はてなキーワード: シコいとは
奴ら、アジア人に細目ツリ眼メイクさせるのが好きなんだよ。明らかにアジア人フェチズム、ファンタジーというのがあって、その中では赤い五重塔がそこら中に立ってツリ目が溢れてるのがシコいわけ。そこでアジア人はツリ目してねえって言っても無駄なんだよね、だって引きつってない目は妄想のアジア人じゃないから。気持ちよくないから。
そんでもって、頬骨とか顎骨の隆起と頬のシワとか、日本人に無い特徴と目立たせようと思わない特徴が年齢判定のチェックリスト項目になってんの。チェックが一つも付かないと「未成年」になる。ちなみにこっちから見るとチェックが付きまくって欧米人は18歳くらいから35歳くらいに見える。お前がオバハンだと思ったそいつは違法ロリだ。マジか。三児のパパじゃなくて男子高校生とかマジか。
つまり日本人や中国人や概ねアジア人が欧米に行くと、「俺のシコポイントに喧嘩売ってる未成年の子供が来た、うぜえ」って応対になるわけ。これは萌え絵で押し流していかなければならない。
http://koshian.hateblo.jp/entry/2018/10/09/184510
こうして当事者である男性オタクたちは「萌え」と「エロ」が違うものだということに気づいていく。それは少女的無垢性への憧憬であり、無垢な少女への自己同一化であり、無垢な存在に受容されることそのものであった。
一方多くの女性オタクたちは「萌え」概念の導入において、おそらく「既存のものに名前がついた」という感覚だったのではなかろうか。彼女らが求めていたもの、それもやはりエロではなく「関係性」であった。鉛筆と消しゴムがいたらその2者の関係性を妄想して2時間は過ごせるという女性オタクは少なくない。そこにエロが含まれることも少なからずあるが、それは彼女らにとってスパイスのようなものだろう。スパイスの効きまくった料理が好物でしょうがない人も少なからずいるのではあるが。
こちらのブログ記事を頷きながら読んでたんだけど、いまひとつ腑に落ちないところがある。
「萌え」と「エロ」は全く違うものなの? 記事では少なくとも切り離せるものだと解釈されているようだった。猫や無邪気な子どもを見たときの可愛いさと通底するというのはよくわかるんだけど…
コメントに、純粋だった「萌え」に「エロ」が途中で混ざったので、それを抜き去って「尊い」概念になった、というような意見があった。ナルホドと思ったんだけど、でも「シコい」もまた「萌え」から生まれた言葉だよね。
とか言うとでも思った?
本題です。
安室の女になるはまだいいんだよ。楽しそうだなって思うし、それぐらい安室さんがかっこよかったんだねって思うし。
問題は略し方。
しっこうにんのシコ????
分からん。
そもそもシコは一般的には下ネタと捉えられる言葉。それを映画、それも子どもも見るような映画の略称にする?普通はしないと思います。
でもゼロシコって略してる人多いんだよな〜〜
え〜そんなことないよ〜っていう人は一回ゼロシコでTwitter検索すればいいと思う。
ゼロしこが340、ゼロシコ 感想が750です。(5/16 一時過ぎの検索結果)
千人近く呟いてるわけです。
実際はもっといるかと思います。公開日から日数が経ってるので。
そう考えると、ゼロシコって呟いてる人が沢山いるわけで、そうなると当然ゼロシコと書かれたツイートをTLまた検索で見てしまう人もいます。その中にはゼロシコを面白いと考える人もいるし、不快に感じる人もいます。
ここで不快に感じる人もいるんだ、じゃあ辞めようかなって考えてくれるといいんだけど、絶対無理なんだな。
なので、今からやめてほしい理由と自衛ブロックのめんどくささを書きます
やめてほしい理由
シコってシコい、シコるを想像させます。シコいの意味はこちらのサイトを見ると分かりやすいです。(https://numan.tokyo/words/8qvsc)
中には下ネタを不快に思う人も少なからずいます。下ネタを彷彿とさせる略し方をやめてください。
(あと公共の場でシコとか言わないでしょ、そういうことだよ)
これを書く前に、1時間ほどブロックしてました。理由は自衛のためです。
最近、文句を言うと嫌なら見るな自衛しろと言われるので、言われる前に自衛してました。
ですが、めちゃくちゃ呟いてる人が多い!1時間掛けてもゼロシコツイートは無くなりませんでした。約1000ブロックしたはずなのに更新するたびに沸いてくるツイート。途中からブロックするのを諦めました。
結果、自衛ブロックは物凄く難しいという結論に至りました。1時間やってもなくならなかった。この結果を知ってください。
最後に
公式がゼロコナンっていうタグを使ってるからそれを使おうなオタク!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
以上です。
長らくミサンドリーなのかと思っていた感情の正体がわかったかもしれない。
自分、知人女性、はたまた二次元の女性キャラクター、女性芸能人、あるいは女性全体などに男性がみせる反応のうち、時折ひどく不快に感じるものがあった。それは相手を性的に消費していることを示唆するものがほとんどだったので、てっきりこれは異性の性欲に対する不快感なのかと思っていた。自称フェミニストの使う「まなざし」という概念は言葉遊びに基づいた言いがかりに感じられ好きでなかったが、しかし一方で男性に対し不快感を覚える自分も潜在的に少なからず「まなざし」を嫌っているのか?と悩んだりもした。が、たぶん違う。さっき気づいたばかりなのでこれも正しいかわからないが。
おそらく自分は「性的消費対象に敬意がない」ことが不快なのだ。女性ファンの多い趣味の界隈にやってきて「よっしゃ!出会い厨したろw」とのたまう男性、本人は冗談のつもりなのだろうが、実行しなくても非常に気持ち悪い。自分と男女の仲になってくれれば誰でもいいですよ!というスタンスは要するに相手の中身はなんでもいいですという表明と同義だし、ハンティング対象だと宣言するのはつまり「獲物」としてしか見てないということだ、人間扱いではない。自分の好きなキャラや芸能人など、いわゆる「推し」を過度に落とす風潮も不快だ。顔はブスだけど体はシコいと言ってみたり、おバカ扱いして説教してみたり、「素直に射精です」と性的に見ている事実をネタにすることで笑いをとろうとしてみたり、これがプライベートな知人だったらとてもできないだろうと思うような節度のない扱いを実際に見かける。いや、こういうことをする人たちは知人であっても親密になった相手なら同じような態度をとるのかもしれない。より一層おぞましい。
考えてみれば、性的消費ネタは男性が圧倒的に多くわかりやすいので「ミサンドリーかも」と思っていただけで、似たような事例で女性が発言している場合も普通に不快だった。推しをブスだバカだと貶すような表現をしておきながら最後に「でも好き」と言っておけば許されると思っていそうな、「こんな欠点のある彼だけど私は好きなんですアピール」はむしろ女性のほうが多いかもしれない。これは言い方にもよるのだが、仮に発言者が本当にブス専だった場合「こんな奴があなたのことを好きになってごめん」といった本気の謝罪や自己卑下が混ざってくることが多く、これは対象に心から敬意を払っているのが理解できるのであまり不快にはならない。仲間内のためのポジショントーク的に「貶し愛」が使われる場面もしばしばありひたすら不快の極みである。
では自分は好意を持った異性に対してどうなのかと振り返ると、基本的に「惚れた弱み」が強く、○○なところは欠点にも思えるけど、でもこうやって捉えると良さでもあるので、やっぱり好きだなあという表現になっていた。本人が明らかにイジられ待ちの発言をしたときはそれに乗ることもあるが、これは後から見ると蔑んでいるようにも受け取れるので自分の発言でもやっぱり若干不快だ。このように自分の中である程度整理がついたところで、今後も自分の倫理観に則した表現を心がけようと思う。とりあえず男性嫌いというわけではなさそうなので安心した。
元々小さかった頃は今より男の人が嫌だった。あの頃はアトピーがあって、それを男の子にからかわれてたからかもしれない。男の人の声の音楽は好きになれなかったし、クラスメイトの男の子の歌声さえ嫌だった。
少女漫画が好きだった。いつも主人公の女の子やマスコット的にかわいい女の子を好きになった。恋に憧れていた。
好きな男の子はいた。不器用だけど優しい男の子。彼の背伸びが可笑しくて、でもその滑稽さは自分も近い気がして、勝手に親近感を抱いていた。だけど後にその子に虐められてその子のことが好きだなんて思えなくなった。ちなみにその子は高校を中退してから行方知れずだ。なんて子を好きだったんだろう。
中学で、その好きだった子を嫌いになってから、男の子と関わらない時期を過ごして、高校では恋愛を絡めないただの友人である男の子が増えた。男の人の歌声も、好きな人は好きになってきた。サカナクションとか、聞いてて心地よくて好き。未だにあんまり好きじゃないことはあるけれど。
そんなとき、しゃべったことが1回しかないご近所の大学生にメールで告白された。本当に少ししか知らない人。しかも告白に返事しあぐねていると、彼氏面をされるようになった。気持ち悪い、とあのとき感じてしまった。未だにあの感情がどこかに残っている気がする。はっきり断りをいれて、もやもやを抱えたまま、その人を避けるようになった。
高校では色恋沙汰なく、友人として男子と関わった。この頃には私の胸はかなり成長していて、父親にブラの話とかをされるのがいやになってくる思春期。
少し潔癖な母親は、幼い頃から私に呪いをかけていた。「怖い人がいっぱいいる」「女の子なんだから」「力じゃ絶対に叶わないんだから」。それに加わる、告白とか一連のことで、すっかり私は自分を女性として、性的に見られることが怖くなってきていたらしい。
高校の友達の一人に告白された。高校で仲良かった友人の一人だから、好きになれるんじゃないかと思っていた。本当は少しだけ、少女漫画に憧れているのだ。でもだめだった。抱き締めたいと言われて嫌だと断った。どこを好きになったの?と聞いてて、胸の話をされそうだと気づいたとき、嫌悪感が走った。2ヶ月だけ付き合って別れた。我ながら酷い奴だと思った。
大学に入った。ほぼ男子の理系の科で、私はそこそこ友人を作った。彼氏を振ってしまったあとだったから、もうしばらく恋愛に絡みたくない、と思っていた。
クリスマスに、同級生の一人に二人で過ごしたいと言われた。瞬間、途端にああ、どうせ私は女の子としてみられているんだ、と、男の子にとって恋愛候補でしかないのかも、と思ってしまった。上手く言えないけど、初めから恋がしたいから近づかれることが嫌だった。私が選ばれる理由なんて、容姿は良くないし胸ぐらいなもんだ。性格?ここに入り浸ってる時点で察してほしい。そんな目で診られるのもうんざりしてしまった。
そこからだ。本気で男性と関わりたくなくなって来てしまった。SNSで数年繋がっていた、ちょこちょこよくわからないリプを送ってくるおじさんをブロックした。数回ご飯に行ったお兄さんに、またご飯に行こうと言われて断った。
オナニーの報告をTwitterでする男性を見ると嫌悪感がわくようになってきた。シコいって言葉を男性が使っているのが気持ち悪く感じた。
重症だ。どうしよう。
どうしようかなぁ。
"ツイッターとかで女オタが「めちゃシコ」とか「抜ける」とかいうのが、シコるちんこも抜く精液もないのになんか変じゃね?
クリトリスをシコってるのかっつうとそういうわけじゃないみたいだし"
なんて話があるじゃん。
たとえばこれとか(https://togetter.com/li/752791)だけど、まあ炎上したわけ。
俺としては、別に言葉は自由だし止めろと言う気もないが(実際このエントリ書くまで言及したことはない)、でもちょっと違和感あるなとは思っていた。
オモシロ比喩として男性器を扱ってるってだけ、もしくは心のちんこがおっ勃つ衝動を表現したいのはわかるような気がするけど……。
だってさ、男が、主語が大きいならば俺が、三十五年間童貞で熟成され持て余し続けているガチの性欲と取っ組み合いながら打ち込んでいる「シコれる」を、面白比喩として、性欲のバックボーン抜きに軽々と扱いやがって!
そっちにはそっちなりの欲情を現す言い回しだってできるだろうに、それは生々しさなどを理由に使わず自分の性欲を意識することを避けて、男が性欲という鎚で鍛え上げた言葉をほいっと拝借しやがって! みたいな。
いや本当はここまでは全然思ってなくて、俺がシコれるって言葉を発明したわけじゃないのにデカい顔し過ぎであって、単に書いてるうちにヒートアップしてきただけなんだけど、まあ違和感はあった。
そのことを、一昨日から話題になってる、男の娘と話してたら無性に腹立った(anond:20171211134237)のエントリを見て思い出した。
女性が、苦しみ抑圧されながら培ったファッションや文脈や文化を、無邪気に娯楽として使って気晴らしにするな、それはある種の文化盗用だ、と表現するように、
男性が、己の性欲とか衝動性とか偽悪露悪に悩まされながらもキモオタコミュニティで産んできた「シコれる」「抜ける」「ブヒれる」などを、性欲の生々しい気持ち悪さを脱臭した上で、字面の面白さと便利さと娯楽レベルのカジュアルキモさを楽しむために女性が使うのも、ある種の「文化盗用」だと表現すればいいのかもしれんね。