はてなキーワード: サードブロガーとは
こいつら全員腐ってるから俺が真の名前、増田名を洗礼してあげるわ。
id:aukusoe 増田名:サードブロガーの看板持ち スターレベル:1587 aka2 midori6
id:pkm 増田名:すべってるお笑い芸人 スターレベル:1473 aka2 midori5
id:underhitpoint 増田名:(ごめんぶっちゃけ知らんわ) スターレベル:252 aka1 midori3
id:pribetch 増田名:古参 スターレベル:8192 aka5 midori37
『無料で記事を公開してお金を稼ぐことと、有料で書籍を出版してお金を稼ぐこと。なぜ他人が儲けることを嫌う人たちは、前者ばかりを叩くのか?』http://cards.hateblo.jp/entry/kenmou-na-people/
この記事が話題になっているけど、文末に参照されている『嫌儲』のwikipediaを見ればわかるように、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AB%8C%E5%84%B2 書き手と多くのはてなブックマーカーは『嫌儲』思想を誤解している。
何度も言うけど、嫌儲は「他人がネットを儲けることを嫌う」思想ではない。2chにおける「嫌儲」は、「自分達の書き込みを」「恣意的に抽出して」「無断転用して」「お金を稼ぐ」「コピペブログ」についての批判運動だ。ネットで儲けること自体への批判ではない。
元々、2chのニュース速報板では、上記のようなまとめブログへの反感があった。で、一部の住民が投票でニュース速報板の転載を禁止しようとした。
それをひろゆきが「ニュース速報板は転載可能としてやっていく。書き込みを転載禁止にしようとしている人は、儲けている人に嫉妬しているんだろ?じゃあ、ニュース速報(嫌儲)って板をつくるから、文句があるならそこに行け。」と言ってつくったのが、『ニュース速報(嫌儲)』だ。アドレスは「http://engawa.2ch.net/poverty(乞食)/」と嫌がらせまでされている。
だから、そもそも「嫌儲」という名前自体、住民が言い出したのではなくて、ひろゆきが嫌がらせでつけた名前なんだよね。ただ、その名前のせいで「人が儲けることを嫌う嫉妬集団」として誤解されるようになった。
彼らが批判的しているのは、「自分達の書き込みを」「無断転用して」「恣意的に抽出して(あるいは捏造して)」「お金を稼ぐ」「コピペブログ」であって、儲けること自体ではない。たとえば、嫌儲板では、副業で儲ける方法なんかが盛んに議論されている。一見矛盾しているように感じるけど、嫌儲は、はちまやハム速のような無断転用まとめブログに対する批判運動だから、彼らが儲ける方法について議論するのは全く矛盾しない。
だから、嫌儲は「儲けることを嫌う」思想ではない。そもそも、「嫌儲」という名前自体、嫌がらせで割り当てられた名前なんだから。
ってなわけで、2chの「嫌儲」は「儲けることを批判する集団」じゃないってことはわかってもらえたと思う。で、じゃあ、http://cards.hateblo.jp/entry/kenmou-na-people/ ここで議論されているような「人が儲けることを嫌う」集団ってネットにどれくらいいるんだろうか。個人的には、批判されるブログやサイトはそれなりの理由があると思うんだよね。
たとえば、Youtuber。ヒカキンとか嫌われているよね。でも、彼らが嫌われているのは稼いでいるからなんだろうか。うまい棒を食べて「うまい!」とか言っている動画のサムネイル(顔写真つき)をyoutubeのトップ画面で強制的に見せられるからじゃないのか。嫌ならトップ画面を見るなと言われそうだけど、自分の好きなチャンネルの最新動画や話題動画が表示されるから、やっぱりトップは便利なんだよね。
たとえば、はてなブックマークで批判されているような「サードブロガー」さんたち。確かに、ブックマークコメントを見ると、「金儲けのためにくだらねぇ釣り記事書きやがって」という旨の批判がある。
でもなぁ、それは「嫉妬」とか「他人が儲けることへの批判」ではなくて、単に自分の気に食わないブログがホッテントリにあがっていて、読んだらつまらなくて、腹が立って罵詈雑言浴びせてるだけじゃないか。
アクセスが月間30万程度、ブログのジャンルもクリック単価が低いジャンル。はてなブログじゃ、Adsenseの最適化も難しい。稼げてmax月10万円程度でしょ(たぶん、もっと低いんだろけど)社会的地位も低そうだし、仕事からの収入もあまりなさそうな人が多いよね。そんな人達に「儲けやがって」って嫉妬する?しないよ。「アクセス集めるためにくだらねぇクソ記事書きやがって」っていう気持ちを「金目当ての糞ブログめ」と表現しているだけだろ。
「人の役に立つオリジナルコンテンツを書いてorつくって、はてなブックマークスパムもせずに、もくもくとサイトで稼ぐ人」を批判する人がいるとしたら、『嫌儲』といっていいと思う。
で、そんな人いるっけ?
コーディング技術にこだわり過ぎるとITエンジニアの地位は向上しない
http://getlife.hateblo.jp/entry/2014/02/06/030300
この人なんですけど、「プログラマはビジネスが解ってないとダメ」みたいな事を言う割りにこの人がビジネスが全然解ってない可能性が高い。
なにがダメってBtoCでのWEBやパッケージとBtoBのSI違いがわかってない可能性がが高いと思ってしまった。
Web上での自社サービスみたいな会社だと、SIみたいに顧客に折衝交渉して契約みたいな段階が存在しない。
ネット上で見つけてきて便利だと思ったらユーザー登録だ。お金を払う価値があると思えば上手くいけばプレミアム登録をしてくれるかもしれない。
あなたは、はてなブログやtwitterを開始するのにはSEだの営業だのと契約交渉をしただろうか?少なくとも私はした覚えはない。保険や不動産とは違うのだ。
まぁそれでも顧客のクレーム処理は必要なのだが、それはて開発の仕事だろうか?電話処理、メール処理はサポートの仕事だと思われる。
契約があるということは此方側も契約に縛られるのだが、同時に契約を結んでいる相手側も契約に縛られる。此方が契約を履行している以上契約期間を打ち切って、他の会社に発注すると言うのは正当な理由が無い限り無理なはずだし、なにより開発に投入した莫大なコストも無駄になってしまう。もしそんなことをすれば最悪裁判で賠償金を支払う判決をされるだろう。
しかし、はてなブログやめてライブドアブログを開始して訴えられたり、発注したサンクコストが無駄になったりするだろうか?せいぜいはてなスターだかはてブ数が引き継がれないだけだ。
しかし、自社サービスやBtoCは違う。ユーザーがBの方がいいと思えばその瞬間から他のサービスに乗り換えるだろう。
更にいうとSIようなような形態だと完成品がないわけでA社とB社どちらがいいか全く分からないはずである。
自社サービスはもうすでに完成がありユーザーは比較することが可能だ。つまりWeb企業などは常プロダクトの完成度を高めてないとユーザー獲得競争に敗北してしまう。プロダクトの質は超重要。ユーザーはそれで判断する。
逆に言うと、SIのような形態では契約の段階でプロダクトが存在しないため、契約締結のための折衝交渉が重要だといえる。
なぜ、技術が重要かというと一言で言うと差別化。別に差別化は技術でなくても良いが。現状技術は重要である。あなたは結果が遅い上不正確な検索エンジンや自由にシーク出来無い上UIが改悪ばかりされる動画サイトや放送が頻繁に途切れるブロードキャストサービスなどを使いたいだろうか?
もちろん差別化というのは技術だけではなくコンテンツなども重要だが、検索エンジンの様なコンテンツを直接持たないサービスでは技術は圧倒的に重要だ。
あるサイトを知った時のイメージと言うのは後を引くのでその時に、「おせーし。つながらねーし、デザインも最悪だしクソ」と思われたら終わりなのだ。もう使ってくれない。「今はクソだけどこのサイトの成長を暖かくみまもろ^^」なんて思うのは都知事選にでている人のグルーピーくらいのものだ。
「プロダクト以外での差別化要因があまり無いので、プロダクト品質の向上に技術力超重要だよね。」と言うビジネス形態が存在すると言うこと。
http://getlife.hateblo.jp/entry/2014/02/06/030300
はい。それで、「paiza」を去年10月末に正式に開始しました。SランクからEランクまで、6段階でエンジニアを評価できます。
Sランクだと、アルゴリズムをきちんと理解していないと解けません。想定しているのはイノベーティブな開発ができる人です。例えば検索エンジンを作りましょうとか、ビッグデータの解析をするエンジンを作りましょう、といった話になると、計算速度を考えながらすごく効率的なアルゴリズムを組まなくてはなりません。そういうことに対応できる人を見つけ出すのが、Sという位置付けになっています。
といったコーディング志向になってしまっています。ビジネスのビの字も出てきてません。
なんて事を書いちゃう段階で自分のいる業界とそうでない業界の違いっていうのを全然考えてないなぁと。
猫と名乗ってる人が猫シルエットのアイコンを使うことはなんら不思議はないわけであるが、
かつて彼女は顔だけを隠した下着姿の実写アイコンを使用していた。
なぜ変えたのか。
最初からあたりさわりのない猫シルエットにしとけばよかったのに。
これは相当なことだ。
自撮り画像を定期的にさらしてくださる天使のごとき峰なゆか嬢ですら、
なぜそんな大それたことをしたかといえば、「熱にうかされていた」のだろう。
心と頭を使ってエントリを練りにねって書き、ツイッターでキャッキャウフフしてるフリしつつ、全方位警戒していたはずだ。
それでも、彼女は下着姿をさらした(よくよく見るとなゆゆのような玄人ではないゆえ、いろいろ突っ込みどころのある下着姿であるのに)。
なぜ?
賢い彼女ですら、飲み込まれてしまうほどの熱気があったのであろう。
結局ひっこめることになったんですけどね。
http://masudamaster.hatenablog.jp/entry/2014/01/09/215828
より転載
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20140105/1388933903
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140109/p1
お笑いである。次は「アフィリエイトは悪くない」運動でも始めるのだろうか?
金銭欲そのものを叩いてる人は残念?
が
「業者」と「ワナビー」
というゴキブリをネットに繁殖させた歴史をまるで知らないのだろうか?
他人がアイドルやタレントになる手助けを何で我々がしなければならないのだ。
他人の金儲けを何で我々が手伝わなければならないのだ。我々はお前らの戯言や
自己実現よりも、人々の好きなもの、人々の日常でのささいな幸せ、彼らの黒歴史や
日々の苦しみ、葛藤、悩み、その人が現実では言えないこと、そういうものを
読みたいのだ。それをアフィリエイトと承認欲求なんかで見えなくされてたまるか。
であって、「俺の方が上手くやれる」「褒められてるあいつが妬ましい」
なんて動機は一切無い。それがあるのは健常者(ワナビー)の方だろ。
ツイッター登場以降に急激に増えやがったよな。
「中二病」「ドヤ顔」とかも健常者が意味をねじ曲げたり作り上げたりした
言葉だろ。妖怪は中二病もドヤ顔も大好きだよ。それを表現したり摂取したりして
俺たちはネットで生きてたんだ。それがネットでどんどんできなくなっていった
のは、スカした健常者のせいだろ。
健常者は自縄自縛になってるんだよ。自分たちでワナビーをいっぱい作り出して
おいて、ていうかお前がワナビーなのに
「人を妬むのは止めよう」「承認欲求は悪くない」
じゃねーよ。マッチポンプだろ。お前らはネットで妬み嫉みしかできないんだよ。
インターネットで「何者か」になりたいのか?ネットでそんなもんになってどうすん
だよ。その限界はニコニコ動画のタレントが見せてくれてるだろ。
「何者か」になりたい野心を持った健常者が大量にやって来たからインターネットに
わけのわからん競争原理が生まれたんだよ。そんでカーストも生まれた。属人性や
パーソナリティが重要視されるようになった。サードブロガーとかもそれの被害者
だろ。
「ぼくはアルファブロガーに勝てない」じゃねーよ。誰がそんなこと決めたんだよ。
勝てるかもしれないじゃん。自分を値踏みするな。好きなことを書けよ。
「さとりブロガー」じゃねーよ。そんなこと言ってる時点で悟れてねーだろ。
これはさ、健常者たち自身の生み出した毒で健常者たちが苦しんでるだけなんだよ。
表現欲求は無いのに承認欲求だけはあるんだろ?だから毒がどんどん染み出して
いく。そういう毒でネットが汚れるんだよ。一般化する前の2ちゃんねらーの観察眼
とはまた一味違う、いやらしい、人間の観察の仕方。小野ほりでいとかが生まれたの
もそういう背景からだよ。他人の自意識を邪推したりカーストを作ったりしてる。
そんなことをして何が面白いんだよ。そんなことをするから、誰も自分の本心を
語らなくなったんじゃねーか。今や本心(?)を語るのは炎上上等の芸人と
デリカシーの無いタイプの女だけになっちまった。しかも彼女たちはオブラートに包
夫に話すと「愚痴」が「悪口」になっている
これが良い例だよ。こんな意識でブログ書いてるんだよ。読む人の心にナイフ
グサグサ刺してるんだよ。
「承認欲求(笑)」「歌い手(笑)」「創作(笑)」「黒歴史(笑)」みたいな茶々入れが、クリエイターにどれくらい悪影響なのかそのうち語りたい。”そんなの気にすんなよ”ってアドバイスじゃ片付けられない何かがあると思う。中学の英語の授業で、発音が正しいと茶化されるみたいなのに似てる。
@私がui_nyanだ
全部お前らがやって来たことなの。ワナビーを増やしておいて(競争原理を取り入れて
おいて、)「茶々入れが増えた」じゃねーよ。ワナビーが増えたからカーストが生まれ
俺たち妖怪は他人の英語の発音が巻き舌でも馬鹿にしなかった。議論を「くさい」
とか言って忌避しなかった。俺たちは本気とネタを見極めた。俺たちに上昇志向なん
かなかった。俺たちは何者にもなろうとしてなかった。
でも俺たちもゼロ年代の終わりと共に絶滅したんだ。今や俺や嫌儲が最後の砦だよ。
でも俺たちもいずれ滅び行く。そうすりゃカースト作りと自意識邪推の上手い
健常者が今よりもっと幅を利かす。でもさ、そういう世界で一体誰が何かを本気で
語ろうと思うんだよ?インターネットからどんどん(ポジティブな)熱が消えて行って
るのはどんな鈍感な奴だって気づいてるはずだ。当たり前だ。金銭欲や承認欲求は
人を自由にさせない。タレント志望や金の亡者が世界を面白くできるか?
「承認欲求を叩くのはけしからん」とか言ってるお前の存在が、いちばん人の言論を
スポイルしてんだよ。
というかさ、そもそも承認欲求なんて私的領域で満たすものだろ。ピングドラムも
そういう話だ。家族や親友関係の中で傷ついたり喪失したり葛藤したり、そういう
それを公的領域(社会)で誰かに認められて云々というワナビーの話にすり替える
ありむーが「ニコニコ動画ごときで満たされるカジュアルな承認欲求など要らぬ」
と言ったのは至極正しい。ニコニコ動画を馬鹿にしてるわけじゃない。MMD杯には
いつも感動してるし、今でも探せば、お金や承認欲求なんかに関係なく、
ただ「自分のやりたいこと」を本気でやってる人は山ほどいる。そういう作品を
見たり作ったりする営みは、作り手も視聴者もすごく満たされると思う。でも
それは「承認欲求」が満たされてるんじゃなくて、もっと別な何かである気がするん
だ。
つまり、創作や表現で「承認欲求」を満たすことが目的の人って決定的に何かが間
違ってるんじゃない?という疑問が拭えない。
そんな疑問だらけの欲求、いや欲望と言おう。その欲望でネットをこれ以上汚すのは
ロリコンは生きていた!! 更なる研鑚を積みコンビニ店長が甦った!!!
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com (注:甦ってません)
はてなサヨク Apemanだァ――――!!!
本を読みしだい語りまくってやる!!
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/
真の社会派記事を知らしめたい!! 青二才 三沢文也だァ!!!
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry
ブラック企業対策は完璧だ!! 脱社畜ブログ 日野瑛太郎!!!!
http://dennou-kurage.hatenablog.com
はてな村語りなら絶対に敗けん!!
精神科医の分析見せたる オタクドクター p_shirokumaだ!!!
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/
http://gallerycraft.hateblo.jp
埼玉県からはてな女子が上陸だ!! デトックス 体調わる子!!!
http://geriharawatako.hatenablog.com
ルールのないブログが書きたいから第三のブロガーを名乗ったのだ!!
めい土の土産にenchantMOONとはよく言ったもの!!
ユビキタスエンターテインメント 清水亮社長だ―――!!!
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/
就活ニュースを配信したいからここまできたッ キャリア一切不明!!!!
揉め事の本場は今や発言小町にある!! 私を驚かせる釣り師はいないのか!!
トピシュだ!!!
そんじゃァァァァァねッ
説明不要!! 140000users!!! 70000000PV!!!
ちきりんだ!!!
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/
サッカー解説にいつのまにか磨きをかけ ”キノコ” pal-9999が帰ってきたァ!!!
http://pal-9999.hatenablog.com
今の五輪に経済効果はないッッ!! 経済のトリセツ 山形浩生!!!
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/
運営九年の妙技が今ベールを脱ぐ!! 公式から はてなブックマークニュースだ!!!
http://b.hatena.ne.jp/articles
idはないしょだ!!! はてな匿名ダイアリー!
増田たちがきてくれた―――!!!
はてサのデンジャラス・ウルフ hokke-ookamiだ!!!
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/
実戦だったらこの人を外せない!! 超A級ブロガー Rootportだ!!!
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/
超一流ブロガーの超一流の喧嘩だ!! ディスプレイ越しに拝んでオドロキやがれッ
MCあ、ざ、な、え、る、なわのごとし!! paradisecircus69!!!
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com
ネットWatchはこの男が完成させた!!
老いた会長は亡くなったッ
俺達は君の冥福を祈っているッッッ
しなもんの登場だ――――――――ッ
http://cinnamon.hatenablog.com
……ッッ どーやらhagexは忘れられた様ですが、到着次第ッ皆様にご紹介致しますッッ
関連
では、前回のブックマークコメントを参照しながら自論を展開していきたいと思います。
simplemind だが「誰かの悪口を言ったら返ってくる」のは本当に「基本」だろうか?街で「年収○○万円の男なんてw」とdisっても普通怒られたりはしない。「disりっぱなし」は(残念ながら)常識的には正常な「態度」なのでは
http://b.hatena.ne.jp/simplemind/20131224#bookmark-174706694
素晴らしい指摘だと思います。
たとえば私が喫茶店でジュースを飲んでいたとして、そこで隣のテーブルに居る女性2人組が大声で
「年収○○万円の男なんてゾッとするよねー」
とお喋りしていたところで、それに対して私が議論を吹っかけたり、殴りかかったりすることはまずありません(非常識な彼女らにビックリしてチラ見はしてしまうでしょうが)。
私が公衆トイレでおしっこしてるときに、隣でションベンしてるおじさんがオナラをこいたところで、私は「屁ぇこくなよ!」とは言えません。
おじさんと私は友達ではないのですから (ダウンタウンの浜ちゃんは職業病で、そのような状況のときにおもわずツッコんでしまったそうです)。
ところがこれがネット上になると話が変わってきます。「年収○○万円の男なんてゾッとするよね」「結婚しない人間って何考えてるんだろうね」
とブログで言っている女性が居れば、私は彼女達を非難します。また、いつもホットエントリに入っている屁のように臭いブログがあれば、猛烈に叩きます。
もちろん絶対に叩く!というわけではなく、その日の気分によって叩く叩かないは変化しますが。
我々はなぜ街中だと非常識な人間をスルーするのでしょう。我々はなぜネットだと、特にブログやツイッターになると、非常識な人間を見たときに叩きたくなるのでしょう。
私はこの問題を考えているときに、「儀礼的無関心」という言葉を知りました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%80%E7%A4%BC%E7%9A%84%E7%84%A1%E9%96%A2%E5%BF%83
私たちは電車に乗っているとき、他人を凝視しません。それは、たとえば特に電車内のマナーにうるさい日本だけではなく、アジア・アメリカや欧州南米でもそれは同じでしょう。
Daniel Powterというカナダ人歌手の「Bad day」という曲のPVを見ると、これには男女の主人公が居るのですが、
男の主人公は電車内で、歴史を感じさせるような老夫婦を尊敬の眼差しを持って見つめます。
女性主人公は幸せそうなカップルを少しうんざりした様子で見ます。けれどここで重要なのは、彼らは決して無礼な態度では観察していないということです。
「お前何見とるんや」
と因縁をつけられない程度の態度で他者を観察しているのです。もしパッと目が合ったら私たちは目を逸らしますよね。
これは現実での振る舞いとして適当でしょう。私たちはそうやって日々を生きています。儀礼的無関心を遂行しているのです。
インターネットではどうでしょうか。我々はいくらでも他者を観察できます。ネットでは「お前何見とるんや」と言われることはまずありません。
他者をいくら観察しようが、いくらイヤらしい意地悪な目で見ようが、その行為の代償を払う必要はありません。
私を含め、古参インターネットユーザーたちはこの2つの世界を行き来していました。儀礼的無関心が必要な現実社会と、儀礼的無関心が義務ではないネット社会。
ところが昨今、特に2013年はそれが大きく変化した年となりました。
2013年を語る上で欠かせないのが、ツイッター冷蔵庫侵入事件です。
デジタルネイティブの若者たちは、コンビニの冷蔵庫に侵入しアイスを靴で踏みつけたり、レストランの備品に自分の身体を擦り付けたり、スーパーの売り物の食品に乗っかって遊んだりして、
そうした行為をスマホで撮影し、ツイッターにアップしました。そうした写真は瞬く間にネット上で拡散されて、ネット社会と現実社会の両方で大きな議論が巻き起こりました。
我々が外食したり、また食品を買ったりするとき、実はそれにはどこの馬の骨とも分からないDQNたちの体液がついてる可能性というものが大きく可視化されました。
主要紙もネットユーザーもバカッターバカッターと彼らDQNを糾弾しました。
「悪ふざけするのは良いとして、ネットに公開するということは全世界に公開するということだ。考えてやらないと。」
「目立ちたいだけだよ。有名になりたい馬鹿たちなんだよ。」
はてな民は偉そうに言っていました。
しかし私はどうも違和感を持っていました。「そもそもあのDQNたちは全世界に公開してたつもりなんて1ミリも無かったのでは?」
たとえば、私がコンビニで買い物をしていたとして、そのときちょうどあのDQNが靴で冷蔵庫の中のアイスを踏みつけていたとします。
私は彼に注意などしません。注意して、彼の仲間たち3人くらいに囲まれたらどうするのでしょう。怖いです。
私はここで必殺「儀礼的無関心」を放ちます。ギャーギャー騒いでる若者たちをスルーするのです。
本当は注意するべきなのでしょう。しかし生活していくなかで、そういうリスクはなかなか背負えません。
みなさんもそうだと思います。関わりたくないことには儀礼的無関心を遂行してやり過ごすでしょう。
さて、それがインターネットで繰り広げられていたらどうでしょう。
冷蔵庫のアイスを踏みつけたDQNたちは写真を撮り、それをツイッターに上げます。彼らは、たぶん仲間内だけに見せるつもりなのです。
「健太が冷蔵庫に侵入した結果www」てなもんです。青春の一ページです。
そうこうしているうちに、偶然にも私はその写真を見つけてしまいます。「あ!あのときのあいつらや!」
私は、現実で儀礼的無関心を強要されたあのときの惨めな気持ち、後ろめたさがよみがえって来ます。
「許せん!」
私だけではありません。DQNに儀礼的無関心を強要された人たちは山ほど居ます。そういう人たちが、DQN健太くんの冷蔵庫侵入写真を見たらどう思うでしょうか。
「恨み晴らさでおくべきか」
となるのは必然ではないでしょうか。
また、そういう恨みが無かったとしても、我々の誰もが買う可能性のある商品に不衛生ないたずらをしかける彼らの姿は、人々をとても不安にさせます。
そう、ここはインターネットです。コンビニで彼らを見たときのように儀礼的無関心をする必要はありません。鬨の声を上げるのは今です。
我々は彼らの個人情報をゲットします。お店の情報をゲットします。お店に電話し、彼らの家に電話し、ネット上に彼らの情報をバラまきます。
怒り狂った2ちゃんイナゴたちは暴れ周り、その結果お店は潰れ、DQNたちの就職難易度はとても高くなりました。
騒ぎが終わった後、DQNたちはどう思ったでしょうか。「ダチでもねぇ奴が勝手に俺らの写真を覗き見して勝手に大騒ぎしていった」と思うのではないでしょうか。
「現実ではスルーするくせに何でネットだと食いついて来るわけ?」とも。
これは儀礼的無関心が必要な現実社会と、儀礼的無関心が義務ではないネット社会との狭間で起きた事件です。
若者たちは混乱しています。「現実では何も言われないからネットでも大丈夫だと思ったのに・・・」
そしてこれはサードブロガーやはてな女子の問題に繋がって行くのです。
「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」
ということを平気で言います。しかもそれを、日本のネット上でも最も気難しい人たちの居る「はてな」でそれを行います。
これはハッキリ言って場違いです。「年収○○万円の男なんてゾッとする・・・」「結婚しない奴の意味がわからんwww」「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」
なんてのは、普通はオフラインで言うことです。誰にも聞かれないところで、女子会でやるべきです。喫茶店でやるべきです。
オフラインなら、我々は儀礼的無関心をできます。「酷いこと言うんだなぁ・・・」とは思いますが、彼女らを打ち倒そうとは思いません。
ところが彼女らは冷蔵庫侵入DQNと同じように、オンラインでそれを公開してしまいます。
オンラインでそんなものを公開してしまえば、はてなの妖怪たちが黙っているわけがありません。小難しい理屈を並べ立て、罵詈雑言を浴びせます。
「ほぉーそんなこと言うってことは喧嘩(議論)する気なんやな?オモロなってきたで!」てなもんです。
「友達でもない人が勝手にアタシのブログを覗き見して勝手に怒ってる・・・」
「女子会でこんな話しても誰も怒らないのに何でネットでは怒られるの?」
こう言われてしまうと、妖怪はバツが悪くなって攻撃の手を止めてしまいますし、さらに疑問がむくむくと沸いてきます。
「なんで議論する気ないのにそんなこと言ったの?ここは儀礼的無関心から解放されて忌憚なく議論する場だよ?」
上の言い方では少し強過ぎるかもしれません。もっと適切に言うと「反響が欲しくないのなら何で公開したの?」
ということです。
つまりはてな女子たちは、ブログで何を書こうが、現実と同じように、儀礼的無関心を他の人がしてくれると思っているのです。
冷蔵庫に侵入した若者たちと同じように。しかしその態度は、私にはとても無責任なものに思います。
「私は誰かに関心を持って悪口言うけど、みんなは私に無関心を装ってね?」といったところでしょうか。
はてな民はそれを了承しませんでした。だからはてな女子筆頭の体調わる子は苛烈な攻撃を受け退場して行きました。
「俺は好きなこと言うけど俺に好きなことは言うな」という態度のサードブロガーや虚構新聞も苦戦を強いられています。
この虚構新聞の苦戦に関しては、ネトウヨがネットの外に出て行ったことに強く関連しているので、後日それについて論じたいと思っています。
以上が、私の「現実とネットによる儀礼的無関心の違い」といったところでしょうか。
この儀礼的無関心の取り扱いの違いが、今後どうなっていくのかも後日論じたいと思っています。
http://akio6o6.hateblo.jp/entry/2013/12/25/065729
こういう気持ち悪さが一番「さーどぶろがー()」にふさわしいと思うんだけどどう思う?
"サードブロガー" - Google 検索 約18,200件
この3つにほぼすべての「サードブロガー」という言葉が分布している。
というかこれ全部足してくと、いっちゃん上の検索件数かるく超えてしまう…googleのドメインフィルタやインデックス方法や重複チェックがどうなってるのかはよく分からない。
思ったのは、ほぼ99%はてな内でしか使われてない言葉を、ビッグウェーブだなんだって言ってるの見てて恥ずかしいからやめたほうがよくないっすか?ってこと。
「はてサ」「はてフェミ」みたいに、はてな関連ということが一発で分かる名前に変えた方がサードブロガーの人たちにとってもヘイターの人たちにとっても、精神衛生上よろしいと思う。
これはあんまりにも簡単にまとめ過ぎだと思った。だから問題点を整理したい。
まず虚構新聞についてだが、虚構新聞に関しては一貫して「態度の問題」だと思っている。
「おもしろくない」「住み分けろ」という批判ははっきり言って無意味なもので、そんな批判が通用してしまうなら
インターネットの人々はみな自分の「おもしろさ」を絶えず気にして、自分の所属するクラスタに閉じも篭もってしまう。
私はずっと健常者のそのような焼き畑農業的な、未来の無くなる、人の行動を制限する言説には反対してきた。
私はインターネットでドヤ顔を見たいのである。カオスを見たいのである。みなが「住み分け」をするのならインターネットをやる意味が無くなってしまう。
ことこそがインターネットをやる喜びだ。それが嫌ならmixiにでも行けばいい。
虚構新聞がいくらつまらなかろうが、釣りをしようが、基本的にそれに罪は無い。
たとえばアグネスちゃんに対する侮辱記事でもそうだが、「あんな記事を書くってことはそれなりの覚悟をしたんだろうな」
と、第三者は思うわけである。「おっ虚構が喧嘩するのか」とテンションが上がって来るのである。
ところがユニセフが「ちょっとー!男子ー!」程度の抗議の声を挙げると虚構は音速のスピードで亀のように首を引っ込める。
その後は自分のホーム(ツイッター)でずぅうううっとグチグチグチグチ、自分の仲間を相手に「おれ悪くないやんな?」「全然ついてへんや~ん」
と愚痴を言うのである。ツイッターは公開されてるので、我々はそれを読める。そうすると我々は「なんと卑劣な男なんだ・・・」という感想を抱いてしまうのだ。
「自称人権家」などと、かなりの侮辱の言葉を使っておきながら、ユニセフが少し腰を上げると「怖い怖い!まったく・・・風刺も許されないのか・・・(困惑)」。とか言ってるのだ。
「その程度の覚悟しかないのなら、最初から名無しでやっとれ!」というのが私の感想だ。
2ちゃんねらーが名無しで自称人権家と揶揄するのは良い。だが名前を出してやるのならそれなりの責任感を持て。
自分を前面に押し出しますけど責任は2ちゃんねらー並みで、なんてのは許されないはずだ。
これは大彗星ショッカーのようなサードブロガーや、体調わる子を筆頭とするはてな女子にも言えることである。
「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」
といった他者disや、無神経で中途半端な思考を、デトックスと称して、世界に公開してるわけである。
もちろん年収○○万円の男も、結婚してない奴も、30代のOLもブチ切れるわけである。
年収○○万円の男や、結婚してない奴や、30代のOLの友人が居る人たちも怒る。「俺の友達はそんなこと言われるほど悪いことしてねぇ!」
するとどうだろう。
「なんかみんな怒ってて怖いぽよ・・・」
「ここは私のブログです。好きなことを言って良いはずです」
ところが、はてなユーザーとしては
「え、それなりのことを言ったんだから喧嘩するつもりだったんでしょ・・・?」と、肩すかしを食らうわけである。
「あれ、え・・・?誰かをdisってそれで終わり・・・?disりっぱなしジャーマン・・・?」
となるのである。はてなユーザーから見れば、彼らはとても不可解な存在だ。
「炎上するのが嫌ならそんなこと言わなければいいのでは・・・?」
しかしはてな女子は懲りずに、誰かをdisる記事を上げ続ける。そして炎上し、「何でみんな怒ってるの・・・?」を繰り返すのである。
これではコントである。だから一部のユーザーは、「PV数を上げるための釣りでは?」と疑念を抱きはじめる。当たり前である。
ところがどうも彼らは釣りをしているようではなさそうだ。
彼らはナチュラルボーンで誰かの悪口を言い、そして殴られて涙目になるのである。
虚構新聞は殴られる前にツイッターに引っ込むが、サードブロガーやはてな女子たちは引っ込まず、殴られるがままである。
はっきり言って頭が痛くなる光景だ。
20、30、40代のオッサンオバサンが、「誰かの悪口を言ったら返ってきますよ」という基本的なこともわからずにインターネットをやっているのである。
つまり、虚構新聞と一部のサードブロガー、一部のはてな女子の問題というのは共通していて、それは「態度の問題」なのである。
「名前を出してそれなりのことを言うのならそれなりの態度を示せ。それが嫌なら匿名で。」というのが私の意見である。
さて、淫夢であるが、これは匿名文化である。そして私のスタンスとしては、「匿名文化とは悪質で無責任で良い」というものだ。
今、かつての2ちゃんねるの匂いを少しでも残しているのは淫夢のみであり、このゴキブリと暴走族を混ぜたような集団を私は愛している。なぜなら
ことを私は苦に感じないからである。全く知らない人から全く知らない知識をブチ込まれる、こういう体験をできるのは実は淫夢文化である。
最近のインターネットはそういう体験をどんどんできなくなっている。健常者が増え、グーグルとアマゾンが幅を利かせている。
「あなたにおすすめ」「あなたに合ってるのはこれ」と押し付けてこられて、視界が狭くなっているのが今のインターネットである。
そういう環境において、淫夢のような集団はとても貴重だと感じている。
ただ、昨今においてはツイッターなどの影響もあり、ゴキブリにも暴走族にもなる覚悟もないのに淫夢民を自称する中高生大学生が増えてきている。
彼らは健常者であり、濃ゆく汚かった淫夢文化をどんどん綺麗に薄めていっているという現状はある。
2ちゃんねるがとても薄い場になってしまったように、淫夢も薄い集団になっていくのだろうという予想は既にしている。
以上が私の考える、虚構新聞と淫夢とサードブロガーの問題点である。
私がインターネットで要求するものは、クオリティでも住み分けでもなく人々の態度や覚悟である。
ところが昨今炎上する虚構新聞、サードブロガー、はてな女子は、いずれも態度や覚悟がなっていない。
態度や覚悟さえあれば、いくらでも好きなことを言って良い世界であるのにも関わらずだ。
「誰かの悪口は言いますけど私の悪口はやめてください」はいくらインターネットでも筋が通らないはずだ(匿名になるしかない)。
体調わる子ももう少しふてぶてしかったら、とても面白いブロガーになったのに、虚構と同じ類のナイーブさを露呈してはてなから退場していった。
今後第二第三のわる子やはてな女子を生み出さないためにも、この「態度と覚悟の問題」は言い続けていこうと思っている。
http://anond.hatelabo.jp/20131223150721
私がサードブロガーという言葉を始めて目にしたのはこの記事を読んだときである。
はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。またはサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん
この記事について私はこのような感想を残している。
順位を気にしてるからこそ「順位なんか気にせず行こう!」って言ってるみたいで、なんか根本的な解決になってない気がする。宇野常寛っぽい。 2013/10/19
http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131019#bookmark-165863730
「電車に新しい席を作ろう」という話を書いたつもりです
と言っているが、新しい席も何も、インターネットという場には無数に席がある。それこそ無限にだ。
勝手に座ればいいのに、アルファブロガーがうんぬんアワードがうんぬんと言い続けるその姿勢
カースト論そのものがそもそも馬鹿馬鹿しいし、ましてやブログにはそういった類の優劣は無いはずだ。
私のような疑問・違和感を他の人も表明している。
・サードとかフォースとか言ってる人たち
ゴメンやっぱりよくわからない。
この人ら、何が言いたいの?
「僕はアルファーになれない。アルファーになれない僕らは何者にもなれないのと同じ。でも何者にもなれないのはツライから自らが何者かであると自称する。よかったら認めてくれ」って話なの?そうとしか聞こえないわけだが。
それが書き手個々人の自尊心とかやる気にとって意味があるのは何となく分かる。だが、読み手にとってそれ何の意味があるの?個々人が胸の内で持っていればいいことじゃないの?その概念を広めて最終的にどうしたいの?
(略)
そのサードブロガーとやらは、アルファとは何が違うの?アルファと違って何が読み手にとって素晴らしいことなの?別にブロガーにプロアマの違いがあるわけでもないし、「アルファブロガー」の劣化版としか思えないわけで。 サードブロガーとして認められたら何か満たされるの?すでにサードブロガーとして認められた人たちは、何か心が満たされましたか? 何か生活変わりましたか?
自分なりの目標立てて満足したいだけなら、そんな名前いらなくない?
そもそもなんでアルファにこだわる必要があるの?アルファとかにこだわってるの君等だけじゃないの?自分に自信はあるけどアルファは無理、だからセカンド、サード、フォース、フィフス。そんな志半ばで折れてくたびれた人みたいな話に読み手が付き合う必要あるの?
毎日のように「本物のブロガーとは」みたいなこと言ってる人は、本当はアルファになりたいんじゃないの?
「僕らはアルファになれないブロガーです!」と自称する意味がわからないし、それを公表して一体どうしたいのか、とは
誰もが持つ疑問である。ほとんどのブロガーはアルファではない。しかしブロガーはそんなこと気にしないし、ましてや
いちいちそのような自虐めいたことを記事にはしない。
「僕らは競争から降りたんですよ」と言っているわりにはアルファブロガーに対する意識がとても高く、これにも矛盾を感じた。
この時点で、私のサードブロガーに対する印象は最悪である。自分の立ち位置を意識して書かれたブログなどに価値は感じないからである。
このような記事が投稿されたが、私はこれがまったくわからないのである。
何が言いたいのかわからないのである。村上春樹がここで出てくる。
「○○かもしれないし、○○かもしれない」
「完璧な○○など存在しない。完璧な○○が存在しないようにね」
一事が万事この調子で、とても難解な文章になっているし、私や他のはてなユーザーへの回答・反論にはなっていないと言って良い。
なっていないから「サードブロガー」の意味は二転三転したのである。
それはこの池田批判にも繋がる
サードブロガー問題について理解したいと思っている読者に対して何かを説明しようという意図は全く感じられない。説明する前にさらに自分の課題意識を語って問題をさらにややこしくしている。読んでる人完全においてけぼりである。
そうこうしていると、次はトマト祭り(?)なるものが開催され、よくわからないが、この事件には私よりも私以外のユーザーが不満を漏らしていた記憶がある。
たぶん、トマトをお題にブログを書いてブックマークし合う、といったような話であろう。
身内ブクマ問題である。この部分にはあまりコミットしていないので私にはわからない。
そうすると今度は、やけに声の大きいとても目立つブロガーたちが集団で現れた。体調わる子を筆頭としたはてな女子、大彗星ショッカー、まつたけ、etc・・・。
彼らははてなで大騒ぎをした。とんでもないタイトルととんでもない極論をまぶした記事をはてなに大量に投げ込んだ。
はてな移住前のファンを引き連れてやって来た(ホットエントリが確保されていた)。
お金をください、ファンになってください、と叫んだ。自殺宣言をした。馴れ合った。アイコンを女体に変えた。
私は彼らのことをさっぱり理解できず、嫌悪感を持ちながらも考察した。彼らがブログを書く動機や目的は何か。
そして彼らをどうカテゴライズすればいいのか。
そのとき、私やはてなユーザーは、池田氏が提唱した「サードブロガー」という言葉を持っていた。
これを使わない手はなかった。
池田氏の提唱する「サードブロガー」に対する嫌悪感と、新参DQNブロガーに対する嫌悪感が合体した瞬間である。
「まとめて呼んでしまえ」
ここで池田氏は「提唱者が違う」とおっしゃられるかもしれないが、私はこの記事を提示したい。
サードって言葉使うと俺はサードではないとか、まつたけは一緒にするなとか、原義がー事実誤認がーってうるさいんだよ、あいつら。
そんな細かいこと知らないし、ソース当たるために読み返さねーよ…
そこまでしたくなるほど魅力的な人物や文章がない。
かなり口は悪いが、それなりのことは言っていると思う。
つまり我々は、友達でもない人のブログをいちいち過去に溯ってまで読まないということだ。
自分のブログを過去に溯ってまで読まれるということはとても光栄なことであり、それは自分に興味を持ってくれたということでとても嬉しい。
ただ、それはとても稀なことであり、だから私の過去もあなたの過去もほとんど参照されない(それは救いでもある。東浩紀レベルになってようやく参照されまくる)。
池田氏以外の最近のブロガーにも言えることだが、「私はこのときこう言ってるんですけど!」「過去記事見てください!」
というのは文章のコミュニケーションではたぶん有り得ないことだ。文脈の時制を統一するのが文章のやり取りであり、もちろん
日本のインターネットに居るほとんどの人ができているのに、サードブロガーになると途端にこれがダメになる。
「私の過去ぐらい知ってるでしょ?(みなまで言わないわよ)」ときたもんだ。そんなもん知らないのである。
そういう姿勢が、サードブロガーの文章の読みにくさの大きな要因となっている。
話は逸れたが、つまり私や他の多数のユーザーにとって、「サードブロガー」の提唱者・代表者は間違いなく池田氏だということだ。
さて以上が「私がサードブロガーという言葉を使うまで」の私的(主観)歴史である。
サードブロガーという概念・言葉が二転三転した経緯を私はこう捉えている。
他の人はどう考えているのか。最後に私の目に止まったものを紹介して今回の記事を終わる。
kanose 「サードブロガー」が今までのブログとどう違うか明確に説明されず、他人が理解できない時点で、定義がどんどん出てきたのは当然だったんじゃないかな 2013/12/23
そんな絶望した世界にサードブロガーという言葉が定義されました。
だって、そんな名前つけなくてもWebには、小さな世界や日常をを映し出す人達なんていくらでもいた。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
(略)
起源などどうでもいいとはいわない。言葉を提唱したこと自体に意味が全くないとは言わない。
だが、サードブロガーという言葉をどのように使うか決められるほど
トマトバイトテロが洗濯機に入って浮かれているときに笑って見ていた。
ところが、「サードブロガー」周辺のやりとりをみるに、このあたりがよくわからない。PVや影響力だけがすべてではない、と主張しているようにみえるけれど、実際、サードブロガーに該当しそうなブロガーがPVや影響力を軽視しているようには見えなかった。既存のはてなダイアリー・はてなグループのブログ群のほうが、よほどPVや影響力を意識せず動いているようにみえたからだ。そして、彼らはお隣さん同士で「拍手」をつけあい、「あしあと」を気にしあうようなプライベート的ブログ文化圏のソレに近いようにもみえた。本人達の思惑はさておき、日本のブロゴスフィア全域を前提として考えた時、第三の極と言えるようなポリシーの鋭利さは見出しえなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20131222231100
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131228163827
俺はブログと言う世界で生きている、この世界で偉いのは金持ってる奴でも喧嘩強い奴でもない、土日祝日ブログ書く奴。サードブロガーです!
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/12/24/170036
めんどくさいがざっくり説明しとくと、
元々、Tumblr界の魔神otsu●e氏が道路を暴走し、それを「情報戦略は始まっとるんや」とウチで茶化したらクマのお医者さんが鉄製の屑籠を振りかぶって
「悪いことは悪いって言わんかい...オマエネタにして調子乗っとったらぶち○すど、このクソ猿ブログが!!」
と怒鳴られ説教されて「やべー!殺される―!!怖ぇぇぇっ!! (((( ;゚Д゚)))」と冷や汗かいてるところを取り囲んでブコメで騒ぐはてな村お馴染みの盛り上がりの一連をyarukimedesu氏が
ブログ記事を沢山書いて、アルファーブロガーになりたいな、なんて思ったこともあったけど。今でも思うけど、こらあかんわ。人生はあきらめが肝心だ。“
と書いた。
それを見たinujin氏が「アルファなんて目指さないでいいんじゃね?」と言い出したところが最初。
だから元々の発祥も「ボクたちサードブロガーはもっとブログ界を盛り上げて...」なんて意味でも無かったんだが、ちょうどその頃新進気鋭でロジック・思考甘々で釣りまがいの記事を挙げまくって軽く炎上するようなブログが(昨日今日も何やら燃えてたらしいが)幾つも出て来たもんだから「新進気鋭のブログ=サードブロガー」と結びついて、その瞬間本来的な「サードブロガー」と言う言葉と概念は死んだ。
(略)
この2つの記事に共通しているのは、「池田仮名には伝える気がない」というものである。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
「池田仮名には伝える気が無い」というこれらの指摘には私も同意する。池田仮名は村上春樹なのである。
村上春樹といえば「パンチを打ってこない作家」として私は認識している。
何か強い主張や信念の発露を期待して読むと、これは見事に裏切られる作家である。
池田仮名氏の記事もこれに近い。不必要な予防線が多く、何が言いたいのかわからない。また最後に「ま、俺はマジになってないけどね」と言いだすところもソックリである。
その記事でも結局最後まで私にパンチが放たれることはなかった。
数々の事実誤認と「判断基準はぼくの内心」を前提にした批判を書いた増田の中では最終的に以下の定義に落ち着いたそうです。人が作った言葉にその定義を上書きすれば名誉回復の余地がなくて無敵ですね。ここまで「言葉」について軽視する人に「ブロガーとは〜」と言われていたのかと脱力しました。
これらの批判はパンチではない。グサッと来ないのである。
まず自分の内心に価値基準があるのは当たり前のことであり、何を言っているのかよくわからない。
またサードブロガーの定義が上書きされたことを怒っているが、そもそも私には定義などどうでもいい。
定義がどう変遷しようが、私はサードブロガーらしき人間たちが嫌いなのだから。
名誉の問題についても私の責任であるかのように書かれているが、名誉回復くらいは自分でしてほしいものである。
池田氏は記事でまた延々とサードブロガーの定義や歴史について説明しているがあまり意味が無いのだ。
「新しい」は「あらたしい」です!と主張しているようなものだ。
もともと、はてな民はブログを書いたり、ブックマークを付けていたわけ。
そこに俺達は古い人間とは違うねんってやってきたのがサードブロガー。
なんだよサードって(笑)
ところがやってることはパクリ、釣りみたいな記事、低レベルなまとめ、はてな運営とブコメに対する愚痴。
まあ何人かは生き残るだろうけど。
まるでニコ生の生主みたいだから、いっそネットラジオとか向いてるんじゃないの?
それとも、もうやってる?
こんな実生活に関係しない事で、私を含めて多少なりとも熱くなれて良かったじゃんというところです。そうして「無駄な時間」「無駄な怒り」「無駄な苛立ち」が消費されたわけですが、その効用については語りません。今日もアイロニーを感じながらダンスを踊り続けるのです。たった数ヶ月の間に数々の呪詛を受け続け、変質し続けた「サードブロガー」という言葉に祝福を。
こうやって最後に「無駄なことごくろーさん」とスカす人間に、言葉についての意識をどうこう言われたくはない。
そういうすかした態度がサードブロガーという言葉を守りきれなかった原因ではないのか。
池田氏や他のサードブロガーたちについてまだまだ言いたいことはあるが、今回はここで終わらせておく。
潰れろ、って思ってたって、はっきり言ってここまで最初から開き直ってる奴は別に何言われても、よっしゃー、としか思わないだろ。
そうなんだろうな。だめなら移転しようくらいの考え。
ただ、はてなに残ってくれたほうが、新しい住人は増えると思うんだけどな。
http://hotentry.hatenablog.jp/entry/2013/12/01/153818
ショッカーはアクセス数が18万5千PVだと公開しているから、推測すると体調わる子は20~30万PV。
移転を決めるのも当然。もう新規参入者がいなくなるぽよwwwww
サードブロガーとして名前の出るところは、それなりに競争を勝ち残ったブログだ。
それがこんなに叩かれるのなら、運営だって考えるだろう。
なんで、誰もそういう指摘しないんだ?
凝り固まった自治体みたいになってるぞ。
なんであんな軽薄なブログが人気なの?って、それが上場を夢見るはてなの狙いなんだよ。
わる子を追い出してどうしたいんだ。運営はきっと泣いてるぞ。
そうそう。やる事なす事5年前とこれっぽっちもかわってないから、
はてな村の古老達はどうつつけばどう転がるのか完全にわかってて、
面白いようにころっころ転がされてるだけなんだよな。
サードブロガー()とやらも大概うすっぺらいが、
ああも懐かしい取り乱し方されるとかわいそうになってくるよ。
http://d.hatena.ne.jp/chuunenh/20131211/1386766614
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
私としてはサードブロガーとはただの承認欲求ゾンビであり、ブログ材料が承認欲求以外に無いので、すぐブログ論や仲間内の楽屋話に
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
承認欲求!
承 認 欲 求!!!!
また懐かしい言葉ですね。shとみたら勝手に指が承認欲求って打ち込んでしまうくらい、書いた記憶がございます。そう、はしごたんがはてな村に君臨していた頃のお話でございます。
はてなダイアリーがはてなブログに変わって人が流入し、何やら色々リセットされたようですが、基本的にやってることは昔のまま。サードブロガーとか洒落た名前を冠しておられるようですが、その昔にはてな村のステージで喧嘩をしていたあの人達が世代交代しただけではないかと村人は思うのであります。
昔のはてな村にはそんなものが溢れておりました。そしてそれこそがイナゴの大好物だったのでございます。隙をみつけたイナゴは、まず先陣三匹が隙から皮を食い破り、続く怒涛のイナゴたちがブロガーの自意識を食い破ってかれらを発狂させます。そうして何人のブロガーが腐海に沈んだことか…
ちなみに隙のない文章はプロでもそうそう書けないものなので、ブログが流行り始めた頃からネットには「隙だらけ」の文書があふれていました。当時のブログはどこもたいていトラックバック機能を有しておりましたが、これが機能していたとはいいがたく、また今よりもサービス間の連結は疎であったため、自浄作用がはたらきませんでした。しかし、2005年、はてなブックマークがリリース。これにより大量発生したイナゴがゴミを食い荒らし、ゴミをまき散らしうるブログを潰していったのです。これこそが、はてな村が敬遠された理由でした。イナゴにとってはゴミですが、ブロガーにとってそれは宝だったからです。
彼らが自分のブログ・文章を批判されると凄く傷ついてしまうのは、
彼らにとって、「自分のブログ・文章」は、「自分そのもの」だからなのではないかと思っている。
対してやまもとのような古参民は違う。「 自分の信念・感情・思考 → (変換) → 自分の文章・自分が提出したデータ 」にしている。
残念ながら、自分の信念や感情と文章を切り離せるのは一部のプロあるいは釣り師のみ。あのumedamochioでさえ書評を批判されて発狂したのです。基本的に人は、文章と自分を切り離せません。切り離せると思っているのは幻想に過ぎず、またかれあるいはかのじょがそれを無視するだけの尊大な人間であるためなのです。
しかしどうも新参ネット民やデジタルネイティブはそうではないようなのだ。
彼らはまず自分の人格・個人をババーン!と世界に大公表して、それから情報のやり取りを始めるのではないのだろうか。
これは明らかに誤謬ですね。
はてなイナゴとともにはてな村で踊り狂った一族は、個人の内面をまずさらけ出していました。イナゴはそれが大好物だったので、あっという間に飛びつき、貪り食ったものです。そしてそれに火を放つものがおり、さらにイナゴがどこかから飛んでくる。それがはてな村でした。この騒動のなかでひとつ残った言葉が、承認欲求。まるで南無阿弥陀仏を唱えるが如く、一時期は承認欲求の文字がどこでもつぶやかれていたことを懐かしく思います。
思うに、はてなブックマーク時代以前は、mixiのようなSNSで個人情報を垂れ流すか、オープンな全く自分の尻尾を掴ませないか、そのどちらかしかなかったのです。mixi似つかれた人々は穴蔵から這い出し、オープンな世界で自由を謳歌したかのように見えましたが、個人情報を守れど自分自身の中核を守るすべは知らなかったのです。個人情報さえ守れていれば、大丈夫。彼らはそんなふうに思い、SNSの中と同じような活動を使用としました。そしてネットイナゴに食いつくされたのでした。しかもネットイナゴは彼らにとって見ればまさに承認であり、欲求を満たしてくれる救いでもあったのです。
データのやりとりのみを行う方法を知っているのは、SNS発生以前、ブログ黎明期よりもまえにオープンな場所でそだった野生児だけでありましょう。野生児と非野生児はコミュニケーションが取れないものです。そして野生児は少数派なのです。
ちなみに2005年のはてなブックマークリリース後、2006年から2007年にかけてはてなが盛り上がった頃、はてな村界隈ではこのような人々が活躍していました。例に出したのは一部です。どこに入れたらいいかわからなかったネコプさんとかは省いています(あとはいろいろ忘れた)。あとはてな村の外側には大学生自治寮やギーク平原、狼集落などが点在しておりました。
この後、はてな村は別都市の興隆や再開発によって解体・分解しております。とくに2007年以降は、突っ込まれるのは面倒だが承認欲求がほしい人々は増田へ、キャッキャウフフしたい人々はTwitterへと移民していき、イナゴも人の流れに従ってあちこちへ分散していってしまいました。そしてはてな村は生き残った強者だけがつぶやく廃村となったのであります。
ココロ社さん
メレ子さん
はまちお兄ちゃん(Hamachiya2):猟師
てらじさん(TERRAZI):Operaの人だがたまにはてな村に絡む
シナ千代兄さんの場合はてなの図解まとめ人なのだが、なんかはてな村とは適度に距離をおいている感じがする。多分メタだからだろう。
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20060217/p1
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20060912/p1
あたりは今でもそのままって感じ。
パル氏(pal-9999):的の外れた男女論のためたびたびブクマで炎上。思想はマッチョ。本人は炎上商法のつもりではないのかも
萌え理の人(sirout2):ライフハック系。あんまりはてな村ではない気もする
タケルンバ卿(takerunba):ライフハック系。でもなんか非モテあたりと親和性が高かった気がする
にちのさん(nitino):メンタルヘルス
まさおさん(Masao_hate):非コミュ
ulululunさん:こじらせ
republic1963氏:非モテ
フルカツ氏(furukatsu):非モテ急進派
じゃんくま氏(junkMA):単著もないのに
ここらへんが動くとohnosakikoさんがメタエントリを生成
ともむん氏(tomo-moon):ミサンドリ→結婚後おとなしくなってたが最近は鬼女として復活か
えっけんさん(ekken):なんかよくわからないが炎上してるとまとめに飛んでくる人
蟹亭主さん(kanimaster):揉みごとの人
加野瀬氏(kanose):なにしてるかよくわからないが村長らしい ←すみません素で名前間違えました
花見川氏(ch1248):何故か炎上する武闘派。非モテ(非コミュ?)から後にニコ動画系へ
ふぁー/ぴーは/ぴゃーさん(pha):この頃はネオニート一年生だった
の、のぶたんのこと忘れたわけじゃないんだからね!でもなんとなくれぶたんとセットです。
みなさんが、2ちゃんねるを今でも見るのはなぜでしょうか。
みなさんが、ニコニコ動画から一歩引いたのは何時ごろでしょうか。
ソーシャルサービスの先駆けであり、最も世界で何度も終わったと言われたサイトですが終わりません。
以前より終わった感がありますがmixiより終わっていません。
2ちゃんねるを観測していたとき、ネットコミュニティとしての文化の終焉に何度も出会えました。
2ちゃんねるは、時代によって中心となる板が代わり、中心が動くことを繰り返すことで不死性を持った謎のサイトです。
一番最初は、開始1年目ぐらいでしょうか。その時代の中心は、ロビーといわれる場所でした。
ロビーとは、日常の違和感を一般的な問題化することで、無駄にしゃべりあうための場所です。
基本は今のニュース速報の様なものを考えて貰えば良いですが、取り扱う視点の広さは比べ物になりませんでした。
この時代を知っている人は、有名固定(笑)とか、その辺が懐かしい人もいるかもしれません。
さて、そんなロビーもだいたい一年ぐらいでダメになりました。原因は、マンネリ。
抱え込むネタの広さがマンネリとくだらなさを加速させました。今の嫌儲みたいな感じです。
嫌儲以上にひどい部分は、慣れ合いです。
元々は斬新な視点を提供できる人達でしたが、割に合わない思考を放棄するようになり
顔出しても知ってる固定同士でどうでも良い挨拶と雑談を繰り返すようになりました。
そんな感じでロビーは特筆するような最終回もなく、気が付いたら端にいる板になるようになりました。
その時代の結論は、慣れ合い禁止でした。
内輪ネタによる安易なコミュニケーションは、興味の無い他人にとっては「見てほしい」ネタでしかなく、「見たい」ネタではないわけです。
これを経験してる人やこの血を受け継ぐ人達は、内輪ネタや身内性に吐き気を催すように調教されています。
ちょうど良いので話は変わってmixiです。
「見てほしい」ネタと「見たい」ネタのバランスに対して、革命的な答えを提供したのがSNSです。
mixiのようなソーシャルネットワークサービスは、「見てほしい」ネタでしかない内輪ネタを
興味のある人に限定公開することで、「見たい」ネタに昇華させたのです。
好きな人のおならの臭いなら嗅ぎたい。それがSNSの本質であり、勝因でした。
でも、強引に近づけてしまった距離感が、結果的に息苦しくなり、若者のSNS離れを呼びました。。
mixiなので、四行ぐらいでどうでもいいです。
2ちゃんねるの歴史に戻ろうかと思ったのですが、飽きました。mixiのせいです。
ネタのマンネリ化を防ぐために、外部の時事性に依存したニュース速報。
VIP。作り出すことに徹した姿勢や、「見たい」を拡散したまとめサイト、慣れ合いの回帰。
ひろゆきが「まとめサイト」に対して好意的なのは「見たい」を拡散する効果なんですね。
2ちゃんねるの不死性は、少なからずひろゆきの空気の読み方も影響してたと思います。以前は。
で、最近話題のはてなブログのマーケティングは「見てほしい」を拡散してるんですね。
「見てほしい」を「見たい」に「見せかける」ツールとして利用されたのが、はてなブックマーク。
そこには「見たい」人達が集まる。なのに「見てほしい」人達を流れにのせる。
そんな風に利用されれば、反感を買うのはあたりまです。どちらの彼らのせいでもありません。
「見たい」の正体は、コンテンツです。Web2.0とかそんな時代でもそこが大事でした。
そして、コンテンツがマンネリ化した場合、その打開策として利用されるのが
「見てほししい」の無理やりなコンテンツ化です。
なぜかって?新しいコンテンツを作るより、人の欲望を見える化する方が簡単なんです。
ユーザー同士の関連テーブルを作れば終わりです。
それを体現したのが、ニコニコ動画です。ここまで読んだ人には書かなくても伝わる気がします。
で、なぜここまでモチベーションがあがらないかというと、このネタ10年前にみたとか地獄のミサワレベルだからです。
本来その先に時に生まれた異端児のストリーム論があるのです。Twitterですね。
そのネタもかなり古いですが。ストリームコミュニティの衰退を定義化されてるのはまだ見たことない気がします。
まだ、衰退してないからか?
なんでこんな古いをネタを書いたかというと、はてなブログから、すんごい古臭い匂いがするんですね。
「見てほしい」「見てほしい」文化。下手すると、テキストサイト時代のレベル。
なんつうか、うちらの世界によるtwitterの隔離閉鎖理論が、コミュニティ論そのものを衰退させて
古臭い「見てほしい」論に回帰したように感じるのは、僕の観測範囲の狭さでしょう。
時代遅れのブログでどうするか、無理やり考え出した古臭さこそ、nextネットコミュニティのはてなブログ。
なんかすんごい古い感じの、時代遅れな感じで、ループモノは飽きた。
昔なら衰退のトリガになる「見てほしい」のコンテンツ化が、この時代にどうなるか、というのはなんか少しだけ見守りたいけど。
どっちかという、こんなマンネリ論より、新しいコミュニティ論が見たいです。
下を読んでて思いました。