はてなキーワード: サンシティとは
平成30年7月 柴内 巡査の山本 ? まだ拡声器もなく、かんばしくなかったので、1階の
平成31年1月下旬 サンシティの庭でやっていたら男が酔っ払って歌っているし下手糞
平成31年2月9~14の間 志木市老人ホームに向けてやっていたらバクサイから反対者があり真夜中の運
動会あり
平成31年2月15日 霞が関法務省前の公園の石碑と警視庁に向けてやっているが増田からこれ
については沈黙と言う反応があった
平成31年3月2日 延岡で開催したときに、 ヌルポ、ガッの警察官が臨場していた
令和元年
令和2年2月15日
令和2年5月11日 もうこれどうなるかわかんねえなあと村田が二人で走って駆け付けてきて
拡声器を叩き落とした
令和2年6月20日 屋上でやっているので、巡査の修二がやってきた
令和2年7月29日 延岡警察署が大暴れしているので規制をかけた
以下略に、
令和5年7月26日 49歳警官臨場、 オイラー法について教えてくれよ
http://anond.hatelabo.jp/20150808231808
マックス「あの頃…そう、まだナイトライダーなんて気にしているの?とか言ってた頃、そうそう俺がトカゲ食いながらバックショットの球粒ほじくって昼からガソリンを飲んでいた頃、
元同僚たちはその頃、キャリアアップのために必死に勉強し、家族のために血眼に働き、将来何かあってもいいようにしっかり蓄財し、
子供に進んだ教育を受けさせ、ヒーヒー言いながら住宅ローンを返済し、自己を犠牲にしても家族と子供の幸せのために心血を注いでいたんだなー。
そして何が起きてもそれなりに戦えるようにスキル、人脈、職歴、要するに信頼を重ねてきたんだ。
はっきり言ってそういうのバカにしていたよ。あの日までは。
あの日からもう俺には何にも残ってない、お金も、家族も、毛髪も…。もうサンシティにすら住んでいない。
結局あの日以後はガソリンがないと生きることができなくなってしまった。
今や白い肌でV8とかわめく薄気味悪いやつらのところで、小便くさい若造のハイオク輸血袋をさせて頂いている状態。
朝から晩までどころか、次の日の砂嵐まで車に縛り付けられて…。
平和なんて幻想だったんだな。本当に法律なんて守られていなかった。司法省の方がマシだよ。司法省戻りたいよ。
ヘロヘロになるまで輸血されて帰るところが、ババアしかいない砂漠のど真ん中。誰もいない死の大地。
そして、水も食料もないから例の白い肌のやつらのとこに戻る予定だ。
悔しいよ。スーパーチャージャーでも積んでインターセプター走らせたいとか言っていた自分が心底恥ずかしいよ。
インターセプターといえば、白い肌のやつのオモチャで今はおじゃん…ははは、辛いよ。
あの日が来ることを薄々感じつつ、何の対策も取れなかったもんなぁ…。
そりゃ核が落ちてくるなんて思わないだろ?