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2024-03-20

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばみてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。(2024.5.13追記ブコメ番組統一教会との関連が指摘されている。実は世界の途方もない辺境の地で、あの番組に出たという女性に何度か会ったことがある。バックグラウンドをはっきりと聞いたわけではないけれどだいたい想像がついた。80年代から90年代、あの頃、日本人左翼右翼海外に出かけていた。武装組織支援するためだったりいろいろ。左翼学生とかね。そのなかに勝共の輩もいただろう当然。そういう時代だった。そこでも男女の違いが垣間見られた。男は辺境の地でいかにもボヘミアンな旅をしていても、所詮日本に帰って真面目に会社組織の門をたたいて就職していった。ジャーナリストになったりね。現地でそのまま残って根を張って生活してゆくのはやはり女性が多いという印象がある。)

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

2024-03-16

立川の発展してんだか治安悪いんだか分からない感じ好き

三鷹田舎だけど治安良いイメージ

だいたいジブリのせいだけど

2024-03-12

病院の待合室の音楽ピアノ聴くジブリ的なやつで

なんかあーってなる

決して嫌いでしょうがないとかではないんだけど

なんかこう

これ流しとけばいいんだろお前らごとき

みたいにちょっと馬鹿にされたような気持ちになってしま

全然そんな意図ないとは思うけど

長年かかってたのんびりハワイアンはなぜやめてしまったのか

あっちのが好きだった

イタコマンガって

田中圭一のせいで人権得てるけどパクリパクリだろ。

絵柄の作風には著作権がないとか関係ないよ。

まりにも類似している絵で描いて、それを売りにしてるのはパクリだろうが。

田中圭一ドリヤス工場もそれありき。

しかも内容がつまんないんだよ!!!それが一番許せない。

人の絵柄使ったうえで何やってんだって感じ。

ジブリパロディとかマジでくだらなくて腹が立ってくる。

トニーたけざきだけはこんな画力を得て何やってんだっていうのと、漫画面白いし、ご本人に認められてすらいるので全く腹がたたないので結局そこ。

アンチポリコレ、息してる?

ゴジラジブリ作品アジア人)はポリコレがあったおかげでアカデミー賞を受賞できたんだよ

ポリコレ改革がなければエントリーすらかなわなかったんだよ

2024-03-11

君たちはどう生きるか」を理解できないと言ってる人は逆に他のジブリ理解できてるのか?

君たちはどう生きるか」なんて変にうがった見方※(後述)をしなけりゃ普通の「行きて帰りし物語」でしないよね?

戦争が若干ノイズになってるけど、基本骨子は「はてしない物語」や「黄泉平坂(古事記)」と同じだって気づけば、どういう物語として見ればいいかは明白じゃない?

これが複雑に見える人って他のジブリ映画もアレコレ考えまくって見方を見失ってない?

もののけ姫」や「平成狸合戦ぽんぽこだって物語の大筋自体冒険譚だからね?

その冒険譚の中で自然人間対立について問を投げかけてはいるけど、それと物語自体は別のレイヤーにあるものであって、ごたまぜに混線させて考えるようなものじゃないけど大丈夫か?

ナウシカ」が人類の愚かさと滅びと愚行権を描いていようが、映画ストーリー自体は優しくて勇敢な姫様のおかげで世界は救われましためでたしめでたし以上でも以下でもないぞ?

人伝に聞いた高尚な見方意識しすぎて、最初の1回目は素直に物語を受け止めようって気持ちがなくなってんじゃないの?

しかにまあ「コクリコ坂」だの「思い出のマーニー」なんかは全体として退屈で、あまりに暇だから一周目からその奥にあるモチーフ探しが始まったりしてもおかしくなかったが、君生きは序盤ちょっとスローなだけで中盤以降はストーリーにだけ集中しても全然楽しめるぐらいの映画だったろ?

なーんか変な見方する癖がつきすぎてるんじゃないの皆?

鳥の羽ばたきの作画がヤベーとか、木材バラバラカットが全部手書きとか狂ってるとか、そういうのを単純に楽しんでりゃいいだけなのに、宮崎駿遺言探しでもやってたんか?

そんなのは金曜ロードショーに来た時にでもツイッターでやってりゃいいんだよ。

一回目は普通アニメとして楽しめっての。



※変にうがった見方の例「塔はスタジオジブリ」「インコジブリアニメーター」「インコ大王は例の映画監督」「ばあやは宮崎駿師匠世代アニメーター」「鳥は鈴木

オスカーアジア人差別日本人こそ声を上げるべき

なぜなら中国人潜在的アメリカでは敵対意識を持たれており日本人のほうがスムーズに声が通りやすいからだ。

そして日本人はなにも言わん奴らだと思われている。

から日本が言ったときちょっとアメリカはざわっとする…のを何度か見てきた。だから日本こそ声を上げるべきだ。

というのと別に実際問題としてオスカー投票する人種構成をここ近年変化させ、アジア映画入賞やすくなっている。山崎監督チームやジブリスタッフもいた。

そういう場で、あのような事態が起きた。

彼らにとって晴れの舞台のはずなのに目の前で行われるアジア人への差別的行為

ミシェル・ヨーキー・ホイ・クァンアジア系の起用について一昨年から泣きながら声を上げていた二人だ。

彼らが何をしたと言うんだ。

ここで黙っていたらこの先何年もアジア人の差別は変わらず遅れを取るのではないか

相変わらず欧米ポリコレにはアジア人は含まれていないのだから反吐が出るね。

anond:20240311143110

『君生き』のストーリーパヤオが作ったわけじゃなきゃ確かに意味のないものではあった

ただ、

 

 

ゴジラ-1.0は映画館まだ行ってないから行くか 割と増田熱量高めで語っているのおったよ

2024-03-10

anond:20240219134017

るせえ!!お前みたいなパンピーに何が分かんだよ、

冴えカノ4万や俺ガイル1万6千に踊らされて、

わたくしにとってあんな奴ら見るぐらいならまえせつの方が遥かに安心して見られる作品だわ。

鬼滅のジブリ超えにも他のネットパンピーと一緒にワイワイしててた、

けもフレ騒動に至ってはBD付録ブックが売れてる時は喜んで、

2019年アニメ版後半では喜んで他のネット大衆とともに頭ごなしな袋叩きしていたんだろ?

2024-03-08

anond:20240308083534

べつにそれでいいんじゃねーの。

ジブリとかも無駄考察してるオタクがたくさんいるけど、そんな難しく考えなくても見れるのがいいんじゃねーの.

2024-03-05

声優芸能人を起用するなってよく聞くけど、正直全然分からん普通に見てる。

ピクサーのとかジブリとか1回もおかしいと思ったことないんだが(よく言われる棒読みも思ったことない)本当にそんな違うか?俺耳オカシイんかな。

2024-03-02

スラダンゴジラ、シード。

近年の映画業界昭和平成遺産擦ってるだけで新しい価値生み出してない。

新海誠は一部のキモオタしか受けてないし、ジブリは勃たなくなったロリペドジジイのチンポ代わりだ。

日本コンテンツ産業なんかこんなもん。

過去作品切り貼りしてるだけって揶揄される生成AIと何が違うのか。

2024-02-28

日テレの出した『セクシー田中さん』の内部調査コメントまじですごいなって思いました

増田でバズった某エントリーの通り、『株主に突っ込まれるまで無視』が正しい戦略なんですよね

炎上しても謝罪しないほうがいい(2023年版)

https://anond.hatelabo.jp/20230103181631#

なぜなら炎上に気づかない人たちは謝罪にも謝罪に気づかないからです(コスト無駄。なんなら謝罪きっかけで話を知ってしまうまである)

自分たちのメイン客が、『倫理的消費(エシカル消費)に気を使う余裕のある所得を持っていない』 or 『ネット感度低い』 とわかっている場合は、

謝罪しない方がお得です

 

 

でも何を思ったのか、よもやHuluジブリ会社としてどっかからツッコミでも入ったのか、

倫理的消費に興味がなくネット感度の低い大衆向けサービスをやっている日テレが、

おそらく1円の得にもならないのに、まさかの内部調査チームを立ち上げ上げたんですよね

ここまででもだいぶ驚きなのに、内部調査コメントには腰を抜かしまし

26日の日テレ定例会見で「できあがった作品二次利用などについては契約を結ぶが、ドラマ制作の詳細について契約書は存在しない」

制作過程著作者人格権に関わる契約については、「作品ごとにはない。法律に基づいた枠組みでの了解は当然あるが、約束事を文書で取り交わしているわけではない」

日テレではそうした対応一般的だとした。

 

コンプライアンス担当取締役執行役員責任者を務め、顧問弁護士ほか、外部から著作権分野に詳しい弁護士コンテンツ制作契約法務などに実績のある護士を招く

https://www.asahi.com/articles/ASS2V6F6BS2VUCVL01Z.html

 

 

  

とりあえず、TV業界御用達脚本家協会ひとつは下記のように書いているので、著作人格権著作財産権、特に著作権法第20条の規定解説から日テレ弁護士さんにお願いしたいです

あと契約書についても日テレ弁護士さんに解説をお願いしたいです

日本シナリオ作家協会脚本契約7原則

(1)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」の脚本家は、原作者として尊重されなければならない。

(2)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」が映像化に至らなかった際は、特段の取り決めがある場合を除き、いかなる場合著作である脚本家任意に利用できなければならない。

(3)企画開発費と脚本料を一元化してはならず、企画段階の企画書・プロット執筆脚本執筆には、別途ギャランティが支払われなければならない。

(4)脚本料は受注時に取り決め、長期間に及ぶ脚本執筆場合は随時支払われるものとし、決定稿を提出した後、速やかに支払いが完了されなけれ ばならない。

(5)企画開発および脚本執筆のために必要とする取材費、資料費、交通費その他の実費については、発注者負担しなければならない。

(6)氏名表示に関して著作権法第19条規定を遵守し、宣伝広告活動の際にも配慮されなければならない。

(7)著作権法第20条の規定を遵守し、脚本家に無断で脚本改訂してはならない。

 

著作権法第20条が理解出来てるなら、勝手オリジナルしちゃダメだし、攻撃しようなんて通常考えない

 

 

いったいこの内部調査は誰向けのものなのか、今のぼくには理解できないです

2024-02-19

anond:20240218181829

からなくはないけどなにLGBTのMTFの声パスみたいなことやってんだとおもう。

ブクマもみたけどそういう過度の潔癖症?への信仰と支持が結局ジブリ作品女性主人公神聖化とアホロリに結実しちゃってるんだろ

自分たち処女信仰を強く根深く支持してるということを常にわすれないほうがいい

東京電車マジでスクラキャバクラみたいになっとるやんけ逆にキモい

加齢を認めろ ここは尿漏れ脱糞ネタ大歓迎匿名ダイアリ増田

2024-02-18

anond:20240218110849

短期一発屋が多い。

漫画家と少しずれるけど、宮崎駿とかは名前覚えられてるのって、

何度も映画を作って、そこそこヒットして、ジブリっていうブランドを築けたからだと思うんね。


この作品宮崎駿、あの作品宮崎駿みたいな、複数作品から名前がでてくるか、

あるいは、50年以上1つの作品を作り続けて、あまりに長い活動期間で名前を売るか。

そのどちらかしかないのでは。

2024-02-17

くねらせはアスペアスペじゃないのにエロ肯定し続けた萌え豚がいけない

あれはマジでビビったぞ。いまだに何言ってるかわからねぇ

どうせいつもの乳袋ミニスカ露出アヘ顔・メスガキ煽り痴女ロリかと思いきや、

フツーのアニメ絵なんだもんな

ぽまいらがTPO考えずにアクロバティック擁護し続けたから、ついにフツーのアニメ絵が嫌われるに至った

 

あれたぶん同じポーズジブリ絵・世界名作劇場絵でやればクレームつかなかったよ

現実世界モデルがあのポーズとってもクレームつかなかった

anond:20240217090207

2024-02-13

anond:20240213102357

小学館比較して、日本テレビ企業として責任をとった優良企業」という印象を獲得しにかかる

今どきTV観てる人はいくらでも騙せる(もしくは忘れてもらう)ことは狙い通りできても、

ジブリHulu会社認識している欧米は無理なんじゃないかなって気がしま

まぁ日本オタクって社会階層高くてもアレな人多そうなんでこういうの気にしないかもな

2024-02-12

anond:20240212213656

たぶんエロエロじゃないかとかよりまず勧める相手を選んだらいいんだとおもー

ジブリ好きな人攻殻機動隊勧めてもあんまり響かないだろうし

そういうなんかエロ目的かな?とかすぐ思わなそうな人を選んでおすすめするのがいいと思うー

まりその作品主題ちゃん理解できそうな人か?っていうのを見極めないと、

その人が理解できないような作品だとなんかどうでもいいことに気を取られてエロ目的とか性癖とか気になっちゃうかもねー

anond:20240212203522

かに映画象徴的な演出意図は、観客によって異なる程度で理解されるものです。一部の人々にとっては、そのような演出意味は明らかであり、観察や解釈比較的容易です。しかし、他の人々にとっては、それらの要素は気付きにくい場合もあります

映画の楽しみ方は個人によって異なります。一部の観客は、細かい演出象徴的な要素を見つけ出し、それらを楽しむことができます。一方で、他の観客は物語アクションキャラクターの魅力に集中し、そのような細かい演出にはあまり関心を持たない場合もあります

また、一部の人々は映画に対して自分なりの解釈考察を楽しむこともありますが、それがどれだけ正確であるかは別の問題です。確かにジブリ作品などに対する露悪的な考察こじつけめいた解釈も見られますが、それらが必ずしも作品真意意図を反映しているわけではありません。

スターウォーズルークの服の変化が暗黒面に近づく精神示唆してるだとか、ダイハードラストロレックスを外して事件の決着をつけると同時にマクレーン夫妻を隔てていたものを捨て去るだとか、そういう映画における象徴的な表現がある。

あるんだけど、そんなもん象徴されるまでもなく観てりゃ分かるやんって思う。

象徴的な演出です。以上。だからといってどうこうというもんではありません。何となくおぉ〜ってなればいいなって思います。みたいな事だったとして、それはそれでまあ映画面白さの一つな気もする。

でも言うほどおぉ〜ってなるか?とも思う。

ダイハードの方は結構洒落てるなって気もするけど、服の色の変化とか言われんと気付くかいなって感じだし、言われてみて気付いた所で……って感じがする。

そういうのを楽しむのって、目を凝らし意識を巡らせて演出意図発見するウォーリーをさがせ的な面白さって感じがする。それもまあ楽しいと言えば楽しいんだろうけどなんか、なんかな……って思う。

その漠然としたイヤさの方向性で極地にあるのが、ネットに転がってるようなジブリ作品に対する露悪的(?)でこじつけめいた「考察」のような気がする。

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