はてなキーワード: ジェンダーフリーとは
さて、ゴールデンウィークですね。
皆さんは新しい環境に馴染めているでしょうか。はたまたあぶれてしまったでしょうか。
安心してください。人生は何度でもやり直し可能なローグライクの繰り返しです。
まず、一人の人間がオギャーとこの世に生み出されたとする
その時点で、というよりも受精した時点である程度の初期能力が決まる
STR 9
INT 10
DEX 8
CON 12
WIS 9
LUC 10
こんなもんでしょうか。
これらの数値は、モノと質によるがある程度は鍛錬によって底上げが可能。
例えば
INTは読書、会話。
CONは走る。
WISはパワハラを受ける。
LUCはゴミを拾う。身だしなみを整える。
ただ、ここの数値以外の、BAD TRAITSを持って生まれることもある。
身体欠損とか、五感の一部がないとか、昭和以前は…ここまでにしておこう。
最近では怒りっぽいとか、飽きっぽいとか、気に病みやすいとか、
そして現代、戦後から平成に至るまで人権、というものが非常に重視されてきた。
あからさまなBAD TRAITを持つもの、あまりにステータスが低い人間は
成人する前に原因不明のまま亡くなった。
種族全体、集落全体を考えれば致し方ない部分もあったかもしれない。
翻って現代、この日本語を理解できる人間として産まれてきたのなら
先人たちのお陰で、衣食住には困っていないはず。
もちろん、困っている人が一定数いることは理解していますがここでは取り扱いません。
どんなBAD TRAITSを持とうと、どれだけ低いSTRで産まれようと
成人まで生きていける社会。
否、生かされてしまう。という風に受け取る方もいるかもしれない。
自殺者が増えている、という切り口で、日本が悪い国だという方がいる。
さも、日本社会が、戦前・戦後と比べて不幸せな国になったかのように。
それも当然そのはず。
社会についていけないだろう、あるいはついていけなかった人間は、
けれど、あまねく救ったのなら、彼らが幸せな生活を送れるようにすること、
これはセットでなくてはならない。
もちろん、日本人として生きるのなら勤労、教育、納税、これらを行ったうえで、が大前提だ。
その中、ごく一部の、理由なく働きたくないでござる、という人間は放っておいていい。
ここまでが、大前提。
生まれ持った能力と特性。変えられようが無いこと。神様どうか。
わたしの目が悪いのも、ADHDでどうしても忘れ物をしてしまうのも変えようがない。
変えようがないけれども、眼鏡を掛けて、リマインダーを駆使して
それは全て先人たちの努力と試行錯誤のお陰だ。大いなる巨人の肩だ。
そしてそれらのハンディキャップは、現在進行形で見えなくなりつつある。
さてそうした時に、だ。
配られたカードが、それほど変わり映えしなくなった後、
一体なにが大事になるのだろう。
実家の太さか?生まれた国か、地域か?運か?学歴か?親か?国か?
いずれも違う。
自分の周囲にいる人間をどういう構成で固めるか、これに尽きる。
これはもう詰みかもしれない。
これはどうだろうか。それほど悪くないんじゃないか。
1人の人間が、社会的接触を保持している関係の人の数のことらしい。
150人くらいが、社会的交流が保たれる限界の数ということが有名な部分だろうが、
3~5人が最も親密な友人関係を築ける人数だというものもある。
あなたの年収は、自分の近しい周囲の5人の年収の平均値になる。
というものがある。
これが友人なのか、職場の友人なのかしれないが、
5人の平均値になるのだとして。
といったようにするか。
果敢にも、孫正義、イーロンマスク、ジャックマー、ウォーレンバフェット
とするのか。
おれは、幼少のころからインターネットの世界にのめりこんできた。
周囲に馴染む同年代がいなかったマセガキだからだ。要するにいじめられっ子だ。
一人っ子だった自分のデッキには、両親以外には1人親友がいるかいないかで、
親を周囲の四枚に加える必要は無かった。
月一回程度は気に掛けてくれたから。
高校でも大学でも、大体の場合は10以上年の離れた人間を入れていた。
年上の人間は優れているかは別にして、必ず別の視点を提供してくれるからだ。
一つ変わったのは今までいなかった年下が入り込んでいることくらいか。
ローグライクでいう選択肢、何か挑戦するものがあるかといえば、
仕事や子育てなど、人生のターニングポイント的なところになる。
攻略できる算段はないが、失敗したとしても納得がいく構成なのか。
子育てもそう。
どういう人となら、子育てという20年を超える一大事業を完遂できるのか。
お互いの両親の支援はどうか。
"こうしたら上手くいくかな"といって何かのツールでアシストするのか。
そこでベートーベンやヘレンケラーの伝記を読んで自分を奮い立たせられるのか。
そして上記で挙げたLUC、つまり運は何かと言えば、コネ・人脈の源泉だ。
自分にできる最大限の努力をしている姿を見れば、誰だってあなたを助ける。
決して腐らず、善い人であり続けろ。神様・仏様は見てくれる。俺も見る。
どの部活に入るのか。
どのサークルに入るのか。
どの会社に入るのか。
逆に何かを辞めてみるのか。逃げてみるのか。
もちろん、あなたも人"間"です。
あなたが人々に影響を与えることもできるのです。
グループを、目の前のマンモスをやっつけるよう鼓舞することもできるのです。
自信がない?
あなたのステータス、トレイツに応じた貢献の仕方がきっとあります。
さあ、春です。
巨人たちの肩に乗り、素晴らしい仲間たちと、どんなマンモスを倒していこうか。
わくわくしますね。皆さんの新しい門出に幸あれ。
boketeを眺めていたら、日本生命所属の卓球選手の下半身をブルマーにした悪質なコラ画像がお題にされていた。
キーワードは「女子」「体育の授業」「1970」などだ。オランダ語では「Meisjes」「les lichamelijke opvoeding」「1970」となる。
調べてみるとオランダではブルマーと短パンが混在していたようだ。
https://www.kennisbanksportenbewegen.nl/?file=5491&m=1448275819&action=file.download
他に見つかった画像は次の通り。
ttps://www.regionaalarchieftilburg.nl/zoek-een-foto/detail/2ae4867a-32a9-53a7-1626-4f289d5f9016/media/33640f2f-4124-a632-6a3f-956db1a6e1b7?mode=detail&view=horizontal&rows=1&page=167&sort=random%7B1680739200112%7D%20asc
どうも操作性が悪く、リンクを開いても「Naar overzicht」つまり「概要へ」と書かれているところをクリックしないと画像にたどり着かない。
https://images.memorix.nl/tlb/thumb/640x480/33640f2f-4124-a632-6a3f-956db1a6e1b7.jpg
説明を見ると、
Pasen. De meisjes teams van een paastoernooi in 1970. Waarschijnlijk voetbal of korfbal.
と出てくる。
コーフボールってなんだ? と思って調べると、男女混合、ドリブルなし、ネットのどこからでもシュートしてもいい、バスケットボールに似た競技らしい。
アメリカではバスケットボールでブルマーが採用され、英連邦ではネットボールというこれまたバスケットボールに似た競技でブルマーが採用されていたのも面白い。
なお、このサイトはオランダ、ティルブルフ市のアーカイブらしい。
ttps://www.regionaalarchieftilburg.nl/zoek-een-foto/?mode=gallery&view=horizontal&rows=1&page=2&sort=random%7B1619308800032%7D%20asc
https://images.memorix.nl/tlb/thumb/640x480/b3d74f4f-6586-b9f6-d8a5-1415a20022ef.jpg
https://images.memorix.nl/tlb/thumb/640x480/605f07bc-ee81-c1ae-3e90-8b1ffc020cdc.jpg
また、ウェブでkorfbal knickersとググるとこういう画像がヒットする。
https://website.storage/Data/Theole/RTE/Afbeeldingen/MenuItem/291/handbal_3.jpg
ttps://www.theole.nl/291/historie/
「netherlands volleyball 1970」で検索した。
ttps://brabantinbeelden.nl/verhalen/gymles
https://brabantinbeelden.nl/sites/default/files/2022-01/1673-006093.jpg
キャプションは次の通り。
Teamsport in de gymzaal van de Molenbeemden, Veghel 1970
foto: Fotopersbureau Het Zuiden, collectie BHIC nr. 1673-006093<<
「ブラバント歴史情報センター、アイントホーフェン地域歴史センター、ティルブルフ地域公文書館、およびブラバント コレクションのコラボレーションによって成り立っています」とのこと。
ところででふしぎなことが一つあった。こちらの寄宿学校の体育の写真だ。
ttps://www.i-mas.be/lo-3de-graad
ジェンダーレスの時代なのに、男子よりも女子の方が短パンなのだ。
また、国によってはブルマーでこそないものの、ぴっちりスパッツが採用されているところもある。強制されているかどうかはわからないのだが、日本でのブルマー廃止の流れと比べると興味深い。
一方で、学校でのへそ出しファッションやミニスカートの可否でもめているケースもあると聞く。
ジェンダーレス、ジェンダーフリーというのは、人権先進国であると言われている欧州でも、よりよい社会・制度には一本道で進まないもののようだし、保守派との折り合いのつけ方も様々なようだ。。
それにしても、あるかどうかわからない画像を求めて検索を続けるのは、なんだか狩りをしているみたいだ。なぜわざわざ豊富に見つかるブルマーのイラストをpixivで探すのではなく、こんなことをしているのか。自分でもわからない。
平穏な日常の中の狩猟の代償行為なのかもしれないし、必死になって画像を探したインターネット黎明期を知る者のさがなのかもしれない。
検索と言えば、もしかしてダークウェブになら当時の体育の画像があるのではないかとふと感じたが、わざわざ危険なところに飛び込んでいく意義が感じられない。それよりは真っ当な方法でブルマーについて調査をしたほうがいい。
1年くらい休暇を取って、世界のブルマー事情について調べた本を出版したい。そんな罪のない空想を仕事中にときどきしている。
ブルマーについて調べた大学教授が本を出していたはずだが、調べて出版するだけなら大学を受け直すこともないだろう(本気でブルマについて知りたければ布のたち方までやらねばならないとも感じるが……)。
ベルギーのブルマーについて調査するかもしれないし、まったく違うことについて書くかもしれない。ベルギーの人口は1100万、オランダの1700万よりも少ないのであまりデータが無いかもしれないが、デンマークの500万ちょっとよりは期待できるかも。
「女性スペース守れ」有志デモに罵声(新宿)ってニュースを見た。トランスジェンダーの人が戸籍上の性別変更をするのに性転換手術が必要とされている現行の法制度が適切か、最高裁でいま検討されいているという話もあったが、これらの件で面倒なのは、両者が「人権」「ジェンダーフリー」そして「社会的弱者」というよく似た基盤をもちながら、対立の構図を生み出している点だ。
デモは杉並区を拠点に活動する「女性と子どもの権利を考えまちづくりにいかす杉並の会」が主催した。
(中略)参加した約20人の女性らはプラカードを手に、「男女以外の性別はない」「女性スペースに身体男性は入るな」「女らしさ、男らしさから自由になろう」と訴えながら、新宿駅周辺の車道を練り歩いた。
だが、こうした参加者の訴えをかき消すような怒声も飛び交った。
参加者を上回る数の抗議者らが、レインボカラーの旗や「トランスジェンダーの権利は〝人権〟」「ヘイトスピーチ、許さない」と書いた紙やフラッグを掲げ、歩道からデモの参加者の顔を撮影したり、「トランス差別をやめろ」と声を張り上げたりした。(同ニュースより。魚拓ははじかれたのでリンクナシすまん)
コレたぶん、多くの人(特に男性)の印象は「どっちにも加担したくないなあ」だろうと思う。それは、彼らの価値観に親和的でないからではなく、むしろ親和性が高いほど問題で、それは両者にとっても社会全体にとっても一番マズい結果にしかならんと思う。
たとえば信頼してる気の合う知人が2人いたとして、どんないい人らであっても、彼らが喧嘩はじめたら両者から距離を置くくらしか現実的には対処できなさそう、みたいな感じ。リベラル寄りの政治・社会運動が失速するのって大体コレで、逆に言えばリベラル寄りの運動を失速させたいときの定番は、そういう「分裂の楔」を見つけて提供することなんだよね。で、現状この対立はまさに「人権」「ジェンダーフリー」「社会的弱者」立場の運動における「分裂の楔」になってる。そして、その「楔」にたくさんの人が踊らされている。
立場を同じくするなら、本来「手を取り合って解決する」道はあるはずなんだよ。たとえば、トイレの種類を増やす、風呂についてはもう全員水着着用を必須とする、とか。そう、一部の人でなく社会全体が薄く広くダメージを被る形での解決を目指すのが本道なんだが、それをするためには社会全体の納得が必要で、現状それが追い付いていない。この問題がいかに厄介か、少数の人がいかに苦しんでいるか、それを目指すことが社会全体にとっても結局はどのくらい価値があるか。多くの人がピンとはきてないんじゃないか。
たとえば障碍のある人への社会的な対応は、この数十年で相当進歩したけれど、それは問題に直接かかわっていない多くの人々への粘り強い社会的教育とセットになっていて、そして、それら抜きでは実現しなかった。点字舗道、音声信号、駅などのエレベータ、スロープの設置……今では当たり前なそれらの風景は、この数十年でまさに「社会全体の合意を得た上で広く浅くコストを負う形で」実現したものだ。だがもし、当事者たちが「分断の楔」に足を取られていがみ合っていたら、絶対に実現しなかっただろう。
だから、
抗議者「(デモに)参加した女性の顔写真をさらす」「トランス差別をやめろ」=攻撃とレッテル貼り
デモ側「男女以外の性別はない」「ヘイトスピーチと批判される意味が分からない」=言うこと言っておいて知らん振り
……なんていう、無自覚でも意図的でもお互いに対する攻撃は何も生まなくて、落ち着いて話し合いと協力を目指すのが唯一正解への道だと思うし、その際には、いかにして多数の人に訴えを届けるかについて方策を練った方がよいと思う。
たとえば(くだらないたとえ話だが)、「風呂場に『身体男性』の人がいることで受ける恐怖」を理解させるためには、「風呂場に『身体女性』の人がいて情欲を感じないと断言できるか」と考えさせてみるのもいいかもしれない。それに対する答えはもちろん多様でありうるだろう(「すでにゲイの男性が入っていることは避けられない」「自分は情欲を感じない」から「むしろ自分が気恥ずかしい(のでやめてほしい)」に至るまで)が、そういう議論が男性の間で起こっていない時点で、この問題はまだ社会全体で共有できていないということなのだ。ぶっちゃけ男性同士がこの問題を上記のような観点で議論しているのを見たことがない。
……と言うと、「その程度の想像力がないのか!これだから男性は…」とか毎度毎度のように絶望しはじめる人もいるかもしれないが、当事者でない限り人間にそうそう便利な「想像力」が発揮できるわけない、ということすら毎度毎度想像できないならそんなこと言わない方がいいと思う(つまり、馬鹿に馬鹿と言っても無駄だと気付けないのは十分馬鹿だ、ということ)。そうやって味方同士刺しあうより、手を取り合う方法を検討した方がよい、というのがこの書き込みの趣旨だ。上で見たように、わずか一つの「楔」が運動全体を崩壊させるのならば、逆にそれを打ち消す「絆」を実現するのも、意外とちょっとしたアイデアや行動であったりするかもしれない。それはそんなに難しいことじゃないかもしれないのだ。
性転換に手術強要してて違憲じゃないか?って裁判、性同一性障害じゃない人がやってるのが違和感。あの法律はトランスジェンダーが戸籍いじる為の法律ではない認識なんだけど。判決どうなるんかねえ。
着いて行けてないだけ/とっくに通過済みの議論かもしれんけど、いわゆるトランスジェンダーと、日本の法律の言う性同一性障害って、感覚的には別物なんだよなあ。変わりたい/越境したいトランスジェンダーと、戻りたい性同一性障害というか。私はシスヘテロのオスです。
性同一性障害当事者も訴えている側にいるってことらしいし、まあ、トランスジェンダーとその障害との線引きは難しそうではあるけども。
戸籍上の性別を自認に基づいて変えたいってのなら、ジェンダーフリーを推し進めるか、どうしても別の性別に戸籍変えたいならこの特例法とは別の法律作るのが筋じゃないのか?あの法は性同一性障害の当事者達が勝ち取ったものじゃないのか?
ホルモン含め身体の影響はあるだろうな、都は思う。素人だけど。ただ、ジェンダーフリーって、穏健なところでは、身体の影響は認めつつ、変に役割固定したりしないで頭柔らかくいこうぜ、程度で済ませとくなら有用だとは思うんだよね。
イライラしやすいかどうかと、熟考したうえで特定の政策にどう応えるかって、直接の関連は無いのでは、ぐらいは言ってもいいんじゃないかな、とか。
あと、脳科学関連だと、"ジェンダーと脳――性別を超える脳の多様性"(https://a.co/3TKoZB7)って本がちょっと話題になってると思う。読んでる途中だけど、「一部の特徴はたしかに平均すれば女性と男性で異なる。しかし一般的には、女性によく見 られる特徴がどの女性の脳にも見られるわけではないし、男性によく見られる特徴がどの男性 の脳にも見られるわけでもない。むしろ、特徴は男女間で混じり合う。」ってことで、そりゃそうかもな、とは思う。
【追記】ただまあ、身体の影響がある以上、政府やリーダーに女性が少なすぎるんじゃね?って問題は正しい課題だと思う。生理妊娠出産に絡んだ話は、究極雄には分かんないわけだし。