はてなキーワード: スクールカウンセラーとは
今私は高校三年生で、時期的にはまさに就職か大学か専門学校かと進路を決めて周りの人間が頑張っているであろう時期なんだけど、何一つ頑張ってない。努力もしてない。というかよくわからない。努力とか頑張ってるとかってなんだ?誰の基準なんだ?自分か?他人か?
「何がしたいか」なんて聞かれてもなにも思いつかないし、ましてや将来の夢なんてなにもない。強いて言うなら絵を描くことだけは小学生の時から好きだった。って言ってもクオリティは大したことないし、服とか小物描くのは苦手だし男も描けない。背景も描けない。女(しかも肩から上)しか描けない典型的な底辺絵描きなんだけど、この間学校の進路ガイダンスに行って、専門学校もいいかもなとちょっと思った。今まで進路のこととか本当に考えずに過ごしてきたから「今?」って感じだけど、イラストといえば小学生のころから唯一続いてきた趣味でもあったし、好きだから。
昨日、成り行きでその進路ガイダンスにあったパンフレットの学校の説明会にひとりで行った。ちょっと前から思ってた「キャラクターデザインとかやりたい」っていう思いが若干強くなって、いい話も聞いて、ルンルンしながら家に帰った。でも、家に帰って即行お父さんにガッツリ「ダメだ」って言われて、なんかお先真っ暗みたいな気持ちになった。
「イラストの業界に進んで金もらえる人間なんて一握りだ。お前がその一握りになれるか?」
「せめてもうちょっと現実的な専門学校だったらまだいいよと言えたかもしれないけどイラスト業界はダメ」
まぁ、わかる。私もそっちに進んで安定した金をもらえる自身もないし、今のところ技術もない。それはこの歳になる前からでも思っていたことだし、その道に進んでもずっと考えてると思う。それに、イラストレーターとかデザイナーとかで働いてる人がなんだか違う次元の人のように思えて、現実味がなかったこともある。実際咲けてない漫画家が知り合いにいるし、難しい世界なのはわかっている。かといってそこで根性発揮してくらいついていける自信も根拠も親の信用もないし、この時点で「イラスト関連の専門学校は無理かな」と自分でも思っていた。親の言葉くらいで簡単にあきらめるようじゃ、せいぜいこれからも趣味レベルでやっていくのが私の限界なんだろとも思っていた。
私がお父さんに腹を立てているのは、専門学校に行きたいと言ったことを真っ向から否定されたからではない。大したクオリティではないとはいえ、私が小学生のころから八年程続けられてきた唯一の趣味を「所詮お遊びレベルだ」と一蹴されたことだ。
私は昔から、なにをやらせても中途半端な三日坊主だった。音楽番組に影響されたお母さんに触発されてなんとなくでギターを買いたいだのと言いだし、そのギターはここ数か月クローゼットの中だ。小説っぽいものを書くのも好きだが、極めようとはしていない。せいぜい私の書くものを好きだと言ってくれる数人に見せているだけのようなものだ。作曲や作詞にも興味はあるが、せいぜい興味があるレベルで、作曲の勉強をしようとはしていないし作詞もただ思春期女の痛いポエムでしかない。言ってしまえば生産性が皆無だ。先述したが絵のクオリティも「これどうなん?w」という感じだし、まあそりゃ本気でやってる人からすればお遊びだといわれても仕方ないような人生だ。ただそれを、小学生のころから絵を見せて「上手くなったな」などと言ってくれていたお父さんにガッツリ否定されて本気で傷ついてしまっている。実際図星でしかないのでさらに腹が立ったんだろう。
「今までギターをやりたいというからギターも買ったし、絵を描きたいというから液タブも買わせたが、俺からすればお前のやってることは全部お遊びだ。イラスト関連の道に進みたいといわれても、これ以上お前のお遊びに俺たちを付き合わせるなとしか思えない」
と言われた。言われたのは昨日のことなので、超ハッキリと覚えている。あーあ、と思った。今までお父さんは私のやることなすことに対してそんな風に思っていたのかと。
その流れで「もしその道に進んだとして、途中で投げ出したらそのウン百万はドブに捨てたことになるんだぞ」とも言われ、これもまた私を傷つけた。私は高校一年生の時にそれなりに苦労して入った全日制の高校を辞めて通信制に転学している。その全日制に入るために進学塾に通ったりとまあ色々と金を使ったわけだが、お父さんはその金をドブに捨てたと思っていたんだと気付いた。それは、金を払っている親の立場からすればかもしれないし、私もいつか親になって多額の金を出して入った場所をやめたいなんて言い出したら「は?」と思うかもしれない。でもその時の私も余裕がなかったし、この心理状況で全日制の高校に毎日通って単位を取って卒業するなんて無理だと思ったので、ほぼ勢いで転学を決めた。それまでも金が無駄になることや、憧れていた全日制高校とずっと着たかった制服への未練が捨てきれず悩んだりもした。そこで小学生のころからお世話になっていた塾の先生に「経験は無駄にならない」という趣旨で励まされてなんとかここまで来たものの、今になって「ドブに捨てた」なんて言われても私はどうすればいいのかわからない。いや、実際には話的には専門学校に行くために払う多額の金の話であって、私が辞めた全日制の話はひとつもされていない。ただの私の被害妄想でしかない。
ここまで書いて自分が何を言いたいのかよくわからなくなってきたが、別にどこかに出す正式な文章でもないので開き直って続けることにする。
最初に言っていた「頑張っていない」「努力していない」「そもそもよくわからない」という話に戻るが、私は本当に頑張るということができない。進学塾に通っている頃も私は自分で頑張っていると思い込んでいたが、先生に「お前は頑張ってない」と一喝され、普通に足りていないことを自覚した。かといってそれからも特に何か伸ばそうとすることもせず、課題も「めんどくさい」からとやらなかったり、先生に強制されていた毎日の自習も渋っていた(先生は私が家にいると全く勉強しないことを知っているので強制していた)。
周りの人間は、私が見る限り頑張っていた。暗記のテストもいい点数を出すし、課題も全部やってくる。当たり前だと言われればそれまでだが、私はその当たり前ができなかった。頑張るということがよくわからないし、めんどくさい。別にそこまでして高校行きたくないし……と思っていた。その「頑張れない」ということをはっきり自覚したころ、スクールカウンセラーの先生などと喋る機会があったのだが、その時は「無理に頑張ろうとしなくてもいい」などと言ってもらえた。「頑張れないのが悪いんじゃなくて、当たり前のことを当たり前にできる人がすごい」とも聞いた。一時はその言葉に救われたのだが、よく考えると私は「頑張れない」のではなく「頑張ることから逃げているだけのクズなのではないか」とふと気づいてしまい、そこからはいつもの自己嫌悪だ。中学のころからずっと自己嫌悪だけは止まらない。自己PR欄書けるような長所と言えば「学校生活で掃除をさぼったことしかありません」ぐらいのことしかないが、普通に特技を聞かれれば自己嫌悪となんでもマイナス思考で考えることだと思う。
このネガティブ思考のことについて考え始めるとマジで負の連鎖に陥るのでやめたほうがいいのはわかっているが、ポジティブに考えるというのが全くできない。えっ、私は何が言いたいんだろう……突然正気になってしまった……
とにかく、頑張れない。頑張るのがめんどくさい。ただそれだけだ。マジでめんどくさい。何をするのもめんどくさい。風呂に入るのもめんどくさいし、そのあと髪を乾かすのもめんどくさいし、パソコンを使うためにリビングから自分の部屋まで移動するのもめんどくさいし、液タブを使うために線を繋ぐのもめんどくさいし、趣味の絵の練習ですらめんどくさい。痩せたいとは思うがストレッチは二度と続いた試しがないし、結局大して太ってないからいいだろと思考停止して終了。なるほど、クズだな。
ここまで長々と意味の分からない言い訳を綴ってきたけど、結局何が言いたいってなにするのもめんどくさいっていうことなんだよな。あーやだな。自己嫌悪止まんねえな。どーーーーーせ陰キャコミュ障クソオタクの私は誰からも愛されずに親の死んだ実家で孤独死するんだろうな……ウケる。
マジで頑張るのめんどくさいし、進路な~~~~んにも考えたくない。てか金ないし覚悟ないから専門学校ダメ!じゃあどうせ金はないし勉強もしてないから大学もダメ!ってなったら就職かニートか死しか残されてなくない?素直に死ぬか?wあーヤダな。波風立てたくないし好かれたいし嫌われたくないしなんか意味もなくめっちゃ評価されたいな。は?何甘えてんだボケカス
ここまでクソな人間みたことない。適職診断とかよくさせられるけど、適職とかマジないからハナからやらないほうがいいよ。
何やってんだろな 唯一見つかったかもしれないやりたいことを否定されて振り出しに戻ったな 私は何がしたいんだろう、ていうか社会に出て何ができるんだろ?どうせ死ぬまでこんな誰にも見られないようなクソ長文の弱音と愚痴をネットの海に投げて自己嫌悪してるんだろうな
な~~んにもしたくないな ずっとTwitterのタイムラインにかじりついていたいな 今からバイト探してもすぐ辞めるのわかってる進路未定の高校生なんて誰も採ってくれないよな。マジで嫌だな……何のために生きてるんだろうか……すごい疑問……長いな、この文章……
ネットなんて匿名の吐き溜めなんだし、一人称なんてどーーーだって良くないですか?
俺女、僕女は嫌われる。
思うに、それらが嫌われるのは「一人称『俺』だけど女ですー!」みたいなアピールする存在がいるからではなかろうか。知らんけど。ギャップ萌え狙ってるのか?
それってもう、女が使う「俺」「僕」に対する嫌悪じゃないよね。
幼い頃から、自分の名前は一人称に相応しくないと思い込んでいた。
親は、ぼくを名前で呼ばない。
それは別にネグレクトだとかモノ扱いだとかそういうことではなくて、具体的には言えないけれどとにかく名前では呼ばれなかった。
このことは友人からもたまにからかわれていて、ぼくとしても恥ずかしいのであまり言いたくはない。この友人は後にぼくが「私」と言えなくなった原因の発端に少し関わってくる。
皆、苗字でぼくのことを呼んだ。
クラスに必ず何人かはいる、「ああ、そう言えばそんな名前だったよね」って人種だった。親しくない訳じゃあないんだ。
読みづらい訳でもなく、むしろこれ以外の読み方はできない、ってくらい分かりやすい名前だ。
ひと目で女と分かる名前。
この精神を病むことになった原因に、さっきの友人が絡んでくる。ぼくは今も、この人が苦手だ。
また学校へ通うようになっても、スクールカウンセラーと、ではあるが定期的にカウンセリングを続けた。
何かしらの病名がついた訳ではないが、後から思えばあの時のぼくの精神状態は最悪だったし、おかしかったとも思う。
膨らんだ胸も、柔らかい身体のラインも、生理も、高い声も、女性らしくあることを強制されること(校風としてはむしろ女である前に一人の人間であることを尊重されることが多かったように思うが)も、嫌でたまらなかった。
ひと目で女と分かる名前も、「私」という一人称を使うことも、苦痛で仕方なかった。
奇しくもぼくが通うのは女子校であり、周りには女子しかいなかった。
これが共学であれば、自己を自己たらしめるものが他者であるように、男子という存在によってさらに自分が女であることを意識してしまっていたかも知れない。
だが、友人たちのはしゃいだ高い声にすら苛立ちが隠せなかったこともある。
とにかく、「私」と言えなくなったぼくは、自分の苗字を一人称とすることに逃げた。苗字に「さん」を付けて呼ぶこともあった。
漢字で機械的に記された自分の氏名を見ると、それが自分のものではないようにすら思えた。
ほとんど時を同じくして、ネットの世界で辿り着いたのが「ぼく」という一人称だ。
本当の自分とは全く関係のないHNを使っているので、その名前を一人称とすることもあったが、「ぼく」と言うのがしっくりきた。
本名への嫌悪感からかHNに「ちゃん」を付けて呼ばれることはどうしても受け付けず、誰かと仲良くなるたびに、それ以外の呼び方をして欲しいとお願いした。
ジェンダーとしての女性のステレオタイプを押し付けられることには少し抵抗を覚えるけれど、身体への嫌悪はなくなった。
それでも自分の名前を好きにはなれないし、公的な場以外で「私」とは言いたくない。
理解しろ!!! と大声で主張することはしないが、私的な場面でのそういった選択の多様性に対して、もっと寛容な世界になれば良いのになあ、と思う。
正式な場では男も女も「私」と言うんだから、と指摘する人がいるが、嫌いなものは嫌いなのだ。
ぼくはネットの中の人物としてのパーソナリティを持ってはいるけれど、それは現実世界のぼくとは別人だ。
……という文章を発掘し、懐かしくなったのでここに葬ることにする。
大学のスクールカウンセラーとか産業医は医療機関に勤務してまともにやってけない奴の受け皿だと思ってる。
芸術大学に通っていた頃にカウンセラー利用させてもらったけど元増田と似たようなこと言われた。
課題から逃避するための言い訳だろ?とほくそ笑みながらほざきやがった。
挙句「こんな大学通ってるような奴に才能なんてないんだから大人しく中退してとりあえず派遣なんかで働けばいいだろ」だとさ。
たまらず「それはあなたの決めることじゃない。中退しないし派遣社員にもならない。」と言い返したら、
「派遣社員を見下しているから僕の話を聞き入れられないんだろうけど、これが現実だから(笑)」と全く噛み合わない返答が来てもう絶句。
自分が暴言を受けたことよりも他の学生の話もまともに話なんて聞いてないであろうことが悲しかったし強く憤りを感じた。
当時は自分の将来や成績のことだったり金銭的に困窮していたりで自分のことで手一杯だったので、カウンセリングルームで起きたことは誰にも話さないままになってしまった。
精神的に疲弊し弱気になっている状態でショックの強い言葉を浴びせられたので「こんなこと他の人に言っても信じてもらえないだろう」と思い込んでしまったせいでもある。
今考えればすぐに教務課あたりに苦情を入れたほうがよかった。悔やんでももう遅いが時たま思い出して後悔の念に苛まれる。
くどくどと恨み節を書き記してしまったが、中高生や児童のカウンセリングを請け負っているカウンセラーは志高い人が多い印象があるので、精神科医やカウンセラーも当然悪い人ばかりではないはずだ。
お元気でしょうか、先生。
友達はいたけどわたしのことをよく思わない子もクラスには一定数いた気がする。
とにかく人とうまくやれなかった。
たぶん嫌われてはいなかったと思うけど
神経質だし気にしすぎなくせに我儘だったり、自分のそういうとことうまく付き合っていけなくてつらかった。今もだけど。
そんな感じだったので親にカウンセリングに通わされていた。
市のセンターのやつとかスクールカウンセラーとかいろいろ。
その頃から市の大きめの病院の神経科、という名の精神科のカウンセリングにお世話になり始めた。
どんな話をしてたかは覚えてない。
月1回1時間弱、話すだけ。ただそれだけの時間が高校2年生まで続いた。
先生は割と自分の体験談も交えて話してくれるタイプのカウンセラーで、合う合わないはあると思うがわたしはそれで逆に安心した。
優しく聞いてくれるけど、だめなことはちゃんとだめって言ってくれる人で、高校に入ってバイトをし始めたわたしの通帳を親が管理していると知ったときに、それはよくないって止めてくれたのは覚えてる。
わたしは戸惑った。月1だけどここ以外にほんとのわたしを知ってくれている場所なんてなかった。
最終回。
今まで親にはずっと
いつもいい顔ばかりして
みんなわたしが爆発してもどうしてって顔をして
でも、先生はそれでも良いって言ってくれた
あれがあったからここまで生きてこれたと思う。
もちろんそれはわかっている、信用ならないと思っていた、けど
きっとそれだけじゃなかった。って信じたい。
今でも思い出すたびあったかい涙が出る。
うれしかった。とても。
心の奥の大切なものを入れている引き出しに、ちゃんとしまってある。お守りみたいに。
わたしもそんな人になりたくて、今進路を決めている
カウンセラーではないが
すべての人がそれぞれの輝ける道を歩けるように
理想かもしれないけど。
ここ受診ですね。専門。
睡眠障害専門外来では、日本睡眠学会睡眠医療認定医師による診断・治療、日本睡眠学会睡眠医療認定検査技師による検査を行っています。
http://www.ncnp.go.jp/hospital/guide_s_outpatient/detail07.html
睡眠障害専門外来では、日本睡眠学会睡眠医療認定医師による診断・治療、日本睡眠学会睡眠医療認定検査技師による検査を行っています。
不眠などの睡眠問題に加えて、食欲低下、意欲低下、強い不安などの症状がある場合には、うつ病が隠れている可能性が高いので、まず精神科を受診されることをおすすめします。また、18歳以下の方で、登校できないなどの学校問題がある場合には学校医、スクールカウンセラーに先にご相談の上で、睡眠障害が疑われる時に紹介状をお持ち下さい。
1.一ヶ月以上にわたり不眠症状が続いている(寝つきが悪い、夜中に目覚めて苦しい、朝早く目覚めて二度寝ができない、熟眠感がない)。
2.眠り出すと息が止まる
3.夜になると、足や手を動かさずにいられない非常に不快な感覚があり、寝付けない(ムズムズ、突っ張る、痛いなど)
4.眠っているのに手足や頭が動き続ける
5.眠っていて突然大声を上げたり、歩き回ったりする
6.夜中に突然足がつる(こむら返り)、パニック発作が起こる
7.夜、十分に睡眠をとっているはずなのに、昼間に居眠りを繰り返す
問診票もpdfでついてるんで是非いってきてくだされ。
・見た目は普通
・相手に何か言われると、馬鹿にされたと思って、フンと怒って会話ができない。(普通の会話でそうなる)
・給食のおかず担当のときに、大おかずを倒しても、謝らずに遊びに行ってしまった
・すこし、身だしなみがきれいではない。
・総合の授業のときに、女の子が、その男の子の席に勝手に座った。
・それをみていた、先生が、女の子に対するいじめだと断定してしまった。
娘の視点からすると、椅子をけった男の子も悪いが、普段から、発達障害の女の子が、空気読めなさすぎて、人の話も聞かないので、まわりにすごいすとれすになっていると。
発達障害の女の子に対するいじめの疑惑に対して、先生が、このクラスにイジメはありますか?と、いう、クローズド質問で、話題を誘導しようとしている。
娘からすると、いじめじゃなくて、ボタンの掛け違いじゃないかと。
男の子は、発達障害の女の子と、その女の子を指導しない先生に不満があると。
この、クローズド質問に対する、先生の急所に切り込む回答はなんだろうか…
■追記1
発達障害というのは、観察結果からで、それでバカにしているわけではありません。
他の子がやったら、ものすごく怒るのに、その子が何をやっても怒らない。
言っても理解できなくて、しかも、その子の親が特別学級に行くのを拒否して、怒鳴り込んできたことがあるので、当たらず触らずなのです。
子供からすると、他の子に怒るなら、該当の子にも指導しろよ、と、言っております。
■追記2
その女の子が、表面上は普通の子のような扱いをしつつ、その女の子に対する指導をしなくて、子供に対応を押し付けているので、
その爆発仕掛けているのが、先生が、ちゃんとした指導をしていないのが原因なのにもかかわらず、先生は、表面的な事象を見て
■追記3
発達障害(ASD/ADHD/LD)に対する理解、定型か非定型、コミュニケーションにコツがある。
娘が学級委員長で、結構、その女の子の面倒を見ているのですが、どうコミュニケーションしたらよいかわからないと言っていた
ので、こういう視点もあるんだということを伝えてみます。ありがとうございます。
■追記4
ちなみに、何に困っているかというと、先生が、問題にフタをして、頓珍漢な矮小ないじめ問題にしてしまっているのと、
その問題を解決するために、算数の授業を毎日のように潰しているのですが、根本が間違っているようにみえるので、
■追記5 これに対する回答
https://anond.hatelabo.jp/20171113001711
残念ながら、当事者の子供たちで、ちゃんと親に報告が出来ているのは、うち娘くらいで、
同じく、お母さん方も、教育熱心な方が少ないので、増田でもらったアドバイスを元に
スクールカウンセラーに相談しようと思います。
・授業を毎日のようにつぶして、ヒアリングしても、間違った始点からなので、間違った結論にしかならない
可能性があることをスクールカウンセラーから生徒側の意見として伝えてもらう。
■追記6
思いつくままに書きなぐったので、思考の断絶の都度句読点が入っていて、自分でも読みにくいわ!!と、マジでへこんだ。。。_| ̄|〇
あと、面白いのが、増田よりも、ブックマークのほうが辛らつなのな。
当日のカーッとなった「先生の急所に切り込む」を受けての反射の反応なんだけど、普段の記名して記事書いていると得られない反応なので面白いわ。
いや、褒めてんじゃねーかよww
誤字脱字一切なし、祖母の介護で留守がちな母と受験のプレッシャーの中で自己と父の関係を冷静に見つめ、病的な父に毎日の如く数時間正座させられ難詰されつつも――、
ろくに
多大な非
叱責に関してはすごく不当
烈火のごとく
抗議の声を上げれば大きな吼え声で遮られる
過剰な反応
干渉が過剰
頻繁に様子を見に部屋に立ち入る
もどかしさや焦り
情景がおぼろげに
叱責の頻度
感情はねちっこく反芻
この程度のことで手をわずらわせて
等の形容を使いこなし、1541文字25行にも渡って窮状を訴える18歳の女子高生。文章的な破綻は一切ない。
デビュー前の綿谷や金原の文章読んだ事あるか? あれ以上だぞ?
この思考力、そして客観視とアンビバレンツなまでに感情から遊離した語彙。
考えられるのは離人症だが、そうした人間の文章にしては余りに理路整然とし過ぎている。
興味深いのはそうした中に垣間見えるふつうの(少し幼めではあるが)表現だ。
ただいまの声が暗かった
目がヤバくなっていて
父がヤバい
これまではウワーと怒鳴られても
なかったかのようにケロッとしている
怒られすぎてどうにかなっているのだろう
家に帰るのがツラい
ツラいことにはツラいけれど死ぬほどツラいわけではない
上記の形容は父が絡む関連で内的に権威化されていることから生じており、下記は主観寄りである為に年齢相応な可能性もある。
それにしても最終的に、この程度 としながらも拠り所がスクールカウンセラーであり、それにすら及ばないという発想はなんなのか?
よーするに俺としちゃ理解に苦しむワケよ。もう歳なんだろうねw 最近の若い子の自己表現についていけてないんだよ。
部屋によく来るからうっとーしい顔をしちゃっててそれでパパは私に見下されてると思ってる、なんてのは娘の切ない父への慕情すら拾えるが、その父へ叙述が前掲上記ってのがまたスゲェ。
思わねーか……? どういう子なんだ? この子、ってさ。
語尾やかな漢字もおかしいが、一番不思議なのはセクシャルな表記が全くない点なんだよな。
よく読むと愛と理性、としながらも、この子の父は怪我が残らないような暴力は日常的に行っている可能性があるんだよな。数時間の正座込みでさ。
手を上げられる前に泣くけどそれがイラつかせてるかもしれない、ってんだからこれまた泣ける話だが、その辺をヤバイ形相で振り上げた新聞に母が叫んでるってのに重ねるとこう思うんだよ。
「アンタに毎日振り上げられてんのって、本当にただの新聞紙なの?」
ってな。
介護で毎日いない母、そして二人きりの家で自分をゴキブリのように何度も叩く父。
こうやって書くと「男はすぐそういう話にする、そういうのがさぞかしお好きなんでしょう」みたいのが沸いてくるが、率直に言って本当に理解できないんだ。
何がムカつくってこうやって細かく読み込んだだけで「若い子が気になるのね」とかって意見がすぐに出てくる事だが、こうして書くまではババァの創作四苦八苦か暇なSEの文章修練だろうと思ってた。
でも、これだけ破綻のない文章を書いているのに思春期の父親に対する反発が一切拾えないのは逆に不気味ですらねぇか? と。
そういった魅力が全くないタイプであれば、杞憂に過ぎないかもしれない。
一貫校で自室持ちなら両親にそこそこの収入も期待できそうだし、教育方針で激論するんだから所謂底辺家庭ではないんだろう。
世間にゃ殆ど反抗期がなかったって大人も割といるし、イマドキ4,50代で新聞紙説教オヤジってのもナンだが田舎ならWifiすらない地域もざらだ。
しかしどーもなぁ……、って思ってるんだが――、
ゴミみてーな増田のアフィステマアンケート群の一つ一つをこんな風に読んでたら幾らあっても時間が足りゃしねぇし、常連どもは勝ち逃げか派閥作りって風にしか見えねーしな。(読みも浅ぇしw)
そもそも商用のアクセス集め文章と本来の書き捨て名無し日記である内情吐露は全く読み方が違うんだよ。マジメに読むほうが馬鹿を見るだろ? 真偽なんか分からねぇんだから。
っつーワケでこんだけ書いといてナンだが、途中で放り出して俺は自分のやるべき事をする。後はもうこのエントリには書かねぇ。文章書きってのは読み辛くてループを仕込んだスパゲッティソースを他人に叩きつけて時間を奪い、その間に自分は別のコードを書くって最低な人種なんだよ。目的も分からねぇソースコードの解読なんぞにいつまでも付き合ってられるか。(笑)
悪いとは思うが謝りもしねーぜ? じゃーな。
これを読んで自分の事のように思い、いつも読むだけだったが書かずにはいられず、はじめて登録し書いているので不備があったら許して欲しい。
過去の私と元夫と同じような状態だと思った。(同じすぎるので内容は省略)忙しい立場だろうからなるべく簡潔に書きたいと思う。どうか届いて欲しい。
・逃げていいんだよ。
・どうかすぐ、助けを求めて欲しい。
私はこんなことで離婚していいのかと悩んだ。おそらく貴方も『共依存』の状態だと思う。
『親子 DV 相談』でググって似たような状況を読んだり、スクールカウンセラーに今すぐ相談して欲しい。自分が今どんな立場なのか客観的に感じられるといいと思う。
おそらく、受験もあるし、家を出たらこの先のことや、大学受かっても資金面のこととかで躊躇していると思う。(あと残された家族ね)
この手の人間(お父さんね)は第三者を通すと良いと思う。お父さんは他人から見ると仕事を頑張っていて尊敬されるような人ではないだろうか?
ちなにみ私が離婚して夜逃げ同然で引っ越す際にお別れの一言を言いに行った友達のうち3人は夫がDVだったが(全然知らなかった。)
例えば、メールや手紙で「お父さんに大きな声で注意されると頭が真っ白になってなにもわからなくなる。最近調子が悪いので先生が心配している。ひとまず、注意事は
メールや手紙にして欲しい」とか、「ご近所さんに声が聞こえてたみたいで何があったのか聞かれた」等は効果ないだろうか?
あと記録をとっておく。音でも映像でも文字でもいい。カウンセラーや第三者にみてもらって欲しい。
兄弟はいるのかな。お母さん忙しいだろうけど、大事な子供の事だから相談にも見方にもなってくれるよ。今の自分の苦しんでいる気持ちをどうか伝えて欲しい。
私の大学受験が近いことで父が苛立っていて、ろくに勉強をしていないとかだらしがないとか態度が悪いとかいうことで毎晩毎晩怒られている。
勉強が足りていないのと怠惰なのはその通りで、自立・自律できていない私にももちろん多大な非があるのだけれど、態度への叱責に関してはすごく不当に感じる。ただいまの声が暗かったとか、口数が少ないとか、話しかけても勉強中なのをいいことに目を合わせようとしなかったとか、そういうちょっとしたことで烈火のごとく怒る。突然怒鳴りだし、物を投げ、扇風機のような大きなものを引き倒したり、丸めた新聞でゴキブリのように何度も私を叩いたりする。
怒っているときの父は完全に目がヤバくなっていて、抗議の声を上げれば大きな吼え声で遮られることもある。おまえはどうしていつもそうなんだ、どうしてどうしてどうしてと問い詰められ、なんと言えば許してもらえるのかわからないまま1時間や2時間にわたって正座させられる。ほとんど毎日!
(ただしそれでも、怪我が残るような暴力に限ってはほとんど振るわれたことがない。愛と理性だ……。)
私の態度に対する父の過剰な反応からは、わが子に不当に嫌われ蔑まれているという被害妄想のようなものが感じられる。決してそんなことはないのに。ただ父は干渉が過剰で、私の勉強中に頻繁に様子を見に部屋に立ち入るなどするので、それに対してつい鬱陶しそうなそぶりをしてしまうのがいけないのかもしれない。
現在のように父が怒るようになったのは、私が小学校4年生で中学受験の勉強を始めたときが最初だ。あのときも子どもが思うように勉強しないことへのもどかしさや焦りで気が立っていたのかもしれない。ごめんなさい。当時の記憶として、私が壁沿いに尻もちをついて怯えていて、父がヤバい形相で新聞を振り上げていて、母がおとうさんやめてと叫んでいる…… というような情景がおぼろげに残っている。
私が無事に中高一貫校に合格すると父の叱責の頻度は減り、5年間を比較的穏やかに過ごしたが、最近また大学受験を期に関係が悪化してきた。これまではウワーと怒鳴られても反抗的に淡々と言い返すことが多かったが、最近は手を上げられる前から簡単に泣いてしまうようになった。精神が変になっているのかもしれない。泣けばうまく話せないし、相手をますます苛立たせてしまう。それに何より見苦しい。非常によくない。
不思議なのは、叱責のきっかけや内容、直後の悔しかった気持ちを、時間が経つとほとんど思い出せなくなってしまうことだ。だいたい怒られた30分後には何事もなかったかのようにケロッとしている。家での叱責以外で会話の内容を忘れるなんてことはないし、どちらかといえば過去の感情はねちっこく反芻するタイプなので、多分怒られすぎてどうにかなっているのだろう。
中学受験のときと一緒で、きっと大学受験が済めば父は多少穏やかになるのだと思う。ただあと3,4か月耐えなければいけないと思うと家に帰るのがツラい。今年に入ってから母が祖母の介護のために家を空けていて、帰ったら父とふたりきりなのだからなおさらだ。それにもし浪人すれば追加であと12か月、今よりもますますヒートアップするに違いない。
(たまに母が帰ってくると私の教育方針のことで父との怒鳴り合いが始まる。私がかわいげもなく怠惰な穀潰しであるせいで家庭がおかしくなっている。申し訳ない……。)
家庭事情を友達と比べることなんてないので、自分の家がどのくらい異常なのかわからない。ツラいことにはツラいけれど死ぬほどツラいわけではない。親子なんて案外これくらいが普通なのかもしれない。スクールカウンセラーに相談に行こうかとも思うけれど、この程度のことで手をわずらわせていいのかわからない。
家庭が不安定で、父は何か気に触ることがあると、声を荒げ、物に当たり散らす人だった。
母は子どもたちを守っては白い肌にアザを作っていた。
そんな家庭で育った私は妙に達観した子供で、大人におもねるのがうまく、空気を読むのが得意だった。
家庭では自然と自分が調整役を担い、何でもない風に明るく振る舞うようになった。
小中学校では同年代の子との付き合いに苦手意識がありつつも、部活の部長も任されたし、友達とはなんとなく合わせてうまく付き合ってきた。
(同級生女子の好む話題に乗れないのと、女子のねっちょりした付き合いが苦痛だった。)
そうやって家でも学校でもいい子の仮面を付けてうまくやってきていたのに、次第に身体の方が拒否し始めた。
大きな物音や男の先生の大きな声を聞くと、震えが止まらなくなった。
次第に朝、息が詰まって動けなくなり、無理やり足を一歩踏み出すたびに涙が出た。
もう無理だった。
当時、たった1年間だけスクールカウンセラーを配置しようという試みが私を救った。
カウンセラーの先生は「とりあえず休もうか」と休学を提案してくれた。
行きたくなったらもう一回1年生したらいいんだよ、フリースクールだってあるし、大検受けたら大学にも行けるよ、と。
「このままだとこの子は死にますよ」と母を説得してくれ、私は1年間の休養を与えてもらった。
そして、母もまた父を説得してくれたのだと思う。
1週間に1回、カウンセラーが来る水曜日には登校して面談する以外は、ひたすら寝て、ひたすら本やマンガを読みまくった。
働く母に代わって家事をしたり、一日本屋や図書館で過ごしたりもした。
誰も何も言わなかった。そっとしておいてくれたことに感謝している。
あるとき、学校に行ってみようかな、行けるんじゃないかなってふと思い、次の春から二回目の1年生に挑戦した。
精神的に不安定になることも多かったが、たくさんの先生の助けや、理解ある友人を得て、休みがちながらも卒業することができた。
大学でもカウンセリングを利用して、自分を噛み砕いて受け入れコントロールする術を身に着けていった。
今では死にたくなることも、精神的に揺らぐこともない。
大人になれないと思い込んでいた、あの頃には信じられない。
一度止まってしまったらなかなか戻れないのが日本の学校制度であり、高校をドロップアウトした者が休学留年してまで、やり直すケースはあまりないと思う。
希死念慮は自覚していなかったが、ここで止まってしまったらもう将来は無いのだから自分は死なないといけないなと漠然と思っていた。
カウンセラーの先生はその絶望をすくい取って「ちょっと休んで、力をためて、それから次に進んだらいいんだよ」って言ってくれた。
この逃げは、将来のことを何も考えていない、その場限りの無責任な勧めだとあなたは言えますか?
追記
「安易に逃げろなんて言うな」って流れにちょっと意見したくて書いてしまった。
もちろん、復学は容易ではなかったし、たった一年で容易に自分が変えられたわけではない。
復学初日の自己紹介で「留年して二回目の一年生です」ってさっさとカミングアウトしたら、周りに無駄に人が寄ってこなくて楽だったのは作戦勝ち。
クラス替え初日、仲良く慣れそうな人を見極めババっと磁石がくっつくみたいに、グループ作る流れが苦手だったので。
女子は初めての昼休みに誰とお弁当食べるかがその先を決定するんだよね。
1年の休学という区切りがあったのも良かったと思う。
母も先生たちも一年休学したところで、そのままドロップアウトして引きこもりコースかなって思ってたと思う。
何よりも自分が一番状況を打開しないと、という焦りがあったけど、区切りがなかったら外に出るのが怖くなって惰性で引きこもっていただろう。
逃げる、休む、戦略的撤退でもなんでも、それは一時的なもので、元に戻る道、別の道を選んでいかないといけないことには変わらない。
少しずつでも挑戦して、自信をつけていくことが大事で、あまりに長い休養はかえって毒になると思っている。
とにかく私は周りの人に恵まれていたのだけは確か。
でも、自分でも心の許せる人を周りに集めて、自分の居心地の良い環境を作るのが大事だと思う。
優しい言葉をかけてくれる人ではなくて、ときに叱ったり発破をかけてくれる人。
ちなみに父自身も癇癪を抑えられない自分が嫌だったのか、少しずつコントロールできるようになり、力も衰えた今ではすっかりおとなしくなった。
私も父を客観的に見れるようになって、距離を保ってうまく付き合えるようになった。
昔のことは許せないけど、父を受け入れることは私の成長の一部となったと思う。
仕事が続かなくてつらい。
今回は転職3回目、4ヶ月目に入ったところだが、数日休んでしまっている。
(電話で欠勤連絡はしている)
また、急にだめになった。仕事が休みの日に友人とご飯を食べに行った。そして帰宅し、いつも通り仕事の用意をして寝るだけだった。でも、できなかった。
「行きたくない、どうしても行けない!」
と大声を出して泣いてしまった。いい年した大人なのに情けない。
実家暮らしなので母が、「誰だって仕事は行きたくないよ」と言う。私だってわかっている。わかっているのに、この気持ちが止まらなかった。
やめろ私! やめろ私! 情けないぞ! と内なる自分が言うのだが、止まらない。
実はこういうのは初めてではなく、過去に何回も起こっている。
冒頭に、また、急にだめになった。とあるように、前の仕事でもそうだった。そして前の前も。
一種の衝動性を孕んだ感情が制御不能になり、暴走してしまうと、もうだめだった。
この日は一睡もできず、家族が寝静まった後落ち着かなく家の中をウロウロして過ごした。多量の薬(風邪薬や胃薬、鎮痛剤のたぐい)とにらめっこして、多量に服用して(いわゆるOD)少しだけ楽になろうと思ったり、2階のベランダから落ちてみようと思ったりした。小期間失踪するのはどうかとも思ってみた。
見てわかるように、私は死にたいとは思っていない。全く死にたくないし、まだ生きていたい。でも、逃げたかったし、消えたかった。
夜は人を不安にする。色々なことを考えてしまう。薬とにらめっこし、どうしよう、どうしようと考えていたら、寝室で寝ている母の顔が浮かんだ。短大時代、これ以上に追い詰められ精神安定剤を多量服したことがある。そして、救急搬送され、母に迷惑をかけた。前みたいなことはあってはならない、いい年なんだからしっかりしないといけない。そう思い自室へ戻り朝を待った。
やはり一睡もできなかったし、気分の落ち込みとやる気のなさ、自己嫌悪感がやばかったので仕事場に電話をして、当日欠勤した。人手不足なのに申し訳ないが、とてもじゃないが仕事できそうになかった。
その日の午前中に、かかりつけの内科医院に行って「しんどい」と伝えると泣いてしまった。
女医さんなのだが、すごく優しい先生で、少し休んだ方がいいと言ってくれた?「うちの息子は鬱になってひどい状態になった」と笑顔で話してくれた。
昔心療内科にかかっていた話をしたら、少しの精神安定剤と、診断書と、別の心療内科への紹介状を書いてくれた。
そのことを職場に伝えると、とりあえず19日まで休んでいいよと言ってもらえた。
でも、心療内科に行くのは少し怖い。
高校の時にインターネットで性的な誹謗中傷を受けてから、私はおかしくなった。もともとおかしかったのかもしれないが、この件があるまでは、なんとか普通を保っていたはずだ。
食事の味がしなくなったり、実際の被害+被害妄想が強くなったり、自傷行為に走るようになってしまった。
そこから心療内科、スクールカウンセラーにかかり、
社会不安性障害、パニック障害、適応障害など病名がついてしまった。
通院するのは苦じゃなかったが、薬を飲むのは嫌だった。怠薬したり、まとめて服用したりもしてしまった。
通院を続けていると、統合失調症になりかけているかもしれないと言われ、怖くなり通院を辞めた。薬も服用しなくなった。
でも、大丈夫だった。幻聴なんかは聞こえないし、多分聞こえたこともない。
人の目が気になったり、人が自分のことを悪く思っているのでは、と感じてしまうことくらいしかなかったし、それでしんどくなる日もあったりなかったりで、段々普通の生活を送れるようになった。
結局のところ、自分が本当に病気なのかわからないし、ただ忍耐がないだけじゃないのかとも思った。
鬱なんかでは絶対にないと思うし。
(鬱の方は私なんか以上に苦しんでおられるだろうし、申し訳ない)
そして短大を1年留年(留年した理由も精神的に疲れてしまい)したが卒業し、新卒として就職した。
新卒から就職していたところでは、自分自身が馴染めず5ヶ月目で異動となった。そこから約1年後に、お局からのいじめに負け退職してしまった。
大学やめたすぎる。この1年ずっと思ってる。大学受験のときに適当に進学先決めた自分ぶん殴りたいし何ならぶっ殺したい。国試受かれば就職余裕^^じゃねえんだよハゲ、受験期飲みまくったアルコールで脳死んでんじゃねえのか。
動物別に好きじゃないしテストもしんどいし何よりこの大学に全然合わない。中高6年過ごしてきた環境と違いすぎて無理。友達や学務の人はいい人多いけどそれを補って余りあるほどに大学のカラーが無理。こんなクソ田舎で大学生活エンジョイ(笑)してるやつら脳にウレタン詰まってる、間違いない。お前らがBSEなんだよ。あー無理。くたばれ。
パッと見楽しい大学生活送ってると思うけど、内情がドロドロしすぎてしんどい。twitterでのオフパコしたされた問題より全然聞いてて気持ち悪い。全部壁の向こうの話に聞こえる。第一皆なんでそんな獣医に対して意識高いの。変だよ。
なんで6年生までやんなきゃいけないんだ、留年しないのにセルフ理科大かよ、留年しやすいところもほんと理科大、ただし偏差値も教育レベルも理科大以下。ていうか中学校以下だろ、サル山の猿教育してんのか?日光猿軍団か?教授が聞いたことない本物のFラン卒とか大東亜の学士しかもってないとか割とどうかしてるでしょ。ここ音大とか芸大みたいな芸術系大学じゃないのよ。今時私立中高の教員でも旧帝なり院卒なんてそこそこいるだろ、頼むからドカタやっててくれ。人を教育するレベルの人間性を持つ人間が少なすぎる。猿相手にはちょうどいいのかもしれないけどさ。
今から編入考えて近くの国公立のサイト見まくってるけど、仮に編入したとしてストレート卒業でもギリギリ三浪で就職アウトじゃん、もういっそ文転して再受験してニッコマあたりに入って底辺人生を適当にやりたい。卒業即ナマポ、なしではないよね。新卒文化死んでほしい。ていうか社会死ね。保育園落ちる前に日本へのヘイトが溜まりまくっている。
やる気なさ過ぎて留年すると思ってたけど今年は免れそう、ってそんなのどうでもよくて、成績の良しあし以前に精神が持たない。ドカタバイトでトラックの運ちゃんに理不尽に怒鳴られてたほうがまだ精神的にマシだった。これが人生か?ならさっさと自殺したい。
大学卒業まであと何年もあるけど普通に留年はするだろうしそもそも卒業するまでに入院か自殺かどれかだと思う。大学やめないと死ぬ。
という事を明日スクールカウンセラーに話してきます。
自分はしがないオタクで絵を描いている者です。俗に言う絵師と呼ばれる人、だが自分では絵師と名乗るのはおこがましいので名乗りませんが。
この度、毎日のように描いてきた絵を描くのを一旦辞めようと思いまして。語る場が無いので、此処で身の上話をしようかと思い書き込みをしております。
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自分が絵が好きだと思ったのは、幼稚園から小学校低学年の頃。本当に好きで好きで堪らなくて、ノートに意味のわからない棒人間が楽しく遊ぶ様を描いたりしたものです。
友達から「何を描いているの?」と言われ、「分からない」が常套句。けれど宛もなく描くのが好きでたまらなかった。
三年生の頃に転機が訪れた。兄が通っていた絵画教室に通うようになる。その絵画の教室は基本的に自由に描き、時には粘土やロウソク作り方など芸術の幅広いことをする夢のような場所だった。勿論、教室なのでちゃんと技術も教えてくれた。絵を描く楽しみが増えた。
名前はいえませんが、夏休みに描いた絵がとあるコンクールで入賞や金賞を取るようになった。学校の先生や皆が拍手する感覚、正直アノ時はよく分からなったが、皆が喜んだり親が褒めたりする事は良いことである事はおおよそ分かった。
以来、絵は個人だけで楽しむだけじゃない事を学んだ。
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同時期、もう1つの転機が訪れた。夢中になる漫画や本との出会いだ。
自分はとあるジャンプの漫画と出会った。幼稚園の頃から好きだったモノを題材に、かっこよくて憧れるような内容で描いていた。キャラクターは皆魅力的で、特にボスキャラは強さとかっこよさを兼ね備え尚且つ絶対的な存在は読んでいて惚れ惚れした。
以後、学校の休み時間など空き時間にそのキャラを思い思いに描いたりした。好きなキャラを、好きな絵で表現する。凄く楽しくてたまらなかった。
結局その漫画はそれから連載が終わったが、今まで兄のお下がりで暇だから読む漫画が、自ら買って楽しむ漫画へと姿が激変した。
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それからは激動の時代に入った。漫画だけではなく、小説やゲームにもハマった。中学の休み時間は専らオタク仲間と絵を描いて過ごしつつ、部活は大好きな絵を極めたくて美術部に入った。
ここまで描けば幸せな学生生活だが、中学の頃から少しずつ狂い始めた。小学校の頃にいじめてきた奴が中学の時に再会し、以後3年間イジメを受けた。
美術部は自分の代は1人。友人と喧嘩となり、両親はいつの間にか異常なまでに勉強熱心になった。
それでも、絵は描き続け、何とか無遅刻無欠席で通い通した。
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受験して努力して入った高校、ただ、苦しい気持ちでいっぱいだった。勉強熱心な親と難しくなった内容により授業が苦痛になり、友達の作り方が分からず「仲間意識が強いから友達ができる」と思って入った美術部以外の部活は更に苦痛になり、弁当誘われた人達の話がよく分からず孤独感に苛まれ、遂にはトイレで弁当を食べている方が落ち着いた。
高校通ったのは実質半年。以後不登校になる。中学で疲れきった身体と精神に、高校は地獄でしか無かった。
それでも、絵は描き続けた。苦痛を和らげてくれたから。描いていて落ち着いたから。
この頃、自分は同人誌即売会と個人サイトに出会って更に絵の道を輝かせていた。好きなキャラを好きな絵柄で好きな内容の漫画を描く人達が、その頃の憧れであり希望だった。
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高校通わなくなった頃、絵やオタク関連以外では最悪の時代だ。毎日親と怒鳴り合いし、傷つき傷つけられてわけも分からず。徐々に友人も減り、何時しか独りが普通になる。先の見えない人生が怖く、自身の辛さを分からない周りの人達が嫌で独りが心地よく感じた。
そんなある日、高校を辞めた後も会うスクールカウンセラーから心療内科を勧められた。両親は嫌がっていたが、自分にとってそれは「一か八かの賭け」に思えた。もしかしたら……これで違っていたら本当に終わりだと。
結果、新たな肩書きが出来た。「広汎性発達障害」、所謂「自閉症スペクトラム」や「アスペルガー症候群」だ。
凄く、嬉しかった。
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思えば小学校の頃から思い当たる節があった。チャイムが鳴ってもと図書室で本を読み、じっとしていられなくて足をバタバタしていた。皆の話す言葉が訳の分からない呪文に聞こえ、机の中と部屋は常に汚かった。
そこに名前がつくと言うのは、長年探していた謎の答えが提示された事。嬉しくて涙が溢れた。
それからの人生は少しだけ良くなった。カウンセラーは自分の良き理解者になり、同じ障害仲間も出来た。高校も通い直し、アルバイトも始めた。
何もかもがうまくいく。そう思っていた。
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その頃から、自分も憧れの人達のように絵をネットにアップするようになった。まずはTwitter、pixivにも登録した。絵画のような絵だけではなく、イラストについても学んだ。好きな漫画、好きなアニメ、オリジナル作品も描いたりした。
だが、何故だろう。ネットアップするようになってから少しずつ絵を描く意味が変わってきた。楽しくて、自分が好きだから描いていた絵。次第に、皆も楽しんでくれるような絵を描こうとする。
他の人と比べて下手だと思い始め、技術を研究して上手く描く努力をした。色んなシチュエーションや絵柄、「イイね」と呼べる絵を描くにはどうすればいいかを考えた。
毎日毎日色んな絵を描き、好きなキャラで尚且つ人が喜ぶ絵を目指した。
次第に小さいが反応がつく。僅かな点数と1人以上のお気に入り、そしてちょっとだけ増えるフォロワー。やっとだ、やっと自分にも来た!嬉しくて堪らなかった。
が、それが絵を描く楽しさのピークだと知ったのは後々だった。
絵を見るのも好きで、Twitterやpixivで好きな絵師様をフォローする事はよくあった。彼等はとても上手くて魅力的な絵を描く。そして同時に、お気に入りやフォロワー数が高い。
絵が上手くて魅力的だから、それ相応の反応が来るのは当然だね。そう思っていた。
けれど、フォローして見ていて段々妙な感情が湧き上がる。何故、自分の絵と憧れの人の絵はこんなに反応が違うのか。
試しに自分ではなく皆が好きなものを描いてみた。いつもの反応、同じ評価だった。なら自分を好きになる人を探してみよう。タグでフォロワーを稼ごう。あまり反応がない。
もっと技術を上げて研究を重ねよう。きっと技術力不足だから皆「下手な奴に興味無い」と思っていた。
毎日毎日、いろんな絵、いろんなキャラを描いた。pixivの講座も見て参考にした。アンケートで描いて欲しいものを聞いたりした。
毎日の努力は報われる。絵を描くのが好きでやっている。好きなキャラがこうやって動く様を描きたくて描いている。全員とは言わないが、少しでも多くの同志が出来たらなー少しでも自分の絵を喜ぶ人が増えたら。その思いで描き続けた。
だがそれは、間違いだと知る。結果的に、状況は変わらなかった。誰も見向きもせず、ただただ流れゆく自分の絵。
一方で、自分が本気で描いた絵より何気ない落書きレベルの絵が百を超える反応をもらう。この差はなんだ?アレ……なんか訳が分からない。
自問自答を繰り返し、また研究と宣伝を重ねる日々。段々、好きで描いていた絵に無駄な着色が増えてゆく。何か違う。何が違う?これ描いて載せて喜ぶかな?きっと喜ぶ人居るはずだ、気づいていないだけ……。
何故絵を描くのか分からなくなってきた。
そんなある日、試しに友人にその事を相談してみた。
「pixivもTwitterも身内が盛上げてくれるから沢山の反応が来る。結局、魅力的な絵や上手い絵が反応を貰うのではなく、友達や仲間がいかに多いかなんだ」
自分はお世辞にもコミュニケーションが上手くない。いや、それどころか人と話す自体や感想を述べたり空気を読むといった基本的なものが出来ない。アスペルガー症候群だからもあるが、中学の頃を境に話すことが苦痛になっていた。故に、※友達の作り方が分からなかった。
ネットは顔見ないから話すことぐらいできるのでは?と言うかもしれないが、自分にとってネットもリアルも同じ人間との会話と思っていて変わらない。
※今いる友人は、カウンセラーの紹介により集まった障害仲間と小学校の同級生だけである。数え切れる数しかいない。
ハハハ、なんだ。リア充もオタクも変わらないのか。何がオタクはコミュ障だ!!結局魅力的な絵でも上手い絵でもなく、描いている人が魅力的だから人気なんだ。所詮、人望や人脈が全てなんだ。考えてみれば、オフ会や同人誌即売会出来る人はコミュニケーションが出来る人だ。
本当にコミュニケーション障害の人は、絵を描いて載せても無意味なんだ。そう考えた途端に、今まで描いてきた絵や握ってきたペンタブや画材、そもそも絵を描く行為が嫌なものに変わった。
好きで描いていたなら何故嫌いになる?そう思うならネットにアップするな?そうだね……その通りだね。やってきたこと全て間違いだったんだ。ほんと、後悔が込み上げてきた。なんで……もうあんなに熱心に描いていたのか分からないよ。
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今も漫画もアニメもゲームも好きだが、これから先ファンアートや好きな絵を見る目が変わるのだろう。自分は別に絵を仕事にしたかったわけではなく、趣味として好きなものとして最大限に楽しみたかった。ただそれだけ。
コミュニケーション障害の人に配慮して欲しいとかはいりませんし、絶対に言わない思わない。何故なら、コミュニケーション障害を公表している有名人は多々いるから。自分がコミュニケーション努力を怠った為に痛い目を見たのですから。
ただ、人望や人と楽しむ事に全力なリア充を叩くオタクも所詮リア充なわけで。
それに早く気づいたのは不幸中の幸いです。
最後に一言、絵の技術だけは努力しただけ伸びる。それだけは確かです。
では、失礼しました。
私は監視されている。妄想ではない。毎日学校で、私が昨夜食べたものなどが噂されているのだ。もちろんそんなこと、誰にも話したりしていない。そもそも登校した時点でもう噂になっているのだ。みんないつも私を笑いながら遠巻きに眺めている。気味が悪い。
何度か先生に訴えたが、気のせいだろうと言って取り合ってくれなかった。でも、みんな私に聞こえるように話している。私のテストの結果とか、新しく買ったゲームの話まで。
これは中学校に入ってから始まった。それまで普通に暮らしてきたと思っているのに、なぜかターゲットになった。本当になぜ、こんないじめに遇うことになったのかわからない。どうしたら解決できるかもまるでわからない。両親には心配をかけたくないから言いたくないし。なぜ、どうして、どうしたら。
一つだけ手がかりがあるとしたら、みんなが見ているスマホだ。みんなが私の話をするとき、たいていスマホを片手に持っている。あのスマホできっと私を監視しているのだ。だから、誰かのスマホを盗み見れないかいつもチャンスを探しているけど、物が物だけに持ち主本人だけではなく先生も気をつけているからなかなかチャンスがない。
でも私はある日、決定的な会話を聞いた。
「マジ?遅くない?」
「うちお母さんにこの話したら、絶対無理リコンするわとか言ってたよ」
「だよねー」
そう言っていつものように笑っているみんな。私は混乱した。生理が来たことがみんなにバレてるのは恥ずかしすぎるけど、もしかしたらと覚悟はしていた。でも、お父さんがどうして関係してくるんだろう?離婚するとかどういう意味なんだろう?
私はお父さんがちょっと苦手だ。少し、私にベタベタし過ぎている。そして、いつも記念写真を撮っている。持ってるのはデジイチの立派なカメラで、私はそこそこ大きくなるまでお父さんはカメラマンだと思っていた。実際は違ったけど。
でもこのいじめの裏に、あれだけ私を大好きなお父さんが関係しているとは思えない。思えないけれど、どうしてクラスメートの会話にお父さんが出てくるのかわからない。
どうして?そんなことを考えながら帰宅したら、家に荷物が届いていた。お父さん宛の荷物だ。いつも我が家では、個人に届いた荷物や手紙を勝手に開けることはしない。でも、その時はこの荷物に何かヒントがあるような気がして、後ろめたさを感じながらも荷物を開けてみた。
そこには、アルバムが入っていた。
そのアルバムには、私の写真と父が書いたと思われる一言コメントが添えられていた。「数学のテスト97点で悔しがる娘」「娘が前から欲しがっていたゲームを買った。喜ぶ娘」
そのコメントは、今までみんなに噂されていた内容と一致していた。みんなの噂とこのアルバム、アルバムの送り主は有名なSNSサービスの名前。全てが、繋がった。
我が家では、家族揃って夕食をとる。今日もお父さんはいつものようにカメラを構えて、夕食の写真を撮っていた。私はなるべく平然と、お父さんに訊いた。
「お父さん、そうやって撮ってる写真、いつもどうしてるの?」
「ん?ネットにアップしたりしてるよ」
「今日ね、お父さん宛の荷物が届いてたよ。気になって開けちゃったら、アルバムが入ってた」
「お父さん、バレちゃったね」
お母さんがそう言う。
「バレたって、どういうこと?」
わからない。そう訊く私にお父さんは答える。
「君が成長していく過程をね、ずっとSNSに記録していたんだ。それをアルバムに残して、君が成人した時に全部渡すつもりでいたんだよ。僕から君への、感謝の気持ちとして」
「そうそう、壮大な計画だったんだから。SNSの投稿からアルバムが注文できるサービスも探して」
お父さんの答えに、お母さんも笑う。
「できれば内緒にして、二十歳の誕生日のサプライズにしたかったんだ」
「……」
それを聞いて、私は涙が溢れて止まらなくなった。この両親に、私はどう言えばいいんだろう?そのSNSの記録が私のクラスメートに見られていて、私は遠巻きにいじめられている。そんなことをどうやったら両親を傷つけずに説明できるのだろう?
私がボロ泣きしている姿を見て、両親はそんなに泣かなくても、とオロオロしだした。言えない。こんな両親に私のことは言えない。
私は結局何も言えずに、涙のことは誤魔化して布団に入った。
あれからどうしたらいいか考えて、結局いい考えが思いつかなかったので、ネットに頼ることにした。質問サービスなんて使うのは初めてだったし、私も自分のことがうまく説明できるか不安だったけど、皆さん親身になって私の質問に答えてくれた。
その中に、こんな返答があった。
「信用できる先生を探して事情を説明し、あなたの話としてではなく学校であった事例として、親のSNSから生徒の個人情報が漏れたので各家庭気をつけてくださいと周知してもらうのがいいと思うよ。それでもあなたが遠巻きにいじめられるのは変わらないかもしれないけど、少なくとも余計な噂は減らせると思う」
それは確かに名案だと思えた。信頼できる先生を探す、というのが難しかったけど、スクールカウンセラーの先生にこの質問をしたことも含め何もかも話して頼ってみたら、早速その先生が手配をしてくれた。本当にありがたかった。
そうしてできたお知らせのプリントを、私はドキドキしながら両親に差し出した。それを読んだ父と母はこう言った。
「でもうちには関係ない話だな」
「そうねぇ」