそういう子達は受け入れない。
大学でも変わらずオタクグループ作って安心してたのに、そのうちのひとりがいきなり化粧し出して服も気を使い出した。馬鹿にし続けてた人種になり始めるわけ。
リア充イベントに憧れて、ちょっと経験したらすぐさまそういうのにしがみつきがちなオタクにとっては、そういう子って邪魔なんだよね。グループの調和が乱れるからさ。
だからだんだんその子と疎遠になる。この疎遠にされた子は嘗ての私だけど。
まあめっちゃショックなんだよね。
オタク卒業なんかもう出来ない域に来てるし、化粧もお洒落も一切押し付けた記憶はないし、何なら彼女らの前で話題に出したこともない。
顔を合わせる度「変わったね」とか「化粧なんてやめなよー」とか「学校如きによくそこまで気使えるね」って言われたけど、「楽しいから」くらいで終わらせてた。
オタク以外でもノーメイク、服もシンプルで流行とか気にしてない人はいる。
でもそういう人達にそんなことを言われた経験は無い。オタク特有の身内連帯感、執拗にカースト上位を見下す風潮、なけなしのプライド諸々がやっぱり原因だろうと私は思ってる。
肌が弱いならしなくてもいいんだよ。というか極論、したくないならしなくていい。化粧必須の業界に行かない限り、そういうのって自由だし。
でもさ、自分達がしない(出来ない)からって、押し付けるの止めなよね。
他人に化粧を止めたって、仲間外れにして元に戻って貰おうとしたって、貴方たちはそのままじゃなーんも出来ないままなんだよ。木陰でずっと陽射しを見てるだけだよ。
そのままで生きていきたいなら好きにしたらいい。
ただ、一歩踏み出して努力する子の足を引っ張ろうとするの、良くないんじゃない?
同類だけとぬくぬく仲良しして選民して、いつかきっと後悔するよ。少なくとも私は貴方たちの友達には戻れないし、学内で困っていても絶対に助けない。
Aちゃん。貴方が今人生初の彼氏になるかもしれないって食堂で大声で惚気てる人、実は学部の女の子の間じゃ「地味な子をとっかえひっかえするクズ」で有名なんだよね。
でも多分、騙されちゃうんだろーな。だってAちゃん達、狭いコミュニティに籠ってるから。
彼氏持ちの女の子を馬鹿にしつつ男子相手に食い気味に会話しにいってるの、陰で何人が嗤ってたかも知らないんだろう。
結局さ、化粧とか服に限らず、悪いことしてない限りは変化を受け入れてもいいんじゃない?ってこと。
今まで貴方たちは私のなにを見てたんだろうね?
同類って安心する材料だったのか、こいつよりまだ私はマシなオタクって思われてたのかは知らないけど。あーあ。ばいばい。
メッセージがとても強い。
サイレントマジョリティー(以下サイマジョ)や
しかし、二人セゾンにはそれがない。
春夏で恋をして
だが、そんな考えもMVを見たら大きく変わった。
サイマジョは楽曲だけでも完成度が高かったが、
まだ見てないと言う人は見てきてほしい。
https://m.youtube.com/watch?v=mNpPQXMgtmw
メンバーそれぞれの表情だと思う。
いたってはセンターの平手ちゃんばかりが映っていた。
ストーリーを描いている。
けれどやはり、今回はほぼみんながちゃんと映ってて、
感じとった。1年だけの関係、まさにサビの
秋冬で去っていくという歌詞に合っている。
なによりその表情はとてもいきいきとしていて、
青春の一瞬の楽しさが見える。
そして、欅坂らしさを見せたのが、
鞄を捨てるシーン。
MVでちょいちょい出てくるこのシーンが
その役割を担っていた。
大人はみんな嘘が多すぎて忘れてる
昼間の光がさす大人数でのシーンと、
夕暮れの闇が迫る平手1人のシーンの対比が、
冬にさしかかり、もうすぐ1年が終わって
私に思い起こさせた。
あ、またこの時期が来てしまうな。と。
鬼気迫る表情で焦燥感をかもし出していた。
1年が終わる、季節が終わる、
着々と迫る別れに対する焦りが伝わる。
それをリアルタイムで感じている私は
MVを見て泣きそうになっていた。
感じとったものがそれだけ大きかった。
こんな長々と書いてしまったが、
結局言いたいことは一つだけ。
紐の長さが中途半端で手で持つには長過ぎ、肩に掛けるのには短すぎるからリュックのように背中に背負う奴がいるが、そうするとプラスチックの丸い突起が4つ付いた地面に付ける汚い部分が他人の方を向き、こちらに迫ってくる。
トートバッグのように肩に掛けると、脇の下が膨らんで邪魔だから肘で背中の方にカバンの本体を押し出す。するとやはり地面に付ける面が外に向き、こっちに迫ってくる。
多分学校が指定したカバンなのだろうが、構造的に混んだ電車では迷惑になりやすい代物だ。
いっそリュックにするか、サラリーマンのビジネスバッグのように短い取手と長い肩掛け紐をもつ形にしてほしい。そうすれば地面に付く汚い面は常に下を向いていて迷惑になりにくいはず。