はてなキーワード: サブタイとは
NEW GAME!第8話はロリ要員として涼風青葉と双璧を成す、桜ねねを中心に物語が進行する。
比較的序盤に、八神コウが冷蔵庫に入れておいたプリンをねねっちが食べてしまう事件が発生。
恐ろしいことに、この死ぬほどどうでもいい事案は最後の最後まで引っ張られ、尺の大部分はプリンの話なのだ。
あぁ、本作を途中から観始めた諸兄諸姉のために補足すると、この作品はデスマってるゲーム開発現場で過労死寸前のおっさんたちの幻覚を漫画・アニメ化したものである。
ゲーム会社でありながら、プリン消失に気づく心の余裕がある一点だけ見ても、完全にファンタジーであることがお分かりいただけるだろう。
今回のサブタイは『夏休みだぁああ!!』であり、無論おっさんたちの叶わぬ願望、魂の咆哮に過ぎない。
ちなみに登場人物たちが鋭意制作中のゲームは『フェアリーズ・ストーリー』というタイトル。
妖精さん(フェアリーズ)はおにゃの子たちだろうか、それともおっさんたち? いずれにしても本作は労基法の埒外に広がる幻想世界を舞台としており、妖精さんはきっと必ずいや間違いなくいるに違いない。
しかしながら、おっさんたちの妄想に終始しているというわけではなく、ときおり垣間見える現実が物語に奥行きを持たせており、日常系アニメに飽いたユーザーの視聴にも耐え得る作品だ。
例えば、冷蔵庫の中にレッドブルがチラ見えしたり、青葉とねねっちが土下座したり、寡黙なひふみん(今回は一言も喋らない)が失語症を発症した従業員のメタファーだったりと、ところどころにおっさんたちからのSOSが挟まれている。
エンターテイメント性を維持しながら、業界の窮状を訴える社会派アニメなのだ。
全部読み終えてから感想を書くには、あまりにも増田のスペースは小さすぎる
ってなりかねんと思ったのと、都度書かないとそのときの感動を残せないと思ったから、
ちょっとずつ書く
まずはじめに、これまでホッテントリに上がってくるようなSFの古典とか名作とか言われてるのにちょこちょこ手を出してきたけど、その中でこれが一番だった
海外作家で設定厨に堕してなくてSFのエッセンスとエンタメの快楽を同時に最小限の文章で表現できている人に初めて出会った
下手に長編読んでもげんなりするし失敗したときのダメージがでかい
まだ全部読んでないし、これ以外のSFも2桁に届かないくらいしか読んでないけど、SFに手を出すなら、海外作家ならこれ、国内なら小川一水の老ヴォールの惑星を推す(星新一は別格として)。
SF警察に取り合うつもりはまったくないけど、小説というからにはエンタメがないとダメだと思う自分にとって、SFやりつつエンタメ性もあるものってなるの上記の選定が最初はベストだということ。
表題作含むいくつかの短編が入ってるから短編ごとに簡単に感想書く
RPGのワールドマップが上下左右でくっついてる理由、みたいなネタを思い出した
固有名詞がいろいろ出てきて覚えにくい・覚えるのめんどいと思ったけど、別に覚えなくてもどうにかなった
これヤバイ
クソ面白い
アルジャーノンに花束を+天才対天才の超身体能力バトルみたいな感じ
ちょっと話逸れるけど、伊藤計劃の虐殺器官ってやつで、結局虐殺の文法ってなんだったんだよってのがはっきり描かれなかったことが、自分にとってすんごくフラストレーションだった
あと野崎まどのknowってやつでも、最後らへんで天才対天才のバトルがあるけど、描かれてる視点が第三者だったから、高尚ですんごいバトルしてるのに傍目からは何をしてるのか全然わかんない、とにかくなんかすごいことやってるって描写しかされなくて、これもまた自分にとってすんごいフラストレーションだった
そんで翻ってこの理解という短編は両方を同時に解決しているすんごくすっきりする話だった
虐殺器官もknowも長編でだらだらやって結局大事なところをぼやかして描写することから逃げてるように感じたから、短編でここまで正面切って読者に開けっぴろげにケレン味たっぷりの描き方をしてくれてることに感動すら覚えた
表題作もいかにも面白そうで今まだ読んでる途中だけど、この短編だけのためにこの本買ってもいいくらいにはめちゃくちゃおもしろかった
最近のラノベのバトルとかマジで子供だましに見えるくらいの面白さを感じた
数学理論がひっくりかえるようなことを見つけちゃったのはわかるけど、それがあんまり大きくお話にからんでこなかった気がする
たぶんこれは2,3回読まないと理解できない
サブタイの1(数学のうんちく) 1a(妻視点) 1b(夫視点)で視点が切り替わるのは面白かったし、最後のサブタイはふーんと思ったけど、いまいちカタルシスに欠ける、というか、面白さが一読するだけだとSF素人には伝わってこなかった
おととい
ff6のオペラをゲームシーンみたりオーケストラみたりしてた。youtubeで。
きのう
昴ソリチュード読みつつ、a-haのtakeonmeの関連動画から
→ボヘミアンラプソディ
→ウィー・アー・ザ・ワールド
→マン・イン・ザ・ミラー
と聞いていった
さんざん暴虐尽くしたアメリカがこんな歌をうたってると思うとなんか皮肉っぽかったけど、
マイケル・ジャクソンのヒール・ザ・ワールドの方はまあ本人もアレだしと思ってちょっとはいいかなと思えた
もともとヒール・ザ・ワールドは中学生のときに英語の授業で聞いたくらいで、
ウィー・アー・ザ・ワールドほどのインパクトはなかったんだけどね
サビ弱いしね
でもまいけるがあなたと私と全人種のためにって歌ってるとなんか思うところがあるよね
毛の壁以降、色んなところであーだこーだ再定義言われてるけど、結局名前が悪いんだよなぁ。
どちらかというとオブジェクト指向の方が「何もかもサブルーチン(ただし値を覚えていてくれるおまけつき)」で、関数型の方が「何もかもが値(関数も)」なんだけど、まず名前からだと逆っぽく聞こえる。
加えて、この二つの概念が対立すると思われてしまうけれど、んなこたーないのはjavascript見れば分かる。何もかも値かつサブルーチン、でOK。
両立しにくいのは、オブジェクトの概念と高階関数の概念ではなく、オブジェクト指向言語が採用してきた型システムと、関数型言語が採用してきた型システムだ。
つまりC++やらJavaやらが採用してきたサブタイプ多相をベースにしたクラスによる型付けと、ML系言語が採用してきた代数的データ型が噛み合わない。致命的に。
いやまぁScalaは頑張って統合したけど、コンパイル遅いわ書き方次第で型チェックが無限ループになるわで、色々と無茶しやがって感ある。