はてなキーワード: シフトとは
裕福ではないが、食うのにはあまり困っていない。自分で言うのもなんだが、俺はなかなかの「インターネット絵師様」なのだろう。フォロワー5桁だし。
オリジナルも描くが、二次創作もたくさん描く。その中には当然、版権元から許可が出ていないものも沢山混ざっている。
そして、そんな自分のことが嫌いであり、二次創作の収益化など今すぐやめたいと思っている。
分かっている。俺の言っていることは既に支離滅裂で、こんなことをインターネットで口にしようものなら炎上して総叩きに遭うだろう。
だが、まずは知って欲しい。こんな人間がどうして生まれてしまったのかを。
そもそも、そんな奴がなぜ二次創作での稼ぎなどしているのだろう。
話が逸れるのであまり細かくは書かないが、数年前の俺はとにかく生活に困っていた。社会に適合できず、頼れる親もおらず、このままでは生活保護か死しかないなあと思っていた時期がある。
まあ言ってしまうと、「金に困って版権エロに手を出した」ということになるだろうか。
もともと絵だけはそこそこ得意だったので、ためしにエロ絵を描いてみた。そしたら、子供の小遣い程度だが、金になった。
とても嬉しく、「もしかしたら俺はこの道で食っていけるかもしれない」と思った。この頃はまだオリジナルばかり描いていたはずだ。お題箱にはたくさん版権のリクエストが来ていたので、応える形で二次創作も描いていたと思う。
すると二次創作のリクエストが来た。俺に断る選択肢はなかった。生まれて初めて、「お金を払うからあなたに絵を描いて欲しい」という人が現れたのだ。当時の俺の喜びようたるや、凄まじいものだったろう。そのときは、エロ二次創作への罪悪感なんて一切感じていなかった。
なぜなら、周りの絵師が全員やっているからだ。クライアントも当然のように二次創作のリクエストを送ってくるからだ。なんなら、有名な版権の公式イラストを手がけているような人間もどしどしfanboxに二次創作を上げている。世の中は狂っている。
そうして俺は、二次創作で稼ぐインターネットエロ絵師になった。skebで描いた作品の差分をfanboxで限定公開した。さすがにこれはいくらか抵抗があったが、周りが全員やっていたので、そうした。また金になった。
「今の俺、かつての俺がめちゃくちゃ嫌いだったタイプの絵師様じゃないか?」
skebもfanboxも二次創作まみれ。ポ〇モンとか、かなりモラル的に怪しい作品もある。
生活に余裕のないときは、「余裕が出てから一次創作に以降すればいいや」と思っていた。だがskebの過去作品は消えない。fanboxの今までの記事も、今更非公開にするわけにはいかない。そこまで余裕はない。金に執着するあさましい自分が醜い。
一次創作だけで食っていく自信は全然ある。でもそれは、「周りの人間が全員ズルして二次創作で食ってても俺だけは一次創作で食っていく自信」じゃない。生活が苦しくても守れるような誇りじゃない。
いっそ二次創作なんて全部禁止になってしまえばいい。そうしたら俺は一次創作だけで他の奴らと渡り合える。
俺の言ってることは滅茶苦茶か?
滅茶苦茶だろうな。
もう二次創作で稼ぎたくない。
極限まで単純化するとモノを動かすのに必須のエネルギーをどこにどうやって貯めとくかって話でしかないからな
素材はカーボンに収斂していくし、エネルギーの貯蔵は原子番号が小さい方にシフトしていくだろう(電子軌道の関係で反応エネルギーがデカめだから)
化学反応由来のエネルギーだと現時点でリチウムなんて相当小さい原子番号使ってる訳で、もう水素くらいしか残ってないのは確か
核反応でも使うか?
物心ついた頃からアニメや漫画の世界にもしも自分がいて、好きなキャラと仲良くなってあわよくば恋人になれたら…という妄想をしていた。にもかかわらず、約四半世紀生きてきて人と付き合ったことはおろか恋愛感情を抱いたことがない。
傍から見ればただのイタいオタクだし、自虐でそう言ってしまうこともあるのだが、最近この心理について言語化できてきたので思考整理も兼ねて少し真面目に書いてみる。
しかし私は推しを好きになればなるほど、えも言われぬ不安が膨らんでいくのを感じていた。そしてそれは推しが現実に生きている人間だからだと気付いた。
彼はアイドルとしてカメラの前では自分自身をプロデュースしていて、そうでない時は当然ひとりの人間として生きている。しかしマスコミはそんな彼らのアイドルらしからぬ面、カメラの向こうに見せようとしていない姿を白日の下に晒そうとする。もしも推しのそんな面が露呈してしまったとき、私は変わらず推しを好きでいられる自信がない。内容によっては嫌いになってしまう可能性すらある。それが嫌。
二次元のキャラクターはカメラに写っていない部分は無に等しく、作中で描かれていること以外は空白。その部分を想像して描いた二次創作は人によって解釈の違いはあれど全て妄想で真実ではない。
自分の頭の中でだけは100%自分に都合のいい推しを愛することができるのだ。好きな気持ちは自分の中で永続する。つまりは偶像化。
私はこれを生きている人間相手にするのが苦手なんだなと思った。自分と全く違う人生を持つ他人に理想の恋人を投影できない。どんなに初対面の印象が良くても関係を深めるうちに好きになれない、受け入れられない部分があるのは当たり前だ。そんな部分をコミュニケーションによってお互いにどう折り合いをつけるか探っていけるのが健全な人間関係だと思う。恋人という特別な関係であるならば尚更。
ただ、私にとってそれは恋ではないのである。
二次元キャラに対する恋は永遠に一方通行で、相手が実在しないからこそ自分の好き勝手な偶像を押し付けることができる。だから楽しくて、心にささやかな潤いをもたらしてくれるのだ。
(妄想を表に出すなら公式や見たくない人に見せない配慮は必要)
三次元の人間を好きになって、相手から同じ感情が返ってくることはどんなに嬉しいのだろうとたまに考える。おそらく恋人という関係を長く続けられている人たちは相手を偶像化した恋愛感情を取っかかりにして、偶像とは違う相手の嫌な部分にも折り合いをつける関係性にうまくシフトしていけているのではと思う。そうして人生のパートナーとして共に生きることを選ぶ場合もあるだろう。
感情の熱量で言えば燃え上がる炎のような恋愛を経て、蝋燭の小さな灯が揺れる穏やかな愛へ、といった感じだろうか。
冒頭でも書いた通り私は20代半ばなので同級生が結婚した、という話題もしばしば耳に挟むようになった。惚れた腫れただけの恋愛はほとんどの人が終わらせて、恋人をつくるならその先を考える年齢になってしまった。
そして私自身も、今から惚れた腫れたをしようとするには心を燃え上がらせる燃料、精神的な若さみたいなものを失ってしまったように思う。生身の人間相手の恋愛を経験し損ねてしまったのかもしれない、ということが少しだけ惜しくなる。
恋してみたいなー。
まず書類が発行される
これはほんとすごいと思う
俺5年だかの間ほぼ24時間拘束で働いてたのにまともな書類1枚も貰ってないもん。
だから給与も一方的に月払いから日払いに切り替えられたし、給与総額も不明。
拘束時間と給与総額比較したら年金とか天引きなんだろうと思ってたけどどうやら親が善意で払ってる扱いだったらしい
週5の朝晩働いて土曜日出勤はデフォ、場合によっては日曜も拘束される生活で数万しか払わないって時給いくらだよ。待機時間は給与に含まねぇのか???
夜中でも早朝でも休日でも呼び出されて残業代は「その日の気分で」みたいな家業手伝いだった頃に比べたら、そもそも残業させない意識まであってすごいと思う。
俺の都合とか完全無視。というか相手は同居してるから俺の都合完全に把握してる。
その予定外の行動をするとめちゃくちゃ嫌味言われた上に詮索されるの。
その上たまに「今日は行かなくて良い」とか急にいいだして仕事がバラシニなるの
そら月払いだった頃はまだ許せたよ。
でもいまは日払いなんだわ。
一方的に押し付けたシフトに従って1日待機してさぁ行くぞってときにそんなこと一方的に言われても日当なしとかやられるとマジ殺意しかない
それにたいしてタイミーの当日バラしは保証がある。タイミーすごい!ホワイト過ぎワロタ!!
ここまで書いて比較対象がゴミ過ぎるだけだと自分でも思うんだけど、ブラック企業から転職した人の感覚ってこんなんなんだろうな
僕の甥っ子がかわいいんてすよ〜〜!ってちょくちょく写真見せてくる同級生がバイト先にいる
まあ微笑ましいなと思いつつ聞いてて、めっちゃ見せてくるから自分も姪っ子の可愛い写真見せよう!と思って
これ姪っ子で今年5歳!かわいくない?って見せたら
なんか悲しくなっちゃった
え?私の姪っ子可愛くないの??友達に写真見せたらいつもキャーキャー言ってるよ??可愛くないの??って
で私のターンは一瞬で終わってそいつがまた甥っ子の動画とか見せ始めて
まだ発展途上って感じやね笑 髪の毛生え揃ってないやん笑 とか必死に頭の中で悪口言ってた
私も一生懸命ベストショットを選んで見せてたんだけどやっぱり反応はイマイチだった
あー可愛いすね!笑 あー赤ちゃんすね!みたいな(赤ちゃんすね!って何?)
私はお前の甥っ子にめっちゃ可愛い〜〜〜!!!ってリアクションしてるのにさあ
そんでお前もめっちゃ可愛いですよね⁉️ヤバいでしょ⁉️って盛り上がってんのにさあ
なんなん?
お前さ、自己PRで誰とでも仲良くなれます!とかほざいてたけどさあ
私はお前と仲良くないんだよね 何がコミュ力ありますだよ 何が誰とでも飲みに行って誰にでも好かれます!だよ
今ここにいる私はお前のこと嫌いだよ
あーーーウザ
二度と話しかけてくんなよ
どう考えても私の姪っ子の方が可愛いからな 幼稚園のアイドルで大天使だから お前の甥っ子とかただの陰毛ヘアーだから お前もチン毛みたいな顔だし
ブラインドを閉じる
コピー機の電源を切る
モニターの電源を切るのを忘れない
システムの打刻
最終退館の入力
照明を落とす
施錠とセキュリティを起動
廊下の消灯で一度真っ暗になる
エレベーターで1階に降りる
表玄関は閉じているので裏口に向かう
大通りを歩く
高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている
小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代の合唱コンクールの課題曲でも。車が多いから迷惑にはなっていないと思ってる。
いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。
自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。
自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分で自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。
酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。
誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日をちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式。最初はちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さない1人遊びがたくさんあった。
何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分のなかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、
あのとき取りこぼしてしまった自分の気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。
泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。
公園の横を抜けて、ファミレスの駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端な惣菜や軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員がシフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。
徒歩25分。家も職場も駅からあまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。
机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。
日中は、
「食事か睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」
「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」
働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。
「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫」
「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫」
「朝は起きて支度できるからまだ」
部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマもデスクワーカーの職業病。
「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。
いつのまに切り替わったかわからないが、これらの一つ一つが「まだ私が壊れてくれないから、大丈夫じゃなくなるのを待つしかない」のカウントになっていた。
勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。
ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。
対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫。
大丈夫な自分を演じているのか、大丈夫ではない自分を演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫ってなんだ?
わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議で通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないから大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。
わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある
他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものをあなたは拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた
書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ
病院探しを始めた。
躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラのプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。
まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。
うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。
相手に自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった
紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。
名のついた診断が出た。
有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫だから、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端な診断書を持ち帰った。
朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのものは業務に差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。
なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。
もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。
この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから、二元論で考えることが間違っていたと思う。
この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬の頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫。大丈夫の数をまだ数えていた。
そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日
物音が大きく聞こえる日
そんなものをちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった
退職願を書いた。
できるだけ綺麗な文字でしかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。
遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。
下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。
退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分にバツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。
同僚が出勤してくる
涙が止まらない
10時半過ぎ、何も変わらない
ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした
そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分の感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分を社会と切り離すことに成功した
今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。
Aさんがかつてやっていた仕事を
BさんがAIを使って奪い取る
ここで考えて欲しい点は、既にある仕事を代替するだけであるのだから
ではなぜここで不幸が増えることが想定され、AIに反対したり、危機感をあおる言説がまかり通るのか?
というアナクロな思想をBさん、ひいては社会の大多数の人間が持っており
仕事がなくなったAさんに(Aさんが他に何か価値を持つ仕事をしない限り)Bさんが生産した富を回そうとしないからである
つまり仕事を奪って富を生み出す存在がこのアナクロな思想を持っていることが問題なのであって
この思想を社会的に克服できればAIによる仕事の代替は全く恐るべきではなく、むしろ歓迎すべきことなのだ
では具体的にどのようにすれば社会が克服できるのか、というと、宗教やらなんやらしか思いつかないわけだが
AIに聞いてみるか
ワイ:
Claude 3 Opus:
AIの導入により一部の仕事が代替されることで、短期的には失業や格差の拡大といった問題が生じる可能性があります。しかし、ご指摘の通り、これを乗り越えるには社会全体の意識改革と適切な施策が必要だと思います。
「アナクロな思想」を克服し、AIによる恩恵を皆で享受するための施策アイデアをいくつか挙げます。
・ベーシックインカム(最低所得保障)の導入 働けなくなった人の最低限の生活を保障する。これにより、AIに仕事を奪われた人も尊厳を保ちつつ、再教育の機会を得られる。
・教育システムの抜本的改革 AIにはできないクリエイティビティ、問題解決力、人間性を育む教育を実施。失業のリスクが低く、AIと協働できる人材を育成する。
・AIの利活用による産業構造の変革 AIにより自動化される分野と、新たに人手を要する分野を明確化。効率化で生まれた富を、新産業の育成と雇用のシフトに活用する。
・労働時間の短縮と余暇の充実 AIの導入で生産性が向上した分、労働時間を短縮。自己啓発や社会貢献活動などに時間を使い、働かなくても人生を充実させられる社会を目指す。
・多様な価値観の尊重と包摂性の向上 ステータスを仕事だけで測るのではなく、社会貢献やボランティア等も尊重する意識を育む。多様性を受け入れ、誰もが居場所を見出せる社会を創る。
AIの本質的な目的は人間を豊かにすることです。そのためには、AIを脅威ではなく味方として活用し、社会のあり方をアップデートしていく発想が欠かせません。一朝一夕では難しいかもしれませんが、一つ一つ着実に、みんなで議論を重ねながら理解を深めていくことが肝要だと考えます。
”教育”というのはつまりはなんらかの「価値のある知識技能を得る」ということであるからClaude 3もアナクロな思想に染まってしまっているといえるし
あとは「ホームランを全選手が打てば勝てます」という、そのホームランを全選手が打てるようにする方法を聞いてるんだが~~~という話である
働かずに暮らせる世界は遠そうだ
店員にありがとうを言うかどうかで一部界隈が荒れているが、都内某所の大手企業がひしめき合っているコンビニで最低賃金で働いてる私からすれば止めてくれって言うのが感想。あれは、根底には店員とは言え、対等な人と言う考えがあると思うのだが、それこそが勝ち組の驕りなんだよ。私達のような底辺と、あなた達のような上場企業で働いている人間が対等な訳が無い。
あなた達には安定して恵まれた将来があり、一つの会社に頼らずに生きていける自立した能力があり、温かい家庭を築く権利がある。
底辺コンビニ店員にはなにもない。横柄な中国人のオーナーや先輩の機嫌を損ねればシフトを減らされて路頭に迷うし、コンビニ以外のどこにも勤められず、誰からも顧みられることのない社会の塵芥だ。私には未来はない。ただ単に体ががたがたになって働けなくなるまで中国人の奴隷として玩具として生きていくしか道がない。
そんなゴミが、明るい未来が約束された人間に対等に接して頂いて嬉しいと思うか?単に自分の惨めさが際立つだけだ。ゴミを対等な人間として扱おうと言うその態度がゴミにますます惨めな感情を負わせていることに気づいて欲しい。
要はシフト決めみたいなもん、月に一度先生のスケジュール聞いて集めてシフト組むっていう
医者は2、3回つついてもスケジュール提出してくんないしシフト組んだ後で「ここ出られないから外して」とか平気で言ってくるし(何のためにスケきいてると思ってんだ)、救急科の事務は「来月もう二枠よろしく」とか有無も言わさず枠増量してくるし
そもそも進んで当直やりたいです!ていう先生なんていないから(当直手当が多く出るor当直勤務が比較的平穏な病院だったら違うんだろうがクソ多忙激安賃金公立大学病院だった)、スケジュールお伺いをするたびにスンゲー嫌そうな顔をされてた
正直知らねーよ当直やりたくなきゃ当直のない科行けやそれか早く出世しろ以外の感情はないんだけど心を無にして「早く出してくださーいご協力オネシャース」って言ってた
もうね、この仕事のために何度「俺は医者だぞ!」を聞いたか分からん。シフトつっつく度に、シフト決まった後の交代要員は自分で探せって言う度に、「俺は医者なんだ忙しいんだ医者なんだ!」を聞いてきた
分かってるよ、分かってるから当直の仕事やってほしいんだよ。お医者様にしか出来ねーんだからよ。
医者以外を非人間だと思ってるのも別にいいよ、こっちもお医者様のこと同じ人間と思ってないし。勉強は出来てもコミュニケーション能力俺以下だから逆に哀れに感じるというか
ただ極稀にめちゃくちゃ話の通じる先生がいるんだよね。本当に稀なんだけど
レスポンスも早くて、目先の”やるべきこと”の優劣をきちんとつけてて周り(医者や患者以外の人間)に迷惑をかけないようにふるまっているのが伝わる医者
最早疲弊した俺が生み出した幻の存在だったのかもしれない。それくらい稀
医者がクソ忙しいのは間違いないので、ぜひ外来を訪れたり入院したりする一般患者諸君にはいらんことをして医者に負担をかけないようにし、仕事を増やさないでほしいです
※この文章にはキャバクラを悪く言う意図は全くありません。不快に思われた方がいたら申し訳ございません。
労働先のコンビニで毎日ブチギレながら働いている。なんてことない街のなんてことないコンビニであるはずなのだが、コンビニって割と誰でも気軽に入れてしまうのでそれはもういろんなお客様やおきゃクソ様がご来店くださる。今日は後者側の人間である常連K(クソのK)にブチギレていく。
近所のコンビニとなると来店数が自然と増え、行く時間帯がある程度同じであれば店員の顔や名前も覚えていき、なんならちょっと親しくなったりもするだろう。
それ自体は別に良いと思っている。誰にも迷惑をかけずお互いが気持ちよくコミュニケーション出来る関係性であればいいことだと思う。
ここで重要なのが、『誰にも迷惑をかけず』『お互いが』『気持ちよく』という点だ。括弧が多いのは勘弁してほしい。この三点はしつこいと思われても強調したい大事な部分だ。
常連Kにはお気に入りの店員がいる。若い女性の店員。名前をAさんとする。明るく親しみやすい。私も大好きだ。なので好きになる気持ちはよくわかる。よく会うなら仲良くなるのもわかる。別に仲がいいのはいい。
しかし常連Kは前述した『誰にも迷惑をかけず』『お互いが』『気持ちよく』という点が欠落している。
はっきりと申し上げて、気持ち悪い。距離感を間違えていらっしゃる。仲良くなろうがあくまでコンビニの店員と客でしかないということを忘れているように見える。忘れているというかそういう意識がないのだろう。本当に、無理。ありえない。信じられない。
来るたびにもう勘弁してくれと思っていたが来てしまうもんはしゃーないと流していた。私の前では普通の人だし......。しかしこの日の常連Kの行動が私の怒りの導火線に火をつけた。爆発したのでこの文章を書いている。
今日は私とAさんのシフトがかぶっていた。毎週のことなのでふわっとした役割分担がある。Aさんはいつものように品出しの作業をしていた。
そこに来たるは常連K。まあ来て買い物するくらいならもういい。Aさんにヨーグルトを渡すのだけはやめてほしいけど、だって他人からもらうヨーグルトって怖くないか?一番食べないと言っても過言ではないのでは?いやそんなことはいい。なんかレジに来ないな〜と思っていた。あとなんか話し声がする。
店の奥を見たらAさんとKが話していた。はいはい、優しいよねAさんは、でも業務の邪魔だし通路塞いでるしうるさいからやめてほしいなと思っていた。こっちはこっちの仕事があるし、Aさんだってある程度話したら流すだろうと、その時はスルーした。しかし一向にKは来ない。コンビニの平均滞在時間の五倍はいるだろ。ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとAさんに話しかけている。
お客様がたくさんいらっしゃる時間帯だったので対処出来なかったが、そうでもない時間帯だったら私は突入していただろう。
社会性や倫理観などを一旦捨てさせていただくと、本当に殴るかと思った。
私の性格や怒りっぽいところ、すぐキレるところが悪いというのは理解しているつもりだが、さすがに。
なんなの?
Aさんがほんのり嫌がっているのを私は知っている。
というかそうでなくても邪魔だしうるさいし迷惑なのでやめてほしいが。
コンビニのちょっとしたお買い物のついでにお気に入りの女性とおしゃべり。楽しいでしょうね、あんたはそれで気分良く帰れるでしょう。
でももう少し視野を広げてみてほしい。わからないだろうか?あなたの行動がこの場にそぐわないということを、理解できないだろうか?
他のお客様のお買い物を邪魔していることに気づかないのだろうか?
Aさんの業務の妨げになっているとは思わないのだろうか?
Aさんは決して高くない時給で働いている。でもその中におっさんとのおしゃべり代は含まれていない。
女の子とお話がしたいなら、それがお金を払えば許される場所でどうぞ。
Aさんはコミュニケーション力が高い方だと思いますが、その力はあなたとタダでおしゃべりするためにあるわけではない。
結局KはAさんの品出しがひと段落してレジに戻ってくるまで喋り続けた。クソ狭い通路で。
Kの会計はAさんが行った。私のレジに来いよ。恐れ入りますが他のお客様のご迷惑になりますので長話はおやめくださいくらい丁寧な言葉で文句を言えたのに。
もう二度と来ないでほしい。顔を見ると今日のキレを思い出してまたキレてしまうと思うので。
宵越しのキレは持ちたくない。
私は他の時間に発生した別のことでもキレていたので、これはいかん、なんとかして落ち着かねばと思いイライラを抑える何かがないか探した。
店にあったストレスを軽減する効果のあるラムネを購入しムカつくたびに噛んでいたが、私のイライラは森永の想定を遥かに上回っていたようでラムネが美味しい以外の感想がない。
コンビニの店員は怒ることで自分を責めたり、怒ってしまったと反省するような人には向いていない。遠慮なくブチギレられる性格、環境などがある人間か、何をされても全く怒らない人ならある程度の期間働けるのではないだろうか。あくまで個人の意見だが。
10年も働いてたならバイトリーダー(今もそういう言い方するのか知らんけど、シフト時間帯の責任者)になってたろうし、発注も任されてたろうし、なんで時給交渉しなかったん?
焼肉屋で20年以上のバイト経験があり、正社員の店長より業界に詳しかった40代後半の友達曰く、焼肉屋の食べ放題は、ランチで利用して食事より会話に夢中になってくれる主婦友達様が一番の乗客で、一番の最悪はひたすら食べ続ける1人男性だったそうな。後者に対しては意図的に配膳に時間をかけることで総量を減らす努力をしていたそうな。
尚、その友人は店長が入れ替わった後、シフト時間を減らされて、今は実質的にクビになって準引きこもりをしている…。貯金がなくなったら共産党に駆け込んでナマポを受けると言っている。何度もあった転職チャンスを物にできずに40代後半までバイトで繋いできた氷河期の末路…。こう言うのがいるから、生活保護受給をルールで明文化して厳格化しろって話が出てくるんだよ…。
小さい頃から将来の夢は「お母さん」だったのに。
私が子供の頃、周りは一軒家に家族で住んでいて、お母さんは主婦をしていて、お父さんが働いていて、二人から三人、多くて四人兄弟の家が主だった。女の子は年頃になればみんな結婚するものだと思っていた。
二十歳くらいから、地元に残った女の子はどんどん結婚して、子供を数年おきに産んでいた。
二十代は都市で働いている女の子は仕事が楽しい時期で、結婚は三十代前半か、二十代の終わりでいいと言ってた。私は二十七で結婚した。
旦那はずっと不倫をしていた。相手は障害のある子を持つ母親、私より5歳上だった。
子供を作ることを旦那は拒否した。私の家系に障害者がいること、私の精神が未熟だから。私とセックスをしたくないから。様々な理由を着けた。
家政婦、同居人を欲しがったのだ。
誰にも触れられない私は、自分がどんどん透明になり、境目がわからなくなっていった。
私が精神を病んだ時、これ幸いと夫は私を追い出した。
三十歳の時に離婚が成立した。夫は慰謝料も財産分与もしなかった。義母が数十万のお金を渡してきた。それが手切れ金だった。
躁鬱だった。一生薬を飲み続けなければならなくなった。
人恋しくなって何人かの男性と関わった。
だけど恋はしなかった。好きにもならなかった。
虚しさだけが蓄積される。早く誰かと再婚しないと子を産めなくなる。焦りだけがあった。
三十五歳を過ぎた時、ああ、もうタイムオーバーだと悟った。子供を諦めなければならない。
障害者が産まれる確率が高くなる。元旦那の「家系的に確率が高いからお前が妊娠したら必ず障害者が産まれる。お前は一人で育てられないから虐待するか殺してしまう」という言葉が呪いのように纏わりつく。
「産業廃棄物」と私を呼ぶ声が聞こえる。
三十七歳、周りはみんなお母さんになり、自分だけの人生から、子供のため、家族のための人生へとシフトしている。
年齢的にそれが自然なのだ。この年齢で恋愛もセックスも、生臭すぎてとてもじゃないが私はやれない。おばさんである自分が誰かと裸で抱き合うのなんて恐怖でしかない。化物の捕食シーンでしかない。
お母さんになるのが夢だった。いつか叶えられると思っていた。何歳でも子供を作れる男が羨ましいと思った。もう生きる価値も意味もなんも見出だせないのに何故生きてるのすらわからなくなった。